◆ 決定論との向き合い方を考える ◆ [無断転載禁止]©2ch.net
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<<スレの目的>>
・物理法則の完全な支配下にある人生の虚しさとどう向き合っていったらいいかを考えるスレです。
<<スレのルール>>
・決定論を前提とします。決定論否定の立場の人は余所でやってください。
・量子論的な確率論の話は問題ありません。ただし意識の行動選択権は認めません。
・心の哲学の領域に言及するのは構いません。 決定論的な世界観は紀元前の昔からあるようです。
特に教わらなくても、理数系に強い人であれば子供のうちに気づいてしまうでしょう。
気づかずに過ごせていた人も、大学で先生や友達から聞かされてしまうかもしれません。
ネットが発達した現代は、この事実を知ってしまっているいたいけな子供たちもたくさんいるはずです。 決定論を知ると多くの人は、少なくともいっときは「人生は虚しい」と思うことでしょう。
人類は自然科学を発展させてきましたが、その知識が広まり、技術が実用化されるたびに段々気づいてくるはずです。
「世界は物理法則に支配されている」という事実を。
例えば日本人は正確な地震予知技術を望んでいると思いますが、それが実現されたとき、
同じ理屈で人間の行動も予測が可能であることに気がつくことでしょう。 同様に、太陽の活動も予測可能で、いつ地球に大惨事をもたらす規模のメガフレアが発生するのか、
さらにそれを防ごうという人類の行動は間に合うのか、
こういった予測も本質的には同じものであり、
宇宙全体が予め決まった1つのシナリオを消化しているだけであることに気がつきます。 現代の人類を代表する頭脳、例えばノーベル賞の受賞者やアメリカの大統領がこの事実を知らないはずはないですが、
それでも彼らは「自分の振る舞い方で地球の未来は変わる」という信条の元に行動しているように見えます。
宇宙には我々を遥か凌駕する知的生命がいて、
彼らはワームホールを使って自由に宇宙を移動しているだろうなどと言われていますが、
それほどの科学力を持つ存在であれば、
全てをコントロールしているかのような自分たちが実際には機械に過ぎないことを知っているはずです。 彼らはこの事実をどう考え、生きているのでしょうか?
彼らほどの知性であれば全員が「悟って」いるのでしょうか?
そうだとしたら、彼らの悟りとはいったいどのようなものなのでしょうか? >決定論との向き合い方を考える
向き合い方を選べるなら決定論じゃないだろ 決定論は間違いだろ
人間の意志の領域にまで物理法則が適用された話は聞いたことがない
君が見ている世界は真実の表層にすぎず、その向こうには広大な闇の世界があり、そこから自由意志がやってくるんだよ >>10
一度も決定論が正しいと証明されたことはないし、
決定論であれば考えやすいという思考が生み出した形骸知性が生んだ
神(決定論)の存在と同じ
マクロ的なものとミクロ的なものが一致していると言っているようなもの
決定論を主張するのはエントロピー増大の法則の否定と同じ
過去のよって決定される仕組みで複雑度は増えれば決定できない、
過去によって存在しない次元が生まれ、その上であたらな原理が
低い次元に逆方向に影響しえるからだ。 一応「決定論を前提」にした上で「その虚しさ」の克服について考えるスレにしたいんだけど
そうでないと在り来たりのパターンになってしまうので・・・
証明とかの話になると「証明されていない→正しくない」という結論は数学の問題では×を貰ってしまう
必要十分・逆裏対偶とか集合論のところでやるやつ
「自由」については、
物事の因果関係には「必然」と「偶然」の2パターン以外を想定することができないことから、
そのどちらでもない「自由」とかいうものがまず存在し得ないであろうことは比較的簡単に分かる
昔の宗教家たちは
「常に完璧な判断を下す神は選択肢というものを持ち得ない→神は自由のない機械である」
という問題で頭を抱えていた 決定論というか唯物論の否定は
「リモコンのスイッチを押してもテレビはつかないかもしれない」とか
「赤信号を渡っても自動車は自分をすり抜けるかもしれない」というレベルの
日常生活で実際に起こっていない漫画の世界のことを考えるようなものでアホらしいから
そこはもうとっくにクリアしている人たちだけで真面目にやりたいと思っている
>>1の「スレのルール」に書いた範囲でならいくらでも自由な意見を言ってもいいんだけど・・・ 決定論肯定派としては、スレにノイズが発生することも規定路線として、
サクッと対処すべきではないでしょうか?
具体的には、完全にスルーするという行動が必要かと思います
他スレに誘導するでもなく、テンプレを読ませるでもなく、
あぼーんしたとかNGだから見えないと伝えるでもなく、
無慈悲なまでに居ないものとして存在を消しましょう >>9
決定論に人間は翻弄されるだけと決定されている可能性は、
人間は決定論に対して向き合える存在っあると決定されている可能性と、
全く同程度のものでしょう
言い換えるなら、
現時点では、人間は誰一人として決定論を超越した概念を見出せないとしても、
決定された未来では、人間が超越した概念を得ているのかもしれない、ということ
その上であえて、
決定論に振り回されるだけでは虚しい人生に感じるから、
決定論の存在は肯定しながら、決定論に向き合うことで、
決定論の概念を変えたいというのが、
>>1さんの考えたい事ですよね? 現在時点では、生物としての人間は必ず死にます
秘匿されたテクノロジーで不老不滅の人間がいるかもしれませんが、
一般的には死ぬことが決定されているのが人間という生物です
私は、この定められた死を超越しない限り、
決定論への絶望からは抜け出せないと考えています
いずれ必ず死ぬ、いずれ必ず無になる、と決定された人生は、
それがどんな過程であろうと、あまりにも虚しく哀しいものと考えてしまいます
なので、少なくとも人間が決定論に向き合えるようになるのは、
死という決定されたプロセスを克服した時、
初めてその可能性が生まれるかな?と思います 死なないものに生命があると思う矛盾、
なんでそんなこともわからないやつが増えているの? 決定論が正しいなら、思考も決定されている。
向き合い方は人間の各知性は決定論がどのようか知らないのなら、各知性にとって意思は非決定論とかわりない(自分は自由意思を持っているにかわりない)とでも思えばよいのでは? >>15
>決定論の存在は肯定しながら、決定論に向き合うことで、
>決定論の概念を変えたいというのが、 >>1さんの考えたい事ですよね?
「決定論の概念を変える」というのを>>15さんがどういう意味で言っているのかが正確には分からないのですが、
決定論の前提とすると、人生や、あらゆることが「意味」や「価値」がないように思われて、
何ごとに対しても「ふーん」という反応になってしまい、無感動・無気力の日々を送っている自分の現実があります
>>7で、現生人類よりも遥かに賢い地球外知的生命を想定し、
そうした知的存在は「決定論を乗り越えた悟り」に辿り着いているだろうという仮定しました
「悟り」に辿り着けなかった知的生命は知性発展のどこかの段階で挫折し、
その挫折は自らを滅ぼす方向に向かってしまうように思えるからです(自分の精神状態を鑑みて) たぶんエテ公の姿をしたホモ・ハビリスとかからカウントしているんだと思いますが、
人類の推定歴代個体数は800億人とか言われています
人類の中にもこの「悟り」に到達した人が実はいくらかいて、
こういうのは別にお釈迦様でもない名も無い人の中にいたり、
あるいはポテンシャルを持った人がいるかもしれないので、
そういう人の考えを掘り起こせるかも知れないと思ってスレを立てました >>16
>私は、この定められた死を超越しない限り、決定論への絶望からは抜け出せないと考えています
・・・
>なので、少なくとも人間が決定論に向き合えるようになるのは、
>死という決定されたプロセスを克服した時、 初めてその可能性が生まれるかな?と思います
地球人が自滅前に不死を達成する可能性は半分くらいだと思っています
そうなったときにどういった人生への心構えになるのかと言ったら
すぐに思いつきそうなのは「ただひたすら受け入れるしかない」の境地ですが、
おそらくそう単純にはいかず、虚無感の色々な克服の仕方を試みるだろうと思います
例えば、
とにかく楽しくて楽しくてしょうがないと感じるように脳を改造するとか、
いっそ決定論を理解できない程度にバカにしてしまうとか、
不死を実現した段階では、
人類が現在のホモ・サピエンスのものとは別の意識を持った存在になっている可能性は高いでしょうし
そうした知的生命は宇宙のどかかに既にいるでしょう
いわゆる思考実験で、その時代を先取りして考えてみたいのです 決定論が形而上学的な原理だとすれば、通常の日常の思考においては、いわゆる「オッカムの剃刀」で割愛して構わないものだ ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ まず思うに決定されているという事に関して無力感や虚しさを感じる点について
何故そう感じるに至るのかという事について二つの見解が存在する
そもそも最初から決定されているのであれば選択肢がまやかしであるという事か
自由意思というものを無価値とするのが決定論という事であろう
決められているという事は何者かの意思の介在を想起させるものだと考える
つまり自分の意思が人のものであったというわけだな
だが恐らく何者かの意思というものについて確たる証拠というものはない
この点については議論の余地はないのである
では実際にどうなのかという事について
逆にその何者かという存在の立場になって考えてみるとどうなるのか
彼の者に自由意思を奪っている自覚はあるのでしょうかね
これについては自覚がない場合もあり得る
まあじゃあ気にしなくていい気もするような気がするのが自分の結論 決定されてるかどうか知る方法はない。なので決定論が好きな人は決定されてると考え、決定論が嫌いな人は自由な意思で選択していると考えればいいだけの話。 決定されていれば可逆を説明しなければならない、
つまり過去に戻れるという証明だ、それは仮説理論ではな証明にならない。
それは時間が逆行しなければならないってことだよ、
時間が逆行せずに元の順に誤差なく可逆することは
世界の法則を無視している故に可逆になりえない、
エントロピー増大の法則を否定できないなら可逆は成立しない
それを思い込みとはアホ言うな。
エントロピー増大の法則をも可逆しエントロピー減少法則を実現しなければ
元に戻ったとはいえない、つまり時間が逆向きに流れるという妄想ではなく
実証として現象が存在できないかぎり決定論の逆向きの説明は妄想崩れて
なんの根拠もない思い込み理論でしかない。 >>1
そもそも別に虚しいとは思わない
例えばホログラム説ってあるだろ?
俺達は実体じゃないかもしれない
でもいいじゃない どっちでも
これからどう生きていきたいか に関して何の影響もない
決定であっても確率であってもだ >>31
決定されていれば可逆なのか?
ライフゲームは決定論の世界だが、最終的にライフが死滅した状態から
過去の状態を求められるのか? >>33
ミクロレベルでの可逆だ、マクロレベルになると可逆は不可能に近いほど
観測しえない。
量子的可逆を理解したまえ。
ライフゲームは常にマクロ現象であり、そこに時空とは別の現象である
量子エンタングルなど入り込めるわけがない。 可逆でないとしたら決定論にどの程度の意味があろうか
瞬間は一度しか訪れない 正の時間方向は決定論で、負の方向は非決定論てことなのか?
それはそれで微妙だな。決定論的視点てそれでいいのか? くだらないのはもう終わりにしよう
y=x^2
yという結果が1のとき、xという原因は1の可能性と-1の可能性がある
結果から原因は1つに決められない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています