決定論「未来は決まっている」
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全人類「マジかよやる気無くしたわ」
人類は滅亡するのであった… 決定論が本当なら、何度時間を巻き戻してリスタートしても同じ結果になるわけだ。
決定論は本当だろうか? 決定論では未来は変えられないと考える。決定論者は変えられない未来のことで悩まない。 >>939
未来は未決だがコントロールすることはできない
結果に一定の偶然性が入ってくるは量子論の知見から得られよう
何度巻き戻しても結果は同じにはならないが存在者自身は偶然性には関与できない
連結器がどの路線に列車を導くかという不確定性はあっても乗客である私たちは
列車に導かれるまま、行き先を選択する自由はない 467 :名無しさんといつまでも一緒 :2020/02/08(土) 23:27:04.17 0
バイブは使い終わったあと
洗ってると物凄く惨めな気分になる… >>942
のぞみに乗りたいと望んでも鈍行列車から降りられないってことか… 電車で席に座っていて、前に立っている人の脚が自分の膝にぶつかったとする
そして膝蓋腱反射で爪先が上がってその前の人の脛を蹴飛ばしてケガをさせたとする
たぶんコレには治療費の請求はできないと思う
それに対して前の人がぶつかったのが膝ではなく腿で、
座っている方の人は腹を立てて立っている人をぶん殴ってケガをさせたのであれば
治療費も請求可能だろうし、傷害罪が成立するかもしれない
運動神経を発火させたパルスが脊髄経由か脳経由かの違いでしかないんだけどね >>945
場合による、故意がなくとも事故はあり、
事故があれば民法が成立する。
事故がおきた場合にはおきたことを回避できたか、過去にぶつかるという予見性や
その形状から何かが起きる可能性を否定できないかぎり過失責任は生じるんだよ。 法制度・裁判制度は、オカルトを採用したり受け入れたりしているところがあるよね >>947
それは彼らにとってオカルトではない、
天動説も現代にとってはオカルトであっても、当時の科学では学問の定説よ。
なぜいまの科学が将来完全否定されないと言い切れる?
世界の真理などほとんどわかっていないのに、自分が見える部分だけが正しいから
否定できないだろ、だから真実だという根拠なら天動説もそのとおり当時の人の
理解と学識と観測では揺るぎが無い科学で正しい事実で誰も否定できない。
ただ高尚な高度で難解なそれが革命を起こしても理解できるのは極僅かってこと、
数学の難問などを解決した人の論文とかほとんどのエリート数学者が何をいっているか
理解できなかった事実を認めろよ。 ああ、いまの法制度・裁判制度は将来完全否定されないと思うよ 馬鹿だろ、それは人が支配していたらの話にすぎない。 そもそも証明っていう概念自体が人によってすら基準まちまちな曖昧な概念でしかないわけで
そういう意味では決定論も非決定論も何も変わらない、単なる思想の類
・・・不可知論とか認識的相対主義に走り過ぎだろって叩かれそうだけど。。。 まあ私も経験則的に世界は決定論なんだろうなあって思ってはいるけどさ、正直証明っていうもの自体あまり期待はしてないし
もう不可知論と相対主義とかいう思考停止2点セットでよくねって気がしてきた私頭悪いし もう決定論信じる人は日々を無為に穏やかに過ごせばいいし、非決定論信じる人は日々アクティブに頑張っていけばいいんじゃないかな 確かに決定論だから残念な人生という訳ではないけどね
最初から結末が決まっていても読書や映画観賞はやはり面白い
それが仮につまらない映画、気分が悪くなる小説を強いられる人生だったら
ちょっとわからんが… >>955
決定論に従えば、「映画や小説などの感想も決まっている」という事になりやしないか? >>956
どんな感情がでるか予め定められてるにせよ結果として楽しめるのは事実だから
決して残念なことではない
神の視点では全ての結末がわかっていても我々にはわからんのだから 宇宙を開拓すれば決定論に従わないでいい。宇宙神が現れるかもしれない。負けづらで。 天動説と地動説両方取れない。学問の張り合いがよくない。
科学は実験してから戦争を起こすためだけにあるモノ。否定されるどころか興隆するだろう。科学とは何か一つのことを害すること奪うではない。いろんな分野を複雑な視点で戦場をシミュレーションするところに意図がある。 〜♪
タンタタンジン・ドタタンジン・ドップょっタン
ぴゃぴゃっ!
タンタタンジン・ドタタンジン・ドップょっタン
ドップょっとねとねンジン
ドップょっとねップょっとねンジン・ドップょっとねジン・ドップょっとね〜♪
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ゝ、、ゝ .\`二´'/ ノソ ヘラヘラっぷりろん♬
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放ら放がらがらがぼがらエズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し数ら放ら放ら放 ,;';,.!レのョョ!♬
らがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがらがぼがらがエズオドットコリ〜モナ〜ぼがぼがぼがらが
数_.!レのョョ!らがぼがらがらがぼがらワラしののりそだかまだのいっつのワラ
放ら放がらがらがぼがらエズオドットコリ〜モナ〜ワラウム返し数ら放ら放ら放 ,;';,.!レのョョ!♬ 決定論は初めから全部決まってるんじゃなくて、直前の周りとの関係性によって次の事象が決定されるんじゃなかったか?
「あの時アレをやっちゃったから」とかで過去を悔いたり自分を責めたりする必要が全くなくなるから決定論は気が楽で好き。
自由意志がある場合は全ての選択の責任が自分に降りかかる。そっちの方がいいって人もいると思うけど 決定論、惜しいな。まあ既存の哲学はまだここを超えていない。 MARSのときも思ったけど、
ウイルスの蔓延を防ごうと人間が必死にがんばっているように見えるけど
これも全て物理法則に従った振舞いで、
ウイルスが蔓延するのか封じ込めに成功するのかも、
とっくに決定されているんだよな 子供を作るのを女子が決定できるのが決定論で不服はない。 幼稚園生だった自分がが楽しくドリフを見ていたあの頃から
40年後に新型コロナのパンデミックの犠牲になることが決まっていたというのか
切なすぎる・・・ 非決定論者って負ける前提で考えるよな
「負けるのがわかってるのになんでやるの?」
超能力が前提というアホの上塗りwwwwwwwwwwwwww | l
j >ー-==ミ
_ ., < / ヽ
/´ ` '.
. { } あんまりしっかり
i ノ | ! 拭いてないわよ
l/ / `ヽ| ,
. r,::. ′ 、 i ! アンダーヘアも
Y { ゞ' ;! ! ありのまま
八 人 ハ | 自然が一番よ💛
个 . .イ .イ { |
| | ノ i | ダンスで鍛えているから
| | / .} j ちょっと筋肉質で
| | i .! { カチッとしてるのよ
, ,′ | | i
' / ', ! . スペンス乳腺を刺激されると
. , / V | | 噴射しちゃうのよ
, / ヽ j |
/ j ∨ |
. / ∨ |
/ '. |
; \ / '. |
! ヽ / '. |
| 爻 / j i
. /| 、爻_ノ ,' |
/ ! イ `ヽ { | 量子論の確率とかカオスのような現象があるのに決定論を信じている理由は? >>973が量子論の確率を信じている理由を想像すると分かりやすいと思う カオスっててめえの容量オーバーを認めた言葉だよなw 83 :本当にあった怖い名無し:2013/05/01(水) 14:25:49.37 ID:Xo6HUJNW0
●
((
/⌒\
( ,)
| |
| |
| | 俺がいつもおちんぽおちんぽばっかり言っているキチガイだと思うなよ。
(, ・∀・) <未来ではこれがデフォ、2015年から始まった第3次世界対戦とパンデミックの影響で
/~ ヽy/~\ || 世界中で人工が激減した。最初に人口増を達成した国が覇権国家となると決まった時
/ )=∞ =/__フっ 子作りがこそが防衛手段となったのだ。
~(___Y__)┳┳ だからコンパでも駆けつけ三杯ではなく、駆けつけ三発だ。
⊂ニニニニニ⊃| もうね、いつでもどこでも子作りですよ。 >>975
カオスを扱えない奴にとってはカオスは無能を意味するが、
扱えないと何で思ったの? スレにカオスをもたらす男は
ある意味カオスを扱っているとも言える
有能かどうかは別として 未来が決まっているならば、我々は何でも何を言っても、どんな行動しても良かろう。全員無罪である。
微分、無理数、余り、が決定されている。ということである。そしてそれが決定されているにしても、それを「認識」できないとなれば
「未来は決まっている」という発言は、様々に、無数に反対の、解釈をされうるか、様々に受け取られ得る(認識されうる)。すなわち「何も言っていない」に等しくなる。
DNAはコピーミスをする。ミスはミスではなく、いずれミスをする。。「いずれ」のところが我々には分からない。コロナウイルスは「誰に」感染するか?。
現実化=異化=分化。潜在的なもの(微分的なものたち)が、ある種の相対的な収束(積分)をする・・。個体化をする。。。臓器になる、遺伝子の点(延長ではない)たちが集まり「座」を構成する・・。
すなわち個体化。
この過程を自然淘汰というのである。つまりある潜在的なものたちが、集まる・・そこである個体が出来る(選ばれたととでも言えようか)。選別されたのである。
そしてその個体に潜在的なものが住んでいる)、そしてその個体の差が、種、性差、を生み出すのである。性、種、臓器になる・・のは法則ではない。偶然である。だが法則から見る人には
ミス、エラー、恒常性の否定だという。
遺伝子がコピーミスをするのは、ミスではなく、遺伝子自身が差異化して己の維持に、複製に、保存に「反して」活動することを本質としているからであり、
遺伝子自体に「アンチ遺伝子が内在」していて、それらが決して「延長」そのものにならない。
ヘーゲル曰く、「法則に従いながら、その端から法則を食べてゆく・・」。そうである。法則は相対的なもので、絶対的なものではない。そういう意味はアンチ法則といういみでは
決定論は正しい・・。だが決定論は、その証明はできない。そして機械論、目的論を論破(包み込み)できている。しかし、決定論自体が「具体的に」なにかを言えない。 ラプラス教教義
二戒(にかい)
全てのできごとは素粒子のビリヤードであり、偶然はないと信じる。
あらゆるできごとを、「なるようになる」と受け入れる。 決定論に素粒子物理を導入したとき
未来は完全には決まっていないがその範囲は定まっている
そこに意志の介在による選択的自由はない
これが結論だよ 決まっているかどうかを判定するには比較のための状態が必要だが
この状態というものは人間(というか生命)が自分の中に作り出した仮想的なものだ >>982
うむ、そうなのだ。
「可能性:という概念は現在において、複数の表象、またはイメージがあるという事実でしかない。
現在において・・というのは、「明日になればまた其処の現在において」明日の可能性を表象するが、
結局、それらの行為自体全体が「次の日」には変わるので、「可能性」という概念は概念としては「創造」ではなく「想像」に
属している。幻想だといっても良いかも。 観測者(ラプラスであれマックスウェルであれ)
そのような存在は存在しないとはいえないが。ラプラスは物理平面の外のデーモンを想定している。
マクスウェルのデーモンも同じである。そのデーモンは実のところ、初期状態の存在があると・以後を決定するという意味である。そしてデーモン(観測者自身も)も世界に参加している。
そしてある世界が「静止」の表象をしたと同時にデーモンも静止する。デーモンが真に部外者
であれば、デーモンは別の世界におり、他の世界に関係することができない。
そしてもしデーモンがいたとしても、そのデーモンを見ている「二番目デーモン」が
いないということも言えない。
。つまり平衡状態は一回は存在したということを想像したのである。しかし
ニーチェが言うように一回でも平衡状態があったなら、それは制止、静止なのである。円周率が確定したら円周率が3.141592・・・が止まるという事である。つまり有理数になってしまうのである。。
一回止まるなら、どうして動き出せよう?外部に存在があるのであれば、彼は
介入できない立場にあるはずである。見るという行為は、反射か思考の動きがある。
彼は「どうやって見たり、思考したりできうるのか?」。それに必要なのは彼(デーモン)
と同じ平面での「他者」が必要である。それがいないとなると、彼は自分が人間か
ライオンか、カラスかどうか分からないだろう。他者で、他の人間を彼がみたなら、
彼は自分を人間だと思うし、キリンがいてて、そしてそれをみたら、自分をキリンだと思うだろう。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。