ジャン=ジャック・ルソー [無断転載禁止]©2ch.net
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祈れ、主よ、わたしたちに向かって祈れ、わたしたちは近くにいる
― パウル・ツェラン (生野幸吉 訳) 「わたしは自分のことはよく知っている。だから、どのような人の、どれほど
純粋な恩恵であっても、どれほど率直にして、無償の歓待であっても、もしも
それが必要性にしばられてのものであるなら、わたしからすると、あいにくの
身勝手で、とがめるべきものだと思わないわけにはいかない。与えることに、
誇示するような優越的性質が認められるのと同様に、受けとることには、服従
する性質が伴っている。その証拠に、バヤジト一世は、ティムールからの贈り
物を罵倒してけんか腰で突き返した。またカリカットの皇帝は、オスマン帝国
のスレイマン皇帝から送られた贈り物に大いに憤慨して、自分も、先帝たちも、
人から物をもらう習慣などない、われわれの義務とは、人に与えることだと
いって、それを手荒く突き返したのみならず、この目的で遣わされた使節一同
を地下牢に閉じ込めたという。」モンテーニュ「エセー7」p.51-52 宮下志朗訳 「道徳性を普遍的な行動体系としたルソーに
従おうではないか」
カント
「ルソーは、国家とは、
無数の複雑で歴史的な弁証法的な
一連の過程における個人を飲み込む
絶対的な統一体だと教示している。」
へーゲル
「人間が利己的なのは資本主義社会がそうさせたからだ、とのルソー説は正しい。
個人の利益と全体の幸福は一致せねばならない
とのルソー説を実現する、人間が社会化される
日を到来させねばならない。」
マルクス
「個人の自由意志を重要視し、社会的自我より
真正の自我を選択する必要性を説くルソーの
見解は、実存主義哲学の基礎となった。」
サルトル
「ルソーは精神分析の先駆者」
フロイト 多くの哲学者は、各自の目的のため、
ルソー哲学をそれぞれに解釈し活用した。 「科学や知に関わる概念の意味や用法は権力が
他の意味や用法を排除して決定したものだ、
とルソーは気づいた」
フーコー
「ルソーは非常に早く現れた
ポストモダン思想家であるとも言える」
デリダ
ポストモダン思想の哲学は、人間とは外部の
力でどうにでも改造できる、とのルソーの
言説を共有する。
自由な人間を従順な臣民に変える機能を持つ、
自生的な社会諸制度に対して、ルソー以上に
批判的である。 ルソーは、文明人とは仮面を被った人々だと主張した。
現実はいつも見かけに湖塗される。
人間は、実際の自分を見せることを恐れる。
教養のある人々も、表では礼儀正しく魅力的ではあるが、
心の中では恐怖、疑心、憎しみ、裏切り、冷笑だらけである。
文明人とは、社会慣習の枠で踊る操り人形だ。
我々は他人の期待に応えるだけの存在である。
現代の人間は、弱く、自己中心的で、物質の奴隷になっている。
真の自分を疎外している。 「人間を含んだ自然界には宇宙的な調和がある。
すべての存在物に神が課した道徳の秩序がある。
この真理ゆえ、私は楽観的でありつづけられる。」
ルソー 1755 人間不平等起源論
1762 社会契約論
江戸中期に日本に入っていないのだろうか? 「嘘には二種類ある。過去に関する事実上の嘘と未来に関する権利上の嘘である。」
『エミール』岩波文庫版,p149
事実に関する嘘=自分が行ったことと異なる事を主張する
→罰する事をやめれば、子供は自分のしたことに対して嘘をつく事は無くなる
子供には自然で自由な教育をするべし
未来に関する嘘=守る意思のない事を主張する
→子供は視野が限られており、未来を見通す力がないし、約束の意味も分からない。
子供は嘘をつく能力が乏しい、その場限りの事しか言えない。
子供が嘘をつくようになるのは教師が根拠のない教訓を詰め込もうとし、
詰め込む方が、無知で裏表のない状態よりも良いと教師が考えているせいである。
子供にははっきりと分かりやすい原因と結果があり、嘘をついたら不利益が
真実を述べたら利益があると分かる場合のみに、自発的に述べさせるのが良い。 ルソーなんて諸悪の根源を信奉してる連中がこんなにいるのか
ぞっとする http://www.connebox.jp
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ルソーは諸悪の根源?
なに言ってんだか
手前勝手な解釈したバカどもの問題だわ
カントだのヘーゲルだのマルクスだの
こいつらのルソー解釈は
クソみたいなもんだ
>>110
それはルソー=全体主義の教祖という
イメージが定着してしまったからでしょうね
人間不平等起源論であるとか
社会契約論というのは当時の封建時代を変えさせるという意味では
非常に有効な劇薬であったけども
その劇薬自体の効果は過ぎれば極端な性善説思想から全体国家の悪しき理論を
導きされ濫用されてしまうものだからでしょうな 人間はもっと動物的に快楽に忠実に生きて良いと思う。 忠実に生きてて罰する法律や規則が存在するか?
ニートやネカマには無理なだけだ とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
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2H0F7 先日の駅伝を見て、ヴォルテールが放った罵倒を思い出した者も多いのでは? 彼らの話しているのを聞くと、まるで広場に並んで大声をあげている香具師(やし)の集団かと見まごうほどなのです。
「さあいらっしゃい、いらっしゃい、本当のことを知っているのはわたしだけだよ」と。
ある人は「物質などは存在しない。あるのは人間の観念だけだ」と言い、
ある人は、「この世に存在するのは物質だけだ。神など存在しない。宇宙があるだけだ」と言います。
またある人は「善も悪も存在しない。そんなものは妄想だ」と言い、
またある人は「人間は元々は互いに喰らいあっても平気な狼のような存在だ」と言うのです。
哲学者とはかくも立派な連中なのです。
こんな有り難い教えは、発表などせずに、自分の友達や子供たちだけに教えておいてくれたらよかったのです。
そうすれば、彼らはすぐにその報いを受けたでしょうし、わたしたちも彼らの考えの信奉者が身内にいるのではないかと心配することもなかったでしょう。 ヒュームと意気投合したけど即座に喧嘩別れして
そのヒュームに師事したのがアダム・スミス
ルソーはどちらかというとサヨですか
読んでないんだけど「悪魔と裏切者: ルソーとヒューム」は面白そう 私は今まで優れた人間というのは良い大学を出ていたり立派な家柄の生まれだとか大きな会社や国家の中枢で働いているような社会的地位が高く賢い人のことをいうのだと思っていた
しかし本当に人間として大切なのは優しさや思いやり、他者への愛情を持てることではないかと思うようになった
人間性というものは他人に優しくできるかどうかにかかっている
無学だがとても心優しい君といる内にそう感じたのだ
-ジャン・J・ルソー 服を脱がす
ブラのホックを外す
服を脱ぐ
キス
顔舐める
首
パイ揉み
乳首吸う
クンニング
口でしてと言う
きつつきフェラチオ
イラマチオ
シックスナイン
手マン
挿入
腰持ってピストン
恋人にぎりしながら名前連呼ピストン
駅弁、背面駅弁、立ちバック、座位、騎乗位、寝バック、松葉崩し
中出し 主権は譲渡されえない。
同じ理由から、主権は代表されえない。
主権は本質的に一般意志のうちにあり、そして意志というものは代表されるものではない。
一般意志は一般意志であるか、一般意志でないかのどちらかで、その中間というものはないのである。
だから人民の代議士は人民の代表ではないし、人民の代表になることはできない。
代議士は人民の代理人にすぎないのである。
代議士が最終的な決定を下すことはできないのだ。
『社会契約論』 ノモス主権論というやつ
民主主義というのは政治的妥協であって数は力、理念の政治とは異なる ルソーは今の世界で流行してる地理学的見地から言語学、
人類学、芸術論を語るスタンスの世界の学者や建築家達の
間で大人気なんだよ。 ルソーが全体主義思想の源流という英米派の指摘は
あながち間違ってはいないと思う。
ルソー自体にそのような派生思想の責任があるわけではない。しかしながらルソーの直接民主主義の考えからすると、結局は似非な民主主義国家にいきつくというのも予想できる。つまり共産思想なのだが
ルソーの言ってることは現実化すれば
人間動物園ということになる。
動物のままの本性で過ごしながら生活。
餌の心配はない。管理されてるから争いもない。
共産党はいわば動物園の園長である。 議員はどんなに神のごとき知能をもってして理想や観念を説いても民衆の客観視の囚われから
抜けることはない存在だ。つまり背後から撃たれる存在でしかない。人間動物園の園長は唯物論を説く観念を独占する動物であり物でしかないのに
背後から撃たれるのは外国からの心配でしかない。 ルソーの作品は処女作、学問芸術論と人間不平等起源論、社会契約論の間に大きな隔たりがある。
カッシーラの「ジャン・ジャックルソー問題」にも
その矛盾が指摘されているが
放浪思想家から懸賞論文で入選したあとでは
その後の展開が飛躍するのは当然でしょうけど。
かなり論争を巻き起こした(人間に四足歩行させるのが良識だとでもいうのか!)
末に、じゃあ国家としてこうすればええじゃん、となった帰結が社会契約論である。
理性や良識を一括にさせて国家に移譲させることで
みんな自然の本性で争いなく生きられる
といったところ。 あえてルソーを批判させてもらえばこういったところなわけですが、それでもなお私にとっては
ルソーは賛意する思想家でしかない。
作曲家でもあったルソーは「本音の和音」を聞きたかったのだと思う。孤児になり、家族の愛から見放されて放浪しているなかで嘘や虚飾のない人の繋がりを夢見ていたのだと思うのです。
私なりにルソーという人間から汲み取った心情は
おおいに共感できるところでもあります。 自然科学の発達が未熟だったせいで今の常識からみると間違った認識も多々
見受けられるが、それでもなお古さを全く感じさせない思想は素晴らしいの一言
それは人間がこの先どう変化を遂げようと変わらない本質について
述べているからだ 教育論における不朽の名著「エミール」を書いたが、自分の子どもはみんな孤児院に入れた ヴェーバーとルソー読むと、今の野党が政権とれないのにはちゃんと理由があると分かる >>139
たしかに非道いことで、自身は育児を放棄しながら
教育論を説くのは説得力がないように思えるだろうけど、でもよくよく考察してみるとその思想と実践は矛盾していない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています