【神学】キリスト教哲学総合スレ

1考える名無しさん2018/02/22(木) 00:39:23.860
キリスト教世界について

171DJ学術2018/06/15(金) 08:55:18.030
魔術師サウロね。ま、魔術は結構秘密だけどメジャーになりやすいね。

172考える名無しさん2018/06/15(金) 12:21:37.930
エックハルトは発想は面白いけど詭弁的だよな
炭を手においた場合〜みたいに

173考える名無しさん2018/06/15(金) 23:37:24.910
パウロ=サウロ(ユダヤ名)

174考える名無しさん2018/06/15(金) 23:45:08.790
“思惟を超えた一はいかなる思惟によっても思惟されない。
 言葉を超えた善はいかなる言葉によっても語られない。

 それはすべての単一者を一にする単一、
 存在を超えた存在、
 非知的知性、
 語られざるロゴス。
 非言語、非知性、非名称。
 いかなる存在者として在るものでもない。”

― ディオニシオス・アレオパギテース 「神名論」 1:1:7 『キリスト教神秘主義著作集 1』 (1992)

175考える名無しさん2018/06/15(金) 23:45:34.600
>>174
もう一人、否定神学として知られる、
5-6世紀シリアの神学者、いわゆる偽ディオニュシオス。

176考える名無しさん2018/06/16(土) 05:55:45.490
>>174
>>175

同一人物なんだが

177考える名無しさん2018/06/16(土) 10:47:30.970
>>173
同一人物だが

178考える名無しさん2018/06/16(土) 11:49:33.100
>>176-177
そういう説明だろ

179考える名無しさん2018/06/16(土) 11:50:10.450
エックハルトは「神 Gott」と「神性 Gottheit」を分けた。

180考える名無しさん2018/06/16(土) 11:50:34.140
「離脱・放下」攷(二十三)― 唯一性と三位一体性との間
https://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/c/7c3426c149382b804a8e21cba0562d86/44

> エックハルトのいう神性(Gottheit)は、そこから私たちの精神に表象が形成される根底のようなものである。
> それは、在るものについても在らぬものについても同様である。
> それゆえ、この神性は、構造的に、新プラトン主義者たちのいう言表不可能な〈一〉と似ている。

その他、エックハルトと偽ディオニュシウスについてなど

181考える名無しさん2018/06/16(土) 11:53:19.250
創世神話や神秘主義、老子などには、最初から前提として無が出てくるが、
エックハルトは、素朴な文章の中に、自ら無を見い出した。

182考える名無しさん2018/06/16(土) 11:55:42.860
神の姿形を見ることは出来ないという記述

“いまだかつて、神を見た者はいない。”(ヨハネ 1:18)

“あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。”(出エジプト 33:20)

183考える名無しさん2018/06/16(土) 11:56:19.010
神の姿が人を想起させる記述

“神は御自分にかたどって人を創造された。”(創世記 1:27)

“玉座に座っておられる神を礼拝して言った。「アーメン、ハレルヤ。」”(黙示録 19:4)

184考える名無しさん2018/06/16(土) 13:26:42.610
>>179
これはアウグスティヌスの主張と反対なんだわな
多分アウグスティヌスの方が合理性がある

185考える名無しさん2018/06/16(土) 14:03:36.060
エックハルトは死ぬ前に教会に教えとに反すると指摘されたところは全て破棄して教会に従うと証言している
つまり今現存しているエックハルトの著作はエックハルト自身によって否定された内容

186考える名無しさん2018/06/16(土) 15:53:30.380
マイスター、マスターは、フリーメイソンの称号
ヴィルヘルム・マイスターの修行時代
ゲーテも有名なフリーメイソン
マスター・キートン
フリーメイソンの漫画

187考える名無しさん2018/06/16(土) 17:45:31.730
>>179
更に、エックハルトの説いた「神性の無」を取り出し、「無底」としたのがベーメ

188考える名無しさん2018/06/16(土) 17:46:26.320
ヤコブ・ベーメの無

“自己の自我ー形成と意欲が沈黙するならば、神の形成と意欲が現れるのである。
 なぜなら、没意欲であるものは無と一なるものであり、自然の外にあるが、
 この無底が神そのものであるから。”

― 「神を見る高貴な門」 2:20 『キリストへの道』 (1991)


“自然を離れては神はミステリウムであり、すなわち無のうちにある。
 まことに自然をとり除けばただ無であり、無は、永遠の目、底無しの目であって、
 無のうちに浮かび、無のなかを覗き、まことにこの目は底がないのである。
 そしてこの目が意思であり、すなわち、あらわれ出て無を見出したいと願うあこがれなのである。”

― 「シグナトゥーラ・レールム」 3:2 『キリスト教神秘主義著作集 13』 (1989)

189考える名無しさん2018/06/16(土) 20:25:57.740
>>184
>これはアウグスティヌスの主張と反対なんだわな
へえ、それは聞いたことがありませんでした
典拠あります?

190考える名無しさん2018/06/17(日) 00:25:28.980
>>185
ガリレオの言っていたことは間違いかい?

191考える名無しさん2018/06/17(日) 11:58:47.780
>>189
確か「三位一体論」
手元にないからどこかは正確に指定できないわ

192考える名無しさん2018/06/17(日) 12:06:31.800
人間なんかは、(実際の)人間と(普遍的)人間性とは区別して考えられるが、唯一である神に於いてはそのような区別はできず、神性(Deitas)と神であることとは全く同じである、
というのような話だったはず
他にも三位一体論では「本質(essentia)」と「賢明(sapientia)」は神においては全く同じであることを何度か繰り返しているし、神の十二の属性を三つに還元し、更には一つにすることができるとも言ってる。
このようにアウグスティヌスは神は本来的に無区別であることをめっちゃ強調している

193考える名無しさん2018/06/17(日) 19:56:27.670
>>186
・フィヒテ 「フリーメイソンリーの哲学」 『フィヒテ全集2』 (1997) p339-421
・中沢新一 『対称性人類学 カイエ・ソバージュ 5』 (2004) p43-45

フリーメイソンに関しても、ちゃんとした哲学的な考察があるから読んでみるといい。
フィヒテは良い大人。
中沢のは図像の象徴解釈。

194考える名無しさん2018/06/17(日) 19:57:16.140
ここしばらくの論点

・神はいる/いない
・神は有/無
・神は見える/見えない
・神に姿形はある/ない
・神は可知/不可知
・神を信じる/信じない

195考える名無しさん2018/06/17(日) 19:57:55.200
アウグスティヌスは、元々、マニ教的二元論の克服のため回心をしたのだし、
三位一体論理解も様式論的単一神論だった。

エックハルトなどはスコラ神学以降で、アリストテレス主義の影響下にあるもの。

196考える名無しさん2018/06/17(日) 19:59:18.640
アリストテレス哲学を構造的に取り入れたのが、
ドミニコ修道会(アルベルトゥス・マグヌス、アクィナス、エックハルト)。

質量は形相による限定を受けなければ単なる可能態にとどまっているが、
神とは質量の全ての可能性が実現して、質量としての影を残さない純粋な形相であると。
このように神を認識するようになった。

197考える名無しさん2018/06/17(日) 19:59:57.480
形相と質料

アリストテレスにとって「もの」はエイドス(形相)とヒュレー(質料)から構成される。
エイドスは「もの」の本質、ヒュレーは「もの」という現実である。

〔例:鉛筆〕

・エイドス … 書くもの … 目的、本質
・ヒュレー … 木、黒鉛 … 材料

198考える名無しさん2018/06/17(日) 20:00:48.570
プラトンとアリストテレスの違い

「ものの本質」をプラトンはイデア、アリストテレスはエイドスと呼ぶ。

・プラトン … イデア … 現実にない
・アリストテレス … エイドス … 現実にある

プラトンは現象界とイデア界を明確に分けた。
鉛筆も本も物質的な存在はそこにあるが、その本質はイデアという世界にあり、
私たちはイデアが作る幻想を見ているにすぎない。

