なぜ私は私なのか [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、
または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。
この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。
世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。
しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%A7%81%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B なぜ私は私として生まれたのか?
隣の誰かでもよかったではないか。
なぜ私は目が覚めるといつも私なのか?朝起きたら隣の人になっていても
よいではないか。 >隣の誰かでもよかったではないか。
隣の誰かでも私です。
>朝起きたら隣の人になっていても
隣の人になっていても私です
私の隣の人はやはり隣の人です >>3
朝起きたら隣の人になっていた、と認識できたとして
元は別の体に居たという記憶は何処から来るんだ?
それが 記憶が物理的なものに還元できるならそれが発生する理由が要る
そうで無いとすれば実体二元論を支持するのか? 大便をして私が出て流されていくと思わないなって思ったことあったな、それだけ強く人といわれる器に固定されてるのかもな、その器が無くなる経験は人として生きてたら無理っぽいね >>13
僕は常に貴方を信じているから貴方を認識できるのかな。
>>4 僕じゃないけれど。 8)
国民国家の繁栄を目指した、科学的、合理的な政治である。そして国家総動員により強化さ
れた圧倒的な軍事力により、ドイツ国民悲願の第一次大戦の雪辱を果たすことに成功する。
問題はその課程で行われたユダヤ人虐殺である。当初、ドイツではユダヤ人の国外追放が進
められていたが、ボーランド侵攻などで、他国民のユダヤ人に対して、強制収容、そして虐
殺が行われた。理屈としては、劣性人種の排除という科学的合理主義の徹底的わかりやすい。
結果的にあまりにも合理性故に、害虫駆除のように効率的に人間が処理されるという現実
は恐ろしい。科学合理主義の徹底的とはいかなるものか。その事実にみな震えた。
最後のピースをはめたのはヒトラーだか、19世紀に世界が熱狂した合理的な国民国家の創
設の一つの完成形だ。いまもそれをヒトラーの狂気として隠蔽する傾向は強い。そして、合
理性への熱狂を反省なくいまもシラーと続いている。というか、いまさら引き返すことは不
可能だろう。ボクが言いたいことの一つが、まさにいまも変わらない隠された、合理性によ
り、害虫駆除のように効率的に人間が処理されるという現実だ。これは、国家権力の陰謀と
かそういうものではない。平等そのものが持つ暴力だ。平等は狂気であり、暴力である。
平等のベースにあるのは、生物学であり、統計学である。科学的に人間と分類されたものは
その個性など関係なく一律に等しいとされ、処理される科学的合理主義。そこにいくつかの
臨界が生まれる。人間とは何か。ヒトラーはユダヤ人を人間から排除した。それは現代でも
起こりえる。たとえば遺伝子工学は人間の境界を曖昧にする。さらに誰もが等しいと合理的
に処理されること。 おまとめサポート
(平成29年7月よりスタート)
他社のおまとめローンの審査が通らなかった方、ご相談下さい。
・勤続年数2年以上の方
・金融事故のない方
・来店可能な方
保証人、担保は不要です。
まずは、お電話でお問い合わせ下さい。
特定非営利活動法人 STA ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています