【アクトゥアリテート】永井均 10【レアリテート】 [転載禁止]©2ch.net

1考える名無しさん2015/01/16(金) 01:24:17.350
独在論などで知られる哲学者
https://twitter.com/hitoshinagai1
最新刊『哲おじさんと学くん』

関連話題をどうぞ。

次スレは>>925以降、宣言して立ててください。
落ちたら誰か立ててください。

前スレ↓
永井均 9
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1384576350/

前前スレ↓
永井均 8 【独在性】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1316015388/

著書リストは誰かよろ

700考える名無しさん2017/06/03(土) 22:41:27.470
おーぷん2ちゃんねるのオカルト板に行って
意味不明って検索してから260番のレス見てみ。

きっと必要なことが書いてある。

701考える名無しさん2017/06/13(火) 10:38:45.400
1次内包
世界にたくさんいる人間に宿っている心(私)

0次内包
並列化された世界=私

無内包
端的にあるこの世界=私

て理解でいいのかね
ちなみに2次内包は私が現象しているときの物理的脳内状態

702考える名無しさん2017/06/29(木) 18:05:20.960
総意

703考える名無しさん2017/07/09(日) 00:13:36.840
0次内包と無内包の間に
無内包という内包
という段階?があるのだと思う

704考える名無しさん2017/07/29(土) 00:42:00.350
うーむ、最近の一連のツイートが、「言葉の用法を示すため」であることは、可能なのか?
(いや不可能とまで思うわけではないけど)

例えば「蚊に刺されてもちっとも痛くないが(かゆいことはあっても)、蟻に噛まれると非常に痛い」
という文章が、「痛い」という言葉の用法を示すものだ、と理解できるだろうか
いやこれだと普通すぎてダメか
「蟻に噛まれてもちっとも痛くないが、蚊に刺されると非常に痛い」が、
「痛い」の用法を示すものだと理解できるだろうか
何らか共通の「痛い」の理解があって、それがなぜか普通の因果関係や脈絡とは
違う場面で起こっている、と理解することになるのではないか

ここで言われている「面白い」が、「痛い」などとは全然違う性質ということだろうか
なかなか難しいな
例えば「そうだ、ニーチェについて書かれた他の本は全然面白くないが、本人と永井の本だけは、
とても面白い」と思った人がいたとして、しかしその人はウィトゲンシュタインについて
書かれた本は、他の本も普通に面白いと思っていたとすると、その人は、何を理解したことになるのか?
うーむ頭がこんがらかるなw

705考える名無しさん2017/09/10(日) 17:23:41.450
西田にあったけど、人称を時制のアナグラムでとらえらることと、時制を人称のアナグラムでとらえることは
永井の中じゃ全然別のことなんだな 後者だけがカイビャク哲学らしい この辺の感覚を理解するのが一番むずい
10年近く読み込んでるがさっぱりだ

706考える名無しさん2017/10/06(金) 21:37:57.310
永井均の弟子 金川真大。

707考える名無しさん2017/10/14(土) 13:04:54.680
選挙は、自由選挙・平等選挙・秘密投票等々といった建前を仮に取っ払って考えてしまうと、
要するに、徒党を組んで自分達の共通の利害・意見を押し通す手段に過ぎない、と考えられるだろうか
そうだとすると、その利害・意見の内容と徒党を組んで実現する意志とを自覚して共有してる人は、
投票することは自分にとって良いことになるから、まあ投票に行くことは別におかしくない
それで、そこまで自覚して共有してるわけではない人に「投票に行こう」と呼び掛けるのは、
実は自分達の利害・意見を相手に押し付けているに過ぎないのに、あたかも投票が相手にとっても
良いことであるとか、さらには義務であるとかいう「嘘」をついている、というように、
永井の道徳に関する議論を応用することはできるだろうか

もちろん単純に応用するにはいろいろ疑問があると思われると思われるところで、特に、
投票の場合は利害・意見の対立する複数の候補のどこに投票するのかという問題があるのが、
とりあえず思い付くところだけど
しかし、若者が何となく投票に行きたがらない(らしい)ことの説明の一端にならないかなあ、
と勝手に思い付いた
徒党を組むほどの自分自身の利害はまだあまり自覚しておらず、かつ「嘘」の胡散臭さを
何となく感じたり、あるいは逆に「正しい投票をしなければ。間違った投票をすることは悪だ」(?)
などと道徳的に(?)悩みすぎてしまったり、ということで、結局足を運べないということがないかと、
勝手に思ってる