一方、アリストテレスはエイドスをヒュレーの中にあるものと考えた。
つまりエイドスは現実にある、なにか抽象的なものである。

199考える名無しさん2018/06/17(日) 20:01:59.700
(205-270) プロティノス
(354-430) アウグスティヌス
(5-6世紀) 偽ディオニュシオス・アレオパギテース
(11世紀以降) スコラ神学
(1225-1274) トマス・アクィナス
(1260-1328) マイスター・エックハルト

>>162以降の話題は、否定神学(プロティノス以降)から始まって、
キリスト教におけるネオプラトニズム(新プラトン主義的神秘主義)の影響とその後をみていっている。

200考える名無しさん2018/06/17(日) 20:02:52.600
アウグスティヌス … 信仰 > 理性
スコラ神学 … 理性 > 信仰

「理解せんがために、われ信ず(credo ut intelligam)」カンタベリーのアンセルムス(1033-1109)

201考える名無しさん2018/06/17(日) 20:03:49.770
スコラ神学は、プラトン主義とアリストテレス主義の調和目指した。
その矛盾と破綻に端を発したのが、ルターによる宗教改革。(>>136

202考える名無しさん2018/06/17(日) 20:04:34.640
(1451-1506) コロンブス
(1452-1519) レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1473-1543) コペルニクス(†)
(1483-1546) ルター †
(1491-1556) イグナチオ・デ・ロヨラ †
(1506-1552) フランシスコ・ザビエル †
(1542-1591) 十字架のヨハネ †
(1547-1616) セルバンテス
(1548-1600) ジョルダーノ・ブルーノ †
(1564-1642) ガリレオ
(1575-1624) ヤーコプ・ベーメ †
(1596-1650) デカルト
(1599-1660) ベラスケス
(1632-1677) スピノザ
(1632-1704) ロック

203考える名無しさん2018/06/17(日) 20:05:31.650
>>202
「宗教と科学」という時代に入ってくる。
特に、ベーメやデカルトの時代は、ルターによる宗教改革直後の混乱期。

204考える名無しさん2018/06/17(日) 20:13:32.110
セルバンテス『ドン・キホーテ』、ベラスケス『ラス・メニーナス』の自己言及性、
ベーメや特にフィヒテによるフリーメイソン議論(>>193)の再帰性には、
ポストモダンの萌芽が感じられる。

ラス・メニーナス:https://okdiario.com/img/2015/12/Menina.jpg

205考える名無しさん2018/06/17(日) 20:14:17.520
ベーメのヴィジョン

“神性の本質は無底の深みのありとあらゆるところにあって、輪(ein Rad)か眼のようである。
 始まりがいつも終わりをもっているからである。しかも無底には場所は全く見いだされない。
 無底はそれ自身があらゆる存在者の場所であり、あらゆる物の充満であるが、
 それにもかかわらず無底は何ものにも?まえられたり見られたりしないからである。
 無底はそれ自身においてひとつの眼である。
 預言者エゼキエルは、第一章で、彼の意志の霊を神のなかへ導き入れることによって、
 そのようなもの[無底]をひとつの形体のうちに見た。”

― ヤーコプ・ベーメ 『無底と根底』 「六つの神智学的要点」 19 (1991)


“第三十年の四月五日のことである。
 わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、
 そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。[略]
 わたしが生き物を見ていると、四つの顔を持つ生き物の傍らの地に一つの車輪が見えた。
 それらの車輪の有様と構造は、緑柱石のように輝いていて、四つとも同じような姿をしていた。
 その有様と構造は車輪の中にもう一つの車輪があるかのようであった。
 それらが移動するとき、四つの方向のどちらにも進むことができ、移動するとき向きを変えることはなかった。”

― 旧約 「エゼキエル書」 1:1-17


エゼキエルの車輪
http://www.ritmanlibrary.com/wp-content/uploads/2013/08/Aurora-Morgenrote-in-Aufgang.jpg

その他ベーメのヴィジョン
http://www.esoteric.msu.edu/jpg/Frontispiece.jpeg
http://livedoor.blogimg.jp/fairypot2/imgs/0/6/0674579d.jpg
http://werke.jacob-boehme.org/3-40-Fragen-von-der-Seele.jpg
http://werke.jacob-boehme.org/4-Mysterium-Pansophicum.jpg

206考える名無しさん2018/06/17(日) 20:14:56.900
ベーメは「神は無であり一切である」とした。

神自身をも発現させる、神の最奥にまで遡源すると、
そこでは、いかなるものでもないことによって、一切を生成させる
「無即有」、「有即無」の根源的事態につきあたる。

207考える名無しさん2018/06/17(日) 20:15:33.710
>>187
ベーメの「無底、無根底 Ungrund」を哲学の中心に据えたのがドイツ観念論。
シェリング、ヘーゲルからその影響はハイデガーにまで及ぶ。

ヘーゲルは『論理の学』の存在論において、
「存在」と「無」は同じであり、これらが同一性と差異性を孕みながら合わさる運動を「生成」と呼んだ。

208考える名無しさん2018/06/17(日) 20:16:07.040
Grund=底、根拠

209考える名無しさん2018/06/17(日) 20:16:44.930
“神とは(…)あらゆる根底に先立って、あらゆる現実在するものに先立って、
 したがってそもそもあらゆる二元性に先立って、自らの本質である「根源実在」なのである。
 シェリングはそれを「現根底(Urgrund)あるいはむしろ無根底(Ungrund)」と名付けている。

 すなわち、それに関してはいかなる差異も、また有[存在]の組目も、
 もともと適当な述語として述べられることのできない「絶対的無差別」のことである。”

― ハイデガー全集42 『シェリング『人間的自由の本質について』』 第18節

210考える名無しさん2018/06/17(日) 20:17:41.150
無根底は二元論を、その下方への超越において克服する。
ドイツ観念論は、有と無の宇宙を反転させた。

211考える名無しさん2018/06/17(日) 20:19:30.740
最新の哲学からは、
メイヤスーの『有限性の後で:偶然性の必然性についての試論』(2016)が、デカルトとシェリングの邂逅。

同じく、シェリングの原始偶然に触発された九鬼周造は、
「偶然性は/(1)有が無に根ざしている状態/(2)無が有を浸している形象/(3)無に近い存在」などとしている(『偶然性の問題』(1935))。

212考える名無しさん2018/06/17(日) 20:21:07.780
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)

(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教では「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。

(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教でいう「般若」だが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。

(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。

(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。



(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。

セフィロトの樹:http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg

213考える名無しさん2018/06/18(月) 00:11:07.380
田川の新訳をみていってるが、確かに参照せざるを得ない。
本文訳40ページに対して、註解800ページ。

註解の中では、既存の「A訳のここはダメ」、「B訳のあそこはけしからん」などといいながら、
全ての訳出の意図を解説している。

これ程の註解は見たことがない。

214考える名無しさん2018/06/18(月) 00:12:58.370
本文訳だけを集めて一冊にするという話もあるが、
この人のは註解を読むものだろう。

215考える名無しさん2018/06/18(月) 00:15:21.410
古代ギリシャ語について

「自分の語学力が辛うじて及第点に到達したかな、
 と思えるようになったのは、六十歳代も半ばになってから」

とか、

「今日新約聖書のギリシャ語の最高級の学術的辞書だと評価されている
 バウアーの辞書のその語の項目をみると、バウアーがつけている訳語の用例として
 同時代の碑文、パピルス、著作等々のさまざまな個所が言及されている。(略)
 しかしそれを見て、どうもこれはおかしいんじゃないか、とぴんときた。」

