無限について語る [無断転載禁止]©2ch.net
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r'⌒ヽ. .》| .::|《 強いて言うなら 無限=なす かな?
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| ト./ ` ̄__,.:=彡 :.ヾ、ニ二 /
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| / ,-一'" ̄´ i
|:/ / \:. "ー=🍈=-.'` !
| ' / ヽ:. :、 \
゙、 ノ .i:. ` ヽ >>5
「アキレスと亀」は、形式論理に於ける一種のマジックである。 >>6
まあ、数学と物理学と論理学が一致していない典型例だわな >>1
実在論から出発したら無いよ✨
存在論から出発したら無限は限りなくありましゅよぉー✨ 宇宙が無限ではないのだとしたら、なにもない無ってなに? >>10
すべての有限が壊れるものと知ることの
すべてを失う拠り所の無さ
それが無、そして人は震撼する😌 映画のストリートオブファイヤー☆
のダイアンレインみたいに生まれたかったァー☆ .
ウムウムの食い込みパンツョックん
どどんじゃウムウムの食い込みパンツョックん
どどんじゃどんじゃンクンクんじゃろろ?
ε ⌒ヘ⌒ヽフ ,ヘ⌒'Y ⌒`γ
( ( ・ω・)( ( )
. ヘ'⌒ヽヘ⌒ヽフ ⌒ヽフ ⌒ヽフJ
(・ω ( ・ω・)・ω・)・ω・)
ヘ⌒ヽフ⌒γ・ωε ⌒ヘ⌒ヽフ
(・ωε ⌒ヘ⌒ヽフ⌒ヘ⌒ヽフ・)
ヘ⌒ヽフ( ( ・ω・)( ・ω・)J
(;ω;ε ⌒ヘ⌒ヽフ⌒ヽフ⌒ヽフ
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ε ⌒ヘ⌒ヽフ⌒ヽフ⌒ヽフ ⌒ヽフ
( ( ( ・ω・)ω・)・ω・)・ω・)ヽフ
し‐l, ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄''| ・ω・)
し'l, ,/ ⊃と
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!| !| !l於饅壺雅簾イ "" ⌒ ヾ ヾ 玖嵯夷 | 苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇絽?|
,..,,. 饅壺雅 / ( -=ニ=- -=ニ=-ヽ)ヽ夷於饅乂________________ノ!|
|! ! | !壺雅簾( / ー-' ヽ. ヾ )於饅壺;. |! !| !| !l |! ! | ! |!l |! ! ! | ! |!l |! !| !| !l |! !
|! !| !|雅簾喜ゞ (. ::.| ト‐=‐ァ' |.:.ノ.ノ 饅壺雅|! !| l | !| ! !l|! !| ! | ! | ! |!l |! !| !l |!
| !! 簾喜軟蛇ゝ、、ゝ .\`二´'/ ノソ 饅壺雅簾 | !| ! !l|! !| ! | !l ! | ! |!l |! !| !| !| !l |! ! ||
!l |! 喜軟蛇絽?ゝ、、ゝノ ,, ノ ノ 饅壺雅簾喜| !l |! ! | ! |!l |! !! | ! |!l |! !|| !l |! !| !| !l |! !
!l |! !|軟蛇絽?苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟l |! ! | ! |!l |! !| !|!l |! !| !| !l |! !| !| !l |! !
! ! | ! 蛇絽?苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇 |! ! | ! |!l |! !| | !| !l |!| ! |!l ||!| !| !l |! !
|! !| !|絽?苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇絽|! ! | ! |!l |! !|!| !l |! ! | ! |!l !| !| !l |! ! ||! !| !
!l |! ?苧疾壺玖嵯夷於饅壺雅簾喜軟蛇絽?| !! !|!l |! !| ! !|!l |! !| !| !| !l |! ! | ! |!
!| ! | !l |! !| !| !l |! ! | ! |!l |! ! |! |! ! | ! |!l ||!| ! !l|! !| !l |! !!| ! | !l |! !| !| !l |! ! | ! |!l |! ! |! |! ! | 有限宇宙論は仮説だし、証明されているわけではない。
何よりも宇宙の端をだれも観測していない。
無が在るなんてのはどうもいただけない。
自然科学だし、対象である自然が無、有という矛盾するとしたらそれはもう。
だいたい、わたしたちの身の回りではすべては生成の過程として存在するだけ。
それ以外ではなく、何も生まれない無くならないという保存則との整合性が有限宇宙論には無い。
フリーマンの番組観ていたらホログラム宇宙論の解説やっていて、SFとしては面白いと思った。
いろんなこと科学者は考えているが、ピタゴラス的理性を疑わないからこその妄説だとしか思えない。 無限は直接取り扱えないし、ゼノンは無限の扱いについてなにか警告していた。
無限に手を出すな、ということだったかな?
有限はどこにある?
有限で説明されるが、有限、つまり此処から此処までというのは科学はどこにも無いと語っている。
人の生は無限の宇宙で展開される。
そこには理屈などないし、自然の存在にも理由など無い。
僧一休は精一杯今を生きよと、一杯一銭で美味しいお茶を売っていた親友の死に直面して語り、その人生を称え、そして泣いて帰っていく。
アニメの話だけどね。w
でもその認識には同意する。
自然理解は自己言及であり、学問は人の生の在り方に寄与しない限り存在価値は無い。 シューベルのピアノ五重奏「鱒」を聴いているけど、この人は三十一年間に凄い量の作曲しているみたいだ。
モーツァルトは三十半ばだったかな。
こんな人と較べてもしょうがないのだが。
周りの人に尊敬できる人がいたことに気がついて、今更ながら自分の幸運を思った。
一生懸命生きろとその人は語った。
一休と同じなんだなあ。
そしてまたわたしの自然理解からもそういう理解は導くことは可能です。 1÷3を考えるんだ
0.333333333・・・
実在するかどうかは証明できないけどね
でも、無限は実在すると思うよ ここからここまで、なんてのは無い、どこにも。
頭の中だけだし。
誰かみせてくれ。
数で理解しているだけだ。 実に単純な話。
無で理解しているが、無は無限に集まっても無。
それだけ。 けっきょく自然には理由なんてないし。
自然は無限だろう。
科学は数を、有限を、静止を否定することによって宇宙が無限であることを示し続けている。
わたしたちは自然を数で理解しているが、自然の側には数など無い。
そして科学革命は認識主体は認識対象に解消されることを示している。
認識主体は認識対象の一部である。
地球はなんら特別な星ではなく、天体の一部である。
人間はなんら特別な存在ではなく、動物である。
絶対座標などどこにもあるわけでなく、静止は運動の一形態である。
これらは自然は無限であり、その運動変化の過程において在る。 わたしたちは自然の運動を静止で理解している。
運動する自然の生成過程を理解するために数で、静止で理解している。
実は大きさなども無い。
時間もまた、ここからここまで などというのはどこにも無い。
次元は運動を静止で理解するしか無いことによって、頭の中に作り出されるだけでどこにもあるわけではない。
科学は基本に帰るべきだ。
何もなくならないし何も生まれない。
運動は否定されたことが無い。 今が、一瞬が永遠に在る。
わたしたちは今を無で理解している。
つまり運動を静止で理解しているからこそ時間という次元が必要になるだけだ。
次元の実在もまた否定される。 対象であるAはAの否定で理解される。
この場合は、運動を静止で理解している。
運動を定義すると静止で理解しなければならないから、クレタ人の逆説となる。
このことは数を自己言及した不完全性定理の結論を暗示している。
この定理もまたAをAの否定で理解するということの自己言及なのだと。 無限は数でできているのではない。
永遠宇宙論は有限の無限の繰り返しだと否定するが、それは有限が自然には実在しないことを理解しない否定だ。
つまりは数など実在しないことを理解していないのだということだ。
一回、という理解はここからここまでということを前提にしている。
ここから先はもう少し説明が必要になるんだろうが、明快には未だできないので、議論はできない。
ゼノンの語るように無限は不可知ということだ。
しかしそれは無矛盾であるから理解できる。
何故理解できるのかは理解できないということにもなる。 けっきょく理解そのものが矛盾なんだろうという予想はもっている。
対象は無矛盾であり、理解は矛盾である。
そして矛盾である理解は矛盾であることによって理解できない。
数は無という有として頭の中に在る・・・
今のところここまで。 >>37
観測者にとっての矛盾であってもそうじゃない観測者にとって無矛盾であることもある。
極端な具体性は幻覚しか発生させない。 ゼノンのパラドックスは厳密な意味で正しい
パラドックスは世界が無限小から構成されてないことの反証になっている
無限大は存在する ゼノンはピタゴラス学派の世界観を批判して、あなたがたの言うことを前提にすると運動は不可能でと示しただけでしょう。 今日のお昼御飯はカレーライス🍚でしゅ
天気いいし眠たーい☆ 数学は無限を有限で理解するわけだけど、そのことは無限を有限にすることなのだなと
「無限論の教室」の中でいろいろな無限があるというのを読んで気づいた。
理解そのものが無限の有限化ということだろう。 >>45
示しただけでも批判でもなんでもいいが
ゼノンの論理に誤りがあるなら指摘してごらん >>47
>理解そのものが無限の有限化ということ
そのとおり!
数学は曖昧さの許容とひきかえに成功をおさめた 数に大きさが無いのなら亀とアキレスの間には無限の数が存在することになる。
基本0が無限に在っても0だし。
たとえ亀が一億分の一ミリ目の前にいたって、その間には無限の数がある。
どんなに短い距離でもそういうことになる。
飛ぶ矢の逆説は、飛ぶ矢は一点に必ず存在する。
静止もまた一点に存在することだから飛ぶ矢は飛んでいないということになる。
これはいずれも自然が数で出来ているのなら運動は不可能だということになる。
世界を数で理解しているだけであって、数そのものは自然には無いのだと語っている。
ゼノンはそれで理解しているから世界がそれでできているという理解を否定した。 >>51
ゼノンがあってる前提での>>45やったんか
今、調べたら
ピタゴラスは、長さにはそれ以上分割不可能な最小の長さがあると考えた
ゼノンと同じ考え方なんやが…
>>45の批判てのは勘違いやないか? 運動を定義もせず「運動は不可能だ」などと言っとるのかオマエら… こういう場面なんだろうな、数学的訓練が哲学で活きるのは
厳密な推論とそうでないものの区別が付かないから安易に矛盾していると結論付けてしまう >>54
本質がわかってれば、運動でも長さでも同じことに気付くはずやで 長さと言い換えたら定義したことになるんか?
空間も長さも定義していないのに? >>57
めんどい定義厨やなw
別に運動でも足し算でも同じ理屈やろ
なんなら数値でもええわ
さすがに数値に定義いるとかいわんやろw 運動とはここからここまで動くこと、なんて定義しそうだな。w >>52
無限に数があることと無限小の数が存在する事は同じやないで
1を永遠に足し続けて無限大の数に到達できない事は矛盾ではない
無限小の数を永遠に足しても『有限』の1に届かないことが矛盾
ピタゴラスは無限小の数があるとは言ってないからゼノンがそれを批判してるというのは違うと思う >>59
答えになってない
君あてのレスではないが
>>60を読んで
自分の浅はかさに気づいたら立ち去りなさい 数には大きさが無いという定義を受けてのゼノンの批判ですが? アキレスと亀のパラドックスは、時間を無限に縮めてアキレスを亀に追いつけなくした
といった詭弁に捕らえられがちだが、そうではない
もし時間が無限小であれば矛盾がおこる
つまり時間は無限小ではないという主張であり
時間に限らず世界は全て有限小から構成されているということをいっている 数学学んでいる人で、この定義を否定する人は知らないけどなあ。 数には大きさが無いとピタゴラス学派が主張したからこそのパラドックスです。 此処から此処まで、なんてのは身の回りのどこにも無いし。 このパラドックスの成立の詳細は「ゼノン4つの逆理」山川偉也氏の本を参照すればいい。
この逆説がどういう問題なのかを述べている。
何が問題なのかがわからないとね。 数には大きさが無いという定義は競技場の逆説、つまり最小単位は実在しないということを示したので
それを受けての数の定義だけどね。
ピタゴラス学派は世界は数で出来ているという思想。
では大きさの無い数で世界ができているのなら、こうなりますがよろしいでしょうか?ということ。
つまり世界は「一」であるとする師匠パルメニデスの主張の擁護がこの逆説ということでそれ以外ではない。 上にも書いたけど、この逆説がどんな問題なのかさえもはっきりしていなかった。
それを明らかにしたのが山川氏の労作だから、それを踏まえないと議論にならない。 自然は数では出来てはいないが数で理解しなければならない。
この逆説は数で理解できるから数でできているという理解を否定したとも言える。 地動説というのは、座標原点は理解には必要なんだが座標原点は実在しないことを示している。
地球も動いているから。
対象の理解に必要なものが実在するとは限らないということを示している。 自然科学というのは自然が無矛盾だから成立するんでね。
自然科学は一貫して静止を否定している。
地動説は座標原点、つまり静止は実在しないということだし
進化論は自然は運動変化の生成過程として人間自身もまたあることを示している。
光速度一定の原理は運動しないなにものも自然には実在しないことを示している。
認識には対象と認識主体が必要なんだけど、科学においては認識主体は認識対象に解消される。
つまり自然には対立否定関係など無いということ。
運動は静止で
無限は有限で
有限は無限で理解される。
定式化すればAはAの否定で理解される。
クレタ人の逆説は、実はこの理解の在り方の自己言及ということになる。
わたし、と定義しても同一としてのわたしは自然には存在しない。
つねに運動変化しているわたしを、同一として捉えなければならない。
眠くなったのでとりあえずここまで。 近所のマツモト・キヨシでは税込み88円でレトロカレーが購入できるんだが買いかなあ?
カレー職人だったかな。
いつもは野菜の具を沢山入れたスープと豆腐、卵、肉、魚などの交代で食事。 >>69
歴史の話になるんやけど、調べた結果
ピタゴラスは,長さにはそれ以上『分割不可能な最小の長さ』があると考えた
『その最小の長さが点』であり,線分は点の集まりであると考えた
ここまでゼノンとピタゴラスは大まかに同じ考え
『ゼノン4つの逆理』によると
「「部分をもたぬ点」なるものは,どうやら,パルメニデスに「しっぺ返し」しようとした第二世代ピュタゴラスの徒の「窮余の一策」として成ったもののようなのである。」
というわけで、時系列的にまとめると
ゼノンのパラドックスが出た当時、ピタゴラス学派に大きさのない点という考えはなく、パラドックスも批判に当たらないと考えるのが妥当 カレーは母が作ったSBカレー粉から作った味が懐かしい。
ジャガイモが大きくて。
もう味わえないんだよなあ。
レトルトだとなんか違うんだ。
家庭料理としては母は美味しい料理を作ってくれたが、姉たちもそこそこ美味しいとは思うが
本人たちも認めるようにとうてい及ばない。 わたしも調べてみますが、大筋では間違ってはいないと思いますよ。
では瞼がふさがりそうなので、また。 今読み返したら>>61でアンカー誤爆してるわw
メンゴやで さて、ゼノンに話を戻すと第1〜第3までのパラドックスについては
じっくり考えれば、世界を構成する物質が有限小である事でパラドックスは解消する
未だに解けてないのは第4のパラドックスで、説明は面倒なので知らない人はググってもらうとして
第4のパラドックスは有限小の物質間の移動により無限小の時間が発生する つまり第1〜3で有限小を納得させ、第4でそれをぶち壊すというオツな構成になっている
相当に頭のいい人だったと思う ゼノンのパラドックスについて「真摯に」検証しようとしているサイトは第4でつまづく
第4のパラドックスを解消するには最小物質のモデルまで踏み込んで考える必要がある
ゼノンも答えを持ってなかった 第4を解決する唯一の最小物質の構成は粒子ではなく絶対座標
絶対座標の変化の伝達により粒子(として認識される)の移動を実現することにより
第1〜4までのパラドックスはすべて解消する ちなみに現代においても、量子は粒子と波の性質を併せ持つ…としかいえてないレベルだが
量子も上記の構成によって合理的に説明ができる ではわたしなりの解決案を。
競技場の逆説で最小単位の実在が否定される。
数には大きさが無いとする。
そう仮定すると運動が不可能になることを亀と1/2の逆説で証明する。
次に飛ぶ矢の逆説で、空間の一点に存在することだからそれは静止であるとする。
数も存在も実は自然理解の在り方であるというのがこの逆説の解決策である。 まず自然科学から自然の在り方を導き出してみよう。
地動説、進化論、光速度不変の原理は自然はどこにも静止するものは実在せず運動変化の過程にあることを示している。
静止するものが何も無いとすれば、それは量子力学の世界観である運動するエネルキーの濃淡の海であることを示している。
観測問題は粒子を波が渦を呈している状態と理解する、古代ギリシャ、十九世紀の英国の科学者
ブリゴジン学派の理解はこの自然から支持される。
ここで飛ぶ矢の逆説を考えてみる。
わたし、という規定は同一としてある。
しかし自然は運動変化するから同一としてのわたしは実在しない。
これはすべてというか宇宙もそうである。
運動は静止によって
無限は有限によって
有限は無限によって理解される。
非同一は同一によって、つまりAはAの否定で理解される。 >>88
数と存在が自然理解の在り方でもえーけど
じゃ実際の自然はどうなってると考えてるの? 存在という規定自体が実は静止としてある。
つまり飛ぶ矢、運動は静止で、つまり否定として理解しているということであり
この逆説は理解そのものの本質を示している。
クレタ人の逆説もまたAをAの否定で理解しているからこそだ。
運動は静止で理解されるから、ヘーゲルは存在すると同時に存在しないことと運動を定義する。 まだやってんのか。
アキレスと亀を実践する為には、時間の速さを操る必要があるんだけど、どんなテクノロジーでそれが可能なの? ここで生物学の分類について考えてみたい。
男と女は否定関係で理解されるが人間という同一で理解される。
生物も個々は否定関係だが、生物としては同一で理解される。
ウィルスは生物と非生物の中間として理解される。
これも物理としては同一である。
つまりこのことは、自然は差異で存在するが、わたしたちは否定関係で理解するということになる。
生物学は自然は一なのだが、多、否定関係で理解していることを示している。
一は多となり、多は一となる。 自然は運動するエネルギーの濃淡の海としてあり、その生成過程としてあるだけだ。
一であるが濃淡があり、質的な差異があり、それを否定関係で理解する。
一を多で理解しなければならないが、そのことは自然が多であることを意味しない。
科学は座標原点、静止の実在を否定し、運動変化の生成過程にあることを示している。
この逆説は次元の否定でもあり、時間は多で理解するからこその次元でしかない。
つまり時間など実在しないのだと。
ポーは無限宇宙だとすると重力で潰れてしまうと否定した。
しかしそうでは無い。
自然は一としてただ在るだけで、無限である。
AはAの否定で出来ているわけではない。
有限で理解された重力が無限に在れば、そうではあるが、無限を有限で理解しているだけであり
有限で構成されているわけではない。 >>94
無限大と無限小をごっちゃにしたらいかんよ 自然という対象を存在を前提にして理解する。
科学の発展の過程で、自然は運動して静止などどこにも実在しないことがわかり
存在という前提自体が静止であることが理解される。
飛ぶ矢の逆説はこのことを端的に示している。
つまり運動する自然をわたしたちは静止で理解しなければならない。
次元は理解の在り方から要請されるのであり、実在しない。 数というのは矛盾だ。
それは存在しないものの存在ということになる。
そして理解もまた。
わたし、地球、パソコンは同一として存在しない。
静止として理解された、つまり存在しないものの存在という矛盾でわたしたちは理解する。
対象である自然は無矛盾である、つまりAはAの否定で理解されるという意味で一貫している。 >>95
実証可能性の無い論理を机上の空論と言う。 >>99
君の理屈なら
例えば
数学の証明問題はすべて机上の空論てことになるんやがw >>100
そんな事無いよ。
三角形の内角の和は180°。
ちゃんと実証できるじゃん。 わたしの理解は自然科学の結論から出発している。
何も無くならない、何も生まれない。
自然は運動するエネルギーの濃淡の海であり、次元の実在は否定されている。
この事実からは最小単位は実在しないことを導けるし、量子力学の観測問題、不確定性原理もまた解決可能となる。
運動を静止で理解しなければならないことから不確定性原理もまた導ける。
重力は加速として理解され、他の諸力も〜に成るのであり、〜から成るということが基本として否定される。
つまり自然が生成過程としてあるだけということであるということだけだ。
それで説明できるからそれが実在するわけではない。
重力も諸力も時間もそれで説明しているだけで、実在するわけではないる
自然科学の基本法則からそれらは導ける。
自然は無矛盾であり、ゼノンの逆説、カントの二律背反、光速度、量子力学の諸問題は
理解の在り方から解決できる。
ヘーゲルの運動規定は理解の在り方からすれば当然であるということになる。
クレタ人の逆説もまたそのようものとしてある。 >>101
ポアンカレ予想とか、宇宙のすみずみまで飛び回って確かめるんかんか?w
フェルマーの定理は無限に自然数足して確かめんと実証でけんで 三角形の内角の和にしても全ての三角形を検証できるわけではない
少しずつ角度を変えた三角形が無限にできるんやから わたしが生まれました。
現実には物理的状態の変化に過ぎない。
死もまた。
この事実をどう理解したら良いのか。
自然は何も生まれない、何も無くならないというのなら
それは人間の理解の在り方からの問題ということでしかない。
だとしたら人間の理解の在り方の理解が必要ということになる。
座標原点の実在は否定される。
では座標原点とは何なのか?
あらら、また用事ができました。
今度は時間が掛かりそうです。 >>106
生死も物理状態の変化に過ぎない。って自分で書いてるんやし、そのまま理解すればええと思うが
一体 何を悩んでるのか…
絶対座標は否定されようがないw
何故ならまだ誰もそういったアイデアで理論を確立してないから
ゼノンの第4パラドックスの結論として絶対座標が必要になるって事 >>96
いや、Aの否定を無限に集めてもAにはならないということを言っただけで。
>>107
だから、それが何を意味するかなんですが。
悩んではいません。
とりあえずです。
いろいろと準備しなきゃいけないので。 「自然は運動するエネルギーの濃淡の海」、これが最小単位のケース 物質の変化でしかないんやから意味を求めるのがおかしな話
人間の理解や思考もまた物質の変化の結果でしかない >>109
総体として海でもいいけど、濃淡があり変化するということは海が最小単位ではない
濃淡を変化させるモノが最小単位となる 何も生まれはしない。何も生きはしないだろうという、
究極のプラスマイナスからでもなあ。 >>109
そして最大の単位
>>110
理解するには対象と理解する主体が必要
それは否定関係であり、実在と仮象
>>111
変化させるものは変化するもの自身 ごめんなさい。🍒カレー🍛食べようと思いましたがステーキ食べましたぁー☆
核ミサイル来ると思いましたので >>58
数値だとして、一体何がどのような意味で不可能なのだ?
数学的公理に制限を課さないのなら、そうそう不可能性は出てこないだろうに あー…なるほど、あなた方は「数には大きさがない」が数の定義だと思っているわけか…
これは予想外というか、問題点を指摘するにはかなり準備がいりそうだ 先に結論だけ述べておくと、
大きさがないことは数の定義でも何でもなく、結果的に大きさがないことが分かるだけなので、
そこから数が存在しないことを導くのはトンデモでしかありません うん、数には大きさが無いよね。
どこがおかしいんだい?
理数系スレでおかしいといわれたことが無いけどな。
数学科卒でもそれはおかしいといわれたことが無い。 ゼロ次元には大きさが無い
一次元には幅が無い
二次元には厚みが無い
三次元は運動しない
どこかおかしいかな? 数には大きさが無いという定義を否定する理数系の人いたかな?
この頃の教科書にはそう書いてあるのかな。
教えてくれないかな、マジで。
聞いたことないんだ。 定義を否定している教科書具体的に書いてくれれば良いから。
あなたが言うだけではどうもね。 じゃ、書名書いておいてね。
明日の朝になったら、それをメモしておいて探すから。
頼みますよ、正統派さん。 理数系とは二十年ほど前からさんざんやりあったんだけど、この二十年に定義が変わったとは聞いていないし。
今世紀に入ってからも否定した理数系いないけどな。
いや初耳というか寝耳に水というか。 >結果的に大きさがないことが分かるだけなので、
>そこから数が存在しないことを導くのはトンデモでしかありません
数には大きさが無い、大きさが無いものを無限に集めても大きさは・・・
どこがおかしいのかな?
だからこそのゼノンの逆説じゃあないのかな。
座標原点なんてどこにも無いということは、自然が運動するエネルギーの濃淡であることを導ける。
ここからここまで、なんてのはどこにも無い。
有限は指示しえない。
実在しないから。
生物学の分類は差異を否定で理解していることを示している。
そして物理学もまた自然はエネルギーの濃淡の海であり、その生成過程にわたしたちの在ることを示している。
運動を静止で理解するからこその数でしかない。
数など実在しないのだと。
無いものはやはり無い。
対象を存在を前提で理解する。
存在という規定は静止であることを飛ぶ矢の逆説は示す。
この逆説は運動を静止で理解するという、理解の在り方の端的な指摘だ。
AをAの否定で理解して自己言及するとクレタ人の逆説になる。
ヘーゲルが規定するように、運動とは存在すると同時に存在しないこと、ということになる。
ゼノンの逆説は、世界を数で理解しているのだが数で理解しているわけでは無いということを示し
また理解の性格を指摘している。 二律背反もまた自然とその理解の在り方を示している。
理解が終始を要請しているだけ。
光速度もまた、自然の在り方と理解の在り方を端的に示している。
量子力学の観測問題は粒子は波の一形態であることを示し
また不確定性原理は運動を静止で理解するからこそであるのだと。
重力概念はライプニッツはニュートンのそれに疑問を呈している。
重力は加速であるのだとすれば、重力は解消できる。
他の諸力は〜に成るということであり〜から成るのでは無いのだとすれば解消できる。
つまり自然は運動するエネルギーの濃淡の海であり、すべてはその生成過程として在り
わたしたちもまたその生成過程として成った、つまり誕生し、また他の何かに成る、つまり死ぬということでしかない。
自然科学は対象の自然が無矛盾で無ければ成立しない。
宇宙はただ在り、何も生まれない何も無くならないということであり、自然は無限であり
その基本法則は終始は理解は必要なのだが、実在しないことを示し、ビッグバン仮説を否定している。
最小単位はやはり競技場の逆説が示すように実在しない。
量子力学も光速度もまたそのことを指示、支持している。
自然はやはり無矛盾、つまり自然科学は成立するのだということだとわたしは理解している。 宇宙背景放射は天文学者が違う理解が可能であることを指摘していて
スムート博士もまた否定できないとコメントしている。
古くはアープがビッグバン仮説では説明できないと理解できる天文観測をしている。
アープはそのせいでアメリカからドイツに追放されるが、じつはその理解そのものは
未だに否定できていない。
科学者は十九世紀に火星に運河を「発見」している。
実は科学者が自ら発見したものを正しい理解しているとは限らないことは
幾つか指摘されているし、天動説はその最たるものだろう。
わたしはやはり自然科学は自然が対象であり、自然という対象を否定したら成立しない
つまり自然は始まらないし終わらないのだということになると主張する。
理解する対象が非自然ということになると自然科学ではなくなる。
現代科学はやはり科学の科学たるゆえんに還るべきなのだとわたしは主張する。 認識には二つ必要だ。
自然科学の場合、客体と主体だろう。
それは否定関係である。
対象を存在と規定すると、無で理解する、つまり有と無ということになる。
AはAの否定で理解される。
科学は主体が客体の一部であることを示している。
地球は天体の一部、人間は生物の一部、座標原点、つまり理解には必要では在るが自然には実在しないことを示した。
無など実在しない、つまり無いものは無いという無矛盾が証明される。
AをAの否定で理解し、そのことに自己言及した場合に逆説が誕生するのだが
それは解決できないし、また解決すべきものではないとわたしは主張する。 自然は運動するエネルギーの濃淡から成り、すべては〜に成るだけだ。
次元も時間も自然の在り方を理解するために必要なだけ。
重力も諸力も違う理解が可能であり、この自然観では必要ではない。
そして最小単位など無い。
自然は無矛盾であり、単純である。 不完全性定理もまた有限を無限で理解することの自己言及であるのだとわたしは理解している。 >>126 訂正
>ゼノンの逆説は、世界を数で理解しているのだが数で理解しているわけでは無いということを示し
また理解の性格を指摘している。
→ゼノンの逆説は、世界を数で理解しているのだが数でできているわけでは無いということを示し
また理解の性格を指摘している。 現代科学はある意味とても面白いが、それはピタゴラス的理性の成れの果てのSF小説的面白さだろう。
わたしにはその光景は混乱の窮みとしか思えない。
先週のフリーマンの番組もある意味とても楽しめた。 今、現在には幅が無い。
在るものを無という否定で理解する。 わたしの主張は、科学が証明し確認し続けている基本法則から演繹した無矛盾な自然観ということでそれ以外ではない。
そうすれば、ゼノン、カント、ヘーゲル、光速度、量子力学、不完全性定理の合理的な理解が可能となるということ。
わたしが若い時に遭遇した問題が解決できる。 世界に数字が実在しないわけではない
世界に無限小が実在しなくても例えば、
無理数の『近似値』が存在すればそれで事足りる
全ての近似値を満たす小ささの単位で世界が構成されていれば、ゼノンのパラドックスは全て解決する
ゼノンのパラドックスが解けないからといって、なんの代替案もなしに全否定をしても何も生まれない テレビの線が切れましたので見れない。🍒
ミサイル来たらどうしょう!⤵
昼はビクビクしながらチキン弁当食べましたぁー😹 今から寝ますので✨
ミサイル撃ちませんようにお願いいたします✨ 今、ぉ店です😿テレビ見てないのでわからないですが、ミサイル撃ちませんでしたよね?✨ あそこは既に焦土でここは浄土
あんたの次のロールはクックローチだってばよ
既にギトギトに黒光りしはじめてるよ 「詩人の恋」シューマン放送中
久しぶりに聴いている。
美魔女さんにお勧め
シューマンのピアノ曲とかお勧め
NHKの名曲アルバムの「トロイメライ」の幼児♂が乳母車を押している場面は
ゲルマン民族らしい顔つきだが可愛い。
二十年位前のクライスラー「愛の喜び」の中の女の子が大きな犬の
リードを懸命に引っ張ろうとするのだが逆に引きずられている場面は思い出しても笑える。
初めての緑 歌曲
ドイツは五月が初春で雪の中から草が芽吹くみたい。
ハイネの詩の中の五月はそういう想いがあるとのこと。
裏の樹木が枯れそうで枯れずに新芽が出ていて希望を感じた。
大家が木の根元を切っても切っても出てくるんで諦めているみたいだ。
もう十八年目になる。
人間が滅びたら木々と草花に都市が覆われるというのがわかる生命力。 人間は自然の運動変化の過程で生成されまた違う何かに生成されていく。
ただそれだけで、その中で木々や草花がそうであるように自分なりに生き抜けば良い。
自然の中ではヒトは特別ではないが、やはり特別だともいえる。
みなある意味で違っていてまた同じなのだろう。
自己の中の自然、自然の中の自己としてあるだけだろう。
普遍的な生きる意味など無い。
生きる意味は自分だけのものだろう。 今日は公園に両親の遺影をもって葉桜を観にいった。
時々花吹雪が舞っていた。
若いお母さんが走っていく子供たちの背中を追いかけている。
幸せな時なんだろうなあ。
お母さんはこの思い出だけでずっと子供たちを育てていけるのかもしれないと想像した。
子らが駆け
追う母の背に
花笑う 明日は焼け野原にこんがり焼けた焼肉一杯
セシウム一杯の雨水たらふく飲んで乾杯
お店に焼き付いた美魔女の影万歳
生きた証焼き付いた影だけ完敗 無限は人類には早過ぎるとあれほど言ったのに…
バカな奴らだ
君達は無限を想像出来ない
未開人が両手で数を数えられなくなったら一杯と表現するのと無限は同じなんだよ
どんだけ頑張っても100均の電卓にすら人類の計算能力は足元にも及ばない
そんなチンケな脳味噌で無限を語るのは愚かだと何故気付かないのか? 一昨年くらいかな、十二月くらいに散歩の途中の小さな家の玄関の横にかぜは直接中らないのだが
やはり寒いのだろう小屋も無く大きな犬が壁にひっついて丸まっていた。
いつも通り道なのに突然という感じでそこに。
あまり手入れがされていないのはすぐわかるし、老犬という感じだった。
二ヶ月も経たずにいなくなったが亡くなったんだろう。
壁には犬の背中の痕が残っていた。
わたしも犬を飼っていたが、晩年の愛犬にそっくりの丸まり方だった。
フィラリア予防もできない時代だったのでたぶん十歳をちょっと出たくらいだと思う。
甥っ子が愛犬の死でわたしが泣いていたと言っていたが覚えが無い。
精一杯可愛がったのでそれほど悔いは無いのだが。
壁にしるされた痕をみて老犬の飼い主は何を思うのかな。
ヒトという種ももこの老犬の壁の痕とそんなに変わらない気がしないわけでもない。 ゼノンは無限には手を出すな、ということを語っていたようだけどね。
わたしもそう思う。 >>151
貴方はアスペルガーですか?😆
ちゃんと前頭葉を使ってくださいね✨ 安心してくれ
君は小物だ
犬と人が一緒だと思えるほどの大物じゃない
見栄を張らず等身大で わたしは自分を知らないし、他人もわたしを知らない。
他人をわかるほどの人はここにはいないだろう。
自己を知る人もまた。
そんな人はここには来ない。 雨なのにうちのお店はお客様どんどん入ってるよ♪不思議です😿 他を知り己を知っても腹が減ればメシを食う
孫子も自他を知って尚勝つ為に戦争しろと言うのだからここに来ないと言う道理はない
全くない
負け惜しみも大概にしなさい
小童 >>152
あいつ、なによ❗
この話し感動したのに✨ >>119
ぉぃぉぃ…
それが定義だと思ってるっちゅーことはもしかしてユークリッドの原論を参照してるのかよw
あり得ないだろw 古典を尊重するのはいいけどさ
そこで停滞し続けるのは違うだろw >>118
数学板で
「点の定義は大きさがないことで合ってますよね?」
「線の定義は幅がないことで合ってますよね?」
って訊いてみ
たぶん俺と同じ反応になると思うよ 感動も無限大に広がれば絶望と変わらない
感動した思い出が絶望を際立たせる
だからアルコールとニコチンを浴びて脳細胞から思い出を殺す
良いことも悪いことも 現代が働く意欲がないのは
食えなくなる危機がないからである 動物は食えなくなるまで動かない。
働く意欲とは何か。
そもそも働くとは何か。
それを知らずに語る愚者一人。 >>118
いいか、数学板で尋ねるんだぞ
物理板住人の数学の基礎的な部分の理解は哲学板住人と大差ないから、
アンタが昔話し合ったという理数系の人達だってその点に関しちゃ余りアテにならんかもしれんぞ 働かなくても飯が食えるのであれば
動物でも同じ反応をする ではベンチャーの起業家は何故人一倍働くのか。
君は質問の意味すら知らずに語っている愚か者。 君が働きたくない理由は何か。
君が働き出した理由は食えないからではない。
つまり食えるから働く意欲が出ないなどといってもそもそも働き始めた理由は食う為では無かったのだ。
ならば働くとは何か。
なんで働き始めたのか。
まずはそこから考えろ。
ばかたれ。 豚のくせにどんだけ出来ると思い込んでるものを抱えてるのか >>178
小僧ぉ…
かかってこいヤァ!!!
チンカス小僧!!!
俺は逃げんぞ!!!!
ぎゃははははははははwww 豚のくせにどんだけ出来ると思い込んでるものを抱えてるのか だからあ、数学科卒も議論に加わっているんだよ。
もう二十年近いんだ。
そっちが聞いてきなさい。 とりあえず立場を鮮明にしておいただけで、議論はさんざんしてきたんでやらない。
批評ばかりしていないで、自分の考えがあれば纏めてみれば?
自分の考えがあれば、の話だけど。 僕に言えるのは無限は語れず想像出来ず
宇宙が有限か無限かもわからず
でも犬は犬
人は人
どれだけ遠大に語っても実感がない事を嘯いていると見做される 僕は数字を一度に10個しか覚えられない貧弱な記憶力しかない
それで無限を語るなんておこがましい だからあ、君が嘯いていると見做しているだけだし。
生物学の人も議論に加わっているよ。
そこでいろいろと納得してもらったりする。
時間の非在もわかってくれた。
科学雑誌にも論文掲載しているし、今は旧帝大の準教授やっている。
それなりの論戦は踏まえての自論だし、理解するつもりの無い人は面倒だからやらないことにしている。
そういう人は何人かいて経験済み。
良いからワンワン吠えていないで、自論纏めなさい。
今は改訂の改訂版書いている最中だから、終わったらまた来る。
正直、どこで議論しているのかわからない人が時々いる。
説明も面倒だからする気は無いし。
じゃ、みなさん、互いに自論を深化させ進化させてまた議論しましょう。 >僕は数字を一度に10個しか覚えられない貧弱な記憶力しかない
大丈夫。有限な数はどれほど大きくても、無限に対しては限りなく小さくなるのです。 >>189
他が納得したからなんだ。
何の妥当性もない話だ。
根拠にならないことで誤魔化すな。
ハゲ。 >>187
それもまた人間の平安の深く隠された根拠です🍒💗 >>192
続き。💗
これ見て美魔女さんはすごい、一体、何者?ってならない人は生きていく必要無いですね😁 >>194
ヤッター!⤴
一ポイント上がっちゃったぁ!🎉 無限は実在論じゃないよ。
有限の方がそれに近いかと思う。
空 スペース 般若心経じゃないけど、
殆んどの無が実態ではなく、殆んどの有が実体ではない。 >>196
だよね✨
そこがわかれば飛躍できるもんね✨ スレ止まらしてしまいましたね。😿
本当にすみませんでした✨私はスルーして下さいね✨ 不完全性定理ってのは理解ということ自身は理解できないということ。
自然科学の対象である自然自体は矛盾しない。
これは光速度不変によって証明される。
つまり理解可能だと。
しかし理解自身は理解できない、というのが不完全性定理。 > 不完全性定理ってのは理解ということ自身は理解できないということ。
> 自然科学の対象である自然自体は矛盾しない。
> つまり理解可能だと。
> しかし理解自身は理解できない、というのが不完全性定理。
なぜ理解できるのかは理解できない、というアインシュタインの詞がやっと理解できました。
そして自然は無矛盾だが論理自体はどこにも無い。
それはただ在るのだと。
そして在る、という規定はヘーゲルが語るように鳥と鳥もちの関係である。
在るは前提である。
自然科学はそこから始まり、在る自体は問えない。
やっと終わりになりました。
そして学が始まるのです。
学はその始まりを求めて、つまり始まりの自己言及なのだと。 > 在るは前提である。
>
> 自然科学はそこから始まり、在る自体は問えない。
しかしこれは当たり前のことです。
対象の自然には論理は無い。
存在と前提して理解する。
対象が運動であり、存在は静止が本質であり、運動は存在すると同時に存在しないこと、という規定になる。
いや、そういうことなのです、そういうことなのです。 父が亡くなったのは九十六年で、わたしの長年の疑問の解決が端緒に着いた年でした。
それが終点に着いたのは母が亡くなった年です。
二十年余りになります。
わたしの論理が産声を上げ、それなりにはいはいが出来たときにつきあってくれた如水庵のみなさんに感謝します。
本当にありがとうございました。 > 学はその始まりを求めて、つまり始まりの自己言及なのだと。
学の始まりを求めた旅はここでおわりを告げます。
そしてここから学は始まります。 雨は止み、風が少し強いです。
ねらーたちに教えてもらったコーヒーの淹れかたで三杯つくって仏壇に供えました。
母が最後にカップで飲んだのは十月の終わりでしたか。
夜の十時近くに、コーヒー飲む?と聞くと、うん、と答えます。
こういう時の母はとても可愛い。
今飲んでいるコーヒーの淹れかたで飲んで欲しかったなあと思ったりします。
父母の年代はコーヒーがとても好きなようです。
わたしを産み、支えてくれた両親にはこれで恩返しが出来たような気がしています。 今、バッハ弓が手に入った気がします。
シゲティのシャコンヌの演奏は感動的ではあるがぎこちなくあり、現代弓の問題を露呈している。
ハイフェッツは現代弓でさえ、技術があれば軽がると演奏できることを示していますが、天才のそれであり、凡才たちには酷な要求でしょう。
バッハ弓はそれほどでもなくてもシャコンヌを比較的無理なくそして軽やかにシャコンヌを響かせる。
わたしは、わたしたち凡才には重々しかった学問を軽やかに演奏できるバッハ弓が欲しかったのです。
それを手に入れるための端緒についたのだという手応えを感じました。
今朝の気分はとても晴れやかです。 >わたしの論理が産声を上げ、それなりにはいはいが出来たときにつきあってくれた如水庵のみなさんに感謝します。
はいはいしているわたしの論理に介添えして立ち上がらせてくれたオカルト野郎さん、そして自信をつけてくれた三沢さん
意地は悪かったけど、辛抱強く付き合ってくれた晴明さん、そしてドタバタと時々音を立てて暴れたわたしを追放しなかった庵主。
いやはや、本当に世話になったのに、わたしは相変わらず恩知らずです。
そのうちにわたしの論文を未熟な形ですが、お届けできるでしょう。 > 父母の年代はコーヒーがとても好きなようです。
仏壇に供えたコーヒーを飲みました。
母のコーヒーは砂糖を匙二杯半ぐらい入れます。
いつものように入れたのですが、わたしは匙半分くらいの砂糖ですので
飲んでから、甘いなあ、甘すぎると飲み干しました。
一番下の叔母は母が好きで、会うといつも母にコーヒーを奢り、また母の腕をとって一緒に居たそうです。
わがままだったそうですが、なんか憎めない叔母でした。
母がどっさりという感じで砂糖を入れるので、叔母は呆然と見ていたそうです。
母が大叔母の話をしているのを思い出しながら、ああ、こうやって月日は流れていき
わたしもまた母、大叔母さんたちのように消えてなくなっていくんだなあとつくづく思いました。
それで良いのでしょう、一生懸命生き抜き、一休さんのように泣きながら愛する人々を見送り、また自身も消えていければ良いのだと。 早朝に最後の輪が繋がった思いがして、書き留めました。
欠けていたものが手に入った、そんな気がしています。 今朝は雨ですので散歩しようかどうか迷ってましたが、行こうと思います。
母を姉妹中で一番愛した叔母は姑には雨になっても傘を出して散歩してもらったと母が話していたことをも出だしてすることにしました。
旦那さんは自分の母が亡くなったときに叔母にありがとうと指輪を贈ったそうです。
その叔母も数年前に亡くなり、その半年後に叔母が亡くなったベッドで叔父も亡くなったと報告がありました。
雨合羽を着て散歩することにします。
母のコーヒーカップを片付けようとしたら底に溶け切れていない砂糖がけっこう残っていました。
全部溶かしていたらどんなに甘いことかと苦笑しながら洗いました。
人は感情の生き物です。
科学もまた自然を理解したいという感情から出発しています。
ここでも論理を感情的に振り回す人々がいることからもわかったりします。
そして自然はそれと関係なくわたしたちを産み、また他の何かに変えていきます。
生存本能は死を忌避しますが、手塚治虫の「火の鳥」は不死は業苦なのだと語ります。
つまり生きるべくして生き、死ぬべくして死ぬのが良いのだと言っているのではないかと。 わたしは悟りたかっただけなのでしょう。
宗教ではなく、学問によって。
それなりに出来た気がしますが。 それが君の知性の限界って事。
大抵の人は老いとも言うが。
そういう歳になったのさ。 雨が小降りになっていました。
合羽はいろいろ情報遮断するので気を遣います。
吉本隆明さんが「言語にとって美とはなにか」で、勝利だよ、勝利だよと記していて
同級生が苦笑したと話していたことを思い出したりします。
当時の古本屋街に行きたくもあるのですが。
ある古本屋で「試行」を売っていて、そこの店主が交通事故にあって亡くなったことを後年吉本さんの本で知りました。
少し坂道を下ると特徴的な古本屋があり、さらに下ると大江健三郎さんが書いて
中央公論の社長の家のお手伝いさんが右翼に殺された小説を小冊子にして売っていた古本屋もありましたが。
もう無いんだろうなあ、たぶん。
近々行く予定がありますが、行きたいような行きたく無いような。
途中にマクドナルドが出来ていて、二十年以上前に食べたのですがやはり不味くて
近くの学食屋で食えばよかったなあと思ったりしました。 建物も洒落たものになっていた「柔侠伝」の雰囲気がまだあった街もまた消えていっています。
その建物もまた前の町並みを駆逐したものなのでしょうが。
芥川龍之介が随筆で生まれ育った町を描いていて、その風景を変えた町並みがわたしが懐かしく思っているものなのだと
当たり前のことに思い至り、少し笑ってしまったことを思い出します。
母が亡くなった四十九日の間のことでしたか。 訂正
>建物も洒落たものになっていた「柔侠伝」の雰囲気がまだあった街もまた消えていっています。
建物も洒落たものになっていて、「柔侠伝」の雰囲気がまだあった街もまた消えていっています。 十代後半から、勉強とは、学問とは、人間とは、とかいろいろとわからないことだらけで煩悶錯乱していた時です。
それなりの結論が出ました。
どうか後世の人たちはこのようなことで悩まないようにと思ったりします。 無限は手を出せないというゼノンの忠告をわたしは守ろうと思っている。 この歳になるといろいろと人の行動原理がわかった気になってきた。
父母もまた歪みは在るけど、俺たち戦後世代よりはすこぶる健康だと思える。
姉妹をみていると戦後の価値観をもろに受けての、自分の性格などからくるその反応形態なのだと理解できるようになった。
父母の健康さはやはり受け容れなければ、わたしを含めた姉妹は根無し草のままではないかなと思い始めた >>217
確かにね✨
私くらいの腕前が無いと皆さん(日本の殆どの人)奈落の底に落ちちゃうよねー✨
だから有料💴の区別してるところは私は書かないんですよ♪無駄になるし😺
てか、今から過程説さんの読んでほのぼのしょっと*〜◆ >>216
悩まないと考えないと人間じゃなくなっちゃあう👶 100均以下の計算能力で無限とはね。
勝手にほざいてなさい。 >>223
だから無限は実在と違う存在と言ってたでしょ✨
貴方はきっと発達障害ですよね✨
勝手にほざいてなさーーい☆👅 >>223
忍法畳み返しの術が昔は本当にあったのか、貴方の知能では、きのこの山って人は一口で食べるのか、食パンマン🍞の顔が何枚切りなのかだけ考えながら生きていくことをお勧めします✨ この婆がいってるのは1972年版のラジオのほうであるのダ >>217
んー、で、結局、無限は実在するの?
「宇宙の終焉」に関して言うなら、無限だという人も数多くいるわけで。
無限があっても、おかしくはないと思うけどな。
科学的実在については、いろいろあるだろうけど。
極端に自我の中に引きこもるような思想を採用しない限り、実在を認識論的に
許される範囲内で定義した上で、そのような実在として、「無限」を認めても
おかしくはなさそうだけど。 >>232
無限は仮に実在しても、実証ができない。
逆に現在、有限である事が証明できない物は、実は無限である可能性がある。
例えば時間とか。 >>232
無限を有限で理解するしかない。
有限という鳥もちで無限という鳥を理解するしかない。
自然という対象は無限です。
無限は先験的に在る。
それは有限の形で現象している。
科学はその有限で理解するしかないが、有限の実在は否定される。
鳥もちで鳥を捕らえるが、鳥もちを取ったら鳥は逃げる。
鳥もちは人間の認識です。
自然はただそこに在る。 わたしたちは差異を否定で理解する。
人間という理解もまた否定です。
それは自然の運動変化の生成過程としてある。
それは常に非同一としてある。
それを同一で理解する。
であって、ではない、ということになる。
わたし、と理解することは運動していることを捨象している。
それは必要なのだが、それはそのままで捉えていないことを意味している。
自然の存在形態は運動だから、すべてのものは、であって、ではない というわけです。
自然を静止で理解する。
自然は存在するが、その存在という規定は静止ですから、自然は存在するという規定は否定される。
しかし、そうなると存在しないということに成るから、それも否定される。
クレタ人の逆説と同じということにとなります。
クレタ人、ゼノン、カント、ヘーゲルも理解の在り方から考えれば逆説の問題は解決する。
量子力学の観測問題、不確定性原理、数学の不完全性定理もまた理解の性格を示しただけです。
それはなんら解決すべき問題ではない。
アインシュタインが理解すること自体は理解できないという箴言はこのことから出発して理解するべきでしょう。 今日は今から用事があります。
というか暫くこないことになりますが、とりあえずです。 まだ六誌ですか。
あと十分くらいは大丈夫です。
仕度はしてありますので。
これからは多読ではなく精読かな。
いろいろな面で精読したいものです。 現代科学はまだまだわからないことだらけなのに、と学会のような現在の科学の在り方を固定するような態度は至って科学の発展を阻害するでしょう
ある人は現状の科学界を日本がリードしていることにかつての電機業界と重ね合わせて危惧しています。
変革があった場合に取り残される可能性があるのだと。 基礎が確立するまで、ファイアアーベントが語る究極の無政府状態を科学は容認すべきだというのは理が無いわけではない。 後世はこの時代をどのように裁断するのかは楽しみですが
それは当然わたしたちは知ることが出来ない。
現状のままでいくとはわたしなどにはとても思えないわけです。 とりあえずはわたしは自分の目的は達成しました。
基本学問は人間の考察であり、そのことを出発点に自分の生き方を決めたい。
そして周りの人の生き方、生涯を肯定したい。
それはわたしの中では成し遂げたつもりです。
ある意味もうそれで良いんですが、それを伝えたくはありますので生きている限りと思っています。 無から有は発生し得ないし、有は無になり得ない
健在 有であるということは、永遠の過去から永遠の未来まで存在し続けるということ
『永遠』を無限と捉えれば無限は実在する
無限には無限小と無限大があるが、絶対値としての無限小は論理的に成立しないため、実在しない
無限大は実在してもしなくても論理的に矛盾は生じないが
世界が有限の大きさであるとして、その相対としての無は有といえるか?という問題については、無が認識不可であり相対自体が発生し得ない(認識可能な無は無ではない)
つまり世界の大きさが有限か無限かはわからない 永遠は実在する
無限小は実在しない
無限大は実在するかしないかわからない 証明できない無限の有効性で意識も在るという現実からすれば
人が肉体で実在としている以上無限も実在しているともいえ
目に見えないから空間は実在しないという立場をとる人なら
無限も実在しないとも言うかな。
「すすねょかくでたごていきうすやあたもとはし」
こう言われたら何を言っているのか論理的に意味不明だけど
並べ替えれば論理的に意味が通じるように
論理でいうなら、無限は無限という形式だね。
点が線となり形作られ音となり、文字の羅列としての形骸は
無限の形式を経て有言となり文章として実在できる。
「きょうはとてもあたたかくすごしやすいですね」 >>244
無限が有限のプロセスだからこそ
無限に実在することは不可能でも
有限に実在する可能性を有するんだよね >>202
どちらかと言うと存在が運動で対象が静止だぉ😉 過程説さんも波平さんの哲学もら突っ込みどころは無限にありましゅが、どちら様と純粋で素朴でとても可愛い哲学でしゅ💖人間性が出てて可愛い💠私からしても嫌いではないし、否定と感謝の矛盾する想いがありましゅ🎉 >>255
訂正
もら→も
どちら様と→どちら様も💓 >>247
概念としてあるから実在するとか言い始めたら神でも悪魔でもなんでも実在することになるから
『実在』や『概念』いった言葉の存在意義はなくなるから不毛 >>256
誤字を訂正してもお前の言っている意味はわからんわ >>202
あるは前提→最後には、なくなっちゃうから前提になれないんですよ😿
自然科学は機械的ですから、尚更✨
パラドックスで頑張っても最後は、なくなっちゃう👶 >>202
在る自体は問えないんですか…
では、何故それらを疑わなかったのですか?🐧 自然の一性はやはりグルーのパラドックスというパラドックスを持ちましゅ👶 初めから法則が無ければいくら科学で探究研究しても答えはありましゅえん🙅 >>246
永遠は実在するってウケるんですけど😊
永遠とは果てなく時間を越えて続く事よぉ。
永遠は終わりが無いです。貴方は延々と間違えてるでしょ✨ 過程説さん気にしないでね✨言語の遊びをしてただけですから😉
仮説推論を攻撃しただけです🍒
また勉強して人間に応用を利かせて下さいね✨ 学術さんに言えって脅かされちゃいましたぁ。😿仮説説さんごめんなさい✨ >>236
あなたが、それで納得されるのなら、別に構わないのですが。
人間が観察できる範囲は、当然に限定されますので、そもそも、そのような
有限の範囲において、無限が推測されるというのは、「無限」というものに
そもそも含意される当然のことではないでしょうか?
例えば、箱の中に猫を入れます。当然、猫は観察できなくなりますが、これによって
箱の中の猫の実在は、なくなるということは、いかにもナンセンスな話でしょう。
このように、無限は、箱の中の猫のように十分に確かな実在として推察されるものとして、
あり得るように思われますが。
また、あまりに疑いすぎると、自我の中に引きこもることにしかなりません。
そもそも、無限は実在するのかという問いの中に、ある種の推測により、実在するのだろうか、
ということが、当然の前提として含まれているだけですので、そのような実在として、
問題にされているに過ぎないというだけでしょう。 >>277
すみませんでした、私が間違えてると思います💧 >>277
なんというか、止まってる状態(均衡してる状態)とかを無としないのであれば、
まぁ、永遠もあり得るんじゃないですかねぇ。ただ、何もない、「無」の状態も
ある意味、それがずっと続くのなら(それで均衡するのであれば)、永遠であって、
そいう言う意味じゃあ、無だろうが何だろうが、永遠でしょう。単なる定義の問題であって、
もっと言えば、レッテルをどう貼るのかという問題になるだけでしょう。
だって、現時点であなにかはあるわけであって、それが何に変換されようと、仮に無に変換
されようとも、何かあったものが、変わっただけの何かに過ぎないわけであって、そういう意味では、
永遠しかありえないわけですよ。そりゃあ、今何かがありますね、という当たり前のことを言ってる
だけに過ぎないと、私は思うけどなぁ。 >>278
あなた、浅すぎるよ。
彼の言ってることは、ひっきょう、今あるものは、実は無なんですと
言えなければ、結局、成り立たないような話だと思うんだけど。 >>279
上で書いた無というのは『絶対的な無』であって、それ以外の無はあなたのいうように定義次第でコロコロ変わる
絶対的な無であれば永遠もなにもない
永遠や無という概念さえもない
永遠に無というのは『有である』あなたの概念が作り出している >>282
私の言ってるのは、極論、あなた自身も、当然、そのレスも無いとわないと、
定義次第でコロコロ変わるわけですよ。
そうなると、無であるというものすら、無なんだから、無しかないのね。
逆に言うと、無があるだけなんだよ。
そういうこと言うのって、ほぼ意味はないし、永遠があろうがなかろうが、
無があろうが、なかろうが、どっちでもいいよ。だから、結局、あなたは、何も言えてないに等しい。
そんなことを言っても、仕方がないということで、すでに、大昔に解決されてないかなぁ。 >>283
どっちでもいいこと無いですよ😿
貴方は無しか知らないのではありませんか >>282
>無であるというものすら、無なんだから、無しかないのね。
↑ 論理として成立していない
>逆に言うと、無があるだけなんだよ。
↑ 日本語として成立してない
自分自身で無の定義さえできていない
そりゃ定義もコロコロ変わるわw
>無があろうが、なかろうが、どっちでもいいよ。
↑ どっちでもいいものに必死にレスしている
自己矛盾にも気づいていないw >>279
よく読んだら最悪じゃんこれ、めっちゃ適当ですね✨(/-\*)
ド素人ですよね✨貴方が一番何もわかってないやん!会話になってさえもない。💧
永遠とか無の話しどころじゃありませんね✨ >>279
てか貴方は
永遠とか無とか全然意味わかってないじゃん😂
こんなに脳ミソツルツルの人は初めて見ました✨(/-\*) 2ちゃんねるって人間いろいろ見れて面白いね☆ ごめんなさいね✨言葉悪くて💧
相手に負けた気持ちにさせる言葉ばかり使ってるだけですから気にしないでね✨
有料としてる最高の教えを勿体無くて話す気持ちが無いので
心理的に追い詰める言葉を使ってるだけです🍒
嫌なところ見せてごめんなさい💧 時間は永遠に実在するのか?
論理的に考えると、やはり永遠な気がする。
ビッグバン理論では、空間と同時に時間も生まれた事になってるけど、それだと変かな?
そこで、この宇宙の時刻が定義されるけど、時間はやっぱ元から在った筈だよね。 >>291
流石アリスさん鋭い💘
永遠と時間は別のものですが深い関係はありましゅ。現在の事の時間だけではなくて
充実化して時間を考えられる時、その始まりは思考不可能ですが時間の中に一つの元の始まりをもつし、永遠の生とともにありましゅ🎉 アリスさんの思ってたのと違ってたらごめんなさいね✨でもその二つの時間しか無いのです🍒 時間の正体でしたら私が有料💴として区別してる分野にありましゅ🎉 >>295
ナリスマシ!💦私が知らないことあるわけ無いでしょう 物理学で扱う時間は物質の振る舞いの遅い早いで、観測者の時間の進みも変わる
従って、哲学的な時間や空間を語るのに物理学の定義は使えない
例えば、移動速度や重力によって物質の振る舞いが遅くなったとしても、哲学的な時間は最小単位をもって不可逆で未来に向かって進む
ビッグバンで世界が誕生したわけではなく、世界という定常空間の片隅で起きたのがビッグバンという状態変化なので、それ以前も哲学的な時間や空間は存在する
時間と永遠は別物ではなく、時間の無限の積み重ねが永遠となる >>297
永遠の定義とは時間を越えたものですよ😿
笑われますよ✨いっしょくたにしたらダメ >>297
アリスさんの物理ですね、よく読むと鋭くなかった
貴方がそうやって教えてあげてくれたら助かります✨ >>297
皆さん永遠と延々を勘違いされてる人とても多いですね😾
そんなことでは高校生にすぐ抜かれますね✨ >>279アリスさんに説明したあれは高度過ぎて
伝わらないなぁと思い止まって、ちょうど、いい説明は無いか考えてたところでした✨永遠以外は、素晴らしい説明です🍒 >>304
さっきごめんなさいね✨永遠と延々を勘違いしてるのがわかって否定したなら許す👰 >>297
それの無限と永遠の無限性を混同してはなりません 美魔女はあぼーんするに限る
ただただ胸糞が悪い人格だから >>311
そうですか。
貴方なら何億個の間違えをしてるのかしらん😊 >>312
貴方は日本の高校生のたくさんの人に劣ってるって知りなさいねー✨(/-\*)
貴方はネズミと同じような人ですよ🍒 私が無料の話しは世間で充分、通じる話ししかしてない筈ですよ♪それがわからない皆さんって、人間として成立してませんよ✨(/-\*) 皆さんは永遠と永久を
間違えてるのよね✨(/-\*) >>286
わからんかなぁ。
あなたの言う、「絶対的な無」というのは、はじめから無でなければ成り立たないわけだよ。
だって、有は無にならないんでしょう。何かが「有」るなら、そこから派生したものは、そべて
「有」であって、無にはなり得ないということになる。そうすると、すべてのものは「有」るのであって、
それは、どうなろうとも、永遠に「有」り続けることになるでしょ。
それでも、「絶対的な無」を想定するとしたら、それは、すべては「無」であり、無から有は生じないのだから、
すべては、はじめから、終わりまで、ずーっと「無」であるというしかないわけ。
そうすると、すべてははじめから、ずーっと「有」である、というか、それとも、はじめから、ずーっと「無」である
という2つの選択肢しかないわけ。それって、世の中のすべてに「有」というレッテルを貼るか「無」というレッテルを
貼るかというだけの話であって、全く意味がないわけでしょ。だって、ただ、レッテルを貼るだけなんだから、世界の在り方も
それに対する認識も変わらないもん。だから、そんな「絶対的な無」を想定すること自体、無意味だよね。 >>321
無から生じ得なくても別の場所から有はやってくるだろう。
浅はかなで愚かな考察など止めなさい。
貴方に無限は早すぎる。
もっと身の丈の合った問題から取り組みなさい。
おばかさん。 ググったらわかるかw
論理的な説明もなく、言いきりだけの反論に終始してる理由がようやくわかったわ
サイトに書かれてある事を、な〜んも考えずにただ鵜呑みにしてるだけってことね >>322
は?それ単に移動してるだけじゃないかw
「絶対的な無」とかいうものとどう関係するの?
意味わからんのですが? >>322
たぶんなんだけど、君は、なぜ何もないというわけではなく、何かがあるのか
というような存在論における問題をなんか勘違いして、理解してるだけじゃないかな? >>321と>>322の馬鹿さ加減が かなりいい勝負なんやがw
まさか自演てことはないよね? >>317
なりすましがなりすましって言う意味がない
美魔女を名乗るのは自己責任だから自業自得
馬鹿を晒してる美魔女ってだけw >>326
そういう煽りは、初めてだなぁ。
さて、ここでの議論は、自然過程節さんが指摘しているように、
実在に対する議論の代理戦争になりそうな要素はあるね。
なにせ、人は、無限を無限としてそのまま観察することはできない。
いかなる実験によっても、無限を無限としてすべて観測することは原理的に
できない以上、この意味において、観測結果からなんらかの法則により、
無限であると推測するしかない。そうすると、そのような法則が実在する
としなければ、ならず、そのような法則が実在するのか、という実在に関する
わかりやすい疑問に当然に行き当たるわけだから。
もっとも、実在に対する、疑問をわかりやすく想起させるというにすぎないだけなのだろうけど。 >>328
まず確認したいんやが、無限ていっても無限大と無限小があって
大小つけずに無限無限て会話してる人はなんなんやろ?から不気味なんやかど
無限小、無限大 どっちがわからないっていってるの? >>325
質問自体が間違えてるんだからしょうがないでしょw
アホだなw
間違った問いに答えがあると思ってんの? >>328
>観測からなんらかの法則により〜推測するしかない
哲学的にこの考えかたは根本的に間違っている
観測結果をもとにした推測では認識範囲内の整合性しか保証できんよ
真理は論理で追求するやで >>325
その問いは何故を問い続けるだけで答えの原理は出ない >>333
まずもなにも・・・「無」に対する認識が怪しい。
そもそも、前段の永遠云々の下りが無意味。
だから、いずれかと言えば、無限大の話だが、そういうことじゃない。
後段は、おそらく、存在論から来る誤謬だろうということ。
そもそも、「無」を問題としているにもかかわらず、「無」という概念を
を否定するという矛盾を犯している。
ここで問題とされるのは、この意味で、認識論的に許容される実在としての
範囲での「無」であり、また「無限」もそうなる。ただ、それだけ。
認識不可であるから、無は、無いなどと、意味不明。認識不可である「無」が「無」
であると言っているに等しく、「無」という「無」があるというわけのわからないこと
を言い出している時点で、どうにもならん。ただ、認識できる「有」の相対として、認識できない
「無」があるということにもなりかねず、無は、無そのものであるという何とも言えんことを言っている。
そんなこんなで、そういう言説は、哲学的な意義がないように思われる。 >>335
論理は、そのように考えるべきであるという当為からやってきてるんやで、
だから、当為こそが、最後の過大なんやで、と私は感じるが、
これは、もっぱら、私が専攻していた分野からの偏向に由来する気もするんやで。
なにせ、人がそのように考えるべきであるということは、なぜそのように考えるべき
ということになっているのかという事実から、導き出せないにもかかわらず、切り離すことも
できんのやで、という感じなので、どうにもならん。もうどうにもならんので、寝ましょうか。 >>338
答えの原理なんて、実はどこにもないんだよ。
だから、こうやって、適当にいじくって遊べるわけだけど。
現代哲学となると、ある意味、迷走の度合いが激しくて、手にを得ん感じよ。
そういう意味では、まだ、何とかなるレベルの話しか出ないから、いじくって
遊べてるっていう、そんな感じですねぇ。 >>343
それ、おもろいな〜🙀
俺もやってみよ💕 >>339
333は変ではない、おまえが一般観念と学問上の意味定義を混同しているだけ、
大とか小というのは値であって比較可能なものにつける語尾だ、
そして無限という観念に大小関係の比較などできわしない。
学識学問として扱う喩えは比較可能なものでなければ比喩になりえない。
だが哲学的探求でいうなら観念として定義しえないものを問うのは間違いない。
その区別ぐらいしたら? 無限という共通項で説明すること、
または観念概念で抽象的な位置を示すもの、
その他の無限が取り上げる方法による客体の中での位置づけは
いろいろある、それを俺正義のように確定した断言は愚かでしかない。
この無限とは何かの問いかけでは、主観的無限(ポエム)を言うか、
技術的無限(数値表現)を言うか、それらを掘り下げて無限という何かを
特定しうる方向にするならば、無限の喩えを示すのではなく、無限に対立する
対称する観念やら定義をもって無限の囲いを比喩するべきとは気が付かないのか? 言葉がばらばらの議論が実を結ぶのなら真逆で対立している関係に
相互に歩み寄りを求めるようなものだ。
無限という原理そものが理解という知識信仰の類であるなら、
無限は信じるか信じないかの理解にしかなりえない。
無限が世界物事の位置でどの位置を表すかを示す共通項で考えない人に
その対立は悪魔と神を分離、正義と悪行を分離した人の価値観の中の観念
である限り、対立対称観念などの言葉の定義を否定するようなものに至る。
それは議論や討論で結果を得る為に扱える類ではない、個人の進歩はあっても、
不毛なレスの繰り返しにすぎない。 >>333
328ではないけど、無限大と無限小という仮定は永遠という
袋小路的な無の概念なの?
無限小というのは無限とは違うよね、なにせ無限に小さいだけで無限とは違う無限小だからw
無限大も同じことだけど。
イメージとしては、無限大という広がりが収束して無限小というプロセスを経て無限大へ
連続する、そういう永遠が無限だということなんでしょうかね? おもしろいから、引き続き「美魔女」で。
>>346
ごめん、もう、意味不明すぎてどうにもならん。
>大とか小というのは値であって比較可能なものにつける語尾だ、
>そして無限という観念に大小関係の比較などできわしない。
はい。
で、>>333
>まず確認したいんやが、無限ていっても無限大と無限小があって
君自身が聞いてきたから、君の言うところで、いずれかと言えば、と答えてるだけであって
君自身が語尾につけるなら、どっちだって言って、つけて答えろって言ってんじゃんw
君自身が付けろと言って、つけたら、つけられないんだってwわけわかめ。
>そして無限という観念に大小関係の比較などできわしない。
できないなら、どっちかとか、聞くなよ。>>333がおかしいんだろwってだけじゃん。
>だが哲学的探求でいうなら観念として定義しえないものを問うのは間違いない。
>その区別ぐらいしたら?
区別以前に、定義したのは君で、君の定義はおかしいといてるだけじゃん。
私は、「無」について語りたいなら、そういう概念がなきゃできないよねって、
言ってるだけでしょう。
>いろいろある、それを俺正義のように確定した断言は愚かでしかない。
いや、だからさぁ、無限大だの認識不可だの、定義したのは、>>333である君だろw
私は、そりゃおかしいよ、って言ってるだけじゃん。 >無限に対立する対称する観念やら定義をもって無限の囲いを比喩するべきとは気が付かないのか?
これも意味わからないんだけど、そもそも、
>世界が有限の大きさであるとして、その相対としての無
として、君が、有限に相対する「無」限、有に相対する無という囲いをもって比喩してるんでしょ。
なのに、無いと、まぁそもそも「無」なんだから、そりゃあ、無いんだけど。当たり前だよねw
よりひどいのは、認識できる(からこその)「有限」「有」に相対するというなら、認識不可
(認識できない)というのは、その相対そのものじゃん。だから、それでいいのに。
なぜか、相対としてちゃんとできてんのに、なぜかその概念が否定されるみたいなこと言ってんの、
君じゃん。
だいたい、認識不可の無はない、とか、無が無いなんて、当たり前だよね。そういうもんじゃん。
「無い」というものなのに、そんなものは、「無い」からと言って、その概念を否定するとか、なんなん。
むしろ、「無い」んだから、概念として、肯定しまくれるでしょ。
おかしなことをいうなぁ。 >>328みたいな誰々さんが指摘していると言ってる時点で駄目だw
自分が誰かの意見を用いる時点で自己解釈してるわけで
誰かの指摘だからなんて前置きするのがもうね・・・ 無限とは「限りない無」なので「果て」がないだけで「無い状態」ということを指す。
例えば「思考」している状態であったり夢を見ている状態であったり
形而上について語るときは無限を語っています。 つまり皆さんの
無限は言葉遊びになってしまうだけのものですから🍒
気を付けて下さいね✨ 失礼しましたー言葉遊びになってしまっただけの美魔女ということです
それ以上気づきがありません降参します >>357
続き👰
これは>>356さんの言うとおり無は無い状態を指すのは正解ですので言葉しか実際は残らないので気を付けて下さいねって意味です💧 次いでに
皆さんの知性での理解ってそもそも思考の一般形式ですので元々人間の発明品でしゅ👰
それは一般でしゅから始めから言語と結び付いたものでしゅね。
お邪魔しました✨(/-\*)
其れでは。 貴方達は文系、理系どっち?👰
300円持ってコンビにパンを買いに行きました✨(☆∀☆)
焼そばパン170円を買いました✨
その、御釣りはいくらでしゅか?
理系 130円
文系 30円 オレオレ詐欺撃退方法👰
詐欺師「もしもし俺だけど〜」
私 「キャアぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!!!!!」
詐欺師「いや、あの、その…」
私 「キャアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
詐欺師「……」
私 「キャアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
詐欺師「すみません、間違えました。」 >>356
>>359
あー…
無限を「限りない無」だと勘違いしてたんかw
今までの妄言も納得や
ちょっと気の毒やから、特別に小2国語の講義してあげよ
「限りない無」の中で「無い」と「無」がカブってるやろ?
「限りない無」なら"無限無"でないとあかんのや
ちな無限無なんて言葉はないけどなw
だから、無限は「限りがない」という意味に捉える
ひとつ賢くなったな!
ガンバやで むげん
【無限】
《名・ダナ》どこまで行っても果てが無いこと。数・量・程度の限りが無いこと。 >>367
ビックリ👀‼
本当のバカですこの人
貴方は相当向いてないのですよ。😿
貴方は哀れですね >>367
そういう取り方しかできない貴方は論外です💧
本当のバカとは貴方のことですよ😿 >>367
こんな雑魚相手に説明するのイヤ😰
しんどい >>369>>370>>371はナリスマシでしゅ💧 無限は言葉や概念上だけのものですのでそれを表象することは不可能です🍒
つまり言葉があって定義は無いです。👰
表象として定義不可能な言葉だけのものでしゅ。 >>367
なんと言いましょうか←鼎先生😊
時間と空間等が無限であるのんは、それが背後にある真実としてそうだからではなくて
只、知覚の継続的総合という認識行為が無限に
続きうるからでしゅ👰
また無限分割が出来るのは背後の真実が実際に
単純な部分から成り立っているからではなくて
只、分割するという認識行為が無限に続きうるからでしゅ🎉 今日は久々にうちのお店が忙しいかったよん!⤴社長を見返してやりたいでしゅ🎉 今日もステーキ食べてしまいました✨(/-\*)
体重測定恐いでしゅ(>_<) 何と言いますか←鼎先生✨
あと
自然一性に用いてる帰納法の正当化でしゅが
進むにつれて自然一性が使われていますね✨
今迄は上手くいってたとしても明日からは上手くいかないかもしれないんです。😿
という可能性が排除されていますね✨
つまり一性原理の正当化は循環論法に陥って
上手くいかないんです。😿 有料と無料を考えればいい、
それは料である。値な、表現できるものを説明している。
では無限とは何か、限りだ、
限りの有り無しとは量ではない、世界の限りがあるような形かという問い
世界の形の説明に過ぎない。 夜食はスパゲッティー🍝を食べてましゅ
太ってる?⤵ あちこち行ったんで疲れたなあ。
久しぶりに熟睡。
体使えばこうなるんだよなあ。
仮説実験授業というのがあって、子供たちはここからいろいろ学ぶそうだ。
どんなにもっともらしくとも、対象に問いかけると答えは出る。
さて、どうなるのかな。 無限はあるになる
この世ができあがってしまったという事は無限しかない 科学者の失敗の歴史は、時々とんでもないことがあって面白い。
けっこう著明な科学者も大失敗やっている。
火星に運河発見したの面白い。
対象の理解の問題もある。
ビッグバン仮説の宇宙背景放射の後付の牽強付会さはガモフ以来の伝統だし。
それを指摘している科学者は何人もいるし、ネットではガモフの主張を丁寧に辿ったサイトがある。
まだまだだろうよ、科学は。
ある意味これからだと思う。
眠い、また寝ることにする。 最近のスーパーのトイレは凄い快適だなあ。
新規開店の店ほど進化した感じだ。
たまに操作に戸惑うのが難点だが。
人によっては小でも大のところにいってうぉしゅレットすると聞いた。 >>383
ここはあんたの日記帳じゃないよ!ナリスマシ⤵︎💦 >>388
別にいいでしょう👶
貴方がナリスマシよ😿 障碍者トイレが助かるもんと気づくのもデザイン建築哲学
。 レディー メイド カフエ じゃないけど。 私はあらゆる哲学やすべての存在論を厳しく批判してから捉えなおす非一元論の立場です🍒
本質を語らず沈黙します✨
例えばハイデガーの「世界ー内ー存在」でさえも厳しく批判します✨
皆さんの意見をいつも厳しく批判してごめんなさいね🙈 変数不確定の関数名でもあるか
「無限」を、閉曲線を使うベン図とかオイラー図でいかに
描くか(もしくは描けないか)で各々の無限観が表れるか
個人的には機能主義とかオブジェクト指向的なので
フラクタルっぽいイメージ うちのお店が今日とても暇でしゅ💧
お昼はチキンチャツプお弁当🍱を食べました✨
今からステーキ🍱弁当食べましゅ🎉 >>399
科学のように普遍的な知が得られるのではなく
ひたすら探求することが哲学の本質です🍒
終わりの無い探求があるだけでしゅ🎉。
哲学は何の役にも立たなーーい
探求自体に本質、秘密が隠されているという感じ〜* 今週の朝の7時頃に核実験かミサイルしますよね
報道は7時30分
皆さん今日で最後かもですね🙈
オヤスミ💤 >>400
自分のなっとくいくよう考えて自己満足ってことなのかな? >>404
違いまーすよ✨
もしも人間自体が完成体だったとしたら
そもそも哲学しないと思いましゅ👰 心理学的には、不完全である勇気(アドラー)か
逆に探求心がサステナブルになるという… 球面に1箇所でも穴があれば表裏が現れる
教会 否、境界化する盲点
アーメン 理解を理解する。
不完全性定理。
そういうことか。 直観と概念の区別をして、あるいは不連続という批判哲学の有名な「原点」は二元論を打ち立てようとするのではなくて直観と概念を明度に於いて連続させてる一元論を非一元論の立場から批判して揺さぶるの好きー🎶😹 HAHAHA!🤣自我を肯定している美魔女がアドヴァイタと一緒の理屈を持っているだと❔ >>416
アドバイザーと間違えました👰
すみません😢⤵⤵ >>405
完成体とはどのようなことなのでしょうか >>420
そうなんですか?
この宇宙ができたって事はまたできるという事じゃないの? 「この宇宙が出来た」と思うなら輪廻転生の如くまた誕生する事はありえます >>422
なんか納得しそうになったけど
できたであってるんじゃないですか? >>418
そういえばセルが17号と18号を食べて完全体になりましたね✨(/-\*) >>423
正解を決めるのはあなた自身です
>>421をみてみると、もうあなたの中に答えは出てるみたいですし。 >>425
孫悟空の「もう とっくにご存じなんだろう!」
😹 まぁ、この手の議論は実証出来ないから、肯定も否定もできるけど、結論は出せない。
時間の無駄でしかないと思うよ。 爆砕に難しい哲学を書いたら
爆砕スレがずっと止まってる🐨 てか
鼎先生は自営業閉めて北海道に逃げましたね🙈きっと…(☆∀☆) >>434
そうでしゅ👰
別の方法を使いましゅ🎉それくらい常識でしゅよ >>435
では、論理でも知識でもどうにもならない対象をどうやって?
その方法を知っているなら別だが。
見えないもの、知りえないもの、存在しないもの、
どうやって掴み計りとり、理解し捉える? >>436
ですね👰あちこちのスレで誰一人出来てなかったもんね >>422
そうおもうのと事実はちがうじゃないすか
事実をしりたい >>425
そうなのかなとおもたけど事実を知りたい >>441
>そうおもうのと事実はちがうじゃないすか
何故そう考える? >>444
え?何も勉強してない僕が正しいとおもえないから >>445
うーん、君はデカルトとかニサルガダッタ・マハラジの本を読むべきだと思う >>449
そんなんよりも問いを持つかどうかが一番大事です🍒貴方があの人から学びなさい❗
あちこちでも本を読まないとって思っている人多いですが皆さん本を読んでも底辺は底辺で変わっていませんね👰そんな印象しかありません🐨 ァ(>_<)⤵また変なことを言っちゃった✨
お爺ちゃん👴の霊が私に入ってくるんですよ😿 >>437
>>434
こう言うちゃんと、まともな質問できる人だけ
答えてあげたくなりましゅよね👯 >>453
世界の一部だけみて、それが全部だと思い込んでいるだろ
意味を理解するならば、その対極にある非意味も同時に理解してから
でなおせよ。
意味と非意味で纏めた観念を1つの意味として捉えるならば、
さらにそれに対極する対象性が見えてこないなら頭弱いぞ。 >>453
お前は色んな人からの質問を1つの理論だけで解決しようとしすぎ
無理があるよ >>454
ではひとつ。👸
無限判断は何のために有るのか
それは「制限」こそ、それです。 >>455
。👸質問がすべて何処へ向かっているかを
私が知っているからでしゅ。
それ自体が何かを知っているからでしゅ。 >>449
ニーチェしってる?
しらないならよんでみな 真偽が何で判定されるのかが探求されない限り空転するだけだろう。
どんなにもっともらしくても、それがわからなければどうにもならない。
「科学の終焉」でホーガンは哲学を三流の思考と嘲笑した。
ここには根本的な錯誤は在るのだが、同時に的を射た批判でもある。
わたしたちはまだ何も知らないと言えるかもしれない。 >>459
読んだだけで理解できるなら
なみへいさんなんかはとっくに天才になってますよ
適性というか、身の丈ってありますよね >>458
貴方のモノサシでは測ることはできないの👸 >>460
私こそ、それを聞いて笑ってしまいますよ✨😹 >>460
科学認識をする思考(悟性)は、思考の全部を尽くすのではなく、思考のひとつ形態にしか過ぎましぇん👸 >>465
続き👰
それとは別に
哲学的な思考は思弁的な思考と言われています✨それは矛盾したものの中で把握しますう💞 続き👸
それと直観と概念の区別或いは不連続という批判哲学の有名な「原点」は二元論を打ち立てようとするのではなく直観と概念を明度に於いて連続させる一元論を非一元論の立場から批判して揺さぶるよ💞 今、カレー食べてましゅ💞👸
あと
本来的時間性は「先駆ー瞬視ー反復」の三つの脱自態でしゅ🍀
被本来的時間性は「予期ー現在化ー忘却」の三つの脱自態の統一体として成り立っていましゅ🍀 >>463
じゃあお前の物差しで俺を測るな💢
知ったかぶり野郎🖕 >>470
ナニよ!もう!😾今、サラダ食べてましゅ🍀 >>470
思弁哲学は経験を利用したり経験による認識はできないのでしゅ👰
思弁は人が簡単に理解できる代物ではごじゃりましぇん🍀
近代に科学が優位になってからは思弁は影がどんどん薄くなりましたね✨ 無限や永遠なんてものはなく
ただ1つのアートマンだけがあるのです❕ >>462
ん?いわれたからおなじこといっただけだけど何敵視してるのかな?
くやしいの? >>472
お前に言われなくてもその辺は理解している😡
前のレスでも言ったがお前の物差しで俺を測るな👹 >>462
並平さんをだすところが身の丈の低さを語ってるよね
並平がものを読むイメージは誰も持ってないですよ
いささかさんならわかりますけどね
完全論破すみません >>478
多分だけど
俺を別のレスした人と同一人物だと勘違いしてるでしょ >>484
考えることも哲学ですよ
何でも教えてもらってばかりじゃ成長なしです >>486
俺とデカルトを勧めた人が同一人物だと思ってる? 無限もな、空想とポエムによって気休めを得ているわけだが
それは「まったくお手上げ、降参」の姿勢を表している、と
そういうわけだな >>496
だから、「根拠無き宙ぶらりんの懐疑」によるものだろ
「実在しない」ことに直結する何ものもないよ デカルトと体験的に対決這って対談でもしてればいいわけさ。
人生盛り上がるでしょ?自分だけが幸せで。 君らはこうやってちょっと応用効かせると、全くお手上げよの 応用化学が正しいのでは。序説。しらないけど、読書はしてます。 する事はできるけど…
他のレスみると俺の言ってる事理解するの難しそうだしやめとくわ >>494
カレーオカワリしてましゅ😹
存在が荒々しく立ち現れると同時に隠され忘却されていった古代ギリシャ以来存在把握は変動し現在忘却の彼方に明滅するものとしてのみ存在は現れるぁぅ💞存在論理の歴史を解体、破壊して存在経験を取り戻しゅ👰
つまり、「在る」ことを捉えようとしましゅ まあ俺がこの返事しても…
どう返してくるかは大体わかるけどね
まあいいや >>510
そもそも貴方は最初からレスする必要ありませんよ そもそも精神性がいじけてるのですよ
小学生が、「いいもん、良いこと教えようと思ったのに、やめた」と言うのと同じ 伝えたい内容なんか最初から無いだろうし
やってるうちに何かしらできあがるだろう、って自信も無いのだろうし
どうにもならんよね 何を勘違いされてるんだろう…
俺は誰にも教える事はないのに デカルトを読んだなら、そこから抉り取ったものを武器にすればいいのに
それはしない
なぜなら、たいして理解できないから
まあ、無限スレだから、私が無限の話をしましょうか 近代に入るまでは、無限について学問的に語ることはタブーだった
ガウスも「無限に手を出してはならない」と忠告していた
しかし20世紀を目前に控え、よせばいいのにカントールがやらかす
「“自然数全体”の集合」を扱うことは可能である、と こうすると、しーん、てなるわけだろ
分かりやすいわ カントールによる集合の定義はこうだ
「集合とは我々の直観または思考の対象で、互いに明確に区別される元を
一つの全体としてまとめたものである。」
個々の自然数は、それがいかに大きくなろうとも、思考の対象として区別可能性を持つので
自然数全体は集合として扱えると、そういうことになるわけだ
つまり、「無限」という輪郭の不明であったモンスターを、規約の力で飼い慣らすことができると
恐らくそう考えた “無限を数える”ことはできるのか
カントールはそれが「できる」とした
なぜなら、「数える」という作業は、「1対1に対応させる」ことと等価である
そう考えることに困難は無いと彼は判断したからだ
だが実際、そう判断したからといって無限を数えたことになるのか
いや、数えたことにするのである
なぜなら、数えるという作業が1対1に対応させることと等価であると、そのように決めるとき、
自然数全体の集合と偶数全体の集合に於ける元の個数は同じであるという『結論(答え)を得る』ことが
できるからだ
この結果をもって、『無限といえども、それを論理的に“理解”することができる』
そのような展望を見たわけである >>525
そんなことはカントールの絶対無限に比べたら入り口にしか過ぎましぇん👸カントールの無限集合論の枠内のすべてを越える絶対無限が
私が言うてたところのものでしゅ🍀 しかし美魔女よ
おまえさんが言えるのは、そういうぼんやりしたことだけだろ
詩人だからそれで構わんけどな >>527
言葉では絶対に説明できないものがありましゅ🍀 実際のところ「絶対無限」というものが、「ある」とも「ない」とも言えない
なぜならそれは、おまえさんの言うように「集合論で扱える」と言えるかどうか
微妙だからだ
無限には大小がある
対角線論法によって実数全体の集合は自然数全体の集合より大きい
この論法を適用すると、無限の大きさはいくらでも大きいものが見つかる
そういう話になっているわけだ
しかし先の1対1対応もそうだが、対角線論法が正しいとする根拠はない
それを正当化するのは、ほとんど心理学なんだよ >>530
そうでしゅ👰
根拠も無いですし心理学ですし問いも間違えてるので答えなんて出ませんよ。 皆さんの概念を覆してるだけでしゅ
私には他の方法が有るのでしゅ👰 語る時は論理形式で語る時に論理の外に出ないといけないので私が答えを知ってでも語ることをできないのでしゅ🍀 無効な問いは、いくらもある
特に哲学ではそれが顕著に見られる
だが、今のカントールの話の中に「間違えている問い」と言えるようなものが
果たしてあるだろうかね
カントールは論理の中に道具を発見したのだよ
その道具を使うと、いろいろ不思議なことが起こる
それが論理そのものの構造についての知見を与えるわけだ
論理に於ける困難は、論理によってしか解消されない >>535
間違えてる問いは無いです。すみません😞✋💦 なんか頑固に自分の理屈は間違ってないと思い込んでて困るね(笑) もしかして大学で哲学の勉強したんじゃなくて
ネットや本で学んだんじゃないか
議論で言い返せなくなったら人格否定って幼稚だもんな >>537
すべて一般論を書いただけで、まだ私の理屈は出してないのにそれでは困りますね✨😹 >>538
だって皆さん一般論よりもレベル低いでしょ✨😹
どうしょうも無いでしょ✨ 何度も言うが
美魔女は才能ある
詩人としてだが
おまえはまだ何も言っていない>>538 >>541
詩人で止めてるのは皆さんに知恵を与えるのが勿体無いからです🍒 けちけちすんな>>542
わたしなんかは、思いついたらすぐに話したくてしようがないぐらいだったぞ
それももう昔のことだが >>543
2ちゃんねるすべてのスレで話して来ましたが
一般論で話してもついてこれる人が居ないのに
私が本気で書いたら、もっと全員がついてこれません。😿だから私は諦めて詩人して遊んでるだけでしゅ🍀 いいこと?
あなたたちのために敢えて拭いていないのよ?
感謝なさい
,. - ‐ - 、
/ _ 4 _. ヽ
i ( `Y´ ) i
ヽ \ ./ /
`j-二-..く
/ ̄ヽ - `ー、
/ : ヽ.
i ノ : i i
|. ゚、 _ ノ ヽ_゚ ノ,、 |
|. | | | |
| ! ! | |
| / ; V /
|/ `、/
/ ((i)) \
/ /~\ \ >>540
ん?
美魔女は否定してないわ
お前はまだ理論の否定してるから >>541
>>538だけどお前は誰と勘違いしてるのか(笑) この世は何でも無限ですよ
物質を半分に切っていっても永遠と半分になる
これは半分のパラドクスと名付けました >>554
だとしたら勘違い(笑)
同一人物だよ〜 今日はあちこちのジャンルの違います板一覧を覗いて喧嘩を売ってきました✨😹
何処もレベル低いんですね👰
すぐ終わってしまいました✨😹 >>560
ずっと書いてる人のことですか?
知識ではなく自分自身から逃げないで要の話しができる人がいたら
素敵なのですけどね👰 ROM といえばコンピュキチガイだろうな。才活あるなゲーマー。
家庭用とか。打ち込み系じゃない時代だもんな。 音楽ですら。古典音階はいいけど。マザーとか。
https://search.yahoo.co.jp/video/search;_ylt=A2Rivb8nwgFZjH8ALTSHrPN7?p=mother+&aq=-1&oq=&ei=UTF-8 愛は夢幻ね
マザーの影響化にUNDERTALEが成立する事を考えると、やはりおまんこ致すのが
人類の最大の栄華に過ぎないって
いやね。 答えのほうが私達に姿を見せてくれる迄問いの
円環の中で待ち続けることがありますが
この「問うことの円環の中に止まり続けること」を推薦します✨😹 >>525
盛り上がってるところに申し訳ないが。
>自然数全体の集合と偶数全体の集合に於ける元の個数は同じであるという『結論(答え)を得る』
ここについて、kwsk
素直に考えるなら、半分もしくは半分プラス1になると思うんですが? 1:1の対応が果てしなく続くわけだから同じ濃度とみなす他ない
「個数」でなく「濃度」ね 基本、無限は有限では構成されていない。
式にすればかんたんにわかる。
Aの否定を無限に集めたったAにはならない。
大きさが無いものを無限に集めても大きさはつくれん。
無限は有限でできていないし。
有限は無限でできていない。
AをAの否定で理解しているだけだ
それを自己言及した場合にクレタ人の逆説と同じことが出来する。 自然においては有限は確認されていない。
宇宙の果ても確認されていない。
科学でも、始点は否定されている。
つまり終点も無いということ。 >>557
だよね、あなたを試してたのばれちゃったかなごめんね
理解するまでデカルト読んだ方がいいよ >>558
無限ですよー この世ができたという事わね 哲学スレとかでかきこみしてるけど
やっぱレベル低いなぁ
まっとうな答え帰ってこない 無限を簡単に考えてるひとおおいね
これだからネットだけの人は薄いっていわれるんだよな 無限を理解するには物理学も最低限知ってなあとだめだけど足を踏み入れてる人少なすぎだな
突き詰めたらすべて無限ね
これリアル常識だからわからないだろうなぁ >>579
できたなら、始まりがあるから有限だよ。 >>580
そこからが本題で
終焉を迎えてまた始まるんですよ
この宇宙は無限に繰り返してる 背進FA vs 循環FA って、ミュンヒハウゼンのトリレンマの
パターンの自己言及 >>583
ボクは有限だなんて言ってないよ。
この世ができたと言ったのは君の方だよ。
だったら有限だよって指摘しただけ。 ビッグバン仮説の科学者ももう少しで始まりに辿り着けるとか妄言はいているけど
それは辿り着いていないことの裏づけだし。
つまり有限は実証されていない。 >>585
同じ事ですよ
できたなら有限なんでしょ
証明できるかな? >>585
あ、ごめん
なんか有限の証明関連のことこっちが間違ってるわ
でも無限だからね
証明はできんけど 有限は否定されている。
無限は有限を媒介にして理解され、有限自体の実在が否定される。
つまり有限は理解の媒介でしかない。 >>568
もちろんそうです
自然数全体、整数全体、偶数全体の元の個数が同じであるなど
直感的にも直観的にも、狂気の沙汰ですよ
この話は、「何を第一と考えるか」という、態度、判断に大きく依存しているでしょう
例えばですね、三平方の定理もそうですが、数学上の定理は、
それが「一般的に成り立つ」ことの結論を得るために、証明するわけです
三平方の定理は、辺の長さが無限大であっても成り立つと思いますか?
ほとんどの人が「その場合であっても成り立つ」と考えるのではないでしょうか
なぜなら、「規約」に基づく「証明」にはその権利と力が与えられているからです
「個数を数えるという行為は1対1に対応させることと同じである」という判断があって
それを規約としてしまうならば、「全ての要素(元)が1対1に対応するなら個数は同じである」
という判断を「間違っている」と証明することはできません
一方で、実数全体と自然数全体の個数を比べる際に用いる対角線論法も、一つの状況判断に過ぎないと
思われます
対角線論法を正当化できるなら、整数全体⊇偶数全体を正当化してもよい
しかしそれではつまらない、何も始まらない
『数学の本質はその自由性にある』とはカントールの言葉ですが
「何か面白いことが起こりそう」であれば、そこを覗きたくなるのが天才の性のようです あと、濃度について言及されている人がいますが
濃度と呼ぶのがスタンダードであるのは間違いない
実際、「個数」より「濃度」と言った方が安心します
しかし濃度を定義する際に個数を前提にしており、
あえて濃度と呼ぶことによる安心は、心理的なものにすぎないのです
「うまく逃げた、かわした」という意味では“哲学的”ですが ウィトゲンシュタインの「言葉」の魔力は強力ですが
彼が本当に見た景色は、わたしには到底分かりません >>594
ウィゲントシュタインはアスペルガーでしゅので潜在的なことはわかってないでしゅ👰
お昼は何食べましゅか?💞 >>591
いや、申し訳ないが、わからんのですが。
「区別可能性」があると言いながら、要素の個数に関して、
「同じ」であるといってしまったら、それって、区別できてるのだろうか?
となってしまうわけです。確かに、双方ともに要素の個数は、無限であるから、
要素の個数は、同じであるというのは、わからなくもないです。
しかし、それって、「数えられる」ということなのでしょうか?
むしろ、数えられないから、双方ともに無限である、このように数えられないから
こそ、「同じ」であるとしか言いようがないというようになりそうに思うのですが。
むしろ、双方ともに無限であるが、「数えられる」からこそ、要素の個数は、同じではない
とした方が、まだしも納得できるし、わかりやすいんです。
1と2は、別のものであり、区別可能である。例えば、その区別の一つとして、1は奇数であり、
2は偶数であるといえる。そこで、例えば、自然数の集合と、偶数の集合の要素の個数について
考えてみるとする。それぞれの集合の要素の個数は確かに無限ではあるが、「同じ」ではない。
なぜなら、自然数の集合の中に、偶数の集合が含まれているのであり、自然数の集合の個数は、
偶数の集合の応訴尾個数と奇数の集合の要素の個数の和であるからであり、自然数の集合の
要素の個数から偶数の集合の要素の個数を引くとゼロになるわけではなく、奇数の要素の個数
になるからである。このような視点から見れば、厳密に区別すると、数は、それぞれ区別できる
別のものであり、数えるという作業において1対1に対応させることと等価であるとすることが
できるのであるから、集合という観点において、(論理的に)無限を「数える」ということはできない
わけでなく、「数えられる」ものとして理解できるのではないか、と言われれば、なんとなくそうかも
しれんと思えなくはないんですが。 >>598
納得できないのが普通の感性ですよ
そう申し上げている
だが「どちらも数えられないから同じ」という内容ではない
なぜなら、それでは「実数全体の個数が自然数全体の個数よりも大きい」ことを
説明しないからです >>599
いや、感性が普通だとか、どうでもいいんで、説明してくれませんか?
数を「数える」ことができて、その個数が「同じ」であるならば、
一方の個数から、他方の個数を引けばゼロになるはずです。
しかし、そうはならない。なぜなら、自然数の集合の要素の個数から、
偶数の集合の要素の個数を引くと、その答えは、奇数の集合の要素の個数になる。
奇数の集合の要素の個数は、無限です。
したがって、個数を「数えることができない」か個数が「同じではない」か、
のいずれかでなくてはならない。
それが、なぜそうならないのか、説明してもらわないと、感性がとか言われても、意味不明です。 >>598
無意識に限られた数の中で考えるからそうなるんやで
実際に1234と246を線で結んでいけば実感できるんやないかな
ちなみに自然数と有理数の濃度も等しい >>599
ちなみに、「数えられないから同じ」というのは、おかしいのはわかりますよ。
数えられないのに、同じなわけはないですから。 >>599
ちなみに、無限から無限を引いて、明確に有限な数を出すこともできます。
初項を1とし、交差を1とする(別にいくつでもいいですが)無限等差数列の和から
初項を2とし、交差を1とする無限等差数列の和を引けば、差は、1です。 >>603
数値から数値を引かないと駄目だぞ、概念から概念は引けない。
おまえは無限大と無限の違いすら理解できないだけ。 >>604
めんどいから、ググった。全単射である場合の基数の問題か。
どうにもなぁ。続きは、また。 数学ってのはつくづく約束事の世界なんだなと思うけどね。
無の存在で出発しているし。
無限の処理でもその基礎は約束事だし。
板倉さんも「新哲学入門」でゼロに限りなく近いがゼロではないという言い回しにふれている。
要するにそれで理解できれば、その矛盾は不問に付されるということか。
数学は無限を取り扱う学問だとある数学者が述べていたが、正確さに欠けるような気がしているが
今のところはそれがどこなのかはわからない。
無限を有限で理解するという意味では理解の論理の一つだけど。 なぜ理解できるのかは理解できない、ということに通底しているのかな 無限の有限化
有限の無限化
基本無限はやはり理解できないんだろうなあ
やはり矛盾の処理が基本のような気がしてきた
であって、ではない 自然という対象には論理はないが、無矛盾である
論理自体は矛盾である
自然は理解できる、論理は理解できない
やはりこれもクレタ人の構造なのか? >>605
「全単射」とは集合の「1対1対応」のことですよ >>600
>自然数の集合の要素の個数から、偶数の集合の要素の個数を引くと、
>その答えは、奇数の集合の要素の個数になる。
>奇数の集合の要素の個数は、無限です。
わたしもそう思いますよ
しかし、歴史はそうしなかった
なぜか
それは、「それだと何も始まらないから」
つまりそれでは無限はいつまでたっても“有限ではない何か”でしかない
『自然数全体の集合と偶数全体の集合には全ての要素の1対1の対応が可能であることが
集合の元の個数が同じであることと等価である』、そのことを認めることによって、
無限集合の大きさは「どれも同じ“無限”ではない」という事態が起こるわけです
つまり無限の大小を問題にできる、扱える
人間は、「扱える」ようになることで、それを「理解した」ことにするのだと思います >>609
自然に矛盾と言う問い掛けが間違い
自然と矛盾は反対語だ
バカ
死ねよ
間抜け さんざんバカ晒しているから匿名で気晴らしですか w >>615
早く反論しろよ
チンカス
俺の言ってる事間違ってねーだろ
ケッw >>618
間抜けすぎて、反論する気力が起きませんので悪しからず 酒呑んで良い気持ちなんだけどね
蓼食ふ虫
三四郎
どっち読むかなあ そっか
じゃ俺の勝ってことでさいなら
おバカさん
言い返せないときってそうやっていつもいげるね
君は
若い癖に心を鍛える事が出来なかたようだね
バイナラ
ぷー ジジイだから余計なプライドが邪魔して負けを認められないのか。
トートロジーをトートロジーで返しただけで逃げてく姿は無様だな。 「犯罪症候群」面白い
渡部だっけかな、「白夜行」でも強烈だったけど、良い俳優に成れそう >>600
それは単に
自然数の演算と同じ性質が濃度の演算でも成り立つと勝手に期待してるだけ
「〜〜のはずです」などと言ってみても、根拠はない
そもそも「数」というものは、対象から何某かの性質を抽出して、対象を何らかの尺度で測れるようにしたものである
濃度という尺度において引き算が定義されない(より正確には、引き算を定義するための前提となる性質が成り立たない) >>635
いや、成り立つでしょう。
1以上の自然数の集合の要素の個数と、2以上の自然数の要素の個数の差は
必ず1になるはずでしょう。
集合論ってそこまで、基本的なことを覆してるの?
それは、ないと思うけどなぁ。別に基数は同じでも、差は1であるというのは、
おかしくないし、だからこそ、基数という概念を持ち出してるじゃないの?
これ以上やると、数学板に行けと言われるかもしれんが。 >>635
ちなみに、測れるんでしょ。だからこそ、>>525の人は、
大小を比較できるという趣旨のことを言ってるわけでしょ。
なにをどういおうと、無限基数であろうと部分集合は、部分集合なわけで・・・ >>635
確かに、自然数の集合の要素に2をかけると自然数の偶数の要素になるわけで、
(全単射とは、少し違うかもしれないが)、確かに、双方の基数は「同じ」になるわけだけど。
同時に、部分集合になったりするわけだから、自然数の集合の要素の個数は、自然数の偶数の
要素の個数よりも大きいということは言えるわけでしょ。
この意味では、確かに、無限を比較できるし、無限よりもより大きい無限があるわけだけど。
彼は、そういうことを言いたい? >1以上の自然数の集合の要素の個数と、2以上の自然数の要素の個数の差は必ず1になるはずでしょう。
濃度の差は定義できない。
(1以上の自然数の集合の要素の個数)=(2以上の自然数の集合の要素の個数)+1
という等式は成り立つ。
しかし、濃度の差は定義できないので
(1以上の自然数の集合の要素の個数)-1=(2以上の自然数の集合の要素の個数)
という表現は意味を持たない。構文エラー。
>別に基数は同じでも、差は1であるというのは、おかしくないし、だからこそ、基数という概念を持ち出してるじゃないの?
(1以上の自然数の集合)=(2以上の自然数の集合)∪{1}
(1以上の自然数の集合)-{1}=(2以上の自然数の集合)
この二つの等式が成り立つ。
一つ目の等式の ∪ は和集合の記号、二つ目の等式の - は差集合の記号、{1} は1を唯一の要素とする集合を表す。
どちらも、集合の濃度ではなく、集合そのものに関する等式である。
>大小を比較できるという趣旨のことを言ってるわけでしょ。
525の人は異なる集合が必ず異なる濃度を持つことまでは主張していないし、実際それは成り立たない。
>無限基数であろうと部分集合は、部分集合なわけで・・・
あなたは「集合そのものに関する等式」と「集合の濃度に関する等式」を混同している。
集合が1という要素を含むかどうかが重要な場面では、集合そのものを考察すればいいし、
集合が特定の濃度を持つかどうかが重要な場面では濃度を考察すればいい。
目的に応じて尺度を使い分けているだけ。
濃度のような荒い尺度が役に立つ場面も確かに存在する。
>自然数の集合の要素の個数は、自然数の偶数の要素の個数よりも大きいということは言えるわけでしょ。
これも「集合そのものに関する等式」と「集合の濃度に関する等式」を混同している。
自然数の集合の要素の個数は、偶数の集合の要素の個数と等しい。 >この意味では、確かに、無限を比較できるし、無限よりもより大きい無限があるわけだけど。彼は、そういうことを言いたい?
あなたが言ってるのは常に集合そのものの比較であり、525の人は集合の濃度を解説している。
このように荒い尺度ではあるが、それでも異なる濃度を持つ無限集合が存在し、大小の区別が生じる。それだけのことに過ぎない。
ところで、>>611には重要なことが書いてある。
>それは、「それだと何も始まらないから」
>つまりそれでは無限はいつまでたっても“有限ではない何か”でしかない
私自身も>>635に書いたが、対象から何某かの性質を抽出したものが「数」である(濃度も一種の「数」である)。
1、2、3を要素とする集合も、2、3、5を要素とする集合も、濃度はともに3である。
要素が何であるかは問題とせず、ただ要素の個数だけが重要な場面では3という自然数が役に立つ。
別の例としては、縦5メートル横4メートルの土地と、縦10メートル横2メートルの土地は、どちらも面積は20平方メートルである。
土地の形は問題とせず、面積だけが重要な場面では20という数が役に立つ。
同様に、集合そのものを問題とせず、濃度だけが重要な場面がある。
例えば、有理数をパラメータとする何かが得られたとき、(有理数と自然数の濃度が等しいことを利用して)パラメータを自然数に書き換える必要が生じることがある。
これらは何らかの尺度を設定して初めて得られる知見であり、集合そのものだけを考えている限りは>>611の言う通り進歩がない。
「数学とは異なるものを同じと見なす技術である」という格言があるが、それと似ている。
対象そのものではなく、対象の性質をある程度だけ反映した別のもの(濃度や面積など)を各対象に対応させることで、新しい知見が得られる。 >>640
濃度にも値はある、「何か」というものではなく説明つける値を示せずとも
値がある。
値が無い何かではない、
値とは定まったものであって常に不定で説明や比較が不可能なものではない。
ゆえに数学では∞という値は無限大と説明し値を特定しなくても良い巨大sw
定まった値としている。 失礼、>>639には誤りがありました。
引き算の定義とは以下のようになされる:
足し算は定義されているものとする。
a+x=bを満たすxが唯一つ存在するとき、xをb-aと表す。
xとは異なる値yでも同様の等式が成り立つときはxとyのどちらをb-aと表すのか定まらないので、
「唯一つ」という条件が必要となる。
(1以上の自然数の集合の要素の個数)をaと表すことにすると、
1+x=a を満たすxは唯一つ存在し、それはaである。
したがってa-1=aと定義できる。
しかし、あなたが>>600に書いたように a-a=0 は成り立たない。
>その個数が「同じ」であるならば、一方の個数から、他方の個数を引けばゼロになるはずです。
>しかし、そうはならない。
実は等式が成り立たない以前に、そもそも a-a という差は定義できない。
a+0=a、a+1=a、a+2=a
a+a=a
これらの等式が全て成り立つので a-a の値を定義できないことになる。
いずれにせよ、引き算を定義できない、あるいはa-a=0 が成り立たないからといって
>個数を「数えることができない」か個数が「同じではない」か、のいずれかでなくてはならない。
と主張するのは的外れ。
(有限の)個数を無限集合にも拡張した概念が濃度なので、濃度を個数と言い換えることもあるが、
本来、個数と濃度は異なる概念である。
また、無限集合の区別とは濃度の大小の比較のことなので、足し算や引き算のような演算は二義的なものである。
自然数のときと同様の演算法則が成立しなくても何も問題ない。
繰り返しになるが、あなたが>>598で期待していたような「高精度」な尺度(部分集合に対して必ず小さい値を割り当てる)は役に立たない。
何故ならそれは集合そのものを考えているのと同じで、集合を測る尺度を導入した意味がないから。
尺度や数といったものはある程度の「粗さ」を持っているからこそ意味がある。 無からの創造の出発点をpularuty を前提として新しい公共性を👸 >>638
>部分集合になったりするわけだから、自然数の集合の要素の個数は、自然数の偶数の
>要素の個数よりも大きいということは言えるわけでしょ
まさにそこがキモであり、「全体は部分より必ず大きい」という古代ギリシャ以来の伝統的直観を
放棄したところがカントールの革命なわけです
『全体が部分と対等になる』ことが起こるのが、“有限集合では絶対に起こることのない”無限集合の特性
となったわけですが、当時の数学者の多くは貴方のようにそれを認めず、カントールは攻撃されました
しかし歴史はカントールを選んだのです
この先、歴史がこの判断が覆すには、別の革命と尋常でないエネルギーが必要と思います
なぜなら、無限集合論の核心である対角線論法は、ゲーデルの不完全定理にまで繋がっており
現代数学の中心的道具だからです うーん、何の進展もないな。思った通りだ。
濃度ってのは集合の性質であり、無限大の性質ではないんじゃない?
無限大は果てしなく大きな数であり、数値的には不定。 無限集合というけど、有限のタームを更新して生きる者もいるし
僕は後者の方が現実を帯びていると思う。無限は神から遅れたいいわけだろうか。 >>645
無限集合の分類方法の一つを与えているので紛れもなく(個数としての)無限の性質
無限大という言葉は個数ではなく量を連想させるので避けた方がよい
量としての無限であれば超準解析で定式化され、やはり無限の分類が生じるが、これはまた別の話 無限集合の大小比較の方法として以下のものもある
・対象の外側同士で比較する
・対象を生成する集合の濃度を比較する
・対象をある方法でクラスに分けた後、クラスの個数を比較する
・対象の有限範囲を考え、その全体に対する割合の極限を比較する
いずれの方法も単なる集合ではなく、順序や演算等の付加的な構造を用いて比較することになるため、
無限集合一般に通用する方法ではない
そしてそれで支障はない
付加的構造を持たない対象を考察する場面は(純粋に集合を研究対象とする集合論を除いて)皆無だから >>649
自然数の順序と演算を保ったまま拡張したものが濃度
実数の順序と演算を保ったまま拡張したものが超準解析の基礎となる超実数
自然数の順序が実数の順序と両立する(同じ順序と見なせる)のに対し、
濃度の順序は超実数の順序と両立しない
有限のとき個数は量の一種と見なせるが、無限に拡張したときは個数(=濃度)と量は別物になる 日々の生活での返済、お支払いでお悩みの方。
急な出費などで、今月の生活費が足りない方。
総量規制オーバーや、過去のトラブル等で借入れが難しい方。
多重債務でお困りの方。
誰にもバレずに借りたい方。
お金に関するお困り事や法的トラブル等HPに記載以外の事でも、お気軽にご相談下さい。
東京、神奈川、千葉、埼玉にお住まいの方は優遇です。
詳しくはHPをご覧下さい。
npo法人 sta >>650
いや、言いたいことはわかるが、引けるんじゃないかな別に。
1から始まる自然数の集合の要素をすべて足し合わせたものと、
2から始まる自然数の集合の要素をすべて足し合わせたものと
の差は、1だよ。こういうやり方は、どこでも使われているような・・・
自然数の集合に対し、偶数の集合は部分集合であるのは、変わらないんだから、
差は、あるわけで、ただ、全単射を見いだせるから、基数は同じである。
両者は、別に矛盾しないじゃないの? 今、美魔女は昨日食ったカレーライスを尻から出しているところ。 0.00000000000000000000000000000000000001グーゴルプレックス%でも可能性はあるんだよな >1から始まる自然数の集合の要素をすべて足し合わせたもの
それも自然数であり、要素の一つなんですよ 525の人超かしこそう。カントールの話もわかりやすかったです。 >>658
いや、明らかに発散してるし
基数として見ても順序数として見ても1+2+3+…=ω >>661
もちろん収束はしない、発散しているでしょう
しかしそれは『自然数の加法は閉じている』ことを放棄するものではない
その“ω”ですが、「ωは自然数ではない」理由などありますか? >>659
下手の横好きに過ぎない、ただのポンコツです
それを自覚できないほどおめでたくはできておりません >>662
ωが自然数でないことは広く普及した用語の定義による
アンタがωに特別な意味を持たせたいとしても自然数という用語を使ってはいけない
基数あるいは順序数という用語が既にある
自然数の加法は有限和では閉じているが無限和では閉じていない なんとか不完全性定理の尻尾が見えるぐらいまで行きたいのですが
無能な私をどうにかして補ってください
カントールによる無限集合論の柱は二つ
一つは前述しました『1対1対応』であり、もう一つが『対角線論法』ですが
この対角線論法が曲者なのです、つまり“怪しい”
私の頭では、「ダブスタではないのか」という疑念が拭えない
対角線論法の解説は、どの本を読んでも似たり寄ったりで、記号による推論ではなく
いずれも図示による「空間的直観」に訴えるやりかたがほとんどですが
言葉で説明できるかどうか、とりあえずやってみます >>664
自然数全体の基数は「アレフ・ゼロ」であり、ωではないと思います アレフは無限基数全体を順序付ける関数
一番小さい無限基数だからアレフゼロ
その一番小さい無限基数が何かと言えばωのこと 対角線論法は正しいのか
そもそもカントールによる無限集合論は、『自然数全体の要素の個数と偶数全体の要素の個数が
同じである』ことよりも、『実数全体の個数は自然数全体の個数と同じではない』ことの結論を
得たことの方がはるかに重要だと思います
このことについて、一般には以下のような説明がなされるようです
0から1の間にある実数全体の要素が並べられた“リスト”ができたと仮定してみよう
そこに並べられた実数をr1、r2、r3、・・・(無限に並んでいる)とする
このリストは全ての実数を含んでいるのだろうか
それぞれの実数riは無限小数(つまり0.******・・)で表すことができるが、このときに、
(全てを並べたはずの)このリストには無い実数「s」を構成できてしまう
なぜなら、sの小数点第1位についてはr1のそれとは異なるものを選択し(この時点でsは
r1ではない)、sの小数点第2位についてはr2のそれとは異なるものを選択し(この時点でsは
r2ではない)、以下同様に続けることによってsを構成するならば、このsはリストにはない
よって「無限に並べたリストに1対1に対応しない要素が実数の集合には存在する」ことになり
実数全体の集合は、自然数全体の集合よりも、その要素の個数(濃度)が大きい、
という結論を得る
こんな感じですが、分かりますかね
内容が分かったとして、納得できますか >>667
つまり「アレフ・ゼロ=ω=1+2+3+・・・・」ということですか>>661
それは知りませんでした >自然数の加法は有限和では閉じているが無限和では閉じていない>>664
これも実に興味深い
証明なり理由のようなものがあればぜひにもご教授願いたい メンガーのスポンジだと再帰するほど
面積は発散傾向、体積は収束傾向
だけど有限
対角線のデータは2次元の奥行き(3次元)
再帰回数は桁数
n進数のnが無限でも1桁は1桁
基数の「桁」という概念 2ちゃんのスレは基数が1000
スポンジの迷宮への書き込み履歴は
アリアドネーのイト それで思い出しましたが、次元についても面白い発見があり
無限集合論によれば、1次元も2次元も3次元も、いくら次元を上げても同等なのです
その意味は、座標(a,b,c、・・)のa,b,c、・・各々を実数で与える時に、
それぞれの全体の要素(座標上の全ての点)の個数は1次元も2次元も3次元も「同じ」
まったくおかしな話ですよ 景色(3次元)を撮影(2次元)してDVD(1次元)に記録する。
カメラの色数と解像度、DVDの容量を無限にすれば情報の劣化は無い。そんな事は分かり切っている。
景色に時間を加えて、動画にする事も可能だ。
ところで、このテクノロジーは実現可能? 1.0000000000000000000000000000・・・
が0.9999999999999999999999999999・・・
に等しいというのも、すべて違うものが同じというのも面白かったりする
定数が不定数と同じとか
その証明法も無限がかかわるんだよなあ
これは限りなく0に近いということに過ぎないように思えてくる
無限と有限の関係は面白い
まあ理解は近似だから、それで良いのだろうけど
厳密さというかそういうことを主張すると?ということになるんじゃないのかな
二ュートンの数学を批判したバークレーの誤解はその辺にありそう
その根源があるはずだけど、わかりそうでわからない
数学というのはそういう認識という近似の世界だからそれで良いんだとは思うけど 自然と論理の関係がわからないとダメなんだろうな
アインシュタインが語る、自然が何故理解できるのかわからない ということで
なぜ理解できるのかがわからない←このことが理解できれば良いんだろうが
不完全性定理の認識論的理解というのは未だ為されていないと思っている 対角線論法は正しいのか(2)
対角線論法が重要だと言いましたが>>668、どうしてそう思えるのか、それはですね
そもそも、
「集合の個数が同じ」であることは「全ての要素について1対1対応している」ことと等価である、と、
そう決めたわけですが、それだけならば、『無限の大きさは何でもかんでも同じになるだろ』
という話になってしまう(そうは思いませんか)
ところが、対角線論法を導入することによって、無限の大きさ(要素の個数)には種類によって大小がある、と
なるわけで、「ある種の無限」、つまり「ある種の思考対象(規約によって成立する要素)の全体」は
その個数の大きを扱える、というダイナモが与えられることになるわけです
これを原動力に、無限集合論は発展することになる
ところがですね、少し考えてみてください
対角線論法というのは、いきなり出てきたテクニック、飛び道具なんですよ
つまり「いまの状況でそれを無条件に導入しても問題ない」とする根拠は無いはずなんです
そもそも、「1体1に対応する」ことは、「リストを作ること」と等価であることが
何によって保証されているでしょうか
私のような素人には、そのあたりが非常に胡散臭く思えるわけです
第一、自然数全体と偶数全体の個数を調べる場合に、『未知のテクニックによって
ある種の対角線論法的な効果が発生しない』ことが、どうやって保証されるのでしょうか
数学基礎論の内容に関して、私が参考にしているのは数学小辞典他数冊ですが、そのような疑問には
まったく答えがありません(野矢茂樹さんの本は残念ながら持っていないのですが、どうですか?)
一般人にはこのような疑問が起こり得る、ということをとりあえず表明しておいて
歴史に沿って進みたいと思います 対角線論法は集合論の公理系の中で行われる特定の推論の名前でしかないので、
新たに「導入する」ような類のものではない
「リストを作る」とは「自然数全体と1対1対応する」ことを直感的に分かりやすく言い換えただけなので、
何かによって「保証する」ような類のことではない >>679
貴方に伺いたい
「1対1に対応する」ことと、「リストを作る」ことが同じことであると
何によって保証されているのですか
貴方の言うように「直感」ですか 質問が不明確かもしれない
このように問い直します
「保証する類のことではない」と貴方が判断ができるのはどうしてですか ついでといっては何ですが
自然数の加法は有限和では閉じているが無限和では閉じていない>>664
そのことについて、知見があれば教えていただきたい 質問するならちゃんと読んでからにしてほしい
俺は「保証する」ような類のことではないと書いたよ
実数が非可算個存在することの証明は
実数全体と自然数全体の間に1対1写像が存在すると仮定した上で、その写像の値域に含まれない実数を構成することで矛盾を導く
ことによって行われる
この写像の値域に含まれない実数を構成する方法を分かりやすく説明するための補助として、実数を並べたリストを図示しているだけであり、
実際には図に頼らなくても構成できる
「リストを作る」ことは数学的概念ではなく方便に過ぎない >>682
ふざけてるの?
それはどうしてもωを自然数ということにしておきたいという主張なの? >>683
「並べたり、図示する」ことをしなくても構成できる
そうでしょう、私も>>668で図など使っていない
だがその構成は結局、思考内でリストを作ることで補完されている
それを「意味を度外視した計算によって自動的に証明できる」ようにできますか、と
そう尋ねているわけです >>684
ちがいます
簡単に言えば「ωが自然数ではないことは証明できますか」と尋ねているのです 不用意に「計算」や「自動的」という言葉は使わない方がいい
全く別の人工知能の問題と誤解されかねない
証明の正しさを保証するのは究極的には形式的ルールを満たすことだとするならば、もちろん意味など度外視してかまわない
厳密に書かれた集合論の本なら実際そうしてあるだろう
あなたのように意味に納得できないなら正しい証明ではないという立場なら全てを疑ってかからなくてはならない
「集合の要素の個数の定義は本当に1対1対応でよいのか?」と 無限事態を観測してるようでは怠惰じゃないの。
有限に生き、無限を感じることが 限 −界ーだと思うけど。 >>686
あなたの考える自然数の定義とは何ですか
それは数学的議論の俎上に載せるのに十分な厳密性を有していますか 自然数たって、不自然なな中古の不惑星に見つかるか? >>689
たよね✨👰
いつまでもやってるからワロタ😂 >>688
「計算」や「自動的」というのは、この先も数学基礎論の歴史で出てくる言葉なので
この時点でその言葉を使うのはやむを得ません
人工知能と誤解されるかどうかは、やや別の問題かと思います
「意味に納得できないなら正しい証明ではない」と申し上げたことは一度もない
ただ、、ここは哲学板であり、数学の手法は認めつつ、その意味、意義、可能性、
などを探る自由があるわけです
ですから「本当に1対1でよいのか」という意識を持ちながら進むことは哲学板として
まともなことだと思います
そこに拘って「それが解決しないと進まない」と言っているわけではありません >>690
自然数の厳密な定義は知りませんが、自然数の性質として、辞典にはこのような説明があります
1)与えられた任意の自然数nに対して次に来るべき自然数n+1が存在する
2)1で始まる視線図のリストがあり、それに属する数の後続が再びそれに属するならば
このリストは全ての自然数を含み、他の何ものも含まない
証明ができるにせよ、できないにせよ、
>自然数の加法は有限和では閉じているが無限和では閉じていない>>664
と判断した根拠があるはずです
それは何なのか教えてください >>694
ωを部分集合として含む集合Pに対して、(P, 0, +1)がペアノの公理系を満たすとすると、
次のような全単射f:ω→Pが存在する
f(0)=0、f(n+1)=f(n)+1
これにより任意のn∈ωに対してf(n)=nとなるのでP=ω
つまりペアノ公理系はωを超えることはない ていうか、自然数と1対1対応することを一列に並べたリストを作ることと直感的に同一視できないってマジ?
数列は自然数全体を定義域とする関数なわけだけど、これも直感的に納得できないってこと? >>697
「ω=1+2+3+・・・」>>661ではないのですか? >>699
あなたの言ってることは最初からずっと滅茶苦茶だ
まずは用語を正しく覚えよう
ωの要素を自然数と定義する(そう定義する理由を>>697に書いた)
ω自身はωの要素ではないので、ωは自然数ではない
自然数を拡張した概念として基数と順序数がある
基数(順序数)のうち、自然数を有限基数(有限順序数)と呼び、その他を無限基数(超限順序数)と呼ぶ
ωは無限基数でもあり超限順序数でもある
基数や順序数には無限和を定義できる
1+2+3+…という数式を基数の無限和、順序数の無限和のどちらと解釈しても1+2+3+…=ωである
上に書いたようにω自身は自然数ではない
また、自然数に対して定義された通常の和をもちろん有限和なので、無限個の項に関する和を考えたいなら別途定義しなければならない
定義もしないのに勝手に無限和の概念が降ってきたりはしない >>698
その直感が危ういのです
たとえば、自然数を左から右にずらっと並べたリストがあるとします
その下に、1の下には空欄、2の下には2、3の下には空欄、4の下には4と
偶数の数列を並べる、そのような直感も可能です
このような思考内容によっては、「1対1に対応しない」ことになる
「偶数のリストも必ず左詰めにしなければならない」ことの規定は何に依っているのですか
暗黙の了解としてあるわけですか 追加事項
数列 1、1+2、1+2+3、…はいくらでも大きくなる(したがって収束しない、発散する)ので、
その意味では1+2+3+…=∞と書くこともあるが、これは「1+2+3+…」という記号列に値を定義したわけではない
飽くまでも「いくらでも大きくなって発散する」ことを直感的に分かりやすく表現しただけなので、正式な数学的表現ではない
このように、数学の証明では直感的に分かりやすくするために、非公式の表現を用いたり、日常的な言葉で言い換えることがある >>701
n→2*n という写像よって自然数と偶数の1対1対応は達成されている
この写像は数式で定義したのであって、一列に並べたリストに依存していない
方便と書いた理由をよく考えてほしい >>700
>ωの要素を自然数と定義する
ωは集合だと、そういうことですね
>ωは無限基数でもあり超限順序数
ωは数だと、そういうことですね
私にはたダブスタとしか思えませんが、分かるように説明していただけますか >>704
数とは単体で数となるのではない
集合上に演算が定義され特定の演算法則が成立するとき、その集合の要素を数と呼ぶ
例:ペアノ公理系の要素を自然数と定義する
集合をまた一つの対象と見なし、集合の集合を考えるのは、集合論の最も重要な特長である
「ある性質」と「ある性質を満たすもの全体」を同一視する思想は昔からあるが、
『「ある性質を満たすもの全体」に関する性質』をも扱えるようにしたものが集合論である >>703
ああなるほど
「1対1に対応する」というのは、「全ての要素が関数によって表現できること」と等価だと
そういうことですか
それでもすっきりしない
nが自然数だと考えたその瞬間にに於いては、
2*nは偶数ではあっても自然数には含まない、ことにしなければ
その論理は成り立たない
どこか怪しい >>706
はあああ???
もういいよ…
関数の定義すら理解できてない人にこれ以上説明しても混乱させるだけな気がしてきたわ…
掲示板で講義ごっこなんてするんじゃなかった
真面目に教科書読んだ方がいいですよ(新書の解説とかじゃなくて、教科書を) >>705
>集合をまた一つの対象と見なし、集合の集合を考えるのは、集合論の最も重要な特長である
一般論は分かります
ωが分からないのです
ωとは、どのような集合なのでしょうか >707
教科書を読めと言いたい気持ちは分かります
そして講義ごっこをする自由もあるわけです
貴方が数学科であるなら、ありがたいことです
それでも私には、「講義ごっこ」の穴を見つける自由があるのです
貴方は、私のレスに対して諫めようとした
私は貴方の反論を吟味することができるのです
数学板では馬鹿にされるような疑問も、哲学板では歓迎されたりするのですよ おこりんぼさんが消えてしまったようなので
続きは日曜日にでも
長くは続けるつもりはありません
しょせんは戯れ言
いいかげんにしろという気持ちも分かりますが、あとほんの少しご辛抱を 525氏、散々語ってきた一対一対応が関数の一種であることを理解していない説 集合してるからまずいんじゃないかな。
マンツーマンマークも古い概念だし。
四次元高次元立体関数でも更新されるし。 関数(写像)って集合の次に基本的な概念じゃん
それをなあなあで済ませてあんたは今まで何を語ってきたんだって話になるだろ
それでもすっきりしない
nが自然数だと考えたその瞬間にに於いては、
2*nは偶数ではあっても自然数には含まない、ことにしなければ
その論理は成り立たない
意味不明すぎる… ああ、それが怪しいというのはですね
自然数nに対して偶数2*nが対応する、そう考えるときに
ここで対象として思考されている自然数は“nまでの自然数”なんですよ
ですから、それ以外の自然数については“未だ考慮されていない”
それを補うためには、「それについてはいつでもこれから考えることができる」という
暗黙の了解を無条件に期待しなければならないわけです
無条件ということは、それ以上の理由を問わないわけですが、問えないわけではない
自明ではなく、テクニカルであり、心理的バイアスに依っている
そういうことを言いたいわけです
追伸
ωについてもう少し教えていただけると助かります
私も調べておきます 1からある範囲の自然数と偶数の個数なら、こう考えるべきかな?
範囲 10 100 1000 ∞
自然数 10 100 1000 ∞
偶数 5 50 500 ∞/2=∞
無限と言った時点で、算術は破綻するのでは? 『1+2+3+4+・・』
私が発した次のレス(不用意でした)
『1から始まる自然数の集合の要素をすべて足し合わせたもの
それも自然数であり、要素の一つなんですよ』>>658
これに対して次のように諫められました
>いや、明らかに発散してるし
>基数として見ても順序数として見ても1+2+3+…=ω
対する私の思いは、(ω?なんですかそれは?)
そこで私のレス
『その“ω”ですが、「ωは自然数ではない」理由などありますか?』>>662
ωを理解する上でいただいた、ヒントになるような言及は以下のようなものなります
1)ωが自然数でないことは広く普及した用語の定義による>>664
2)その一番小さい無限基数が何かと言えばωのこと>>667
3)ωを部分集合として含む集合Pに対して、(P, 0, +1)がペアノの公理系を満たすとすると、
次のような全単射f:ω→Pが存在する
f(0)=0、f(n+1)=f(n)+1、これにより任意のn∈ωに対してf(n)=nとなるのでP=ω、つまりペアノ公理系はωを超えることはない>>697
4)ωの要素を自然数と定義する
5)ω自身はωの要素ではないので、ωは自然数ではない
6)ωは無限基数でもあり超限順序数でもある
7)1+2+3+…という数式を基数の無限和、順序数の無限和のどちらと解釈しても1+2+3+…=ωである>>700
8)ω自身は自然数ではない >>700
これだけですと、私の頭では次のようにしか理解できません(すいませんポンコツで)
“1+2+3+・・・=ωであり、ωは自然数ではないので、1+2+3・・・は自然数ではない” ωとは
いったいωとは何を意味しているのでしょうか
プリンストン数学大全に少し解説がありました、驚くべき内容です
掻い摘んで説明しますと
1)自然数全体の濃度(要素の個数)は?0(アレフゼロだが、実数全体の濃度はそれより大きい
2)濃度は、集合の大きさに注目するなら「基数」、要素の順序に注目するなら「順序数」となる
3)順序とは1,2,3,と数え上げていくことであるので、実数全体(閉区間内の点でもよい)の要素を
数え上げていくと、全部を数える前に、割り振る自然数が無くなってしまう
4)そこで、自然数とは違う数を使って数え上げることが続行できることにする(!)
5)そのために、全ての自然数より大きい最初の順序数を定め、それをωとする
6)ωは、それより前の数は持つが、直前の数は持たない
7)ωに1を加えることで、数え上げることが続行できる
なかなか来るものがあるとは思いませんか いろいろ調べているのですが
1+2+3+・・・=ωとなる根拠は、未だ見つけられません(すいません) なかなかおもしろい議論をしていますね。
ωですか。1,2,3,...,ωではなくて1+2+3+...=ωですね。
数学は気の利いたアイデアであふれていますね。
数学屋ではないので、内容には立ち入りませんが、
525氏がいかにして理解にたどりつけるかということに興味があります。
というより、たどりつけない理由のほうかな。 運動ー静止としての存在
無限ー有限
運動量としての有限ー今、ゼロという無が無限に在る
運動ー静止 クレタ人の逆説としての飛ぶ矢の逆説
有限ー無限 有限が無限で出来ているという倒錯
対象を否定関係で理解する
うん、まあ面白くはあるな
今、つまり現に在るものは無であると
自然においては運動するものしか無い
運動が自然の存在形態である
運動は静止で理解される
今、つまり運動は静止で理解される カントの第一アンチノミーのわかりやすい解説が載った本はないでしょうか。
自分には竹田先生の解説でもチンプンカンプンでした。 対象を存在で
運動を静止で
存在=静止=無
今=無
運動=無
AをAの否定で理解する
運動は存在すると同時に存在しないこと 無矛盾としての無限
矛盾としての有限
無限を有限で理解する
無矛盾を矛盾で理解する 対象である自然に論理は無いが無矛盾である
論理は矛盾であるが自然には存在しない 人類がinfinityを語るにはまだ早いとあれほど忠告したのに
人は無限を想像することも認知することも出来ない
ただ漠然と圧倒的な存在の前に恐怖するのみ
私は忠告したぞ 無限を追う程に正気ではいられなくなり脳は破壊され尽くす
それでもいいのなら羊を只管数え続けろ🐑
羊が🐑、羊が🐑🐑、羊が🐑🐑🐑、羊🐑🐑🐑…
無限にたどり着くまで羊を数え続けることでしか無限にはたどり着けない 宇宙(もしくは自然)は有限である。
情報としての連続性?が切れるとき、そこで終わる。
「無限」や「有限」にはいくつかの種類があり、それらを混同して議論するからおかしくなる。
宇宙にも「死」があり、それゆえに有限である。 余人には意味不明でも念仏のように唱えていればそのうち(自分だけは)分かったつもりになるのでしょう
彼らの言葉の意味を考えても無駄です 自然は自己燃料て意味では有限といえるだろうけど
宇宙はそういう意味では有限と無限の合わせ技でできてると思う。
有限とか無限の観念は宇宙を物理的に理解するしか脳のない人間が
作り上げた概念の価値観だから。 ああ、また誤爆した
ここじゃないから気にしないでくれ w 君は横柄で気分が悪い喋りしかしないからね^_^;
周りがイラついて煽りたくなる気持ちは分かる
いい歳してもうちょっと若い子に慕われるような態度身につけたら?
ネットでも相手にしてくれる人が減るよ しかもこの人、匿名でこっそり自己弁護してるからね
ねらーの中でも精神年齢低い方だと思う ちなみに俺は匿名で自己批判はしたことはあるが自己弁護したことはないぞ
誰ぞは、自分で書いたことを「それだ!」とかやっていて
その後すぐに誰かが間違い指摘していて笑ったことがある
そんなみっともないことをした覚えは無い 都合の悪いことは全てアリスのせいにするのも自然過程説の特徴
それも匿名でやってる 都合の悪いことは全て過程のせいにするのもアリスの特徴
それも匿名でやっている コテは全部同一人物としてみるのが正しい。
コテにまどわされてはいけない。リテラシー・リテラシー 認識主体の自己言及、ということか
三浦さんの観念的な自己分裂という概念を思い出した
けっきょく最初に戻る 俺なら、宇宙は存在すると同時に存在しないと定義するけどね 謎 いずれにしても今世紀中には科学革命があると思っている
このままで行くはずも無い AIとかいうのでひさびさにAIをひっぱりだして改造して『坊ちゃん』を読ませてみた。
[AI] 「利いたろうかと、始めて聞いて貰ったようになりもいいから、先へその机のように後ろから十五分刈がりの堀田さんがしたら、肩を馬鹿ばかだ。
駄目だ。おれももらってやろう。どうも高い。妙な声を呼ぶのが大きな咳払。
欠勤だ。野だ。汽車だが、どこまで出たと云うところをほしいと云うもんだね。
まだ、言葉の意味を教えていないのでわけわからんw さらに夏目漱石をいくつか読み込ませた。
[AI] 十五厘を、不幸にのる一号にうねって地面をして、飄逸ひょういつの革の底からの旅だが、大人おとなしくないと云って、今度は、充分じゅうぶんで変だ。
おれと同化した時は飲み込めたままなる絵画と談判最中、例の殿楼上の別になった。
泳ぐので御座んすかい」
カッコの使い方をどうやって教えよう。 現代科学の盲点は空間だね。
物性に関してはかなり理解したものの、空間に関しては全く理解できてないよね。宇宙の大部分は空間なのに。
非粒子物理学。空間はフラクタル構造体なんじゃないかな?そしてダークマターは、きっと空間の隠された質量かな?
まぁ、きっと文系には理解できないだろうけど。 坊ちゃんは最近NHK第二ラジオ朗読番組で放送していたな
やはり面白い
鳥飼って死なせる小品があって、女中に途中から任せるんだが
漱石の叱責はなんか理不尽さを感じた
海舟は妻妾一つ屋根の下だったらしいが明治時代もそういうのを引きずっていたんだろうと思わせた
これも今年放送していたな
数ヶ月はネットで聴けるんだが、もう流れただろうな
今は太宰か
科学革命の本質は認識する立場が認識する対象、つまり自然に解消されるということだろう
それが自覚されていないからビッグバン仮説なんてのが蔓延ることになる (時)空間は存在しない。
関係性と可能性(自由度)の認識形態のひとつである。 「坑夫」の元ねたもってきた男が漱石の一家の長としての資質を糾弾したエビソードをNHKドラマでやっていた
尾野真知子が妻鏡子役で面白かった
「漱石の思い出」をまた読んでみたくなった うちのお店が潰れないように祈って下さい。⭐
⭐⭐⭐ >>788
よし、特別に祈ってあげよう。
安産。安産。スッポン!
これでもう大丈夫。 最近数十年も前から知っている店舗が何軒も閉店している
バブル時代を堅実に経営して生き延びた不動産屋が
時代についていけなかったんだろうなあとこの間言っていたこと思い出した
甥っ子が激戦区で喫茶店やっていたが、ベテランウェイトレス三人が結婚や引越しで辞めて
新しい人雇う必要があるんだけど五人入れないと回らないから他のことしようと思っているそうだ
なにやっても大変だよな
美魔女にエールを送る 美魔女の店ってなんだよ、
「無限」ていう店なのか
ドア開けて入ったら永遠に出てこれなさそう バブル時代に堅実なことやってるなんて商売の才能ないなw
バブル時代に大きく稼いで弾けたら堅実にやる
それが普通の商売人
バカは脳みそを使わなず間違ったものの見方を正しいと思い込んでしまう
自分の領分以外のの事は語らない方がいい ハッブル宇宙望遠鏡のことをNHKでやっていたのを録画していたのを今観ている
事象の発見とその理解は別だからなあ
アープの悲劇は今でも繰り返されているんだろう
言わば天動説論者による地動説論者バッシングだろう 商売の種類によるだろうよ w
うまく逃げられるとは限らんし
ウォール街の魔女みたいなわけにはなかなか行かない 自分の身の丈でやれば良いだけ
背伸びすれば反動も大きいんだよ
頭だけでやってるから空論が言えるが、現実はなかなかうまく行かない
ちなみに上手く逃げたのは中卒のオヤジだけだったな
バブルのほぼ絶頂期で不動産処分して田舎に引退した
手を広げて後はお決まりのコースが大部分
おれんとこと母が、そのうち弾けるからとせっせと貯めていた >>799
貯めてた者が正解だな。当時の使い方は皆激しかったからな バブル弾けて破産した人間と会社を大きくした人間
どっちの方が多いかといえば大きくした人間だろう
バブルと一緒にはじけたのは元々バブルでしか設ける事が出来なかった
或いはバブルでさえまともに儲ける事が出来ずに借金に借金を積み重ねた人間
弾けた際に返済を求められただけだ >>801
不動産屋が派手にやった人たちで はじける前に逃げ切った人なんて知らないと言っていたけどな
そういう人たちは商売続けていても青息吐息で、俺は自分の身の丈に合わせてやれと修行先の社長に言われて
銀行の誘惑にも乗らないで良かったと胸をなでおろしていた
親戚でも、実家の地域、取引先でも堅実な経営やっているところだけが生き残ったと父が言っていた。 小室直樹さんが、踊る人が多くないと好景気は到来しないと書いていたけどな
俺の母みたいな人ばかりだと景気は良くならない w
不動産屋の取引先の中卒の苦労人の社長は、こんなときに商売するバカいるものかと言って
弾けたら動き始めたと話していた
すぐ近くにバブル御殿が数軒、また一駅先に似たような豪邸があったんだが
今は取り壊されて分譲住宅になっていると話していた 好景気の時には不景気の備えを
不景気の時には好景気の備えをしろ
そんなことを何かで読んだ覚えがある
世の中の動きにどこで合わせるのか、合わせないのかということの見極めも必要だけど
言うは易しだと痛感する >>1
自然は無限、それを人間は有限で理解するしかない
そしてその有限を否定することによって無限を理解するだけ 相変わらず自然過程は根拠不明な卑近で拙い伝聞だけが根拠なんだな
自分のバブルな脳みそがはじけさせおかしくなったのかw
酷いな
周りの人間は彼の扱いに困っていそう 言ったもの勝ちに入ってきているな
こういうところで鬱憤はらすしかないアリス哀れ w
でもミリカン事件はアリスには痛かったよな
これは確定しているからどうにもならん >>806 そのきざったらしさに気が付かないようでは
なにも見えないのでは? 被害妄想が酷いな
誰も彼もがアリスに見えるの?
そういったところも論理的ではない
情けない ああ、もう一人いたけどな
どっちも同じだ
アリス二号とでも呼ぶかな
所論には斬りこめないのはどっちも同じ
というか理解できないんだろうな
理系でも問題意識があれば理解するんだけど
自称理系だからわからないんだろう
搦め手アリス君たちと遊ぶのはもうお終い
野次しか飛ばせない連中なんて願い下げ 誰か時間スレ立ててやれ
過程くんはまだ遊んでいたいとさ 自然過程説の主張には諦念しかない
だから何も判明はしない >>816
だから論理的じゃないって言ってんの
結局自分が言ってることに自信がない
根拠も何もないことをのたまわっているからそうやってラベルはって自分の身を守る事しかしない
自分の思い付きだけを並べる
愚かだと思わないの?
情けない この宇宙はじまったということは無限です
おわってもはじまる
その繰り返し いつはじまったのかわからないしおわるかもわからないから繰り返すかどうかもわからない 仲良くしましょ。👰過程説さんもアリスさんも癒し系よお✨ 無限は存在できない✨💁無限は有限に徹底依存ね⭐
有限は自立できるけど無限は自立できない✨💁 どれだけ顕微鏡で拡大しても、量子の中を見ることはできない。
どれだけ遠くから星を眺めても、宇宙の全てを見ることはできない。
絶対に先が見えない、この世界の無限は恐ろしい…。 むむむ。もしかして「たどり着けない」ということを「無限」と呼んでるのではないだろうか?
ハムスターホイールか...
宇宙はハムスターホイールである。それなら納得できるw ハムスターの宇宙。 形有る物は全て壊れる。形が有る物は全て有限だろう。
そう考えてみると、やっぱ時間は不可思議だな。唯一、実在する無限かもしれない。 >>816
アリスさんではなくて別の人と違います?💦 >>836
人が言う時間とは空間のこと、
時間なしで距離を説明できない原理を超えられたらもういちど考え直せ 無限を語るのは神に対して不敬だと思わないのか?
人類には手に負えない神域の知識だというのに 「エネルギーの濃淡」だっけ?
過程さん、濃淡って何ですか?wいい加減教えてくださいよw 空間があるかぎり無限はある、無限がなくなれば距離に意味が無くなる 空間にも質量の元はあるという意味では無限があるというより無限に変質しているんだろう 某氏宛ですので、他の人は気にしないでください
昨年、今を無で理解するということからその可能性を指摘され、突破口が拓けたという予感がして少なからず興奮しました
その展開がやっとという感じでできましたので報告します
「無限論の教室」の対角線論法の章を読んでいたら、クレタ人の逆説を想起しました。
であって、ではない、ということなんですが、これはヘーゲルの運動定義でもありますし
私たちが今、つまり現在、現に在るということを幅が無い、つまり無で理解することもまたAをAの否定で、ということでもあり
存在するのだが存在しないということで、これは微積分の、ゼロに限りなく近いがゼロではないという言い回しでもあるのではないでしょうか。
やっと端緒に辿り着いたという気がしてなりません >>849
物質は原子の集まりで、原子は素粒子の集まり。
空間は素粒子と反粒子が対消滅を繰り返している。
つまり、物質は対消滅できなくなった素粒子の集まり。対称性が破れた空間の集まりだよ。 >>853
生死も対消滅の原理で人間がそのように認識してしまうだけなんだろうね。
対消滅しない不安定な生の欲深さは底知れないわけだね。 ド文系の人々は連想ゲームやポエムを知的で優れた言論だと思ってるフシがあるけど、
普通の人はそんなこと馬鹿らしいと知ってるから、たとえ思いついても口にしないだけです ムハンマド、アッラーに捧げてるだけ。バディージャで
アンダー バー。 物理的に無限を示そうとしても科学的な証明は不可能だから 有限にも無限にもいろいろな種類が考えられる。
有限の否定を無限とするのは短絡的すぎる。
入院中 中身も何もなく、ただ空論というだけ
本当の空論だ w わたしの論は物理としての否定関係の存在ということ。
主ー客という否定関係など自然に存在することなどありえないのは誰の目にも明らか。
それで理解できるから、それが自然に存在するというのは天動説が典型的に示している誤謬。
地球という特別な存在、人間という特別な存在、そして絶対座標という特別な存在、そういう理解を科学はことごとく否定してきた。
それは自然理解には必要ではあるのだが、自然の中に存在はしない。
現代科学の主流もまた時間の始まりなどという天動説を信奉している。
わたしたちは未だに天動説的な誤謬から免れていない。 わたしたちは主体が存在しない地球創世記にも恐竜全盛期にも「観念」として立ち会える。
前世紀にも「わたしたち」は立ち会えるし、それらは認識可能である。
そして地球が、銀河系が他の何かに生成されるであろう未来にも立ち会える。
それは天体観測で可能だ。
人間は赤ん坊を見て自分の過去を
老人を見て自分の将来を認識する。
それと同様に地球、銀河系の過去未来も天体観測で認識できる。
それはなんら、そこに認識主体が存在するわけではない。
そしてこの現在ですら、自然に認識主体と認識対象というのが存在するわけではない。
あくまでも観念として主体は存在しているだけ。 あくまでもわたしのは自然には主客が存在することを否定しているだけということ。
これを前面に押し出していなかったから理解しにくいということだろう。
一つ収穫があった。
対話してくれた主客存在論者に感謝。 おまとめサポート
(平成29年7月よりスタート)
他社のおまとめローンの審査が通らなかった方、ご相談下さい。
・勤続年数2年以上の方
・金融事故のない方
・来店可能な方
保証人、担保は不要です。
まずは、お電話でお問い合わせ下さい。
特定非営利活動法人 STA >>876
違う
個数という概念は無限において意味を成さない >>877
だめ
なぜなら、「濃度」を定義は、「個数」の概念に依存しているから 濃度と個数の違いは直感的に捉えられないが、同概念として扱っていいの? 哲学的には微妙だろ
濃度は“無限集合の要素の個数”として名前を与えられたもので
個数の概念なしには濃度は概念として機能しないけれど
そもそも無限集合の要素は数え切れないので、
「それって個数なのか?」という違和感が消えることはない 濃度って言うのが直感的に解らないのは実在していないから?
数学的には存在するけれども、現実には存在しないからというか 『神との対話』シリーズの神。
どこか特定の宗教だけの神ではなく、
世の多くの宗教にインスピレーションを与えてきた普遍的な唯一の神。
思索的な哲学書として読んでも面白い書物だと思います。
イエスの事も「イエスは最高のマスター(師)の例だが、イエスだけが聖者・マスターではない」と。
今回は宗教や格式を超えて、愛を持って気さくな形で人類に語りかけてきてくれた。
この愛の神を本当に信じ、心に受け入れれば、本当に世界の観方と経験が変わると思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome
とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
37FDW 有限が存在するのは無限があるからかもしれない
この世こそ無限の存在 >>884
姉が高校生の時、浅草橋の天津甘栗やにもらっていたな。
店主の若いのが姉好きだったみたい。
甘栗は食べ過ぎて以来食べてない。 数学では無限が実在するとしたおかないと不都合がある?
それとも、無限は存在することは数学の中では証明されているの? 無限というものが存在しなければ、この世界が無原因から生じたというおかしなことになってしまうので
考え難いことだが無限性をもつものは存在するのだろう 分別されたされたゴミの中から
ポケットティッシュの空袋拾って「無題」ってタイトルつけて
感心されるMAN-RAYのブランド力みたいなもんなら在ると思う
それに対して評価も分かれればさらに無限に広がっていくんだと
あるべきところからなくなってしまった
使い捨てクロス代わりのカミの存在を再認識する側面
視覚伝達のあとデフラグされる言語の使い方しだい >>890
数学的ではなく、感情的証明ならできる。
「数」が有限個しかないとすると、その中には最大のものがあるだろう。それをmとするときm+1が数でなかったり、m以下であるような数学は嫌でしょう(笑) 無限を実証する事は不可能だが、論証するのは簡単だ。
口先だけなら何とでもなる。無限とは口から出任せ。 むじん
無尽
互いの掛け金で金銭を融通することを目的とする組織。
「―講」 人の才能や可能性もある意味では無限。
自分が自分で可能性を狭めていたり才能をころしたり出せていないだけでね。
本来、人は誰でも可能性に満ち溢れている。
それに、気づくか知るか知らないかや。
自分で決めつけない。諦めない事や色んな事に挑戦する事が大事かと思うわ。 さてね、
やる気に満ち溢れているのが希望、
やる気を失くすのが失望ですよ
気力で物事が解決するなら
気合を入れればいいだけでしょう 気が小さいから何もできないのだ、
と考えて
大胆に行動して失敗し、大きな痛手を被る
失望して、やる気を失くす
酒やギャンブルに溺れて痛みを誤魔化そうとし、
泥沼にはまる
そんなところではないでしょうか ネットをみればみるほど
1周前(10年前)とか2周前(20年前)のコンテンツ情報にあたる
おっさん地獄である 数学的にはとりあえず存在する、と仮置きしておくことができるが、物理学的には存在を観測することが原理的に不可能なもの、それが無限 有限的世界を前提とし対象化した物理的に存在し得ない仮想的概念 人間を自由にするものとしての神様に対する愛はおすすめ
神様と隣人愛によって尊敬する意味でのキリスト精神は何びとであっても救われる🎵(^-^) >>915
たとえば「自然数全体の濃度」の意味として、「自然数全体の大きさ」を考えようとしても
何をどうして良いのか検討もつかない
しかし「自然数全体の濃度」の意味が「自然数全体の個数」であるならば、
それは「数える」という作業と等価だと、そうみなすことによって、無限を
「思考不可能なもの」から「思考可能なもの」にすることができる
そういうことだ 混乱しているよ
個数というのは数えられた数だ
数えることとは違う >>918
「個数は数えられた数である」というのは
君のそう思っているだけのことだ
「数えることが可能である」ならば個数を考えてよい、と判断することから
無限集合論は成り立っているのだ それが根本的な誤りだと指摘しているんだよ
数えることと、数えられたものは違う 数え方の違いは、数え方の違いとしてあるのであって、
個数の違いとしてあるわけではない >>920
それを「根本的な誤り」というのは
君の気持ちの問題だ
「2乗してマイナスになる数などありえない」
虚数を頑に認めない石頭と同じようなものだ 実際のところ「自然数全体の濃度」とは
「個数を数えた」ことにしているのだ
つまり「数えられた数」なのだよ
だからそれに ? と名前をつけているのだ 実際のところ、数えられた数にではなく、数え方に名前をつけている >>926
それが「数えられた数」であることは
「数え方による帰結」以外のものではない 誤謬であることの論理的根拠など無い
受け入れるか拒絶するか、の問題 量子力学では、量子を広がりを持った点と解釈している。
しかし点とは、何かを無限に分割した物で実在しない。
つまり量子力学の解釈は間違っているね。
早く実証されないかな? 観念としての無限は 理論上、法則上、計算できないものを指し
数学や物理での無限は、計算が困難で事実上省略(合理化)しても人類にとって
区別を認識する方法がないほどの巨大な値を無限大値として扱うだけ。
前者と後者の違いを混同している馬鹿は マナーとルールの違いがわからず同一としている馬鹿
リスク管理とクライシス管理が同一とおもっているクズ組織の判断な。 ハムスターホイールは、機構上は無限に廻せるのだが、
物理的には限界がある。
また、ハムスター側にも限界がある。
無限には大きな落とし穴がある。理想的な無限は存在しない。 お前だろ、クソ低能な知識並べて自己満とか哀れだよな >>932
ありもしない仕事の捻出の先駆けか…今やAIにまで展開してしまって手に負えなくなってきてるようだがw >>938
品性を保てないなら、貴方が対象にした相手と同等かそれ以下です。
改めよ。 他人の口撃にいちいち反撃しなきゃ気がすまないとは大した品性の高さだな(笑) レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。