余の読書記録
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
そろそろ目が覚めた瞬間に上体を起こして活動する習慣をつけねばなるまい 実はこのスレを楽しみにしているので、話題を読書に戻してもらえると非常に嬉しい。 進歩は時間的にも空間的にも決して連続したものではなくある時代に支配的ないしは指導的な立場であった集団(階級・国家・大陸・文明その他)が次の歴史的時代にまで同じ影響を与えることはない 前代のイデオロギーは次代の条件に適合できず従って進歩は非連続的である 確かに最初から一通り要約しておけばレポートなんぞたちまち仕上がったかもしれぬ 蚊取線香が度々止まるので画鋲とクリップで自立させたがバランスがこわい トマト缶
飲み物
カルシウム
米当番
味噌
海藻
パン 中世から史書(具体的には漢書、史記、後漢書)が研究対象に含まれ始める 米
豚バラ
牛乳
味噌
鶏卵
バナナ
豆腐
かぼちゃ 理気はわかるがなぜ理が正しく発揮されているときに限って理一なのかはわからん いやそもそもなぜ究極的には理一になるのかがわからない 朱子学は外界に対して心が道徳的に反応することを本来的と考え仏教は道徳云々の価値観にとらわれず自然的に発露することを本来的とする でも周詩は感情の発露がなんとか言ってなかったっけ朱子学は違うてことか ちうごくに於ける(漢学、古注)→(宋学、新注)というような儒教史の変遷は必ずしも朝鮮半島や日本にそのまま反映されるものではない このくらいの時間で落ちるなら見逃したスレがいっぱいありそうだ 江戸以前と以後への儒学の変化は儒学の提示した世界観や心性論の紹介や摂州から儒学の修養や実践へということになる ストーンズをUK盤でモノラルでアナログで聴きたいとかいうどうしようもない欲求 江戸期以前に朱子学が学ばれた空間としては主に博士家と仏教寺院があるがそのうち博士家と江戸期の朱子学との直接的関わりは乏しい 朱子学の教理は古代ちうごくには無かった仏教や道教と接しながら形成されており従ってそれらの外部の教学に対抗すべく古代儒教の心や天といった側面を拡大して理論構築されたため江戸時代の朱子学の来源は博士家よりも人の内面や宇宙の姿への理論がかなり咀嚼されていた仏教に求められる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています