その時点で法的には、ヨーコは未だに最初の夫の妻だったにもかかわらずである。
ニューヨークに舞い戻った二人は、幻覚症状を催す麻薬とアバンギャルド芸術の世界
に憂き身をやつすことになる。

 トニーとヨーコは赤貧洗うがごとき生活を送り、夫婦喧嘩も絶えなかった。
一九六六年にはロンドンに行き、アバンギャルド会議に出席した後、一年ほど滞在し、
麻薬とロックとセックスの裏文化の中にどっぷりつかることになった。

当時の裏文化のメッカはインディカ・ギャラリーのかいわいであり、
このインディカ・ギャラリーと称するカフェ兼アート・センターを始めたのが、ジョン・ダンパーと
その妻のロック・スター歌手のマリアン・フェイスフル、およびビートルズのメンバーのポール・マッカートニーであった。
 そこでヨーコはジョン・レノンに紹介される。
その数ヶ月後、ロンドンのあたりでレノンと遊び回るうちに、
ヨーコはすでに妻子ある身のこの花形ロック・スターをまるめ込んでしまう。

レノンはヨーコとつきあう以前からすでにLSD−25の常用者だった。
ヨーコと一緒になったレノンはローリング・ストーンズなどのロック・ミュージシャンを
巻き込んで手当り次第にいろいろな麻薬を試すようになった。

当然のことながら、レノンもヨーコも麻薬中毒患者に転落した。