という具合。


田川『新約聖書 訳と註 第3巻』の中で、
・「全体への序文」
・「解説」で最新のテクストクリティーク事情
が読める。

216考える名無しさん2018/06/18(月) 00:17:11.610
(1)『書物としての新約聖書』 田川建三 (1997)
(2)『はじめて読む聖書』 田川建三 (2014)

1.独立した本として、田川による新約のテクストクリティーク(正文批判)について読めるものはこれ。
2.「神を信じないクリスチャン」の背景はこちら。

217考える名無しさん2018/06/18(月) 00:17:45.690
プロテスタントとカトリックとの共同訳によるものでも、護教的な解釈がみられる、というスタンス。

218考える名無しさん2018/06/19(火) 22:15:41.960
>>161
「苦よもぎ」については、スイスとフランスの酒造法の違いの話とか

>>213
マルクス『資本論』邦訳へのダメ出しまで

>>216
> 神を信じない
というのは不可知論的なニュアンス

219考える名無しさん2018/06/19(火) 22:18:06.800
>>105-110
白水社

『現代キリスト教思想叢書 1 シュライエルマッハー、リッチュル』
『現代キリスト教思想叢書 2 トレルチ、ケーラー、ヘルマン』
『現代キリスト教思想叢書 3 ニューマン、チェスタトン、エリオット』
『現代キリスト教思想叢書 4 ウェスレー、フォーサイス』
『現代キリスト教思想叢書 5 ヘーゲル、キルケゴール』
『現代キリスト教思想叢書 6 ヴェーユ、ボンヘッファー』
『現代キリスト教思想叢書 7 ベルジャーエフ、マルセル』
『現代キリスト教思想叢書 8 ティリッヒ、ニーバー』
『現代キリスト教思想叢書 9 バルト、ゴルヴィッツァー』
『現代キリスト教思想叢書 10 ブルンナー、ゴーガルテン』
『現代キリスト教思想叢書 12 エリュル、ムニエ』
『現代キリスト教思想叢書 13 ラーナー、グァルディーニ』
『現代キリスト教思想叢書 14 オット、パンネンベルク』

220考える名無しさん2018/06/19(火) 22:21:15.160
『福音と世界 2018年7月号 特集=クィア神学とは何か』

「クィア」な知の営み ―周縁から規範を徹底的に問い直す … 佐々木裕子
クィア神学の定義をめぐる諸問題 … 朝香知己
「イエスとクィア」から「クィアなイエス」へ ―クィア理論を用いた聖書解釈の新たな地平 … 小林昭博
教会をめぐるクィアな可能性 ―〈怒り〉の回復とその共同性に向けて … 堀江有里
これからの「せい」の話をしよう ―生なる、性なる、聖なるかな … 川江友二
          *
現代に生きる主の弟子のあり方を問う ―WCCアルーシャ世界宣教伝道会議報告 … 村瀬義史
          *
【連載】
地のいと低きところにホサナ7 ―福祉と施し、そしてルースの受難 … ブレイディみかこ
福音の地下水脈(アンダーグラウンド)9 … IKAZUGOKE(前編)
聖書とわたし28 責任、そして「隣人になる」こと … 國分功一郎
みことば散歩19 素顔の君でいて … 望月麻生
野に咲く民衆の神学―別所梅之助を読む4 ―儒教・うるおい・神の裁き … 森 宣雄
現代神学の冒険―新しい海図を求めて22 ―生命の神学3―環境倫理と動物倫理 … 芦名定道
レヴィナスの時間論 『時間と他者』を読む40 … 内田 樹
佐藤優のことばの履歴書52 10年を経て … 佐藤 優
詩篇の思想と信仰155 詩篇149篇 … 月本昭男
新約釈義29 第一テモテ書(5:17-25) … 辻 学
表紙画について … 八木美穂子 

221考える名無しさん2018/06/19(火) 23:12:15.180
“神が聖書のなかに、そして聖書を通して語ったことを見出し、
 それをわれわれ自身の時代の概念で包むことが神学のつとめである。”

― A.E.マクグラス 『ポスト・モダン世界のキリスト教 ―21世紀における福音の役割』 (2004)

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