新価値論
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現代において価値は転倒を見た。ニーチェの言葉に代表される神は死んだと言われるように
価値は最早、高みを目指していない。中世では暴力の対象であった子供的価値が再認識され、
多くの社会で脇役的な女性的価値が社会の中心になり、大正天皇が即位し障害者のほうが
エリートとなったり、障害年金を与えたり街の形を作り替えたりする障害者的価値が生れた。
血統で決まるのではない。名も無い人の選択で決まる世の中なのである。
災害時に困ってる人を助けるボランティア的価値として認められている。
お金を高く積むのではなく、貧乏な子供たちの施設にオモチャを送ることが慈善の価値がある。
奴隷民と思われていた黒人の大統領が生れた。
贅を尽くした高級品ではなく、大衆の為に作られたリーズナブルな価値が高性能で最も価値がある。
価値は最早、高くない。価値は低いほうが最も価値があるのだ。 意志の決定は価値観と統一により説明される
我々は重要な場面で何をどうしたらいいのか分からないということが多々ある。何らかの意志を表明しなければ
ならないのだが、これは価値観と統一により説明できる。
問題が複数ある場合、この場合、問題が複雑過ぎて解決できないのだが一つ一つにしてみたり、複数のものを
統一することで解決することができる。統一の方法というのは何らかのカラーで一色にする統一の方法、一方を
先に片づけて他方を後に片づける優先の方法、ある目的の為に一つになるという合目的の統一の三つ統一の
方法によって問題を単純化することができる。意志の決定は統一だけでは不十分である。ここには魂がなければ
ならない。統一は何の為に一つになるのか。美しい為なのか、正しい為なのか、善の為なのか、或いは、醜い為な
のか、不正を働く為なのか、悪を成す為なのかを決めなければならない。価値は反価値もある。私は警官や裁判官
ではない。価値を決めるのはあなたに任せよう。 世間では統一も合目的も選挙も全部、統一的なことだと考えられているのだが、全部、統一だと用語が
ゴチャゴチャになるよな。総称する時は統合程度に呼んでおこうか。 金の卵を産む鶏の寓話がある。鶏が金の卵を毎日、産むので中身を見れば、黄金が沢山あるに違いないと思い
腹を裂いたが臓器しかなかった。女はそれから金を手に入れられなくなったというバカな女の話しだ。
だが、この話は一体、何を意味していたのか。金を産み出す鶏の中身を見てはいけないという禁止をする話しなのか。
この女は何者なのかを考えてみよう。この女は鶏の内部に価値が内在すると考えていたので貧相な実証主義者
であった。自分の目で見たものしか信じないのだろうが、鶏の中身の価値なんて全然、興味がなかった。この女は
黄金のコレクションをしたいだけだった。鶏の真の価値を知らない女は黄金を産む鶏を肉ぐらいにしか思わなかったのだ。
さて、黄金を産む鶏は何物なのか。この鶏は体の内部に黄金を生み出す仕組みを作り上げ黄金を安定供給するシステム
を持っていることも価値があるが、人に黄金を与えることで意味が生まれる。つまり、豊かさや繁栄などが約束されるはず
だったのだ。そうならないとおかしいんだ。黄金を産む鶏を繁殖させて一杯、黄金を産ませようとか、考えないほうがオカシイ
んだよ。何故、鶏の価値を理解しないのか。そういう訳で、この女は価値ある鳥をトリニクにしたって話しですね。 統一の理性は悟性の働きがないと何も考えることができないようなので、悟性の様相のカテゴリーも補助輪と
して与えてみようと思う。様相のカテゴリーとは現実、可能、必然である。
現実的な統合の価値というとこれは様々言葉で言い換えられる。自分の手にできるものであったり、経験でき
ることであったり、実体験に基づき神秘的なものや迷信を排除しようとするもの、それとか現実に利益を生む
功利主義的な考え、実証主義的価値価値観、こう言ったものは現実のことを考えようとしなければ全然、こう言
った世界で価値を得ようとは思わないのである。
可能的な統合と価値はカテゴリーだけでは考えられないものを生み出す。可能的で理想的な何かを考え出す
ことができるようになるのだが、妖精などを作り出すことがある。可能的で理想的なものは世界も存在すると信じ
る人もいる。だが、ゲームなどの可能世界の多くは現実世界の模倣に過ぎない。キャラクターや性格や好きな
ものや口癖など精密に作り込んであったり、破滅的な物語から世界を救う救世主を出現させて価値を上げてみ
たり、物語の数だけパターンは存在する。小説や物語なども、この価値なのだ。
必然的な統合と価値が合わさると必然者の概念を生み出す。ここから生み出される価値は何かというと、道徳心
や神の概念である。道徳を知らない人もいるのだが、必ず守るように命令するものなのだからだ。道徳は別の
世界に実体が存在すると信じる人もいる。道徳心は異世界まで届くと考えられている。必然の統合と価値が合わ
さると世界を越える力がある。また、必然の統合と価値が合わさると神を崇拝するようになる。世界は必然なもの
で統合されていることに気付くだとか、世界にある物質を神にまで登りつめさせ万能化させるとか、天からやって
来た人間以上の存在がいるとか。まあ、天の上は宇宙だから、天からやって来たら宇宙人からやって来た宇宙人説
なんじゃないか。必然の統合と価値は道徳や聖価値を生み出す。 エジプトの神話は空から神が飛来したという伝説がある。空の上は宇宙なので、エジプト人の祖先は宇宙人です。 眺美とエロス(下ネタ)の違いについて
眺美は眺めてるだけで満足する美である。眺美は急いで作った造語なのだが、これに当たる語が美という意味で
使われていた。何でも美ということで話を進めると、用語がゴチャゴチャになるから、他と区別する為に新しい意味を
作った。眺美は花や美術品や彫刻やSEXをしない女性は情念だけが湧きたつ理想を与えるものたちである。可愛ら
しいフリル、偉人が書かれていたり、なだらかなカーブを持っていたり、綺麗な顔をしていたりする。眺美は全く手に
入らなくて問題がない。美しい花が咲いていたら、眺めるぐらいで丁度いい。だが、この花たちに何事かをしようとは
思わないものなのだ。眺めるだけで放っておく美しさなのだ。こういう美しさのものは見るだけで放って置かれる運命
を持っている。
エロスも美の一つなのだが、歴史の古い神格化のあった概念でもある。神話の時代にあって天と地の間にエロスが
仲介し、世界を生み出したという昔ばなしがあるぐらいです。エロいなと感じるものに何を思うのかと言うと、生ませた
いなという感情を起こさせるものだろう。エロスが堕すると売春や下ネタが発生し、エロいのだが子供が生まれなかっ
たり、行為の最中に笑ってしまったりすることになる。
エロスで注目すべきなのは女性を理想とすることができるということだろう。他の理想のような世界平和とか正義とか
人間の一度きりの生を考察するとかではなく。エロスの理想には女性の問題が重要な課題として残っている。 下ネタが善行を働く
下ネタというのはエロスの理想が堕落した姿だ。それが善行を働くというと理想が二重ではないかと思うだろう。
まあ、そう堅いこと言わずに下ネタが善行を働く話しをしようではないか。
下ネタを笑う女性は親密度がアップする。エロスを引き下げて笑うのは堕落した行為なのだが、またに下ネタを
言って遊んでるぐらいだと好ましいものだと思われる。人間関係がとても良好になる。だが、エロスの高くない人
が下ネタを言っても嫌われるだけなのだ。
今、コロナウィルスが流行っていて女性が解雇されているらしい。解雇されても雇止めで再就職だできないそうだ。
シングルマザーが子供を食べさせる為に普通の女性だったのに売春に身を落としているそうなのだ。子供を食べさ
せる為とか学費を稼ぐ為に仕方なく売春をするなんて、不正なんですが、何だか良い話しに聞こえますよね。 悪の形而上学について
価値は反価値もあるので一応、分からない人の為に書いておこう。
我々は物質を考察するにあたり、物からは数学や自然科学ぐらいしか与えられないとされている。
物からは悪という概念を思い付くことはないのである。経験上、物から悪の原因が思い付かないこと
から、すぐさま魔界の存在が明らかになる。魔界は物質の裏側から、悪の心を与えているのである。
我々は悪の心を持っていないと、魔界にある悪の本質的な実体に至ることはないと言えるのだ。
悪の心を持っており、善の心が混じっていると悪の核心に迫れないのだ。 文化の進歩と道徳性(大森一三著)がカントを扱ってるとてもいい本らしいので早速、購入してみたよ。
まだ、読み途中なんだけど、文化と道徳のアンチノミーか。これだとムリかもしれないな。
何故かというと、文化や道徳と言うのは全体を表す用語だから。だが、我々には文化や道徳の全体像を理解
することは不可能だ。どこかに文化と道徳で上手く道があるかもしれないからだ。きっと、あるはずなんだが、
全部、見ることなしに言い切ることは不可能なんだ。アンチノミーと言うのは普通の概念だと妥当するけど、
全体を指定する用語になると途端に破綻する危ない用語なんだよ。
だが、カントに隠されたアンチノミーがあると言うから驚いたね。思わず買っちまったよ。 文化と道徳のアンチノミーか。そうだなあ。
中川翔子のような腐女子と体育会系の先輩後輩のノリのアンチノミーと言ったら、絶対、相容れないよな。
アンチノミーの問題点というのは人間には全体を把握することができないということ、
それと、全部探せば世の中には解決する所が一つはあるんじゃないかってこと。
全体の概念を指定すると絶対に無理らしいよ。 文化と言えば、ハリーポッターの半分純潔のプリンスがセクタムセンプラを開発したんだけど、
光と闇に引き裂かれた男の作った魔法は人を壊す目的にしか使い道がなかった。
魔法に優しさがないよね。結局は、半分純潔のプリンスは光の陣営を裏切って、自分も殺される
運命にある。それが壊しに魅入られた人の宿命だよね。裏で生きるのは筋を通すことだから、
半分は殺される運命にあるんだよ。 文化の進歩と道徳性は実に面白い本だね。文化は道徳的でありながら、それを壊しもするというのが本書で
書かれている序盤の山場だよね。その後、文化の分析に入り、道徳を何故か宗教に丸投げしている形になっ
ている。何故、筆者は人間の理性の限界内で議論をまとめ切らなかったのか本当に疑問だ。まあ、こんな人
も世の中にいますよ程度の参考程度に見ておきたいのだが、発想は分かりましたね。もっと、すごい神を用意
して、道徳を強化して、文化を押し切っちゃった形ですね。 本当に疑問なのだが何故、筆者は道徳を理性の限界から外して宗教なんかに渡してしまったのか。
道徳に必要とされる理性は主に善でなければならない。理性を省略してるような神と言われるような存在では
何事も知ることはできない。神が許したら、悪いことをするのかということだ。善の心を持ってる人は神の
命令でも嫌だと言う。神の禁じてないことは平気で行うのか。可哀そうなど人の心があったら、やらないことも
ある。 善悪を分析することは理性的判断力に寄って可能だが、人々が善を選ぶ理由は
理性によるものでは有り得ないということだよ
要はそれが正しいこと善であると認識できていてもそうしない者が
大勢いるのはどういうことかという話だ
これは結局のところ各々の人格によるとしか言いようがない 正しいという理想は主に気持ちに問題ですね。正しいは気のせいです。
許可があれば、あなたは人を殴ったり、殺人をしたりするのか。
確かに、する人もいる。格闘家や警官などは平気で人を殴ったり、殺したりする。
警察官は現職の警察官に逆らったら、殺されて当たり前ではないかと正しいと言うだろう。
自分は偉いんだと差別意識を持って、暴力を振るうのが正しさの終着点なのだ。
一般人にはこういうことって言うのは全然、無縁であって、気持ちが正常であれば、それでいいぐらいのものだ。
正しいという理想は人を救うということは全然、ない。人を倒すようなものだ。
あの人たちの言うことを守らないのは普通ですね。見習うのは神経が変な人だと思います。
善は情もありますよね。そういう次元の話をしてますか。私は善い話しを聞きたいですよ。お涙ちょうだい的な話し
とか好きですよ。善い人はたまに見ますよね。ダレノガレ明美を例に上げるんですが、あの人は動物が好きなん
ですが、迷子の動物の情報を有名人の知名度を使って情報拡散してあげるんですよ。資金の足りないペットショ
ップに募金を呼び掛けてあげたりしています。それと、病気の猫を拾って来て自分のペットにしてしまったこともあ
るんです。最早、善人と言うより聖人のような感じですがね。まあ、大変、善い人ですよ。
善い人を決めるのに宗教
は頼りませんがね。 人々が善に従うということはどういうことかを考えよう 何を言わせたいんだい?人々?観念の構造物を作る遊びの真っ最中だったんだけど、付き合おうか。
そもそも、人々ってのが怪しい議論なんだが。何か扇動でもやりたいの?
