怠惰、面倒について話そう [無断転載禁止]©2ch.net
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「面倒くさい」と思うのには、「できるのにやらない」心理と「できないからやらない」心理の二種類があります。
できるのにやらないのは、我慢する犠牲感・しなければの義務感・強制される不自由感などの感情が不快で、それに怒ったり反発したりする表現が「面倒くさい」とやらない形で現れています。
できないからやらないのは、いわゆる完璧主義で、「完璧にしようとするとものすごく大変。完璧にできないのなら一切しない。」が「面倒くさい」という表現になるもの。背景にコンプレックスがあり、自分の不完全さを感じる挑戦を避けようとします。 私としてはこう思います。
人は退屈を苦痛と見なして恐れ、テレビを見たりゲームをしたりしますが、人は退屈を恐れるからこそ勉強をしたがらないのだと。 パンセという本にはこのように書かれています。
「およそ人間の不幸というものは、ひとつの部屋の中に、じっと静かに留まっていることができないという、ただひとつのことから起こっているのだと。
生活に困らないだけの財産のある人が、自分の家にじっと留まっていて、それで楽しかったら、なにも家を離れて、航海に出かけたり、要塞の攻略に加わったりしないであろう。
自分の町から動かずにいるのが耐えられないからこそ、高いお金を出して、軍人の役職を買ったりするのだ。」 退屈を苦痛と見なし、逃れようと遊び浸る。
では、退屈はなぜ苦痛なのでしょうか。
パスカルならば、それは人間の生まれもった条件。諸行無常と言われるこの世のあらゆる恐れ不安が、人を取り巻くからだと言うでしょう。
たとえば、もっとも位の高い王であろうとも、誰もいない部屋で、好奇心や関心を掻き立てるものが一つもない中にたった一人で居させたとしすればどうなるだろうか。
パスカルはこう書いています。
「王は起こるかもしれぬ反乱のことや、どうしても逃れられぬ死や病気のことなどを思いやって、当然ながらおびえた気持ちに落ちこまずにいられないであろう。こんなふうに、王も、いわゆる「気晴らし」がなかったならば、こんなにも不幸になるのだ。」 つまりどうすればいいのか。
悲惨から逃げるように遊びにふけっていた人生を、悲惨と向き合う人生にすればいいのだと思います。
出来ないこと、弱さに目を逸らさず、向き合い、力の無い私を私自身が慰め、諦め、許したとすればどうなるでしょう。
どうなるかというと、不思議と悲惨という苦痛がなくなるのです。
何故なら、私達が私達の力の無さに苦しむ多く原因は、傲慢にあったからです。
自分の悲惨を受け入れ、傲慢な心が悲惨を拒絶して自ら苦しむようにはせずにいる。そうすれば、今まで悲惨に感じていたことも「あたりまえ」になり、悲惨は奥へ奥へと押し込まれて、勉強をすることが苦痛ではなくなるのです。 ですが、これも怠惰を生む問題の一つでしかありません。 何かをしなくなる。取り組まなくなることは、努力しなければならない事柄の多さに悲観しているから。
なにかに努力できることを喜び続ける限り、怠惰などない。
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