ヴァルター・ベンヤミン [無断転載禁止]©2ch.net
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ヴァルター・ベンヤミンの墓標 (叢書 人類学の転回)
マイケル タウシグ (著), Michael Taussig (原著), 金子 遊 (翻訳), 井上 里 (翻訳), 水野 友美子 (翻訳)
出版社: 水声社 (2016/03)
ゴンゾー人類学者による、ビートニク小説のようにも読める民族誌的試論集。
ベンヤミンが没した町ポルトボウについてのエッセイにはじまり、
コロンビアの農民詩、悪魔との契約、“海”が消えていったいきさつ、シャーマンの身体の特質、
宗教や道徳上の侵犯、ニューヨーク市警察の暴力、“花”と“暴力”との関係、について刺激的に語る。
タウシグ,マイケル
1940年、オーストラリアのシドニーに生まれる。南米のコロンビアやベネズエラのアマゾン地域を専門とする文化人類学者。
現在、コロンビア大学教授
金子/遊
1974年、埼玉県に生まれる。映像作家、批評家、民族誌学者。現在、慶應義塾大学環境情報学部ほか非常勤講師。
「弧状の島々 ソクーロフとネフスキー」で三田文学新人賞(評論部門)受賞
井上/里
1986年、宮崎県に生まれる。早稲田大学第一文学部総合人文学科卒業。現在、法政大学社会学部非常勤講師。専攻、アメリカ文学
水野/友美子
1983年、富山県に生まれる。ロンドン大学ゴールスミス・カレッジ・メディア&コミュニケーション学部修士課程、
一橋大学大学院総合社会科学専攻人間行動研究科修士課程修了。専攻、アートの人類学・映画学 中本裕之(なかもと ひろゆき)元弁護士(新62期)=奈良県=大阪府
性別: 男、未婚
年齢: 36歳以下(昭和54年4月2日以降生れ)
国籍: 日本人?(本人談: 2012/03/26 パスポート取得)
住所: 奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)?
最寄駅: 近鉄・生駒線 竜田川駅?
実家: 不動産を所有する資産家の分家
家族: 実家で母親と同居、兄、弟、妹?、父親と確執?
母親: 世界真光(まひかり)文明教団の信者
宗教: 聖書は半分くらいしか読んでいない
既往症: ノイローゼ(2013/1/15)
常用薬: リスペリドン(2013/1/7)
禁忌: 奈良駅には行けない事情がある
職歴: 元弁護士(新62期、大阪弁護士会、登録番号 41908)、LECでの答案添削、家庭教師
資格: TOEICスコア 680 (2011/10/01現在)
高校: 奈良県 私立帝塚山中学・高等学校卒?
大学: 京都大学法学部 大石眞ゼミ?
大学院: 関西地方の法科大学院修了
受験: 旧司法試験の東京での申込み状況を知っている
勉強: 合格まで10年かかった。『事例本』シリーズ(辰巳1997年〜絶版)を使用
ゼミ: 憲法のゼミに所属(本人談: 右寄りといえば右寄りの方)
奨学金: 毎月1万円返済、返済期間10年以上(2013/10/22現在)
体重: 63.6キロ(2011/12/20現在)
好物: 水炊き、うどん
好きなアニメ: ザンボット3(1977年)、太陽の牙ダグラム(1981年)、聖戦士ダンバイン(1983年)
偏愛: 伊藤かな恵(声優)、明坂聡美(声優)、高倉陽毬(アニメキャラ) 、小・中学生のホモ
憧れ: 大学教授、公務員
常駐先: 緊急自然災害板(原発情報)、哲学板(千葉雅也、東浩紀)、模型板、声優板ほか
2012/09/01 小・中学生の時にホモってフェラするのが最も良い
2012/09/05 わたしはとにかく、奈良駅にはいけないのです。
2013/10/22 中途半端に頭がよかったのが不幸の始まるなのであろう。 発狂さん、上げ荒らしやめましょう。
10年間も毎日毎日糞スレ立てて、キモいAAで上げ荒らしして、なにがしたいんですか?
こんなことだから50歳職歴なしの社会不適合者なんじゃないんですか?
あなたの生活保護費はボクやみんなの貴重な税金から支払われているですよ。
みんなに迷惑かけて恥ずかしくないんですか?
あなたほんとにみんなと同じ日本人ですか?
そんなにやりたいならsageて誰にも知られない底で一人勝手にやってください。 しかしベンヤミンスレが立って、このレスのなさw
どんだけ哲学板レベル低下してんだよ
そもそも学問的なレスしてるやつ皆無じゃん
たまに学的なレスの付いても無視。
変な厨二ぽいスレには鉄板にいるだけの人間がレスw 発狂じいさん、キモAA上げ荒らしを死ぬまで続ける気ですか。
15年間も毎日毎日糞スレ立てて、キモいAAで上げ荒らしして、なにがしたいんですか?
こんなことだから50歳職歴なしの社会不適合者なんじゃないんですか?
あなたの生活保護費はボクやみんなの貴重な税金から支払われているですよ。
みんなに迷惑かけて恥ずかしくないんですか?
あなたほんとにみんなと同じ日本人ですか?
そんなにやりたいならsageて誰にも知られない底で一人勝手にやってください。 自殺すると売れるよな。トリビュートで。悲しみで。
自殺していない作品像論文像を描いて生き残れるかといわれれば
たぶんベンヤミンはアリだろうな。 でもやっぱり、
本心では
「ニヒリズムを当然の前提として
土俵に力水はいたり尻の穴ほじくった手でツッパリしてみるのはどうだろうか
宇宙性器0079。
大相撲熱闘譜「千代の富士時代」の九重親方の手記を読むがいい。
千代の富士は若い頃、北の湖のあまりの強さに驚いていた。
そして隆の里の怪力にも悩まされた。」
(『虚無の構造』第一章より抜粋)
って思ってるんだろ? / ̄ ̄ ̄\
/ノ / ̄ ̄ ̄\
/ノ / / ヽ
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\L/ (・ヽ /・) V
/(リ ⌒ (●●)⌒)
| 0| __ ノ 発狂さんは50代です!
| \ ヽ_ノ /ノ
ノ /\__ノ |
(( / | V Y V| V
)ノ | |___| | [新訳・評注]歴史の概念について
ヴァルター ベンヤミン (著), Walter Benjamin (原著), 鹿島 徹 (翻訳)
出版社: 未来社 (2015/7/10)
http://pbs.twimg.com/media/CvlbmqtUEAAUwU0.jpg
ベンヤミン個人の人生とヨーロッパの情勢と、ふたつの危機の度合いが深まっていくなかで構想された未完の遺稿
「歴史の概念について(歴史哲学テーゼ)」。
6つのバージョンの原稿が現存しているが、既訳では特定の校訂版のみが主として参照されてきた。
本書は、これまで顧みられることが少なかった、1981年にジョルジョ・アガンベンが入手したタイプ原稿を底本にすえ、
他の原稿を参照しつつ新訳を作成する。底本のみに見られるテーゼ1篇と自筆の書き込みも訳出。
訳者による各テーゼへの充実した評注も独立させて附し、テクストの新たな相貌を浮かび上がらせる。
【目次】
イントロダクション――時代・生涯・テクスト
1 執筆当時の歴史状況――コミンテルン人民戦線戦術と独ソ不可侵条約
2 自死にいたるまでのベンヤミンの軌跡――未定稿として遺されたテクスト
3 現存する複数の原稿について
4 参考資料――断章と先行翻訳
ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」(「歴史哲学テーゼ」)
