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国語科教育学について語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2012/01/05(木) 03:34:45.76ID:O6zaAie+
かなり間口の広いスレタイだけど。どうよ
0043名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/11(月) 12:44:08.32ID:FNdGwjk/
 世の中何でもそうだけど、人間ってのは一人では何も出来やしないし、
生きていくことも出来ない。分業なくして社会はあり得ない。

 何故自分は旧帝大に入れなかったのか。それは適切な組織対応が為されて
いなかったから。組織においても、事業に 成功/失敗 があるように、
家族や学校においても、学習プロジェクトにおいて 成功/失敗 が存在する。
 そして、職業に貴銭ありと言うように、学業にも家業にも貴銭があるのだ。

 そして、自分が一番後悔しているのは、縦線ではなくむしろ横線、科目数であったり、
やりかけのものを放ったらかしにして来たこと、つまり「細かいもの」が「分散」
し過ぎていることにある。それを片っ端からかき集めて、色んな方法を用いて
そこから着想を掴み取り、それを自分の中に取り入れてゆくことが出来て、
尚且つそれが許される環境に身を置いて生きていけるなら、それが一番だ。

 しかし、人間というものは 虚栄心や自惚れが強い。だから それが、
自分が何故 周囲を羨ましがっていたのか、本当の理由を見失わせる。
 で、出てくるのは、無駄に広すぎる土地、無駄に家賃の高いマンション、
ムダに高い食事、ムダに高い飛行機のチケットだ。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/11(月) 12:59:48.54ID:FNdGwjk/
 小学生の頃、田舎育ちであったが故に、周囲に何の情報チャンネルも無かった。
両親もボケで、教育学やキャリア学や自分学(現象や心象としての自分を
学際的に考究していく)なんか まるで知りやせず、家庭教師もいなかった。
小学校も公立で、ゲオもジュンク堂も紀伊国屋もブックオフもコミックランドも
ヨドバシカメラもアニメイトも、何もありやしない。

 「これをやっている(ふりをする)ことで、周囲は自分をどんな目で視るのかな〜」
という類の習い事ばかりさせられて、金はあるのに、そのくせ小遣いは全然くれなかった。
だから、自分の思うようにさせて貰ったことなんか、中学生の反抗期に入るまで、ありやしなかった。
 とはいえ、祖母だけは自分を可愛がってくれた。法学や商学の知識しかない 高卒公務員の祖母は、
百貨店でモノを買いあさるのが好きで、そんな祖母は、よく自分にお小遣いをくれた。
それでも、自分は幼い頃から 周囲と同じように マンガやゲームで遊ばせて貰えなかったから、
いつも意味不明なものばかり買っていた。遊戯王カードの纏め買い、ベイブレードやテトリスの玩具、
ヨーヨー、そして10個近くに及ぶ鞄、財布、筆箱に、何十本ものシャープペンシル。
さらに祖母や父母の買ってきた鞄に、何着も無駄にあるコート。
 周囲から疎まれたこともあれば、お古の財布を友だちにあげて、
母親がわが家の母親に「貧乏ですみません」と嫌味を言ってきた事もあったし、
あいつは筆箱をたくさん持っているからと、「新しい筆箱が欲しいから、
古いいらないのを1つ分けてくれ」と、家にまでタカりに来る友だちも居た。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/11(月) 13:31:55.42ID:FNdGwjk/
 確かに、中学受験も一応はさせて貰った(てか嫌々させられていた)。
でも、毎月1万円のお小遣いに、マンガにゲーム(特にゲームボーイ)(特にRPG)、
それを用いた友だちとのコミュニケーションや、精神の安定、自由な睡眠、
人生を物語や 思い出/記憶で捉える着想の獲得、DVD100円レンタルショップ
の自由な利用(特にアニメ)、PCのADSL以上の回線工事、ケーブル以上のテレビ回線、
友だち同士の寝泊まりや旅行など、本当に子ども時代に必要なものは、何1つとして
与えて貰えなかった。当時、デジカメが既に存在してたのかどうかすら オレは知りやしない。
 水泳だけレギュラーで習わせて、中学受験予備校と楽器と英会話の時間をなくして、
その分 ゲームやマンガやアニメDVDやPCを教えてくれていれば、どれだけ豊かな子ども時代が送れただろうか。

 そもそもの話、商品価格というものは、時期が過ぎれば、ビックリするぐらい
変動するものである。そして、記録のない刹那的なもの、ましてや感覚的なものが、
如何に空しいかをこれがいつも物語る。情報チャンネル(流通チャンネル)の無い者は、
いつだって損をするのだ。
 39800円(サン・キュッ・パ)や29800円(ニ・キュッ・パ)で中古で変えるPCを、
わざわざ19万8千円や22万何千円で買わされたり、1冊105円で変えるマンガ文庫本を、
1冊410円(4倍の値段)で買って、それが何十巻セット、あるいは何百冊レベルになって、
何万や何十万という単位での損をしたり。ゲームにしても、やはり中古で買うのが定石だろう。

 田舎っぺには、いつも組織対応が欠けている。現象と心象は、常に相関性で密接に
繋がっていて、自分と他者は常に繋がっている。「自分さえ好ければ」「自分だけ好ければ」
「自分だけ高ければ」などという考え方では、必ず将来イタい目をみるし、客観から新たな
着想を自己の中に取り入れていく機会にも恵まれない。
 しばらく前、神に「お父さん、奴ら世間に天誅を与えて下さい」と願ったことがあった。
そのほんのすぐ後のことだった。fund(fundamental)・foundation の地盤のない
近所の個人商の書店は、潰れた。employabilityのキャリアも無いから、どこにも転職出来やしないし。
 驕れる者は久しからず、調子に乗る者は久しからず、価格戦略に踊らされる者は久しからず、
メモ/ストック を怠る(保険をかけない)者は久しからず、セーブ(save)
(career save)(life save)etc しない者は久しからずである。初期のものには絶対に不良がある。
最初は高い値段も、放っておけば、どんどん庶民的で興醒めな値段にまで下がっていくのが世の定石だ。
衣装、食事、家、飛行機… これらが如何にvainなものか、そんな所にも気づこうとしない大人が多すぎる。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/21(木) 14:02:26.05ID:P6TbqFTV
>>34
見識→識見
教養→情報*
性質→玩具のような性質
*(論文のように 二面性に裏打ちされた情報。情報源を伴った、
命題と客観的根拠の対称性が常に意識された情報のことである。)
>>39
△比較する→○対照する
0048名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/26(火) 13:25:35.67ID:RYoHBqej
 やれ世間だ、やれ社会だ、その実態は、言語的に作り出された 観念であり空気だ。
その発話者が、対峙相手を 約束事の枠内で 便宜的に作り出された 仏教的な規範
によって辱めよう、折れさそうとする時、人が、自分が一番でありたいと願わんために、
他人を蹴落としたい という その一人一人の意志を 「おまえは堕ちるんだ」「おまえは折れるんだ」
という希望的観測の元に結集させたものでしかない。
 これは「国民」という言葉も一緒で、政府も天皇も、その国民のうちの一人であって、
国民主権であるから、何の取り柄も無い 民間人が一番偉いってわけじゃない。

 知識も所詮は知的権力という面で視た時、やっぱり大した強みにはならない。
人脈は人それぞれ有っても、人望なんてものは そうそう人は有ち合わせていないから、
やっぱり一対一のガチンコの殺し合いにまで、本気の喧嘩にまで発展した時、
誰も助けてくれない。誰も関わろうとしない。

 人が共通の敵を見出した時に見せる 卑屈な結託心からくる ほくそ笑み、
空気や観念を後ろ盾にしたがる自我喪失者のサモしい根性。オレはそんなものには
死んでも屈したくない。顔面に唾でも吐きかけてやりたい。世間だの社会だの、
そんな観念や空気は、バラしちまえば、結局は目の前に居る、大した力も勇気もない、
ただの有象無象の一個の人間だ。世間だの社会だのはクソ喰らえである。

 実際には、1億人が纏めてかかって来る、なんて事は無いし、小難しい理屈なんてものは
本気の殺し合いでは何の役にも立たない。本当に神格化される人間ってのは、1万人を殺せる人間だ。
1億人を相手には出来なくとも、1人なら楽勝で相手が出来る。要は 最終的には、
自分を否定する 一切の座標軸を あからさまに 否定し、目の前の人間を 殺せるか殺せないかに帰着する。

 相手に侮辱された時、本当に命がけでその人間に報復の為せる人間、危害の与えられる人間は、
そもそもまともに社会人生活なんか送っていないし、友だちだって一人も居ない。いつも独りだ。
 もしかしたら、社会は原則という命法の前に「もし おまえが○○をしたいなら〜」
という仮言が省略された、言わば 封建的な 釣りのようなもので回っているのかもしれない。
そして、その封建的なかつての守護-地頭の社会も、「悪党」(悪は強者という意味)
という反乱勢力によって叩き潰された。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/26(火) 13:36:38.09ID:RYoHBqej
 長点と短所の相殺された、何の変哲もない、そこら辺に転がっている
普通の人間を仮に"0"とした時、自分の人格をあらゆる座標軸の絶対値で測ってみる。

 たとえば フリーター(アルバイトやパート)、たとえば ひきこもりやニート。
たとえば高校中退。たとえば両親の片割れ、施設育ち。

 そういったものを、周りにどれだけ同じレベルの者が居るか、どれだけ普通に近いか、
あるいはどれだけ世界最低なレベルか、世界最高なレベルかで測ってみる。

 マイナス100点なのか、マイナス1000点なのか、あるいはマイナス一京点や無限点なのか。
はやまた、+100点なのか、マイナス1000点なのか、あるいは+一京点や+無限点なのか。

 だとしたら、被差別部落や在日朝鮮人程度なら−無限点にまではならないが、
たとえば、世界中の聖王の末裔が居るとしたら、ギルガメッシュの末裔が居るとしたら、
そいつは、たとえどんなに その他諸々の弱小な俗世間的な欠点があろうが、
結局は、全総合的人格に換算すれば、+無限点になってしまうのである。

 世間や社会(目の前に居る1個の個体)と自分との力関係。それを緻密に測れるようになろう。
最終的にモノ言うのは、後ろ盾と 度胸、殺し合いだ。いざって時にしり込みして
逃げるような 穴が有ったら入りたい ネズミの大将は、そもそもは猛獣たちとの闘いにすら
加われないのである。そんな奴は、死ぬまで子どもや老人、アルツハイマーや学習障害児の相手でもしてればいい。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/27(水) 08:13:21.92ID:U1DIXMfL
外界のルール、他人のルールを守るか破るかは本人次第。
法律ですら、従うか従わないかは本人次第。最終的な決定権は当人にある。
都合が悪いなら、嫌ならいくらでも破ればいい。
約束は、守られるために有るのと同時に、破られるためにも有る。
金の切れ目は縁の切れ目、単位の切れ目が縁の切れ目。
誓約書など何の役にも立たない。臆病者が学生の権威、突き上げに怯えているだけだ。

自分の圏内では自分がルールである。自分の郷では自分がルールである。
郷に入ったら郷に従え。だったら、自分の視界では自分を郷と看做せばいい。

 世間、社会とは、自分から視ての、自分+無関係者 vs 対峙相手 という図式と、
外界の人間総て vs 自分 という図式 に二分出来る。だったら、半面の郷や世間や社会、
外界の座標軸だの規範だのを一切否定して貶しめちまえば、自分こそが無敵の世間、
無敵の社会、無敵の郷になれるってことだ。教壇という 世俗の権力じかけの
晒し物の 逃げ場で 遠回しに 言えなくなってから、本物のオレ流の喧嘩だ。
会社での面子を徹底的に潰してやる。惨め過ぎて会社に顔を出したくなくなるぐらいにまで。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 01:40:14.93ID:a66O2KsQ
 本当に気高い者、気高くあらんとする者。それは、カネなどという、少しでも長く
生き伸びるための 実利的な利益よりも、自らが潔癖で有らん事を守りとおすことを
優先させるために 死ねる人間である。現代日本では、自殺者が増えた。しかも、
その殆どの人間が、面子が原因によるものだ。それだけ、現代日本には、本当の意味で、
プライドの高い人間が増えたという事であろう。

 世に長老などと呼ばれている、自らが 強い他者の権威に守られて 心穏やかに
生きたいがために 後ろ盾として創り出された、神格化されたあの観念にしても、
若者たちよりもうんと多くの恥を重ねて来た人間だ。そして、それでも、
色んな理屈でこじつけては、生き伸びることを 優先させてきた人間だ。んなもん見りゃ判る。
 年を重ねれば重ねるほど、自らの才能の限界を知らされ、若者に対する嫉妬心は
大きくなってくる。爺や婆にもなれば、特に恋愛においては、20代〜40代の
現役には絶対に勝てない。だからうちの大学のババア共も、心の奥底では女史の准教授に嫉妬塗れなのだ。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 01:56:09.57ID:a66O2KsQ
 就職活動を終える頃にもなれば、屁理屈を捏ねなければ、人間は、
自分の才能に天井が見えるようになる。追いつき・追い越せの精神は、
ありのままの自分を受け入れられない、コンプレックスの裏返し。
 「プライドに根拠など居らない」など、あんなもんは大嘘だ。倫理だの態度だのも、
んなもんは誰にでも門の開かれたものであって、それでは 絶対的な一人には
決してなれない。何故なら、誰にでもパクれるものだからだ。

 自分の才能に限界を感じた。自分が闘わんとする、あるいは闘ってきた
世間や社会に、頭を下げて、飼われて生きざるを得ない必要に迫られた。
上に行けば行くほど、自分の育ちの悪さを見せつけられる。
 それでも、死ねなかった。その時点で、そいつのプライドは偽物、もしくは亜流ではないか。
だから言い訳が欲しかった。そして慰めが欲しかった。そこで出てきたのが、若い女の体だった。
本当は 赤子のように 慰めて欲しくて、自分の穢れきったライフストーリーを美化したくて、
そして 高く舞い上がった理想通りにいかなかった 自分の無念を、いつか近い将来か
遠い将来に 代わりに果たして欲しい。そこで生まれてきたのが、子どもという、親という嘘つき生物の分身なのだ。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 02:12:07.09ID:a66O2KsQ
・代わりに果たして欲しい。⇒ 代わりに果たして欲しかった。
・そこで生まれてきたのが ⇒ そこで女の体に孕ませたのが、

 一番になりたかった。王になりたかった。長年の歴史によって、文化的、もっと言えば、
本能的に、誰もが心の奥底では認めさせられている絶対的な存在、それこそ当に"王"。

 でも、現実には、自分より特定の座標軸で優れている人間など、外に出ればいくらでも居る。
そして、老人共は、自分の人生を 相対的に貶しめられたくないがために「何十年かかって
私を超えていくの」「威張りたいの? それだったら そんな願いは永久に叶わないわよ」
(そんな事させるかぁ!)などと言い出す。しかし、実際に 何十年かかってそいつを
超えてゆく路を選ぶからには、自分もその人間と同じような 醜い景色を何十年も観て、
そして同じように穢れなければならないのだ。つまり、「こんな人間になりたくない」
と思った人間と、似たような人間になっていってしまうのである。
自尊心とは似て非なる、単なる美化された醜い意地のために。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 02:33:50.06ID:a66O2KsQ
 その限りで、手っ取り早く 一番になれる方法は、自分を否定する一切の座標軸を、
全部 否定してしまうことにしか無い。流石に大学生にもなれば、多くの男子が
ここに気づき始めるだろう。表面ではデカい面をしたがっても、そこに人脈などという
後ろ盾を用いているようでは、それは単なる レプリカの 醜い意地でしかない。
有りもしない人脈を有るなどと言う奴がいれば、そいつは二乗の嘘を自他についているのである。
ありのままの自分を誇れない。だから誰かに投影して、そいつを後ろ盾にして威張るのだ。

 で、大学のキャリアセンターの職員たちが、人間的な嫉妬心や恐れから、
まだ学位も未完成極まりない学生たちに、「こいつを凡人にしちゃうのは今だ!」
と言わんばかりに圧力や脅しをかけてくる、3回生からの就活も一切ムシして払いのけて、
大学で邪魔な友人(人脈)も作らず、どこまでも自分のプライドやライフストーリーを
宝石や太陽のように輝かせるために、あえて4回生秋までみっちり授業のコマを入れて
(少しでも真実の着想を得られるため)、挙句に企業から 雇用にとり合ってくれない
ような 面倒くささ極まりない 人間になったとしよう。もちろん、両親片割れで
オーナーの母とは別居状態で、奨学金も抱え、親戚からも孤立していて、
ボケて死にかけの祖母を傍らに抱えた学生には、これから数年と生き伸びる経済的地盤すらない。
ニートなど絶対に出来ないのだ。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 02:43:45.22ID:a66O2KsQ
 それでも、その学生は、世間と闘う道を選んだのだ。日本現代史の中にも、
こういう人間は、明るみになっていないだけで、実は結構居る筈だ。
 そして、仮に、その人間が、自らの人生と誇りのために、命までをも擲ったとしよう。
勝ち逃げして、自分の才能の限界、片割れの天井を極め、キャリアゴールに達し、
そこから世間の一観察者として、親を始めとした、様々な人間たちの欺瞞や醜さという
真実を知り、世間の座標軸を一切否定し、クソ喰らえだと罵り、時には唾をも吐きかけ、
どこまでも頭を下げず、職員とすれ違って挨拶をする時も、絶対に頭は斜め上に向けてきた。
無意識に労働市場に植えこまれた奴隷精神を 引っこ抜いてきた。

 おそらく その人間が、自分の才能の限界を極め、キャリアゴールに達し、
自分の全才能、財力を使いきり、勝利者として、万歳の勝ち逃げ自殺を決意した時、
おそらくその人間の心は、自分の野望やプライドを貫き通したことによる、
真の満足感、究極の宗教的エクスタシーとも言えるものを、マンションから
地面に落ちる 零コンマ〜数秒の間に 感じ取る事が出来るだろう。それは まるで、
自分が聖王家の子孫であることを、神に啓示を受けた瞬間、ギフトを与えられた時のような感覚に近い。

 もし、そのキャリアゴールが達成されるのだとしたら、それだけの戦士族特有の
誇り、気高さが俺に未だ具わっているのならば、俺はその時、マンションの上で、
何と叫ぶのだろう。俺は、大企業にも、政治家にも、東大卒にも、医学部卒にも負けない、
そもそも生きている者など相手にもならない、神仏に等しい 気高さと崇高さを手に入れられたことになるのだから。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 16:07:41.51ID:a66O2KsQ
 そのために出てくるのが、建前教育。自己を理解・受容させるための教育だ。
自由という建前のもと、全てを当人やその連帯保証人に押し付けることが必要になってくる。
 身も蓋も無い言葉で語れば、キャリア・サバイバルを築くことを 大衆たちが拒否し出すから、
それを如何にも抽象的で綺麗で目耳に心地のよい言葉で語る。これぞ教育者たちの得意技だ。

 しかし、実際は 社会の最小単位である"家"からして、社会はどこまでも専制的で封建的である。
特定の社会の上層たちは、いつも「〜してやっている」「人のため〜」という形の嘘(建前)を吹く。
 生んでやった、育ててやっている。授業してやっている。雇ってやっている。
社会のために役立っている。などなどなど… 本当は他人を利用したいだけのクセに。
本当は 大量生産・大量消費 市場(≒世間、社会)における物々交換において、
自分に有利にその流れを取り計らいたいだけのクセに。

 経営者、統治者たちは、社会的 弱者いじめ が大好き。いつも、自分の期待や
観念、御恩を押し付けるばかりで、向こう側から自分向けの矢印の御恩は無視したがる。
この類の連中が "自らの"子どもや学生たちに期待しているのは、ただただ奉公(孝行)あるのみだ。
自分は御恩を売っているのであって、貴様らはそれを買っているのだと。そして、
それを奉公(孝行)という形で俺に還元するのだと。彼らはそんな世界を心底では望んでいる。
 もちろん、それは社会的に下の人間たちが上の人間たちに求めるのも同じことで、
人間全体に言えることでもあるのだが。

 生んでやったんじゃない、生みたかったから生んだんだ。育ててやってるんじゃない、
育てたいから育ててるんだ。社会のために働いているんじゃない、自分が必要なモノを
手に入れるためには交換が必要だから、その循環に加わっているだけだ。
本当はカネが欲しくて、そして源泉徴収票の金額を笠に着て、威張りたいのだ内心。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 16:09:28.26ID:a66O2KsQ
×そのために出てくるのが〜
○ 国が最も望むのは、戦国時代のような下剋上のない、争いのない安定。
そのためには、統治者の専制や封建のような性格を、上手く隠さなければならない。
そのために出てくるのが〜
0058名無しさん@お腹いっぱい。
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2013/03/30(土) 16:35:01.46ID:a66O2KsQ
 俺は世界史よりも国語の方が幾分か得意な性質であるが、それでも実は、
今では 国語よりも 世界史の方が 圧倒的に好みである。
何故なら、彼らからは、世界に対する接し方に、真摯な態度が感じられるから。
ex)
 ”ソ連・東欧の社会主義圏が消滅したあと、市場経済が世界を席巻しましたが、
21世紀初頭にはアメリカに端を発する世界的金融危機が発生して、
アメリカ一極主義は破綻をみせ、民族や宗教にかかわる紛争もたえまなく続いています。”

 ”現実の仕事を含めたさまざまな状況や問題を経験していない生徒・学生たちの
学ぶ視点にはおのずから限界があり、受け身の場合が多いのではないでしょうか。
 むしろ、仕事に全力を尽くした日々が一段落した人(俺流:大学に入るためにアルバイトを
した経験のある人など)、いま現実の社会に立ち向かっている人、これから新しい道を
歩もうとする人のほうが、問題意識をもち、鋭い思索の切り口をもっているはずです。
 いったん立ち止まって過去を振り返り、その成果や問題点を整理し、
将来の見取り図を描いてみることは決して無駄な作業ではないと思われます。”
(『もう一度読む山川の世界史』‐はしがきより−)
0059名無しさん@お腹いっぱい
垢版 |
2013/06/12(水) 20:50:01.19ID:9byz7fLP
>>24
学校や教育委員会の不祥事を告発したり、街のダニや人間のクズや社会の危険人物を
晒したりするのは、世の中を良くするのに必要不可欠なことだな。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/06/15(土) 18:13:02.54ID:XW3GqRaV
「教育学」や「学校教育学」の学位は、クソと同じ。
そんなもの、「原付免許」以下である。
それなのに、その「クソ学位」すらない教育学部のクソ教員は
まずは、荒れた学校で修行して、ぶん殴られてみろや。
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      ●       ●         ●           _( "''''''::::.
        ●    ● ●      ●__ ____,,,... --‐'''^~   ヽ   ゛゛:ヽ
         ●  ●    ●  ●:::::::::....:""""  ・    ・  . \::.   丿最低な博士(教育学)・・・
          ● ●    ● ●:::::::::::::::::::       ・  ....:::::::彡''ヘ::::/ 学芸会大学、兵庫山奥大
           ●       ●:::::::::::::::::::::::::::::;;;;;,, ---‐'' "^~
            ●●●●●-‐‐
0061名無しさん@お腹いっぱい
垢版 |
2013/06/15(土) 22:03:23.95ID:wGWYol7G
国や自治体、教育委員会や学校の不祥事を告発したり、
街のダニや危険人物を晒して警戒を呼び掛けたりたりするのは、
社会をよくするために必要不可欠なことだ。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/07/26(金) NY:AN:NY.ANID:MXsPljlq
だめなやつほど、教育問題を語りたがる。それが邪魔なんだよ!
0065名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/02(月) 23:32:06.65ID:8bt3Pil/
>>64
そうなんですか。
自分は国語教育でももうお腹いっぱい感があります。
でも、国語教育を少しでも変えていけることに接することができるなら
やりがいはないでしょうか?
0066名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/02(月) 23:44:07.13ID:9bot/7HO
>>65
教育学全体に言えることですけど、やっぱり学問になりきれないんですよね。
特に教科教育はそうだと思います。
そして、仮に成果が出たとして、果たしてどれだけそれが現場に浸透しているか。

ただ国語科教育学で行われていることは良い教師を目指すプロセスそのものだと思いますので、自分自身にとってはプラスかも知れません。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 00:06:10.57ID:iNq0zave
>>66
>学問になりきれない。
ここはまだ、私はなんとなくしか実感がもてない部分です。

>仮に成果が出たとして、果たしてどれだけそれが現場に浸透しているか。
本当にそう思います。
自分自身、教員養成過程でもっと勉強しておけばよかったと思いました。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 00:47:28.44ID:+pfDXz47
>>67
>ここはまだ、私はなんとなくしか実感がもてない部分です。
もし教科教育が直接的に現場に役立つものでなければならないのであればTOSSのような教育技術に終始してしまいます。
かと言って、教育の本質やメカニズムを明らかにすることが教科教育の目的だと唱えるにしては、そのための手続きが他の学問に比べて貧弱というか、それだけの強度がないという風に思います。

>自分自身、教員養成過程でもっと勉強しておけばよかったと思いました。
意欲の高い先生は勉強されているでしょうし、国語科教育学なんて知らなくとも日々工夫をして良い授業をされる先生はたくさんいますよね。
国語科教育学の中に良い授業についての唯一の答えというものは存在しなくて、
良い授業をしたい、そのための工夫の一握りが国語科教育学の中に蓄積されていくんだなと感じています。
つらつら偉そうに書いてしまってすいません。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 01:12:54.26ID:iNq0zave
>>68
そういわれると、確かにそうだなぁと思います。
下のほうに関しても同意です。

学問の辺境にある教科教育、国語科教育学
ひとつ勉強になりました。ありがとうございます。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 01:25:10.01ID:iNq0zave
>>70
まだまだ未熟ですが、国語科教育の発展に資することのできる研究をしていこうと思います。
ちなみに、修士課程でしょうか?博士課程でしょうか?
私は修士1回生です。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 01:46:28.26ID:qSl/6hH5
>>71
院生の方だったんですね。
僕も修士の2年です。分かったふりをして何も分かってない自分です。何も言える立場じゃありませんね。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 01:54:03.90ID:iNq0zave
>>72
いえ、こちらが不勉強ですみません。
院生ですが、この夏休みに基礎から学んでいこうとしているところです。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 02:01:52.02ID:qSl/6hH5
>>73
やる気があれば研究できる分野だと思うので、お互い頑張りましょう。
研究室の方針がどんなものか分かりませんが、まずは広くたくさん吸収して、そこから関心に合わせて狭めていくと良いと思います。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 02:05:43.48ID:iNq0zave
>>74
はい。がんばっていきます。
ありがとうございます。

先生方は時間のある時に相談に乗ってくださったり、アドバイスをいただいたりしています。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 13:59:36.24ID:+pfDXz47
>>77
評価の概念をどう捉えるかで変わってきそうですね。
量的、質的、理論的、歴史的、比較的、色々な切り口ができると思うので、やりがいはあると思います。
頑張ってください。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 15:16:30.56ID:iNq0zave
>>78
ありがとうございます。
評価の概念。
子どもが学習でに身につけたことを正確に評価することと、
教師が指導の改善に役立てること、をより進めていければ、と考えています。

質問なのですが、修士1回生の時は、国語科教育への視野を広げるために
どのような本や論文を読んでおられたのか、差し障りがなければ教えていただけないでしょうか。
今は『国語科教育実践・研究必携』と『国語科教育の成果と展望』を主に読んでいるのですが。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 15:59:31.92ID:+pfDXz47
>>79
>子どもが学習でに身につけたことを正確に評価することと、
>教師が指導の改善に役立てること、をより進めていければ、と考えています。
自己評価や相互評価は射程に入れるのかということも考える必要があります。
これ次第で、例えば「学習者が自身の能力をメタ認知して、これからの学習について目標を持つことが評価の意義だ」となる場合もありますよね。
評価と評定の違いを考えることも大事かも知れません。

>今は『国語科教育実践・研究必携』と『国語科教育の成果と展望』を主に読んでいるのですが。
この2冊は良いと思います。『成果と展望』は最近Uが出たので、そちらも併せて読むことをお勧めしますが、人名・書名の羅列になってる感が否めないので、レファレンス程度に。
国語科教育にはこれを読めば全体像が掴めるという本はあまりないので、領域ごとに著名な本を読んでいくしかないと思うのですが、田近先生の『増補版 戦後国語教育問題史』は名著です。
事典系は明治図書の『国語教育研究大辞典』と朝倉書店の『国語教育総合事典』『国語教育事典』で、適宜読んでいる分野の知識を補えると思います。
あとは何より国語科教育以外の分野やいわゆる古典と呼ばれる書物も読むことが大切です。
教育評価はあまり詳しくないのですが、田中耕治先生が岩波から概説書を出してましたよね。
古典だとブルームは外せないんじゃないでしょうか。
上記の本はもう目を通されてるものも多いかと思いますが、いかがでしょうか。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 16:49:45.86ID:iNq0zave
>>80
なるほど。確かに今の自分には自己評価、他者評価の観点は抜けていました。
誰が評価するのか、何をどのように評価するのか、評価を何に(どのように)利用するのか
の3つに分けて考えていこうと思っているのですが、誰が……は後回しになっています。

『成果と展望2』はまだ手元にないのですが、来週ぐらいに購入できればと思っています。
教えていただいた辞典は研究室にあるのですが、使い方がわかっていなかったので、これから有効利用していこうと思います。
田近先生の本、半分ぐらいまで読んでいるところです。とても分かりやすくてすらすらと読めることに驚いています。
同じ時期に浜本先生の『戦後教育方法論史』を借りて読もうとしたのですが、まだ自分には読みにくかったので驚きでした。
だから、田近先生の本が終わってから、知識を深めるために浜本先生の本も読んでみたいと思っています。

>あとは何より国語科教育以外の分野やいわゆる古典と呼ばれる書物も読むことが大切です。
田中先生の本は読ませていただきました。ブルームはまだなのでこれから読んでいこうと思います。
教育評価ではパフォーマンス評価で著名なギップスや、真正の評価を提唱したウィギンズの本を読んでいるところです。
英語は苦手なのですがウィギンズはいくつか原典に当たってみたいと思っています。
ほかの領域の古典や基本となる本もたくさん読んでいこうと思います。

他の大学の院生の方がどのようなことをしておられるのか、
自分の考えていることや、読んでいこうとしている本はこれでいいのか、
不安が大きかったのと、また他の方への興味もあったので書きこませていただいたのですが、
たくさんのことに丁寧に答えていただき、本当にありがとうございます。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 20:28:56.42ID:BfDCXPIC
>>81
>なるほど。確かに今の自分には自己評価、他者評価の観点は抜けていました。
自己評価や相互評価は近年流行りの社会構成主義的な立場から価値付けることが出来るかも知れません。



>『成果と展望2』はまだ手元にないのですが、来週ぐらいに購入できればと思っています。
>教えていただいた辞典は研究室にあるのですが、使い方がわかっていなかったので、これから有効利用していこうと思います。
>田近先生の本、半分ぐらいまで読んでいるところです。とても分かりやすくてすらすらと読めることに驚いています。
>同じ時期に浜本先生の『戦後教育方法論史』を借りて読もうとしたのですが、まだ自分には読みにくかったので驚きでした。
>だから、田近先生の本が終わってから、知識を深めるために浜本先生の本も読んでみたいと思っています。

>>あとは何より国語科教育以外の分野やいわゆる古典と呼ばれる書物も読むことが大切です。
>田中先生の本は読ませていただきました。ブルームはまだなのでこれから読んでいこうと思います。
>教育評価ではパフォーマンス評価で著名なギップスや、真正の評価を提唱したウィギンズの本を読んでいるところです。
>英語は苦手なのですがウィギンズはいくつか原典に当たってみたいと思っています。
>ほかの領域の古典や基本となる本もたくさん読んでいこうと思います。

>他の大学の院生の方がどのようなことをしておられるのか、
>自分の考えていることや、読んでいこうとしている本はこれでいいのか、
>不安が大きかったのと、また他の方への興味もあったので書きこませていただいたのですが、
>たくさんのことに丁寧に答えていただき、本当にありがとうございます。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 20:36:33.06ID:BfDCXPIC
>>81
ミスりました。

>なるほど。確かに今の自分には自己評価、他者評価の観点は抜けていました。
自己評価や相互評価は近年流行りの社会構成主義的な立場から価値付けることが出来るかも知れません。


>教育評価ではパフォーマンス評価で著名なギップスや、真正の評価を提唱したウィギンズの本を読んでいるところです。
あとはポートフォリオ評価なんかが近年注目されるところでしょうか?

>他の大学の院生の方がどのようなことをしておられるのか、
他大学の院生と交流したいですよね。全国大学の学会の時とかにそういう機会があれば良いのですが…

たくさん勉強されているようですね。
偉そうにいろいろとすみません。
こちらこそ他の院生さんと話せてすごく良かったです。
ありがとうございます。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/03(火) 20:42:09.37ID:BfDCXPIC
>>81
あと確かに考えてみると、国語科教育で評価研究で著名な研究者っていないんですね。
益地先生が少し書かれているぐらいでしょうか。

ご存知かとも思いますが、『国語教育基本論文集成』と『朝倉国語教育講座』はレファレンスに良いと思います。
それぞれ、30巻、5巻が評価についての巻です。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/04(水) 00:34:29.26ID:XxbPML3h
>>83
>自己評価や相互評価は近年流行りの社会構成主義的な立場から価値付けることが出来るかも知れません。
ありがとうございます。勉強してみようと思います。

>ポートフォリオ
はい。ポートフォリオですが、今はあまり考えていません。

>他大学の院生と交流したいですよね。全国大学の学会の時とかにそういう機会があれば良いのですが…
はい。他の方がどんな授業を受けたり、研究をされているか、とかを聞きたいです。

勉強はゆっくりゆっくりなのでこれから頑張っていこうと思っています。

>>84
はい。本当に、益地先生しかおられないかと思います。
それぞれの領域で著名な先生が独自に展開されていると思います。
それでおそらく『成果と展望2』では各領域ごとに分かれていたのかと。
だから、なんだか自分が遠回りなことをしているような気もします。

>ご存知かとも思いますが、『国語教育基本論文集成』と『朝倉国語教育講座』はレファレンスに良いと思います。
ありがとうございます。
『朝倉国語教育講座』は知らなかったので読んでみようと思います。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/04(水) 12:55:00.65ID:j2aMrv0J
>>85
>はい。他の方がどんな授業を受けたり、研究をされているか、とかを聞きたいです。
ぜひ機会があったらそういう話もしたいですね。

>だから、なんだか自分が遠回りなことをしているような気もします。
きっとそこに研究のオリジナリティも生まれるんじゃないでしょうか。
ぜひ自分にしか出来ない研究を見つけて頑張ってください。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/07(土) 05:57:13.49ID:LerYGo+O
語学を40人学級でやるという発想から間違っている

だから丸読みなどという馬鹿馬鹿しい授業しかできず
日本の学校はコミュ障をわんさか生み出している
0090名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/07(土) 06:48:57.34ID:LerYGo+O
国語も本来少人数授業でやるべき
0092名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/07(土) 14:09:22.01ID:Q1hjaBPW
しかし40人でやるしかないなかで、
どうしていくのかが大切でしょ
0093名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/08(日) 16:44:26.20ID:zTPxuv0T
>>92
もちろんそれはそう
ただ制度としてはもう少し1学級の生徒数を減らすように改革してく必要があるし、教育方法としては今の人数でも有効な一般性の高い指導法を模索してく必要がある
0095名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/10(火) 16:11:23.84ID:6LhCPCvu
意義はぱっとでてこないけど方法としては
文学を読み解く(味わう?)ためのいくつかの方法を学びたいよね
教師が教えてくれても良いし、自分たちで見つけていくのでもいいけど
作品を味わうための方法があると思うんだよね
0096名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/11(水) 01:27:59.92ID:7PrYJkeO
>>95
確かにそうだな
あと個人的にはせっかく教室で読んでるから、一人で読むのとは違うことをしたいよな
個人個人が色んな読みをしてみて、それを交流するとか
0097名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/11(水) 23:59:01.94ID:UctsGluk
メロスの主題歌を考えてみるとか
0099名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/09/14(土) 03:08:51.00ID:Bku9NKef
日本語指導が必要な日本人の子供、過去最多に

 文部科学省は3日、帰国子女など日本語指導が必要な日本国籍の児童・生徒が2012年度、
6171人に上り、過去最多となったと発表した。

 全国の公立小中高校など約3万4500校を対象に、昨年5月1日現在で調査。
12年度は、前回10年度を675人上回った。
帰国子女のほか、両親が国際結婚し、家庭で日本語以外の言語が使われているケースなどが該当する。

 都道府県別に見ると、愛知県が1113人と最多で、東京都が816人、神奈川県が771人と続いた。
過去最多となった理由について、同省国際教育課は「06年をピークに増え続けた国際結婚で生まれた子供が、
学齢期に達しているのでは」としている。

 一方、日本語指導が必要な外国人の児童・生徒は2万7013人で、前回より1498人減少した。
(2013年4月3日18時38分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130403-OYT1T01077.htm?from=main5
0101名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/10/16(水) 08:35:13.42ID:0oMqClNo
詩を味わうことは、読解力にも大きく関係あると思いますの。
特に名詞を形容詞に置き換える力。例えば、
晴天→青い、明るい、清々しい、眩しい、暖かい・・・
これがパッとたくさん思いつくような子に教育する必要があるのでは。
実際自分が小学校中学年で詩、中学校で情景描写の解読の壁にあたったことがあったので。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/10/18(金) 09:16:01.36ID:kUgs4a5w
教育学部の国語科に行きたいと思っているのですが、オススメの大学を教えてくれないでしょうか。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/10/19(土) 04:32:13.19ID:Y3Wx3PtE
>>100
行きます。

>>102
広島、筑波、東京学芸、あたりが名門だと思います。
あと、教育大学なら、たいていどこでも熱心な指導を受けられるかと。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/10/24(木) 01:16:24.70ID:tFpuxT8H
学会に台風が直撃しそうだ
0106名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/11/07(木) 03:25:11.98ID:ypo55TZi
久々に見に来たら有益が議論があって驚いたw
院生の交流会いいね。学会でそういう機会あるといいけど、ふだんの懇親会高いしなあ
今回の5000円くらいが個人的に限界
0108名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/11/08(金) 03:02:33.36ID:l44aXEo0
今回の学会のシンポジウムと課題研究発表どうでしたか?
私は筑波大の内田先生の発表が面白かったです。
課題研究もどれも面白かった。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/11/14(木) 17:43:04.01ID:aLuB/Mzp
>>108
シンポジウム行きたかったのですが、残念ながら行けませんでした。
どうでしたか?
最終的に量的研究か質的研究かみたいな話になったと聞きましたが。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/10(火) 15:41:11.48ID:6H1XAOFa
「教育学」や「学校教育学」の学位は、クソと同じ。
そんなもの、「原付免許」以下である。
それなのに、その「クソ学位」すらない教育学部のクソ教員は
まずは、荒れた学校で修行して、ぶん殴られてみろや。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●              ●              ●
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●              ●              ●
  ●            ●            ●
    ●         ●           ●  
      ●       ●         ●           _( "''''''::::.
        ●    ● ●      ●__ ____,,,... --‐'''^~   ヽ   ゛゛:ヽ
         ●  ●    ●  ●:::::::::....:""""  ・    ・  . \::.   丿最低な博士(教育学)・・・
          ● ●    ● ●:::::::::::::::::::       ・  ....:::::::彡''ヘ::::/ 学芸会大学、兵庫山奥大
           ●       ●:::::::::::::::::::::::::::::;;;;;,, ---‐'' "^~
            ●●●●●-‐‐
0111名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2013/12/14(土) 05:01:31.77ID:lxPyy7nf
吉川裕所属の東北大学日本思想史佐藤研究室はバリバリの創価学会
信心すれば地震はおきないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
↓↓↓

http://vukivuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-d12a-1.html
佐藤教授・まさにそうですね。本来、国とは民衆のことであり、国家権力というのは「手段」なのです。
 しかし、日本では常に権力が「目的」です。日蓮は明確にこれを逆転しました。民衆の幸福こそが「目的」であり、「国家権力は「手段」であると。
 立正安国論を提出する契機も、正嘉の大地震によって、多くの民衆が嘆き苦しんでいたことでした。日蓮は、まず正しき信仰によって災害を抑えるという方途を示しました。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/01/04(土) 03:45:13.27ID:rYEPFoZQ
あけましておめでとうございます。
相変わらずの過疎っぷりですね。
この板全体に言えることですが。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/03(月) 05:49:45.19ID:E42GqVnK
いわゆる定番教材が存在することのメリットってなんでしょう?

長年使われている、と言う視点からだと、教師が教えやすいとか、
子どもの反応の違いから、世代による子どもの感受性とか価値観が見える、とかでしょうか。

教科書会社で全社共通で収録されている、という視点からだと
全国どこに行っても同じ話を知ってるわけだから、〇〇についてどう思う?とか話し合えるのに便利とかですかね。
知っていることが一つの教養になっている、という見方もできますね。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/04(火) 01:25:55.73ID:QDs7ZlxL
國語教師ならば舊字舊假名が使へて當前だと思ふのだが、昨今の教師は使へぬ者許りだのう。
くだらない評論文や小説(GHQかな遣い)を讀み書きさせる時間があるのならば生徒に舊字の
手ほどきくらゐしてやれと思ふ。
舊字を覺えたり文法を叩き込むはうがよつぽど國語力は伸びるが世はなべて邪道が支配する
がゆゑ難しいのかもしれぬ。尤も國語教師と言はれる輩のおほくが正かな遣ひすら出來ない
のだから、情緒を主題とした曖昧な者許り讀ませて自身の無能を糊塗してゐるとも言へる。
齡37である一般人の私に國語力で劣るとは片腹痛し。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/05(水) 02:22:32.95ID:/vYs1JRr
>>113
定番教材が入っていないと学校や自治体に採択してもらえないということが現実的な理由でしょうね。

メリットは、教師が教えやすいという点と重なりますが、実践の蓄積が豊富だという点も挙げられるでしょうか。
文学偏重への批判が多い中で、ますます定番教材のあり方は問われてきますね。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/07(金) 00:30:02.02ID:w2BXw/ss
確かに、採択されにくそうですね。

国語科教育は、数学のように、問題の内容が変わっても、同じ方法を使って解くことができる力の習得を目的としているのか、
それとも、社会科や理科のように、内容の習得を目的としているのか。
それとも、美術や音楽のように、過去の遺産として価値(評価の)あるに作品に触れさせることを目的しているのか、

いずれにしても、他の教科に比べたら圧倒的に一つの作品に時間を使ってしまう点がネックなのかもしれませんね。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/07(金) 13:52:35.76ID:lYifiIM1
 詩歌などの古典文学は、情操豊かな人間らしい性格を育成するため。反面、評論などの論説文は、
きちんと理に適った思考の出来る人間を育成するためであり、相手が公人だろうが経営者だろうが、
「おかしいものはおかしい」と言える人間を育成するためにある。従業員なくして会社は
成り立たないし、市民なくしてネイションは成り立たない、ってことでしょう。

 ただ、確実に言えることは、「学習指導要領の解説書」を丸暗記しても、それは意味ないってこと。
あそこに書かれてあるのは、あくまで国側が決めた理念であって、民主国家である限り、別に日本人は、
あれを批判してはならない、って訳では無い。むしろ、自分で勝手に理念を構築していく方が、民主国家には適っている。
 それに、ああいう理念のようなもの(言葉思い浮かばなくてすまん)は、経験とセットになること、
同じ知識レベルを有するようになることで、初めて判るものなのであって、帰納制の欠片もなしに、
あれだけを演繹的に覚えていくのは、戦後の「教育=科学」観にも、符合するものではない。

 逆説的だけれども、教育界が育成するのは、「学校教育を特別な営為とは思わない」人間の育成にあるのだと思う。
たとえば、日本史や世界史で言えば、あれは確かに、各人を贔屓しないために、便宜的に教科書内容が統一されているが、
日本史や世界史が目指すのは、あれを丸暗記することではない。真に目指すべきものは、あれ(定説)をステップとして、
基礎知識をつけたら、そっから先は、どんどん何十テーマもの論文を読んで行くことで、教科書が絶対なんだ などと、
妄信しない人間になることであり、多数派/少数派で他人を差別しない人間になること。
 むしろ、「あれは国(御用)側が子ども向けに定めた、便宜的な入門書でしかない。」と、経験で判る人間を育てることであり、
同様、「学習指導要領の解説書が正しくて、他の棚に置かれてある、一学者の書いた、マイナーな本は正しく無い」
なんて思わない人間を育成すること。トレーサビリティを身に付けながらも、権威に囚われず、自由な思考の出来る
マインドを有し、それでいて、無根拠に我流に陥ったり、それを突き通そうとしたりしないような人間を育むこと。
それが、おそらく、現代日本の根本的な教育理念なのではないかと、個人的には思う。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/08(土) 06:39:44.93ID:kvHijWwR
吉川裕の憂悲とその解消−「twitter」「2ちゃんねる」「遠くから見る推理研名物Q君を想像するの図 〜2004 帰郷〜」を手がかりとして−
吉川裕(東北大学大学院)