708考える名無しさん2017/10/15(日) 19:06:11.150
>>707に書いたようなことだけだと、投票が「祈り」に近いような聖なる行為だという意味合いまでは、
なかなか理解が及ばないところではあるけど
しかし仮に、「祈り」というのが、手軽に書かれた教典とか身近にいる指導者・聖職者などに
とりあえず従うのではなく、自分自身の理解と信念のみによって一人で神に向かい合う、
というようなことであるとすると、そしてそれと対応して現代の投票というものが、
手軽に思い付いた利害・意見とか身近にいる徒党にとりあえず乗っかるのではなく、
自分自身の理解と信念のみによって一人で国政のあるべき方向を責任持って選ぶ、というような
意味合いを持たされているとすると、そんなしんどい行為を好んでしたがらない人が
(特に若者が)相当の割合で存在するのは、何もおかしいことではない気がする
(それで結果としては、自覚的な徒党や、自分の利害・意見を押し出すことをためらわない
図々しい年寄り達(失礼)が勢力を得ることになってしまうのだろうけど)

しかし、投票がそこまでただ一人で何か通常の利害・意見を超えたものに立ち向かうといった意味合いを
持ってしまっているとすると、それを上手いこと利用して常識はずれの選択をさせるよう
導くのが得意な人物が現れたら、非常に危険だというのも、何となくイメージしやすくなった気がする
特に、いろんな利害やしがらみがまだそれなりに残っていそうな地方よりも、
それがない大都市などに現れそうなのも、理由があることなのだろうか(いや誰とは言わんけど)
哲学とほとんど関係のない妄想ですいません

709考える名無しさん2017/10/18(水) 23:23:12.510
クソレスで大変恐縮ですが、「冗談で冗談を言ったら真面目に戻る?」という冗談(?)にはワロタ
超越論的冗談可能性は、冗談にだけは通用しないのだろうか(謎)

710考える名無しさん2017/10/18(水) 23:47:53.010
いや待てよ、クソレスにクソレスを重ねて恐縮ですが

例えば
「今回の選挙では共産党に投票します」(※例文)
という真面目な発言(※一例)があったとして、これに「な〜んちゃって」を付け加えることで、
いかに真面目な発言であっても常に冗談にできてしまう、というのが超越論的冗談可能性であった
しかし、この「な〜んちゃって」に、さらに「な〜んちゃって」を付け加えることで、
元の真面目な発言に戻すことが可能であるとすれば、真面目な発言を常に冗談にできてしまう、
ということが成り立たなくなってしまうのではないか
つまり、「な〜んちゃって」にはさらに「な〜んちゃって」を付け加えることはできず、
「な〜んちゃって」だけは常に真面目な発言でなければならない、というのが、
超越論的冗談可能性の成立条件であるということか(謎)

711考える名無しさん2017/10/19(木) 00:01:44.990
あれ、そうすると、元のツイートの「冗談を言うときはいつも真面目にそうするのか」
という問題につながるのかな(そうだ、という回答になる)
あれおかしいな、そんなプロの方々の議論に真面目に参加するつもりなど全くなかったのにw

712考える名無しさん2017/10/22(日) 06:34:17.500
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171022-00000004-asahi-pol
自身の一票を生かすために ゲーム理論の専門家に聞く

ここで紹介されているような「戦略的投票」は、永井のいう「祈り」のような投票には
反することになるんだろうな、多分
投票は「祈り」でなければならないのだろうか
あるいは逆に、「戦略的投票」を推奨したりするのは、実は投票の本質に反することで、
民主主義の理念や選挙・投票の捉え方を掘り崩すものだったりするのだろうか
ちょっと考えただけだと、道徳については、もし「善なる嘘」を全く無くしてしまったら
えらい事態を招きかねない気もするけど、それと比較すれば選挙はわりとあからさまに
要するに権力争いのための制度なのだから、もし過剰な「嘘」によってかえって適当に
行動することができない人がいるとするなら、そのような「嘘」は取り払って気軽な投票を
勧めるのも、悪いことではない気もするけど

713考える名無しさん2017/11/05(日) 23:23:01.300
https://mobile.twitter.com/hitoshinagai1/status/925353400497143808