テーゼI-XIX(底本独自のテーゼ1篇が追加され、従来より総数1つ多)
テーゼXI(底本には「XI」が二つ有、二つ目は従来のBに相当)
参考テーゼ(従来のA、底本には欠くため、参考として付録)
評注
1 テクスト全体の概観
2 各テーゼへの評注
3 評注への結語 1892年、エミール・ベンヤミンとパウリーネ(旧姓シェーンフリース)の長男としてベルリンに生まれる。
1912年、フライブルク大学に入学。
1913年、ベルリン大学に移籍。
1915年、ゲルショム・ショーレムと知り合う。ミュンヘン大学へ移籍する。
1916年、「言語一般および人間の言語について」を執筆。
1917年、ドーラ・ゾフィー・ケルナーと結婚。スイスへ移住し、ベルン大学へ移籍。
1918年、長男シュテファン生まれる。エルンスト・ブロッホと知り合う。
1919年、学位論文「ドイツーロマン主義における芸術批評の概念」によってベルン大学より博士号を受ける。
1920年、ベルリンに戻り「ドイツーロマン主義の芸術批評の概念」を刊行。
1921年、クレーの版画「新しい天使」を入手。「暴力批判論」を発表。「翻訳者の使命」を執筆。
1922年、「ゲーテの「親和力」について」を執筆。
1923年、アドルノ、クラカウアーと知り合う。ボードレールの詩集「巴里風景」の翻訳を出版。
1924年、カプリ島に滞在中、アーシャ・ラツィスと知り合う。「ドイツ悲劇の根源」を執筆。「ゲーテの「親和力」について」を発表。
1925年、「ドイツ悲劇の根源」を教授資格申請論文として、フランクフルト大学に提出するが拒否される。
秋にスペインとイタリアを旅行し、ラトビアのリガでアーシャ・ラツィスに再会。プルーストの「失われた時を求めて」の翻訳を始める
1926年、パリに旅行する。「一方通行路」の一部を執筆。父、死去する。マルセイユに旅行。モスクワに旅行し、アーシャ・ラツィスに会う。
1927年、プルースト「花咲く乙女たちのかげに」の翻訳を出版。パリに旅行しパサージュの研究を始める。
1928年、「ドイツ悲劇の根源」「一方通行路」を出版。ショーレムよりエルサレム大学に招聘される。年末からアーシャ・ラツィスと同棲する。
1929年、妻ドーラとの離婚訴訟を始める。ブレヒトと知り合う。
1929年と1932年に少年少女向けのラジオ番組に出演した。 1930年、年頭、パリ滞在。3月離婚が成立する。8月、北極圏旅行。11月母、死去する。ヘッセルとの共訳でプルースト「ゲルマントの方へ」刊行。
1931年、「カール・クラウス」「写真小史」「破壊的性格」等を発表。
1932年、2月、3月にフランクフルト放送局で、放送劇が放送される。4月から7月ごろまで、イビサに滞在。ひきつづきイタリア旅行。
1933年、3月中旬パリへ亡命。社会学研究所の紀要に執筆協力を開始。4月から半年ほど、イビサ島に滞在。10月、パリへ戻る。
1934年、「生産者としての作家」について講演。6月から10月、デンマークのフィーン島スヴェンボルのブレヒトのもとに滞在。
11月から翌年4月までイタリアのサン・レモの元妻ドーラのもとに滞在。
1935年、4月、パリに戻る。5月、「パリー19世紀の首都」。10月、「複製技術時代における芸術作品」。
1936年、スイスで「ドイツの人びと」刊行(デートレフ・ホルツ名義で)。7月から9月、スヴェンボル滞在。
1937年、7月から8月までサン・レモ滞在。年末から翌年頭までサン・レモ滞在。「エードゥアルト・フックスー収集家と歴史家」など発表。
1938年、6月から10月までスヴェンボルに滞在。「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」を書き上げる。
1939年、大戦開始間際だというのにパリに留まり続ける。
「叙事詩的演劇とはなにか」「ブレヒトの詩への注釈」「ボードレールのいくつかのモティーフについて」など。
9月から11月、開戦にともない敵国人であるベンヤミンはヌヴェール郊外の収容所に入れられる。
1940年、春、「歴史の概念について」執筆。パリを陥落直前に逃れてルルドへ向かう。8月はじめ非占領地域のマルセイユへ移る。
アメリカへの渡航を企てるも出国ビザが下りず、非合法に徒歩でスペインへ入ろうとする。
9月26日、スペインに入国しようとするが、ポルボウで入国を拒否され、大量のモルヒネを飲んで自殺を計り、翌日死去する。 メイエルホリドとブレヒトの演劇
キャサリン・ブリス・イートン (著), 谷川 道子 (翻訳), 伊藤 愉 (翻訳)
出版社: 玉川大学出版部 (2016/11/29)
20世紀前半の激動の時代に、演劇と社会との関係を問いながら、新しい理論と方法を追求しつづけたメイエルホリドとブレヒト。
現代演劇に多大な影響を及ぼした二人の演劇人の関係を、ロシアとドイツを舞台とした歴史と文化交流のなかに読み解く。
ベンヤミンのエッセイ(本邦初訳)と谷川道子・伊藤愉・鴻英良の論考を併録。 ベンヤミン―媒質の哲学
森田 團 (著)
出版社: 水声社 (2011/04)
〈救済〉のメーディウム: ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ
竹峰 義和 (著)
出版社: 東京大学出版会 (2016/9/22) ドイツ悲劇に関心ないくせに『ドイツ悲劇の根源』読むやつwwwwwwwwwww 夜のメルケルの裏筋からアナルへかける壮絶ジャーマニースタイル
こりゃナチスの創造力も舐めてはいかんとなる 触れることのモダニティ ロレンス、スティーグリッツ、ベンヤミン、メルロ=ポンティ
高村 峰生 (著)
出版社: 以文社 (2017/3/17) >>18
そういう言い方聞くとついつい一緒になって笑いそうになるけど、
例えばもし関心あるものだけ読めばよいということにすると、エッチな本や漫画、推理小説にSFくらいで済んでしまう可能性もある。
それではあまりにも貧困すぎる、もっと何か広げたいという前のめりな感じがあってもいいのではないか。
と、マジレスしてみました。
写真小史3ページくらいで止まってるな... すまほ余りに慣れていない故。
お赦しを。。。
(お元気ですか?) おっと、書き損じ多すぎてスペイン当局が来そうだな。はは。
以上、浅井訳のコレクションをみてパリィで液体チョコ飲みたくなったひとでした。
いつかスペインにお墓参りしに行きたい。 やっぱり原書が一番ですよね、、、
精進します。
(可能であれば)
【学習院の丘の上】懲戒免職の真相は?
左遷と言う手段もあったはず
(よみうりランド(おわかりですね?)の方は、【本家】を包括しているとも考えられる。美術史。)
派閥対立の末の追放?
今の学長はやっと外部からだよ…
(もちろん極秘にします) つべラジオの所在だけ確認しています。
後で聴きますね。
お元気で…
また来るわ ああ…
素早い更新ですね。
先生クラスなら総合スレもある(?)と思いますが、検索にいませんでした。
ウィーン楽団あたりでお茶を濁しておきます。
?
ウィーン学団、です。
クリムトが一番有名?な、秘密結社(笑)
ここにヴィトゲンシュタイン(すえっ) これはヴィトゲンシュタイン(末っ子)の埋葬場所に吊り下げられそうだ。
実にしっ 失礼。
・ヴィトのお墓には梯子があります。
バグが多い携帯だなあ。
では… あなたなら見ているでしょう。
では。
・また原稿書いてください。 ちくま学芸文庫
【復刊情報】ヴァルター・ベンヤミン著、浅井健二郎訳『ドイツ悲劇の根源 上・下』。
「バロックの言語形式との格闘のなかで、言語哲学と歴史哲学が、神と悪魔が、象徴とアレゴリーが、様々に火花を散らしつつ出会う。
この〈星座=状況布置〉を精緻に叙述した比類なき名著に「暴力批判論」等を付す。」
2017年10月31日 先生から返事が来てしまった。
魔法かと思った。
いえ、それも良いですが、健康第一です(体力が削げ過ぎてしまいました)
踏み台昇降をまたしますね。
失礼いたします。 「暴力批判論」て『ドイツ悲劇の根源 上・下』の中に入ってる訳が他のより一番読みやすかった 暴力批判論なんてハイパーバラッドレコード、の時代に入らないよ。チャートに。
詩がうまくないうまうベンヤミンも翻訳を韻律陰リズ化していないぐらいさ。
論文も、まだ印象が上がらない。世界通時でね。 悲劇 喜劇 もなかなか譲れない 詩学だよね。ベンヤミンは詩人じゃないから
酒で失敗もできなかったのではないか? ベンヤミン自身は、ホロコーストや原爆を知らないで亡くなってるが
文明や進歩を無条件に賛美するという風潮への懸念は戦後確実に高まりを見せていた
だが、悲劇を忘れてしまった現代においてベンヤミン的な理性に対する疑念は
ほぼ消滅してしまったと言っていいだろう とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
6TY78 北村匡平 Kyohhei Kitamura
しかし歴史的・社会的な観察者の点においては、
ベンヤミンはその断絶を19世紀末から20世紀初頭の映画やダダイズムに見ている。
一方クレーリーは1920〜40年代あたりの生理学における視覚機器による新たな観察者の再編成を論じ、
映画の観察者にはむしろ近代からの連続を見ている。 面白いズレ
2013年8月12日
野々村文宏
ちょっと解説すると、1970年代には、アドルノ=ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』を受けるかたちでの、
エンツェンスベルガー『意識産業』がすごくもてはやされ、読まれたのですよ。
福居伸宏 Nobuhiro Fukui
研究者ではないので(という典型的エクスキューズをテンプレート的に前置きするとして)、
当時の日本の写真界(?)では、エンツェンスベルガーよりも
ダニエル・ブーアスティンの言説のほうがポピュラリティを獲得していたような印象があります。東松照明さんの存在感も関連?
多木浩二さんもです。多木浩二さん、中平卓馬さん、両者がポリグロット的な存在だったということは、
1960年代の映像にまつわる言説、そしてプロヴォークについて考えるうえでは重要なことだと思っています。
2人の言説、明らかにベンヤミン、バルト読んでるよねー、とか。
2017年3月29日
R. ITOSE
しかしユンガーといいグラムシといいベンヤミンといい、1920年代の思想にソレルの与えた影響大とつくづく感じる。
日本でももっと研究されてよいのでは。
2018年4月2日 Masato EGUCHI
フーコーとニーチェが同じということは、これまた彼らと同じ誕生日である保坂和志が指摘していて知ったのだが、
大澤真幸も同じらしい。
あとデリダとベンヤミンとか、蓮實重彦と昭和天皇とか、ちょっとほんとでき過ぎてる感すらある。
2012年5月15日
Akira Okamoto
W・ベンヤミンの著作を研究していて、何度も分からなくなった問いがある。
19世紀にはニーチェ、ブランキ、ボードレールが、20世紀には19世紀を回想する形でプルーストやマンが、
循環する時間と時の停止について共通して語るのだが、この辺りの時代でなぜそれが重要な問題になり得たのだろうか。
2016年9月14日
涌井 秀人
ノルベルト・フォン・ヘリングラート (1888-1916) 文献学者。後期ヘルダーリンの諸作品の発見者。
画期的な歴史的批判版全集を編纂。そのヘルダーリン全集をベンヤミン、ハイデガーらが愛蔵、研究。
その翻訳論はベンヤミンの翻訳論に大きな影響を及ぼした。ゲオルゲ・クライス。第一次世界大戦で戦死。
2018年2月22日 TANAKA Jun★翻訳『ボウイ』刊行
トラヴェルソ『左翼のメランコリー』、繰り返される敗北、しかしとくに1989年以降の決定的なそれののちの、
左翼における革命的メランコリーという「伝統」をめぐり、絵画や映画にまで目配りされた議論が展開される。
導き手となるのは、言うまでもなくベンヤミン。
25 Feb 2018 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています