時間とは何か
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
世界内存在
存在者は(実存者は)、社会内存在から、世界内存在となる。
最初からは、世界内存在とはなれない。 存在者と意味
存在者が、社会内存在からでなければ、世界内存在となれない理由は、その存在が一義に意味に基礎しているからである。
意味は一義に、(最初に)、ある社会内に流通している意味として存在者に現れる。 将来性
あの若者は将来性がある、と言います。将来性と言う言辞が、何者かになる、なっていく、と言う意味であれば、全ての若者に将来性があります。
我々は、社会的に評価される人物になるであろう時だけ、将来性があると言います。 全てにはいることも難く、すべての兵法はそれでも負けるでしょう。 無の問題
現存在は無を認識する。それを感じる。それを捉える。ただこの存在者だけが、無を認識する。この存在者が無を認識する理由は、この存在者が、自身がいるその世界を超え得るからで
ある。現存在が、その中に自身を発見するその世界社会を、超え出て、その上の世界に入り得るのはこの能力によってである。
現存在がその属する世界を認識する方法は、意味によってである。
また、無は自由と同様に、完全な無でなければ無ではない。 無を認識するときか。無矛盾?煙の方会の仲魔かな。韻踏む月齢重ね折り。 京都大学文学研究科の哲学専攻の出口康夫の考えている数理哲学って難しそうだな
数学を哲学に注入することで、
哲学を無理やり進歩させようとしているのかなとか思ってしまう。 京都 哲学 派 ぐらいでいいと思う。大学院は宗派が合わないと盛り上がらなそう。
寺内町から果てしなく出られない快走よりは、踊り数学え歌。 西田哲学って竹の子族と同じだな。
なんで流行ったのか誰もわからない。 ま、過程説氏のいう「矛盾」とは違うのだけど、
自然は矛盾する。
矛盾するからこそ、われわれの世界がある。
必然的「矛盾」ではなく、「必然」こそが「矛盾」なのだ。
無矛盾であれば「必然」など「ない」。 逆にかんがえよう。
数学は世界でできている。
世界が数学をうみだす。
人間中心の「逆転してしまった」見方を正しい方向に修正する。
絶対的、相対的から逆転を経て双方向的または無向的へ。 無秩序に矛盾を投入すると秩序がうまれる。
うまれざるをえない。必然的。
必然的偶然、ではなく、偶然的必然。
真の絶対無とは無ではなく、有も無も無い。
真の絶対有とは有であり、有も無も有る。
この2つを繋ぎ変えることで絶対矛盾的自然が得られる。 なぜ、自然には、このような矛盾があるのか。
それは、なんらかのアクセス不能なものが生じたからだと考えられる。
ま、そのようなものを想定して、先に「パンドラ構造体」という名前を与えてあるw
それの異名がアザトースであり、コズミック系クトゥルフ神話の... 存在論と超越
実存する者の実存は、存在論により超越する。実存する現存在は、存在論によりその自身のいる世界を超越する。
身近には、実存者は存在論によりその実存する世界、(社会)を超越する、抜け出る。存在論の行き着くところ、目的は超越である。
|⊂⊃;,、
|・∀・) 輪廻のサティちゃんです
|⊂ノ
|`J
言葉での説明
ハイデガーが、存在と時間の中で、存在の意味は時間である、と言っていたと思いますが、何処であるか見つけられない。
しかし、間違い無いようです。すると、ここでの言い方では、存在とは時間の担体である、となる。
つまり、一般に存在とは、時間を担っていく“もの”である、となる。時間がそこに宿るものである、とも言える。しかし、この言い方で、その意味はよくわからない。
その理由の一つは、時間とは何か、がわからない、言葉で説明出来ない。言葉で充分に説明出来ていないからである。
もしも、何かが言葉で充分に説明出来るなら、我々もその物事を共有できる。(共有の端緒である)物事や事態を共有してこそ、我々の共存在は成立する。(”他人事“、とはこの共存在からの(我々の存在の)抜け落ちを現している)
(我々の社会性は未だ、成立していない)
時間と時間性
ただ、彼はここでも、存在の意味は時間性である、と言うつもりだったのでは無いか。彼は時間性とは時熟する時間であると言っている、言いたいようです。あるいは、時間の時熟する性質を時間性と言っているようですが、難解です。 time というと、sains パーティー 'kin となると思うが。 そもそも意味とは
このスレの主題は、時間とは何か、です。それを、時間の意味とは何か、に置き換えます。
(異論があってもとりあえず飛ばします)
では、そもそも、意味とは何か、です。ミカンの意味、と言うと辞書を引きます。辞書はミカンと言う言語の意味、即ちその言辞の内容、言い表し、を説明します。 マルクス・ガブリエル()風にいえば、
辞書という意味場における「存在」ですよねw
その、「ミカン」という言葉の、辞書という意味場における「言葉」による「存在」が、
辞書という意味場における「ミカン」の「意味」です。
辞書というfieldに「ミカン」というoperatorを作用させると「意味」が引き出されます。
ただし、これは本来量子状態(重ね合わせ)であるべきですが、辞書ではそれができないので、
複数の意味があるとき並列されます。
しかも他のoperatorに飛ばされます。そしてそのoperatorによるネットワーク上になんらかのループが形成されます。
この「ループ」が辞書的な「意味2」です。
意味2に至って、やっと、辞書外へ「意味」が適用可能な形態になると考えられ...
ループ量子意味論ですねw ちょいと飛びすぎですけど、未来の量子脳AIはそのようになるでしょう。 辞書という閉じた世界を考える。
だが、この「辞書」には「辞書」が載っている。
「辞書」は「存在する」。
そしてそこには2つの「存在」をみいだせる。
「辞書」という死んだ静物としての「存在」。
「辞書」という生きた生物としての「存在」。
静物としての辞書は「時間」を辞書的に持ってはいるが死物である。
生物としての辞書は「時間」をoperatorとして持つ。
operatorが自発的に動く・働くことで辞書は生物となる。
外部を持ち込めば簡単だが、それは無限連鎖をうみだしてしまう。
辞書という内部だけで生物化させるとしたら...そのほうが現実的なセカイとの符合点は多い。
とてもおもしろい。
結論:宇宙は生物であり生物が時間をうみだす。時間をうみだすものが生物である。
(宇宙バナナの皮理論。宇宙バナナの皮が自分自身を踏んで転ぶことで宇宙バナナの皮が存在してしまう) ミカンと言う言辞
店のテーブルで、ミカン、と叫ぶと、やがてオレンジの丸い物体が運ばれる。ミカンです。そこは喫茶店ですが、メニューにミカンがあるのです。
ミカンと叫ぶ行為が、丸い物体、ミカンAを運ばせました。叫ぶ行為の意味は、ミカンの、この場合ミカンAの出現です。そしてミカンと言う言辞の意味はその該当する物体であるとされます。
しかし、時間を考えてください。ミカンと叫ぶと、しばらくして、ミカンが出てくる。ミカンと言うその言辞は、そのミカンの出現を指していたのです。
ミカンと言う言辞は、実物のミカンを出現させるのです。これが意味の、初源なのです。
また、この事情は、ミカンと叫んで待っていてら、リンゴが出てきた場合を考えると面白くなります。ミカンと注文したのですが、ミカンがきれていたので、代わりに剥いたリンゴが運ばれたのです。その店では以前からそうしていたのです。
この場合、ミカンと叫ぶ行為が、リンゴを出現させました。ミカンの意味は、その物体、リンゴBではないと、されるでしょう。
そして、このミカンとリンゴとは、我々の世界で、果物と言う範疇に共に入ります。 (その)喫茶店という意味場で「ミカン」として現象することが「ミカン」という「存在」である。
それが「あなた」(の認識)という意味場において「リンゴ」として現象するものであろうとも、
喫茶店という意味場では「ミカン」(という存在)であるw
この、意味場において「現象する」ということ自体が「時間」をうみだしている。
「現象する」ということ自体を「時間」と呼んでもよいだろう。
ただし、現象した「時間」(という存在)と現象する(という)「時間」を混同しないことだ。 A世界とA意味
A意味の流通するところが、A世界です。お相撲さん意味の流通するところが、お相撲さん世界です。
このお相撲さん世界の意味、すべて言葉で説明されているとは限りません。
すると、我々の、現存在が存在していると言う世界においても、全ての意味は説明されてはいなくて、(色々な理由で)説明されないまま、流通する意味がある。 ドグマ
すると、ドグマとは、適当な(あるいは必要な)説明の無いままに、何らかの理由で、ある世界内を流通するある決まり(である概念)、と言えるでしょう。
世界初のドグマの存在論的説明です。
さらに、肝腎な事実は、ある世界内で、充分に説明されているとは、どう言った事態か、です。各存在者に、それぞれ充分に説明されているとは、どう言う事態でしょうか。 リハビリ後 大外廻って ガッツポーズ ギャロップ レーシング 桁違いの末 時間についての自論になります。
時間は実体として存在しない以上、人間のつくり出した概念ということになります。ということは、そもそも時間というものが存在するのかが不明瞭です。ここでは時間は存在しないものと仮定して話を進めます。 時間が存在しないならば、過去と未来という概念もまた存在しえないものです。確かに存在するのは「今」だけですが、「今」という言葉も過去や未来の対比から成り立つため適切な言葉とは言えないでしょう。 ここでは「今」に代わるこの確かな瞬間を表す言葉が見つからないため、「今」と表現しています。 私が言いたいことは、過去や未来が存在しないならば、過去も未来も「今」に収束されるのではないか、ということです。 私たちが時間と呼ぶものは、物体の移動のことなのではないでしょうか。
例えば水の入ったコップがあったとして、コップを倒して水をこぼしたとしても、また水をコップの中に戻し完璧に同じ状態を取り戻せばそれは過去に戻ったと考えられます。 これだけではいまいち意味が理解できませんが、スケールを大きくすると分かりやすいです。
例えば2018年の東京という都市を記憶し、将来的にそれをまさしく微粒子レベルで再現することができれば過去に戻ったと考えられます。 要は時間とは私たちが都合上つくりだしたものです、ということ。
しかし時間があまりに当然のものとして日常に溶け込んでるためそれに気づきにくい。また、時間を説明するためには時間を使わないとうまく説明できないという底なし沼がある。 時間と時刻。
人間が作り出したのは時刻であり、時間ではない。時間を作り出す事など不可能だね。
位置や距離も同様。
座標は人間が定義したものだが、位置や距離はそうではない。
ここを混同して時間は人間が作ったとか言うアホが多いね。 >>19
数学に嵌まり過ぎると、そのような勘違いに捕らわれる事は良くあるよね。 オオカミと時間
時間とは人間が作り出したものでは無いか、と言う感じは、人だけが時間を認識するからです。野生のオオカミは、時間を知りません。明るくなれば動き始めて、腹が減れば狩りをする。
いや、オオカミにも何らかの時の感覚や感じはあるかも知れません。しかし、時間とは何だろうと思いはしません。
存在者
ハイデガーは、犬もオオカミも、コップも存在者と言っていると思われます。この所を言及する者を見ていませんが、なぜ、コップは存在物でなく、存在者なのでしょうか。
たぶん、世界内存在として、実存する者に、とっては世界内で出会う(もの)は、存在者なのです。どうしてか、誰も注目しないし、説明しょうとしません。 時間とは待つことか、過ぎることかなどの本質もあるだろう。 時間とは待つことか、過ぎることかなどの本質もあるだろう。 時間(や空間)はOperatorによってうみだされる。
世界は数学によってできている、のではなく、数学は世界によってできている。
世界というものを突き詰めていくとOperatorにたどり着く。
哲学もまた、Operatorにたどり着く。
こいつを単純に「O](オー)と呼んでしまおう。
われわれの宇宙はO型宇宙だ。説明はこれから考えるw >>52
それは単なる感じ方だから、どっちも本質じゃないよ。 時間とは対称性である。
無秩序の海には必然性もある。
問題は、やはり、無秩序の海そのものになってしまう。
十分に成熟する「前」などと考えてしまうと、そこには対称性がある。
無が有って、有が無い。この矛盾状態はどこからやってきたのか。 自然は矛盾をはらむが、自然は矛盾を嫌う。
矛盾を解消するものとして変化が生じる。
変化こそが自然が矛盾的存在であるという証拠であろう。
存在も変化であり、矛盾である。
矛盾の解消の異名が必然。
「ある」ということ自体が矛盾である、というところがスタート地点なのかもしれない。
解消としての必然のもっとも基本的なあらわれがスピン。
自己同一性あるところにスピンがある。
そこまで考えると、存在そのものがOperatorであり、スピンを持っているはずだ。
存在とは矛盾のことであり、モノや時空間をつくりだしてしまう。
ある一点の矛盾の核を取り除けば自然は無に帰する。
逆に考えてみる。「無」から一点を取り除いた矛盾のある世界。
「ある」のではなく、「無」からさらに「無い」という状態w
その解消のために「ある」が「ある」。
無を基準とするならば、「無の振動」。それが矛盾か。 抽象的世界で考えるなら、たったひとつの振動するモナドがあればよい。
それに名前つけるなら「点」。
「点」は情報空間と位置を持つ。それが不確定性という振動である。
振動といっても変化しているわけではなく、不確定性があるだけだ。
そう考えるなら、なにが足りていないのかがみえてくる。 時間とは何か?のなにかが足りないっていう順当な堂々巡りにウケル 世界、その構造
世界はなぜ、世界であるのか。
その答えが、世界は意味的に世界である。
として、同意して貰えるでしょうか。
勿論、説明不足ですが、世界が世界である事情、構造は、意味的にであると言う言明、ないし主張です。
時間と世界
時間は、何れにしても、世界にあります。世界内ではありません。 君の世界の事情、構造が意味的に世界であり、尚且つ意味的に
時間が君の意味的世界内ではなく世界にあると言明、ないし主張
できるというまったくもって理論上成り立たない言説に
同意をしてもらえるかもしれないという前提世界の内容だから無理w >>61
そう、この堂々巡りこそが自然を世界を宇宙をうみだしている。
矛盾もしくは存在もしくは自己同一性もしくは必然もしくは神。
∩
_( ⌒) ∩__
/ /,. ノ ̄\ / .)E)
/i" / /|_|i_トil_| / /
|ii.l/ / ;:゚;u;゚;) / /
|i|i_/''' ヮ''丿i_/
i|/ ,ク ム"/ /
|( ヽ _,.-===、j、
ゞヽ‐イ/´ ヽ ヽ、
\! ::c:: ! :p
}ヽ __ ノ、_ノ
___/ ノ ノ_____
|_____________|
/ ゴキホイホイDX \
/ _____ _____ \
/ (::::::::::::::::::::::::::) (::::::::::::::::::::::::::) \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
60,62のような人の世界って死ぬまでそんな感じなんだろうな 存在あるいは自己同一性あるいは変化あるいは必然あるいは神は、
スピンを持つ。
そして2つの向きを持っている。
反対向きの2つの性質を持つ。重ね合わせである。
観測するとスピンの向きが決まる。
存在あるいは自己同一性あるいは変化あるいは必然あるいは神は、
2つの反する性質を持っている。観測されるまでは量子状態にある。
文学的であり物語論でもある。
1粒子系なら、これで大統一できる。
2粒子以上ではどうなるか。とするならば「音楽」だろうと思う。
すべての言葉は二面性を持ち、言葉が集まって音楽を奏でる。
われわれが見えているものは「音楽」である。
郵便ポストが赤いのも、そういう「音楽」だからである。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 昔スピンだかスピッツだったか、わりとサッパリした味の形状がかわいらしいお菓子食べたなぁ、あれ好きだったけど最近見かけないなぁ この、スピンの向きが時空間の素/基になる。
1粒子を考えるなら、そのスピンは1bit時空間を作る。
1bit時空間を時間と呼ぶのであれば、「存在」するということは「時間」を持っているのだともいえる。
多粒子系においてスピンがつながってネットワークを形成すると、「音楽」を奏で始める。
「スピン」は、「言葉」と置き換えられる。
「言葉」という「点」あるいは「(仮想)粒子」の「文」というネットワークが「音楽」を奏でる。 樹が一本倒れたとしても、誰もいなければ音はしない。
昔の(今もそうだが)哲学者は頭がおかしかったようだ。
世界が音楽でできているとしても、観測者がいなければ音楽は聞こえない・見えない。
点が音楽を奏でているとしても、それを観測するものがいなければならない。
1粒子系でも、暗黙の観測者がいる。
粒子自分自身が観測者となるためには内部構造がなければならない。それは考えない。
とすれば、多粒子系で考えるしかないだろう。 今日は、図書館で「音楽」関係の文献をあさってきたのだった。
ひとつみえてきたのは、哲学者の役割は「トリックスター」であるということ。
「愚者のカード」が哲学者である。
その次が「マジシャン」あるいは詐欺師wあるいは科学者。
愚者になるために哲学はある。
「世界は存在しない」。数学的には、KFCじゃなくってええっとZFCの体系からは巧妙な手法で排除されている。
世界というネットワーク上に世界というノードは無い。
なんども「振り出しに戻る」ことを繰り返したが、そういうことの思考実験でもあった。
自己同一性というループはさらなるループを作り出す。それは必然である。
そこからでてきたがチャイナリング宇宙なのだが、問題はたくさん残されている。
結び目はほどけないのか。残骸としてのカラビ=ヤウ多様体はほどけないのか、消失しないのか。
ま、超弦理論の行き先をみまもるしかない。
本当は怖い超弦理論的宇宙になってしまうのかどうか。 『時間はどこで生まれるのか』
http://www.sf-fantasy.com/magazine/interview/100801.shtml
「細胞の秩序集団がエントロピー増大の法則にさからって、共鳴的に相互作用することによって、
ミンコフスキー時空の時間軸方向に速度ベクトルが生じる。
この時間軸方向(エントロピーが増大する方向)の動きこそが、生命の主体的意志である」という仮説と
「主観を持つ、すなわち主体的意志を持つということは、空間的なシステムとしては現れず、時間の流れとして我々生命の内に立ち現れてくる」
=「時間の流れこそが実体であり、生きるということなのである」というところも、ストンと腑に落ちました(笑) 時間はなぜ取り戻せないのか?あなたを揺るがす思考実験
https://shimirubon.jp/reviews/1690858
結論
(1)ミンコフスキー時空の世界線に動きはない。それは(空間と時間を超越して)ただ存在するだけである。
(2)生命はもろい秩序であり、つねにエントロピー増大の嵐と戦わねば生き残れない。
(3)生命はもろい秩序であるが、自己増殖による自然選択という手段によって進化する。
(4)生命が自然選択によって最初に獲得した能力は、主観すなわち主体的意思である。なぜかといえば、生きるという意思を持つこと以上に、生き残りに有利な能力はないからである。
(5)主体的意思を持つためには、細胞内の秩序集団はたんなる物理法則を超えた、共鳴的なフィードバック・システムを獲得しなければならない。
(6)細胞内の共鳴的フィードバック・システムは、空間的にみればシステムであるが、細胞に大きさがある以上、それらのシステムは時間的にも働かねばならない。
(7)ミンコフスキー時空上では、共鳴的フィードバック・システムは、時間軸の正方向に向かってスパイラルを描く。蛇足ながら、スパイラルの軸が時間軸の正方向を向く理由は、エントロピーがその方向に増大するからである。
(8)このスパイラルは、時間軸方向に速度ベクトルを生む。この速度ベクトルこそが、主観すなわち生命の主体的意思にほかならない。
(9)すなわち、生命は、空間的にはシステムであり、時間的には主体的意思である。時間は内観であり、空間として姿を現さない。それゆえ科学の客観的対象からはずされてきた。
(10)ミンコフスキー時空に主体的意思としての速度ベクトルを置けば、主体的意思が過去の光景を見るのに未来の光景が見えない理由が説明できる。
つまり主体的意思の速度ベクトルこそが、時間の流れを作り、過去と未来を非対称にしているのである。 ふーむ。わたしは、それらを「自己同一性」=「存在」=「主体」として考えています。
対称性においては、時空間並進性ですな。ミンコフスキー空間上では点のつらなりとしてプロットできる。
でも、それだと現実空間とくらべて自由度がありすぎる。
エントロピーは局所的には減少もする。時間の不可逆性をエントロピーに求めるのであれば、
時間そのものも統計的なものであるとするしかない。
統計的であるということを「流れ」とするならば実体とすることもできるかもしれない。
そのことを繰り返してみると、結局のところ「自己同一性」というループが実体である、とするのが、いまのところベターだと考えて、そこに落ち着いているw >>76
全部そこのURLの引用よ。
本はまだ読んでないが、図書館にあったのでそのうち読んでみる。 「自己同一性」というループは「時空間並進性」であり、それが「時間」「空間」そして「存在」である。
このループはOperatorとして働き、遺伝的有限集合としてさらなる時空間並進性をつくりだす。
この「遺伝的」という部分が、「不可逆性」になる。
と、考えているわけだが、上に提示された2冊の新書の考えとの間に(たいした)不整合はない/
なかったはずだが、ずいぶん前に読んだのですっかり忘れているw >>78その引用を基にしたら、ようやく哲学っぽい時間とはなにかの話になるかもしれない >>74
空間も時間も超越し世界線が静止したミンコフスキー時空の存在世界って地球誕生不能の宇宙じゃない? 時間は測定可能である
つまり時間は単位量を定め、対象を単位量の実数倍で表現できる
時間の単位量は物体の運動によって定めている
つまり時間の正体は物体の運動である 他の物理量だって測定について考察すればその正体が分かるはず 時計で測定する時間て物体の運動そのものだけど、まぁなんというかそれでいいなら特に哲学の必要ない気がしないでもない 時間の正体を物体の運動に求めてしまうと、物体とは何か、運動とは何かになってしまう。
そしてどこかで振り出しに戻されてしまうw
できるだけ根源的なところから考えようとすると、
無秩序の海にたどりつくが、そこにあるのは残骸としてのカラビ=ヤウ多様体である。
残骸になる前になにがあったのか。といえば「前」ってなんだよってことになる。
そこで「時間の振り出し」に戻されてしまうw
どうせ戻されるんなら、最初から「ループ」だ。ループの振動である。
ループと残骸としてのカラビ=ヤウ多様体との間にあるのがわれわれの世界/われわれである。
何世代目かの残骸の上にわれわれの世界がある。そしてまた残骸になるw 時間の基準となり得るのは、一定の変化。
運動は時間の経過に伴って移動する事だから。
詰まり、一定の速度で移動する物の位置が時刻だ。
エントロピーとは無関係だね。 >>86
> 詰まり、一定の速度で移動する物の位置が時刻だ。
一定の速度で移動すら=静止
なので時刻は変化しない >>86
なるほど時間は速度によって定義されると
しかし速度も時間によって定義される概念だ
循環してしまうな 俺がエッチさせろと言ったらお前らは従うしかないんだよ これまで判明した物理の中で未来や過去に飛ぶタイムマシンは不可能とされてるが
光速に近づくにつれ時の流れが遅くなることは確認されている
ということは時間というのは単に物事を整理するために考えられた規則というのではなく
存在するってことにならないか? 対自存在
サルトルの言う、対自存在とは、対“自分“存在であって、対W自己"存在では無い。自己に対して存在はできない。
だから、本来的に存在している者は自己である。
自分とは、現存在がいるその社会の中の自分としての自分である。
本来的時間、本来的時
本来的時間にいる者が、自己である。では、どの様にして現存在は、本来的時間に到達するのか。
まづ、本来的時の、改めての、しっかりした発見こそ、今、必要なのである。
本来的時が、安定して発見されるなら、本来的時間は、それらの時の積み重なりとして現れて来るはずである。
(時間とは何か、の問いは、本来的時間の発見へ向かう) 自己としての存在と、自己同一性
自己同一性と言う場合、我々は同一性を問題にしているのでは無い。同一性が当然に担保されている自己とは、何処に在るのかと問いかけるのである。
どの様な、構造において、現存在は自己に安定して存在出来るのか。自己と言うあり方に存在出来るのか。 馬鹿で間抜けな自己が同一自我を超越するには頭脳が必要なのだよ ハイデガーの時間論を理解しようとするのに、まず「"Dasein"とは何か」という
ような形で問いを立ててしまうと、議論の筋道がとても分かりにくくなる。
というのは、そうすることで最初に「"Dasein"とは自己のことである」と理解
して、そこから、ハイデガーの論述における中心概念である"Sorge"(気づかい)を
解釈しようとする俗流の理解に容易に陥ってしまうからだ。日常表現に
おいて、「気づかい」とは誰かの「気づかい」に他ならないのだから、
"Sorge"を専ら「自己である"Dasein"の『気づかい』」として解釈しようと
してしまう。このことには、「死」についての俗流の解釈を自ら招き入れた
ハイデガー自身にも大きな責任がある。
しかし、実際のハイデガーの論述の順序は逆である。まず、「世界に存在
する事物は、"Sorge"(気づかい)なしに目の前にただ存在しているのではない」
ことが重要なのであり、「気づかい」を介して世界−内−存在としての"Dasein"
が開示されるのだから、「気づかい」の方がそこにある世界や自己としての
"Dasein"が現れることに優先するのである。 基本、何をどう考えたらいいのかすら
未定だから哲学の論述に依拠するんだろうね
離散していくわけだよ 離散か
日本語の古語には、「あかれ」という表現がある
三省堂 大辞林
三省堂三省堂
あかれ 【散▽れ・別▽れ】
@ 別々になること。わかれ散ること。
「あ」が「不特定に離れている様態(≒周囲)」を表し、
「かれ」が瞬間的に接触して離れる「反射的な動き」を表したのではないかと思う。
「わかれ」という場合には、「わ」によって離れる部分が「小さくなる」ことが
表されているのではないだろうか。 だから、「あた(辺)り」という表現にも"Dasein"の中心性が見て取れるだろう。
ハイデガーは、その"Dasein"の空間性が前提とする"Sorge"(気づかい)として
の時間性を問題にしている。 ハイデガーを専門にする研究者はなぜ日本語を無視するのか? 日本語を反省することなしにハイデガーの存在論を日本語で論じることはできないだろう。
問題は、"Sein"を「存在」と訳すべきか、「有」と訳すべきかというようなことではない。
「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり)
なぜ「(われ)ある」ではなく、「(われ)あり」なのか=H
それは=A「〜る」が「=`」の作用/効果を表現するのに過ぎないのに対して、
「〜り」が「〜る」によって表現される「『〜』の作用/効果」の実存を表現している
からだろう。だからこそ、「あり」の繰り返しである「ありありと」という表現が
「よくある」という単に存在の頻度とは異なる実存性を表現することになるのだろう。 >>111
奇妙な文字化けをしているな。
誤:「(われ)あり」なのか=Hそれは=A「〜る」が「=`」の
正:「(われ)あり」なのか?それは「〜る」が「〜」の 日本語の動詞表現の「〜る」は、作用/効果としての「〜」という態様を
表していると考えるおとができる。「あ」は、「こ」、「そ」との対比
において「不特定に離れている」態様を表現していると考えられるので、
「ある」は、英語に言い換えるなら、いわば「be around」ということ
になるだろう。「〜く」という形の動詞表現、例えば、「あ(開)く」や
「あ(飽)く」は、「自らの作用/効果としての『〜』という態様」を表現
している。「あ(開)く」と「あ(飽)く」のようなアクセントの違いは、
国語辞典などにおいては、しばしば、語源の違いと解釈されるが、
むしろ、「あ」によって表現される同じ態様の現れ方の違いを区別する
ためにアクセントを変えていると考える方が妥当であろうと思う。 「ある」は、「be around」として、一般的な作用/効果としての「あ」の
様態を表現するので、「あ(或)るとき」、「あ(或)るところで」、
「あ(或)る人が」のように存在の不特定さを表現するように用いられる。
これに対して、「あ(有)りがた(難)い」と言う場合、「あり」は「ある」
という作用/効果の実存を表現しており、文字通りに英語に訳しても、
「hard to exist」ということになる。 ハイデガー自身、ドイツ語においてそのような表現の違いを駆使して、自らの
存在論を展開しているのであり、その議論を理解するのに、いくら日本の
ハイデガー研究の専門家が割り当てた名詞句としての概念を弄り回しても
埒が開かないのであり、さらに、そのような振舞いが「開示」を妨げること
において、まさにハイデガーの存在論そのものに反するのである。
だからこそ、自らを「存在の専門家」と称するようなハイデガーの妄言も
信じてはいけないのだ。 >>113
誤:考えるおとができる
正:考えることができる >>114
ところで、スペイン語会話のとても優れた参考書として、
「スペイン語会話 クイックレファレンス」マヌエル・デル セーロ (著),
Manuel del Cerro (原著), 小池 和良 (翻訳)
というのがあるが、私の記憶違いでなければ、
そのレッスンの会話のなかで女性が荷物を持っている見知らぬおばあさん
を助ける場面が出てくる。おばあさんは、助けてくれた女性に感謝するとき、
「いまどきあなたのような親切な若い人はなかなかいない」というような
ことを言う。この「あなたのような親切な人はなかなかいない」というのが
日本語の「有り難い」という表現が伝えている心であり、「有り難い」
という感じ方は、別に日本語の話者に限定されるわけではない。 ハイデガーの研究対象とした虚時間には要がない、実時間について考えてるんだ 想起されるイメージによる解釈と、文法的な規則性による解釈、
想起されるイメージは人それぞれなので恣意的な解釈が生じやすく、
解釈の確固とした根拠が得られない。文法的な規則性による解釈は、
恣意的な解釈の矛盾を可視化してくれるので、解釈の確かな根拠
を与えてくれるように思える。しかし、そもそも、文法的な
規則性とは、表現の用法の規則性に他ならず、用法の規則性は、
イメージの重なり合いから生じる類似性の類推の規範化だろう。 時間とは、反復する現象の観察から推定されて、単位として用いられる曲率円の円周長である。 手の届かないところにある物は、それでも手前(目の前)にある物かもしれないが、
手頃にあるものではない。 チンク - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/チンク
チンク (英: chink) は、中国人を表す英語の侮蔑語である。当初は主に
アメリカ合衆国の白人が、19世紀末に急増した中国系移民を呼ぶのに
使用した言葉。しばしばアメリカ人はアジア人移民の出身国を区別できないので、
チンクも他のアジア人を含んだ侮蔑語 チンク (曖昧さ回避) - Wikipedia
アメリカ合衆国のプロ野球選手(捕手)であるショーン・オチンコの愛称。 >長さは存在するのか
届くことの反復としてあるのではないかな まあ、ハイデガーの文章は眺めているだけでも疲れる
なんでこんな書き方をするのか、
もっとはるかに単純明快に書けるだろうと思ってしまう ハイデガー読んでもわかるのはハイデガーが考えたことだけ
時間が何は分からない
その意味では時間の無駄 >その意味では時間の無駄
時間は「無駄にすることが可能なもの」であることが分ったのではないですか >>135
それは別に最初から分かってることでしょ?
ハイデガーの本を読んで初めて気がつくの? どのようにして時間を無駄にすることが可能となるのかを考える
きっかけを与えてくれるのでは? 自分は哲学で考えても時間は分からないと思うよ
時間を理解するためには空間は何なのか?
物質とは何なのか?
宇宙の開始はどうなっていたのか?
宇宙論や理論物理学の世界の話だ
そのあたりから考えないと
哲学でわかるのは人間が時間をどう感じるか、理解しているのか?そういった話だけ >>138
哲学でわかるのは人間が時間をどう理解しているのか
でそれが話せるなら、哲学で考えて時間がわかるって
ことじゃん?
ねぇ、頭おかしくない? ハイデゲルは”哲学的に”時間を語ってるだけ。
つまり馬鹿文系的な創作文芸。理系的な要素はこれっぽっちもないw 時間なんて、普通に各国での時差に合わせての時計時間で行動すればいいだけのことじゃあないかw 「時間と空間」
こんなことを時間かけて研究したところで、それこそ『時間』の無駄ですよ?w 理系的に計られる時空間が現れる前提としての存在の様態について
語ろうとしているわけで、いくら理系的な学問を勉強しても、
時空間についての存在論的な前提の理解が深まるわけではないのは
確かだろうね。ただし、ハイデガーの文章は無用に冗長で分りにくく、
同じ趣旨のことを言うのに、はるかに単純明快な表現が可能だろう
とは思うけどね。 今のストロンチウムとかイッテルビウムとかの時計だとビッグバンから今までの誤差が1秒ないらしいがこの誤差ってなんに対する誤差なんだろうか
人間の足元と頭での相対論による時間の流れの差が見えるのは面白そう ハイデガーの著作は経典ではないのだから、その論述を金科玉条のように
扱う必要はさらさらなく、分りにくく書かれている説明は、遠慮なく
分りやすいように言い換えて考え直せばいいだけ。 ハイデガーを理解するためにハイデガーの著作を精読するのは、
ハイデガー研究の専門家だけでいいんですよ。一般の読者は、
ハイデガーが表現しようとしていることに妥当性が認められるか
どうかを検討して、妥当性が認められるなら、それをより分りやすく
表現しようと試みることの方が、ハイデガーを理解しようとする
ことよりはるかに重要で有用でしょう。ハイデガーの思想が
理解できたところで、ハイデガー思想オタク度を競うくらいのこと
にしかならない可能性が大きいからね。 というか、自分で哲学をするつもりがなく、思想を求めてハイデガーを
読むのことは、害悪しかもたらさないだろうと思う。 >>141
理系的な思考でたどり着けるなら、とっくの昔にそれは成就しているでしょう。 物理的時間、相対性理論
相対性理論の話ですが。
高速で移動する物体のなかでは、時間が遅くなる。
これは、高速で移動する物体では、その物体を構成している物資の基本的振動が遅くなる、とすると理解が容易です。
あくまでも、時間が遅れたのではありません。振動が遅くなったのです。
それは、ありうる事です。物体の基本的な振動は周囲の状況に影響されると言う事です。
公的時間と物理的時間
公的時間は、その公正を担保する為に、物理的現象によって測られています。 長さが届くことの反復であること、
これは結構、重要な考え方だと思うよ
届くためには、何かが届かなければならず、
反復であるためには、その同一性が認められなければならない
こういう基本的なことは、
物理板に行ってもきちんと答えてくれる人がいないんじゃないかな。 だから、長さは、"vorhanden(手前(目の前))"にある"length"であるより先に、
基本的には"zuhanden(手頃)"にある"reach"なんですよ、ハイデガー用語を
用いるならね。 >>154
その考え方を152が重要と
考えられたらいいけどな ところが、"vorhanden"を「手近」と訳し、"zuhanden"を「手許/用具的」と
訳したのでは、いくら「手近にあるもの」と「手許/用具的にあるもの」の
関係をひねくり回しても、何がやりたいのか分らなくなってしまうでしょ。
だから、いくらハイデガー研究の専門家の言葉に耳を傾けても、なんだか
わけの分らない難しいことをいっているなあ、という印象が残るだけで、
専門の研究者の専門性を尊重するなら、自分にはよく分らないけど何か
深遠なことをやっているんだろうくらいに考え、尊重しないなら、
意味の分からないナンセンスな用語を振り回しているだけだと軽蔑する
ことになる。どちらも生産的な態度ではないでしょう。 重要なのはハイデガーが何を表現しようとしているのかに耳を傾け、
ハイデガーの言っていることに妥当性があるのかどうか自ら検証して
みることであって、ハイデガーの言葉を金科玉条のように大切にする
ことでも、ハイデガー専門家の権威を尊重することでもないのです。 だから私は、ドイツ語をろくに知らなくても「存在と時間」の日本語訳を読もう
という気にはならないんですよ。読んでもハイデガーが何をどう表現しようと
しているのか混乱してさっぱり分らないだけだからね。ハイデガーの書いた
ドイツ語の文章を眺めていると、苛々させられるけど、それでも何を
表現したいのか自分なりに想像することができる。そうやって自分なりの
想像ができたうえでなら、ハイデガー専門家の解釈と突き合わせて検証して
みることは、理解を深めるのに役立つと思うけどね。単に日本語訳の「存在
と時間」を通読するとか苦痛でしかない。理解できないドイツ語で
"SEIN UND ZEIT"を一冊通して眺める方がまだマシなんです。 "SEIN UND ZEIT"は、ほとんど1冊全体を眺め終わった(読んだわけではない)んだけど、
実のところ、ハイデガーはまったく私の趣味ではない。とても、このような文章を
専門に長年研究しようというような気にはなれない。読んでいて、とても苛々する。
文章が長たらしいとかではないんですよ。長くて複雑に入り組んでいても、
マルセル・プルーストの文章ならとても巧妙にできた冗談を読んでいるようで
カタルシスがあるでしょう。ハイデガーの文章は読む側に多大な寛容を要求する。 時間が何かを知るのに哲学的な考察をひねっても分からない
ハイデガーを読んでも時間について本当の事は分からない
素粒子の衝突実験とか、実験と観察と理論物理で明らかになるでしょう
この宇宙が誕生した時から時間、空間、物質が発生した。その時間が発生した原因を探れば時間が何か分かってくると思う
超弦理論によるとこの世界は9次元だという
この世界がどうなっているのか?それが分かってくれば時間が明らかになる
人間1人が頭をひねって分かるような代物じゃない 時間への問い
時間とは何か、の問いを、時間の意味とは何か、に置き換えます。
さて、時間の意味とは何か、があるほど分かったとすれば、それは言葉での時間の説明に他なりません。
難解な表現になるかも知れませんが、その説明を持って他者と時間理解とでも言う場面に到達出来る、と言う事です。
いま、現在は、我々は共通の時間理解に到達しているどころか、ある時間理解にさえ到達していません。それでも、我々は共通の社会内の共通の時間に携わっています、
我々が、社会時間にW縛られているW、実態です。 時間は何か?についてはすごく興味あるけど
時間の意味についてはあまり関心ない
時間の意味は人によって違うと思う 哲学の問い
時間とは何か、と、時間の意味とは何か、との
相違。
そして、時間とは何か、は気になるが、時間の意味となると引いてしまう、と言う意見。
この国の、哲学者、思想家は、こう言う質問、疑問を相手にしません。
もちろん、それは不適当です。で、この問題をここで、考察しょうと思います。
この問題を3点に分けて考察しょうと思います。
1、意味とは何か
2、時間の構造は意味的に解説される
3、意味の個別性
この問題の考察を通して、この様な疑問が哲学的に答えられると実証したいと思います。
なお、途中で挫折するかも知れませんが、その時は、御免なさい。
まず、次回では、この問題の核心が、この三点であると論述します。 「専門家」は往々にして、自分の専門としている分野のことを素人に
分りやすく説明しようとか、そうしたいとか考えていないし、
そのような役割で職務を与えられているわけでもない。 報道関係者が事実を視聴者に伝えるために仕事をしているわけではないのと
同じことである。 いわゆる専門家と哲学的問い
特にこの国ではと思うのですが、専門家は、ある質問が、質問として根本的に不備であると、無視すると言う傾向があります。
しかし、その質問が、不備ではあるのですが、その不備な理由は、その問題(この場合は時間)の、かえって根本的な部分を(結果的に)指摘している場合が少なくありません。
つまり、その場合、専門家は自分達にも未だ太刀打ち出来ない論点を避けているに過ぎません。 >>168
それは専門家にしかわからないんじゃない
論点を避けているのか、論考中なのかさ。 >>165
意味とは価値につながる話でしょ
それは個別性の話になってしまって、共通の客観的なベースで議論出来ないと思う
科学の範疇から外れてくる
なので、そういう科学外のことを議論したい人は、そういう人同士で議論したらいいのではないかと
私は学問的には興味ないね 超弦はパラレルワールドやムーンサイドよりいいものではないよ。
でもその歴史にはありがとうと伝えたい。
意味は表象が次代を担っているはず。 理論物理学では超弦理論中心で、代わりになる理論はまだない
今のところ超弦理論で考えるしかないと思う
それに超弦理論が破綻している証拠もない 自然現象をもとに実証した
データを客観材料にしている
科学は哲学的対象を免れないけどね
これから先も 日本の哲学研究室は古色蒼然とした「哲学史研究」ばかりしていないで、自然科学などに役立つ研究をして欲しい >>172
物理学、量子力学的物証で立証できない
理論仮説な時点で超弦理論は
哲学的に破綻してるんだけどね。 哲学と文学
意味は、確かに、価値と繋がっていると、私も思います。しかし、私はそれを文学的判断、文学的表現と呼んでいます。
じゃ、意味と価値とは、どう言う関係か、が分かって初めて意味と価値とはこう言う関係に在ると言い得ます。 >>176
そうして分析を細分化しても時間とは
なにかの哲学からは遠ざかりますよ >>175
哲学的に破綻とはどういことかな?
説明して欲しい 文学的表現と哲学
東大哲学教授の、時は流れず、が良い例です。
どの様な、論述によりその流れ無い事実を証明するのか。
この極めて文学的表現は、むしろ文学を侮辱していると言えるでしょう。
異教徒から、『意味と価値とが繋がっているとは、どう言う事態か』、と問われて答えられなければならないのです。
また、意味と価値との関係を考究して初めて意味の意味が明らかになります。 >>180
応えられないのに無理しても
論点がどんどんずれてかないか? >>179
哲学的に破綻とはどう意味かな?と思って
もし破綻してるなら理論物理学で指摘されるはずと思うので
関係のない哲学から破綻とは一体どういうこと?と思ってね >>182
関係のない哲学、という前程だと
哲学と理論物理学の関係を
共有して
理論物理学で指摘されない
必然性まで説明するために
必要とする解説は
一体どういうこと?こういうことw
とはいかないね。 文学的表現と文学的判断
月と太陽とは繋がっている A
月は太陽の孫だ B
文学的表現Aは、文学的判断Bを生む出します。
哲学においては、文学的表現そのものを避けなければなりません。
『時は流れず』、は文学的判断の産物です。哲学の全くの埒外である。 >>185
無能は考える能力がないから
興味を失ってほかの人生に興味を移すしかないw それは哲学的に破綻しているわけじゃなくて金銭的に破綻している例だろ 東浩紀が言ってるけど、現代の哲学は文系と理系に分かれている
文系の哲学は表現とか芸術とか文学とかあたりと仲良くして、好きなことをやっていればいいと思う
科学とは関係ない立ち場でね
一方で、分析哲学や実験哲学は自然科学と共同して新しい方向に科学が進んでいく道ならしをして欲しいと思うよ 分析哲学から、追従して冷笑してみせることで仲間として認めてもらうという
奴隷根性を除くと、分析哲学を積極的に規定するものは何も残らない。 >>194
奴隷が乞食用残飯だけでもと期待しても
哲学は絶対になにも降ってこないw 頑張って思考を引き出そうと必死に考えた
へんてこな文章>>194だけが残るw これからの哲学の中心は分析哲学であることは間違いないよね
後は哲学史研究とか、文芸的哲学とかも少しあるかもしれないが >>194
分析哲学者に認めてもらおうとする
奴隷根性で冷笑してみせる登場人物を
分析哲学を積極的に既定
できる前程のストーリーと
誇大妄想がウケル
>>200
習性というより、精神分析も哲学の
面白み。
へんてこりんな文章しか書けてないのに
分析哲学なんて哲学用語を持ち出して
勝手な事言ってると
こうなりますよという教訓になるだろう。
習性でやってると思ったら大間違いだよ。 不安なんですね
私は哲学畑の人間ではないのでどっちでもいいです 分析哲学というと細かい視点だから哲学本来のダイナミスムに欠けるということ
はあるかもしれないが、ニーチェなんかを分析したら、面白いかもね。 >>205
実証実験にならないからねぇ
ニーチェや哲学書相手にしてても。 Human droppingsをウケルものを何と呼びますか? 実験畑か。検証することのサイズが小さいのは実験の難点だと思うけど。 >住まい. の便所の地中に埋め込み, ...... 韓国・舟山島では,家の片隅にある 1 〜 2 坪くらいの厠に,
>大小便を溜める容器をおいてあるが. これを... ハニー・ポットとハニー・バケツは似ているのか、似ていないのか >>208
実証実験になるのは結果論だよ。
検証サイズが小さいのは対象のレベルに
比例するからしょうがないよ。 規模が小さいのがハニー・ポット、規模が大きいのがハニー・バケツという理解でいいですか? どういうこと?
分析哲学に何かコンプレックスでもあるの? そういうのを「トリック・クエスチョン」と呼ぶんだよ
「お前は『ユダヤ人』に何か恨みでもあるのか?」と聞くのと同じ。
「ユダヤ人」なんて実在しないのだから、恨みようがない。 なかなかおもしろいことやってるねーw
と、たまたまだが「分析美学入門」を借り出してきた。
「哲学」とは「美学」である、と、思いついたからだ。
そしてその「美学」は「分析哲学」でなくてはならい。
「分析哲学」である必要性は、時代の要請である。
すくなくとも、現在の学術的な場では、「分析哲学」以外の哲学は要請されていない。 ニュートンは、物体があろうとなかろうと、運動していようとしていまいと、
そうしたこととは無関係に、宇宙には端から端まで一様に、無限の過去から
無限の未来へと、ただひたすら一定のテンポで、時間は流れ続けると
考えたのである 分析哲学でもって分析という概念を分析し始めると
フリーズするのではないか >>217
え?どういうこと?
やたら分析哲学という言葉に反応するから、なんでそんなに反応するの?と聞いてるだけ "vorhanden(手前(目の前))"にある"length(長さ)"が、"zuhanden(手頃)"にある
"reach(届くこと)"の反復としてあるということは、「届くこと」が
反復可能であることを前提としているわけで、「届くこと」が反復可能
であるとは、つまりは、「届くこと」と届いたところから「戻ってくること」が
同じであるということでしょう。戻ってきたところが"Dasein(現存在)"である
ことになるが、現存在は、その存在が開示されることにおいて、既に
"In-der-Welt-Sein(世界−内−存在)である平均的な"Das Man"として
「頽落」している。長さが"vorhanden(手前(目の前))"にあること自体が、
既に「届くこと」と「戻ってくる」ことの平均としてある、そのことが、
平均的な"Das Man"として世界に存在することなのでしょう。 >やたら分析哲学という言葉に反応するから、なんでそんなに反応するの?と聞いてるだけ
自称「ユダヤ人」に反応するのと同じです。 ユダヤ教の教義があって、それを信奉しているのなら、自らを「ユダヤ教徒」
と称することに何の問題もない。しかし、ユダヤ教と何ら関係のない人間が
その定義も不明な「ユダヤ人」を自称するのは詐称でしかない。
分析哲学の教義や、定義があるなら、それを明示してみせることだね。 時間とは何か。アウグスティヌスは「いったい時間とは何でしょうか。
誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、
知らないのです。」(『告白』第11巻第14章)と述べている 分析哲学とは何か。分析哲学者は「いったい分析哲学とは何でしょうか。
誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、
知らないのです。」(『分析哲学者の告白』第13巻第11章)と述べている >>226,227
すなわち、「分析哲学」こそが「時間」そのものではないものの、同じクラスに属するものだ、
ということですねw >>229
同じクラスに詰めてなにがしたいんだよw 分析哲学=現代哲学ですしねぇ。
もはや分析哲学自体も古典的であるといえるw
哲学という遅れた分野は、最新分野からみると1世紀ぐらいは余裕で遅れている。
遅れすぎて赤方偏移をおこしている。 あうあうあー分析は赤方偏移に吸収されるのでご安心をw >>231
それでも過去の有名な哲学者の発言や著作をほじくり返しても、そこからは何も新しい発見はない
それは単なる哲学史研究でしかない 時間の過ぎる速さは人によりそれぞれ違っていると思う。 内包的な時間概念は他者のそれとはおおよそことなっている。 純粋に時間とは何かを考えたいのか?
それとも人間の感じる時間を考えたいのか? もし、純粋に時間を考える場合の前提条件は何か
それも明らかにしないと話が進まない
空間や物質をどう考えるのか 時間という言葉で意識が空に浮くから、時間を意識しても手遅れかもね。
意識に時間が昇るのもおもしろいが、もっと最初は今からすれば短絡的で
短い概念だったんだろうと思うよ。 「自己同一性」によって「点」が「存在」すると「1bit時空間」が発生する。
これのテンソル積がわれわれの考える時間や空間になる。
わたしはそのように考えています。
そのようなわけでテンソル積から時空間へいたる部分をつなげるものをいろいろと
ためしているわけです。
そこの間にスピンやツイスター理論や超弦理論などがあります。 >>243
哲学では自己同一性が
点になって存在するというような
ミラクルな考え方はしないんだよ。 スマホで人殴るとスマホのほうが割れますからスマホを握りしめている間は大丈夫でしょう。 時間並進性を考えると、それは対象性であり自己同一性である。
この対象性がなんらかの破れによるものであるとするならば、それが時間をつくっている。
破れでないとするならば、無秩序にも時間があるということになる。
どちらも正解であるとするならば、すくなくとも2つの時間がある。
われわれが論じている時間は無秩序時間ではないだろうから、破れによって生じたものであると考えられるだろう。 しかし、文系哲学的な時間とは、その時間という対称性がうみだすものを指しており、
時間に関係する時間以外のものである。
過去や未来、そして現在などというものも、時間ではなく時間からうみだされたものであり、
そこから時間というものを推論して得られるものの虚像である。
とても文学的だ。時間とは文学的存在である。 そもそもわれわれが現象としてとらえている世界は、
実?世界が奏でる音楽を文学的にとらえているものであり、文学的世界である。
ホログラフィック宇宙論から考えれば、そうなる。 時間そのものは文学と関係ないよね
人間とも関係ない
というのは別に人間が地球に存在する前から時間は存在していたから
何で文学と時間を絡めて考えるのか不思議
もし時間のことを知りたいなら
宇宙論とか素粒子物理学を勉強するべき >>252
時間存在論と
宇宙論とか素粒子物理学
と関係させられるかどうか
勉強していくしかないね。
>>251
ホログラフィック宇宙論は
あってもなくても
思想的に成立してるね。
>>250>>249
なるほどなるほど >>222
"vorhanden(手前(目の前))"にある"length(長さ)"が、"zuhanden(手頃)"にある
"reach(届くこと)"の反復としてあり、「届くいて戻ってきたところ」が
"Dasein(現存在)"であるとするなら、現存在は、その存在が開示されることに
おいて、既に"In-der-Welt-Sein(世界−内−存在)である平均的な"Das Man"
として「頽落」している。長さが"vorhanden(手前(目の前))"にあること自体が、
既に「届くこと」と「戻ってくる」ことの平均としてあり、そのことが、
平均的な"Das Man"として世界に存在するであるとするなら、「至らない存在者」
である「われ(我)」が「かな(兼/適/叶/敵/悲)しみ」を抱いているのは、本来的
なことである。「かな(兼/適/叶/敵/悲)し」とは、「causing to reach over」
であり、人込みに紛れて「かなしみ」を忘れようとすることは、届くように
というねが(願/禰宜)ひを忘れるために、届いたことの確認、つまり、距離が
長さとして"vorhanden(手前(目の前))"にあるだけを求めようとすることである。
そのようにして「我を忘れようとする」ことが存在忘却であり、平均的な
"Das Man"であろうとすることなのだ。しかし、人は生きている限り完全に
「我を忘れる」ことはできず、そのような"Das Man"としての在り方から
「ふと、我に還ると」、空虚さしか残っていないことに気づかされるのである。 誤:"vorhanden(手前(目の前))"にあるだけ
正:"vorhanden(手前(目の前))"にあることだけ 分子 中性子 原子 素粒子 量子中国の古典みたいな本の後発世代として論じてみろよ。孔子とか
韓非子とか、荘子とか列子とか孫子。共通点は・・・・ないだろうな。わからんけど。 自分が言いたいのは時間は何か?は物理学の問題
文芸的哲学でいくら考えても答えは出ないということ
そもそも哲学で考えて答えが出たことがあったか?
何かが解明されたことがあったか?無いよね >>257
追究する気がない人は哲学に関わら
なければいいんじゃない、ここでは答
えを待つぐらいしか芸もないんだし。
物理的に解明待つか、物理板にスレ
立てて、解明に励むとかw >>258
逆だよ
追求する気がある人が哲学に関わったらダメなんだよ
それは時間の無駄
追求する気がない人がお楽しみでやるなら構わないが >>259
哲板では、追求する気のない駄文を
分析して実証実験にして楽しんでる
人もいるよ、上のほうにレスも晒され
てるから良かったら読んでみて。 「物理的存在」を「物理場における現象」であるとしても、
それは物理場における現象でしか捉えられない/捕らえられない。
これを解明する主体と同じ場に持ってくるか、主体側が同じ場にいかなければならない。
それを可能にするものは、現在のところ数学における「圏論」しかなく、
哲学フィールドには数学の「圏論」に相当するものがない。
「時間とは何か?」と考えるとき、その「時間」は、「時間とは何か?」という考えている「場」に
なければなければならない。
いま、問題となっているものは、そういうことだろうと思う。 >>261
結局、数学は数の圏論をフィールドにする
想定上の場で空間と相対化しないと
時間の関係を問題として扱えないんだよね。
哲学にはそういった内と外という圏論に
値するフレームがそもそも存在しないから。 >>262
そのようなフィールドとして形而上をむやみに拡大していた/しているわけです。
思弁的実在論や新実在論のいくべきさきは形而上と形而下の融合ではないかとも思う。
2つの意味の場の融合。 >>263
いくべきさきはそうかも知れませんが
いく着く先はそうは行かないと思いますよ。 時間が知りたい?
だったら時計を見ればいいんですよ。
時刻が知りたいんじゃなくて、時間が知りたい?
時刻と時刻の間が時間ですよ。
時を刻む時計が何をどう計っているのかが分れば、
時間とは何か分るのではないですか? それ以上でもそれ以下でもないし、それ以上に知らないと困ることが
あるなら、なにがどう分らなくて困っているのかをはっきりして
もらわないと、答えようがないでしょう。
聞き分けなくダダを捏ねても無駄ですよ。 時間を知るには時計を見れば良い
目から鱗だな(笑) 日本の江戸時代に合わせた腕時計ってすげえ技術だよな
ひとつ欲しいw
イッテルビウムのと見える時間はやはり違うんだろうな 100円ショップで15年くらい前に買った時計が電池交換もしていないんだけど
時報と数秒の範囲内の誤差しかない。時間を知るのに高い腕時計は必要ない。 物理的に処理能力が定期的にパンクしてるから人事ながら
脳へのダメージが心配w 考えただけだと答えは出ないというのが分からないなかな?
答えを得るためには根拠が必要でしょ
根拠はどこから来るか、それは物理学しかない
哲学の中で根拠は生まれない
そうしたら哲学で考えるより、物理学もしくは理論物理学で考えた方がいいじゃん 宇宙は時計だとすると
ひとつしかない時計の精確さとは 「物理は存在しない」。ああー、マルクス・ガブリエルって便利だなぁ。 形式論理学上の理論仮説は実証できないから、現実的な時間論は存在してない >>283
11次元?
3次元空間以外にほかの次元がどこにあるのだよ。 >>287
他の次元はあまりにも小さくて人間が気づかないだけ >>288
人間が気付かないのにどうしてあると分かるの?
顕微鏡で見たら見えるのかな。
どうやって測定するの? とりあえず存在と認識の関係についてはこれでいいか?
「任意の事物Mについて、任意の主体Sが、「Mは現在よ及び現在よりも過去の時点において存在する」と知っている」は「任意の事物Mについて、「Mは現在及び現在よりも過去の時点において存在する」」の必要条件でも十分条件でもない 覚えているということは存在することだ←これは誤り
存在するということは覚えているということだ←これも誤り
当たり前だよなぁ >>289
超弦理論ではそう考えられてるというだけ
観察されている訳ではない 次スレ
【悲報】指原がマクドのCMをみちょぱに奪われるwwwwwwwwwww
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/akb/1543010684/l50
池田美優 1998年10月30日 (20歳)
若くて可愛い方が良いに決まってるだろ
整形は見るだけでシンドイわ >>257
でどうするの?瞑想する?迷走する?
埋没する?
時間切れで物理的に埋葬される?
有りだねw 時間という実体は存在せず、物が変化することを時間として認識しているだけではないのか。 >>298
そのとおりですよ。宇宙全体の動きが時計です。 時間とは何かの問い
時間とは何か、とは、極めて実存的な問いなのでは無いか。
これから、体験する時間に関して言えば、その時間が何であるかと、問うのは、極めて実存的である。
では、この実存の問いは、どう言う特徴を持っているのか。
また、これから体験する時間が、在ると認識して在る(存在する)と言う事態は、すでに極めて実存的である。
我々、実存する実存者にとって、問うと言う行為は、どのような構造をなしているのか。
実存する構造と時間
我々は現に、時間を何らかのものとして体験している。または、我々が体験している様々の事態は、時間のなかで捉えられている。
その体験に、すっかり現存在がはまり込んでいるなら、時間とは何かと問う事は無いだろう。
しかし、現存在は実存する者として、時間の問いから逃げ出す事は無いし、逃げ出せはしない。それは、実存の構造に起因する。 壇上でヘラヘラしてんの
ほんと変わってしまったわ
何熱くなってんのとか >>301
3回読んだが、意味が分からない。
実存という言葉が8回くらいあるのは分かった。
実存とは実際の存在ということを、短縮してかっこよく言ってる用語なのかな。
それと時間の関係を分かりやすく説明できないの? 余剰次元についてはCERNのアトラスプロジェクトがまだ結果をだしていませんね。
他にも余剰次元と思われる効果が観測されたとかいろいろありますが、いまひとつです。
もっとも、3次元ってどうやって証明?されたんでしょうね。
この世界が3次元だとか4次元時空間であるとか、証明されたという話も聞いたことがない。 >>305
3次元空間の証明…
目の前にあるものを信じればいいだけではないのかな。
縦、横、高さが見えるのでそれで十分ではないか。 ていうかさ、一般成人の哲学的水準ってどのぐらいなのかね。 縦・横・高さが見えるってすごいな。
ま、「四次元とは縦・横・高さ、そして低さである」なんてのもあるからねぇ。 方位が4つあるのはなぜか?左右があることと関連しているのか? >>315
なかったらどうなるか考えてみると分かる 実存
実存とは、実存する実存者を指すとします。実存者は、その実存するかぎりにおいて実存者であるので、実存する実存者としています。
また、実存とは、人間存在であるとします。人間としてある事態を、実存とします。であるから、自身が実存していると言う認識が薄いとしても、その者は人間存在として実存すると言い得ます。
世界時間内存在
ハイデガーは、実存する現存在は世界内存在であると言います。しかし、時間を考察してみると、むしろ、現存在は世界時間内存在とでも言った方が適切でしょう。 人文諸科学の基礎
実存の認識が薄いとしても、その者は実存しているとする理由は、将来、実存論によって人文諸科学の基礎が作られた時に備えてです。
人文諸科学の基礎は、未だ未成立です。それは実存論によってしか可能ではありません。
では、歴史的にいつ頃から人間は実存していたと言うべきなのか、は、すでに社会学の研究分野であると言えるでしょう。 哲学的にそのように煮詰まったからには社会学で考えていくのもいいかもしれませんね。 空間があることと、前後左右上下があることは、どちらがより基本的なのか? そもそも哲学で考えて何かが解明された例なんてあるのか?
哲学で考えるのは時間の無駄
解明という意味ではね
考えること自体が好きな人は、その時間を楽しんだのだから、それでいいのかも 1: 無 職 と 哲 学 (306)
2: 無 職 な 哲 学 (28)
3: 無 職 の 哲 学 (63)
4: 無 職 が 哲 学 (122)
5: 時間とは何か (326)
お前らが無駄にしてる戻ってこないもの。 哲学を考えるの好きな人しか哲学的な書き込みは出来ないし、哲学で答えるのが楽しくない人はここにはそもそもいないはずなんだけど、なんか必死に存在アピールしてる変な人もいるにはいるにはいるね。 >>318
もしかしたら、前後左右上下のないものは実在ではないのかも。
前後しかない「時間」は実在しない! 私、哲学を考えるの。
本当に私のことを好きな人しか哲学に関われないし。 >前後しかない「時間」は実在しない!
時間には上下もあると思うけど。
でなきゃ、なんで時代を下ったり、遡ったりすることができるの。
時代としての時間は、世代が上の方が上で、世代が下の方が下でしょ。 >>326
本来、哲学は様々な個別の学問の上にある学問の王。
全ての個別科学を論理的に統括する一般科学。
昔の哲学者の偉人であれば、アリストテレスとかヘーゲル。
時間とは何かを物理学で解明できているのか?
数式を出してきて何かを計算するのが関の山のレベルだろう。
本物の哲学者なら時間を定義してみせ、物理学者をリードしてやるのが本筋だろう。 でも、樹木とかに喩えるなら、地上に出ている部分は、
古い時代が下で新しい時代が上だよね。 >>334
前とか後とか上とか下とか空間でしか時間を論じられないレベルの低いやつら 光の速さに近づくに連れ時間の流れ方が遅延するということはわかってる訳だから
時間と名称づけられるものはエネルギーと質量を結ぶ係数として
やはり存在せざるを得ないんじゃないか
それが架空のものであるとしてしまうなら変化だけがあることになって
現象を説明づけることができないだろう 何の時間が知りたいんだよお前、実存宗教家こそ他所にいけ 前後も、前っていうと過去だけど、時間の進行方向としての未来は前にあるよなぁ。
時間に左右はあるかってのも難問だ。
もしかしたら時間にも左右があって... まぁ、時間を考えるうえで物理を取っ払ったらなんとでも言えてしまうわな
ハイデガーのように時間とは死へと向かう存在として主体としての私が生起させうるものとか
ベルクソンの言うように流れの中から空間を取り去ったものであるとか
こうしたものはもはや言いたい放題の宗教と言えよう >ハイデガーのように時間とは死へと向かう存在として主体としての私が生起させうるものとか
ハイデガーの思想をどう考えるにせよ、ハイデガーはそんなことは言っていない
言っていると主張するなら、直接にハイデガーの言葉を引用してみせるんだな とりあえずさ、ここまでは導いたんだから
あとは独学で頑張れw 指標には指向性がある。指だからね。
だけど、実は無指向性で、指向とその取消しだけがあるのかもしれないw
で、無指向性とはどのようなことかと言えば、既存の指向とその取消しに
対して、それとは異なる指向とその取消しの関係が無限定であることなの
かもしれない。 あれ、また"Zuhandenheit"の話に戻ってしまったな。 ある指向とその取消しが手頃(zuhanden)であるとしたなら、それとは
異なる指向は手頃ではなく、邪魔(unzuhanden)である。ところが、
目の前/手前(vorhanden)にある球体が完全(perfect)な形の代表と
されるのはなぜだろう。それは、その目の前にある球体にあらゆる
手頃(zuhanden)な指向とその取消しの無限定な可能性の代表を見て
いるからではないだろうか。 >>331
実在とは空間と時間を必ず伴うんだよ。
アホだな。 そうだね。で、そこにある実在は常に既にその空間と時間に頽落している。 ところで、タマーロ読んでいるんだけど、この人、明らかに哲学の研究を
下敷きにして小説書いてるよね。同国人でも、古典哲学研究をして、小説も
書いたエーコとかではなくて、ドイツの哲学を研究したアガンベンとかと
共通したものを感じる。 頭で理解しようとするのではなく、心で分ることが大切だと説いている 【あまりにもしつこいので盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を晒す】
★変態脱糞老女・清水婆婆の連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−19
★食糞変態プレイ愛好家・井口千明の連絡先:東京都葛飾区青戸6−23−17
★食糞ソムリエ協会名誉協会長・高添沼田の連絡先:東京都葛飾区青戸6−26−6
◎青戸6丁目住民一同は超変態プレイ愛好家食糞不倫バカップルを断固糾弾しますっ!!◎
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/食糞スカトロ協会名誉協会長・宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
★★【盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/食糞変態プレイ愛好家井口千明(東京都葛飾区青戸6−23−17)の激白】★★
㊙井口千明は黒人の超極太巨根チンポウを目の当たりにして完全に自信を喪失し鬱病になった模様㊙
☆食糞ソムリエ・高添沼田の親父☆ &☆変態メス豚家畜/変態脱糞老女・清水婆婆☆の超変態不倫バカップル
東京都葛飾区青戸6−26−6 東京都葛飾区青戸6−23−19
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/食糞ソムリエ・高添沼田の親父の愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
待機中
⊂⌒ヽ γ⌒⊃
\ \ 彡 ⌒ ミ / /
\ \_<(゚)д(゚)>_./ / 食糞ソムリエ・高添沼田の親父どえーす 一家そろって低学歴どえーす 孫も例外なく阿呆どえーす
\ \_∩_/ / 東京都葛飾区青戸6−26−6に住んどりマッスル
/( (::)(::) )\ 盗聴盗撮つきまとい嫌がらせの犯罪をしておりマッスル
⊂_/ ヽ_,*、_ノ \_⊃ くれぐれも警察に密告しないでくらはい お願いしまふ
 ̄][ ̄ ̄] [ ̄ ̄][ ̄
 ̄ ̄][ ̄] [ ̄][ ̄ ̄
 ̄][ ̄ ̄] [ ̄ ̄][ ̄
 ̄ ̄][ ̄] [ ̄][ ̄ ̄
 ̄][ ̄ ̄] [ ̄ ̄][ ̄
"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~"~ 不快な画像を貼りつけなければならないような、
なにか不都合な書き込みでもあったのかな? 時間と空間の学問的定義は、ドイツ哲学における弁証法の主要な問題であったのであり、カント・ヘーゲルにおいてすでに学問的に解決されている問題であるからである。
具体的にどういう風に解決されたのかと言えば、世界は変化・発展・運動している過程の複合体であるが、この変化している世界を静止的にとらえた謂わば断面が空間であり、運動している世界を変化しているという一般性において把えたものが時間という概念の中身なのです。
したがって、実在するのは変化・発展・運動している世界のみであって、それとは別に空間や時間なるものが存在しているわけではありません。 ハイデガーは、それを未解決であるとして「存在と時間」を発表したわけ
だが、では、それがドイツの哲学界で受け入れられたのはなぜ?
ハイデガーは、カントとヘーゲルの時間論を名指して批判している。 >>367
それは答えになってないと思う
それでは世界が変化するのはなぜか? 時間と空間を立てても韻を踏んだりする面白みもないし、出典引用が違うことを並べ立てても、混乱するだけだよ。 >>374
それは説明になってない
しかも変化という言葉自体が時間の概念を含んでいる 時間と空間というと、同じ世界にないね、完全に溶け合うこともないし失敗した
事も忘れずに。 少なくとも熱力学や統計力学を一切学んでいないのに
時間を云々語れる時代は過ぎた >>375
だから世界が変化していることに気付いたから時間の概念ができた。 >>377
力学そのものが時間の概念を前提としているとしたら? 時間のみならず速さや長さといったもんはリンゴみたいに
そのものとしての物理的実体に属するもんではない
しかし、それがないと物理現象を説明付けられないから要請されたんだな 他の人たちと違って私は熱力学や統計力学を学びましたなんていう
マウンティングは、時間の概念よりも熱力学や統計力学の方が
基礎的であるという根拠を示せないなら無意味。 いろいろと混乱していながら、混乱していることの自覚すらないから、
何も整理されない。 時間は物理学の問題だろ
なんで哲学で解こうとするのか?
筋違いだよ 時間は時と時の間だろう。
時間を物理学の問題として解きたければ、
まずは時を物理的に定義してごらん。 速度は距離を時間で割ったものだから、同じだよ
距離を含めて考えるかどうかだけ だとしたら、移動しない物の時間は無いんだね。
残念。 そういうのくだらない話はもう相手にしないよ
物理学的な時間の考えで重要なのは空間上の2点が区別できるかどうか?
もし将来にエントロピーが増大していき宇宙のいたるところが均質になった時、時間は消滅する
なぜなら空間上の2点を区別できないからだ
あるいは空間が存在しない時(宇宙の誕生)時間は存在しない 仮にそうなった場合も時間は消滅しない。
時刻が分からなくなるだけだよ。 その場合に時間があることをどうやって証明するのか? 時間の概念は、子供の興味としても大人の視覚刺激においても
たいへん刺激的なものでした。 時間を空間内の2点の間の移動によって規定した場合、空間の定義は措くとしても、
点(位置)の存在を前提にすることになる。ところが、移動の開始点にしろ、
終了点にしろ、点(位置)はそのものとして現れることがない。では、
その移動にかかわる点(位置)はどのように現れるのか、という問いを突き詰める
なら、結局、物理学も哲学に戻らざるを得ないでしょうね。 1: 無 職 と 哲 学 (308)
2: 禊健太郎(波平)、来年で40歳職歴無し (172)
3: ■■□ おら 働いたこと ねえだ〜 □■■ (197)
4: 哲学板のスレが平日の昼間でも伸び続ける理由 [無断転載禁止]©2ch.net (52)
5: 無 職 の 哲 学 (67)
6: 働かずして輝きたい (46)
7: 無 職 が 哲 学 (128) あるとはどういうことか、という問いに明確に答えることではないかな
空間があるということは、不在があるということでしょう
不在があるとはどういうことなのか 空間が不在なんて思ってるの?
一見、何も無いように見える空間も、量子レベルで見れば、物質と反物質が絶えず生成、消滅を繰り返している。
こんなのとっくの昔に常識だと思ってたけど、まだ知らない人もいるんだね。 しかしながら、在るとは何かと言う問いは鋭いね。
時間とは現在の持続であり、これは在ると言う事と同義だ。
しかし、これは超難問だよ。 存在論
存在論に対する疑問、当然あると思う。存在論は、つまるところ意識としての存在者の存在に関わる論だと思う。
我々、人間存在は、意識的な(詰まり意識を備えている)存在である。
そこで、意識とは何か、が問題になる。そしてその先に、存在論が生まれる。我々の意識的存在も含めての存在の考察、あるいは位置付けと言った論が必要であると。
そう言った存在論が無いなら、我々の意識も含めての存在、つまり、世界の記述や考察が出来ない。 実存と問い
例えば、今と言う存在(敢えて概念とは言わないでおきます)、あるいは時間、そして世界、そう言った問題は、存在論的な、つまり実存的な、問題なのです。
存在の問題も、それが問題である事実は、実存的な構造のなかでである。
実存、(それは意識的存在に他なりませんが)つまり意識的存在とは、それらの問題に関わる存在である。そして当然だが、価値と言った問題も、この存在者に特有な問題なのである。
世界内存在とは、実存、すなわち意識的存在であり、またそこに、意識とか意味と言った問題が横たわっている。実存とは同時に意識的存在であり、またその構造は、同時に意味と共に成立した世界と同根源的である。
ここから、時間の問題が、そのまま実存の問題となる構造がある。それはさらに意味の問題である。 徳利は、「『とくとく』と音を立てる物」であるから、「とっくり」と云う。 >空間が不在なんて思ってるの?
不在とは、白色雑音のようなものかもしれませんね 不在とは、あらゆる"zuhanden sein"の取り消しである。 だれかハイデガーの「存在と時間」に対抗して「不在と空間」とか書かないのか? なぜそこに何かがあるのではなく、何もないことが可能なのか? >>408
あまりにも抽象的でイメージできない。
もっと分かりやすく具体的にかけないの。
それとも分かりやすく書く能力がないの。
意識的存在?
世界は意識しないと存在していないと言ってるの? 数学屋さんだともっと分かりやすく抽象的にと注文するところ >>408
なんだか1960年代から1970年代にかけて早稲田大学文学部哲学科にいた人?
この頃の哲学科学生って頭おかしいと思えるような文章を書くことで有名。
この世代が私立大学教授(それも三流私大)をしたりしていたけど、今では自分の書いた
学術書が0円同然で投げ売りされている現状に、自身でも恥ずかしさを感じているのでは? 哲学科なんて存在自体が無駄の極みだね
人類や地球的な問題を解決できる論理でも構築できるなら有益だが
詩的な表現技法や秀逸な文体を競い合っているようなのは既に学問ではない
言葉遊びなんてのは趣味でやるもんだ >>424
では哲学科から出たアイデアを教えてよ
具体的に 1 名前:考える名無しさん 2018/09/14(金) 08:12:14.42 0
その探究
417 名前:考える名無しさん 2018/11/30(金) 12:38:16.05 0
不在論
418 名前:考える名無しさん 2018/11/30(金) 12:41:10.66 0
だれかハイデガーの「存在と時間」に対抗して「不在と空間」とか書かないのか?
419 名前:考える名無しさん 2018/11/30(金) 13:58:33.30 0
平日昼間w 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27) 昼間は、「ひるま」なのに、
夜間は、なぜ「よるま」ではなくて、「やかん」なのか? "notte fonda"、 「夜更け」ではなくて、「夜深け」
「老ける」ではなくて、「深ける」
ポリコレ的な言葉狩りに耽る https://www.etymonline.com/word/profound#etymonline_v_2632
profound (adj.)
[...] from Latin profundus "deep, bottomless, vast," also "obscure;
profound; immoderate," from pro "forth" (from PIE root
*per- (1) "forward") + fundus "bottom" (see fund (n.)).
そ(退)く⇒そこ(底)
三省堂 大辞林
しり ぞ・く [3] 【退く】
〔「後(しり)退(そ)く」の意〕 よ(除)く⇒よこ(横)
し(敷)く⇒しこ(四股)
長(た)く⇒たけ(丈)
む(向)く⇒むこ(婿)
ね(禰)ぐ⇒ねこ(猫) 誤:長(た)く⇒たけ(丈)
正:長(た)く⇒たこ(凧) ひさく⇒ひさこ/瓢/柄杓(?)
鬻ぐ・販ぐ・粥ぐ(ひさぐ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/鬻ぐ・販ぐ・粥ぐ-365434
大辞林 第三版 - 鬻ぐ・販ぐ・粥ぐの用語解説 - ( 動ガ五[四] )
〔近世初期までは「ひさく」と清音〕 売る。あきなう
瓠/匏/瓢(ヒサゴ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/瓠-609708
デジタル大辞泉 - 瓠/匏/瓢の用語解説 - 《古くは「ひさこ」とも》 ほ(祝/寿)く⇒ほこ(鉾)
「あしひきの山の木末(こぬれ)の寄生(ほよ)取りて挿頭(かざ)しつらくは
千年―・くとぞ」〈万・四一三六〉
寄生(ほよ)の意味 - goo国語辞書
https://dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書 › 生物 › 植物名
ほよ【寄生】とは。意味や解説、類語。ヤドリギの古名。 ほ⇔《hoch》
http://www.wordreference.com/deen/hoch
hoch Adj (weit nach oben gestreckt) あしひきの山、a "far-suspended" mountain≒a "sky-high" mountain 高山の木の梢に寄生しているヤドリギを取って頭に挿すんですよ
それが千年祝ぐことになる
何がどのように時間に変わるのか? >>431
こうしてラテン語に由来する英語の"profound"と比べて見ると、
「ふか(深)い」ことは、云わば「おくゆ(奥行)きがある」こととしても表現
され得ることが分る。「おくゆ(奥行)きがある」とは、奥に進むことが
できるように「空間が広がっている」ことであり、「空間が広がっている」
ことは、「ふく(膨)らんでいる」ことでもある。すると、現代の日本語に
おいては当初、まったく別々の表現であるように感じられていた、
「(底が)ふか(深)い」や「(夜が)ふ(更)ける」の「ふ」と「ふく(膨)らむ」
の「ふ」にイメージの共通性が感じられることになる。さらに、風船に
息を「吹(ふ)き」込むと風船が「ふく(膨)らむ」のだから、風がふ(吹)く
場合の「ふ」にもやはりイメージの共通性が感じられる。こうなると、
例えば、「ふ(更)け」と「ふ(吹)く」が「語源的に共通であるか否か」
というのは、実はそれほど重要な問題ではなく(なぜなら、表現のイメージ
は自由自在に流用され得るのだから)、用法に共通性が見られるかどうか
の方が、言語表現を理解するうえで、より本質的な問題であることが分る。 さらに、こうしてみると、目の前/手前(vorhanden)にある空間が、
「深さ」、「奥行き」、「広がり」、「膨らみ」などとして、
様々な様態で手頃(vorhanden)に存在しているものとして捉えられて
いることも分る。 実存と問い
今、と言う概念が問題となるのは、我々の、つまりそれを問う者の存在にある。存在にその理由があります。
つまり、実存者の実存が、今とは何か、と言った問題を問題としているのです。
で、どうしてそうなのかと言うと、それは実存の構造にその理由があるとなります。
およそ哲学的な問いは、その原因、理由を我々の実存に持っている。
特に、時間とは何か、は存在とは何か、以上に実存的な問いである。 実存と真
さて、存在論が今では、実存論である。と言うのも、実存論的なそして実存的に、真であるものが真であるからである。
この事情は、ハイデガーの言う現象学に他ならないと思いますが、現象学を読んで無いので断定出来ません。
しかし、現象学的な真とは、我々実存する存在者にとって、そうとしか捉えられない、考えられない、と言う構造にあります。
現象学的な真、フィロソフィアにおける真
例えば、存在と時間と空間とは、別々に考えることが出来ません。つまりこの三つは同一の何かなのです。振動です。振動するヒモです。それが存在の究極的な形態であるのは現象学的な考察と一致します。 フィロソファア的な考察
フィロソフィア的考察において、人間存在とは自由であると言われます。そして歴史的に人間の自由は、(曲がりなりにも)達成したのです。
フィロソファア的な探求、考察は実現します。 振動するヒモ
振動するヒモは、その構造の中に空間を含んでいます。振動するためには空間が必要です。
また時間を含んでいます、振動とは時間のなかでの振動です。
その様な形態が、存在するものの究極の形式であるのは現象学的な考察と一致しますから、これ以上の、物理化学的な結果はありません。 自分も無理矢理なこじつけだと思う
本当に超弦理論を勉強した? 誰も独りで震えることはできないと言いたいのでしょう 相手を見つけられないとヒモも結びつかない
問題は、
独りでに「相手を見つける」ことに芽生えたそのこと
実存は“愛”ですねw
つまり時間も空間も愛の賜物 >>458
愛は、それがあった方が生存に有利だから存在している生物の本能だよね
物理世界の話と無理矢理結びつけないでくれ ヒモで思い出した
>>wikipedia
>『漢書』律暦志によると「丑」は「紐」(ちゅう:「ひも」「からむ」の意味)で、
>芽が種子の中に生じてまだ伸びることができない状態を表しているとされる。
>また、指をかぎ型に曲げて糸を撚ったり編んだりする象形ともされる。 >>459
本能とはコナトゥスのことだから愛と同義でもさして間違いといえない
文理を結び付けないで考える方が古い 愛を何か特別なものと考えすぎ
トイレに行かないと、おしっこ行きたくなるのと大して変わらない >>462
まずトイレに行く
だから、おしっこ行きたくなる
この“まず”トイレに行くが愛なのよ
そうしないと紙も生きられないからでしょ >>451
物が変化することから時間を認識し、物が在ることから空間を認識する。
物があるだけだ。 >>464
>>465
立ちションすると飛沫があがる
その泡が時空だと思えばいい
変化とは“相対速度”のことと解せば、
時間と空間とはその射程を測るための要請にすぎないことに気付くであろう
もしそこに時間と空間を予め想定していたならば、
君のおしっこはどこに届くことなく飛沫のあがることもないのである >>469
輪ゴムを上から見ると横から見るとの振動の周期はどのように異なる?
>>470
性質とは敢えていえば“固定周期”のようなもの >>470
それは何も答えたことにならない
もともと時間が存在するから、というのと同じ >>466
そのような問いには「何故」の意図するところ、
何を問おうとしているのかを考えるとよい >>472
最初から物には変化する性質があると考えるのがおかしいのか?
それを見て時間と言っているだけだろう。 物は変化しません
何物も何物かを索知することで情報を肥大することなしに保存されませんから
エントロピー概念の基礎ですよ 自律振動なんてものはありえないのですわかりますか? 頭の中だけなら今すぐ彼女の家に行くこともできる
“光陰矢の如し”ですから
でも現実は距離が隔たっているのです
彼女に会いに行くためには、時間と空間が必要なのです >>475
地球も月も太陽も回転している。
海も川も空気も流れている。 君自身が変化していることなんて君はどうして知るのですか?
君は歳をとらないのです、それを“知ること”には歳をとりますが >>479
静止していることと等速運動は区別できません
回転も流れも幻想です
反論したいなら宇宙で静止している点を探してください >>482
川の流れが幻想なの?
台風の風が幻想なの? 物は、常に既にどのようにかある。
どのようにもないのなら何も無い。 点を集めても線にも面にもならないのです
だから物は幻想です
幻滅したいなら、君が“点”だと認めることです
つまり、在って在らぬものだと >>480
呼吸をしている。脈がある。歩いている。ご飯を食べる。
常に変わっているが… >>487
君には愛が足りない
だから彼女もいない 存在者は干渉の反復としてあるのではないでしょうか? >>489
どのような反映もその関数の定まる存在者は1/2にならざるを得ません(>非自明な零点) >>486
ほとんど意味不明
物が幻想? バカなの
物が幻想なら、机の角にでも頭をぶつけてみればいい。
きっと、ぶつからないか、ぶつかって痛くてもその痛みが幻想なのだろうな。 無には何も無い。空間もない。時間もない。
もっとも単純なものとして点を考えると、
点には位置があり、それゆえに空間もある。
もっとも単純な空間を考えれば、それは1bit時空間である。時間と空間に区別はない。
無から点が生じるとすれば対生成である。
対生成が生じうる無とはなにか。
われわれは無を考えることができない、考えた時点でそれは無ではなくなるからだ。
無は考えることもできないものでなくてはならない。考えた時点で矛盾する。
これをどうやって解決するか。それが問題だ。
無のみが実在である。 >>492
痛みが幻想なのはそうだ
もちろん痛い
けどそれは幻想 >>493
そんな禅問答みたいな話は意味がないと思うけどなあ 完璧、完全、パーフェクト、均質…と
無は区別できない(んじゃないかなぁ
完璧に削った鉛筆は(芯を下にして)立たない
どっち向きかに倒れるって話しを昔聞いたなぁ そんなドミノ倒し的連鎖の持続を
知性はかろうじて認識した、と
認識行為がある対象のドミノを倒すきっかけにもなる
というのは観測問題か 無はアクセス不能である。
アクセス不能であっても、無を活用する手法は、数学や計算機科学ではいろいろある。
ところが哲学にはそのような哲学的手法がみられない。(ま、印度とか仏教とかにはあるかも?)
空集合、イプシロンデルタ、イプシロンエヌ、(計算機科学での)モナドなど。 ちょいと書き間違った。
無の活用ではなく、アクセス不能なものの活用。
変数(変項)なんてものも、アクセス不能ではないけど、そのようにも扱えると考えるならば、
(哲学としての)述語論理も活用できないことはないか。。。
それらしい議論は哲学にもいろいろあるのだろうが、活用できてはいない。
現象学での括弧に入れて先送りするようなことが限界なのか? >>493
大丈夫ですか? 心配になりますw
逆ですよ。無は実在しません。
考えたアタマの中にあるだけです。 無はアクセス不能なので頭の中にもありません。
無を捕らえることはできます。空集合です。これは頭の中にありますw
この空集合を逆方向からみると「すべて」になります。
なんらかの超対称性のようなものが、そこにあるとみています。
まだ、うまく説明できませんが、無とすべてに対称性があるとして、集合論を再構築すれば、
いろいろなものが統合できるだろうと考えているわけですよw
素粒子理論における超対称性がもうすこし進展すれば、そうなると予想しとります。
参考文献「すごい物理学講義」(そんなことが書いてあるわけじゃないけど参考まで) (空集合)のこっちがわの世界では無のみが実在です。
実在とは無のことです。すなわち、こっちがわからは実在にはアクセス不能ということw
「世界は存在しない」ということを拡張したわけです。新実在論のひとつとして構想中。 >>503
新実在論を提唱している人はほかにもいるのかな?
「世界は存在しない」とか「無のみ実在」など言葉遊びとしか思えない。
ところで「空集合」って数学の概念だよね。
数学で世界を解くことはできないよ。 無を侵食しているけど欠けることがあるから、無にコンタクトしないわけか。
でも開拓精神も大事じゃないか。 無理⇒理(ことわり)が無い
無駄⇒駄(だ)が無い(?) 言葉遊びが哲学だと勘違いしている馬鹿がいるね。
言葉から分かる事は、精々その言葉を使う人の世界観くらいだろう。
バカの世界観を追求してバカになる、実にバカバカしい限りだね。 時間の国のアリス
>>405時間とは現実の持続であり
言葉遊びの語呂合わせ
目くそ鼻くそか。
同属嫌悪を追及する世界観
なるほどなるほど 真剣に時間のことを解明したいなら
宇宙が誕生した瞬間のことを解明する必要がある
そのためには素粒子物理か、理論物理の研究者になるしかない
一般の人で時間のことが知りたいなら関連の物理学の本を読むべき
「大栗先生の超弦理論入門」はいいよ
哲学から時間に関する答えが得られることはないから、そこに時間を使うのは無駄
時間の認識論なら話は別だけど >>511
じゃあなんで、5ちゃんねる哲学スレで時間
を更に無駄に使ってるの? >>511
現代物理学は時間が実在すると考えているのではないか。
時間がのびるとか、空間が曲がるなど言っているが…
物理学では時間をどう解明しているのか。
数式で計算しているだけとしか思えないが… >これから人文学に向かうにあたって
暴力崇拝を潔しとするなら人文学に向かうことに意味はない
それなら最初からビジネスで成功することを目指した方が健全だ 物理学とかは、時空間がvorhandenにあることを前提としていて、
その前提からもたらされる矛盾を、何とかその前提を変えずに
説明できないか悪戦苦闘しているように見える 物理学は時間を前程にして
物理学の理解を広めたことに意義が
あった、それ以上でも以下でもないかな >>512
自分のやってることが無駄と自覚しているなら
何も言わないよ >>514
相対論的な効果で時間の進みが変わることはGPSで位置補正を計算するのに使ってる
相対性理論は理屈じゃなくて現実に使われている
カーナビを使ったり、スマホの地図を使う時に、相対性理論のお世話になってるわけだ 哲学は時間のような物理現象しゃなくて、もっと人間固有の問題に取り組むべきと思う
時間は物理学の領域だ 人間の足下と頭部の時間の流れの違いがストロンチウム光格子時計でテレビ番組中に確認できる時代だしな ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士。
湯川博士自身が天才と認めていた人物。
それは「空海」なのだそうです。
難関なるお経の中に、宇宙だの時間だのの真理が記されているそうです。
物理学者が、文系(漢文)の研究までなされていたのかな? あと道元の「無」についての講釈文献もあったような?
記憶違いだったらごめんなさい。 >>504
空集合といってしまうのが数学なら、「空」でいいかな。
マルクス・ガブリエルの、意味の場において現象することが存在である、ってのは
場の量子論とか場の理論であって、
世界は存在しないってのは、単に公理的集合論。
その意味では、新実在論も、思弁的実在論にカテゴライズされてしまうかもしれない。
空からフォンノイマン宇宙を構築するのであれば、その空の中にあり、アクセス不能な「無」
こそが実在である/でなければならない。 その人の本業と、その人が余暇の時間に読んだ本の話を混ぜないで
アインシュタインもカントを尊敬していたよ
でもカントを研究して相対性理論につながったわけじゃないからね >>525
哲学と数学を混ぜるのはどうかな?
ソーカル事件の臭いがするけど アインシュタインが最後まで量子論を認めなかったのはスピノザの影響ですよ >>518
反論してほしいレスのリクエストあれば
どうぞ >>520
相対性理論は本当に正しいのだろうか。
時間の進み方が変わるというのは時間を実体として見ているからではないかな。
見かけ上、時間が変わるとしても、それは別の解釈をしなければならなかったのではないかな。 >>530
そんなことより
君の解釈がないのではないかな。 なんで急に性格の解釈をだしてくるのか?
比較的連続的体系な本質だから。
おしまい。 >>530
相対性理論が間違ってるというのは相対性理論を勉強してない人
トンデモ本でそういうのあるけどね
物理の専門家は受け入れてるよ アインシュタインが量子論を受け入れられなかったのはスピノザの影響です✨🍑 終日無駄な妄想に付き合わされる君の
苦労、頑張りは人知れず続く・・・ 時間が何かは考えただけで分かる問題じゃないよね
実験して、その結果を根拠に理論を作り、それを元に実験して、理論が間違っていたら理論を修正して、また実験して...という風に実験と理論の積み上げで解決するしかないよね
考えただけだと、その考えを支える土台となる根拠がないもの
砂上楼閣が出来上がるだけだよね 空集合を共有している集合では時間はひとつ
でその議論領域では相対論も精確に実証される
脳は身体由来の自前のクロックをもつが、外在時間(ひとつ)を
意識や無意識はしばしば参照し同期しモデル化し内在化 相対論を疑う人にお薦めの一冊がTBSブリタニカの
アインシュタインは正しかったのか?
初期から疑われ別の理論を出され続けていた相対論がどのように実験を通じてライバル理論候補を退け生き残ってきたかを書いている。
もちろん自然科学の宿命として、それが正しいという保証は永遠にできないが、それでも繰り返し予測が正しいと検証され続ける間は他の使えない理論よりははるかに信頼され使い続けられることになるだろう。 否定というコミット
完璧に削った鉛筆は芯で立たず倒れる
倒れるというコミットメント
フレーム問題を回避したあとの世界では
問題がなんであったのか、とどう回避したのかという情報
は記録や痕跡が存在しない 意味と世界と実存
マルクス・ガブリエルが、『意味の場において現象することが存在である』と言っていると言います。
『存在は、実際には現象として存在する。そしてその存在現象は意味的に(我々に)捉えられる(意味的にしか捉えられない)』
と言い換えます。
これは世界の実態を説明しています。それはそのまま我々の実存を説明しています。
言い換えれば、我々の実存とは、その様な世界把握によってもたらされるのであり、その様な解釈、理解と共にまた覚醒するのです。 コギト、認識と現存在
我思う、故に我あり
ここで、思うは、何事かに関する認識を含んだ思い、思考ですから、これもまた、認識と自己存在の連係です。認識は、それに伴いある(その認識主体の)自己認識を連れて来るのです。
デカルトは解析幾何学的の創始者です。彼が解析幾何学的の可能性に気がついた時、新しい自己認識、(すなわち他の存在者とは、別次元で存在する自己)に気がついたのです。 >>541
相対性理論は定説中の定説になっているので、今では疑う人は変人扱いされている。
光速度不変の原則の元になった実験結果の解釈が問題だと考えている人は今でもいるが、
ネットに出ているその主張を読むと的外れではない。
さらに世界最先端と思われるある学者グループも相対性理論を否定しているようであり、
そう遠くない将来に新理論が発表されるのではないかと思っている。
それまでどんな内容か楽しみに待つしかないのだが… >>527
その路線が思弁的実在論です。
これに対して、というか対してないけど、新実在論のほうは、
理系からみると単に似非科学です。このガキはなにいっとるんだというのがマルクス・ガブリエルに対する感想ですねw しかしながら、マルクス・ガブリエルを擁護する。
単に公理的集合論にすぎないものから場の理論を経て、哲学的「存在」をみいだしたと。
そうして新実在論は思弁的実在論と融合して思弁的新実在論になるのであった。
OperatorがOntorogyなのであって新OOO、または、場のOOO、あるいはOOOOになるのだw 以前、チャイナリング理論として構想したのだが、この4つのリングが時空間という幻想をうみだす
という仮説。 アインシュタインが量子論で気に入らなかった事は、確率の先ある筈の真理を追求しようとしなかった事だろう。
科学者として当然の態度だ。
しかし、確率は確率として受け入れ、その先にある筈の真理を保留した事によって、量子論は目覚まし成果を上げた。
最終的に真理はアインシュタインにあるのだが、成功したのはボーアの戦略だろう。
アインシュタインの方が正しいが、ボーアの方が賢かった。 >>554
アインシュタインの考えが正しいと言えるのかな?
もし正しいとするなら、二重スリット問題はどう考えればいいの? >>548
人には手足がある
つまり、人には「あし(脚)た(手)」がある。 「あした」の「た」って、「『かなた』遠くの」とかの「た」と同じだろうから、
方向性を表すために用いられた「手(た)」でしょう。「あし」は、
「先に延びているもの」として「脚」を表しているのだろうから、
「あした」を「脚手」と読んでも、そう酷いこじつけにはならないんじゃないかな。 時間とは何か、と問う行為は、時間のある説明を求めています。それは言葉によるある説明であって、それを読んで、時間を我々が体験していて体験するであろう時間を説明するものです。
そうして時間が説明され、その理解が訪れるなら、それは新しい理解ですから、我々自身が新しい存在者となる、すなわち我々はこれまでとはどこか違った在り方をする存在者となる可能性が訪れるのです。
(我々の在り方は新しくなるに違いありません)
例えば、地動説が語られたとき、我々は新しい存在の一歩をすでに踏み出していたのです。
(ガブリエルを読み始めました) 時の進み方は人それぞれ違う。のに日の長さが同じかというとまあ、感じ方は違うが
日の長さが同じと考えるものおかしい視点だ。 同じお風呂に入っても、人によって熱いと感じたり、ぬるいと感じたりする
それと同じことか? 子供達に対して私が一人で書いたわけではないですなんて言ってしまったら、それこそ夢も希望もないじゃない。 温度の感じ方は人によって違うよね
共通に議論するにはどうしたらいいか?
温度計で測定する
温度は何か?分子の運動エネルギーの分布だよね
それと同じように時の問題も、物理学で解決するしかない
何で哲学的で考えようとするのか?
ただし、時間の感じ方は人それぞれで哲学の領域かもしれない 意味領域と時間(世界を括るものとしての)
ガブリエルは意味の領域と言う。意味の場と言うと、その場を限定している理由が不問である。(意味領域と言えば、どの様な理由でその領域が括られているかは判らなくても、何かが括っている事が示されている。意味領域と言うのが良い)
この理解では、正しく時間こそ、世界を括るものである。ガブリエルが、世界は存在しないと言う、世界を括るものが全く不明なのである。
そこで、相対性理論である。時間が遅れると言う。世界を括る時間が遅れる事が物理学によって示された以上は、物理学が時間に言及する力を持つに違いない。錯覚です。時間は遅れるのではありません。その場合、基本的振動が遅れるのです。 哲学は物理的現象なので物理学の領域かもしれない。うふふん。 世界と言う意味場の不成立
ガブリエルが世界は存在しないと言う時、それは世界を現象させる意味場の不成立を言っています。(この場合、その場の成立、不成立が不明なので、仮定として意味場とする、意味領域ではなく)
(訂正、世界は意味的には限定されない、括られない。それこそが世界の世界性である)
共通の時間があるところとして、世界はあります。
上の記述は、不適切でした。世界を括るものはありません。それこそが世界の世界性です。ただ世界全体に時間があり、その時間は共通性を持ちます。その共通性が無ければ世界は成立しません。また、時間の異なる世界があるとしたら、それは完全な別世界となるでしょう。 >>570
世界が存在しないなら給料はいらないのかな?
ご飯も食べないのかな? 相対性理論の時間の解釈はダメ
速度が早くなると時間が遅れるなどとばかげたことを言っている。
この世界に時間がずれたものが無限に同時に存在すると言っているのだ。
同じ人体でも動脈を流れる血液は早いので時間が遅く、肝臓は止まっているので血液より時間が早い。
電子は早く核の周りを回っているので核より時間が遅い。 >>572
電子は核の回りを回ってないよ
惑星とのアナロジーで考えてるの?誤解してるよ >>572
そもそも日常的な速度差でそんなに時間が伸びたり縮んだりしないから
そんなの分からん でもストロンチウム光格子時計とかイッテルビウム光格子時計とか使えば簡単に違いが測定できる時代にはなった >>573
そうなのか。知らなかった。
でも回ってなかったらプラスとマイナスの電気でくっ付きそうだが… 純文系学徒のような現代経済テクノロジーの大半を喪失した半脳空間について語ろう >>576
それを解決するために生まれたのが量子論
電子は離散的な安定な軌道に存在する
それ以外は不安定
なので一番内側の安定軌道に電子が存在する場合、そこに電子はとどまる 確かに、年寄り見てると大体トロいよね。
自分がトロい年寄りからしたら、周りの時間は早く流れていると感じるんじゃないかな?
アホらしい。 光子に時間がないこととエネルギー保存の法則とはどのような関係にあるのですか? 哲学と自由
哲学が何かを解明した事はない、と言う主張。
哲学はどんな事も解明してはいない。
しかし、例えば、自由と平等とは、哲学的に獲得されたのです。確かに、自由も平等も未だに完全には解明されてはいません。しかし、現在、人間の自由と平等を否定する者はいないでしょう。(何らかの自身の利益追求の為に否定しまた、否定的な言動をする者はあっても)
自由と平等とは、哲学が獲得したものです。つまり未だ、100パーセントでは無いですが哲学はそれらを解明した、しつつあるのです。 >>588
ところで、マルクス・ガブリエル
結局何を主張して
たか、良ければ簡単な
レポお願い。
結局、世界が存在しない
理由を主張した本なんでしょう
けどね、読んでないけど。 >>589
ガブリエルの、『なぜ世界は存在しないのか』読んで下さい。
彼は、存在とは何かを考察した結果、世界は存在しない。或いは、世界を『存在させる事は出来ない、と言っているのです』。
この、考察の結果はすでにこの記述、分析だけでも驚くべきものです。我々は、現存在は、その他の存在者を存在させている(それが認識と言う行為である)、のです。
さらに、彼は、宗教の意味、芸術の意味と突き進みます。 アルゴリズム、アーキテクチャ、ソフトウエア、DB、手続き、エルゴノミクス、現代思想 >>590
この本の作者を包丁で刺したとするでしょ
世界が存在しないとしたら、
作者は病院にも行かず、警察にも訴え無いのか?
