ニヒリズムは必ずしも克服されるべきものなのだろうか? [無断転載禁止]©2ch.net
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ヨーロッパの歴史の中で現れたニヒリズムは克服されるべきものであるというのはわかる
しかし東洋においてはインド思想や仏教、さらに日本においては無常歌や漱石の「則天去私」に
見られるように数千年に渡りニヒリズム、またはペシミズムを受け入れ、文化、美意識にまで昇華してきた
歴史がある
「必ずしもニヒリズムを克服しなくてはならないのか?」と問われたときどう答えるべきか 全て受容するのが生物として正しい姿なんだけどね
結局弱さを克服しようとする姿勢そのものが宗教から脱却出来ていない迷い ニーチェって結局ニヒリズムを理解できていないよね
ジタバタしてるだけじゃん と言いつつも例えば知り合いがニヒリストとか嫌だろうと思うんだがな
付き合いにくいと思う
そういう人は何でも無意味にしたがる感じ、個人的経験だが
人類全体としてとかで考えれば迷いや選択肢も出るのかもしれないが
身近にあるのはNGだろ
それが答えになるはず レスありがとうございます
>>2
とても分かりやすい
かなりすっきりした部分があります
ただ、詳しそうなので自分の中ですっきりしないことをもう一つ聞きたいんだけど
価値を自ら見出していく生き方が「超人」だとしても、ヘーゲル流の「世界精神」を否定したり
「永劫回帰」の時間軸では、未来に価値を見出しながら生きていくことも否定されてしまう気がするんだけど
永劫回帰とニヒリズムの克服がツアラツストラの最大のテーマだと思うんだけど何回読んでもそこのギャップが
埋まっていないと感じるのは私が超人じゃないからか
ニーチェ哲学の大きな穴なんじゃないかと感じてしまう ヨーロッパでもニヒリズムは克服されるべきものとはなってないだろ。むしろ思想の自由が権利として保証されている。
西洋の人権思想を取り入れたのはアジアの方だ。 >>6
>永劫回帰とニヒリズムの克服がツアラツストラの最大のテーマだと思うんだけど何回読んでもそこのギャップが
>埋まっていないと感じるのは私が超人じゃないからか
ニーチェは「永劫回帰」を「ニヒリズムの最も極端な形」と呼んでいるが、
そのニヒリズムの最も極端な形である永劫回帰を欲するのが「運命愛」だから、
運命愛においてギャップは埋まっていると思う。
「永劫回帰」を突き付けられて弱者がげんなりしてしまうのは、
仏教で、「空」を突き付けられて凡夫がげんなりしてしまうのと同じことだろうと思う。
ネガティブに受け取られがちな「一切皆空」は、実は裏をかえせば「諸法実相」という肯定的な思想に転じるように、
「永劫回帰」も、そもそも、それをネガティブに受け取る理由はないのだ…というのが「運命愛」という肯定の思想なのだと思う。
『ツァラトゥストラ』では、最初のところで、幼子の「聖なる肯定」として、そのことが結論的に示されていると思う。
>「永劫回帰」の時間軸では、未来に価値を見出しながら生きていくことも否定されてしまう気がするんだけど
永劫回帰は、キリスト教の直線的時間と終末論(そして「彼岸」への憧れ)に対するアンチテーゼだと思う
(ニーチェは永劫回帰のことを「仏教のヨーロッパ的形態」とも呼んでいる)。
それを考えると、「未来」に価値を求めるのは、どちらかといえば、キリスト教的な生き方だと思われる。
そしてそれに対するアンチテーゼは、「今、ここ」に密着して生きる生き方(「未来」にではなく
「今、ここ」に価値を見出すことが「一切肯定」につながるような生き方)だと思う。 >>9
ありがとう
少し理解に近づいた気がする
そうすると超人について
・自身を常に超えていける人間
・価値判断や善悪の基準を自らで構築できる人間
という感じで理解してたんだけど少なくとも前者についてはもう少し考え直した方がいいんですかね >>10
超人は「自己超克」と関連していると思うので、前者も重要だと思います。
そのことと「永劫回帰」や「運命愛」との整合性を考える場合、ポイントになると思われるのは、
ニーチェは生存そのものが「力への意志」であり「自己超克」であると考えていることです。
キリスト教は「生否定的」であるとしてキリスト教を批判するニーチェは、自らはあるがままの生存を肯定しようとするのだから、
その肯定は必然的に、生存の本質である「力への意志」と「自己超克」を体現(血肉化)すること要請するでしょう。
そう考えれば、あるがままの生存を肯定すること(それは「運命愛」につながる)と「自己超克」は直結するでしょう。
また、生存の本質を力への意志と見なすことで、「運命愛」は、
《運命のままに流されていく》という感じの運命論(宿命論)とは異なるものになります。
ニーチェはその両者の違いを強調し、そして「私が運命だ」という言い方をする。
《運命のままに流されていく》という側面もあるとしても、それだけではなく、自らの内に創造的な力が働いているのだから、
《私が運命を造っていく》という側面もあるわけです。
だから、「今、ここ」の「あるがまま」を肯定するといっても、それは単なる現状容認ではない。
「あるがまま」といっても、それは自らの創造的な力を含めての「あるがまま」だからです。
(このあたりは、ニーチェが「無私」ということを非常に嫌うこととも関連する)
『ツァラトゥストラ』の序論にでてくる「末人」は、超人の対極的な人間として描かれていると思います。
末人的な「自己保存(保身)」の対極に「自己超克」があるとすれば、
その「自己超克」は、自らの「没落を欲する」ことも重要な要素として含んでいるでしょう。 虚無主義って過去にも将来にも意味を見出さずに現在だけを生きるっていう理解でいいんかな??
実存主義に近くなってしまうかな? すべてが無意味だ
有名人ですら10000万年後には誰も
知らない すべてが無意味であるという考え方 or 意味のないところにも意味を求めようとする生き方 ヽ、,jトttツf( ノ
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,,───────-、 >>9
おそらくニーチェさんの敗因はサイクルが一つしかないと思い込んだことなのです。
それと相反するサイクルの存在を感じながらその存在を受け入れようとはしなかった。
受け入れないことがニーチェさんの在り方だったのかも知れませんが、
受け入れさえすれば開ける道もあったと考えるとやはりそこがニーチェさんの限界だったのかなと思いますね。
とはいえ、それはニーチェさん自身の問題だけでなく、
その時代、その環境の限界でもあったのだろうと私は考えます。
by 鼎 梯仁 だから、ニヒリズムを克服するという欺瞞的姿勢をまず克服しなければならない。
「あらゆることにはまったく意味がない」と言った舌の根も乾かないうちに、
新たな意味・価値・目的を求める卑屈な態度を完全に捨てなければならない。
中島義道「明るいニヒリズム」 ニヒリズムでもどうにもならないものがある。死でもな。
そんな希望も既に明るいのが哲学だろう。 というか東洋は既に克服していたと見るべきじゃないの
人知を尽くして天命を待つっていう抜け穴がないから西洋はじたばたしたのであって >>6
永劫回帰を間違えてるように思う
あれは「お前の人生は一万回繰り返されている」ということを突き付けるけど
「お前は次に何が起きるかを知らない」という条件だから自分の生に価値を見出すことは許されてる
知らないからこそ人は希望を持てるというか、何もない荒野に放り出されるけど地平の先まで荒野である保証はないというような感じ ニヒリズムがやばいのは精神がまともじゃなくなるって事でしょ
高校野球を批判してた馬鹿な高校教師が居るけどあれもニヒリズム
神秘的な物や神聖的な物を神々しい物を批判してそういう物に価値は無いんだと否定する
そういうニヒリズムの行き着く先はあらゆる文化の破壊でしかない 能動的ニヒリズムってのも、ニーチェは言うとるやろ、必ずしも、ということではなかろう? 日本の文化や伝統を否定する人はニヒリズムになってる人ばっか
日本の文化や伝統批判する人に限ってじゃあ君は何か日本発の普遍的な文化作れるのかといいたいし ニヒリズムかどうかはあまり関係ない。日本の文化や伝統を重視している人でも法を犯せば逮捕される。
ニヒリズムを主張する人でも法を犯さなければせば逮捕されない。それだけのこと。 >>27
日本の伝統や文化を否定して悪いのかい?私自身は日本の伝統や文化を大切にしているいわば保守だけどさ、否定する人がいてもいいし賛否両論じゃない事物なんか無いよ。
某国の文革みたいに人々から取り上げて破壊してしまう訳ではないんだろうしさ。 ニヒリズムは魂の解放だよ
植松聖とかいう殺人者がいたが
現代的価値観で考えると生産性が全くない障害者には何の価値も見いだせない
これに真っ向から反論するのはとても難しい
しかし生そのものが無意味だとするならば生産性もたいして意味を持たなくなる
ニヒリズムは全ての価値観に対抗できる唯一無二の思想 そんな消極的ニヒリズムは退廃的な文芸批評でしか重宝されないし一般的でもない
人類史が積み上げてきたすべての価値を一旦リセットして生そのものが真に欲するところを
模索しようというのがニヒリズムだ そうか?
どんなに生を否定してみても生きてる以上は煩悩や嗜好といったものは在り続ける
いい女とセックスしたい、牛タンが好き、ラムトニックが飲みたいなどの基本的な欲求から
2chしたい、麻雀したい、ロックが好きなどそういった嗜好は消えないし
各々が欲するところは何かしらあるだろう
消極的であろうが嫌でもそこに辿り着いてしまうと思うんだが ニヒリズムの役割は魂の開放というよりも、中世的な宗教観からの開放だった
教義によってあれをしてはいけない、これをしてはいけないと抑圧されて生きてきた人々が
神を失ったとき自己の煩悩や願望などに対して現実的に向き合わねばならないと 日本人は信仰心が希薄だが、かと言って自立的でもない
寧ろ村社会的なコミュニティを好み空気を読む、TPOを弁えると言った慣習を形成しで無個性を強いる
一方、共産圏は唯物論によって強制的に宗教を排除しようとするがやはりこれもイデオロギーに依存して
自由意志を自ら放棄してしまう、結局ニヒリズムが信仰の束縛から人々を解き放っても
時にファシストであったりコミュニタリアンであろうとして抑圧や依存を求める人の本質自体は変わらない __ `ソ/-=・=- -=・=-\/ ̄/
\/゚ ,ハ \/
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グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
G9UWU ニヒリズムというか、現実を徹底的に自分自身で検証しようという冷静な考察は必要だと思います。
2000年の少し前頃に発刊され、アメリカで異例のベストセラーになり、日本でもベストセラー、
いまや30数カ国以上に翻訳されて読まれているニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『神との対話』シリーズ。
もし本当に「神の存在と恩寵」を確信したいなら、まず正しい「神の理解」が必要です。
そして、その「正しい理解・認識」によって、この現世で「神の体験」が可能になります。
すぐには信じがたい話だとは思いますが「運命は全て完璧・(深い意味で)成功のみ」とのことです。
また「我々の魂は永遠に不死」です。
そして、世の多くの宗教は同じ一つの神からのメッセンジャーにより発生したものとのことです。
一見、少し怪しい題名の本ですが、誰にも身近な共通の一つの神様です。
思索的な哲学書として読んでも面白いと思います。
《10分ほどで読めて分かる『神との対話』》
https://conversationswithgod.wixsite.com/kamitonotaiwa-matome レイ・ブラシエは哲学者達がニヒリズムを恐れるあまり否定して、実存を擁護する価値付けをするのを再呪術化と呼んで批判してるね
ニヒリズムを認めてしまおう、これは思弁的好機だ。無理に糊塗するのはかえって痛々しいよ、と言っている ニーチェも道徳批判の果てにニヒリズムに陥り、実存の危機から脱しようとして超人思想や永劫回帰という代替道徳思想を作ってしまったんじゃないのかなあ 人間は本能的に自らの実存を防衛してしまう
だからニヒリズムについて客観的に考察するのは難しいんだろうな 近代では大前提の神は死んだのだから
虚無は大前提で前提を克服できる奴なんぞ
それこそ事実から目を背けるだけのニヒリズムの悪しき王道でしかない。
同じニヒリズムでも善くいきる動機にすればいいんだよ。
気分の持ちよう次第だろう
問答法がキーとなる。 極論でしかできないバランスの悪さ、その原理で物事を単純化するなら
思考という原理そのものは不要だ、どこかの気に入った知識を暗記するだけでいい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています