「時間」を考えるために、いろいろ実装しながら探求している。
哲学的手法として圏論のようなものを使えるかどうかを、なぜか、圏論を実装しながら考えた。
「圏論」は、「自然」に理解するための言語である。

ビッグバンを考えるなら、「時間」には「始まり」がある。
「始まり」以前というものは無いのだが、われわれの時空間から、それを導き出すとすれば、
「虚時間」という扱いになる。(少なくとも「虚時間」には異なる2つのものがあるので混同しないように)
「虚時間」のほうが本当の時間wであり、われわれの「時間」のほうこそが「虚時間」であると
考えてもよい。考えるのは自由だ。
そう考えたほうがおもしろい。

われわれの時間が「虚時間」であるならば、その「虚時間」を組み立てるための「情報」が必要になる。
ホログラフィック理論によれば、この「情報」は2次元上に記述可能なものだ。
ここまでの考えで、見過ごされたものはなにか...というと「組み立てる」ということであり、
誰が何がどのように「組み立ててている」のか。そこが問題だ。