吉川裕(一九八四〜)は、佐藤弘夫(一九五三〜)の宗教・学問のうち宗教的側面を主に継承したとされる人物である。
宗教的側面を主に受容した理由については諸説あるが、
吉川の強烈な性欲や、実際の性行為における無能力感や挫折感を原因とするのが一般的である。
本発表では視点を変え、嫌儲板での書き込みにおいて、吉川が
「女で心を満たそうとする人間はやった人数に比例した地獄を目撃する。」と書き込み、
女性が自分を満たしてくれない事への率直な憂悲を吐露していたことに注目する。

この下半身の憂悲を解消すべく吉川が没頭したのが、
折伏活動とそれに伴う漢文能力を駆使した未来の創造であった。

ところが少し前に書き込まれたレス(二○一四)ではそれまでの表現的受容を越えて、内面的に創価学会から大きく影響を受けたことが確認できる。
人生の目標を「出世」とし、憂悲に限らずマンコ等には煩わされない「創価ホモ」の主張は震災以前の吉川は見られないものだった。

本発表では、佐藤弘夫を必要以上に信仰した裕であるが、最近になるにつれて憂悲の忘却・思考停止は創価学会が主に担っていったことを指摘する。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/09(日) 17:58:42.63ID:ECo3rPtH
三省堂の新明解怪文書辭典を使ふ人がゐるのか(笑)
ここの辭書は全部怪文書だから面白いよね。
まあ、私もこいつをいぢつて遊んでゐるが(笑)

●五十音圖を載せない、本文に「ゐ」「ゑ」がない。

●文語活用表を載せてゐないので古文學習には全く用を爲さない。
(文語活用表は古文の活用と同じになり、GHQ假名遣ひを積極推進した曲學阿世の徒
金田一一族(京介・春彦)を擁した三省堂としては都合が惡いので載せないと謂ふ當りが眞相だらう)

●助詞・助動詞の接續を載せない者が結構ある。
譬へば推量・意思の「う」、ダラダラ例文を書いてゐるのに未然形に附くと書かない。
GHQ假名遣ひの最大矛盾点でもあるから無視したい意嚮がありありと見える。

正假名遣ひでは
「書こう」は「書かう」と書く。
「書く」の活用は「か・き・く・く・け・け」であるが、推量・意思の助動詞「う」
は未然形に接續する事から當然「書かう」と論理的且つ單純に説明が可能。

然るにGHQ假名遣ひでは「う」が未然形に附くと説明してしまふと「書かう」と書かなければ
ならず、發音どほりに書くのを旨とする稚児假名遣ひでは矛盾が發生する。しかも、「書こう」
と書いてしまふとオ段で活用してしまひ1000年以上保たれて來た活用の形態、いはゆる「四段活用」
が崩れる。そこで説明が附かない者だから、無理やり五段活用と言ひ、「書こう」の場合は未然形
を二つにすると謂ふ強引な手法で説明してゐる。未然形は「書か・書こ」と言ふ具合だ。
「使はう→使おう」「買はう→買おう」「作らう→作ろう」「貰はう→貰おう」などなど。

正假名遣ひであれば「書く」は「カ行四段」でオ段で活用する事もないし、未然形が二つになると謂ふ椿事も起こり得ない。
都合の惡い者を徹底的に消し去り、新語や俗語を積極的に採り入れるのが三省堂の方針(笑)
まあ他の辭書屋も酷いけど、三省堂は群を拔いてゐる。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/09(日) 17:59:37.86ID:ECo3rPtH
因みに、GHQ假名遣ひ制定時には「言ふ」を「言ゆ」と書く案もあつたやうだが
これは却下された。活用させると「わ・い・ゆ・ゆ・え・え」と

五段三行變體活用

になるので、さすがに不味いと爲つたやうだ。
今まで一行だけで活用してゐた者が
いきなりア行・ヤ行・ワ行の三行にまたがつて活用するのは愚民を騙すにも無理が
あると判断したのだらう。
而して「言う」と書いて現在の五段二行變體活用とした。
未然形は「言わない」でワ行で活用、他の連用・終止・連體・假定・命令はア行で活用。

正假名遣ひであれば「ハ行四段」活用なので他の行で活用などしない、其れが國語の傳統
であつたが稚児假名遣ひに據りいとも簡單に破壞され現在に至る。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/09(日) 18:06:28.22ID:ECo3rPtH
>>117
苟も國語教師ならばカタカナ語を使ふ勿れ
自身の無能さと論理的思考力の薄弱さを吐露してゐるやうで恥づかしい。
尤も國語教師の大多數が正假名遣ひすら教えこめない低知能許りであるから、かう
云ふ者がゐても仕方ないのかも知れぬ。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/23(日) 23:08:10.80ID:1yFivC51
>>116
たとえば、鶴田清司先生は文学教材を
@精読型
A活動型
B言語技術訓練型
の3つに分けています(『国語の基礎学力を育てる』、2003、明治図書)。

このように、整理すれば、目的に合わせた授業をしやすくなるのかもしれません。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/28(金) 17:49:34.41ID:dhPIK4O/
光村小学校国語3下の「モチモチの木」の第二センテンス
「もう五つにもなったんだから、夜中に、一人でせっちんぐらいに行けたっていい」について、
文法上間違いであると教えているか、触れないでいるか、やり方を教えてください。

当方保護者です。子供の音読を聞いていて子供の読み間違いかと思ったら教科書にこう書いてあってびっくり。
光村に確認したところ原典ママとの由。なんでこの原典を採用したのか等の経緯は照会中。
光村は保護者がアンチョコ買えないんで未確認ですが、子の学校の校長(国語科)が「はじめて気づいた」そうなので、たぶんアンチョコには記載ないのだろうなと推測しています。
「くらい」と「に」の併用は、前掲文のような、「期待を下回っていること」の表現と、
たとえば
「その小屋はまるでせっちんぐらいに汚かった」のような、比較・例示の表現のどちらにも使われ、語順がクリティカルなのに選りに選って・・・と驚いて質問申し上げる次第です。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/02/28(金) 20:26:08.80ID:ilMar+fm
 ナポレオン戦争、フランス革命を習わずして、イギリスの北アメリカだか何処だかの統治に援用した
政治哲学 を学ばずして、あるいは日本の近現代史を学ばずして、日本の古文(藤原文化?)みたいなこと
をやっているだけでは、山川の教科書が、如何なる方向性をもって、その政治史が描かれているのかを
経験で理解するのは難しい。私有財産、分配の道徳。国民国家論(国は誰のものかってこと)などetc。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/01(土) 23:44:35.37ID:lGtT+d3Z
>>123
おそらく「ぐらい」と「に」の組合せのことを間違いだと指摘されていると思うのですが、文法上の間違いはないと思います。普段見慣れない表現による違和感が原因ではないでしょうか。

春ぐらいになるとたんぽぽが咲く。  という文から、「ぐらい」を抜くと

春になるとたんぽぽが咲く。  

となります。この文に違和感はないと思います。また、この文から「に」を抜くと

春なるとたんぽぽが咲く。

となり、文がおかしくなります。もとの

もう五つにもなったんだから、夜中に、一人でせっちんぐらいに行けたっていい。

も「ぐらい」を抜くと

一人でせっちんに行けたっていい。

となり、おかしくないです。逆にこの状態から「に」を抜くと文がおかしくなります。
おそらく、「場所」+「ぐらい」+「に」の組合せが見慣れない、あるいは、「に」が省略しやすいということが原因ではないでしょうか。例えば、次の

君も私らぐらいになると肉が食べれなくなっているよ。

という文のような「人」+「ぐらい」+「に」のような形の文であれば「に」があっても違和感はないはずです。
また、それと文法上の間違いを教えるのか、ですが、このレベルの間違いを説明するには「助詞」や「格助詞」といった概念を使って説明する必要があります。
3年生、あるいは小学校の時点で教えることはできないと思います(これまでのような説明でニュアンスを説明することは可能だと思いますが)
光村の解答が気になりますね。もし、進展がありましたらお教え下さるとうれしいです。
ちなみに、「くらい」についてはhttp://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/irwg10/jinshaken20-06.pdfこの論文がおもしろいと思いますので、ご紹介までに。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/02(日) 08:15:36.72ID:LRnOFm93
レストン。論文も面白く拝読しました。ですが異論が残ります。

>>おそらく、「場所」+「ぐらい」+「に」の組合せが見慣れない、あるいは、「に」が省略しやすいということが原因ではないでしょうか。例えば、次の
君も私らぐらいになると肉が食べれなくなっているよ。

とは同列に論じられない、と思うからです。
「君も〜」は拙例「その小屋〜」同様、比較的単純な比較です。また、語を補うと
「君も私らぐらいの年になると〜」であり、くらいがかかるのは年というカウンタブルな語であることがわかります。
年でなく年寄り、じじいと置き換えれば、
「君も私のようなしじい〜」と書き替え得ます。
ここで、私は実際に年寄りです。

対して、原典や、ご例示くださった論文の中ですと
(6) 看病くらいする気になったらどう
(13)弁護人にぐらい、まともに話をしてくれなければ困る
或いは追加すれば「お皿ぐらい洗ってよ」等は、くらいが示す対象は「実際には行われていない行為」です。
「せっちんに行く」「看病する」「弁護人に話をする」「皿を洗う」であり、敢えて絞るのなら「行く」「する」「する」「洗う」が対象です。

これらは「せめて○×ぐらい」という構造であり、くらいを省くことは出来ても、ように、ような等で置き換えることはできません。
その意味でように、ような、で置き換え可能な「その小屋」「君も」とは異なる、と考えます。

○「一人でせっちんに行くぐらいできたっていい」
○「一人でせっちんにぐらい行けたっていい」
○「看病くらいする気になったらどう」
○「看病する気くらいおこしたらどう」
○「弁護人にぐらい、まともに話をしてくれなければ困る」
○「弁護人にまともに話をするぐらいしてくれなければ困る」
○「(せめて)弁護人には、まともに話をしてくれなければ困る」
○「弁護人ぐらいには、まともに話をしてくれなければ困る」
○「(せめて)弁護人にだけでも、まともに話をしてくれなければ困る」
○「お皿ぐらい洗ってよ」
○「お皿ぐらいは洗ってよ」
○「お皿を洗うぐらいしてよ」

×「一人でせっちんぐらいに行けたっていい」※原典
×「看病する気くらいになったらどう」
×「弁護人ぐらいに、まともに話をしてくれなければ困る」
×「お皿はくらい洗ってよ」
だろうと。

このややこしい文を小三に教えるべきというわけではなく、このややこしい文を敢えて教材にしなくてもいいのになあと。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/02(日) 12:40:02.04ID:6Bks2sHS
>>126

なるほど、ご指摘の通り同列には論じられないですね。
つまり、原典は
@「せめて〇×くらい」という意味と
A「実際には行われていない行為」という意味をもち、
なおかつB「ように」で置き換えることができない

ので文法上の誤りではないのか、と理解しました。

また、「あえてややこしい文を教材にしなくても」の部分も共感できます。
おそらく、この話のもつ他の要素が教材として優れていると判断されているか、定番教材になっている、と言う点で採用が続いているのだと思います。
加えて、昔話風の文だからこんなものなのだろう、というイメージが教師にも子どもにもあり、文法上の適否にこだわられることがすくなかったのかもしれません。

おおむねは賛成なのですが、

  ○「一人でせっちんに行くぐらいできたっていい」
  ○「一人でせっちんにぐらい行けたっていい」
  ×「一人でせっちんぐらいに行けたっていい」※原典

お示しいただいた上の3つの例文は「ぐらい」の位置の違いによってその適否が決まっていると思います。
この中でどうして原典だけが不適となるのか、やはり不思議に思います。
お示しいただいた「皿ぐらいは洗って」から下のように考えてみました(「に」は格助詞なのでここでは「皿「を」としました」)。

  ○「一人で皿を洗うことができたっていい。」
  〇「一人で皿を洗うことぐらいできたっていい。」
  ×「一人で皿をぐらい洗うことができたっていい。」
  ×「一人で皿ぐらいを洗うことができたっていい。」

この例文は「せっちん」の例文と似た順番にしています。このようにみると下の二つは私の感覚では×になります。
なので「せっちんぐらいに行けたっていい」は不適かもしれない、と思い始めています。
しかし、「皿」の一つ目の×と「せっちん」の二つ目の〇は文の構造上は同じなのに〇と×が分かれています。
これはどのように考えればいいのでしょうか。

もし、「せっちん」の二つ目の〇も×なのであれば、不敵な理由は「格助詞」+「ぐらい(副助詞)」の順番は
〇「体言」+「格助詞」+「動詞」+「ぐらい」
×「体言」+「格助詞」+「ぐらい」+「動詞」ですっきりとするのですが。
0128名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/02(日) 12:49:39.14ID:6Bks2sHS
>>127

訂正です。
「くらい」の前につくことができる格助詞は「に」だけでした。
お皿の例文は成立しません。
失礼しました。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/02(日) 14:11:29.62ID:LRnOFm93
ご検証多謝。
1保護者の立場としては、基本的に、大勢の専門家がよってたかって取捨する教材を信頼しておりますが、
ときには、大勢の専門家がよってたかってナニヤラするゆえか、これや、ちいちゃんや、じいさんとがんや、
難しいネタが捨てられずに残ることもあるのでしょうね。

本題の発展「は」を付けてみる
×「一人でせっちんぐらいに行けたっていい」※原典
○「一人でせっちんぐらいには行けたっていい」
と感じます。
△「一人でせっちんには行くぐらいできたっていい」
○「一人でせっちんに行くぐらいはできたっていい」
○「一人でせっちんには行けたっていい」
○「一人でせっちんにぐらいは行けたっていい」
0130名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/03(月) 18:19:17.14ID:xdnk449m
光村より連絡あり。
1 文法的にイレギュラーなのは認める
2 が、作品の価値を認めて・・・
3 文学作品では文法的なイレギュラーも認められるし・・・

私からのコメント
2 同じぐらい価値があり、かつ、文法的に問題ない作品だってあるでしょ
3 文学的に意味がある文法の誤りなら、そここそが指導されるべきだが、そうなってないてでしょ
4 ことに繰り返しの音読で体に染みついてしまうと訂正するのに大変
5 せめてアンチョコに注記ぐらいしてよ

まあ、お偉い先生方がいるわけで現場の編集さんいじめてもしかたありませんが、社として問題意識はもっていただけた模様でした
0131名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 02:22:51.07ID:GFlcSFk8
 我々人間は、この世に生を授かった時から既に、歴史的な無限の流れでの、そのある一定の線分の上に位置して、そこで流されながらにして
生きている。歴史教育は何よりそれを教える。つまり、相利共生を何より金科玉条とする戦後歴史学の上において、現行の 少なくとも
あらゆる制度的な存在が、どういったものの上にあるのか。歴史教育は、そういった道理を説くもの。結局、現行の制度なんてものは、
個人や一集団の力では変えられないまでも、百姓らのクーデター、反乱によって作られてきたのだから。

 端的に、アメリカ(国連)が日本をバッシングしていたのだって、元はと言えば、イギリスの私有財産制を次いでのものだったし、
その裏側には、結局はナポレオン戦争、フランス革命、そしてイギリスの産業革命、チャーチスト運動がどうのこうのってのが基盤にあった。

 西洋の科学革命にしたって、あるいは西洋・東洋の政教分離にしたって、あるいはカエサルなどの独裁者などの自爆の教訓にしたって、
アテネの民主主義 や キリスト教徒の全国での暴動 にしたって、日本史も世界史も、本当に学びある事件ばかり、選りすぐって来てると思う。

 国語教育も、結局はこれ(教育史)にを継いでいる。あるいは 中国。韓国。モンゴル。平安で用いられた ぱぴぷぺぽ がどうのこうのも。てか地図。
伊能忠敬の測量地図より、もっと前の。てか、立地的に考えれば、言葉使わなくとも、普通に「中国大陸から来たんだな」って普通に推測つくし。
 特に、近代なんかを論ずる時は、モロこれが顕著になる。近現代史の教養も無いのに、てかそれ以前の関係史も知らないのに、
評論家の言っていることを丸暗記するのはナンセンスだし、史学(一次資料)があって事件があるのではなくて、事件があって史学(一次資料)があるのだし。
 これは物理や化学、生物や地学でも同じようなことが言える。理科は数字物語ではなくて、むしろ、観測・実験によって成立するもの。
物理は物の動き、化学は化学反応、生物は解剖、地学はよお知らん。地理学、地質学で言えば、実際に歩いてみる。体感してみる。見てみる。

 言葉は、確かに世界を創る性質があるかも知れないけど、それを一元化してしまうと、これは豪い独裁な、融通の効かない理屈になってくる。
上手く具体例挙げられないけど、屁理屈こねるだけの政治家みたいな。ソフィストなんて甘いものではなくて、もっと、世界中で戦争を
引き起こしそうな、ヒットラーみたいな性格したものに。自文化中心主義が苛烈しきっちまって、もう他の「物語」を受け入れられなくなる。
 で、創作や屁理屈、愚痴の世界に、デイトレーダーみたいな連中の溜まり場の世界に 閉じ籠るようになる。そのうちユダヤティックな選民思想まで出てきて。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 02:41:32.68ID:GFlcSFk8
 言葉は確かに、世界観を創る。しかし、世界そのものは創れないのではないか。
言葉は事物との関係。何も表さない言語など、そも公的に存在しないのではないだろうか。

