ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
質問は何でも聞け!!
知ってたら答えるし、知らんかったら知らんと書く!!
質問する奴も答える奴も、シングルだろうがプロだろうが初心者だろうがなんでもヨシ!!
くだらねえスレたてるくらいならここに書け!!
【掟】
★出された質問は残さず答える
★回答者は本人が基本でよし。間違いは他の者が指摘する
★哲板だからやや鈍い勢いってことを理解する←ここ重要
★質問者は回答が無い場合は催促する。ageて質問する
★質問と回答に関して演説したい奴はageて堂々とやること
★次スレは建てたい奴が適当にやれ。 後は1000取り合戦を勝手にな!
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1537100472/ みなさんは哲学書を何回くらい読み返せば理解できますか ウィトゲンシュタインは哲学書など一冊も読んでいない。 今は分節化できない
ってフレーズが出てくる本ありますかね?
現代文の授業中(2年か3年前)に読んだんですがタイトルがどうしても思い出せないです。
どなたか知っている方がいましたら教えてください。 ガンジーは何故インドの階級制度(カースト)の
撤廃には失敗したのですか?ガンジーは教科書でも習いますが、ずっと疑問だったもので。 何故ガンジーが「カースト制度を撤廃したかった」前提なのか理解に苦しむ 結局安田さんは自己責任なんでしょうか?
それとも?いまだに考えがまとまらない。
みなさんはどう思いますか?行動を起こした人
(ここでは安田さん)がどういう人かで自己責任論に対する議論にバイアスが掛かった意見が
多い気がして...。 >>9
真逆
ガンジーはイギリス政府によって崩された政治体制をインド人主体の政治体系に戻したかったんだよ
それはカースト制度の維持
裕福な生まれのガンジーにとって身内のマハラジャの土地や資産が奪われていくのを赦せなかった
現代の東アジアやヨーロッパの民主主義に慣れた人にとっては決して聖人じゃないよ
日本(GHQ)の反戦政策とマッチしていたから持ち上げていたけどね ガンディーとカースト制度
ガンディーはカースト制度を、職業の分担という観点から肯定的にとらえており、
カースト制度そのものの制度廃止には賛成しなかった。
このような「カースト制度は容認しても、カーストによる社会的差別に反対する」姿勢は、
同時期の政治指導者に多く見られる。このため、インドにおける仏教革新運動の指導者である
B・R・アンベードカルと意見を対立させている。 (wikipedia『マハトマ・ガンディー』より) >>12
彼は、ジャーナリストに叩かれる側の地位に居る人にとっては、
「自己責任だ」と強く主張したい人間だろうね。
そうでない側にとっては無関心、あるいは無事でよかったねぐらいの感想だろう。 しかし実際はカースト制度の維持とは特権階級の維持と直結している
特に教育関係が民衆に施されれば当然権利意識や職業の自由といった意識も生まれる
それによって医者や軍・政治と言った国の根幹に外部の人間が入り込むため支配層は嫌う
日本でも医大の差別は報道されているでしょ?
法律も義務教育では教えない
政治家も族議員が多い
これはどの国でも当たり前で一度権力を握るとそれを一族から手放さないんだよ
そしてそういった人たちが法律や国を運営するから中々根本的な改革はなされない
日本も敗戦によってアメリカに占領されたから少しだけ風投資が良くなった
それでも天皇家の解体は断固として阻止したでしょ バイアスがかかるというけど
正にバイアスがかかったものこそが逝けんじゃないの
もしバイアスを完全に取るというなら
それはもう法的な見解でしかありえない
国として助けに行くべきなのか
外務省としてどういった警告・kぁん国を出してどういったスタンスでいるのかっていうもの バイアスがかかるというけど
正にバイアスがかかったものこそが個人の意見じゃないの
もしバイアスを完全に取るというならそれはもう法的な見解でしかありえない
国として助けに行くべきなのか
外務省としてどういった警告・勧告を出してどういったスタンスでいるのかっていうもの 偏向報道がされている結果おかしな意見がはびこっているというなら
どういった状況でどういった経緯なのかとか正確に知る必要がある訳で
だけれども本人が語った所で都合が良い事を言ってるだけかもしれん
実際都合が良い事を語るだろうしそれの正否を判断する事は出来ない 後は何を信じて信じないとするか
それか至って他人事として
命が助かってよかったね
馬鹿な真似して迷惑かけるな
このどっちか >>16
貴方に反発してるんじゃない事を前提に...
つまり貴方は階級の維持に反対であると
読み取っていいですね? そんなことは言っていない
現代の民主義において階級の維持は一般的に悪とされているに過ぎないという事実を述べた迄
そしては正義とは闘争だ 安田記者は自己責任ではないという立場の人の意見で多いのは、シリアを、外国人(日本人)が拉致されてしまうような危険な国にしてしまった日本政府にこそ責任がある。というもの。
また日本社会独特の同調圧力により「みんなと同調しないヤツは何が起きても自己責任だ」というのはおかしい。というもの、つまり「今シリアには入国しない」という同調圧力に逆らった罰だ!というような日本の風潮に異をとなえるもの。などが挙げられる。 そもそもシリアなんて昔から危険地帯だけどな
安全だった時代なんてほぼないんだが
何でシリアが安全だった時期があるように言ってるの?
特に2011年以降はシリアは殆どの国と国交を断絶してて入国する事自体が困難 >>23
そもそも誰がそんなこと言ってるんだ?
お前が印象操作しようとして無理やりそういった意見を拾ってきているように見えるが
いささか論理に欠ける極端な意見を拾っているだけでしょ
大抵は危険な国に行ったバカな男程度にしか思っていないよ そもそもジャーナリスト自体がどう思われているかというのも問題になるわな。
「好き勝手なこと言いやがって」と思うか「社会の木鐸」と思うか
あるいは「まあそういう職業もあるのね大変そうだけど」という風に考えるか。 まあとにかく
蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
と言いたいね 実際記者自体がみんな下品な人間しかならないでしょ
こんなの身近な人間見ててもそうだし
特にフリーだからより過激なことしないと食っていけないとか
名誉欲に囚われて無茶な行動してる
結果的にそれで世の中の事をみんなが知れるならそれはいいことかもしれんが記者は須らく下品なわけでして
テレビ局内部でも記者とかレポーターって嫌われる職種だしな まあとにかく
蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
ということは間違いないね 正直言って、剣が国旗に描かれている国で批判的ジャーナリストたろうとすると、
ペンが剣でやられてしまうことがあるのはよくわかった。
トランプはフェイクニュースといいまくっているけど、
表現の自由がジャーナリストの言論と、ジャーナリストに評論される者の両方にある
という前提でやってるわけで、
いくら親米国だからといって安易に上記のことを容赦はできないわな。 まあとにかく
蛙邊矧憎魔璽斐螺禰佐都簑菟匙簾邊獅
ということに尽きるわね 自己責任という言葉は、権力や国家から精神的に自立した個人を抑圧するためのマジックワード。安田さんを批判する人間はその事に気づいてない。安田さんの行動は自己責任などではない。これでこの話題は終わり。 >>18
警告・勧告ね...
それを同調圧力って言うんだよ。
自立した個人を力で抑圧するもの。 馬鹿はどうでも良い
君は自分に自信がないから他人の目を気にして同調圧力とやらに怯える
バイアス外した意見とは何だね
君なりの純粋理性批判を是非とも話してもらいたいねぇ?w
僕ちゃん語れるのぉ? フィアレス症候群と言いものがあります
精神とはある一定のストレス許容量を超えると感覚が麻痺してストレスを感じなくなります
交通事故や飛行事故などで極度の危険を感じる体験をすると死への恐怖がなくなるそうです
もう一つはロボトミー手術をして前頭葉をいじっても感情が薄くなりきょうふも感じなくなるようです トラウマによる物だと銃への恐怖を無くす為に敢えて銃で人を撃ち殺して恐怖を克服することも実際あります
軍では兵士にそうやって人殺しと死への恐怖を克服させます 外科医は日常において常に血と生死を見て慣れているために殺人や死に対して慣れているため殺人事件を起こしやすいと言う分析があり事実統計として殺人犯が多いです バンジージャンプやスカイダイビングを無理矢理遣らされまくれば多少は死への恐怖を克服出来るでしょうね
しかし死を恐れている本人が自主的に出来るわけでもなく他人に頼んでも本人が嫌がればやはり強制できないでしょう
運良く危機的な状況に陥って無事生還できる機会が巡って来ると良いですね
間違っても殺人とを真似して死を克服しないでくださいね お酒やドラッグで感情抑制を取り払うとストレスが減り恐怖も薄まりますよ
恐怖とはストレスを感じることによって強く出て来るものなので やっぱりなかなか難しいものばかりですね。親父がアル中だったのですが、亡くなる数日前は恐怖してました アル中だと最後はお酒飲めませんしね
それに死が確定した状況では酒を飲もうがクスリやろうが死についてしか考えられなくなるので返って感情の抑制ができなくなり泣くのを堪え切れなくなります 安田さんの、日本政府主導による解放は望んでいなかった。というコメント。日本人としてどう受け止めればいいのでしょうか? >>45
過去に日本政府とは色々あったし、
今回も全力を上げて解放に努力したとは言いがたいしね。感情的な恨みもあるんだろう。 「苦しみながら死ぬ」と「一瞬で痛みなく死ぬ」だったら一瞬で死ぬ方を全員選ぶけど「苦しみながら死ぬ」っていうのはつまり「苦しみながら生きる」ってこと
だとするなら
「苦しみながら生きる」と「一瞬で痛みなく死ぬ」
ってことになるけど
これだったらほとんどの人が生きる方を選ぶのはなぜ? 苦しみの根拠がない
独りよがりの前提で他人に聞くな >>47
最初の「苦しみながら死ぬ」と後の「苦しみながら生きる」の文脈上の意味が違っているからだよ
最初のは「一瞬で死ぬ」でとの比較で精々数時間から1年以内で死ぬと想起される
後ろのは「苦しみながら生きる」ってのは数十年の寿命があると想起される
想起される文脈の意味が変わってきてる
馬鹿だから質問しているんだろうけどバカは質問すらまともに出来ないから質問自体に突っ込みを入れられる
答えを得る以前も問題
日本語がまともに使えない外国人が来るところじゃないよ
ここは >>50
生きるが数十年、死ぬが数時間なんて誰が決めたんだよ
そんな固い頭でよく哲学板来れたな >>32
ジャーナリストの安田さんはともかく何の公益性もない馬鹿が個人的な動機で危険地帯に入って
自己責任と言われるのは当たり前だ
昔、中洲でキャンプしてレスキューに助けられてた馬鹿と同じ >>54
国家権力に真実を曲げられる事なく市民に伝える使命を持っているのが安田記者だ。これ以上の公益性があるのかな? 安田氏を「自己責任だから政府が助ける必要はない」てのは国民と国家の関係からして無理がある。政府は助けるべきだし、実際水面下で動いてただろう。ただし、安田氏が捕まり人質にされ痛い思いをしたのは間違いなく安田氏の自己責任だ。 日本は他の国と違い、力での救出活動は出来ないからな。他に頼むか交渉するしかない。
今回の件で安田氏側が日本政府に謝罪や賠償まで求めるとしたら、それは筋違いだ(そんな事はしないだろうけど)。 ゲーテルの不完全性定理があるから完全に何かを言い切ると矛盾が生ずるんやひゃひゃ 今日は派手にやらかした
といっても、想定の範囲内なんだが
やらかしたのは、実は1週間ほど前だ
自分のものではない古い化粧品のなかにあったベビーパウダーを
化粧水や保湿クリームなんかと一緒に捨ててしまった
「しまった!」と思ったがもう遅い。
それでも、すぐに必要になることもないだろうと思ってタカをくくっていた。
ところがだ、ふと気づいてみると後輪のカーカスが露出している。
これでは、いつ小石を拾ってパンクしてもおかしくない。 転ばぬ先の杖、
いそいでタイヤを密林に注文して、すぐに届いた
タイヤ交換を始めると、案の定、というより、
思った以上にチューブがタイヤにへばりついている。
チューブをはがして新たなタイヤに入れて装着するが、
チューブが伸びて長さの余り目につく
「あのとき、ベビーパウダーを捨てなければ」と思うが、後の祭り
仕方なく、そのままなんとか誤魔化してタイヤを装着して空気を入れると、
6気圧まで大丈夫、「なんとかなったかな」と少し安心して、さらに
空気を入れようとした瞬間、「バンッ!」と大きな音とともにチューブが破裂
「やっぱりダメだったか」ということで
数年前に買った未使用のチューブを入れ直した
悪い予感がするときは、だいたい予感したとおりのことが起きる 成功と失敗は表裏一体をなしていて、長期的にはどちらの方がよかったか分らない
ベビーパウダーを使っていれば、おそらく伸びた古いチューブも現時点では
破裂を免れただろう。だが、チューブはもうかなりゴムが経年劣化しているはず
なので、いつパンクしてもおかしくない。路上でパンクして、パンク修理後に
破裂なんてことになれば、家で新たなチューブに交換するよりはるかに面倒だ。
入れ換えた「新たな」チューブももう何年も前に買ったもの。使わなければ、
それでもやはり古くなる。結果的に、相対的により新しいチューブを使うこと
を余儀なくされることになったことで、少なくとも原理的には路上でのトラブル
が生じる確率はより低くなったと考えられる。どちらにしても、あまりケチらず
に早めにベビーパウダーを買っておいたほうがよさそうだ。あのとき捨てなければ
よかったのだが、後悔先に立たず。 >>63
もし仮に将来「自由意志は無い」事が明らかになったら(?)そのときは社会の仕組みを大幅に変えることになりますか?よく言われているように全ての犯罪者は責任から解放されるとか?
犯罪だけでなく、人間のあらゆる行動に対する責任という概念が無くなるとか? なるわけねえだろ
不良品の機械はどうなる?
排除されるんだよ 民主主義国家では変わらないんじゃない?
感情を否定する理論ではないし >>68
治療すればいい。
自由意志の有無が判明するほどに医学的にも
発達してるんだから。
>>69
「感情」の動きだって決定されているに過ぎないとすれば、感情に対する配慮という概念は無くなる。
第一、どんな酷い加害者だろうと責任は無いのだから、被害者側はすべてを許す事になる。
あと、「自由意志は無い」が判明した時点で
その瞬間からの過去・歴史上の出来事に絡んできた「悪」を行った人物の名誉回復が速やかに行われなければならない。 この頃不死について本気で哲学してて
やっぱりおかしいと思うようになってきた
単細胞生物は自分を産み出すわけだ。半永久的に自分を作り続ける
そこから個体数を増やすためにオスメスにわかれて繁殖試みたら成功した
このオスとメス本当に別個体なのかな?ペニスになるかヴギィナになるかの
違いで実は同一個体だろ。遺伝子情報が違うし子供もちがう
なん世代か重ねるともう一度自分を生むことになるんじゃないの?
猿とか同じ姿でしか生まれないけど人は少し複雑になってて
これとこれとこれがあれば再構築できるとかあるんじゃないかな
記憶はないけど。動物は間違いなく同じ個体生んでるのに
人のみ違うのは一体なんだろう。 >>47
間違えてるよ。死にかけた自分の体験談として言う
死ぬのは気持ちいい。ものすごく楽苦痛もない。例えば刃物で刺されたとしたら
痛いのは一瞬で苦しむ事はない。苦痛事態脳が出す危険信号なのよ
それが切れる瞬間がある。それが切れると死を実感して全てが動かなくなる
手も足もただ見てるだけ。小便はもれてうんこもでる。しかし気持ちいいのよ
理由もわかってる筋肉が全て緩むからすごく気持ちがいい
生きてることがホントの苦痛と知ることになる。体験するとね
ご飯食べるのも動くのも消化するのも息するのも全てが苦痛
脳がその苦痛を教えてないだけ。ブロックしてる >>59
無いよ。そんなのはこじつけ原則自由なのに意思は必要性がない
人は生まれたら16ぐらいから自由に活動する。
婚姻事態遅すぎるぐらいよ。16ぐらいなら打算なく子供作れるから
それはまぁいいや。摂理事態に自由があり自己責任で喰う喰われるが
自然界にはある。人が理屈づけするのは自然と離れる矛盾に耐えきれなくなってるから >>72
それは君の個人的な体験でしかない
それだけの話
他者と君は違うから >>71
人とのみ何が違うと定義しているのか
君の定義があ空化にされていないから正確に答えられない
個人的な意見からいえば自分にとっての同一性は記憶
他人にとっての同一性は見た目と反応(会話上での思い出や知識・記憶の際の有無)
法律的には戸籍
生物学的には遺伝子 >>70
治療?
税金を使ってか?
それ刑務所でやってるだろ >>76
そういうんじゃないのよ。人は生き方しか選べない
人の選択の自由は生き方のみなのよ。生き方のみが自由である
生き方決めたら後悔しないように育てるのが親の役目
刀と同じだよ作り方は硬い鉄は合理性、柔らかい鉄は整合性
それを鍛練して大人にする。叩きすぎればひび割れする叩かなければなまくらに
放置すればなんもない人間がそだつ
刃を作れば鞘と柄は自分で作ることになる。どうなるかは個人次第と言うことだ
鞘と柄しかない人間は愚かだよ。本当に愚か者になる >>74
体験に勝るものはあるのかい?まずそこだな
人類始まってずーと死が続いてるのに死がひどいものであるはずがないのよ 目を覚ましていることで秩序は崩壊に向かい、
眠ることで秩序が回復される。 >>75
人のみ何か違うのはよーくわかってるけど
つかめないつかんだと思ったら消えてなくなる煙のようなもの
75さんは合理的判断する人と言うことはわかった
知性派だね。でもそれ根本から覆ると思うよそんなに完璧に
作られてるとは思えないのよ。どうしてもね
人が持つ第6感の存在を否定することができなくなってきてる
それはオカルトのようなものではなく。別口で科学的に立証されるのは
そう遠くない。自分は全ての生物は繋がってる事を理解してしまったから
余計ね。死とは必要なプロセスであるからそれで失う物はないのよ
人だけおかしなたち位置にいるのよね。 死ぬことは、永眠することに喩えるよりも、
永遠に覚醒していることに喩える方がむしろ適切だろう。 目を覚ますと、眠っている間に回復された秩序に従って出来事が
位置付けられ、秩序が積み上がって行くような錯覚に陥るが、
覚醒していることによって、その回復された秩序は崩壊に向かっている。
秩序が完全に崩壊する前に再び眠りに落ち、目を覚ますと、修復されて
回復された秩序に従って出来事が再び位置付けられることになる。 >>74
君にもう少し質問したいな君と私構成する物質はほぼ同じ
違うものは意識のみではないかい?その意識すらも非常に曖昧なもので
認識できるのは自分のみ。君と私は他人なのだろうか?
同一個体である可能性もある。役割かちがうだけで
君の論理は非常に曖昧共通点を否定してるからね
私の体感が他人と違うという根拠をしめさないと同じ物質で同じ科学的反応を示し
甘いものをなめれば甘いと感じることすら否定してる
この私の疑問に君はなんと答えるのか楽しみだ >>82
意味がわからない何故覚醒してると思うのか理由をお願い
>>84
わざと難しく書く必要性はない。伝わらんぞ >>79
体験は個人的で共有できない。先ずはそこから
人類が始まる前から死があるのに死が良いものであるはずがないよ >>71
同一性に付いて人と何が違うと定義しているのか 、君の定義が示されていないから正確に答えられない
個人的な意見を言えば自分にとっての同一性は記憶
他人にとっての同一性は見た目と反応(会話上での思い出や反応の差異)
法律的には戸籍
生物学的には遺伝子 何故ここの人達はわざと難しく書きたがるんですか?
アインシュタインはシンプルこそが真理だと
言ってましたよ アインシュタインが言ったからなんだ
人が言った言葉なばらそれは真理ではない 真理ってのは目の前で起きている事だけだ
それが何故起きてどう起きたかは真理ではなく結果だけが真理だ しかしな
アインシュタインの言ってることも難しいだろ フランスで急進的なベジタリアン(ヴィーガン)の一部が食肉店を襲撃したというニュースを見ました。彼らって自分たちだけでなく、全ての人が肉食を止める事を目標にしているわけで、
となると、話し合う事はできない。妥協点を見いだすことができない。どうすれば良いのでしょうね? 解決はこうです
彼らは、哺乳類動物という他者を人間が食らうのがいけないといってるわけです
人間と、動物を截然と区別している
だから、その肉には、人間の肉は含まれていないはずだ
したがって、人肉食は、肉食と菜食の両方から区別される第三のポジションに立つはずだ
まずは、実験として言い出しっぺの菜食原理主義者同士が共喰いすれば良いんだよ
そうすれば、共喰いの果てに、原理主義者はいなくなり、我々にとっても好都合だ 知識人や文化人の中にもベジタリアンは多い。
つまりベジタリアンというのは人間として正しいあり方なのでは?少し乱暴な論理かも知れないが「知識人や文化人はいつも正しい、知識人や文化人にベジタリアンが多い。つまりベジタリアンは正しい。」 非菜食主義者を、非菜食主義者であるにもかかわらず菜食にしてしまうそんなシステムを考えるべき
原理主義者の人間は、情や倫理観に訴えてるからダメだな 肉を食べたい人は食べる。嫌な人は食べない。
これでいいはずなんだがな。屠殺のやり方の大幅な改善には賛成。味なんか落ちてもいいからさ。動物の痛みや苦しみが減るんだから「人間側の自己満足」だけでは決して無い。 あとは美味しい人工肉や魚とかね。
コストの問題とか課題は山積みらしいが。 ああでも俺も一時期、少食にはまってたり、肉避ける生活してたことあるよ
でもそれはさらなる健康を求めての人体実験であり、環境保護や動物愛護的な観点は皆無だったな
実験結果としては栄養失調になっただけだった
疲労しやすくなったり、貧血気味で、ぼ〜っとするだけ
女優の中谷美紀も、いっときベジタリアンになり俺とおなじような症状を呈して、しんどいからやめたといっていた
渡辺満里奈とかもそうだよな
なんか顔色悪いし、我慢は良くないよ
我慢してるからテロ起こして他人に暴力ふるったり、おなじ我慢を強要したりするんだよ
肉食を否定するあまり、殺人したら本末転倒も甚だしいよ あの牛の頭に電気流してドンって屠殺するやり方たしかに嫌だよなあ
もっと寝ているあいだに死んでたみたいな方が良いよな >>96
くだらないこと言ってんじゃねーよアホ
お前が実行して一人で死んでろ あと、ちょっと胡散臭い感じもあるが、食べない・不食ってのもあるらしいね。 哲学板なんだし、動物福祉とか動物の権利の方向から攻めればいいのにィ もっと、意地汚くてコソコソしてて、食べられて当然の生き物を探して来ないとダメだね
神に見放された肉食にされて当然の生き物を連れて来ないと >>111
人かあ〜 近所に住んでるヤツがそんな調子だったな 食べてくれるのかね? >>94
気に入らないから襲撃するならやればいい
しかしその人はその場所にずーと住めるだろうか?
逆に肉屋からの復讐が待ってると思うよ
近づいたら殺すとね。基本ね動物愛護者は動物愛してるから
それで人襲うとなると本物の愛なの愛してるの
つまりSEXしてるのよ動物とね。獣と交わるのは罪だから
証拠押さえればいい。フィリアは不幸だよホントに 大嘘言ってる奴がいるね
それかちゃんと調べずに偏食したのを菜食だと言ってるだけか
基本的に肉食は脂質やタンパク質を過剰に取りやすく消化にカロリーを取られる為、内臓が疲弊し疲れやすいのは栄養学の基本
スポーツでも試合前肉食を避けパンや米など炭水化物中心に食べた方がスタミナを維持できる
なんでこんな基本的な事も知らずに菜食は疲れやすいと真逆のデタラメ書くのか >>87
いや共有して確認できるだろw食事...
言葉でわかるだろ。ワサビ鼻にツーンとくるみんなそうだよね
いってること雑魚過ぎないか?確認できるだろ
もう少しましな否定してくれよ。詳しく聞けば同じ現象が
起きることは用意に予想できる。これ共有だよね 菜食だって大豆とかのタンパク質が多い食品を食べ過ぎれば同じように疲れたり内臓を悪くする
例えば肉の代わりに豆腐を食べ過ぎるとかな >>114
原理を知らない原理主義者だから
脳は刷り込みなのよ。目にしたものが真実になると
そうそう元にもどらない。野菜と肉では成分が違うのにね
菜食主義は別にいいけど内臓に負担かけるよね
生野菜食べるなら多分早死にするし。毒した処理せず摂取してるからね >>115
死は共有できないだろ
死んだら話せんからな
そもそもお前の臨死体験の中で気持ちよかったのがどの段階かも分からん
そもそも痛めどめのモルヒネの点滴でラリってる時じゃないのか 本当にバカは想定が甘く調べもせず理解力も想像力も品性も顔も悪いからバカにされる >>117
何言ってんだお前?
この程度の文章も読めないアホが書き込むな
外国人はお断りだ 肉食も菜食も関係ない
タンパク質はタンパク質だ
各種ビタミンだって肉食中心だろうが菜食主義だろうがバランス良く取らなきゃダメだ
調べもせずにキャベツだ水だけで暮らしてればそりゃ栄養失調になるわ
菜食主義と素人の無知な過剰ダイエットを一緒にすんなボケと言っている >>118
例えば指を切っても痛みを忘れればすぐいたくなくなる
死は共有できないと思ってるのは君が死んでないから答えだせないだろ
言ってることがおかしいとは思わない?
[死にかけたこともない体験したこともない。私が正しい!]
論理性が欠片もないここ哲学板だよ。普通は体験したことを基礎として
他を繋げる。わからない?君に想像力がなく話を終わらせようとしてる
死とは何かをまだ立証できてないのよ科学的にわからないのよ
何故死後体重が減るのか減ったのはなんなのか答えがないの
答えがないのに解こうとしてない。ここになにしにきた? >>122
死んだら肺呼吸が止まって肺が冷やされなくなり水分が蒸発するからだよ
バカ
体験できないから誰も分からない
体験したというなら死んでいないから嘘を言っているか勘違いしtりる
はい論破
俺の勝ちぃ〜 >>121
ほら理解してない。熱処理してないと毒を弱めることできないことすら理解してない
薬は基本毒と言うこともわかってない。まんべんない食事を提唱してるのは
医師。理由はどれが必要かわからないから。3食食べましょう
3食食べたら太って糖尿病になってるのに3食食べさせる
先ず基礎知識から間違えてるよ。もうわかってるのよわかってるけど言えないの
3食食べて消費する様に日本は設計されてるから
動物は草を3つの胃で無害化する。牛がそれだねしかし草は栄養価がすくなくて
大量にたべる必要があるから常に食べる >>123
ほほう生命活動が停止するのに肺が熱を発するのか
原理を教えてくれるか? >>123
論理性は勝ち負けじゃないからね。暗闇研究について理解してるかい?
月明かり研究もあるけどこれ理解してる?
ちょい恥ずかしいレベルだよ 死んだらすぐに体温下がるのか?
鍋の火を消したら一瞬で常温まで水の温度下がるのか?
マジバカだなお前 >>126
負け惜しみ乙
負けてないと言って逃げ続けても敗北感は拭えないよ?
哀れだな >>127
本当にわからないのよ。先ず熱エネルギーってのは消費激しい
つまり冷えるのが早いエネルギーは1使えば1減るのが原理なの
人が死んだら冷えるのはめちゃくちゃ早い。これ常識ね
溶岩に水かけたら石になる早さは着水した瞬間から起きるから
超スローでやっと確認できるレベル。熱エネルギーは持続性はない
息が止まっているのに肺から水分がでる。君は肺を見たことある?
とりあえず動物の肺を見てこようねw 結局君は答えを知ってもただ受け入れないだけの馬鹿なんだろう?
何故馬鹿呼ばわりされるか
それは学ばないからだ
バカはいつまでたってもバカだからバカだと言われ続ける
悲しいサガだな >>129
君を相手にした私がバカだったので無視します >>131
とりあえず水の気化する温度書けばわかるじゃないですかw
体温と差が無いこと理解したから書かないのでしょ
私は君の言ってることを論理的に否定してる
肺はお肉の塊、息をしてるのは横隔膜のお陰と言う基礎的知識がない
肺は風船という間違った知識風船は横隔膜です。
間違いを指摘したらまちがいを認めないというのは如何なものか?
肺は肉の塊で中には軟骨の管が無数にはしっています
食べると非常に美味しいですよ。 時間の幻想が自分という幻想に繋がる
過去から未来、そこを自分という存在が生きてるような錯覚
実際は過去も未来も概念で
始まりもなく終わりもない今
今とは時間を越えている
時間が存在しないと分かったとき
今の中に戻る
今とは、永遠の今🎵(^-^) 菜食主義者と非菜食主義者が共存するための落としどころの話は...どうですかね? 亡くなったら体重が減るってよく聞くけど、
亡くなってどのくらいの時間で減るのかな、体重?それ重要だよね。 サガと言えば、アイスランド・サガだろう
アイスランド・サガは数十年前に購入したが、まだまともに読んでいない >>133
相手して欲しいの?w
残念ながらどう言っても無駄だよ
バカが一生懸命話したところでバカ話晒すだけなんだから >>135
気化する温度は決まってるよ。調べたかかい?
でてこないならガソリンの気化温度と同じだから
ガソリン調べるといい
>>137
体重で調べてるのは病院だからそんなに時間は経過してないと思うよ
75グラムだったかな減る量決まってるの。原理的に思考すれば
太って体積の多い人はより多く減らないとダメなのに
75グラムなのよ。 >>136
共存する必要があるのか?
対話を拒絶しているなら片方が絶滅するか抵抗できなくなるまで痛めつければ良いだけの話
共存を求めるのは君の意見でしかない
他のものがそれを求めていないのだから妥協点はない
力の差を認めてどちらかが諦めるまで続く 哲学とは己の正当性を語る学問だ
常に哲学は闘争のために用いられた >>138
魂の重さとは自分も思ってない。別のものだよ
そもそも重さって普遍的なものなのかすらわからない
Gについても1Gというけどその固定概念は人を対象として
るから。人が普段感じるのが常に1Gという矛盾
計算方法が今のところ存在しない。だから答えはない
全て予測でしかない。納得しないのは至極当然原理が曖昧なのに
正しいと言われても困る 戦わない・融和するという思想を掲げて戦う事があっても
哲学自体は戦わない・融和・共存を目的としない
哲学とは思想の戦闘手段だ 標準重力加速度があるだろw
バカだなぁ
こんなんで語るのか?
全てが曖昧にしか答えられない愚かな動物 >>143
違う。それはただのアホのやること。
哲学も科学も宇宙の真理を追及してる。
わからない物を理解するために論理を固め実験して検証する
つまり暗闇の中手探りで見つけたものを正しいという
見えてないのになら見えるとこでやろうぜ!この2つの研究がある
暗闇はいわば開拓する人達。月明かりは既に検証してることを
裏取りする研究。論争など無意味なのよ。
調べればわかるから。外れてたらごめんなさいでいいの
外れてるかもわからんのに叩くのはアホでしょ? >>147
真理だから・正しいから...といって、それに従う義務はないんじゃないか? >>146
否定する。間違ってると思うよw
石を落として計算するわけ。宇宙の体積計算もできてないのに
正しいと言えるのがすごいと思うよ。宇宙の質量計算できるからこそ
地球に対する力の計算ができるわけで。宇宙の質量計算が可能になればそれは
覆る。全ての力を人類は解いたの?しっかりしてくれよ
今のところ議会が決めたらわかる中の方程式にすぎないよ >>148
整合性の無い人間は誰にも信用されない
だから信用を得るために人を攻撃する
無駄である >>147
アホなこと言うなよw
真理は既に示されている
正しさは常に目の前にあり暗闇の中になんかねーよ
バカだなw
目を瞑って生きてるから手探りで迷うんだろ
わかってねーなぁ >>148
もう少し説明が必要かな。子供にヤカンは熱い火傷するから触っちゃダメと
言うけど触るよね。これは従う必要性はない。全くもって無垢だから
勉強や経験を奪ってはならない。君たちは合理性と整合性を日々勉強してるわけ
車に跳ねられるのは痛いしかし金がほしいから当たり屋する!
この人は賢いだろうか?死ぬ可能性もある。
まぁ強制力はない従わなくても結構だと思うよ。でもそういう人社会では
邪魔者じゃないかな? >>152
そう思ってるから想像力が足りない。地球の自然と宇宙の規模考えたら
宇宙のが規模デカイことわかるだろうに.... >>151
目で見える真理など小さい世界はない
大きい世界目に見えない世界を見る方が楽しいだろ?
やめといた方がいいぞ。器の小ささ露呈してる
私は宇宙を見てるけど君は自分の見えるもののみをとらえてる
視野が小さすぎる。哲学するなら視野ひろくないとね 手でさわれねーやんw
ぎゃはははバカ丸出しw
しかも目で見てるw
ほんとウケるわー
曖昧ことしか言えずまともに学んでいない
負けると屁理屈で意味不明なことを言い出すしまつ
いやぁ
学ぶ姿勢がなってないなぁ >>156
次元が低いもの....志も低いし....必死で攻撃してるけど
私には何らききめないよ。意味がわからんこと。
私は優しく説明してるつもりだけどね....笑ってるけど
正直笑ってない事は理解してるよ。才能のないなまくら刀と言うことは理解してるので さっきからのベジタリアン議論。選択肢は2つだ。肉食する人とベジタリアン・ヴィーガンの
共存。または全ての人の肉食を禁止する。
この2つ。ベジタリアンに無理に肉を食べさせる必要はない。だとしたら共存が最善だと思うんだ。 >>157
基本字や文は苦手でね。得意な男は無能だよ
そこに能力の容量使ってるから。脳も物質なので
容量は決まってるの。寝てるときに処理して消してるのよね
字は日常的に必須なレベルの勉学。さて男に字は必要だろうか?
コミュニケーション能力で必要かどうか思考すればいいんじゃないかな?
この頃皆に言われるお前は説明不足だとあるものは後付けと
私はわかってる体で説明すると相手の返しで基礎がない事を理解する
基礎の説明すると屁理屈といわれる。哲学してないよね君は >>158
無駄無駄俺には勝てない
そして俺と争っている事が既に俺が正しい事を証明している
正にバカだなw コイツはバカだからクドくて長文で中身が薄いんだよw
憐れや
ホンマ哀れな猿や >>163
子供に物事教えるといいよ。ものすごく難しいから
大人になるとそれが固まってしまうから余計頑固になる
人は元々頑固である。この頑固を打ち砕くのは合理性と整合性そして
法律である。教科書を信じるとか私から言わせれば無能
高々100年あまりの科学発展を軸として天狗になるのは如何なものか?
私達が過去の行いのよい点悪い点を判断するように
未来の人間も同じことをする。今より未来のほうが正しい進歩するからね
その時未来の人間はどちらを正しいと判断するか合理的に思考すれば見えてくる >>164
中身薄いなら私より濃い説明したらどうかな?
そちらの方が合理的だと思うが
私はここに合理的な驚きを待ってるが全くない
否定するのであれば何処がどうしてを説明しないとね
否定する人達それがない。 >>165
横だけど、合理性や整合性が全てでもあるまいに。宗教や芸術だってある。感情だってある。
未来の人間がどう判断し生きるかなんて我々には分からないと思うんだ。 >>167
ある程度予測はつくよ。限られた合理性の100%を敷き詰めて
人のみ行動原理を重ねるとどうなるか理解できる
宗教や芸術こそ合理性の塊だからね。その国の治安気候差別食料等々から
合理的に人の生き方を示すのが宗教だよ。イエスもブッタも悩んだのは
それでしょ。芸術は絵の見え方筆の走らせ方美しく見せる角度などなど
普遍的要素が敷き詰められてる。感情も合理性だよ問題点はそれを自己に使うか
他人に使うか。人の価値観なんて3つしかない非常に分かりやすい >>166
君の非合理な説明からは何も得られていないがw >>169
マルクス的な共産主義社会が訪れてゴール!
みたいな? >>171
やはりきみもその危険性感じてるんだね
自分の予測は共産主義が蔓延したら我々は滅びるから
それも一挙だとおもう。自然の流れに逆らうにはそれ相応の血が流れる
既に日本には100万人の中国人がいる時点でねぇー富は食われてるよ
食い尽くされるのは時間の問題かそれとも逆に利用するか
利用するなら人権は無視。それができるかなぁーw >>170
非合理だよ。定説にしたがうならね。
私は定説に従わない常に疑う。思考し模索する
それが楽しくて仕方ない。新しい発見をするのも
主義の成功もそれほど楽しい事はない。
宇宙中心にブラックホールがあると言った学者はつま弾きにされ
天体望遠鏡で観測され彼の論理は証明された 宗教や芸術は感情にならないものを吐露するように思うけど。 反出生主義に興味あるんだが、スレ立てちゃったんだけど反出生主義って何を土台にして主張されてるの?
功利主義とか他にあるか >>179
漠然とした質問をしていたようですみません
自分の言っていることはデイヴィッド・ベネターのものです
反出生主義というのは何を権威?にして主張しているのかが知りたいです 阿羅漢になりたいのですがどうすれば良いのでしょうか? 「有る(存在する)」とはどういうことなのでしょうか? 場所が不特定であるということでしょう。
「あ(有)るか?」とは、"Is someone/Are you around?"という問いかけ
であるのだから、「あ(有)る」は、"be around"を意味していることになる。
また、今は「ある(歩)く」と言いますが、古語では「ありく」であり、
"walk"というより、"go around"を意味していた。ということは、
「ある(歩)く」は、もともとは、「あ(有)り・く」、つまり、
「"being around"という行為をする」ことを表していたのではないかと
思います。 例えば工学分野の一つであるプログラミングにおいては、個別の数学的な
アルゴリズムを考案者に対し、無断で使用しまくったところで、違法性を
問われることはないのだよ。
だが、コードの大半を盗用し、パッケージの部分だけを巧妙にすり替える
などした場合は、知的財産権の侵害を問われることになる。
ある(存在する)・ない(存在しない)というのは、つまりそういうことだ。 なんとでも言うことはできます。
ただし、それがでたらめに聞こえるなら、
言われたことは、その場限りで忘れ去られてしまうでしょう。
整合性があると感じられるなら、印象に残って利用されることもある。
たとえ、それが語呂合わせによる印象に過ぎないとしても。 今カントの『純粋理性批判』を読んでいるんですけど
構想力そのものは感性でも悟性でもないとすると結局何なんですかね? 言葉の恣意性が正しいとしたら、言語が思考に影響を与えるというサピアウォーフの仮説も正しいってことにならない?
それとも対応する言葉を知らないだけで違うものとして認識はできるからいいのかな 人間は言語を道具のように用いるのではなく、言語が与えた先行投企の中で泳いでいるにすぎない
言語が変われば、人間は変わるということだ オレは、質問には直接答えず、物凄い勢いで新たな質問を刺激するような言葉を吐き、バニッシュする 院卒程度のことはその気になればできるけどやんないが正解 普通に考えて日本社会を支えてるのは大半が高卒だからね。
院卒中卒なんてのは超マイノリティな特殊技能担当者。 その気になれば出来るんだな。たとえば尋常ではない憎悪とかで。 >>185 >>187
W. v. Humboldt hat auf Sprachen hingewiesen, die das »Ich« durch »hier«,
das »Du« durch »da«, das »Er« durch »dort« ausdrücken, die demnach -
grammatisch formuliert - die Personalpronomina durch Ortsadverbien
wiedergeben. Es ist strittig, welches wohl die ursprüngliche Bedeutung
der Ortsausdrücke sei, die adverbiale oder die pronominale. Der Streit
verliert den Boden, wenn beachtet wird, daß die Ortsadverbien Bezug
haben auf das Ich qua Dasein. Das »hier«, »dort« und »da« sind primär
keine reinen Ortsbestimmungen des innerweltlichen an Raumstellen
vorhandenen Seienden, sondern Charaktere der ursprünglichen
Räumlichkeit des Daseins. Die vermutlichen Ortsadverbien sind
Daseinsbestimmungen, sie haben primär existenziale und nicht
kategoriale Bedeutung. Sie sind aber auch keine Pronomina, ihre
Bedeutung liegt vor der Differenz von Ortsadverbien und
Personalpronomina; die eigentlich räumliche Daseinsbedeutung
dieser Ausdrücke dokumentiert aber, daß die theoretisch
unverbogene Daseinsauslegung dieses unmittelbar in seinem
räumlichen, das ist entfernend- ausrichtenden »Sein bei« der
besorgten Welt sieht. Im »hier« spricht das in seiner Welt
aufgehende Dasein nicht auf sich zu, sondern von sich weg
auf das »dort« eines umsichtig Zuhandenen und meint doch
sich in der existenzialen Räumlichkeit. AAっていうの?スマホで無意味記号が散在してるだけの投稿、何の自慰プレイなの?波兵って人のしわざなの?
正気なのですか >>203
あいつ十年以上前からいる頭おかしい
荒らしだから無視した方がいいよ >>203
波平に執着してるストーカーの仕業
構うと誰にでも噛み付く糖質だから無視した方が良い ネオプラグマティズムの立場をとってる哲学者科学者って少数派?多数派? パレオプラグマティズムの立場をとっている哲学者科学者って誰? タトゥーに対する日本人の偏見を完全に取り去る事は
可能でしょうか?近年は裁判なども行われ、正しい方向に
少しだけ向かってはいますが... 無理
オレは少なくとも認めていないし認める気もないから
例えば金髪とかも未だに通常の企業の営業とかではNGな事が多い
偏見とは人の心でありそれを変える事は不可能
理論武装して正当性を訴える事は出来るだろうが既にある価値感を変える事は無理
偏見を持たない、或いは興味がそもそもない人に訴えて増やす事は出来るだろうけど
そうやって市民権得ても「完全」には無理 タトゥーに否定的な日本人の病理を知りたいだけです。
>>210
偏見であると自覚しているのであれば、偏見=無くすべきもの。
という当たり前の事を拒否するのですか?
>>211
時間、もう充分待ちました。
いつからか日本のメディアがタトゥーに否定的になったのか...
所謂やくざ映画で何故かタトゥーが出てくるのが
解せない。タトゥー否定の主因です。 >>213
まず第一にバイアス(偏見)は悪いものじゃないという事。
人は日常において常にバイアスをかけて物事を判断しています。
これは経験・学習の結果、予想されるリスクやメリットを瞬時に判断する為です。
常に考えながら思考するのにはカロリーがかかり判断するまでの時間もかかるからです。
そして日本においてタトゥーをする人間は犯罪者・ヤクザが多いという歴史的経緯があります
またアメリカなどの各種メディアでもギャングが代表的にしているというものがあります
ならば初期の判断においてタトゥーは悪いのものだと判断するのは妥当です。
そしてそう言った社会通念を無視してやる日本人も判断力・教養がおかしい不良品だと判断します。
言ってみれば警戒色として周りを威圧するタトゥーをする人間を避けるのは妥当な判断だと大抵の人間は思うでしょうね。 >>214
教師や看護、介護職の人間にタトゥーをしてもらうとかも
いい案と思っています
日本人が変わらないのであれば変えるという意志を大事にしたい
あなたも変われます タトゥーが良いものだというならまず最初にタトゥーの良さ・誤解を解いてください。
因みに私は反論するし認めないと思いますが。 そもそもタトゥーシールじゃダメなの?
実際タトゥーって皮膚病の様に肌が盛り上がっていて気持ち悪いよね
それに色落ちがしない重金属を含んだ塗料を使ってる事が多く体力落ちると刺青した所が日和見感染起こして炎症する。
40代、50代になると重金属が原因でアレルギーや中毒起こして内臓疾患も起こす。
刺青消したくてもレーザー治療じゃ火傷の様な跡が残り皮膚を移植したり削除しても手術跡が一生残る。
素人さんを脅す以外に刺青の価値が見当たらないのですが? 一般向けのニュース記事でもタトゥーを
歓迎する流れなのですが...
またタトゥーをしているがために抑圧され苦しんでいる人々の
ために知恵を貸してくれるというのも哲学の役割ではないですか?
ちなみに今、日本の知識層に「タトゥーを認めるべきか」
と聞いたらほとんどの人がイエスと答えるでしょうね。 >>217
ですから...素人さんを脅すとかそういうのは日本のマスコミが
作ったイメージです。日本独自ガラパゴスな物の見方や文化や考え方を
少しずつ西欧へと改善していくのも哲学の使命でしょう 願望は置いといて認める人もいれば認めない人もいる。
そして僕は嫌いだと言える。
原発を嫌い・反対という人がいれば原発は必要だという人もいる。
タトゥーは嫌い・ジム・浴場にタトゥー入場禁止。 >>219
西洋が正しい根拠は?
日本は日本。
寧ろ西洋が日本の真似すれば良い。
英語や中国語なんて喋らず日本語話せ。
そもそもアメリカでもホワイトカラーは普通は刺青しない。 著名な社会学者とか依頼しにタトゥーを嫌う日本社会を
批判する本をだしてもらうとか、出来るのでしょうか? 差別は絶対ダメだとは思うが、最近は何かを嫌う事と
差別を同じと捉える風潮があってキツい。 ちょっと待て。
オレは自分が嫌いな事は自分の裁量の範囲で阻止するよ。 もしオレに司法権・立法権・警察権があるなら刺青入れた奴は全員逮捕して強制的に除去するね。 マスコミが多くの日本人をタトゥー嫌いにした。
タトゥーが嫌いと発言する方々はご自身が本当に
タトゥーが嫌いなのか冷静に考えて下さい。
「もしかしたら自分はタトゥーについての知識が足りない、
つまり無知ゆえのタトゥー否定なのではないか」
「もしかしたら自分はタトゥーを入れたい気持ちを
日本社会特有の同調圧力によって抑圧されているのではないか」
大切なのはご自身と向き合うことだと思います。 >>228
マスメディアが少数の日本人をタトゥー興味を抱かせた。
タトゥーが好きと発言する方々はご自身が本当に
何故タトゥーが好きなのか冷静に考えて下さい。
「もしかしたら自分はタトゥーについての知識が足りない、
つまり無知ゆえにタトゥーを入れてしまったのではないか」
「もしかしたら自分はタトゥーを入れてしまった気持ちを
マスメディア特有の偏向報道によって騙されているのではないか」
大切なのはご自身と向き合うことだと思います。 タトゥー入れてるやつより、まずはニートを殲滅することだな タトゥーは暴力団のイメージあるから仕方ないんでね? あくまで質問です。ほかのスレッドで得た知識なのですが、
ここでは「タトゥーを嫌う人」を例にして
そういう人を病気に認定する事は可能ですか?
社会学とか心理学を利用してそういう話を広めることは
可能ですか?たとえばオタクとか右翼とかアイドル愛好者を
病気として批判する本はありますよね。それとおなじに
タトゥー嫌悪症みたいな話に仕上げることは可能ですか? 電通幹部であれば可能
あとはインパクトあるツイートをバズらせればいけるんじゃね 15年ぶりくらいに来たけどめっちゃ人減ってんなここw >>234
あくまで学問の話です。
主張や願いを論理的に体系化正当化して一般にひろめるのが
学問でしょう。 最近の話題ですが。文学者である大学の教授が、女子学生にセクハラで
告発されて教授は大学を去り、女子学生も退学したとのこと。
これに関し、アカデミックな立場の人による「文学者にまでそのような制裁を課す社会」
に対する驚きを表明に逆に驚かされました。
何故文学者の実社会における加害行為に対し、一般社会が寛容にならなければならないのか、
そのあたりの根拠を教えてほしい。 実際文学に携わる人のDVや自分の子に対する過剰な体罰、
そして例のセクハラと、明らかな加害行為を「エピソード」
として消費するようなムードを感じていたもので。 162 :考える名無しさん :2018/11/07(水) 15:38:26.45
学術ってFラン卒の学歴詐称?w しかし刺青を嫌がる人間は刺青を嫌がる日本文化に洗脳されていることは
明らかなわけで。洗脳を自ら解くには刺青を好きにならないわけにはいかないよね。
刺青を好きになって初めて「自分で物を考えてる人間」に
なるわけだよな。論理的にはこれで間違いないでしょ? 日本語使ってる時点で日本文化を受け入れる基礎がガッツリ脳みそに刻まれてるゾ 敬語使うのやめたな?w
そういや話題になったツイートなんだが、年配の人に道を聞かれたからタメ口で答えたらすげー顔されたってのがあったなw
そんなことするんだったら国際共通語である英語で応答しろよと思ったがw >>246
朝日の投書欄に学生が「英語を日本の第一言語に」
って意見があった。そういう流れは近づいてる。 >>246
これも良い例なので使わせてもらう。
その年配の人間は「年配には敬語を使わなければならない
」という同調圧力をかけているわけだ。
やるべき事は2つ。同調圧力の無い社会を築く事。
そして「敬語を使う」という文化的洗脳を破壊すること。 思弁的実在論とかガブリエルの論とかハーマンのやつとかにシフトしてる感じ?
古典の基礎知識がないとわからないので分析哲学界隈の人は参加しにくそうだけどどうなん? >>209
可能
500年後には国がなくなってるから日本人はいない スレ違いのようで申し訳ないんですが、認識論、現象学、功利主義あたりに興味があって大学で学びたいです。
東洋哲学にはあまり興味が無いんですが、大学の中にはカリキュラムとして学ばざるを得ないような哲学科もあります。
視点を広げる意味でも東洋哲学を一応学んでおいた方がいいんでしょうか?それとも西洋哲学倫理学だけを勉強出来る環境の方がいいんでしょうか... あなた自身の哲学的問題による
ただ倫理学系だとあまり興味と一致しないかもしれない
「自己とは何か」とか形而上学に興味があるとかなら大いに意味がある >>256
>認識論、現象学、功利主義あたりに興味
理由、背景等をお聞かせください >>258
すみません、自分でも哲学史の流れをあまり理解し切ってはない状態なので何とも言えないんですが、中学生の時に思考実験とかを漁ってたことが影響にあって当時唯心論に興味があり、高校の倫理で認識論や現象学に触れて実在性に興味を持っています。 「自立した個人」というものが理想とされるのは何故ですか?
自立した個人は普段日常のため?それとも岐路や窮地に立たされたときのため? >>260の追加です
あるいは自立した個人という背景には思想やイデオロギーがらあって、
そのために「自立した個人」を求める言説が教育や文化に
頻繁に現れるのかな? >>258
功利主義に関しては徳倫理学義務論とかも含めて知ってどう応用されてるのか、どこに正当性があるのかが知りたいです。
主義がどのように克服されているのか流れとかも高校の倫理だと教えられないのでネットは気になった時調べてるんですが、いろいろ考えるのは好きなので興味があります。志望してる割に用語間違ってたらすみません。 多勢に無勢で最初から勝ち目がなく、それでも負けたら自己責任を自覚する
ことが求められるからでしょうw >>256
東洋思想でも仏教の唯識とかは唯心論に似てますよね
https://togetter.com/li/341602
ちなみにこのツイートをしているニー仏という方は
東大で西洋哲学を学ばれた後にミャンマー(上座部仏教)で瞑想の修行をされた方です。
カントの話とかちょいちょい出てきます。(エロ画像を頻繁にツイートするので要注意w) >>267
丁寧に有難うございます。
自分は東洋に関しては倫理の授業での用語の羅列以上には調べてないのでかなり断定的な意見になるのですが、あまり論理性を感じられないという感覚が強いです。
ただ大学の勉強だとそれなりに専門的に出来るので勉強しておいた方がいいんですかね? >>268
>あまり論理性を感じられない
そうかもしれないですね。唯識を例にとると根本には瞑想体験があってそれを言語化しているものなので。
>ただ大学の勉強だとそれなりに専門的に出来るので勉強しておいた方がいいんですかね?
分からないです。ただ東洋思想の中にもあなたが興味を持って取り組めるものがあるのではないかと思って
レスしてみました。 有難うございます。
東洋哲学についても色々検討してみることにします。 >>270
有難うございます。
東洋と西洋で似てる点があるのは時々聞いていたのもあるし検討してみます。
丁寧にすみません。 全知全能の究極最高神になりたいのですが、どうすればなれるのでしょうか?
具体的な方法を教えてください。 全てを知り全てが出来る
それは未知に対する恐怖も関心もなく
全てが行えその結果を知る為に達成感も挫折感もなく
結果無と同一となる
何をする必要も何もやる気が起きずただあるだけ
つまり世界と同一
死んでいるのと同じ
死ぬ事で至れます 最強の概念は最強のみ
最強を除けば最強の概念自体が無くなる 「知識人責任強要論」と個人的には呼んでいるのですが、
最近、知識人は発言に責任を持て という風潮がネットなどで
保守層を中心に見られます。
知識人が発言に責任を負わなければならないような事態に陥れば
知識人は萎縮し、知識人による言論の自由が失われます。
何故「知識人責任強要論」が横行してしまうのか、
その背景について、どのような原因があるのか知りたいのですが。 肩書きなどを表記したり、著名人は情報発信をした際に責任を問われやすいといい直した方がいいんじゃないですか?
ネットでの発言は拡散しますからね
影響力が高い
萎縮しようとも間違った情報・流言が広まりそれを是とするよりは良いでしょう
実際今の時代は報道機関などよりSNSの方がネット上で速く伝わりマスメディアがそれを検証・追認する時代です SNSなどの情報も信頼性のランク付けが自然と出来ています
それだけ個人の情報発信が手軽かつ広範に誰でも出来る時代です
そしてその影響力を誰もが自覚して気をつけないといけない社会環境になったんですよ >>283
誤った情報を流して、その結果誰にどんな損害が
生じようとも、知識人は責任を一切問われない。という
保証が必要だと思います。そしてネットにおける
知識人に対する一般人からの非難に対する厳しい措置も
必要ではないでしょうか。 >>284
ネットは嘘ばかりだというのは、新聞社の間でも散々言われてる事。 それをやるには少なくとも但し書きが必要ですね。
発言内容に誤りがある場合がありますなどといったね。
また無制限保護されれば株の操作や風評被害による営業妨害と言ったものも横行しましす。
それにストーカーやネット上での脅迫は現状も取り締まりされていますし。
無責任な発言はサブアカウントなどでやる事ですね。
少なくとも肩書きを出して発信すればそれを信じる人は多いです。
最終的には裁判での判例を持って一つの指針とするしかないでしょう。 ではマスメディアが誤報した際に常に具体的な責任を取っているかと言えば疑問です。
殆どが謝罪文を小さく乗せてお終いです。 僕から言えることは個人発信の影響力が大きくなった結果だとしか言えません。 >>289
発言してはいけない人が発言出来ることが一番の問題。 >>290
そうなるとあなた自身が一切の発言権がなくなり聾唖として暮らさないといけませんね
表現の自由というものが個人の権利に憲法として保障されているので
貴方暗いバカな人間も生かすとしたら憲法から改正しなければならない
ただそんな社会はもう動物園みたいなもんで人より猿に知か貴方暮らさなければならない人たちは苦痛でしょうがない
わかったらあなたの様なバカは口を噤んだ方が馬鹿にされずに済みますよ すいませんでした。
馬鹿な人が嫌いなのでつい本音で語ってしまいました。 >>291
どうやら俺の事を右翼だと思ってるみたいだが、
俺は左翼だよ。アベもヒトラーもトランプも発言や
投票をしてはいけないはずの人間に発言権や
投票権を与えたがために権力をもってしまった。
そうだろう。 >>293
ごめんなさい
馬鹿とはこれ以上話しても無駄なので付き纏わないでください
貴方の事なんてどうでも良いので
自分語りはどこか他所でやられた方だいいのでは
それこそSNSやブログなどで >>295
だから勘違いするな。俺は反ネトウヨで反レイシズムだっての! マスメディアに対する信仰は失われた
インターネット、所謂フロッピーに殺された 哲学的な何か、あと科学とかってめちゃテキトーなこと書いてあるな 全知全能の戦闘神が無限にいて、戦ったらどうなるのでしょうか? >>300
何と戦うの?
全知全能なんだから結果は戦う前にわかっているし彼の望む結果になる
当然それによる影響も望むまま
そもそも戦う必要性もない
何が起きるかもわかっているからそれが起きないようにする事も出来る
つまり何も起きないかもしれないし
ありとあらゆる事が起きるかもしれない
全知全能であるのなら戦いが起きるも起きないも全て神が望んだ事でしかない
それは既に戦いですらなく演劇か何か
神の望んだ演劇であり何が起こるのかも神の望んだこと
つまり神の御心のまま >>302
全知全能の戦闘神が無限にいて、無限にいる全知全能の戦闘神同士で戦ったらどうなりますか? 無限にいる野次馬が「いいぞ、そこだ!やれー!」と無限に言います いや、そういうことではなくて、無限にいる全知全能の戦闘神「全員」が、無限にいる全知全能の戦闘神同士で戦ったらどうなるのか?
ということです。 大喜利のお題だと思っているんだけど違うの?
何を意図した質問なのか分からん >>305
だから出来ない事があったら全能じゃないって事
そして結果が分からないなら全知じゃない
つまり貴方の話している者が全知全能ではないから質問内容がおかしいって事を伝えたわけなんですがそんな程度の事も理解できない程に貴方は馬鹿なんですか? 全知全能であるという事は唯一無二であることが前提となる
そうでなくなった瞬間にそれは全知全能ではなくなる だから髭の陛下のジ・オールマイティは偽りの能力
盛って騙ったんだよ 全知全能の神ってのは世界そのもの
人も星もあるとあるゆる存在が神の一部
全ての可能性(平行政界)と未来と過去
αにしてΩなわけ
そこに神が複数とかなない
あったらそれは全知全能じゃない 全知全能でないならどんな結果になるか知るかって話
貴方が望む創作物をさがせば? 全知全能の神って何でも知ってて、何でもできる神って意味でしょ?
複数いても問題ないかなーと思ってしまうのだけど問題ありなの? 「無」と「全(全て、世界そのもの)」はどっちの方が凄いですか? >>313
複数いたらお互いが望むことが出来なくなる
出来ない事があると云う事は全能ではない
そして望む結果にならないなら全知でもない
つまり全知全能の神は並び立ちえない
一人に比べて優れた存在を神というなら幾らでも並べればいいけど
それこそ八百万の神のように
しかし全知全能というなら唯一神となる
聖書のエホバは全知全能を騙っているだけだがね ようするに矛盾だよ矛盾
言葉は矛盾を良く孕むために質問するには言葉を吟味しないとおかしくなる
或いはマイルールとしての中二病前回の全知全能の定義を最初に提示してから質問するとか 例えば
何でもできると思っている神様の前に自分と似たような何でもできる神様が現れたとする
気に食わないから自分一人だけが生き残りアイツは死ねとお互い憎しみあった場合どうなるか
パラレルワールドが出来たとしてもお互いパラレルワールドが出来た事も感知してしまう
すると相手を殺す事が出来ない
感知できないパラレルワールドでお互いを殺し合って一人なったとしたらそのパラレルワールド感知できない段階で全知じゃなくなる
何処まで行っても全知全能が二つあったらそれは矛盾が生じる というか複数たてなくても全知全能の神が一人いる で矛盾は発生するよね
「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を作ってくれとお願いすればいい 全知全能の存在が演劇として二人の神の戦いを演出は出来るが
それは全知全能の存在がそう見せているだけでしかない
そして全知全能の存在が二つ存在させる事が出来ない事こそが
全知全能の存在に出来ない事があることに他ならないと指摘するならもはやそれは言葉の限界 こういったトンチとも中二病よろしくなラノベな世界の事を考えた人が4千年前からいたって話
哲学って結局そういう中二病を拗らせた人がどこまでも考えぬいて来たものでもあったりする そうなるともうあんたの定義次第
自分でラノベでも書け
人にアイデアを出させて楽しようとスンナ 怒るなよ 俺は元々の質問者じゃないよ
複数人うんたらは俺だけど 私はフェミニストではないという方は、何故フェミニスト
ではないのですか? レイプしたいし男尊女卑の方が男として生きていくうえで有利だから >>326
冗談で質問したわけではないのですが... 逆に言えば他にどんな理由があるの?
どんな答えを聞けば納得できるの?
匿名なのでストレートに答えただけですよ フェミニストを名乗っている男自体
モテたい、ヤリたいからという願望も前提にフェミニストを名乗っている事も多いでしょうし
女の前でフェミニストを名乗っている奴が実際は酷いDVをしているなんてこともある ネタっぽい質問が書き込まれる
ネタっぽい回答が書き込まれる
ネタ質問ではないと書き込まれる
このパターン多くね?w フェミニストって女性権利の向上を信条とするものです
男性優位の社会において男の権利・地位の低下となるので多くの男性が内心では望んでいないのは当然でしょう
女性に積極的に暴力を働きたいとは思いませんが潜在的に暴力欲求や支配願望はあります
これは幼少期の子供の残虐性をみても心当たりがあるでしょ 人には多面性が有るので色々です
虐められている女の子を見れば可哀想で助けたくなるし
受験で女性蔑視で差別されてると聞けば公平にした方が良いんじゃないかと思います
だけどレイプもののAVは大好物だしソープで発散もする
フェミニストな気分の時もあればマッチョな気分なときもある
ただ現実的な労働面・生活面で見て女性が結婚して退職していくと会社としては社員に対する教育や引き継ぎ業務に支障が出るのも確かな事です
特に重要な仕事を担っている場合に何時辞めるか分からない人物を就けるのはリスクですね
また妊娠時に女性が動けず精力的に活動的ないという事実もあります
少なくとも現状そういった社会環境にないし
ベビーシッターや家政婦と言った職業の地位と賃金が低い面
またそれらを雇うにはある程度の収入が必要なことなどいろいろと解決しがたい問題があります 男性も妊娠できるようにするって運動もあるね。
でも社会運動のために、医学的に人間に大きな改造を
施す事に問題はないのだろうか。 ハッキリ言って殆どの人がフェミニストであったりなっかたりです
バイアスかけてフィルタリングできるほど人の心や信条は単純じゃないですよ
自称フェミニストだって行動を見ればそうではないという人より酷い差別や行動してる可能性は十分あります 質問のニュアンスが分からん
「なぜフェミニストでない人がいるのか?」という質問? 人はどうすれば自発的隷従を止める事が出来るでしょうか? 多面的であったり裏表があったり、精神構造も現代では複雑で賞ね
。 お前らは何物に対しても自由であると信じてるけどそんな根拠はどこにもないね
精神に生ずる観念も選択的意志も全て他からもたらされたもので
何物も存在しないところから何かを生み出す能力などお前らにはない 現実の無い世界というのは可能ですか?
現実の対義語として理想がある。
だったら現実というものが存在しない社会も
作れるはずだと思います。理想しか存在しない社会。 置かれてる現実は人によって違いますが理想は人間共通ですよね。
だったらその理想世界で生きるのがいいと思います。 良し悪しじゃなくて理想しかない社会が存在するかって聞いてんだよ、白痴か! >>345
現実こそ共通で理想は人それぞれでしょ
現実世界で生きることは出来ますが妄想に生きても殆どの人は飢えて死にますよ 理想の世界に生きてたらそこはもう理想じゃなくて現実だろ 年収500万前後の平均的な家庭の人が大学院に行くなんて
言いだしたりしたら、どうなるかはだいたい想像つくよね。
どうしても大学院に行きたいが小学生の頃の話だったり、
純粋に哲学書籍・心理学書籍を集めたいという目的の為とか
なら、ある種のブラックジョークで済むけど。 >>344
現実という言葉の意味を辛い、厳しい、望んでいない世界と定義しているなら
しかし後半の一文だけを見ると現実を世界という意味で扱っているように読めます
そうして意味をすり替え妄想や空想の中で生きていけると誤読させようとしていませんか
言葉の両義性を弄んだ言葉遊びにしか見えませんね つまりここでは非論理極まる話題つまり芸術表現の話題になるから、
たとえば大手デパート店内のショーケースの前で凄くよく似合うよ とか
4回転→アクセル とか物凄く分かりやすいのをやんないといけない。 しかし、わたし自身については、ほぼ毎日確実に勉強しないといけない
身分なので、惚け顔して余裕ぶっこいている暇なんてないです。 >>347
理想は人それぞれではないですよ。だから理想主義という概念があるわけで。 現実のない世界に理想を実現した社会は存在できないのにどうすんのかね
ばかばっか >>357
VRなどの世界に入ってしまうのはどうよ?
その中に理想世界を作ればいい。 現実にあるVRの設備は現実社会の人間が管理するんだろう、現実の無い世界とらやじゃないし
馬鹿の考える理想の社会は、馬鹿の脳内ですら存在しないってことだな じゃあ現実のない世界って何?
なんかそういう思想あるの? 現実の無い世界はありえるのかは
無は在るのかという古典的な問いとほぼ同じ だから現実じゃないものを理想と言うんでしょうが、ほんとばかばっかしかいないなまったくもう さっき出てきた「理想はみな共通」てのがよくわからない... 事実→一般に経験可能なもの、こと
現実→個人が知覚する、あるいは知覚した事実
世界→事実の総体
現実世界→現実の総体
こう定義するとドラゴンは事実ではないし、スプーンは現実だし、VRで見られる3Dアニメキャラの映像と音声は現実だけど、VRで見られる3Dアニメキャラの人格の存在は事実ではないね
微妙な例だけど妄想の彼女が見えて聞こえるとして、妄想の彼女の映像と音声は現実だけど、妄想の彼女の人格の存在は事実ではないと言っていいかな? >>363
現実以外を理想というお花畑を定義にするなら、定義した君の頭の中で花を咲かせててよスレチだから まず語の定義や使用法を提示しないと会話にならん
面倒だが大事なプロセス デリヘル嬢にどんな本を読むのと聞かれたから「哲学や歴史関係が多いね」と答えたら「哲学って何?」と質問されました
「難しすぎて答えられないよ」という回答しかできず無知の知のようなものを彼女から感じ取りました
哲学の中でも自分の興味のある分野であれば「言説における自己反省かな」とか答えられましたが「(あらゆる分野の総体としての)哲学とは何か」に答えることができません
西洋において成立した学問であってそこからいわゆる科学を控除した時に残ったものと歴史的な定義を与えても「じゃあいったい何が残ったの?」と質問されたら何が残ったのか説明できません
哲学とはいったい何なんでしょうか 人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問 わざわざ登場させないとできない質問じゃないのに、デリヘル嬢のくだりまで書いてしまう教養のなさだから、哲学書読んでも身につかない、何も残らなかったってことだよ。 ググれば出てくるようなもので満足できるならここで質問しません >>373
他人の理性によって求めようとする学問は哲学じゃないので、君の理性では哲学とはなにかを考える素養が残念ながらありません。 >>374
コピペ回答しかできないのにそれはないと思います コピペ回答の内容の何が不満なのかは理解できてるの?まずそこから >>376
「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義してしまうと根源を否定する立場を包含できないですよね >>377
根源を否定する立場を含有できない人にとっても人生・世界、事物の根源のあり方・原理を理性によって追求するのが哲学 >>378
哲学の中にも根源を否定する立場がある以上「根源を求める」と定義することはできないと言っているのですが… >>379
× 哲学の中
○ 379の中
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を理性によって定義するのではなく、求めればよいということ。 >>380
「求めようとする学問」が哲学だと定義されているのにあなたは何を言っているのですか?
根源や本質を否定する立場が哲学の中にあることを知らないのですか? >>369
否定する立場があることで、求めようとする学問が哲学であるという事実は覆りません 哲学を「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義してしまうと根源を否定する立場の哲学が定義から漏れてしまいますよね >>383
「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」は哲学の意味。
根源のあり方・原理を、理性によって否定する立場は哲学の意味に解釈が加えられた定義
意味から漏れている立場の人も意味を理解している人も人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとしなければ哲学という学問ではないということ >>384
根源があることを否定しているのに根源を求めるって意味不明なんですけど 「世界」という誰もそれを外部から眺めたことが無い単一の形而上学的実体を想定し、それに関して「根源が無い」という統一原理を主張することは、すでにメタフィジックだ むしろ根源が無いと主張するなら、「世界」も無いとしたほうがスマートである さまざまな対象に対応した、それが現れるところのバラバラの意味の場、文脈だけが無数に存在するという考え方
それら文脈や意味の場全てをさらに統一する「世界」は存在しない
マルクス・ガブリエルはそんな感じだよな >>385
人生・世界、事物の根源がない原理を理性によって求めようとしなければいいのに
哲学とはなにかを求めている意味不明な立場の人もいるのはご存知でしょうw >>389
哲学を「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義してしまうと根源を否定する立場の哲学が定義から漏れてしまいますよね
と言っているだけで
僕自身が根源を否定する立場だとは一言も言っていないのですが… >>391
ドゥルーズですか?
でもアドルノのように概念を拒否する哲学者もいます >>391
あと分析哲学もその定義から漏れてしまいますよね 利益が上がれば都度、卸売業者から買うけど、在庫が余ってたら売る一方になるよね。 >>390
君がこれまで自分の立場を表明しよねとか、こちらも一言もいってないし
哲学の意味を
>哲学を「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義
して解釈するのは、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求める哲学の問題じゃないでしょ >>395
まず始まりは「哲学とは何か」ですよね
次に「コピペ回答の内容の何が不満なのか」と逆に質問があったわけですよね
それに対して「根源を否定する立場の哲学が定義から漏れてしまいますよね」とコピペ回答の不備を指摘したわけですよね
この流れにおいて
哲学の意味をAと定義し解釈するのはAである哲学の問題じゃない
はおかしいですよね
A=コピペ回答=根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする
なわけですからこれだとコピペ回答が真であることが前提になっていますよね
つまり典型的な論点先取ですよね
それに「哲学とは何か」という質問に対して
哲学とは「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」だ
と言ったのは僕ではありません >>377
で勝手に端折った解釈で哲学を定義したのが誤り 逆に哲学じゃないものって何よ
コモドドラゴンとかマクドナルドとかプラトンとかデカルトみたいなものは哲学じゃないでしょ?
ポテトを食べることとかキャバクラに行くこととかLINEでメッセージを送ることとかも哲学じゃないでしょ?
じゃあ化学とか図書館情報学とかいうものや数学の問題集を解くこととか電磁誘導の実験をすることとかアケメネス朝の遺跡を発掘することとかは哲学なの?哲学じゃないの? なんでコモドドラゴンが哲学じゃないと言えるんですか?その根拠は? > 逆に哲学じゃないものって何よ
っていう疑問そのものが哲学が求める意味じゃないから逆にも何もないよね >>398
その点については>>368で
西洋において成立した学問であってそこからいわゆる科学を控除した時に残ったものと歴史的な定義を与えても「じゃあいったい何が残ったの?」と質問されたら何が残ったのか説明できません
と少しだけ言及しています 377 返信:考える名無しさん[sage] 投稿日:2018/11/11(日) 17:53:13.98 0
>>376
「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義してしまうと根源を否定する立場を包含できないですよね
>>399=377じゃないの? 「哲学とは何ですか?」という問いに対する「哲学とはホニャララです」という答えを今考えてるんだよな、つまり今はそれは分からない
「コモドドラゴンは哲学ではありません」と言うためには「哲学とはホニャララです、コモドドラゴンはホニャララじゃありません、だからコモドドラゴンは哲学ではありません」と言わないといけないから
今の時点では「コモドドラゴンは哲学ではありません」なんて言えない >>403
>>399=377ですよ
単にコピペしただけなので「端折った『解釈』」ではありません
哲学とは「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問」だ
と「定義した」のも僕ではありません
間違った解釈で哲学を定義したのはコピペ回答さんですよね >>404
少なくとも「哲学は西洋で成立した学問だ」とは言えるのでコモドドラゴンではないとは言えると思います >>405
377 返信:考える名無しさん[sage] 投稿日:2018/11/11(日) 17:53:13.98 0
> >>376
> 「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義してしまうと根源を否定する立場を包含できないですよね
一方コピペ
369 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2018/11/11(日) 16:12:08.34 0
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問
405は単に根源のあり方・原理を、理性によって求めようとすると定義してしまった(誰が定義したのかは君しか知らんが)
ら、人生・世界、事物以外の根源のあり方・原理を、理性によって求めない疑問は一般的に哲学を問うことにならんよと言う話ね。
君が> 「根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする」と定義していなくても、君が定義してしまうと書き込んで、それだと包含できないですよねと定義してるんで。
コピペ、コピペというけど、「哲学 意味」とか「哲学とは」でググれば、辞書に載ってる哲学の意味だしね。 コモドドラゴンという概念は西洋で成立した学問である生物学によって生まれました
もし学問の産物も学問であると言えるならばコモドドラゴンは西洋で成立した学問です
したがって哲学は西洋で成立した学問であり、コモドドラゴンは西洋で成立した学問ではないため、コモドドラゴンは哲学ではないというのは正しくない可能性があります >>407
「誰が定義したのかは君しか知らんが」と言いますがあなたがコピペした>>396に思いっきり書いてあるでしょう
それに「誰が定義したのかは君しか知らんが」は「辞書に載ってる哲学の意味だしね」という発言と矛盾するでしょう
「君が定義してしまうと書き込んで、それだと包含できないですよねと定義してるんで」と言いますが背理法って知っていますか
レベルが低すぎて相手をするのが面倒になってきました もうコモドドラゴンはいいよ、コモドドラゴンが哲学であるか否かは哲学がなんであるかとは関係ないよ >>408
「学問の産物も学問である」という前提が正しくない可能性があります オペレーションズリサーチは数学の産物だし学問だ
相対性理論も物理学の産物だし学問だ
学問の産物は学問であると言えるのではないかね ヘーゲルによれば客観的世界は絶対精神の自己実現の過程らしい
もしそうならコモドドラゴンは客観的世界の一部だから絶対精神の自己実現の過程と言える
絶対精神の自己実現の過程とは哲学のことを指すんじゃないかな
だからきっとコモドドラゴンは哲学だよ >>410
デリヘルのくだりをあえて書き込むレベルに言われてしまった コモドドラゴンは哲学ではない
たんぽぽが植物であって植物学ではないように デリヘル呼べるいい大人が哲学書を好んで読む
読んでも哲学がなにかわからない
意味を教わっても不満
本能的欲求を他者に満たしてもらおうと求め
デリヘルを呼んでいる羞恥心がみられない傾向からして
理性的判断力が低い、哲学書への関心は高く、知識はあっても
理性的に希求する動機が垣間見えない
典型的な凡人 すべてを少ない語で説明するのは無理そうなので
説明する相手に合わせて何かを強調する方向でいくのもアリでは
ブッダが弟子に向けて語るときに色々な語り口を用いたように 哲学という言葉の定義が明確にされていない限りは「哲学はコモドドラゴンである」の真偽も「コモドドラゴンは哲学である」の真偽も分からんのですよ 同様に「哲学はカルト宗教である」の真偽も分からないし「哲学はデリヘルである」の真偽も分からない 待ちたまえ!
その前に定義と真偽とは何であるかを規定しようではないか! 定義とは、ある概念について、これ以上大きくも小さくもできない類と、これ以上大きくも小さくもできない種差を述べた命題です
「人間は二足歩行の動物である」という命題が人間の定義であるか否かについて考えます
動物がこれ以上大きくも小さくもできない人間が属する類であり、
なおかつ二足歩行であることがこれ以上大きくも小さくもできない人間と動物という類に属する人間以外の種との種差である場合、「人間は二足歩行の動物である」は人間の定義であることになります
しかし、人間以外の二足歩行の動物にはニワトリがいるため、「人間は二足歩行の動物である」は人間の定義ではないことになります
真偽とは、真実であるか、あるいは真実ではない、すなわち偽りであるか、どちらか一方のことです
真実とは偽りではないことであり、偽りとは真実ではないことですが、偽りという言葉を使わずに真実とは何かを述べるのは困難です なんということだ!
われわれはいつも真実である・偽であると言ってきたにも関わらず
それらが何であるかを決めようとした途端に奇妙な循環に陥ってしまうではないか!!
しかし上数スレの一連のやりとりが「哲学する」ということではなかろうか つまりこういうことではないか
「○○とは何か」と問い、「○○とは××である」という命題を形成し、応答する
そしてその応答を誰かが受け取り、その命題を検討し、問題がある場合はまた「××とは何であるか」と問い直したり「○○とは□□である」と言い直したりする
このような一連の過程がすなわち哲学するということではなかろうか
ちなみにこのとき問う者とその問いに応答する者は同一人物であっても良い
コモドオオトカゲは哲学ではないが、「コモドオオトカゲは何であるか」と問うこと、それに何らかの命題を与えること、それに同意や反論を加えることは哲学である、あるいは哲学をすることであると言えるのではないか
ところで素朴な疑問なんですが「哲学」という名詞と「哲学する」という動詞ってどういう違いがあるんでしょうかね?
言語のシンタックス以上の意味があるのでしょうか? だから在庫があまってたらまず売っ払ってまとまった資金を得ようとするでしょ? もしも発問者、応答者に関わらず、ある問いに始まりその問いに命題で応答しさらにそれに同意や反論を加える過程が哲学であり、なおかつ哲学とはズバリそういう過程のことであるならば、次のやり取りも哲学になります
私が「今日の晩御飯は何だろうか」と問い、私が「エビフライだろう」と自分で答え、さらに私が「いや、エビフライではなくハンバーグだ」と反論を加える
もしもこれが哲学ではないとすれば、ある過程が哲学であるからには何か別の条件、例えば問いや命題の内容についてだったり発問者、応答者についてだったりの条件が必要であることになります >>419
その典型的な凡人に言い負かされる人もいるからそういうこと言わないであげてください
まさか本人ではないですよね
反論できなくなって人格攻撃に走るなんて恥の上塗りですし >>429
それだと科学を対象としない立場が「哲学」から漏れてしまいますよね >>428
定義や基礎付けを拒否する立場が「哲学」から漏れてしまいますよね >>414
概念(定義)と理論(方法論等)を混同しています
理論は応用や派生等によって生まれますが定義は応用や派生等ではなくて力によって生まれます /)/ノ
// /⌒フ ))
(⌒ノ;;;ノ
/(^)(^)\ ̄\_
ノ / L
` >>431
科学を対象としない場合は、文芸・文学の一種 >>429
すばらしい!
つまり
「○○とは何か」という問いに何か特別な条件があるか(特別な問い方があるのか)
あるいは応答の命題に何か特別な条件があるのか(特別な命題の形態があるのか)
あるいは問いとその応答の過程が特別な仕方であるのか
問いも命題も問いそして答えるという過程すべてが(あるいはそのうちの2つが)特別の仕方で組み合わさったときはじめて哲学になるのかもしれないのだ!
本当かよ >>430
デリヘル好きの凡人さんが相手するのが面倒くさくなってきたと言って
ましたし、デリヘル好きの凡人さんの相手をせず、彼の理性がなぜ
哲学のポピュラーな引用にも不満を覚えるのかなと思って読み返したら
最初の投稿から彼が哲学を考えるにあたってもっとも必要と思われる
理性的に希求する動機が垣間見えない典型的な凡人だからなのかなと
感想をもったので意見してみたのです。
人格攻撃されていると思われたみたいですけど、デリヘル好きの方も
人格攻撃されたと誤解しているんでしょうかね?これ、読んでいたら
個人的な感想ですので、良かったら参考にして、不満だったらごめん
なさいね。人格攻撃というより心理分析だと思ってよければ参考にして
みてください。 >>442
例えば「自己とは何か」と誰かが問いを発して
それにお母ちゃんが「うるさい勉強しなさい!」と答えたら哲学にならない 発問者か応答者のどちらか、あるいは両方が何かを理性的に希求する動機を持っていることが必要なんですかね
でも何を理性的に希求するんでしょうか?理性的に希求するとはどういうことなんでしょうか?何かを理性的に希求する動機がないのに建設的に議論が進む場合、それは哲学とは言えないのでしょうか? >>445
> 発問者か応答者のどちらか、あるいは両方が何かを理性的に希求する動機を持っていることが必要なんですかね
哲学にってこと?
> でも何を理性的に希求するんでしょうか?理性的に希求するとはどういうことなんでしょうか?何かを理性的に希求する動機がないのに建設的に議論が進む場合、それは哲学とは言えないのでしょうか?
哲学にってことなら、哲学とは何かを希求して、理性的と希求の意味をまず辞書を引いて理解した上で希求したければするんじゃないですかね、希求するに値しなければ哲学とは言えなかったと判断すればいいんではないですかね。 コモドドラゴンの糞の形状について理性的に希求しつつ議論しても哲学になるのか 少なくとも応答する側の態度も重要らしいことはスレを見ているとわかる
これが哲学における絶対的な条件であるかどうかはわからないが(議論のための条件かもしれない) デリヘルとセックスすることを理性的に希求しつつ議論しても哲学になるのか 発問者が全く理性的に希求していないが応答者が真摯に理性的に希求している場合はどうなんだろう
ふざけた学生の講義妨害vs哲学教授の真摯な応答みたいな感じで >>448
例えばグーグルに哲学とはと検索すると
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観。
と出てきました。
コモドドラゴンの糞の形状について理性的に希求しつつ議論することが
議論の当事者にとって、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとするために
経験からつくりあげた人生観から、哲学だと判断できれば哲学になるんじゃないですかね。
ちなみに私の人生観からはコモドドラゴンの糞の形状に関連して哲学を考えられる判断材料がないので
議題には選びませんが コモドドラゴンそのものは調べてみると大変興味深い生き物ではあるが
「なぜコモドドラゴンの唾液はたくさんの毒となるバクテリアを含んでいるのだろうか」
といった問いは生物学的な(自然学的な)問いではあっても哲学的な問いではないかもしれない なるほど理性的に希求する対象は人生、世界、事物の根源のあり方・原理に限定されていなくてはならないということか
でもそれは何か別のことの手段として希求しててもいいのか
金や名誉を手に入れるため、裁判に勝つため、デリヘルを呼ぶための手段として希求してもいいんだろうか 子供ドラゴンそのものは調べてみると大変な生物であるが、なぜコドモドラゴンは
仙術によってでしか呼び出せないのか?といった素朴な問いは、生物学的な問いでは
あっても哲学的な問いではないのかもしれない。 >>451
基本的に応答すればそれで終わりというわけではなく
応答にまた応答する者が必要になるはず
つまり学生に教授が応答し
今度は教授に学生が応答をする
このとき学生がたとえふざけた答えを返し続けたとしても
教授が常に真摯に対応し続ければ哲学になるのかもしれない
例1
学生「コモドドラゴンの糞の形状についても哲学になるんですかぁー?」
教授「議論の当事者にとって、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとするために
経験からつくりあげた人生観から、哲学だと判断できれば哲学になるんじゃないですかね」
学生「じゃあうんこについて熱く語りましょうよぉー」
教授「良いでしょう。そもそもなぜ生き物は排泄するのでしょうか」
学生「食うからですね」
教授「なぜ食べるのでしょうか」
学生「生きるためですね」
というように
はじめは生物学的かもしれないが問いを重ねるごとにだんだんと生物学ではカバーしきれない領域へと問いが踏み込んでいくかもしれない
しかし応酬の途中で
例2
教授「なぜ食べるのでしょうか」
学生「うるせー何真面目に答えようとしているんだよばーか!」
というように少しでも議論に不純物が入れば
応答者たる教授は新たに「なぜ真面目に答えてはいけないのか」「そもそも学生の君はなぜ講義に真剣に参加しないのか」等々
今までの議論とはまた異なることを問題にせねばならず
こうして哲学することは萌芽的な可能性のまま発展することなく終わってしまう >>455
理性的に希求する対象を人生、世界、事物の根源のあり方・原理に限定されていなくてはならないということを、あなたがなるほどと認めたことと
> でもそれは何か別のことの手段として希求しててもいいのか
> 金や名誉を手に入れるため、裁判に勝つため、デリヘルを呼ぶための手段として希求してもいいんだろうか
と疑問視し希求してもいいのか悩んでいるのはあなた自身なので、希求したければすればいいんではないでしょうか。
これから食事のため退席するので、これにて私の応答は終了いたします。ごきげんよう >あるいは問いとその応答の過程が特別な仕方であるのか
問いは真空中に突然現れるものではなく
その問いを促す何かがあり
問いが立ち上がり
その問いに答え
そしてまた問いが生まれ、それに答える……
このような出来事の連続のうちに哲学は確かにある
しかし出来事の連続がすなわち哲学である、これは>>428の言うとおりおかしい
では着目するべき点は、例1にあるような、問われる対象がどんどん拡張されていく部分ではないだろうか
つまり、もっとも包括的な対象を問うこと(あるいは問い続けること)が哲学の問いではないだろうか >>459
私にとってデリヘルを呼ぶために希求したければすればいい、すなわちデリヘルを呼ぶために人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求すればそれは哲学の必要条件を満たしている、ということか
それが何か別の目的の手段であろうととにかく人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求してさえいればそれは哲学の必要条件を満たしていると
これに従えば、「お前は結局デリヘルを呼ぶために、あるいは人々を扇動してジェノサイドをさせるために、哲学の論文を書いたり学会に出席したりしている、そんなのは哲学とは言えない」という批判は不当ということになりますな なんかときどき明らかに安価ミスってる人がいるような気がするんだけど気のせい? 田辺元は若者を扇動して戦地に送り出すことが最終目的だったが彼は哲学をしていたと言えるのだろうか 本当にそれが最終目的だったのかどうか
実証的な研究はもちろん田辺元本人の本心を解明しないといけないのでウルトラ難しい ここまで見ているとある議論が哲学であるためには少なくとも下記の3条件を満たしている必要がありそうですね
1.発問者と応答者の少なくともどちらか一方が、最終目的として、人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求している
2.発問、応答、それに対する応答、あるいは新たな問い、というように途中で打ち切られることなく議論が続いている
3.問われる対象がどんどん一般化されていく
なので次の議論の例は哲学ではないということになります
・某大学の哲学教授Aは女子学生Bと毎日イデアについて議論しており、その際人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求しているが、それは女子学生Bと肉体関係を持つという目的の手段に過ぎない←1の条件を満たしていない
・学生Cが「自己とは何か」と発問したのに対して、学生Dは「うるせーブサイク」と言って議論を打ち切った←2の条件を満たしていない
・学生Eと学生Fが両者ともに最終目的として人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求しつつ、途中で打ち切ることなく議論をしているが、最初の発問が「自己とは何か」だったのに対し、今では「ビル・クリントンのパンツの色は何色か」について議論している 最後の例は3の条件を満たしていないので哲学ではないことになります じゃあハイデガーは哲学者ではなかった可能性があるな この条件規定を受け入れるならば、議論に勝つこと、あるいは自分の主張をポリスの若者に植え付けて自分の政治的影響力を高めることを至上目的としていたソフィストの議論は哲学ではなかったと言える >>466
ちょっと待て、最初の例はもし女子学生が最終目的として人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求していたら1の条件に違反しないぞ
哲学教授が女子学生とセックスするために自問自答でイデアについて議論していたなら1の条件に違反するが >>466
問われる対象が一般化されていくことは本当に哲学であることに必要だろうか?
「自己とは何か」から出発して「私の自己とは何か」を問うたらその時点で哲学の資格を失うのだろうか しかし最も一般的なもの、包括的なものを問うことだけが哲学なのか
正義とは何か、美とは何か、自己とは何か、これらを問うことも哲学であるはずである
このように、包括的なものへとたどり着いた後は、その包括的なもののうちに個々のものがどのように位置づけられているのか、
包括的なものはそれら個々のものと関係とどのように関係しているのか、こういったことが問われる
これは単に「正義とは何か」と問うことではない
「包括的なもののうちで正義はどこに位置しているのか」という問いへと変形している
包括的なものへ広がり、そしてそれが正義へと収斂していく、この過程を語ることも哲学である
包括的なもののうちでの個的なものの働きが新たに問われる
第一に問われるべきものが最も包括的なものであるがゆえに、包括的なものと個的なものとの関係性を記述しなければならない
しかも、出来事の連続性のゆえに、それを出来事の過程として、あるいは弁証論的に記述しなければならない
こうして命題は単一ではなく、複数存在し、命題間にも関係性がうまれ、体系が出来上がる
このような命題間には何か独特の規則も生まれるかもしれない
そういった規則も合わせて記述し、またその性格を研究していく
これらが哲学である >>466
精神の在り様がどうであるかなど無意味
結果を出してさえいれば
心構えが哲学者でとほざいても結果伴わないカスに価値はない
例え女とやりたいという動機があっても問題ない
やりたいという思いだけで生きている訳でもないし
そもそもセックスをすると云う事は生物として正しいありようだ
それを否定する心根が卑しい
嫉妬や妬みで結論を出すお前に何が語れるのか?
お前のレスそのものがお前の貧しさを雄弁に語っている ここで条件1に対する反論が示されました
1.発問者と応答者の少なくともどちらか一方が、最終目的として、人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求している
1に対する反論.発問者と応答者の少なくともどちらか一方が、最終目的として、人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求しているのではない議論でも、哲学であることは可能である
代わって加えるべき条件1'.議論に参加している者が結果を出している
さて、次のことについて検討しなければなりません
・発問者と応答者の少なくともどちらか一方が、最終目的として、人生、世界、事物の根源のあり方・原理を理性的に希求しているのではない議論でも、哲学であることは本当に可能なのか?
・結果を出しているとはどういうことなのか?
・議論に参加している全ての者が結果を出していない場合に、その議論を哲学と見なすことは可能か?
>>474
結果とはなんであり、結果を出しているとはどういうことなのかについてもう少し詳しく教えてください 1'を受け入れた場合、議論の内容に関わらず議論の参加者が結果を出していない場合、その議論は哲学とは言えないことになります >>466
1番はいらねーんじゃね?議論参加者の内心なんて観測不可能なんだからその基準だとある議論が哲学であるかどうか判定できないじゃん >>473
ということは3番も修正が必要だな、発問の内容は一般的な問いだろうが特殊的な問いだろうが関係なくて問い同士が関連づけられていればいい >>474
何言ってるかよくわかんないけどビルゲイツが今日の晩御飯は何にしようか自問自答してたらそれは哲学だってか?馬鹿じゃね? あらまぁ 哲学植毛したのに
地頭つるっぱげに禿げ散らかしちゃってるのか
最終的にはヅラ被って自分を誤魔化すしかないって気づいたのかね
輝いてるなぁw >>479
違う
哲学に関係ない人格攻撃して悦に入ってるバカだって教えてるだけ〜 真面目にやってる振りしても意味がないってこと
それって単に周りに自分はアピールしてるだけの行為であって実績と全く関係ない
ヤリチンの鼻ピアスのホストだろうが女子大生食いまくってる指導員だろうが人間性は関係ないんだよ
そこに言及するって事は嫉妬心からで中身のないレスだってバカに教えてあげたんだけどなw >>477
かなり微妙な問題なのだが
哲学することは真空中で行われているのではなく誰かある個人が実践するものである
言うなれば、哲学書も誰かが読んではじめて「起動する」ような何かである
私自身もよくわかっていないのだが、「哲学とは何か」と問うときに、
「哲学することでかたちづくられる何か」と「哲学すること(実践的な行為)」をどのように分けるべきなのだろうか
ある意味、絶対に分けられないように思われる
包括的なもののうちに私自身も私の哲学的実践も何らかのかたちで位置づけられるはずだから
しかしまた何らかの意味において分けなくてはならない
包括的なもののうちに位置づけられる対象が例えば「物理学で問われる物体一般」であるような場合、そこに「私の心」はいらない
ただしそのように制限した対象に「私の心」がいらないのであって、
哲学することには「私の心」あるいは「あなたの心」はどうしても関わっているように思える
哲学することは実践であるからである >あるいは問いとその応答の過程が特別な仕方であるのか
一見哲学そのものと関係ないように見えるこの問うこと・それに応答することを問題に据えたのはこうした理由もあった
哲学することは上述のような実践的な行為であるので、
例えば私が「今すぐラーメンを食べたい!」と考え、その思いがあまりにも強まると哲学が出来なくなるかもしれない
つまり問いとその応答は空間的·時間的な何かであるし、主観的な感情や目的が潜在的にか顕在的にか介入しうる何かである
以上を踏まえると、こういった場合も考えられる
哲学の議論をしていて、最後の瞬間に「ところで君とセックスしたい」と議論の相手が言い出したとしたら、
今までの議論がそれによって一挙に変質するかもしれない
それまでの哲学的議論はセックスのための手段であったことがその瞬間に明らかになる、
あるいはそう言った途端にそのようなものとして言わば結実してしまうのである
もちろん、その胸に最後までその衝動を秘めておけばそういうことにもならないかもしれない
議論の途中に対話相手を馬鹿にした態度をとればそこで議論が中断する等の問題も当然起こる
そしてさらに、或る人物が議論の相手に対してまったく性欲も抱いてなければ馬鹿にしてもいないのに、
相手側のほうが「この人は自分に対して邪な気持ちや人格を否定の思想を抱いているのだ」と勘違いすることで、
議論が中断してしまう場合もある
しかし以上のことは暴力的な性格の持ち主や性欲の強い人間には哲学が出来ないと言っているわけではないことに注意して欲しい
哲学することは実践であり、主観的な要素が介入しうる行為であり、それによって議論の過程は変質しうるのだ、
私はこれらのことを示しただけなのです そんな政治家の答弁みたいな回りくどい書き込みされても何が言いたいんだか分からん
言いたいことを簡潔にまとめて伝えるってのも議論のキモだぞ 回りくどい答弁するのは官僚
政治家は分かり易いへ理屈で言い逃れる 以上のように
命題作成者の個人的な思惑や文章作成能力や
受け手の理解力・趣味思考等々が
哲学という行為に介入し、しかもその行為の過程や結論に影響を及ぼすということです 示せたつもりでヅラかるのか、示せたからヅラかるのか
どっちにしてもヅラにはちがいないのか
ヅラかるわけにはいかないのかw
さぁみんなで考えようw よしわかった提案する
とりあえず議論しているうちはコテつけよう
入り乱れててわからん 皆さんは「〇〇は哲学である」と断言できる○○を知らないのでは?
これを知らなくて、「哲学とは?」に答えられるわけがない。 もうみんなズラ買ったのか、とくればやっぱりアゲランスw やはり哲学的思考ないし議論を続けることそれ自体が難しいんだな
特にこういう掲示板では
だから本やノートに向かって独りで考えたり
同じ興味のある人間同士だけで読書会やら勉強会やらを開く必要がある >>499のような人間の屑みたいな荒らしが湧くと冷めるんだよね、ほんとクソ 5ちゃんねる哲学スレに沸いてる人間のスペックを冷静に見たほうがいいよ
コモドドラゴンの屑とかデリヘル親父のレスに熱上げて、禿げズラギャグシリーズの
アゲランスに人間の屑!とか言って、冷めるんだよねってさぁ客観的にどうなの? >>500
哲学は世界観の共有だからねぇ、書き込み内容を見て惹かれたら
個人的に連絡とって内々で煮詰めて深まる可能性が出ると思うよ。 腐って発酵してまた食われて腐って発酵してエンドレース 哲学的環境を求めるなら大学に居続けるか
自分でコミュニティを作り上げるかだよ
ここはそういう場所じゃない 自分の哲学でコミュニティを利用していれば常時快適じゃん
わざわざ作る意味が解らん この先人類が長く存続するとして、人間における
個人や社会はどのように変わっていきますか?
今の人間に予測は可能ですか? 人体改造や人工子宮で妊娠する必要がなくなったときの社会ぐらいまで予測は出来るかもしれんけど
その先はもうまったくわからん
先があるかもわからん
人間と呼んでいいかもわからん >>510
マルクス主義がきちんと根づいてるかどうかは気になる。 >>512
フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」によると、
フクヤマ氏が予測する「歴史の終わり」で人類はゴールして、
その先は変わることなく続いていくという話ですが。 >>512
「妊娠不要の技術」はフェミニズムの要請に基づいた
物ってこと? >>515
仮に現状の人類の身体に手を出して
記憶力や知覚が強化され生殖が外注出来るようになったら
多分社会制度も色々変わると私は思うんだけどあなたはどう思う? >>517
というか妊娠期間中は仕事出来ないし
出産の際の死亡リスクもあるけど
試験管ベイビー的なものが可能になればずっと働けるし死なないから
効率的でしょ
こういう考えと旧来の倫理観との喧嘩の結果、社会がどう変わるかはしらん
タブー視されてやらないかもね >>518
現代の価値観とことごとく離れた社会であっても
いいんですかね?? >>522
その良いか悪いかを誰が判断するかによると思う
ほぼ必ずそういう生物工学的なことをやる集団は出て来るでしょう
ヒトクローンは多くの国で禁じられているけど
そういう法整備が整っていない国でやっちゃう奴らが出てくると思う
そのときの世界の人々がどういう判断をするか
そういう生物工学的処置が全世界規模になるかならないかはむしろ私も知りたい 50年前なら単なる物語だったSFじみた話が
今から50年後になるとマジでどうなることや 技術に関しては未来技術板でさんざんやってるね。
技術以外、理想の政治形態や価値観や善悪も人類が変われば予測不能なくらい
変わるかな?哲学者からみたらどうかな、普遍的なものを
将来の人類にも是が非でも受け継いでもらいたいとかありそう。 文系ホワイトカラーは需要が激減する
それを前提とした文系学部も東大以外は要らない 自由や平等といったものに価値を置かなくなる事も
未来の人類には有りうると思いますか?
そういうものを必要としなくなるような進化を遂げれば
可能性はあるかも。 自由と平等。これらは至上のものであり、必ず手に入れるべきもの。
今の我々がこれを疑う事はあり得ない。でも次世代やもっと先の人間たちは
どう考えるかは分かりませんよね。 人間の生物学的能力そのものは変化しないという暗黙の前提が今までの哲学者や思想家にはあった
進化論以前の哲学者たちは人間理性は永遠不変、人間身体の構造は神が作ったまま変わらないぐらいの認識だったろうし
進化論以後も進化するにしろ膨大な時間が必要だったので考慮する必要がさしてなかった
が、20世紀になると必ずしもそうとも言えなくなった
人間の精神性は身体、特に脳に基礎を持っている
その基礎がいじられた時、個としての人間精神、集団としての文化・社会制度も当然変わる
現状のように一個の身体としての自己というものに対する考えが変われば自由や平等といった観念の使われ方も変わるだろう 個としての人間精神に影響を与えて人格に手を加える人工操作で、観念まで易々と変化するのが自然の流れみたいな問題意識のかけらもない夢想に耽れるだけあって、歴代の哲学者や
思想家は何も予想していなかったが私は想定内だったみたいなていで始まるナレーションに思わず噴いたw まず、観念の「使われ方」は変わる
古代ギリシャにも「自由」や「平等」といった観念はあったかもしれないけど
それらを常に享受できるのは一部の人間だけだった
奴隷には適用されなかった
さて現代では人権が保証され、また、奴隷制度は廃止された
この例から明らかな通り、観念の「使われ方」は変わりうる
で、記憶力や知覚の強化・操作の技術が向上すれば
記憶障害の人やうつ病の人の治療も行えるようになるだろう
それだけではなく、たとえば犯罪者の暴力性がなんらかの脳疾患が原因だと突き止められたりしたら
強制的に手術を受けさせたりするようになるかもしれない
別に犯罪者にかかわらずラディカルに脳内化学物質の操作やらなんやら行わるようになるかもしれない
仮に母体を用いずに人口受胎が可能になった場合ももろもろの法整備が必要になるだろう
そもそも家族を形成する必要性すらなくなって子供は社会組織の専門教育機関で育てられるようになるかもしれない
個体レベルでこれだけ変化すれば法整備やら文化の変化やら社会レベルでも色々影響が出るだろう
手術を受けさせる「自由」だとか誰でも「平等」に手術を施せられるべきだ、などなど
「自由」や「平等」の観念の「使い方」は変わっていくだろう
もちろん数年後に起こるとは思っていないですよ
あと、私のオリジナルというわけでもなく最近の生命倫理等の話題を見て想像しただけ
これだけ考えてみても現在進行系で「自由」や「平等」の観念をどこまで適用させるべきかということは変わっているんだけど
まあなんといっても未来の話だからね
夢想だよ >>532
人類が自ら内面をいじり出す可能性、無いとは言えないんじゃないか? じゃあ次のお題はこれだな
物理的に身体に手を加えることで人間の意識、精神、感情、思考、人格はどこまで操作出来るか? >>534
そうだね
犯罪の容疑者は脳内の記憶を調べて、犯罪者かどうか判定出来るようになる
犯罪者は以下の二択をすることになる
脳手術をして二度と犯罪できないように改造されるがすぐ釈放
あるいは一生刑務所で過ごす >>529
人類は最後は生物としての肉体を捨ててコンピュータ上の情報になる
人間は個人としても存在するけど全体として1つになる
わざわざ平等を考える必要はなくなる
本当に自由な存在になり、それが当たり前になる
なのでわざわざ考えない
過去の歴史を学ぶ時に、「なるほど古代人はそんなことを考えていたのか?」と驚く >>541
そもそも犯罪とは規則を破る事にある
逆に言えば規則を破らなければいいだけだ
それは記憶を調べるという事ではなく行動を監視する事では?
根本的な大きな間違いとして憲法は個人の意思の自由が前提にある
其処にはどんな思想も許されている
先ずは意思の尊重が第一に挙げられているのにそれを犯すと云う事自体が重大な社会契約における重大な違反
つまり君ののたまわっていることは君の妄想で貼り願望でしかなく前提条件外販している仮にそれを実行するならそれこそが犯罪で憲法違反だ
最初の一歩から踏み外している戯言としかいえないなぁ
君には世界が難しく生きにくいだけの社会だろうが君のような弱者は淘汰されるしかないんだよ 現実では不可能な技術やあり得ない法則
それを仮想現実によって実現し確かな実感を得られるなら人は現実世界への興味を失い
科学への探究心・興味を失い仮想現実内での表現を追求するようになる
そして科学は廃れ芸術性だけが思考の価値観へと移る
仮想現実を維持するマシンのメンテは機械化されオートメーションで行われる
やがてオートメーション化された機械のメンテナンスを越える災害によって仮想世界が崩壊する時まで人は夢の中でのみ存在しある日突然マシンの故障とともに世界は終わり人類は停止する
つまりAI化は人類の進化の終わり
そこで知的探求は歩みを止めてしまうだろう やっぱり今後100年とか制限つけないとSFにしかならんな >>544
ゲームを見ててそう思う
仮想現実の中で生まれ育った人間はやがて現実の現象を知らずに育ち100年と経たずに現代の私達には受け入れ難い奇妙な世界観を構築するだろう >>546
ロボトミー
あと前頭葉の働きを一部電磁波で抑制する事でサバン症と同じ状態にする実験も成功している
それによって計算力や記憶力の向上や映像記憶が発現するそうだ
あと怒りとか感情はホルモンによって想起される事がだいぶ前からわかっているため薬物で制御可能
統合失調症とかが辛うじて日常生活できるのも性格を薬で操作出来るからだよ
他にもアルツハイマーに対する薬で記憶力が向上する奴もあり受験生相手に親が入手して与えたりもしてるな >>548
重力とか人体の構造とか美的感覚も全てが自然とは程遠いもの
ゲームや映画のCGとか見てて違和感ん感じたりするだろ
しかし生まれた時からその妙な動きを見て育てばそれが普通となり感覚はどんどん崩れていく
AIの世界で生きるって事はそういう事
芸術や美的センスは基本的に自然をベースにしている
現代美術や前衛的芸術ってのはそれを逸脱したものを描くんだけれどもAI世界ではそういったものがありふれ価値基準が失われていく 今のCGやゲームは飽くまでも現実世界を模倣した上での拡張
しかし現実世界から完全に離れてしまえばもはや重力や人の姿ですら必要となくなる
n現代人には到底理解も想像もできない世界が出来上がっても不思議じゃない ウォッチマンでDr.マンハッタンが超人と変化した結果、人間性を失い火星で独自のセンスで自らの世界を作たりとか
去年やってたアニメで正解するカドってやつで異次元人が幾何学的なヘンテコな世界を見せるんだけど
常識としての前提としてある自然から離れると美的センスや空間認識に重力や光とかそう入った物理的な常識も崩れるって事 理解できないからといって逃げてると馬鹿が治らないよ
コンチクショーと思って一生懸命ググったり本読む根性がないとね
>>555とか>>557みたいなレスは敗北宣言
憐れな猿やなw 自由や平等より、束縛や階級社会こそが望ましい。
いつかそういう哲学が生まれるかもしれない。今の俺たちは
全くそんな事同意は出来ないけど。知的探求心の是非も同様。
「ありえない」とは言えないんじゃないか? 自由平和平等民主主義・・・これらを賛美するという
段階で数百年、知の歴史は止まってしまっている。
そろそろこれらを批判し、次を考える人間が現れても
不思議じゃないんじゃないか? >>562
俺は批判できない。上に挙げたものを支持してるから。
でもそういうものを批判する思想もあれば聴いてみたい。 支持してるのに不思議じゃないんじゃないかと思えた自分に聴くしかないだろw >>561
そう思う
将来は人類は1つに統一される
からもはや平等とかは必要なくなる
もはや過去の古い概念になる 自由は多ければ多いほどよいものではないという認識が定着する
くらいには価値が下がっていると思うね。平等もまったく等しいという
ことではなく、公正とか格差是正くらいの意味で使われることも多くなった。
民主主義は批判も多いけど、資本主義以上に代替案がない。 >>567
そうだね
買い物でも今は商品がありすぎて選択に迷う
選択がストレスになる
選択にはある程度制限があった方がいいという考えが出てくるね 「きちんと民主主義になっていない民主主義」を
批判する事はあっても、民主主義そのものを批判なんか
するかよ? 自由って、既製の製品やルートを「どれにしようかしら?」て、選ぶようなもんじゃねえから
潜在する可能性を自分で洞察し、そもそもそんなところには選択肢など無かったような場所に、二択をはじめて産み出すことを自由、個人の解放というのだ
自由と消費者マインドをごっちゃにしてはならん 自由に疲れた馬鹿な消費者向きの人生哲学は、内田樹とか糸井重里がすでにいるじゃん
あの優しいおじさんたちが、人を傷つけず、なにより自分が一番傷つけられたくない人にはぴったりの色とりどりの拘束具を与えてくれるよ
ああいうのは、小金を持った弱者の救済ビジネスとして、俺もやろうかと思ってるけど エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」にあるように人間は自由になったらなったで自由から逃げたいと思うようになる
自由に不安を感じる、自分で決めることにストレスを感じるようになる >>561
まず第一に平等はなされていない
19世紀に西洋の階級社会はほぼ完全に瓦解したわけだが
富の寡占という意味では格差は広がった
それが21世紀の資本論で示されたものでしょ
そして第二
日本の社会を見て分かるように天皇陛下はまだいる
そして明治維新から続く政治家一族なんてのも多い
階級社会は明治以降も資産や権力の中で継続してるわけだ
それらは暗に階級社会は国家を維持していく絵で必要であり
権力を維持する事で国家を他民族や移民に乗っ取らせてはなるものかって意思がある 君の無知からくる現代に対する誤謬から批判をしているだけだよ >>574
アンカー付けなよ。だれに対してか分からないよ。
俺もよく忘れるんだよな。 今日も書き物ばかり。やっぱり私とえっちをしたくないのかな。 >>573
平等が実現されてないかされてるかじゃなくて、
何故平等を望み実現される事を「善」と考えるのが、
当たり前の事として語られるのか?って事。
「自由」に関しても同じ疑問がある。
そして自由も平等も論者によって、個人によって
その定義はバラバラだってことも、それが対立の原因となる。 例えばどこかの独裁者の下に生きることこそ
真の自由だなんで考える人ももしかしたらいるかも
しれない。 >>577
富の寡占が起きて平等が達成されていないからそりゃ大多数の人間は不満だわな
そして民主主義にとって多数派の幸福が善
お前馬鹿だろw
勿論富裕層からしてみれば平等より自分だけ儲かった方が善
でなんで多数派が善を実現できないのか
権力を握っているのが富裕層だから
民主主義なんて幻想なんだよ じゃあ革命すればどうなるかと言えば
既存権力はもれなく武力や資産を潤沢に保有している
革命する側もそれに対抗する為に素子化して権力構造が出来る
で革命が成就した暁には革命組織内の権力がそのまま新しい富裕層にスライドして前政権と同じようなピラミッド状の大勢に入れ変わるだけ
日本も徳川家を筆頭とした体制から薩長を頭にした体制に入れ替わっただけやな
民主化なんて木っ端役人(公務員)に武家・公家からも登用されるようになっただけ >革命する側もそれに対抗する為に素子化して権力構造が出来る
革命する側もそれに対抗する為に組織化して権力構造が出来る >>579
多くの知識人や芸術家は、俺たち貧乏人「大勢の善」
の味方をしてくれてありがたい。 自由が善というが他人の権利・自由を侵さない範囲での自由だ
これは憲法に書いてあるだろ
無制限の自由なんてのは悪だ
お前を殺す自由とかあってもお前は幸せか?
自殺したいなら勝手にしてくれて構わないが俺は殺されたくないね >>577
こんな処で聞く前にまず憲法位読んで来いや
ボケ 横入りするが、未来のまだ見ぬ人類目線の話ししてるんちゃうん?
>>584
なのに「憲法読め」って... >>582
反体制的な事言ってもしょっぴかれる心配のない国なら、
大勢の弱者の味方した方が何かと好都合だろ?作家も教授も
学者も。したたかに生きる知恵の行使を高尚な言論や美しい文学的表現で
巧く覆い隠してるだけ。 >>585
どの流れから言ってるか知らんが少なくとも>>577に対して言える事は馬鹿で無知だとしか言えない
ggr事すらできない、しないアホと誹りを受けても致し方ないだろ
そしてまだ見ぬ未来って何の話や
見てもいなけりゃ存在もしていない人間の事をどう語るんだ?
そもそも今の事すら知らない人間がどうやって先の事を語る
お前も大概だなw びょう‐どう〔ビヤウ‐〕【平等】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
[名・形動]かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。「利益を平等に分配する」「男女平等」
平等とはかたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。
平等なさまを保ったまま、平等を批判する思想を聴き
平等の支持はいつしか平等の主義主張となり、瞬く間に不平等な精神に侵され
コントへと昇華されるいつもの流れいつもの連中いつものレベル
哲学にならない訳だw >>589
人を動かすには弁舌に熱が必要だからな
自分だけは超越しているように気どりその実何も成さない柄谷のような屑にはなるな
お前は塵以下だがw 人や文化圏による平等観や自由観の違いはあるだろう。
「神の下の平等」を無神論者は「そんな物は真の平等とは言えない」
と喝破したり。 >>590
柄谷行人?日本有数の思想家なんだけどな。 >>590
人を動かしたくて弁舌に熱が入り、頭に血がのぼり、人を見下し差別し、偏った熱を冷まして平等の支持を実践してるんだね
燃え尽きて灰になってるよw >>590
平等とか哲学するまえに人間精神を鍛えて冷静を保てるようになってみたらどうかな? そういった僕は冷めていますっていう態度こそ唾棄すべき精神
何も成さず社会に存在する価値すらない事を自覚するべきだろう
他者に奉仕する精神は社会の成員として最低限持ち合わせるべき
ただ己の権利を主張しそれ以外には我関せずと生きる人間を他者はどう見る
無価値だ
お前は自ら自分が無価値で必要のない人間だと語り続けている事をもっと自覚しろよw
馬鹿がw
ぎゃはははははははははw でも、結局業火に焼かれてる自覚もなく、笑って誤魔化してるのは>>595なんだよなぁw >>599
それだよね、冷静さを保つことと情熱がないことは違うということを
冷静に読めば読解できるはずだよ。
情熱をコントロールする冷静さを保てれば、ミスリードもなくなるでしょ ということで、返事もないので、まとめます。
以降哲学やりたいなら冷静さを保って参りましょう、情熱を秘めつつ。 でだ
僕の書いたレスに間違いはない
結局内容に批判が出来ていないからお前らはカスでバカでゴミクズだと言ってるだけなんだがw
人格を否定しようとしているその性根が糞なんだよw
ぎゃはははw 書いている人間のことに触れる必要はない
問題は書き込まれている内容だ 被害妄想かもしれないなーとかちょっと冷静に考えてみてくれると、僕の存在価値も君によって保たれるということでお勉強していただけないでしょうか? >>604
そういう感じのテンションが引き続きお好みなら、コント劇場バージョンの方で皆、参加していくと思いますよ。
いいんですね? そもそも君相手に真面目に話して何か出てくんの?
それなんだよ
一番の問題は
ついてこれないやん
ついてこれるなら少なくとも俺の言葉からでも拾って耳を傾ける話は出てくると思うんだよね
君がテーゼを出してもいいし
ないやん
頭悪いやん
全て見透かされてるんだよ
お馬鹿ちゃん >>550
美的センスくらいどうだって良いじゃないか 書いている人間を気にし出すと哲学する気分じゃなくなっちゃうからな
このスレだけでも何度もあったパターン >>611
書いてる内容の非哲学性を潰していくパターンでもういいかもね、どうせその程度の話ばっかだし >>612
基本的にそれでいいと思うよ
単純に煽ってるだけの人は無視で ほらないやんw
お前らみたいなバカ相手には馬鹿話の方が良いんだよ
ぎゃははw 「自由からの逃走」は読んだけど。俺は「苦しくても 怖くても
自由から逃げてはいけない」と読んだ。これでいいのかな?
多くの人がそう読んだと思うし、そういう風に引用する人が
大多数だよね?質問スレッドルールだから上げますよ。 >>613
そうだね、なにか哲学の足しになりそうなクオリティーの質問があったら参加しましょう。 意味がありげで実は何も言っていない本の代表だな
結局自分の考えなど存在しない
皆社会によって作られた人格
ヨーロッパで生まれ育った奴らには良くても日本人には関係ない 和の心はおしんの様に耐え忍ぶ事と
わを持って尊しとする強調性だ
南蛮人も紅毛の下賤な思想に惑わされるな >>617
人格は育った社会・環境に影響を受けて形成されるものだよ。
「自分の考え」って何?生まれた時から何かの思想を持ってたの? 自由も平等も程ほどにね。
「他者を無視した自由」や「徒競走並んでゴール」
は嫌だよ。でもそうなんですよ。自由も平等も
人によって違うんだよ。その程度や中身が。
望ましい自由・望ましい平等のレベルがみんなある程度
一致してれば話しは簡単なんだが、人間は多様だよ。 >>619
何言ってんの?
俺の云ってることを言い直してるだけでw
それともレス番間違えた
若しくは日本語が理解できな馬鹿なの?www 西洋人が問題にしていることは日本人には問題ではない
日本人にとって問題は西洋人が語らず当たり前に理解している事の中にある
故に西洋の書物を読んでも解決せず西洋人のふるまいに憧れるのみ >>621
俺
>>619だが、
何となく言ってる事分かった。ごめんよ。 日本には日本の考えがあり哲学、所謂西洋哲学は西洋の考えでしかない
其処に日本人としての問題意識は無く的外れなんだよ
ベースがキリスト教の倫理だしな
移民が多く隣国から異なる言語、風習を持った人たちが直ぐにやってくるお国柄
そうなると必然的に移民と元からいた人間との間で軋轢が強くなる
伝統的に日本には縁が薄い事をベースに哲学は進められてきた
異なった文化や思想を纏めるために宗教が殊更重要視される
ラカンも日本人は精神分析できないと言った
その意味は日本人の文化と西洋の文化・哲学が違うから問題意識も全く違うと云う事示唆している だから日本の哲学者は基本的に哲学書の翻訳と解釈しかしないし出来ない
日本人の抱える問題とずれているからだ 此れから移民が急激に増えてくるわけだが
それによって日本独自の日本哲学が出来てくるかもな
おそらくそれは西洋哲学じゃなく
儒教とか水戸学とか右翼団体が言いそうなことが喧伝される時代が5年から10年後に起きるだろうね 愛などいらぬ
わが人生にあるのは ただ制圧前進のみ 日本の著名な哲学者や影響力のある作家、芸術家、
映画監督、その他色々な重要人物、過去100年位の。
さっき出てきた柄谷さん内田さん糸井さん、スレが上がってる
東さん千葉さん、すがさん。そしてYMO坂本さん
是枝さん、村上春樹さん。みんな西欧人になりきって
我々日本人を、西欧の価値観に導いてきた 日本人には村社会的な同調圧力の気持ち悪さがあるから移民を入れて外の空気を取り込んだほうが良いかもな >>628
何故そんなことをしてきたのか?我々が望んだから?
それとも先の戦争に負けてしまったから?
俺もどっぷり西欧の価値観、尊重されるべき個人、
自由、ついでに少しだけフェミニズム。そういうものに浸かってきた。
もう「日本人は日本人の」的な物には戻れないだろ我々は。 いや
大抵の人間はどこかで気付くんだよ
大学出て10年以内にね
なんか違うなって
東なんかも若い時は仏教をバカにしていたがやがて人生と社会を知って間違ってたと言い出す始末 >>630
ハッキリ言うけどそう言ってメジャーリーグやらプレミアリーグに行ったアホナ選手が日本人のアイデンティティに目覚めて帰ってくるんだよな
唯一違ったのは新庄くらいじゃないのか?w
アイツだけ日本でもアメリカでも変人・宇宙人扱いされたが 日本にいながら自分は西洋人だと思い込み海外いって思い知らされる
俺日本人だったわ……
ってな >>629
日本人がムラ社会的同調圧力を息苦しく感じるように
仕向けられたのはいつ頃からだろうか?元々本来日本人も
同調圧力を息苦しく感じていて、社会を改善していきたいと
願った結果「同調圧力は良くない」となったならいいけど。
「同調圧力のある社会を否定せよ」という同調圧力が
どこからかかかってるうちに、同調圧力を忌み嫌うように
日本人の精神構造がが作り変えられたとしたら? そもそも苦しんでいない
口癖のように意味もわからず確かな実感もなくただ言ってるだけ
それが真実
薄ぼんやりとした不安 考えてみれば分かるでしょ
移民が増えれば移民同士で固まり自分たちの生活習慣や考えを主張しだす
当然そのうち移民系の政治家も生まれる
そうなった時に西洋の哲学の理屈で話せば西洋にルーツを持つ人間が正当であり日本人は正統じゃない
私たちが正しいから日本人こそ移民のルールに従えとなる
それを面白く思う奴はいないわな
西洋の文化の影響は日本も当然受けているが日本人に馴染むものだけが受け入れられているだけだ
そうなると日本の文化・哲学・生活習慣とはなにかを提示してそれに従うように移民に伝えるでしょ
少なくとも最低限協調すべきものを示さなきゃならない 日本の文化と言っても別に丁髷や社畜が正しいと言ってるわけじゃない
家の中に土足で入るなとか列にはしっかり並べ
チップはいらない
痰や唾を道端に吐くな
信号無視するな
教会には通わない
そういった日常のあたり前の事ですら違うんだよ あとムラ社会というけど
アメリカじゃ教会に通うのが当たり前だがそれだって同調圧力だろ
ムラ社会を強調してるけどどこの国だってもそんなもんはある
だから国毎の思想の違いからナショナリズムなんてものが顕在化してるんだろ 哲学書って、解釈したことが自分の哲学になにをもたらすかが読破する価値なんだろうけど、万人を読書で哲学的に、開闢させられる哲学書はないから気がのらないんだよね
「苦しくても 怖くても 自由から逃げてはいけない」って哲学ですよねと、たとえば聞かれたら、苦しくて怖い状況を自由と考えられるような影響力をその本は与えたんだろうけど
それだけだと、そういった勇気を与える小説でもいい気しない? 哲学書はヨーロッパやアメリカ人の歴史と宗教観と考え方を学ぶもので何も解決しないよ
勇気なんてもらえない
寧ろ屁理屈ばかり言って権利とかを主張しだし碌に手を動かさない使えない奴、変わり者扱いされるだけだよ 哲学書読んだからと言ってバンジージャンプもスカイダイビングも怖いし
バイクやチャリンコ全力で走らせてコーナリングで曲がれない
典型的な哲学書に対する誤謬と信仰だね 例えば苦しく怖いなら哲学書じゃなく良い職場やいい学校に入るように参考書や資格の本を読んだ方が良いし
会社で出世して役職を上がるためにビジネス書を読んだ方が良い
哲学書を読んで苦しさから逃れるなら院でも言って本を出版出来るくらいにならなきゃ無理だ
寧ろ哲学書を読むほどに悩みと苦しさを増やすぞ 君が求めているものは啓蒙本や聖書などの宗教の経典と説法
これらが精神を落ち着け悩みを解決する為の本だよ 哲学の方法というかテクストという形式の限界は最近よく感じてる ラカンのセミナールとかが良いの?
それとも宗教的体験からの悟りでも得たいのかね? >>642
いい職場や出世で幸せ??哲学者に軽蔑されるぞw >>646
基本的に哲学者って良いところのボンボンがなるからね
何処ぞの教授は10年間親の仕送りだけで留学までした挙句に元いた大学教授の悪口言いまくって環境が悪かったっと言ってるけどな ほんと哲学幻想抱いてる奴が多いな
読めば読むほどその幻想は薄れていくぞ
金に困らない奴や趣味で読むのが良いよ
文学とかは哲学書読んでるとより楽しめる様にはなるけどな
トリビアが増えて 宗教体験(悟りを得るとか)は出来るものならしてみたい
それがどういうものなのか実際に体験して哲学のどこに収まるものなのかは知りたい
ただこういう欲望を持っている時点で悟りをひらけるものなのかわからない >>649
「悟りをひらく」って言葉が出来た時点で、その概念を知った時点でもう
「悟りをひらく」ことは出来ないんじゃないか?
悟りをひらきたいという知的・身体的欲望に完全に支配されたわけだから。
つまり本当に悟りをひらいた人間は「悟りをひらく」ことを知らない人々。 恥ずかしい質問いいかい?
最近若い人が多く名乗ってる「批評家」ってのは
哲学者とは違うの?俺なんかの常識だと、批評家イコール
評論家。評論家という事は、映画評論家とか専門分野があるはず。
なのにただ「評論家」つまりこの世を何でも語れるって意味で
哲学者と同じなのかな? 哲学者なんてみんな自称だ
しかし一般的に認める哲学者は大学で教授や准教として教鞭振るった実績のある人だけだろうね 批評家評論家ってのは説得力を持たせるための権威、肩書きだろ
哲学者は哲学を研究する者のことで批評家評論家が哲学者である場合もあるんじゃないか 批評家と評論家は同じ意味。
評論家は誰でも出来るしなれる。
概ね文芸作品に作品点数つける様なもん。
コメンテイターと言った方がしっくりくるが。
批判は哲学において用いる言葉。
既存の哲学や考えを分析したり別の角度から考えて正しいかどうかを判断する行為。
止揚なんて言葉もあって既存の哲学を批判してより洗練された哲学を作る為に批判するって奴。 批判なんて言葉は出てないぞw
頭おかしいんじゃないか? >>656
批判=否定って意味に捉えちゃう人が多いけどね。 >>657
そう言った所が君が愚かで可哀想な猿に見られてしまう点。
無教養な人間は批難と拒絶しか出来ない。 悟ってる状態を言葉で表すことと、悟ってる状態は別なはずなんだけど
西田幾多郎なんかは、いやそうじゃなくて、その西洋的なロジックで捕まえられない、自然と一体化した体験の中にすでに、何らかのロジックはあると言ってるよな
だから、西田幾多郎のあの非論理的な「なければならない」と決めつけてくる断言調のへんな文章は、あれは、悟りつうか、純粋経験や、絶対矛盾的自己同一という事態の外に立った記述なんじゃなく、中に入って言ってるんだろうね
だから、西田は、悟った状態をそのまま言葉にできる、俺の言葉は、悟りの表れそのものだ!と考えてるんだろう
ヘーゲルの精神現象学だって、あれは、ヘーゲルではなく、精神がヘーゲルという個体を通じて書いているという設定だからな 学がない私からの質問なんですが哲学を学んでる人ってソクラテスから現代の哲学者まで大抵の著作を読んでるんですか?
例えば岩波文庫に集約されてるやつとか 仕事で女に責任感を持たすには、どうすればいいですか? 女が責任持てる仕事をやらせれば良い
つまりレイプして孕ませる事
女の仕事は犯され子を生み育てる事だからな >>659
お前も非難しかできてないやん
教養のない人間と話せなかったら教養持ってる意味なくね >>670
おろろろろろw
誰が非難しかできてないのかなぁ?
僕はちゃんと書き込んでますよぉ
覚えたての言葉を無理に使ってまたバカを晒しちゃったねぇw
悔しいのぉw
馬鹿が無理しても急に賢く成れないよ
日々精進してくだチャイw
ぎゃははははははははあははははははあははっはははああはあはははhw >>661
西田もヘーゲルもかたちなきものが、この世にかたちを持っていかに現れるかについて書いたと思うが
問題はこういうことを言うと「形而上学的だ!宗教だ!」と強烈な拒否反応を示してくる人がいて
そういう相手にどう説明すればいいのか
これがわからない
説明してもどうにもならない、体験しないとそもそもわからない何かがあるように思う
といって私も別に強烈な宗教体験をしているわけではないんだけど >>67
その本面白そう
どういう観点から現れ方の記述がされてるんですか?
脳科学とか、量子力学とか、進化論とか?
現れ方のところをざっと教えていただけないでしょうか。 坊主と悪の間にどのような関係があるかは知らないが、
「坊主」と聞くと悪を連想する >>673
安価が>>672だったらの話だけど
西田に関しては基本的に「場所」以降の諸論文になるんだろうと思う
(『善の研究』も同じテーマといえばそうなんだけどまだまだ西田自身の理論が練り上げられていない段階)
「場所」では絶対無というものの自己限定の仕方、乱暴に要約すると一般観念がどんどん特殊化していく仕方が論じられている
もっともこの論文は「述語面」、いうなれば一般的な観念の特殊化の説明であって
それ以降の論考では「主語面」であるところの「個物」と、さきの「場所」で得られた「述語面」の成果とが組み合わされ、自己批判を加えて発展していく
他の学問分野に関連付けると歴史や文化、世界観と合わせて語られることが多い
ちなみに滅茶苦茶読みにくい 読んで直観するしかないだろ
これも体験っちゃ体験だ 坊さんは完全に世襲化された既得権益の象徴的存在だからね
悟ってもいなければ禁欲もしていないし税金すら払っていない
修行を収めて坊主になっている訳じゃなく世襲する為に数年本山にいってセミナー受けるだけだし
そんな家に生まれれば碌な人間にはならないのは当然 >>678
673は672さんへのレスでした、レスありがとう。
なんとなくだけど絶対無の思想を特殊化した観念上の現象として
場の現れ方が展開していくような印象を受けましたが的外しまくりかな? >>681
すまない私の説明がテキトーすぎた
多分違う理解の仕方をしていると思われる
もし興味があるなら『善の研究』や『西田幾多郎哲学論集〈1〉場所・私と汝 他六篇』などを直接あたってほしい
あるいはちゃんと説明出来る人ヘルプ! 大学 2人に1人が行くつまり馬鹿チョン
大学院 上位大以外はカネの無駄 無駄かどうかは何を目的に行くかによる
君の様に目標を見つけることが出来ずに死んでいく無能には一生理解できない
実に憐れな猿だ…… >>685
ウッキー!
ウキャウキャウキャアアアァ!!
ウキウキムッキー!! >>682
いいえ、説明のせいではないです
むずかしく読解できそうに
ないので、理解出来そうな本を
探してみま一す。 それでハウスダストの問題にはどう対処してる?まさかゴミ屋敷? >>680
いや、別にそういう意味ではなくて、
坊主は"bösartig"だろうという意味のない連想 ドイツ語なんて翻訳会社に依頼してたから読めんし分からん 時間という実体は存在しないという話を何かで読んだ。
物が変化するからそれが時間として見えるだけということだった。
なるほどと思って8割くらいは信じているけど、哲学に詳しい人はどう思う? 取り敢えずハイデガーは時間について語ろうとした挙句に迷走して人生語り出して最後は諦めて未完で放り投げた位に難しい話題 >>694
時間が存在するかしないかは解釈の問題
時間が存在すると考える人が多いけど、時間は存在しないと考える人もいる
空間が存在して、変化が生じる時、時間は存在すると解釈した方が理解は容易
時間は存在せずそれは全て多世界なのだと解釈することも可能だが理解しにくい
世界が均一化された時、時間は消失する 時間粒子を見つければ全て解決するよ
ノーベル賞間違いなしの大発見
哲学で論じるより科学で証明しよう 少なくとも日本人初のノーベル科学賞受賞した湯川博士は時間粒子を提唱した
証明には至らなかったがこれを引き継いで証明出来れば間違いなくノーベル賞は取れる 時間は原子や素粒子のように観察出来るモノではないと思う
多分モノとモノとの関係の仕方なんだと思う
モノとモノとが時間という関係を結ぶときに重要な役割を担う素粒子はあるかもしれない
あたかも目が光を捉えて物が見えるというときの目のように
でもこのときの目=視ることである、とは言えない
やはり一つのモノに還元出来る何か、というよりはむしろモノとモノとのある関係の仕方なのではないかと考えたい 時間とは、反復する現象の観察から推定されて、単位として用いられる曲率円の円周長である。 言い換えられるだけでは哲学上は必要十分条件には満たないしね >>694
時間は物質の変化を脳の中で解釈しているだけで存在しないのかもしれない。
でもそれを言ったら普段モノを見ることすら、脳が本当の世界(?)を勝手に解釈したものともいえる。
だから物質をあると認めるなら時間もまたあると言えるし、懐疑を強めるなら時間どころか物質もあるかどうかわかったもんじゃない。
人間の切り取り方次第だと思う。 時間が存在するには空間と物質が必要
空間だけだと時間は存在出来ない
また宇宙が均一化すると時間は存在出来ない
時間を観測出来ないから
一方で物質は時間がなくても存在出来る
時間は特殊だよ 空間は存在だが、時間は先ずだ
時間は先ずすべきことを認識する 時間が存在するかしないか、とか、そういった議論が
解決する日は来るのですか?例えば「地球は丸いか平面か」
は実際宇宙飛行士が見せてくれた映像で、「地球は丸い」
って一応分かりましたよね?それと同じように...。
それともこれからも永久に「時間があるかないかは個々の解釈次第」
という事になるのですか? 俺の好物・天一のラーメンが美味しいかどうか、
答えが出るとでも? >>709
人類が優先してきた知性に値する理性まで人間を引っ張り上げる学問は哲学しかないんですが、著名な哲学者が哲学的問題で生計を立て、哲学的課題を放置しているのか、出し惜しみしているのか、問題意識すらないのかわかりかねますが、
人類は知的動物のプライドを握り締めながら歴史的なツケを人類の絶滅で帳消しにする未来を突き進んでいるように思います。哲学を義務教育にできる水準がそもそもないので、お察しの通り、個々人、自分の人生観の範囲で会得していくしかありませんね。 相対性理論を完璧に理解してる人は少ないがなんとなくわかる人は多いだろ
それと同じように科学が進歩して時空の謎が解けたとき、うまく説明してくれる人もいるだろ 時間が存在しないとしたら、もう時間なんか気にせず、
生きていけるの?幼稚な質問で申し訳ないがあえて。
m(_ _)m 時間を理解できても時間は大いに気にするけど、時間の概念は気にしなくなるでしょ >>714
もし時間は存在しなくても、我々の生活には時間は
存在するって事ですか? 常識的に考えて、これらの余った時間は貴方のお部屋の清掃に使われるべきでしょう。
あと、お部屋の床の上に無造作に散らかされて、赤福の食べかすや塵埃でダニが
繁殖して、もはや不衛生極まりないゴミの山状態と化してしまっているその書籍群に
ついても、ちゃんと本棚に整列し直すなどして、元通りの価値を復元してください。
あと居住用に設計されている日常の空間をニッチ本で埋め尽くし、不必要な圧迫感を
与え続けるという貴方のその行為は、一般的にはあまり推奨されることではありません。
ですので、頻繁に参照せず床に散らかしたままになっている雑多な書籍群については、
お家の本棚ではなく、HDD上に取り込むなどして適切な場所に移動させてください。
なのですぅ。 >>716
人をバカにしたようなレスはやめて下さい。お願いします。 >>712っていうか、そもそも物理的な時空の次元に従った実証で進歩してきた科学が、時空の謎解きなんぞに進むのかっていう、その方が謎じゃね? >>715初めの存在しない時間と、次の生活時間、君の中でどういう存在なのかは他人にはまったくの謎 時間を発見できれば過去をやり直せる
各々が好きな時間に戻ったり進んだりして皆ハッピーだ
と思ったら他の人間もタイムワープしてカオス状態 空間とは何か?物質とは何なのか?それが分かった時に時間も分かってくる
宇宙の最初は空間も物質もなかった
そこからどうやって空間が生まれたのか?
物質が生まれたのか?
それが分かれば時間も分かってくる 時間という言語や尺度が国によってさまざまで時間を持たない地域もあるだろうに。 太陰暦、なんかがおすすめだけどね。穴場。暦学 暦、規格統一するとズレるな。 質問です、アウトプットされた思考内容が全部疑問符でも何れ
分かってくると予想する行為は、哲学的に何かを答えたことになりますか? 経験論はベーコンだよ
物心一元論はデカルトだよ
定言的命令、仮言的命令はカントだよ
精神現象学はヘーゲルだよ >>726
よく意味がわからないので何か実例をください デカルトのところに一元論とされていますが、どういうことでしょう? >>728
723さんレス(アウトプットされた思考の実例)を読んでいて浮かんだ設問です >>727さんのような哲学書から情報、知識を読書しただけではなく、読破したことで、独自の哲学論考を得られた人いませんか?いらしたら、その考察と結論を教えてください。 初期キリスト教が革命論で、終末が結局こなかったので抽象的な教えに
変わったというような話ってどこかで読めませんか?
↓ここでちらっと言われてて気になったんですが、いろいろなワードで検索しても引っかからず
https://youtu.be/CwqdlLZ9irA?t=2557 >>730
ありがとうございます、わかりました
現段階でわかる限りのことを材料にして
それらを何らかの仕方で統合するような見解を論理的に示すことが哲学的な答えではないでしょうか
新しい事実が出て来たらそのつど見解を改訂していくという注意書きをした上で断定的な口調で語るのが望ましいです >>733
「現段階でわかる限りのことを材料にして、それらを何らかの仕方で統合するような見解を論理的に示すこと」730さんの哲学的返答ありがとうございました。
次に、この答えが一般論として述べた見解ではなく、哲学的に何らかの仕方で730さんが統合した意見の論理的見解であると示すには、「何らかの仕方」が、哲学的に統合したと認められる解説を求め、見解を改訂ていく必要が考えられるのですが、730さんはどう
考えますか?改訂すべき事実と認められる場合、改訂することは可能でしょうか?また改訂の必要はない場合、その理由を説明することは可能でしょうか?可能であれば、質問に引き続き答えて頂けたらと思います。
また、他にこれだという哲学的な答え、または、異論があれる人は教えてください。 >>732
長い動画だからちゃんと見てないが何分でいってるの?
原書キリスト教ってのは正直実態が良く分からない
取敢えず4世紀にローマの国教と化した時にキリスト教は大幅に編集されて別物になっている
その際にギリシャ神話やローマの宗教を中心にキリスト教とごっちゃにして今のキリスト教の元が出来ている
終末論っていうのは世界が崩壊した後にキリストが再臨して千年王国を作るって奴
しかしその解釈についての主流が時代とともに変わっていく
そもそも具体的な終末がいつくるとは記載されていないから終末が来ないから抽象的になったっていうのは誤謬だと思われ
千年王国について読んでみたら?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%8E%8B%E5%9B%BD 原書キリスト教はユダヤ教の一宗派に過ぎない
その頃はユダヤ教の宗教改革をイエスは行おうとしていたと言われている
でイエスキリストは活動的で暴力的な面があったみたい
そして古代のユダヤ教やイスラム教の指導者っていうのは基本的に軍人であり政治家
だからイエスも当時はかなり過激で危険な人物だとユダヤ人の間で思われていたんじゃないかと
だからそれを支持する人たちにしてみればそれは革命思想として支持されていたんじゃないかなぁと
それでユダヤ内の権力闘争に敗れて危険人物として処刑されたんでしょうね ローマの国教化とした際には当然革命思想や権力を否定するようでは困る
だから新約聖書を大幅に変更してローマ帝国内で誰もが信仰できるようにつくりかえられている
しかしユダヤ教から続く古い歴史のある宗教だという証として旧約聖書も残されている
だから旧約聖書はユダヤ教の内容とほぼ同じ内容
ユダヤ人の歴史書として書かれている
其処には革命思想というか過激な内容が多く書かれているよ >>736
URLで時間指定してるのですぐ話しますよ
この千年王国というのは知りませんでした、ありがとうございます
今新約読んでるんですが、パウロは自分が生きてるうちにキリストが
また復活するのを前提で話してる感じがしました
今の感覚からするとかなりがっついてる感じがします(笑)
>>736-738
ローマが深く関係してたんですね
旧約はアウグスティヌスが引用している箇所とかはおもしろいんですが、
単体で読むとバカバカしくて読み進められませんでしたorz 私は宗教や信仰は良いものだと思っていますが、
ここはそれは別として...。全ての宗教を無くすことが出来ないのは何故ですか? 無宗教の実態が狂信的な宗教だからでしょ
本気でそれが信じ込まれているところではそれは「普通」であって「無」も同じ だから無宗教
そうじゃなくて自分が信じてるってことを自覚しようとするのが宗教
この信じるってのは目に見えない天国とかじゃなくて今目の前にある世界のことをだよ ビッグバン仮説も科学がそれを訴えてるから科学的なわけだけど
冷静に考えるとあれはあれでぶっ飛んでないか 信仰の自由、信仰する宗教や無宗教、或いは個人が象徴する独自の宗教観念そのものの自由を容認し合ってこそか。 >>740
それは人間が宗教によって団結して他の生物を倒して繁栄してきたから
宗教は本能に組み込まれているから 差別に反対を表明する人も、内心では差別意識があったりするのかな?
所謂社会正義は、表現や行動には出てこない個々の内心にも迫るべきか、
そうするべきじゃないか、どう思います?
「建前で味方するならそんなもの要らない」って意見、
ツイッターでもあるんですよね。
私はというと、ちょっと難しいです。自分の内心までは
理性ではどうにもならないし。内心まで入ってきて欲しくない。 今の世界のムードなら、内心の自由に関しても議論が始まると思う。
内心まで踏み込む。そのための技術も出てくる。 >>748
じゃあ脳に手を加えるのは?予防接種や健診のように
国や自治体で市民に手術を効率よく施していく。
それを世界各国でやる。 何が差別なのか?はっきりしないとこの問題は難しい
区別はいいんだよね? >>750
まあ、「差別された」と感じた人がいたら差別だっていうけど... >>751
ある行為が差別かどうかは受け手次第ということか? 左官、土木、運ちゃん、ライン工、営業サラリーマン
これらをしてないときは凄まじくガキだよこいつらは。 風呂屋とかで入れ墨の人の入浴禁止は差別かな?
入れ墨の人が差別と考えたら差別? >>756
犯罪を犯した者には刺青を入れる
これは中世において多くの国で採用されていた
それを真似たり刺青を隠す為に更に多くの刺青を入れた犯罪者及び犯罪者を装い他者を脅すヤクザ者
そう言った歴史がある国で刺青を敢えて入れる者を避けるのは当然
ならず者だと公言して憚らない者に立ち向かうのは社会正義であり正しい倫理だ
お前は日本から出て行け
この屑! >>757
刺青に厳しい日本に対する皮肉ととっていい? >>757
何という古臭い考えだ
入れ墨は今やファッションだ >>756
>>756
入浴禁止は区別で刺青の当事者が差別と考えるのは自由 >>761
差別はいけないことだよね
差別は無くしていかないといけないよね >>761
差別を考えることはいいことだよね
差別が起きないようにしていかないといけないよね
と言いたいのかな?なら同意 >>763
さんは、
>>762
さんの
どの部分が引っ掛かったの? 何をしてもいいという訳ではない
それを嫌がる人がいるならばやめるのがモラル
タバコが周りに害を与えるならば吸うな
道端に端を吐くのは見苦しい
人前で見苦しい裸を晒すな
欲情を誘うような裸を路上で晒すな
人を不快にさせ怯えさせる入れ墨を人前に晒すな
悪人に対する嫌悪感・恐怖感を差別というなら大いに差別をするべきだ! 入れ墨をする人間性を肯定するなど冗談を言うな
奴らは糞だ
クズだ
キチガイでありサディストであり犯罪者か犯罪予備軍だ >>767
ごめん、わからなければスルーで
説明するの面倒 >>768
タバコの場合は煙や健康被害という科学・医学的根拠があるからね。
タトゥーはそれが無い。恐怖感や嫌悪感だけ。
でもタトゥー肯定派はタトゥーを愛するなら、この辺境の島国・日本においての
タトゥーと民衆の関係やタトゥーの意味についても
学んで理解を示すべき。決して「ヤクザ映画の影響」だけではない。 それはヤクザも経済活動しているから善人だというようなもの
善人もヤクザと同じように経済活動しているから悪人なのか
断じて違う
恐怖感や嫌悪感を抱いているということ知っていながら
見せびらかせ、脅し、威圧すらから排除されるのだ! そしてヤクザ映画の影響ではなく
ヤクザそのものに!
犯罪者に!!
極悪人に憧れそれを実践する為に入れ墨をいれるその性根!!
だからこそ入れ墨者は排除されるべき存在なのだ! 刺青者が犯罪者だと決めつけてもあながち外れていないよね
まともな奴がいれるわけねーし まぁ、あとは当事者が自分で考えればいいんじゃない? タトゥーに寛容になるべき。
知ってると思うけどこれはリベラル系知識人の
総意みたいなものになってる。
マイノリティ排除は許さないって事だろう。 そうだね
犯罪者と見られ蛇蝎の様に嫌われまともな会社に就職出来ずプールやジム・サウナや浴場で出禁を喰らってでも刺青で相手を脅して有利に交渉を進めたり優越感を得たいなら入れれば良いよ でもタトゥーに関する説明責任はタトゥー肯定側にある。 相違なんてものは政治的な詭弁で存在しない
それこそ個人の意思を無視したものだ あんまり言いたくないけど、「タトゥー嫌悪」が
リベラル系から非難されるのは、それが日本の規範だからだろう。
何故日本のリベラルはいつもこうなんだ...? またマイノリティとは社会的弱者を指す
それは少数という意味ではない
刺青は銃や刃物と同じものだ
それ自体に他者を威圧し脅迫する力がある
そんなものを許すなど狂気の沙汰 そもそもリベラル系とは誰を指していっている
ヤクザや犯罪者をリベラル系といっているのか? >>783
俺がチェックしたのは脳科学の茂木さんとか乙武さんとかだけど...
でもなんとなく解るだろ?「タトゥー怖い」が「偏見」と見なされた以上、
タトゥーは弱者・マイノリティの中に加わった。
タトゥーが怖いって人は自動的に「抑圧者」「強者」となった。 >>784
自動的に脳内変換させるかどうか
の問題じゃない、哲学的には 偏見じゃない実際の経験からそう言っている
そして入れ墨自体が抑圧するものだある以上は」絶対的に悪だ
それは揺るがない そして身体障害をひけらかし
弱者を演じて他の人間を攻撃し暴言を吐き乙武は弱者に擬態した圧政者
こういった悪人こそ罰せられるべき存在
マイノリティを認める事とマイノリティの悪事を赦す事は別物だ
マイノリティであっても悪人・悪事は裁かれなければならない >>787
ようするに実感だよね
で絶対的に悪だと思うのは自由 日本において入れ墨は悪は定説だな
最早覆しようがない常識
言い繕うことなどできない 紋々入れたおっちゃんがジムや戦闘で説教垂れてたら脅迫及び業務妨害で警察に即通報やな 現代日本においてあえてタトゥーを彫る意義を
タトゥーに興味がない・悪だと思っている人に訴えないと
日本で育った人間の多くは積極的に認めようとは思えんで
かくいう私も正直に言ってなんで彫りたいと思うのかよくわからん >>793
タトゥーを彫る意義って言うけど
好き好きでいいよ >>795
少なくとも俺は一緒に風呂なんて入りたくねー おまえらMe-TooとかLBGTと同じ。
入れ墨を入れてもないのに、上から目線で偉そうに言うな。 タトゥーを見せられるのが嫌だっていう人に「好き好きでしょ」って言って
タトゥーの人を認めさせるのもこれはこれで何か違う気がする
内的な思想であればまだしも
タトゥーは見えるもの・見せようとしてくるものだし
なんでタトゥーを彫っている人間側に配慮しなきゃいけないんだ
嫌いな人間にも気をつかえってなるだろ アホだな
入れ墨はダメだからやるんだろ
社会への敵意の表れであり、あるいは反社会的勢力への忠誠の誓いであり、
未来永劫、更生しないことの誓いなんだよ
そういう精神性が無い、ファッショナブルな入れ墨は、消えれば良いよ ファッションで入れ墨を入れただけなのに、なんで就職で差別されるの?とか、怖がられるとか、クヨクヨする人間は、歴史に無知だし、目標が食い違ってるから刺青をやるべきではないよな
あるいは、服屋とか、美容師とか、カメラマンとか、ちょっとヤクザ入ってる開放的な仕事なら、通用しそうだよな >>798
入れるのは好き好き
禁止されている公共の場で見せるのは駄目
って話 いやよくわからん
髪型を変えたり
ペンダントとかを身に着けるのじゃ駄目なのか
ネイティブ・アメリカンとかが一族の誇りとして刻みつけるとかなら何も文句ないんだが 格闘家とか、ヤクザなら通用する
けど、引退して、セールスマンとかのカタギな仕事に再就職することは入れ墨のせいで難しくなるかもしれない
入れ墨を入れることは、オレはこの仕事に一生を捧げるという決意や男気を他人に可視化することだ
それをやるのは、実は、意志が弱いひとだ
それを自覚しているから、あえて、自分を追い込むために、入れ墨を身体に彫り、常に揺らがない意志を他人に見せる必要があるのだろう >>804
いやこのスレに定期的に現れるタトゥーを認めて!っていう人は
どうも公共の場でも許せって言ってるように思えたんで サラリーマンが、結婚したり、マイホーム買ったり、がん保険に入ったり、車買ったり、ゴールドカード手に入れたり
こういうのも、中流のサラリーマンという種族同士が互いに自分たちを識別するための社会的な「イレズミ」であり、他者を排除するためのステータスの誇示なんだよ 風俗でタトゥーある嬢は地雷
死ぬほどやる気ないし手抜きする 識字化された文明においては、イレズミという身体に刻み込まれた文字は、紙上に移動する
あるいはそうした社会では脳の中に知識を刻み込むこと、暗記という脳内イレズミが重視され、さらに、学歴が重要になってくる
身体にイレズミを入れる風習は、識字化されてない世界の名残であり、識字化された社会では忌み嫌われる 社会が入れ墨者たち
つまりヤクザや半グレなどの反社会勢力に乗っ取られた社会では入れ墨こそステータスになるかもな
そんな社会が来ないようにするためにも入れ墨を入れ奴等を積極的に排除していこうぜ
一人怖くてもみんなで追い詰めればヤクザにも勝てる
勿論警察の協力の下でな! 社会が入れ墨者たち、つまりヤクザや半グレなどの反社会勢力に乗っ取られた社会では入れ墨こそステータスになるかもな
そんな社会が来ないようにするためにも入れ墨を入れた奴等を積極的に排除していこうぜ
一人では怖くてもみんなで追い詰めればヤクザにも勝てる
勿論警察の協力の下でな! 入れ墨・ヤクザ排斥における哲学
初めて哲学を用いた本当に有意義な議論になったと思うわぁ オレの見立てでは、
社会の中で入れ墨を入れてる人に対する風当たりが強くなってるとしたら、
それは、中流階級という部族自体のよって立つべき価値観や、アイデンティティが揺らいでるからだと思うな
自分の存在が不安だから、入れ墨を入れるような底辺層を弱いものイジメするんだろう
つまり、中流階級は、中立で、透明であり、普遍的だと言えなくなってきており、自分の特殊な部族性があらわになりそうなので、
矛先をずらすために自分以外の階級の部族性や、野蛮性を強調する必要が増したのだ じゃあもっとハッキリ言ってやる
ヤクザってのは元々brkやzintがなるもんだ
入墨を入れてるって事はヤポン人じゃないって事を表明してるんだよ
そんな穢らわしいルーツを持つ奴らと一緒に居られるかって話
分かったら日本から出て行け 世間一般で使われている常識という概念と
哲学の常識はどう違いますか? うん
そして知った
常識を問う事自体がタブーだと
常識とは日々の生活で悟るもの
問うた瞬間にこいつは常識を知らない人間だと確信されてしまう 物事に対する視点・価値観の違いから同じ物事を見ても解釈や理解が異なる事
それによって意見の相違が生まれお互いに何故こう理解出来なかったのかと思い無理解な事を指してお互いがお互いをバカだと思う事 男女だけではない、「性の多様性」。今後我々が
考えていかなければならない事って何でしょうか? つまり哲学的にはセクシャルの多様性というより人間性の多様態について考えていかなければならないでしょう。 セクシャルバイオレットNo1とは、どういう意味ですか? セクシャルバイオレットNo1の人にしかわからないという意味です >>852
大昔の歌
これを知っているのはジジイかババア 日本はカネが物を言う資本主義社会の国だったのです。
そのため各々人がそれぞれ好き勝手に過去に戻ったり未来に進んだり
してしまって、とても大ざっぱな状態となってしまいました。 >>851
性的少数者を自覚した時点で、そのパーソナリティを「ノーマル・異性愛者」に、ある意味「治療」できる方法があったら?性的少数者の
社会はどのような選択をすると思いますか? ホモサピエンスサピエンスにしか理解出来ないのです。 >>851
貴方の想定した社会は既にセクシャリティの選択肢のある社会です。
性的少数者の社会に属する人が自身のパーソナリティを
性的マイノリティーなパーソナリティで障害があるか
パーソナリティが性的マイノリティーで障害がないか
人によってどちらと判断するかで
少数派が存在しない社会か、少数派がそのまま存在する社会か
性的少数派によって社会は選択されていくでしょう。
つまり、性的少数者の社会はどのような選択をすると思いますか
という想いに沿って言い換えると、性的少数者の社会に居る人の
意思を尊重する人間を社会は人間社会として選択するでしょう。 皆さんは階級がある社会には否定的ですか?
肯定的ですか?昨今は差別というものとイコールとは言わないまでも、セットとして語られる事の多い「階級社会」ですが...如何でしょうか? >>867
そうねぇ、階級社会の経験がないから
どういう感覚のものか想像できないねぇ。 >>870
インドは制度としての階級だね。
文化としての階級、制度としての階級、
階級といっても色々あるよね。 何の努力もせずに責任もとらない貴族がいるっていう社会人は無理だなー
でもだからといって例えば軍隊に指揮系統、会社に役職があってあれはあれで機能してるし
あらゆる意味において階級がない社会は逆に不便そうだ 幸せ・幸福についての質問です
幸せとは、「その人自身が決めるもの」でしょうか?
それとも、「その人以外が決めるもの」でしょうか? 怖い話なんかで犬や猫などの動物が誰もいないとこに吠えてたり、誰もいないはずのところを怖がって通りたがらないみたいなシーンがある。
仮に幽霊なるものがいるとして、犬や猫にとって怖いものなのだろうか?見知らぬ人間や見知らぬ動物を見たときと変わらないのではないか、と。
人間は幽霊によくわからない未知の恐怖を感じるけど、もし幽霊が見えたり、正式(公式?)に存在を認められたりしたら、危険なものだったとしても、今とは違う
熊やライオンなどの猛獣や猛毒を持つ虫などに感じる恐怖というか危機感のようなものになるんじゃないだろうか。
既知に対する恐怖と未知に対する恐怖?
何が言いたいのか自分でもはっきりしないけど、そんなことをふと思ったのですが、どう思いますか? >>873
その人自身が決めるものだと思います。
他人から見て幸せに見えても、それは幸せそうなだけで実際のところはわかりません。
たとえ不幸に見えたとしても実際のところはやはりわからないように思います。 そもそも資産家と貴族の違いはなんだ?
資産運用だけで生活できる資産家に責任はあるのか
また寺を世襲で継ぐ坊主の息子は代々税金すら払わずに努力もなく生きている
階級というもの身分の低いものに対して犯罪を犯した際に刑が軽い社会
中世と現代にそれ程多いな差があるとも思えない
現代でも資産家は犯罪を犯しても良い弁護士を雇い、示談、社会的地位を用いた脅迫等によって責任を負うリスクが低い では、幸せとは、「その人以外が決めるもの」というのは、「間違っている」のでしょうか? >>874
家には犬がいますが、そういう事しょっちゅうですね。霊的なものに反応してるのかも!?
なんて思うこともありますが、人間にはなかなか知覚できない犬ならではの嗅覚なり視点なりが認識したものに対して反応し、吠えているのかもと思います。
幽霊の存在が明らかになったら...?我々が感じる「幽霊に対する恐怖」は多分全く違うものになるでしょうね。危害を加える存在なのか、
ただ現れるだけなのか、わかりませんが、
幽霊というヤツは遭遇したら何をしてくるのか?によっても我々の反応は違ってくるでしょう。 >>876
資産家の事、世襲の僧侶の事、私の周りにはいないので分かりませんが、本当にリスクも苦労も負わずに努力も必要なく生きている人たちなのですか? >>873
幸せは巡ってくるもんだと思ってればいいよ 幸せについてですが、
どうなんでしょうね?私も自分自身で決めるものと考えてますが、それにしては「幸せとはかくあるべし」的な事を言う言論人が多いですよね。また、何処かへ旅して「彼らは幸せ」みたいな事を書き、我々と比べたがるエッセイストとか。幸福指数とか。 「いい学校出ていい会社入って出世して。これが私にとっての幸せです!」なんて言った日にゃ・・・「それは違う!!」と集中砲火を浴びるよね。何でだろうか?もしかしたら、文学的な幸福規範みたいなものがあるのかな?なんて。 それは自分の意見を他人に押し付けたい人が結構多い、あるいは人間には共通性があると考えているから
で、その事自体は幸福とは関係ない
それからもし幸福はその人次第という事だと、その事からして既に他人と議論できないという話だね 受動意識仮説ってあるけど、そこで意識が生まれたのはエピソード記憶を行う主体を必要としたからって、これエピソード記憶を行える他の動物にも意識はあるってことにならない? それはそうでしょ
犬だって意識はあるでしょ
人間とは違うだろうけど 意識:自分が現在何をやっているか、今はどんな状況なのかなどが自分でわかる、心の働き。 自分に意識がある事は分かるが、他人に意識があるかは厳密には分からない
しかし、同じ人類である事、また他人に意識が存在しているように外見上見える事から、他人に意識があると推定しているわけだ
その意味で犬に意識がある事は外見上推定できる
人間の意識とは違うだろうけど 他人の意識があるから自分の意識がつくんじゃないの? どういう意味?
無人島に行くと自分の意識がなくなる? 他人の意識があるから自分の意識がつくんじゃないの? 他人の意識があるから自分の意識がつくんじゃないの? 意識はなくても問題ないのに何故あるのか、そしてどこから意識は生まれるのか 外見上意識があるように見える条件とは?犬に意識があるとして、魚や虫にはあるのか 1: 無 職 が 哲 学 (112)
2: 禊健太郎(波平)、来年で40歳職歴無し (163)
3: ■■□ おら 働いたこと ねえだ〜 □■■ (116)
4: 無 職 の 哲 学 (53)
5: ■■ ネトウヨはなぜ無職しかいないのか?A ■■ (588)
6: ものすごい勢いで誰かが質問に答えるスレ (898)
なぜこの板は
無職ばかりなんですか? 知的はまず周辺住民に無職のままで居ていいかを問うことからだよ >>879
貴族が何のリスクもなかったのかどうかだってわからない
少なくとも王様だって暗殺や革命があり
後継者争いだってある
武士なんか主人の気分を損ねたり政治的闘争に勝って巻き込まれて切腹すらあった
戦争があれば貴族は率先して戦場に出なければいけない
生活の糧の為に労働しなくていいし戦場に行っても一兵卒として前線で使いつぶされないという面から言って
貴族は民衆より努力する必要もリスクも少なかっただろう >>872で書き込まれている
>何の努力もせずに責任もとらない貴族
というのが具体的にどういったものを想定しているのかが分らんから何とも言えないけど
どんな人間だって何かしらのリスクは背負っている
それが社会において相対的にリスクが多いか少ないかの違い
それを本当にリスクを背負っていないのか聞けば誰も彼もがリスクは多少なりとも背負っている
では
>何の努力もせずに責任もとらない貴族
とは誰なのか逆に聞きたいくらいですが?
貴方は此処まで言わないと分らない大馬鹿ですか?w 50億人いれば50億通りの人生がある。
確かに「労働者」「特権階級」「資本家」
そして「弱者と強者」等々の分類をしなければ学問も社会運動も出来ないのかもしれないし、
「正義」を掲げる名目も立たないのかも知れないが、人も社会も多様だし、みんな何かを背負って生きているんです。 背負ってるか背負わされてるか知らぬが仏で生かされるのが一般階級ね 現代において哲学は役に立つのかね?
自然科学だけでよくないか? 役に立たせるっていう観点から言うならば
専門の異なる学問の間で通用するような概念ないし術語を提出するというお仕事はある
最近の日本の哲学研究者は自分の専門とする哲学者の解釈に引きこもってるけど 日本の哲学の学会発表は、「現代◯◯におけるカントの××的解釈について」みたいな感じで、何かお題を自分得意な古典的哲学者の流儀で考えました、みたいなのばっかりでしょ?
哲学者のはずなのに自分のオリジナルの哲学なんてないよね >>909
哲学者が他の学問で使える用語とか概念を考えたという
何か具体例があれば教えて >>911
すっげー古い例だと「実体」という語とかアリストテレスの四原因とか
(というかアリストテレスの書いたことはほとんどあらゆる学問の術語の基礎になっている)
アリストテレスを例に出すのはちょっと反則な気がするので近代だと感覚与件とかもそうかな?
デカルトの二元論(デカルト自身が言い出したわけじゃないかもしれないけど)とかも
ほとんど共通語的に使えるようになってるよね ああヘーゲルの諸々の語も哲学的領域以外でも使われるよね >>910
横からレスしますが、本当にそうですよね。
「哲学者じゃなくて哲学学者」なんて言われてしまう。もしかしたら、あくまでもしかしたらですから怒らないでいただきたいのですが、
日本においては西欧人の概念としての「哲学」
は元々必要なかった。とは言えませんか?
そう考えてる方、いませんか? >>914
同じようなことを考えたことあるけど
これだけ学校教育が西欧化されている現代日本だと
もはや過去の日本とまったく同じではないので
「元々必要なかった」ということが正しかったとしても
結局今現在は必要、というか少なくても「哲学があっても良い」レベルにはなっちゃってるのでは 哲学学ではいかんとか言うけどそんなこと言われても難しすぎてできねーよ
まず全くオリジナルで独創性ビンビンの問いを立てなさいなんて言われても無理だもん 言語分析哲学とヘーゲルカントヴィトゲンシュタインハイデカーなんて興味深そうだけど。 独創性とかそういうことじゃなくて世間の皆さんはヘーゲル的な壮大な哲学体系を求めてるんじゃないの? >>912
自分の問題意識は「現代において、哲学は学問として役立つのか?」という問いなのでアリストテレスの話はピント外れと感じる
感覚与件は聞いたことない
調べてみるよ
デカルトは現代じゃないから、自分の問題意識と違う話なんだよなあ >>913
弁証法とかですか?
自分には詭弁にしか思えないがなあ ハイデガー(もしくは懐かしのヤスパース)の「実存」等の言葉は文学や心理学に使われまくりだな >>922
文学は学問じゃない、とは思うが
心理学で使われているのか...
それは知らなかった >>912
感覚与件は哲学で使われる用語であることは確認したが、他の学問だとどんな学問で使用されてるのか不明だった 心理学て本当に客観性を誇っていい学問なの?
「君にはアドラー心理学がしっくり来ると思うよ」なんて言われて薦められたが、「...しっくり来る??」 「役に立つだけの実学ばかりが学問ではない」
って啓蒙活動、理論物理とかの業界とも組んでキャンペーンやってるじゃんか。文化人にもそういう事しゃべらせてさ。 精神/心理は面白い分野だけど、学ぶのに時間がかかるから、うまい社会的編集
や、カリキュラムの指貫、体験の短縮が重要な分野だろうね。 さっきね、トイレにみかんの皮おいてあるけど、気持ち悪いから捨てて!!っていわれたの
どうしてみかんの皮がトイレにいると気持ち悪いの? ぺこたんとか正直めっちゃ見下してた
子供もっててうざい
でも姑と同居して仕事させられ、家事させられなんて奴隷みたいな生活耐えられない
よく気も効かない夫とへんな姑と生活できるな
あたいには無理やわ低給与のへんな旦那と金魚の糞みたいな義母の介護とクソガキ >>923
フランクルとか日本だと木村敏とか
学派によるだろうけど使っているね >>925
客観的というより間主観的というべきかも
あれは現代文化を共有していない未開人に施しても意味がないと思う >>929
例えば国立大学だったら国民の税金を使って運営してるのだから、学問として価値のあるものを研究しないといかんよね
そういう意味で哲学を研究する意味あるのかな?
というのが疑問に思ってる
個人の趣味とかなら構わないけど >>932
うーん
すごい微妙な話になってくるなあ
学派の一部が使ってるということね しゅっしゅっぽっぽしゅっしゅっぽっぽ ぽっぽー
自演電車への、ノレノレ詐欺にはご注意くださーい
ぽっぽー 進化の観念のネタ元はダーウィンというよりもスペンサー
スペンサーというよりもヘーゲル
ヘーゲルというよりもシェリング、とか言っても「うーん」って言われそうやな >>937
自分はウォレスかダーウィンかと思うけどね
それらの先駆者がいなかったらダーウィンまたはウォレスは進化を思いつけなかったというと、そんなことはないと思う
彼らは自然観察を元に進化を発想したから >>937
しかもダーウィンからしてもう過去の話で現代の話ではない
出来れば現代の話で何かないものか?
何かないの?
誰でも知ってるような話で
言われてみると、あーなるほど、みたいになるやつ 頭にのるな、のせるな のるな 詐欺電車
しゅっしゅっぽっぽっしゅっしゅっぽっぽ ぽっぽー^^ クオリアがワンチャンあるかな
本当にここ10年とかの話ならもう知らん >>941
成る程、クオリアはよく聞いた
ありがとう
調べて見るよ
ここ10年は厳しいでしょう
例えばここ20〜30年くらいで、もしあれば
他の学問分野で言うと、青色ダイオードとか、iPS細胞とか「おお、それ役に立つじゃん!」みたいなのがあれば知りたい 愚痴ばっかでこいつまじでうざいわとおもってシカトしてたら
グループトークから他の子から様子伺いがきた。。
あいつともう関わりたくないけど、このことの縁は切りたくない時ってどうすればいいんだろ? 回送転がし試運転中^^
しゅっしゅっぽっぽしゅっしゅっぽっぽ ぽっぽー^^ 精神/心理は面白い分野だけど、学ぶのに時間がかかるから、うまい社会的編集
や、カリキュラムの指貫、体験の短縮が重要な分野だろうね。 >>941
クオリアは成る程哲学で提起された問題だね
既存の科学の限界というか、科学で扱えない問題を示したという成果があったね
なるほど >>948
関西人って短気だね 朝鮮人かよw
あっ遺伝子は同じか(笑) 道府県別朝鮮人人口(1940年) 典拠:内務省警保局『社会運動の状況』、総理府統計局『国勢調査報告』
01 大阪312,269
02 福岡116,864
03 兵庫115,154
04 東京87,497
05 愛知77,951
06 山口72,700
07 京都67,698
08 北海道38,273
09 広島38,221
10 神奈川24,842
11 岐阜20,093
12 長崎18,144
13 静岡15,726
14 岡山11,887
15 福井11,725
16 三重11,660
17 和歌山11,298
18 山梨9,514
19 奈良9,232
20 佐賀8,693
長野8,152
大分8,046
滋賀7,792
島根7,146
熊本5,699
福島5,549
愛媛5,506
宮崎5,476
石川5,169
千葉4,886
埼玉4,884 ★各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…西南九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側 ぶっちゃけクオリアは昔から言われてきた「心」だの「観念」だの「質」のことなんだけど
科学的観察方法においてまっさきに度外視されたそれらをそのまま論じても
ドグマティズムに陥り視野の狭まった科学者は話を聞いてくれないから
新しいいい感じの装いにした言葉をでっち上げたというところがある >>952
新しいいい感じの装いが
ぶっちゃけ君の標準
クオリアだからじゃねw さすがにクラリスは安物感が半端ない
せめてソラだろう よっぽどぶっ飛んだ考えの持ち主でもない限り双方の言説のどこかの部分には同意するでしょ?
どっちか一方が一〇〇点満点で他方は〇点っていう捉え方は刺激的かもしれないけど
現実的じゃない >>970
言説に同意できなければ
できない解説するかスルーだね
現実論語り合いたいわけじゃ
ないし。 >>972
掲示板で示し得る哲学的見解だけかな。
他人がそれをどう解釈しようと自由だし
こっちも自由に哲学する。
基本名無しさんと語り合ってるというより
書き込みを哲学するわけよ。 >>966
そりゃあ唯物論ですよ
自分は唯物論でしか考えられない
人間の思考も脳という物質があるから出来る訳で 物質とは何ですか?物質であるものとそうでないものの違いは? 物質の「物」ってモノでしょう。モノとは、何か得体が知れないこと。
すると「物質」は、得体がしれない何かの性質、
あるいは何かの性質を帯びた得体の知れない何か? それでも「物質」があることを重要視するなら、実際に重要視している
のは「物質」ではなくて、「何かがあること」であることになりませんか? 物質は機器によって測定出来る
あるいは今は測定できなくても将来的には測定出来るもの >>978
それで唯物論と観念論の
どちらが正しいかは君が
決められるならそれでいいよね 逆に観念論で世界をどう捉えるのか?
理解に苦しむ
そりゃあ観念論が誕生した時代なら真剣に考える価値はあったと思うが
もはや現代において観念論で世界を理解するのは困難だろ >>981
困難だから
唯物論でとりあえず妥協する
それはそれで有りでしょ
別に哲学者じゃないんだし。 >>981
科学は量子言語という観念論をベースにしてるらしいよ。 己が部屋の床を下らない書籍で荒らしていると神罰が下るぞ
と言いながら豪華な本棚に書籍を整列させるとかだから
もはや現代において観念論で世界を捉えろというのは困難だろ >>984
そうなるぐらい困難だったのは了承した。 >>983
それは量子を元にして世界をどう解釈するかというだけの話で別に物質を否定しているわけじゃない >>982
現代の哲学者で真面目に観念論の研究している人いるのかな?
もちろん哲学史としての研究価値はあると思うけど >>991
研究対象を終えて哲学者にとっても
一般人にとっても思考の用途になってる
だけじゃないかね。 純粋な唯物論研究している人って
自分が行ってる思弁についてどう考えるの? いや脳の生物学的機能やその副産物として思考を認めるんだろう
唯物論者だからってまったく精神とか排除するわけじゃないぞ 下手な鉄砲も数撃てば当たるというが、その鉄砲玉の物量が物質。
でも、鉄の玉を筒で方向性を与えて火薬で飛ばすという観念が
なければ、鉄の塊から鉄の玉を作ることもない。 考えるのは面倒くさい、私は鉄砲玉として評価されたい、という人は多い。 このスレッドは1000を超えました。
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