すべては慣習。
ヒューム先生のコンベンション。慣習で西洋理性主義を終わらせた。
ウィトゲンシュタインの言語ゲーム。慣習の中の西洋哲学の限界を明確にした。
フーコーのエピステーメー。慣習は操作可能なことを示した。
ラカンの象徴界。現代人の慣習の困難を表した。

すべては慣習のことだ。
そして慣習の原理はエコノミーでできている。
ポランニーの分類から、贈与交換、再分配、等価交換。
現代は等価交換の時代だが、絶えず贈与交換、すなわち贈収賄が回帰する。
そこにあるのは勝者たちが勝ち続けるエコノミーだ。

ピケティはいった。自由主義経済は格差を広げる。
しかし日本経済は違う。
日本人は、慈悲型の贈与交換を生きてきた。
だから格差は広がらない。慈悲型は絶えず富を還流する。

日本人の慈悲型の贈与交換は、共産主義以上に素晴らしいシステムだが、
いろいろと問題がある。なんと言っても、一番は島国日本人だから可能だ。すなわち世間。
これを世界に導入できるのか。