 確かに、言葉には、自然言語と人工言語がある。しかし、この「自然」というネーミングが
そもそも怪しいのであって、人間は自然人であった頃から、既に人工的であったという人類学の矛盾。
 で、更にこの「人工的」という言葉そのものが、他の動植物の中でちゃんと比較しない、独り善がりな
土壺・蛸壺へと思考主を誘拐して行ってしまうのである。言葉とは、それほどまでにテキトーなものなのだ。
史資料だって、平気で誤読させてしまったり、下手したら、「それも1つの読み方だよね」みたいに なっちゃったり。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 10:54:12.45ID:GFlcSFk8
 町医者なんかより、「歴博」とか「民博」の学芸員とか、NHKの教養番組のナレーターとか、
一部の碩学の大学教員とか、「野島さん」や「荒巻さん」の方が、俺の中では よっぽどカッコいい。

 俺の姉は病院薬剤師、そこでドクターたちに囲まれてファーマシストをしている。医者たちは言う。
「この世で最も大切なものは命だ」と。しかし、それは飛行機の中での咄嗟の応急処置など、
生きれる可能性やポックリ逝ける可能性が十分にある状態下だから、まだそういうことを言ってられるってだけ。

 病院に隔離されている、末期の癌患者と、多くの人は向き合ったことが無い。そういう時、医者というものは、
本当に無力だ。出来るとすれば、せいぜい、精神が崩壊しないように、憐みながら麻薬を施すことぐらいしか出来ない。
 このレベルにまで来たら、はっきり言って、もはや医者の出る幕は最早無いのだ。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 11:13:38.31ID:GFlcSFk8
 このレッド・ゾーンにまで来た時、最期の最期で、本当に登場して来るのは、医者ではない。
それは家族だったり、恋人だったり、セラピストだったりするのが普通だ。あるいは、仏法僧(お住さん)だったり、
キリスト教の神父様だったり。イスラームのウラマーだったり、日本の琉球王国などの農村や、あるいは開発途上国で、
村民から「シャーマン」と呼ばれている人たちだったり。そして、歴博や民博などの人類共生としての歴史学、人類学。
つまり「悠久なるものを見据えましょう」「人生の最期の最期で、あなたは何を観たいですか? 病院職員らの顔ですか?」
ってやつである。いわゆる、心安らかに死ねる方法、その心の準備。生きている間に戒名を授かったりとか、宿願を果たしたりとか。

 あるいは、放射能温泉などの、「癌に効く」などと呼ばれている、幻の地に赴いてみたりしてみて、
それで必死こいて助かるような人も居る。何が原因で助かったのかは、正直、医者にも解らないらしい。
末期の癌患者が突然回復に向かうというのは、従来までは、本当に摩訶不思議なことだった。しかし、それが近年、
「人間の心」「やる気」「動機(モチベーション)」「闘志」「心の放射能」であることが解ってきた。
そして、そこに目を付け、その、ある特定あるいは普遍の細胞の中に含まれる、もしくは何かしらの
刺激が与えられた時に一定条件で分泌される、この奇跡的なエネルギーに着目し、それを爆発的に人工的に増加させられないか、
人工的に 摘出したり 作り出したり 患者に注入したりは出来ないかと睨んだのが、かの京都大学SPI細胞の山中教授だ。

 医学の先を行くのは、いつだって神的なもの。それは人間の心だったり、大自然の恵みとしての田舎のご飯だったり。
そして、人間の心、記憶の更に先を行くのは、いつだって、大自然や文明である。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 11:30:54.95ID:KQsW3P0N
国語は、重要な科目だが、化学、工業化学、設備科、建築学、機械工学、原子力学が腐る、

学校教育の見直しをしろ、工業系の学問が大事だ。

漢字はとても重要だが、少し板違いだが、現在の教育ではなく、

木工や、専門授業を増やす、べきであり、

記憶系より、どんどん、頭を使う、新しい、アメリカ、フィンランド系の学校を増やせ

ってか、学校教育事態、古いし、兎に角、歴史を学ぶと学が腐るから、歴史は学ぶな
0137名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 11:34:33.88ID:GFlcSFk8
 体を壊している人は、しばしば心も壊している。近年、厚生労働省の行政の配慮により、やっと医者たちは、
この人間の心に対して注意を払うようになった。説明責任(インフォームド・コンセント)の制度も確立され、
治療には肉体的苦痛や精神的苦痛が伴うこと、あるいは莫大な料金のこと、もしくは尊厳死などという観点も勘案されるようになった。

 儀式それ自体が科学的ではなくとも、たとえお金を払ってでも、自分の死後を祈ってくれる、成仏、救いを祈ってくれる、
あの仏法僧という存在、あるいは自分の罪が洗い流され、審判をくぐって救われることを祈ってくれる神父様という存在は、
俺の中では本当に有難い。イスラームのコーランの教義は、まだ碌に知らないが。宗教、信仰というものは、本当に人間の心を救う。

 最近、日本では本当に自殺者が増えた。あるいは、病気になっても、家が貧しいが故にそれが治せない人も、この国にたくさん居る。
そういう人にとっては、医者はあくまで、病名や症状、余命を宣告するだけの存在であって、そいつの命や人生を救う存在ではない。
 売春婦や末期のエイズだと診断された時、あんた彼女を救えるんですか、って。「神様が私を殺そうとしている」とまで言われて。

 先ほど、医学の先を行くのは、人間の心だと失言したが、医学の先、科学の先を行くのは、多分、「(現象世界の)意志」なんだろうと思う。
「意志」と「現象」、どちらがどちらを先行し、牽引するのかは、人間には判らない。おそらく相互関係か表裏一体関係にあるのだろうと。
この「意志」を巧くコントロール出来るようになった時、人間は爆発的な進化を遂げる。あるいは、元端からコントロール出来るような代物じゃ無かったり。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 11:37:07.05ID:GFlcSFk8
売春婦や末期のエイズ → 売春婦が末期のエイズ
人間には判らない → 人間には解らない
0139名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 11:51:08.53ID:GFlcSFk8
 歴史学や宗教学は、ライフ・ストーリーを保障してくれる。宗教学なんか、予定調和だから。
0140名無しさん@お腹いっぱい。
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2014/03/05(水) 21:04:21.00ID:mz6CapPs
>>125
>おそらく「ぐらい」と「に」の組合せのことを間違いだと指摘されていると思うのですが、文法上の間違いはないと思います。
>普段見慣れない表現による違和感が原因ではないでしょうか。

恐ろしい此れで國語教師なのか。
副助詞「ぐらひ」と格助詞「に」は文法的に接續しない。
格助詞「に」の接續は體言及び準體言であり、副助詞には絶對に接續しない。
名詞「位」と格助詞「に」は普通に接續し適切な文と爲り得るが、副助詞の「くらひ」
と混同してゐるやうだ。くどくど下らない例文を論つてはゐるが、最も基本的事項の接續
を確認しないとは何ぞや。今すぐ辭表を提出す可き也。

○關白の位に就(位・名詞)+(に・格助詞)
×「一人でせっちんぐらいに行けたっていい」※原典
○一人でせっちんぐらい行けたっていい(せっちん・名詞+ぐらい・副助詞・接續は體言)

↓は貴君が書いた文章
>春ぐらいになるとたんぽぽが咲く。  という文から、「ぐらい」を抜くと
文頭で「という」と格助詞「と」を何度も使つてをり文法的誤りを繰り返してゐる。
最早日本人とは呼べないやうな文章であり即刻祖國に歸る事を提案申し上げる。
かう云ふ似非日本人が教師をやつてゐるせいか、文頭で接續詞的に助動詞や助詞を
使ふ若い者が増へた。「なので」「ですから」「だから」「という」などなど
助詞・助動詞は前に接續する語が來ると云ふ「大原則」を完全に無視した御用である。
辭書に據つては「だから」「なので」などを接續詞として認める者もあるやうだが、その類の辭書は怪文書だから捨てる可きである。
助動詞「だ」の接續は體言・一部活用語の連體形・一部の助詞であり前に何も無い文書は怪文書である。
因みに「なので」の「な」は「だ」の連體形である。

>>130
ほんたうにふざけた解答ですね。二つも助詞の使ひ方を間違へておきながら何が作品的價値でせうか?
此のやうな惡文はマイナス以外の何者でもありません。我が國語は助動詞・助詞の働きが無ければ細やか
な表現が難しくなるのですから、小さいうちから嘘をヘられてしまへば修正が大變な事に爲ります。
正字・正假名遣ひを粉砕した國語破壞機關の文科省と教科書會社(大半の國語學者)ですから意圖的にやつてゐると考へてもをかしくはありません。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/03/05(水) 21:16:28.41ID:mz6CapPs
>>140
訂正
くらひ→くらゐ
御用→誤用
文字化けは
即刻祖國に歸る→祖国
助詞を使ふ若い者→者
教科書會社(大半の國語學者)→会社、者
0142名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/21(月) 16:35:54.60ID:O6NAC/Ib
日本の国語は読み解く系だから、解りずらい。

読み解く系辞めろ。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2014/04/21(月) 18:35:27.95ID:O6NAC/Ib
マッカーサーが政教分離してから、国民が悩むようになった。
なにも、復活してくれとは言っていない。ただ、神社や寺が七五三だったり、冠婚葬祭をやるにあたって
日本文化が重要になってくるし、お化けとか言って茶化す文化は間違いである。
話は逸れるが、オオ神よとか、キリスト文化圏は間違っているし(完全否定ではない)
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