このツイートの話って考えてみるとなかなか難しいな
言葉を自在に話せる人なら、自分の話す言葉の意味と他人の話す言葉の意味を
同じように理解できると考えるのは、まあ自然だろう
それに対して芸術家だと、自分で作品を作ることはできるが他人の作品を芸術だと
捉えることができない、というのは、素朴にイメージすると、あってもおかしくない気もする
しかし、その芸術家も、自分で作品を作って世に出そうとする以上は、「これは芸術だ」と
何らかの判断をしている(別の面からは「これは失敗作だ」「これはまだ未完成だ」などとして
世に出さないという判断もしている)だろう
そうすると、そのような判断を何らかの判断基準によって自分の作品には下すことが可能なら、
なぜ他人の作品について同じように基準によった判断を下すことが全然できないのか、
というのは、確かに疑問かもしれない
そのような判断を全然できない芸術家が現にいるのなら、その人は、実は自分の作品についても、
一見すると完成された作品を世に出しているように見えても、実際はどれが芸術として
完成された作品で、どれが未完成品や失敗作なのか、自分でも分かっていない、ということになるだろうか
それが「偽者」の意味ということだろうか

714考える名無しさん2017/11/10(金) 03:09:07.040
時間がなくてまだ10までしか読んでない
ここまではまあなんとか理解できた(と思う)

715考える名無しさん2017/11/16(木) 11:23:39.430
時間の非実在性、1万円くらいで売れば良かったのにね。

716考える名無しさん2017/11/16(木) 22:30:52.520
>>715
1万円だったら読者が激減すると思われるけど、それで誰が得するの?w
と思ったが、もし余計な読者が増えない(専門書を読むような層にしか読まれない)
ことを目指すのなら、それでもいいのかもね

717考える名無しさん2017/11/17(金) 16:57:22.350
5刷とか売れるのは、手頃だから。
3〜4000円だったら、そうはいかない。

718考える名無しさん2017/11/18(土) 09:30:18.260
テスト

719考える名無しさん2017/12/12(火) 19:11:52.670
幾何学的な眼と物理的な眼を、TVゲームの一人称と三人称でとらえるとすごいくだらない気がする。
どっちも似たようなもんだから。
<私>のメタフィジックスの「<私>とその頽落形態」や
「直接的なA系列と一般化されたA系列」の対比のような形でこちらも置き換える必要があると思う。
一人称視点という意味での幾何学的な目を〈〈私〉〉になぞらえて〈〈幾何学的〉〉な眼とし、
世界そのものとしての幾何学的な目を〈幾何学的〉な眼と表記して対立させるなど。
前幾何学的な目と幾何学的な目と対立させても良い。最早「幾何学」に特に意味もないのので「物理」でもいい。

720考える名無しさん2017/12/13(水) 20:06:09.800
パッと見てくだらないと判る書き込み。

721考える名無しさん2017/12/18(月) 21:17:25.380
事象内容を世界内の出来事と捉えて独在性も事象内容に含めた方がおもしろいと思うけどな
そうでないと事象内容にはさじ加減が全てでしかない恣意的な操作が介入することになる
どっかの誰かが主張してる即席の常識を世界の規則に据えることになる
私界未分の世界では普通の事象内容という考え方は出来ないけど、世界内の出来事という定義ならできる

722考える名無しさん2017/12/24(日) 10:23:06.700
永井もウィトゲンシュタインも独在性を事象内容に含められないって一方的に主張してるけど、根拠を示してないんだよなぁ
夢の懐疑は考えるけど、事象内容の懐疑は考えないのはなぜなのか 俺には夢という言葉と事象内容という言葉は同じに見える
そもそも最初から事象内容は独在性の対概念だからだというのが答えなら、事象内容はそれ以上拡がりをもたない専門用語になる
すなわち存在論の言葉としては使えない

723考える名無しさん2017/12/24(日) 10:44:05.820
独在性の懐疑は合ってもいいと思う よって独在性も事象内容であるという形で

724考える名無しさん2017/12/24(日) 11:06:37.800
西田の弟子が哲学を戦争や天皇と切り離して考えられなかったように、永井も自分が信じてるものから切り離せないんだろうな
どう転んでも