それと、この作者とは別に
あなたは世界は存在しないと思ってるの? >>590
存在を考察して世界を分析した結果
ガブリエルは世界が存在
しているという認識の記述は
不可能だと結論した。
そこで世界は存在させることが
できない創作で著した。
創作だから、その立証に
創作の数々、宗教や芸術の意味
付けに突き進むとそういう話でしょう。
何がそんなに驚くべき
記述だったか具体的な論理は
なかったんじゃないですか? ガブリエル
ガブリエルの注目するべき主張は、『意味の場において現象する事が存在する事である』です。
彼は、これをハイデガーの存在の意味とは何かに対する解答としています。 単にハイデガーの存在の意味と
はなにかと写象させただけの文言
なんだけど・・・
意味の場とはなにか
現象とはなにか
存在とはなにか
という主張すべき解答は
なにもないから別に注目する価値
ないと思うけど 存在論と形而上学
ガブリエルは存在論と形而上学とを別の学問として説明しています。そして彼の主張する理論は(形而下の)存在論として正しいと言えるでしょう。
世界の存在は、形而上学になります。とすると実存論は形而上学となります。
形而上学としての実存論
意味、価値、時間なども形而上学の問題となるでしょう。実際、我々の実存の意味は形而下の諸事態を超えているとしてしか捉えられないでしょう。
形而上学としての実存論です。 物理学もロクに学ばない知らない人間が言葉を多くしても無駄だよ
相対論や量子論の間違いに気づけば時間の何たるかは簡単にわかる 心の中で物理学的に
わかってれば
いいんじゃないそれで。
言葉は要らない 時間とは何か、なんて問題は比較的に簡単なんだよ
人間にはもっと考えるべき重要な問題が山ほどある 大学乱立の現状では人文系つまり白痴を追い払うのに精一杯といった状態なのです 時間とは何かは物理学の問題であって、哲学の問題じゃないんだよ
哲学は人生をいかに生きるべきとか、そういうことを考えるべき >>601
人文関係なくてもお前の出身校は名前書いただけで入れる無名のバカ大学でしょ 哲学やってる人の間で「それは形而上学だよ」と言ったら、馬鹿してる発言だと聞いたが... サルトルが来たと慶應で大騒ぎされるような時代は来ません。
むしろ現実主義を難関哲学文章として構築すれば?
誰も見向きもしない時代ですよ。 神の存在が信じられた時代ならあり得たかもしれないが、今更、形而上学と言ってもなあ... 自由と社会、自由と世界
人間の自由を語ろうとすると、形而上学にならざるを得ないでしょう。そうでなければ、自由とは存在する法律その他によって認められている自由に留まり、本来の自由と言った言説は不成立となります。
人間存在は(その社会によって)認められた自由しか持たない、となります。 拘束された時間
時間とは何か、の問いも自由な時間をその主題としているのであって既に何らかの理由で拘束されている時間を考察しょうとしているのではありません。 >>602
物理学では時間をどうのように定義しているのか? 自由の認識、理念
『人間存在は(その社会によって)認められた自由しか持たない』と言う発言は人間の本来的自由と言った理念を既に認識しています。この様な発言を聞いて、特に違和感を感じない在り方にある物もまた、自由の理念を(何らかに)認識しています。
人間は本来的に自由であると言う認識です。この認識は、今日では広く認められています。それは人類の歴史的な事態です。我々は紛れもなく歴史的な在り方、存在として存在します。
形而上学的な在り方
そして、人類に自由がやって来た、その初源は何らかの形而上学的な考察にあります。人間とは形而上学的な存在であると言って良いでしょう。 何というゆとり思考。
人間の歴史は争いの歴史。
自由、平和、平等なんて概念は戦争や支配への反発から生まれたんだよ。 ガブの影響を受け
確かに表現が良くなって
るとは言えてる。
アリスのビックマウス脳よりマシ 歴史とフィロソファア
認識の相違があります。人の歴史が、争いに満ちている理由は、たとへば自由について言うならば、自由の理念を人々が持つに至ったからです。
もっと自由であるはずなのに自由ではない、それで闘争が起こりました。しかし自由の理念は消し去り難いものであるので、今日のようにそねは肯定される事になったのです。
全ては、自由の理念、すなわちある理念への気付きにあったのです。人間存在は形而上学的な在り方であり、フィロソファア的です。
つまり、歴史とフィロソファアの問題です。 存在論、形而上学、実存論
ガブリエルの存在論は、形而上学では無いと、彼自身も言っている。しかし存在論は形而上学とならざるを得ない。
それで形而上学と言う言葉が既に汚染されているのでメタ存在論とでもした方が良いのか。
ガブリエルは存在論と形而上学、そこらあたりの話が良い。
ガブリエルは簡単に読み飛ばせるかと思ったが、なかなかしったりした議論があってそうはいかない。
それにしても、ガブリエルを読んでいる人はいないか。
存在論と形而上学と実存論、この辺の話でも、はっきり言っている人はいない。
我々、人間存在は実存者である、まではなんとか同意してもらえるのではと思っているが、現存在の実存は、実存論によって実存する、はなかなか難しい。
意識と実存
これは意識の話と同様である。意識をもっていると言う者に意識がある。実存論をあるほど理解している者が実存する。
実存は実存論にある。 >>623
時計なんか人間の作るものだしいつか止まるから全く当てにならない >>624
かなり難しい内容だが、時間とどういう関係があるのかな? 既存の哲学のほとんどは役に立たないだろう
無矛盾で成立する世界なんて無数にある
それが正しいか、正しいくないか判定する手段を持たない哲学でいくら考えても、根本的に無駄ということがまだ分からないのかな?
ただし、分析哲学は将来性があるとは思うよ 「時間とは何だろう」という本を買ってきた。
これに答えがあるみたいなので、読んだらみんなに教えてあげるよ。
ただ、タイトルが疑問を表しているように、疑問だけで答えがないかもしれないが… 要するに大学院で論文が通れば良いんだろ試験のほうはめっぽう簡単じゃねーか >>630
すべては無からのエネルギーだ。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/L1_05.htm
エネルギーの起源
インフレーション理論によれば、創造された直後に、宇宙は、エネルギーの高い不安定な真空から、
より低い安定真空へと相転移を起こす。このとき、余ったエネルギーが場の変動を生み出して、
高温の物質を含む「火の玉」状態になったと考えられる。
特に、相転移前の(全宇宙の)エネルギーを0と定義すると、「エネルギーのない」状態から、
保存則に反しない形で大爆発のエネルギーを調達することができる。イ
ンフレーション理論が、「フリーランチ(ただ飯)理論」と呼ばれる所以である。 ではもし何かが最初から存在していたとするだろう
でもその最初の前は?となる
また最初のその前の前とたどると、何もないところから始めるしかない
何も無ければ、その前は?とたずねることが出来なくなる >>633
>何もないところから始めるしかない
と言いながら、時間がすでに存在してることを前提にしているぞ。 >>635
しかし時間もないことなど、想像も出来ない。 6: 愛とはなんぞや シーズン34 (2)
7: 愛とはなんぞや シーズン33 (910)
無職はスレ立てだけ早いよな
やること無いもんなw おれ以外にも「無」を考えている人がいたのか。
「無」は「無」であるがゆえにアクセス不能である。
感じることできない。
「無」のみが実在であり、われわれは「空」という存在によって、その内部に実在としての「無」を夢想する。
「無」を夢想する「空」という存在が時空間という虚のものをつくりだす。
「われわれ」はなにものでどこにいるのか。
「空」の表面に、「実在する無」の夢としてへばりつくように存在している。 空間と時間どちらが先に生まれたのかなあ。同時ってことはないなら
永遠の謎なテーマになるな。空間がさきかなあ。 >>631
それは嘘だ。
無からは何も生れない。
何もないところから突然何かが出来るなどは観念論だ。
インフレーション理論は物理学者が考えた屁理屈だ。 >>649
その通り
ただ、無を拒絶すれば同時に無限に遡っても始まりのない常住のものを
受け入れないといけない
無から何かが生ずるということ、始まりのないもの
いずれも現代科学では解き明かせない問題だ 「無」は「無」であるがゆえに「存在」せず、アクセス不能である。
これは、「世界」が存在しないということとと本質的には同じだ。
「無」と「世界」は対称的な関係にある。
「無」は、自己同一性(あるいは秩序)を持たないということ以外は、「世界」と同様に豊穣なものであると考えられる。
しかし、ここで考える「無」は、「世界」と対称的な関係にあるものであり、対称性以前?のものではない。「無」ではなく「反世界」ぐらいが適当か。 >>650
始まりもなければ終わりもない世界が存在するだけ。 単純に、「無」を「秩序」に対する「無秩序」あるいは「混沌」であると考えればよい。
「秩序」のインフレーションである。 大学院生身分ともなれば談話で人を楽しませることが出来なければならない >>652
そのような我々の常識では想像することのできない世界を根拠もなしに
受け入れることはできないだろう
そんなことが安易に受け入れられるならそれはもはや科学ではなく単なる気分だ 科学とは実証主義であり、実証する為には観測できなければならない。
つまり、観測できない事に関しては何も判らない。
これが科学の限界である。
宇宙誕生以前の状態を科学的に解明する為には、宇宙の外側を観測する必要がある。
それをしないで何を語っても、単なる想像に過ぎない。 >>657
想像ではなく世界観の問題だ。
永遠に物が存在するだけの世界。
そして、物は変化していく。
万物は流転する、諸行無常の世界。 何もないのに突然世界が生れるというのは、神様が世界を創ったというのと変わらない。
仮に神様が創ったとしても、その神様は誰が創ったのか? 神様をつくったものがいて、またそれをつくったものがいてと考えるより
偶発的な、事故のエネルギーようなものから何かが生まれたのかもしれないな。 何もないところから生れるというより、最初からあったと考えた方が合理的だ。 何も無いところから生まれるというのは幻想にすぎない。
「無」は「無9い」のだから「有」しかない。
しかし、静的世界ではない。「幻想」という動的なものが必要になる。 最初という表現はあまりよくなかったな。
始まりがないという方が正確かな。
変化する世界があり、それは永遠の過去から永遠の未来まで存在している。 >>666
宇宙が誕生したのは138億年前と推定されている
問題はそこで何が起きたかだ >>667
ビッグバン宇宙論は、観測可能な膨張しているように見える宇宙だけを見て、思い付いた理論だ。
昔は地球は平らだと考えていたが、やがて球体だと判明した。
これと同じで現代宇宙論が覆される日も遠くない将来訪れるだろう。
始まりはないという世界観から、別の解釈をするべきだろう。
まだ、世界のすべてが分かっているわけではないのだから、論理的におかしな説は採るべきではないと思う。 >>668
ビックバン理論はちょっと古い
その前にインフレーションが起きたインフレーション理論で考えられている
極微小の点のような急速に膨張して宇宙が誕生した
ビックバンはその後だ 最初からあったとしたらないという言葉が現実ではない。ないから生まれる余地があったのだろう。 >>670
言葉は人間が作ったもの。
人間は地球から発生したもの。 真の始まりが有るとしたら、全ては完全に静止していたのかな?
時間を無限に遡れば、始まりでは全ては完全に静止し、それ以上はどんなに遡っても何も変わらない筈だ。
これ以外は始まりでは有り得ない。 時間の国のアリスがビックマウス
以外で口を開くとアリスの国の時間
にしかならない件 >>673
そうではない。無限大の宇宙にはプラズマが満ちており、それが局所的にも大所的にも円運動をしている。
そして、それに始まりはなく、永遠に続く。
観測可能な宇宙でビックバンとされている現象は、結集したプラズマが爆発したものであろう。 数十年後の重力波の観測技術の向上で
宇宙の晴れ上がりの向うのもっと向うを
調べられるようになってくれば
まぁなんか新しい発見があるでしょう 肉体は自然との交渉、親和反発の過程で形成→保持→他の形態に
他の物理形態も同様
全ては形態変化して行くだけ
物理としては何も生まれない、無くならない ただし量子論は違う
いつも揺らいで定まらない
何もないところに素粒子よりもまだ小さい宇宙が誕生する可能性はある
それがインフレーションによって大きくなって今の宇宙が出来た、らしいよ >>680
量子力学と量子力学の基本方程式とか知っていて発言しているのかよ?
量子論には時間のパラメータが存在していない、故に時間を量子論では説明できない。 >量子論には時間のパラメータが存在していない
わけねーだろw >>681
わかってないな。
量子力学は、時間をパラメータと見ている
だな。 物理学に詳しい人がいるね。
それでは、物理学は時間をどのように定義しているのかな。 「この文が真なら、サンタクロースは実在する。」
この文形を使えばどんな主張も証明可能化するというパラドックス
カリーのパラドックス 実存と真偽
カリーのパラドックス、はしりませんでしたが。
その議論は、『私が真であるとする事物は(私にとって)真である』
と言う言明と同じだと思います。この言明は、馬鹿げた議論の様にも思えますが、我々の実存の形式と関係あると思います。 >>677
展開する実力がない。
これは唯物論の世界観を堅持して考えれば分かるはずだ。
以下レスを参照されたい。
367
465
>>649
>>658
>>660
>>666
>>675 >>693
某氏の自然観、論理観まんまだだな。
あんた、誰だい? >>657
誕生をどう理解するか、だな
私がうまれた→物理状態の変化
私が死んだ→物理状態の変化
生=死
この観点では自然に生死は存在しない >>693
自然には終始は無いというのはその通りだからなあ。
そして自然が何故在るのかもまたわからない。 エネルギー保存則の破れが確定したものは無いからな
物理学の教室?とかいうDVDで゜保存則が一番重要だと強調していたな 自然は無矛盾、つまり理解できるというのが某氏の前提で、それは誰も否定しなかったな。
専門家がやられていたんで、傍観するしかなかった。w
>>693は俺には手があまる。 いきなり宇宙の始まりから始めるから難しい
宇宙が始まった直後に宇宙は素粒子より小さかったことを納得するかどうか?
まずそこを確認したらいい
そこを納得できないならインフレーション理論を調べてと言えばいい >>700
出来た直後は素粒子より小さかったとしても、無から突然始まるのが納得できない。
何もないのにどうして大量の物質ができるのか。 学術が言ってるのが正しいよ
何かがあるところには生まれない
何もないところに生まれるのだよ ほんの少しは干渉状態を確保しておかないと、彼らの存在を把握し、
意識的に排他する処理を行うことが出来ない為です。 素粒子より小さいと言ってもそれは
外からの視点での相対的な大きさで
その内側にいるなら高温高圧という
条件が138億年後の今と異なるだけで
別段問題ではない気がしないでもない
全ての地点が爆心地?なぜ圧と温度の
底が抜けたのか、閾値?、広さとは何か 南部陽一郎博士の業績の宇宙論へのインパクト
- 特集記事 - 東京大学 大学院理学系研究科・理学部
h ttps://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/story/newsletter/40/4/features/07.html >>704
というか何も生まれないし
生まれる、生まれないって言ってること自体がおかしい
物理としてそんなことは無い
保存則護れ
科学者は認識論がダメ 南部さんも失格だな
宇宙自体は生まれないし、始まりもない エントロピー増大の法則は正しいのかな?
正しいとしたら、宇宙の始まりに於いてはエントロピーが0になる。 >>711
前の宇宙からのエントロピーを現在の宇宙に持ち越してくるので
現在のこの宇宙の始まりに於いてはエントロピーが0にならない。 エントロピー学説は理系スレで面白い否定論があった
かなり前で、様々な例証挙げていて、肯定論が攻めあぐねていた
否定的な科学者がいるようだ
つまりまだ疑問が呈されている仮説じゃないのかな 前提次第か
少なくとも自然観測において増大だけ観測されてはいない 関係ないが
甜菜 AI論争あったが、これはなかなか強力な否定論
148 メカ名無しさん 2018/11/13(火) 23:16:57.40 ID:XN+lekZO
「AIが自身のプログラムを書き換える」
これ
「どのように」が抜けてて、それがあたかもAIがプログラムを「良いように」書き換えて人類あぼん
みたいな妄想が良くあるパターン
プログラムは自身のプログラムを書き換えることは出来ません。
ディープラーニングは動作を書き換えるだけでプログラム(アルゴリズム)は書き換えない
「ロボット三原則」とか文系の発想で妄想だけが先走る良くあるパターン
人類に危害を与えないとか、こんな事プログラムすることは出来ないからね ディープラーニングは端的に言えば「同じ物(似た物)を探してくる装置」であって、それ自体が何か新しい物を生み出したりする訳じゃない
チェスとか将棋の類では過去に対局された棋譜を検索して次の手を探してくるだけだし、株価予測も顔認証も過去のデータや登録された顔データと比較してるだけ
プログラムを書き換えるのは全く出来ないわけではない、端的に言っただけなので訂正しておく
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" } print "Done!" print "Say again. Done!!!"
これが、
if a == b { print "A=B" } else { print "A!B" print "Done!" print "Say again. Done!!!"
になっただけで「閉じてねーよゴルァ」って怒られる(動作しない)そして、AIにはこれのどこに「}」を入れたらいいかを判断できない(正確にはエラーを起こさないようには出来るけどそれが正しいかを判断できない)
さて、これをどうやって「人類の脅威になるような」プログラムに書き換えるんだい?って話、そもそもこのコードをAIがどっからひねり出すんだい?っていう
過去の人間が作ったソースコードからコピペする事は出来るが、ある目標を持ってAIがコードを作るのではなく、あくまで人間が意味を見いだすってだけ
2045年がどうとか言われてるけど、空振りだと思うよ
音声認識、顔認証なんかは生活に溶け込んでるとは思うし、昼過ぎて食ってない昼食をスマホが催促してきたりはするかもしれないけど、創造的な作業は機械には出来ないのは変わらない 物理状態の変化とか言ってる人は
物理状態の実相もよく分からずに言っているのだろう 「物理の実相」がわからない
聞いたことない
そんな言い方するかな? 実相とは具体的に何なのか?
理解に苦しむ書き込みが多くて... 「物理状態の変化」をどう捉えているのか
ということだよ
原子配列の移動、ぐらいに考えているのではないの? 言葉の使い方が理解に苦しむ
原子配列の移動って何?
あなたは物理に詳しくない人だよね 何もないからこそ、そこに+と−が対となって「生まれる」わけ
だから保存則も侵されることはない
こんなことは別に宇宙論に話を広げなくても
普通に基礎物理学の話だよ
むしろ物理学とはそもそも「そういうもの」なんだよ >>724
具体的にいうとプラスとマイナスとは何のこと? 電荷は当然にそうだし
扱いようによってはマイナスのエネルギーを想定したりできるんだよ 何もないところから、プラスとマイナスの電荷が発生したらエネルギーが生まれたことになるよね
無からエネルギーが生まれたという キッチリ諸々理解した上で書き込んでる?
それとも「こんなんじゃないかな?」ぐらいの感じ? 他にもあるんだぜ
君らは温度の下限は絶対零度だと思ってるだろ
だけどマイナーな物理学では絶定例度を下回るマイナスの温度を想定したりする
物理学なんてそんなもんなんだよ きっちり諸々理解した上で書き込んでます、なんて言う馬鹿がいるのかね 例えば、電子と陽電子が...と言えばわかるんだけど
電荷が...というと「このひとは分かってないんじゃないかな?」と思えてくる
曖昧な理解でそれっぽいことを言ってる感じがする
違ってたらゴメンね 電子、陽電子などというのは、「わかりやすいお話」でしかないんだよ つまりさ
電気的中性な場で「電子」が移動すると、それは正電荷が
逆向きに移動したことと等価なんだよ
そもそも、実体と思われている電子の電荷がどうしてマイナスとして扱われているのか
疑問に思わん? このスレ覗くことが、そもそも時間の無駄なんだよ
時間を無駄にしたくないなら、別の行動をすることだ しかしちょっと物理っぽい話をしだすとすぐにブルっちゃうのな >>735
はぁ?何言ってるの?
そんなの電磁気学の成立の歴史を知ってれば当然のことだろ
電子がマイナスという事になってしまったことに意味はないよ
たまたまだ 知らない人もいるだろうから教えましょう
ちょっと使える無駄な知識
電子つまりelectronというのは、琥珀を意味するギリシャ語が語源
琥珀を毛皮で擦ると帯電することを古代ギリシャのタレスが発見したとされる
電気には2種類の異なる状態があることが経験的に知られることになるが
ガラスを絹の布で擦ったときにガラス棒に生ずる電気を正電気
エボナイト棒を毛皮で擦ったときにエボナイト棒に生ずる電気を負電気と
そう「定義」したわけだ
たまたまといえばたまたま、か リア充といったってパソコン計画立てる方がいいと思う面はあるよ。 プラスとマイナスが合わさるとゼロになる。数学ではだが。
それを応用して、無から突然、プラスの物質やエネルギーとマイナスの物質やエネルギーが生れたとしたのだろうか。
地球がプラスの物質でできているとすると、マイナスの物質でできている星がどこかにあるのか。
ところでエネルギーにプラスとマイナスがあるのか? プラスの時間とマイナスの時間があるかもしれないな。 「時間が未来を決定するのなら
時間が止まっても時間は進む」
元々そこには「終わり」しか無くて
ここは世界ではないのかも知れない(何言ってんだ) 時間の問題点は逆行しないということである。
反時間は存在しない。
それゆえに実在ではない。
似たようなものに重力がある。反重力は存在しないゆえに実在ではないw
時間と重力のどちらも「そのようなもの」は実在しないのである。
ただし、「こと」も実在のカテゴリーに含めるのならば話は異なる。
と、ここまで「存在」や「実在」という言葉を使用してきたが、それぞれがおかれている
文脈によって意味は異なる。大きく異なることもあれば小さな異なりかもしれない。
「存在」は「存在」せず、「実在」は「実在」しないのである。 「反時間は存在しない。 それゆえに実在ではない。」のとこ詳しくお願い 時間が進む一方で戻らないのはエントロピーの話なのかな
時間が戻るとは、地面に落ちた水が空中を飛んでコップに戻るということだから 時間は何かというテーマだが
物資とは何かという話だって分からないよね
物資はそこに見えてるからわかった気持ちになってるだけで
だから時間がなんだか分からなくても変じゃないよ 反物質とかは電荷が逆になっているにすぎない。
反エネルギーとか反重力などない。
プラスマイナスゼロなんて数学の遊びだ。
よって無から有ができることはない。
完全な無などありえず、変化する物がずっとあるだけだ。
その変化を見て時間と言っているだけだ。 ◎若林豆腐店店主(東京都葛飾区青戸2−9−14)の告発
◎肉の津南青戸店店主(東京都葛飾区青戸6−35ー2)の告発
「宇野壽倫の嫌がらせがあまりにもしつこいので盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所を公開します」
【超悪質・盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者の実名と住所】
@宇野壽倫(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202)
※宇野壽倫は過去に生活保護を不正に受給していた犯罪者です
どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
A色川高志(東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志は現在まさに、生活保護を不正に受給している犯罪者です
どんどん警察や役所に通報・密告してやってください
【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111
B清水(東京都葛飾区青戸6−23−19)
C高添・沼田(東京都葛飾区青戸6−26−6)
D高橋(東京都葛飾区青戸6−23−23)
E長木義明(東京都葛飾区青戸6−23−20)
F井口・千明(東京都葛飾区青戸6−23−16)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在
犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている 最初が動いていたのか止まっていたのかだろう。漂っていたのか。
実存するものは全てはかないなあ。 時間とは動きの中で目まぐるしく変わる景色のようなもの。 哲学的時空などすべてポエムだよ。
それが不満なら、プリンストンの物理科博士課程に今すぐ行け。 学術は今日何か食べたか?
仮に飲食したとして
その食べたもの飲んだものはどうなると思う? 時間が「ある」ためには「変化」と「記憶」がなければならない。
「保存」と考えるならば「変化」と「対称性」があればよい。
その前に反物質・反重力を考える。これらは時間的に逆行するものである。
しかし、極限状態にあれば、それらはわれわれの把握できる世界の中にもみいだせるだろう。
問題は時間である。時間の中で反時間をみいだすのは難しい。
実在を時間の中で定義するのであれば、反時間は存在できず、それゆえに実在しない。
別の「場」を使用して考えるしかない。
哲学にも、やっと「場」があらわれてきた。マルクス・ガブリエルの新実在論。
100年ほど遅れて、哲学もやっと物理と再融合するのだろうか?
語る言葉が異なるだけで、「同じもの」になりつつあると考える。 >>764
Pは反転に対称でなく、CTについても同様 >>764
反重力があったら天空の城が造れる。
反時間があったらタイムマシンが作れる。
正時間と反時間を合わせると、停止時間が現れる。
また、その混合割合を変えると時間の進み方をコントロールできるようになる。 >>724
> 何もないからこそ、そこに+と−が対となって「生まれる」わけ
> だから保存則も侵されることはない
何も生まれない
何も無くならない
これが保存則じゃない? 無は実在するのか?
誰か観測したのか?
無とは何か 自律するコンピュータ、意識
完全に自身をコントロールするプラグラム、それを搭載しているのが人間、つまり現存在では無いですか。
コンピュータの場合、コントロールするコンピュータと、それによって実働するプログラムを実行するコンピュータの二つがあれば完全な自動、自律するコンピュータはあり得るのでは無いか。
(この場合、たとへば、無用な争いはしない、と言うアルゴリズムは第一のコンピュータにインプットする。人の場合、そのアルゴリズムは幼少の時からの実体験に基づいて獲得される)
それは、人の場合、意識だろう。意識とはつまり人間が、現存在が完全に(社会内で)自律する為に無くてはならない構造だったのだ。 >>767
そんな素朴な話ではありませんよ
量子もつれも保存則に縛られている
EPRパラドクス
また年末にでも ガブリエル存在論と時間
ガブリエルの存在論は、形而下の存在論ですが、逆にそれは我々、現存在が形而上的な存在者であると指し示している。
現存在は形而上存在者である。さてこの存在者が、形而上存在者であると示す為には、それがどのように形而上存在であるのかを示す必要がある。
(たとへば、自由の理念は形而下には探せない。そしてそれを追い求め、実現して来た存在者は形而上存在なのである。この事実をもっと理論的に、つまりフィロソファア的に説明する必要があるだろう)
こうして現存在が形而上存在者であると、はっきりするならば、その先に多くの事柄が展開するだろう。それは時間とは何かと言う問いかけにも、深く関わってくる。
時間とは、個としての形而上存在者に関わっているし、また集団としてのつまり社会内存在者としての現存在とも深く関わってくる。
構造としての意味と形而上存在者
また、意味と形而上存在との関係も考察される必要がある。ここからその考察が始まる。ここを出発しないとその考察は出来ない。
意味とは、形而上的な概念なのである。
そもそも未来とは形而上的である。形而上的に獲得される。 +と−の間には0がある。
0は数であり、無ではない。
0を無と混同してるバカって、ちょくちょく居るよね。 0と無に混乱するバカのビックマウスなら
ちょくちょく見かける 芸術、文学
ガブリエルが宗教と芸術を説明しょうとするのは正しい態度です。つまりこれらの事態、現象もフィロソファアとして説明されなければなりません。
ただもちろん彼の形而下存在論では説明出来ません。この二つは形而上存在者である現存在が、形而下でのしがらみ、社会的在り方を超えようとする試みだからです。または、社会的在り方としての日常への疑問の表明だからです。
それらはこれからのフィロソファアの問題となるでしょう。
文学とは何であるかもフィロソファアで説明されるでしょう。 フェルメール
たとへば現在、フェルメール展が盛況らしいですが。彼の絵は、確かに光りを表現しています。彼は『光り』の在り方に惹かれた、つまり光りと影との対比、在り方に惹かれたのです。
その不思議をとりあえず表現する、キャンパスに写し取る事に熱中したのです。光りによって輝く真珠からの自身の感興を表したかった。その感興は、人の日常には普段、無い事物、事態です。
人は普段、光りのその様な輝きをたぶん忙しさの為に見落としている。
説明は不十分でしょうが、フェルメールの絵画の形而上の意味です。 フェルメールのひかりね。
形而上学というと最高度な学問だけど。学問としてはどうかなというところもある。 はぁ?何言ってるの?
ヨーロッパ中世ならいざ知らず
今の時代に形而上学はありえんだろ
信仰の話になるだけ >>770
素朴で単純な話なんだと思うけどね
数ってのは実在しないし、無もまた実在しない それぞれが自分が正しいと理解している論理で自然理解を展開すれば良い。
さまざまな問題をそれで解決できるのかどうかだろうな。 >>779
自然科学は自然だろうよ。
それを矛盾無く理解しようとしているだけ。
自然は単純そのもので、現象は複雑というだけだろう。
じゃ、ちと忙しいので >>784
単純、ポエムと言ってりゃ否定できたと思っている馬鹿にレスするな、馬鹿 そうだね
一言で分かると言ってもいろいろなレベルがあるからね たんなる白黒(0,1)やATGCの羅列
読み始めの位置の差で産物が変化
コンピュータではここまでのソフトの自由度はない
例えば人間の塩基配列なら読み始めの位置の差は
できてくるアミノ酸が変化するだけで問題なく作動
このAIと人間のアルゴリズムの自由度の差と
現象的意識やアウェアネスの実現可能性の関係 一切の運動が疑似的に停止している場合
すべてはすべてに接している(干渉性がある。隙間すら関係)
が、停止しているため干渉はしていない ミリカンとかいろいろやらかしているアリスが人のことバカ呼ばわりしてもなあ
で、AI問題では過程を惨めとか言ったがけっきょく逃げたし
観客の立場ではアリスの独りよがりしか見ていないから、これもどうかな 酵素の場合、活性残基が他のアミノ酸に変異したら活性がなくなる >>715、>>716
ここでは過程が主張したAIは自身でプログラムを書き換えることが出来たら考えると認めるという主張と
同じことが論じられ、否定されている
アリスはいつも自信満々なのに、間違えてばかりだから信頼ならん
俺は論じるほどの理論がないから論じないが、アリスも俺みたいに引っ込んでりゃ良いのに
俺は身の程弁えているが、三文喜劇役者アリスは出てくるな かなり前に、ボールを上に投げれば頂点で静止するから、静止は実在すると主張した
偉そうなコテが、地球は動いているんだがと反論されてグウの音もでなかったことがあった
あのコテはまだいるのかな >>794
くだらない議論だな
そもそもなんでそんな事が議論になるのか
最初にどの座標系で動いているか動いていないか決めておかないとね ん? 哲学に座標系はあるのか? 座標系そのものが哲学で議論されたことはあるのだろうか? 時間とは何か
その時間を二つに便宜上分けてみましょう。
【1】、物理学的時間、これは時計で計られる時間です。わかりやすい様に二時間としましょう。古くは太陽の動きで計られた時間もこれです。
【2】、意味のある時間。つまらない講義を聞いている二時間、もしくは面白い映画を見る二時間。
さて我々が体験し体験するであろう時間は2の時間であり、1の時間は決して体験出来ません。1はすべての人に共通で、さらに再現できる時間です。そして特定の意味をもっていません。
我々が体験し、我々に訪れる時間は2の時間です。
1の時間の典型は待っている時間。あと二時間で出かける時間だ。や、あと二時間で今日の仕事は終わりだ。などであり、その二時間は大した意味がない様に取られています。しかし意味はあるのであって、ただいわば希薄なだけです。
体験する時間は意味の時間です。現象学的に存在する時間は2の時間です。1の時間は我々が体験出来ないのであり、現象しませんから存在しません。 >>799
自分は物理学的な時間の方にしか興味ない 考えただけ価値のある発見や気づきがあるならいいが、考えてでくるのがくだらない話だからなあ
なんでそんなことをするのかな 「現象」というものものオカシナものですな。
「認識論的現象」なのか「存在論的現象」なのか。
現象/幻想 どっちなのかw
「幻想学/幻想論」でもでっちあげてみるか。幻想的実在論。または、世界は「幻想」であるw
神という幻想。公理という幻想。
意味場において幻想することが存在である。
よし、しばらく「幻想」で遊ぼうw この世界に自分以外の他の人間が存在する事は確実なのか?
それがはっきりしないと話が進まん
まあ、確実でなくてもいいが他人が存在することを前提とするでいいよね そういえば、tow-time physicsというのがあったな
Multiple time dimensionsというのも考えられる >>804
その前に、「自分」が存在するかどうかが...
「自分」を疑えというところからかも。コギトを疑え。
仮面ライダーコギト
コギト・エルゴ・スム というものも、ミツヲ的である。居直りではないのか?
日本における最高の哲学書である「天才バカボン」においては、コギトはどのようになっているのだろう。 かなり創造的な学者として知られる方がかなり前に、ガラクタとしか思えない本の中から
宝石の原石を見つけると、ある大学者の眼力に感心していた
ガラクタばかりのレスではあるだろうが、もしかすると眼力のある人なら宝石の原石を発見するかもな
みんなガラクタの可能性はかなり高いが わたしは存在しないとするわたしもまた存在しないとしたら
わたしは存在しないという主張もまた存在しないだろうな >>806
じゃ自分が存在するかしない分からない、としたら全てはそこで終わりじゃん
話が進まないじゃん
間違ってる可能性があるとしても、自分が存在するという前提で話を進めるしかないよね そもそも自分が存在しないなんて考えてるか?
もし存在しないならご飯食べないよね
存在しない自分がご飯食べても意味ないよね
空腹も存在しないよね
トイレにもいかないよね
存在しない自分がおしっこしても意味ないもの
おしっこしたいと思うこと自体存在しないよね >>807
海水にも僅かに金が含まれているが、海水から金をとるより、金鉱脈を掘った方がいい >>811
横レス
眼力が無ければ、金鉱脈がどうかもわからなさそうw 人間は単独では生存繁殖はできません。他者しか存在しないんじゃないか。 >>813
自分は実はコンピュータの中のプログラムなんじゃないか?とか考えることあるでしょう?
そんなことですね
まあ、ないとは思いますけど 教育というか、社会の価値観で教育制度で植えつけたりするのはプログラム組むみたいなものかな
ただバグは多いし、待てよ、なんて考えるやつも出てくる
オマル・ハイヤームはイスラムの価値観からは正反対の唯物論だし
コンピューターはそんなこと出来ないんじゃないかな >>815
現実のコンピュータの話じゃないよ
すごく科学が進んだ宇宙人がいるとして、その子供が夏休みの宿題で、コンピュータシミュレーションをやることになって宇宙のシミュレーションしてる
それがわれわれの宇宙かもしれないぞ、その宇宙に暮らす我々もシミュレーションの一部なのだ 1: 無 職 が 哲 学 (178)
2: 東浩紀459 (911)
3: 時間とは何か (816)
4: ★☆★ THE お ま ん こ ★☆★ (299)
5: 無 職 は 哲 学 (18)
6: 無 職 と 哲 学 (322)
7: 【神学】キリスト教哲学総合スレ (357)
8: 無 職 の 哲 学 (103)
年末は
無職の自殺が多い 「パパ、シミュレーションで銀河系の隅っこに人間という生き物が出てきたよ。やってることが原始的で笑っちゃうけど、面白いね」 >>816
ウルトラマンもいるかな
仮定ならなんでもありだな >>817
おかまが正月に自殺が多いとおかまがテレビでかなり前に話していたな
これスレ読んでいるとなんかわかる気がする >>816
その宇宙もシミュレーションかも知れないね プログラム コンピュの原語より便利でコアな時代になりましたね。
遠い曙光をみています。 自殺より自決文化だがね。日本は。進退窮まって無謀で行けよ。 高速度の値が299792458なのは悪魔の仕業だと聞いたが w 時間とも関係あんのか? >>809
デカルトが400年前に解決済み。
我思う、故に我在り。 >>830
昔はコンピューターの仮想現実がなかったからね。
自分という意識さえ実は仮想であるかもしれない。 >>830
その後、それはカントによって否定されたのを知らないのか? 『万物は変化する』=「時間」
これだけです。
「時間」が流れるに従い、自身の顔や身体も変わっていく。
それだけのことです。 物理屋はちゃんと使える道具を提供してくれるのは使えない机上の空論ばかりしている連中よりは随分まし 物理学的に言えば、ハミルトニアンに対する推進演算子による
正準変換を考えるとき、そのテイラー展開による表示に出てくる
係数が時間と解釈できる 正準変換と正準変換の合成は正準変換
ということで、時々刻々と時は流れていくというわけだ 時間とは何かについて考えたんだけどさ
大きく分けて3つの考え方を思いついたよ
@時間の存在を仮定した考え方
世界は時間によって変化している
「時間は始まりから終わりへと進む」という考えと
「始まりや終わりは存在しない」という考えとがある
始まりがあるとすると始まりの前に時間は存在しない事になり
「時間が存在しない」という事を時間の中にいる僕が想像するのは困難
始まりの前にも時が流れていて終わりも存在しないのなら
時は永遠となる
これについても安易には想像出来ない
僕の存在は永遠ではないからだ
永遠を形式上理解する事は出来ても
「絶対に終わらない」事を知るのは非常に難しい
A世界を軸とした考え方
時間が物質を変化させるのでは無く
変化する物質のみが存在するという考え方だ
B事実が全てという考え方
時間や物質の変化という事実のみがそこにあり
この世界は架空かも知れないという考え方
「意識が全て」という考え方もこれに含んどく
分かりずらくてすみません
反論質問は受け付けます
要するに@時間によってA世界によってB事実によって
世界が成り立つって事 誤
世界が成り立つって事
正
全てが成り立つって事 10ℓと7ℓと3ℓで5ℓを計りたいなら逆算すればいい
君が彼女と付き合うべきかどうかも、逆算してみればいい
では、10リットルと彼女を同じように逆算するにはどうすればいい?
それを成り立たせる演算子は必要か?
必要だ
それで計算が成り立つなら意味は不問でいい
それが“実在”するかどうかに重要じゃない 何者でもある奴は何者でもない
みんな動いてるならみんな動いていないことと同じ 演算子とは何かね?
何でもありさ
「君は綺麗だね」のそれは理解するに容易だが、
「君は押しピンだね」では少し難しくなる
「君は明日だね」だとどんな関数を当てはめればいいか見つけるに一等難しくなる 10ℓと5ℓと同じように
意識と物質を同じ容れ物として計算するにはどうすればいい? >>838
意見を三つに分けて簡潔に説明してくれ感謝する。
自分はAの立場だが、Bがよく分からない。
あと、2、3行追加説明が欲しい。 人は時間の中に活きてる間には時間を体験しない
活きてるってことは君のそれが自然の発露と同化してることだから
時間を気にしてるってことは、君はまだ本当の自分に活きてないってことでしょ
時間に生きるのは簡単だが、時間に活きるのは簡単じゃない
スーパーカーの「FAIRWAY」って曲にもあったろ? 自分が立っている地点を確認しない限り時間もわからん >>843
計算できない。
数というのは人間が考えたもの。
意識と物質をどう数値化するのか。
意識1人分と石1キロを足すと2人分キロになる。 自分がどこに立っているかなんて、そこに“自分を知る”必要はない
人工を尽くさずに真実は掴めないbyヴァレリー
数学だって同じでしょ? 数学のあらゆる定義は数学の体系内で保証されるのであって、
現実を担保にしているわけじゃない
現実から借用したけれども
アインシュタインのいい言葉があったが忘れた 意識を計算で計る試みはもうあるし粗くなら一定の評価もされている >アインシュタインは言った。
>『数学の法則を現実に当てはめるならば、それは不確かなものになる。
>数学の法則が確かであるならば、それは現実には当てはまらない。』 精神と物質を分けて考えるのはもう時代遅れ
位置と運動量を分けて考えるのも同じく 安心はきっと毎日を似せてる♪
どんな事物にも共通する類似を“創造”できる
人は理解できなきゃ安心して暮らせない
だから時間も発明した 二つの事物を比較するにどうしても三つ目の媒介項が要る 物質は“退化した精神”だとパースも言ってただろ
シネキズムは正解だよ >>844
時間が世界を作り世界が事実を作るのなら
事実のみが存在して時間も世界も実在しないのではないかという考え
Aとの違いは世界が存在するかどうか 感情はどうしても捉えられない
時間と同じくらいに
私は彼女にメールすべきかどうか決めるのはいつだって時間が握ってる
たしかなのは、いつだって繰り返すことだ
人の顔がそれぞれ違って同じように そういえば、
君自身が演算子だとずっと昔に行ったことがある
それは自然対数だと 永遠の時間には無限の事象が存在する
そこから現在の世界を確定するのは時間か?
結果の種類が有限かどうかだな 限りが無いことと限りが有ることに“現実”では矛盾しない 過去と未来を含むとだから自然はべき乗則に程よく当てはまる 故加藤周一は日本文化における文法に西洋文化のような過去や未来はないと論説していた
それはいつだって現在から開示されて表現していると 「ねえ、おいしいときはおいしい
そういってもらわなければはりあいがありませんわ」
「そうですわね
おいしいときはおいしい」
“おいしい”って、あれ…?
“こいしい”じゃないわよね
でも似てる きみは授業を受けていない
こちらを見ているが学問を見ていない
いまのきみはタバコが必要だ
火をつけては消し
つけては消し
間をもたせたまえ つまりだよ
流線型のヒョウが小さな獲物をくわえあげるまで
時間はあっという間だったんだが
それがスロービデオになってびっくりだよ
そのヒョウの表情たるや動作たるや
「襲う」ではなく「守る」の動きをしていたのだからね
つまりそこに愛情と一体のものを感じずにおれないのである 人は予測しなければ生きていけない
神様だって同じでしょ
だったら、自然に等しい我々の存在に、この感情に、思考に、理解に、解釈に、
きっと意味がある
その答え合わせがなかったら、世界は存在しないはず >>868
それで理解可能だからそれは実在するのか? >>869
> 自然は理解もしなければ解釈もしない
人間が居なくても自然は存在するってことか
なるほど、面白い視点だな
ここから展開してみるかな 大地が静止しているって仮定する
つまり座標原点設定は不要だな
運動量計るのも不要
過去も未来もそこに存在するのかな
つまり理解するからこそということか?
なんか可能性感じるな 理解するから次元が必要なのか
理解しなければ?
面白いかもね >>869
> 自然は理解もしなければ解釈もしない
自然の一部である人間の自然理解は自然に対して他として・・・
ああクレタ人だ!! >>875
> >>869
>
> > 自然は理解もしなければ解釈もしない
>
> 自然の一部である人間の自然理解は自然に対して他として・・・
>
> ああクレタ人だ!!
決定不能が絡むか >>877
人間は自然であり、自然の否定でもある
自己言及 フラクタルな自然に対して、人間の理解はユークリッド幾何学である。
この違いからパラドックスが生じる。 自然が常に運動変化する
このことは変化しない
ゼノンは「存在」という前提が静止であることを飛ぶ矢の逆説で示した
運動を静止で理解している、つまり
対象をその否定で理解するから決定不能となる
ヘーゲルの矛盾の正体
理解は対象の否定で
理解しない自然
理解する人間は自然に対して一部であるが、理解する場合は他者
自然に実在しない他という否定、非実在
自然は理解しないという出発点は豊穣かも知れない クレタ人
対象を否定で理解すると決定不能に
自然は理解しない、その一部である人間が理解するとは自己でありながら、他者としてである
面白いな、自然は考えないか
感じいった 論理は天動説だが、自然は理解しないってことがより根源かも
ここから展開してみるかな
サンクス >>869
で、あんたは誰なんだ?
どうでもいいかw クール○○氏かな?
波打ち際の○氏
理系サイトの某氏
○沢氏
とっぷ○○氏
はたまた独自か 意味と時間
時間を物理学的時間と体験する時間とに分けるのは、物理学的時間を説明するのに良い。物理学的時間、時計で計られていく時間は、我々の共通世界の運用、管理、実行に役だっている。
そして時間とは何かと問う時の時間は、体験する時間である。
物理学的時間は体験出来ない。それを純粋な時間と仮に呼ぶ。何も意味と繋がらない時間である。
その様な時間は、誰も決して体験出来ない。つまりその様な時間は存在しない。これは現象学的な事実である。
(現象学を実は勉強していませんが、間違い無いと考える)
また、何らの意味と繋がらない、さらには繋がる可能性さえも無い時間は、フィロソファア的に存在しない。つまり時間とは、何らかの意味と繋がって存在し、現象する。 元々、自然に意味なんて無いのにね。
こう言うのを天動説って言うのかな? @時間論
全て(世界事実意識)は時間によって変化する
時間が決定させるという考え
A世界論
客観的世界が変化する事で全て(時間意識事実)は決定する
「次第に変化する」物体が集まっているだけで
時間は存在しないかも知れない
B意識論
「主観的意識が世界である」という考えと結びつけた考え
「変化する意識」のみがそこにあるという事を想像しなければならない
C事実論
「全てが存在し変化ている」という事実のみが存在し
今のここは仮想であるという思考実験
でいい? 時間とは
@永遠ではない
全ての始まりと終わりがあり
始まりの前に時間は流れていない
時間の中にいる我々が
「時間が無い」事について考えるのは困難
A永遠である
何も無いという事はありえない
有限の中にいる我々が
「絶対に終わらない」事について考えるのは困難
「無は想像出来ない」人達が
「無は体験出来ないから知らないのだ」と考えるのと
「無は存在しないから知らないのだ」と考えるのの違い >>891
4
今は運動そのもの
ここ、は運動する自然を指示しているが、ここは規定であり静止、否定。 時間が実在すれは、過去の世界があるということか?
又は未来の世界もあるのか?
タイムマシンがあれば行けるということか?
今しかないのではないのかな。 >>892
時間は運動を量で理解するから必要な次元
運動は直接理解できない
理解には必要だから、考える場合は付きまとう
それなしでは理解しない出来ないが存在する訳ではない >>892
有限で理解されるが、有限は実在しない
地動説は静止で観測することは否定しないが静止の実在は否定する
有限で理解して有限の実在は否定する
理解とは有限
つまり無限の自然を否定としての有限で理解する
自然が理解可能ではあるがその否定で理解でする
つまり決定不能 >>894
でしょう
今は運動
運動を量で理解しなければならないから
時間が必要なだけ 考えれば考えるほどおかしくなる
これって結論が出るものなのか? >>898
出ない
誰も分かっている人はいない
分かってる人がいれば、ニュースになるか、本に書いてあるか、教科書に載るか
いずれもない >>898
どこがおかしくなる?
時間とは何かの結論
時間は自然の運動を量で理解するために必要な次元で実在しない
自然と論理の関係から導かれる結論 >>900
コペルニクスは地球が静止していないはは理解していた
それが認められたのはかなり後 わかっている人はいるかいないかは、わからない
いないとは言えない
いるとも言えない 時間の実在性
『時間とは何かの結論
時間は自然の運動を量で理解するために必要な次元で実在しない 』
は、正しい。しかし、これは現在の『時間とは何とか何とかの概念である』、と言う解説と同様である。ウィキペディアに有ります。
間違いでは無い。しかしそれでも我々は、時間とは何かと問う。
また、時間が実在しないとすると不都合が生じる。たとへば、夕食までにあと三時間あるという発言が、フィロソファア的に理解不能となる。時間が実在しないとするとこれからの三時間とは何なのか、それは有るのか無いのか。
ガブリエルは、月の裏側のトナカイも存在すると言う。私も、シャーロックホームズは存在する、を支持します。
まして時間は存在する。また、三時間は、未来的なやって来る時間として存在します。あるいは費やされた時間として。
ではそのやって来る時間は実在のか、実在するかどうかは、直ちには言えませんが、我々はそれを現に体験しています。 自然の運動?
世界の変化って事か
>>891のAかな? 割とガチで結論出なくね?
>>891が仮結論でいいじゃん
3次元で4次元を語っても「具体的に何なのか?」は分からない >>904
そうですね
時間が実在しないと言う人は、自らにこう問わねばならない
何が実在するのか、と >>904
三時間とは基準の物理の運動量でしょう
運動量の言い換えが時間
面倒だから三時間と表現するだけ >>907
だから運動が実在するって何回も
直接理解出来ないから量で
それが一秒であり・・ 実在と存在
実在するAさんと実在するBさんとを足して二人の労働力となる。しかし人格として存在するAさんと人格として存在するBさんとは足せない。
実在するとは、足したり引いたり分割出来る存在を指す。再現性のある存在と言ったら良い。
また実在する事物者は、事件の当事者となり得る。実在するAさんは何らかの事件に遭遇したり、巻き込まれたり、時には事件を自ら起こしたりする。
実在する者が事件の当事者となるのであれば、存在するものは意味の当事者となる。
事件の当事者となるものが実在するものであり、意味の当事者となるものが存在するものである。
では、事件とは、そもそも意味とは何か。 自然の存在形態が運動
それを理解するには否定の静止で
それが次元の正体 >>910
実在するAは自然とは否定関係ではない
分類は差異を否定で理解すること
Aというのは規定であり理解された自然で
自然自体ではない 「時間」とは物理学でいうところの「次元」の一つだよ「量の次元」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E3%81%AE%E6%AC%A1%E5%85%83
例えば長さの次元、時間の次元をそれぞれL、Tとすれば
光速の次元は[C]=LT^-1 つまり、光の存在が時間の存在を保証する >>913
光速度一定の原理は次元の実在を否定する
それで理解可能だからそれが実在するわけではないのを示したのは地動説を嚆矢とする >>909
「運動が実在する」と貴方が判断する根拠は何ですか 運動しない三次元は実在しない
四次元が実在するならそれは三次元の無限集合
私たちは自身も含めて無限に実在するなんて証明されたことはない >>916
自然科学は自然という対象を前提にしています
対象は同一であることはありません
わたしは自然は理由なく実在していると考えています
この意味でカントは正しいだと >>919
光速不変の原理というのは単なる仮説にすぎないのでね 絶対座標、つまり静止の否定、自然の存在形態が運動であり無矛盾であることを証明したのがこの原理
理解には次元が必要だが次元は実在しない
地動説はその先駆け >>921
繰り返し実験して確認されていることを報告した本があった
あなたがそれを仮説というのなら発表したらいいでしょう わたしはこの原理は次元を否定し、自然が無矛盾であることを示したと考えている >>922
君の話は初めに結論ありきの議論で気持ちが悪い >>920
貴方はこう言いたいわけですか
「対象が同一であることがないのであれば、それは運動が実在することの根拠である」 と 科学の現在は時間も重力も確定していない
もっと自由に考えられていい段階じゃないかな 今、物理学で考えられてるのはホログラフィック原理
空間は幻想で本当は2次元の投影に過ぎない
空間が存在しない以上、時間もまた存在しない
ただこの考えが証明された訳ではない >>923
いろいろ勉強してもっと広い視点で考えられるようにしたほうがいいよ >>929
その言葉そのままお返しします
どちらが正しいのか決めるのは私たちではなく未来と自然でしかない そんな、お互いにマウント取ろうとしないで素直に話そうよ
得られるものが少なくなるよ >>930
アプリオリ?
しかしカント的に時間はアプリオリですよ
またカントによる時間認識は時制をまったく問題としない
貴方もそうなのですか? ま、言えるのは哲学をひねっても何も分からないということだ 明後日の方向の反論が大杉w
お腹空いたので落ちますが、わたしの主張を理解している人が居ないし
理解した上での批判がでたらレスします >>934
カントのいう時間とは自然にある時間のことではないですよね >>869
> 自然は理解もしなければ解釈もしない
この人の意見はマジで聴きたい 時間は次元だから実在しない、ということらしいので
この人は時制を問題とはしていないのだと思います
そういった意味での、つまり対象としての時間の意味をそこに限定するなら
「時間不在論」を唱える人は、わりと多いですよ
経験上、中学生になるころに一気に感染者が増える
それはそれで良いのです
現代科学はそこに収まっているから
しかし時制という「超科学」にこだわる人に対しては
そのような「次元不在=時間不在」論は、もう全く通じない
同じ言葉を同じように使っているはずが、その内容が違う
言語ゲームが成立しない
困った困った >>938
そうです
カントは時間を感性だとした
しかしカントによれば、自然にあるのは「物自体」だけですよ
「物自体」はいかなる思考対象になることも拒絶する
だから運動も物自体ではない >>942
今、議論しているのは自然にある時間ですよね 今
時間は存在する。しかし時間は実在すると言えるのか。この問題が、つまり何故いつも今なのかです。つまり実在する時間はいつも今である。
この問いは物理学的には説明出来ないと思っていますがどうですかね。そもそもこれは物理学上の問いでは無いか。 >>944
実在の意味がはっきりしないとなんとも言えない
何を実在とするのか? >>946
じゃあ自然の時間についてはもともと議論できないということ? 今、事件が起こる
だから事件の当事者としての実在する時間です。そう言えば何時も事件は今起こる。
事件が三時間後に起こると言う事は無い。また昨日起こった事件は、昨日の事件であってそれは既に事件、事件性が薄れている。
つまり事件では無くなりつつある。 事件性
銀行強盗と言う事件は、それを体験したり、知らされる者にとって事件であって、計画して実行する者には事件では無い。世界内で事件は起こる。ガブリエルの世界は存在しないは誤りである。 >>947
それは、言われる「自然」を物自体と同一視した場合に
議論(あるいは思考)の対象となる時間は自然には存在しない
・・・というカント的世界観が構築され、その中ではどうすることもできない気分に
支配される、という哲学のマジックです
そもそも、議論は自由にできる
なぜなら、議論はそれが正しいことを期待されてはいるが
正しいことの根拠はないから 過程さんのは
身体を理解するには死体を解剖すればって感じ
3次元は死体で4次元は複数の死体的な解釈してる感じ
生きてる身体を生きたまま解ろうとしているのと違う感じ >>951
理解は静止だと言ってた
正解じゃないの 世界内事件、世界内存在
さらには事件は世界内でしか起こりません。銀行の前を飼い主と散歩している犬には銀行強盗は事件ではありません。その犬は事件の起こる世界内には居ないからです。
だからたとへば、ある出来事が、ある場所では事件であり、ある場所では事件ではないという事態はあり得ます。
多分、これから言えば、世界内存在である現存在、実存はすでに事件なのです。我々は事件を生きています。 >>950
誰が誰だか分からんが、だったらカントを出さないでよと言いたい >>955
>>920が「カントは正しい」と言ったので
貴方は横から入ってきたの? >>944
常に今しかない。
タイムマシンは無理ということ。 事件としての実存
世界内実存が事件だとすると、フィロソファアとは、その事件への個別的な対処法であり、対処だと言えます。対処法の捜索だと言えます。 >>956
カント関係ないじゃん
要らんもの混ぜると混乱するからやめてほしい コテハンしてもらえるとありがたい
そうじゃないとどれが誰だかつながりが分からん コテ付けろと言う人はまず自分がコテ付ければ良いと思います ごめんごめん
スモがいたようなので懐かしくて魔が差した
またいづれ 過程さんが言及できる理解は相変わらずそこで止まってるんだな >>957
は! われわれは、ずっと現在に留まるというタイムマシンに乗っているのかもしれない。
タイムマシンに乗っているから時間があるのだ。時間はタイムマシン説
って、この「タイムマシン」はなにものなにかというと、自己同一性である。
時間とは自己同一性による現象/幻想である。これが正解であろう。 無限とは理解不能ななにかであり、したがっていかなる説明にも用いるべきではない ゼノン 意識が全てならば∞は存在しないのでは?
形式上「限りがない」という意味を理解する事は可能でも
「9999999999…」と人生内で実際に意識出来る数は有限である
まあ極論だし言語ゲームと化してるか ああ、なんか漠然と理解できますが
またお聞きしたいので、とりあえずですが、小休憩 タイムマシーンに乗っていなければ時間はない。
自己同一性がなければ時間はない。
とすれば自己同一性が時間をつくる。
そもそもなんらかの対称性がなければ時間や空間などとは呼べない。
自己同一性という対称性が時空間を駆ける乗り物とならなければならない。
というか、それしか考えていないのだからそれしかない。
自己同一性という現在しかない。常に「今ここ」にある。
「今ここ」というのはタイムマシーンのことであり、それが「存在」である。
そこで意味場を考えるならば、破れの場ということことでよいだろう。
日も落ちてきてそろそろイブか。タイムマシーンモデルを考えながらケーキでもくおう。 多分恐ろしく単純なことなんだろう
あれこれと複雑なのは怪しい これを考えるヒントとして生物分類が挙げられる
生物の多様な在り方は遺伝子の差異でしかない
〜から成り〜に成るだけ
弱い力というが、ある物理状態からある状態に成るのに必要なエネルギー量というだけで
特別な力を想定しなくて良い
それと同様に、ある物理状態がある物理条件下で素粒子に成り、その素粒子はあっというまに違う物理状態に成るだけ
人間というか生物も本質としては、ある物理条件下で生物になり、また違う物理状態に成るのは同じこと
生物という規定も素粒子という規定も便利ではあるが、これはまた違う話
自然は運動するエネルギーの濃淡の海であり、そに親和、反発で差異としての生物になったりするだけ
その過程で自己言及可能な物理状態を獲得したのがヒト
根本の見方を変えれば、極めて単純、極めて豊穣ならぬ複雑ということになる >>986
そりゃ君の世界観だろう
それで納得できる奴だけが納得する
だが私に言わせれば
素朴な人間によって理解されるそのような仕組みによっては
人間がそのように理解することの謎にはまったく届かない >>988
感想は読み手に届かない
読み手は具体的な反論がほしい
俺と同じスレの無駄な消費でしか無い 「エネルギーの濃淡の海」などというのは結局、「物自体」と同様
全くの無規定、無内容となるしかないのだよ
なぜなら、その性質として言えるのはせいぜい
「全ての現象がそれを原因としている」
という論点先取の内容だけだからだ
「エネルギーの運動」など、エネルギーを精霊のように都合よく解釈し
ファンタジーとして想像しているだけであろうから
科学的、論理的な概念として成立しない、そもそもナンセンス
分かったか?
分からんだろうね
いまの哲学板で分かるのは三人ぐらいだろ しかし忙しいふりをするのも大変だな
三時間も我慢できるのかね、そこで また感想かよ
対案だして対峙する能力が無いことが自覚できない
これが理解できるのはこの板では三人くらいかな 最後に
スモ氏
>>843->>867
元気そうでよかった
過程
邪魔するつもりはなかった
しかし君はもうほんとに このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 101日 12時間 5分 45秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。