学校の成績はどこまでも本物である
「普通の奴」にとっての嘘の成績を残すとは
「親の言いつけを破りました」を意味するからできない
言い換えれば「普通の絶望を選んだ奴」が
「必ず学校の成績がいい」のにもちゃんと理由があると同時に
学校本当は「絶望を選んだ奴をいぶり出す」のが目的の施設にしか過ぎないのだ
「学校の成績」を見れば誰が絶望を選んだ奴なのか丸わかりにするためのものなのだ
ではなぜ「あえて普通の絶望を選んだ奴」は「学校の成績がいい」を選べるのか?
答えは簡単である「容姿と学校の成績は直結している事を知っている」からである
「容姿に似合わない成績」など残せば
「怪しいぞこいつ」という目で見られるのがオチなのを知っているから
手を抜くが「できない」だけの話
ではなぜ「裏設定のわかる受け手」の学校の成績は「悪い」のにもかかわらず
「怪しいぞこいつ」と思われないで済むのか?
「裏設定がわからないうつり」の持ち主か否かを
「一目見てわかる方法」が実はあって
それを当てはめる事で「裏設定がわからない移り」かどうかを見分けており
該当者の成績が悪いのも「仕方がないですねこれは」と解釈するようにと
親に言われているから「怪しいぞこいつ」という目で見られないで済むのだ
言い換えればそれを「知っている」のにもかかわらず
「治療」を試みないのにも理由があるのだ
「絶対に見られたくない何か」を見せてしまう事になるからである
「裏設定がわからないうつり」の持ち主にとっての
それは「見たくもないもの」そのものなのを「知っている」から
「治療」を試みないだけの話なのだ
だけど「見てのとおり」そんな事に拘っている場合ではないほど
「学校の成績の悪さ」が本物だということを「思い知った」ため
「清水の舞台に飛び込む覚悟」で「普通の移り」を体得する決心をしました
お願いします「治療」してください
それでは