725考える名無しさん2017/12/24(日) 20:45:37.710
永井が出してた例えだと、宇宙に浮かぶテレビの中の出来事に独在性は含まれるから、
テレビのオンオフの問題である存在の問題にはコミットしないと思う
テレビの中の出来事は世界のありかたの例えなので、イコール事象内容で、事象内容に独在性も含まれる
マンガは哲学するの佐々木淳子の映像装置とかインド思想のマーヤーの中に、独在性は含まれる
最初から社会契約を極端に自立させる思想だと事象内容を別の捉え方もできるかもしれないけど、
そんなプロパガンダにはついていけない

726考える名無しさん2017/12/26(火) 00:32:04.070
私と他人との違い、今と他時点との違いを、どうやって事象内容で説明するの?
その説明ができるのなら、独在性も事象内容の問題と言えるのだろうけど

727考える名無しさん2017/12/26(火) 22:32:06.830
独我論と観念論の違いなんて捉える側が問題を最深部で捉えてたらありはしないし、
単なる評論用語として捉えてたらあるかもしんないけどそんなのどうでもいいんだから
(その用語が生まれた発想の根元をないがしろにしながら付随物ばかり比較しても意味がない)、
独我論と独在性の違いこそを論じてほしいよ。
独我論は私の身体が何個あろうがなかろうが関係ないが独在性は必ず一つ、なぜならそこを出発点にした概念だから。
ウィトゲンシュタインの独我論とこの独在性をしょっちゅう混同してるのはなんなんだ。

728考える名無しさん2018/01/18(木) 20:55:39.010
たまたまの孤独と文法上の孤独ってわけてるけど、いきなり文法が自立してタケノコみたいに
生えてくるわけじゃあるまいし、たまたまの孤独の派生形態が文法上の孤独と考える方が自然
なぜ文法を自立させたがると言えばそうしないとたまたまではない単なる全面的な孤独になるから
よく言えば循環だが悪く言えばどちらも自立せず間違ってるだけ 循環とでも言って誤魔化すしかない
そもそも文法って言葉はアカデミズムのうさんくささの象徴みたいな言葉だと思う
みんな中学生くらいまではいやおうなくそれわかってるんだけどな

729考える名無しさん2018/01/21(日) 15:56:01.150
『青色本』を掘り崩す――ウィトゲンシュタインの誤診 (講談社学術文庫)2018/2/10
永井 均 
文庫¥ 1,220

青色本 (ちくま学芸文庫)2010/11/12
ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン (著),‎ 野矢 茂樹 (解説),‎ 大森 荘蔵 (翻訳)
文庫  ¥ 972

730考える名無しさん2018/01/30(火) 00:06:56.650
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/957904879925673984?ref_src=twcamp%5Ecopy%7Ctwsrc%5Eandroid%7Ctwgr%5Ecopy%7Ctwcon%5E7090%7Ctwterm%5E2
これは、大多数が善いと思っていることに自分の行為を合わせることが生きるのに便利でなく、つまり不快であるような場合には、道徳的に善いとされていることに従わない、ということを意味するのだろうか。あるいは、そういう場合はありえないという前提があるのだろうか。「から」の意味が知りたい。


これは、倫理・道徳についての議論だから「から」の意味が問題になるのかな
「私がカレーを食べるのは、カレーが美味しいと思うからだ」という人に対して、
「では不味いカレーがあったら、それは食べないのか」と聞いたら、「そりゃそうだ」
という返事になりそうだけど
その場合にも、「いや不味いカレーはあり得ない」という返事はあり得るのかなw

731考える名無しさん2018/02/07(水) 03:53:42.400
結局、『ここから』しか世界は見えてないけど、
その『ここ』って、絶対に認識できないよね。
『ここ』って認識した時は、既に『認識した結果』を見ていて、
『認識する元』たる『ここ』は認識できてないから。
それが無内包であって、>>722の疑問に対する答えも、
そういう事ではないんだろうか?『語り得ない』という。

732考える名無しさん2018/02/07(水) 04:26:34.100
>>730
「私が『美味しいとされているカレー』を『美味しい』と言うのは、
 大多数が美味しいと思っていることに自分の味覚の表明を合わせた方が
 生きるのに便利だから、社会から排斥されないから、つまり快だからであり、
 それ以上の意味はない」

と読み替えてみると、

『美味しいとされているカレー』を食べて「不味い」と感じた時、
「不味い」と表明することで、生きるのに不便になったり、社会から排斥される『不快』を選ぶより、
「美味しい」と表明することで、生きるのに便利だったり、社会から排斥されない『快』を選ぶ

ということではないでしょうか?

もし違和感があるなら、『カレー』を『戦闘部族が好んで食べるもの』に読み替えるといかがでしょうか?
自分だったら、死にそうに不味くても、実際に殺されたくないから、
不味いとは言えないと思うw

733考える名無しさん2018/02/11(日) 18:42:26.050
>>732
そういう状況であれば、「私が戦闘部族の食べ物を「美味しい」と言うのは、
(実際に美味しく感じているかとは関係なく)そうしないと戦闘部族にひどい目に合わされるからだ、
つまりその状況の下では快である(大きな不快を避けられる)からだ」と表現すれば、
話は単純で、状況が違えばそんな行動は取らないことが明らかなんじゃないですかね
しかし、もし何らかの理由で、それが美味しいという「嘘」を自分でも信じ込むようになったりしたら、
道徳と類似してくるんだろうか

734考える名無しさん2018/02/11(日) 19:04:09.150
ちょっと思い付いたので書いてみると、道具的価値と内在的価値という考え方をここに応用できるだろうか
(※などと思いながら『倫理とか何か』の関連しそうなところをちょっと拾い読みしてみたけど、
そもそもこれらの用語自体が直接は見つからなかったので、完全に適当です)

「私が(道具的価値に従った行動)をするのは、それが(内在的価値の実現に役に立つ)からだ」
と、まとめられるとすると、内在的価値の実現に役に立たない状況だったり、役に立つと思っていたが
実は役に立たないことが判明したりしたら、道具的価値に従った行動などはしない、
ということになるだろう
逆に、「その行動をしないこと(と言うか、その行動が内在的価値の実現に役に立たないこと)が
あり得ない」と言えるとしたら、それは、実はその行動自体が内在的価値の実現に直接つながる、
という場合だ、ということになるだろうか
例えばスポーツをするような場合、「試合に勝てれば楽しいから」「金が手に入るから」などの
別の価値のための道具的価値に過ぎないなら、別の価値の実現に役に立たないならしないことがあり得るけど、
本当に大好きなスポーツをするような場合、すること自体に内在的価値があるので、一見すると
「楽しいから」などという理由になりそうに見えるけど、実際はしないこと(することが価値の実現に
役に立たないこと)はあり得ない、ということになりそうに思う
カレーの場合が不自然に見えるとしたら、通常は内在的価値になるのは「美味しいものを味わう」
などといったことで、カレーはその手段(道具的価値の一つ)に過ぎないと考えるのが自然だからではないかと
(カレー研究者(?)といった人なら違うかもしれない)

735考える名無しさん2018/02/11(日) 19:14:42.790
(続き)
こういうふうに整理できるとすると、価値一般について当てはまりそうで、別に
道徳の場合だけ特別問題になるわけではなさそうに思った

しかしそれでも道徳の場合に特に問題となる理由があるとすると、道徳は、(『倫理とは何か』の
私の大雑把な理解とその勝手な応用の仕方が的外れでないとすれば)もともと道具的価値しか持たない、
つまり自分(に限らず社会契約のメンバー)にとって、快を実現するための手段に過ぎないのだが、
作られた後になって、「いや道徳は内在的価値を有するのだ、しないことなどあり得ないのだ」
という「嘘」が作られ、しかもやがて本当に内在的価値を有するようになる(少なくともそう信じられる)
という特別な性質を持った価値だ、という点だろうか
道具的価値と内在的価値の両方の面を有してしまうので、果たしてそのどちらなのか、というのが
特に問題とされる、と

736考える名無しさん2018/03/11(日) 04:01:41.760
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

Z9GHZ

737考える名無しさん2018/03/11(日) 13:00:28.940
Z9GHZ

738考える名無しさん2018/03/16(金) 17:43:45.810
『哲学の密かな闘い』が文庫化されて「新版」となってるけど、旧版との違いはどこ?
もうチェックした人、教えてくれ

739考える名無しさん2018/03/17(土) 21:47:51.450
hitoshinagai1
そんな話はともあれ、今回の新版では、第T部に「存在の孤独な祝祭」と「〈今〉と〈私〉の謎 」を新たに収録した。どちらも短いが、とくに後者は3頁半なので、買わない人もぜひ立ち読みしてください!

740考える名無しさん2018/03/17(土) 22:10:45.360
新版 哲学の密かな闘い (岩波現代文庫) 永井 均 https://www.amazon.co.jp/dp/400600379X/

『青色本』を掘り崩す――ウィトゲンシュタインの誤診 (講談社学術文庫) 永井 均 https://www.amazon.co.jp/dp/4062924498/

香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ 中島 義道 https://www.amazon.co.jp/dp/4906791670/

〈仏教3.0〉を哲学する 藤田 一照 https://www.amazon.co.jp/dp/439313592X/

741考える名無しさん2018/03/18(日) 23:35:29.770
「明日のために、いま寝る」
これはすなわち言語の成立であり、時間の成立であり、道徳の成立のための第一歩でもある(違

742考える名無しさん2018/04/03(火) 15:29:17.000
この世界の上で繰り広げられる哲学談義なんてどうでもいい
そういう心持ちじゃないと永井さんの言わんとする事は分からない
こういうことなんじゃないかなあ・・・

743考える名無しさん2018/04/14(土) 15:08:22.800
ネルケ無方さんの座禅(@朝カル)に永井さんも出てましたね

744考える名無しさん2018/04/24(火) 03:09:38.600
サルトルちょっと読んだけど、昔の永井がよく言ってたみたいに
「我々」から話が始まってるから問題を飛び越してるってのを強く感じた
ハイデガーは「我々」から始まっても念頭においてるのが〈〉なんではと擁護
したくなる箇所が多いけど、サルトルはまるでダメ 哲学的緊張を感じない

745考える名無しさん2018/04/24(火) 13:12:12.210
サルトルほどの思想家をつかまえて
こんな無能が、偉そうにまあ・・・

746考える名無しさん2018/06/01(金) 22:14:29.320
ここ数年の6月1日は無為の日だった(と提唱者が宣言していた)が、それによって、
今年の6月1日も無為の日であると言えるだろうか、それとも提唱者がその都度
宣言することによってのみ無為の日となるのだろうか(適当)

747考える名無しさん2018/06/06(水) 07:05:25.800
『無内包』とは、『無内包』という『定義』に注目してしまった時点で
『無内包』ではなくなってしまう。

『無為の日』も、『無為の日』という『定義』に注目してしまう時点で
『無為』とはならないことを、
これを提唱した人は気付いているだろうか?

748考える名無しさん2018/06/08(金) 22:29:04.910
https://twitter.com/hitoshinagai1/status/1003798480043716608?s=19
今となっては2018年6月2日が今日であることは史上初だと言えることは米朝首脳会談が史上初だと言えることと同種のこととなっていると思います。2018年6月5日が今日であることは史上初だのほうは違います。まずはこの違いこそがポイントですね(あくまでも「まずは」ですが)。

この話って結構難しいような気がする(少なくとも俺にとっては)
同種のことではなく特別なことだ、というのだけがポイントだとすれば、
6月2日(今から見て過去の日)が今日であることも、6月10日(今から見て未来の日)が
今日であることも、同じように特別なことにはならず、6月5日が今日であることのみが
特別なことだ、ということになると思う
(もちろん今日は実際には6月8日なのだが、日付を変えると無駄に面倒と思ったので)
しかし「史上初」や「今となっては」という表現に注目すると、6月2日(今から見て
過去の日)が今日であることは史上初だ、というのと、6月10日(今から見て

未来の日)が今日であることが史上初だ、というのが、同じように特別なことには
ならない、と言えるのかどうか?

749考える名無しさん2018/06/19(火) 05:47:53.690
>>748
ツイートされた月日が6月4日というのがポイントですかね?

750考える名無しさん2018/06/19(火) 06:00:23.430
本日が6月4日であると仮定して、

仮に、目の前に展開していく現実の全てが
デジャブ=既に脳内で思い描いていたこと
という人が居るなら、
6月2日も、6月5日も『同じこと』ではないかと。
と言うより、
目の前に展開していく現実の全てが既に脳内で思い描いていたこと
であれば、『史上初』という概念すら無いか。

自分が疑っているのは、実のところ、『全ての人』が、
本当は既に脳内で思い描いているにも関わらず、
目の前に展開していく現実の全てを『史上初』と勘違いしてしまっているのかも、
てこと。
その立場からすれば、『既に起きた史上初』と『まだ起きていない史上初』は
違っているかと。

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