そうだね、善人の言うことに従うなんて普通にあることだけどね。いい人そうだなって思ったら、言うこと聞いてあげるよね。
子供の言うことを素直に聞いてあげるなんてよくあるよ。
ひょっとして、違うこと聞いてる?道徳的だとか、宗教的だとか。 善の分析
善は人情、第一原因が大体の出所だ。善は理性なのだが、理性の最上位には考えでは動いていないような
心が乗っている。これが我々を機械のようにしない歯止めなのではないかと思われる。人には善い行いをせよ
というのも、ある種の人情だと思われる。ご機嫌が良くなりますし、善い行いをするってのは気持ちのいいこと
ですしね。その手の人情です。
善は第一の原因というのも善いものと考えている。親孝行などは善いことだと考えている。哲学者が神を
信仰はしてはいないが第一の原因として認めているのは善いことだと考えている。お金を貯蓄するのは善い
ことだとか。体を大事にするのは善いだとか。 文化の進歩と道徳性は大変な名著のようだね。宗教論で嫌な感じなんだけど、後半部に善について書かれているね。
これはとても参考になる本だね。
アンチノミーのどっちの論に肩入れするのか目が離せない。まるで、批評界の吊り橋効果みたいだよ。
分析は得意みたいだけど、綜合のほうはどうなんだろうね。やっぱり、カントの外に出て、新しいアンチノミーを見つけ出
した所が新しいんじゃないか。カントを拡張した本でした。 共同体的な善である最高善は個々の人格の努力だけでは成就しない件について
これは正価値だと起こらないのだが、反価値だと起こる場合がある。例えば、知的障害者のいる家庭は
介護することが最も重要な課題だと考えられるようになる。つまり、何が言いたいのかと言うと、本来、共同体
の善を改定するに値する価値がない障害者が簡単に最高善というものを変えることができる。
または、四肢麻痺の議員が当選したら、本来、最多当選議員が座席の最後に座るのに緊急時に介護し易い
からという理由で最古参の議員に席を譲らせた例もある。これは反価値が共同体の善を変えた例だ。
他にも例がある。駅の階段は障害者には辛い。車椅子の障害者は駅にエレベーターを設置させた。
本来、街並みを変える権利なんてものは王様ぐらいしか持ってないものだ。だが、障害者になると簡単に街並み
を変えることができる。これは反価値も認められるべき事例なのだ。 最高善は共同体の善というのは一つの例に過ぎないようだ。最高善は神に関係する言葉であり、
地上における神の王国などを目指す語として発展して来た言葉らしい。すると、理性の国には丸で
相応しくない単語ということになるね。
神を抜いた語としては公共性があるみたいだね。公共事業とか自衛隊派遣なんかが理想的な状態になるのかな。 善の構造論 トラス構造化 善の周辺概念でトラスを組み構造化を行い強度を高めてみよう!
人情
/ \
根源 ― 有用
善は困っている人を助けないと善とは言えない。感動する話には善い話しだねと言うものだろう。道徳的な
ことも人情的だ。
善は根源を求める動機を与える。根源を求める哲学は魂に良いというのは善の心が働いているから。
善は道具とか動物が役に立つと善いと考える。 尊厳の理想
尊厳の理想は図にすると核心的な理想である。一番になるとか、要職に就くとか、ただ一つを意味している。
代用できない重要なものなども意味している。立派になることは交友関係などにとても良いことだ。尊敬されて
いると友達との仲が良くなる。反対に、バカにされていると、友達と仲が悪くなることがある。
尊厳は立派さ、地位、権威、名誉などの理想だが、尊厳はとても幅広く活用できる理想である。
裏社会の人間でも尊厳を持てば、長生きできると言われている。 真理の理想
真理は私自身も探究の途中なので理解していないのだが、ここで使われている原理だけでも紹介しようと思う。
先ず、図式の原理である。これは頭の中に平面を描いて構造を思い描くことができる。その他、紙に描いて図形
に書き写すこともできる。
分析。一つの概念を幾つかの概念に分ける原理のことである。一つの概念をバラバラにして、中心的な役割を
担ってる概念を見つけ出すことである。原因と結果だけだと、単に通り過ぎるだけだが、中心的な役割を担ってる
ものだと幾つあってもいいだろう。
総合。全ての概念の外に出て、意味を付け加えるという原理である。これがないと物から感覚を覚えて、感覚
から悟性を覚えて、悟性から理性を覚えるということができない。人間は、物から与えられた情報と人間が用意
する感性や悟性や理性などの合成物であって、人間が付け加えてる原理的な意味というのも分けることができ
る。例えば、美とか真理とか善とかは人間が用意した原理的な意味を持っている。
今回は読みやすいように図式と総合で主に書いているのだが、図式だと総合が簡単であった。 総合全ての概念というのは一つの概念の中の全部という意味だ。一つの概念の中身を全部、数えて行って、その
外に出る。 女性を見て太陽だとか月だとか言うのは詩人の仕事だが、詩人は御婦人の麗しさを見抜くことができる。
何故、詩人は女性は太陽でも月でもないのにこんなことを言い出すのか。
詩人は観念を加えるよりも物の本質に近いのではないか。彼は観念なんか加えてないのだが、色んなものを
連れて来て本質的なものを射抜いているのではないかと思われる。 悪や不正の選択的価値化
選択的価値化の概念は選択する為に反価値の存在を積極的に容認しようとする概念だ。
選択的価値化を施すことによって、反価値は判断材料にされ、本来、悪であるのだが、善の為に使われる。
悪が判断材料になければ、悪に無謀にになり、知らずに悪いことをするかもしれない。悪を知っているだけなら
判断材料として善いことなのだ。そして、不正を知らなければ、正しいことを守ることはできない。不正を知ること
は善いことなのだ。 理想の選択は可能か
異なる美しいものや両方正しいものを選ぶことは可能か。対象を幾ら分析しても、両方、理想的なものだと分かるだけ
で決して選択することはできない。理想的なもの同士を選択する場面に出くわしたなら、自分の分析をすることが一つの
解決かもしれない。両方とも美しい女性に愛の告白をされたとする。一人は大変な美女だとしよう。モデルみたいな女性だ。
もう一人はカワイイ女性だ。頭が良くて一流企業に勤めている。給料もいいそうだ。どっちを取ってもいい。こんなもの決め
られない。そんな時、判断するのは自分である。対象が二つになると判断力が理性から奪われて向こう側に行ってしまう。
理性的な判断をする為に自分の分析などが効果的だ。例えば、手取り18万円のボーナス無しのサラリーマンで週6で働い
てるようなやつだな。それが一流企業の美人の付き合っても肩身が狭いなと。多分、一流大学も出てるんだろうな。それなら
頭は悪そうだけど、モデルみたいな子のほうが楽でいいかなって決まって来る。カワイイ子と付き合っても、必ず別れるのは
目に見えてる。両方、理想的なものの選択は自分を取り戻し判断してやれば、簡単に選ぶことができる。
正しいもの同士の対立でも自分を分析すれば、簡単に判断できると思われる。 理想の選択は可能か
正しさは選ぶことは可能か。判例の無い事件が起きたとしよう。例えば、宇宙人がいたのが分かり、
未知の物理現象で戦っている所を保護した。後日、法廷に連れて来て、裁判官がどちらが正しいか
考えたのだ。所が、未知の物理現象を使っているので、結局、何を使ってるのか地球人にはさっぱり
解明できずに傷害事件に問うことができなかった。それなので、方針を変えて、言い分を聞いて、どちら
かに地球上での活動許可を与えることにした。一方の宇宙人の言い分を聞いてみると、地球は宇宙人
の娯楽施設にしようと思ってるらしい。これから世界中に働きかけて、宇宙人が遊びやすいようにカジノ
やら風俗やらを建てまくるそうなのだ。これは経済も活性化して大変、良い案かもしれない。他方の宇宙人
に聞いてみると、宇宙教を流行らせるつもりらしい。特定の人間の脳にテレパシーで話しかけ、神の国
を作らせるつもりなのだ。だから、近所に風俗街があったら困るのだと言う。
それで、二人はお互いが邪魔なのでどちらかを排除しようと争っていたらしい。さて、宇宙人がいたのは
驚きだが判例がない以上、過去の裁判に頼ることはできない。最初の例として自分の理性で判断しなけれ
ばならないだろう。
お互いの宇宙人の意見を聞いていく、つまり、分析して行く行為は欠点を探すことに他らない。宇宙人の娯楽
化案も宇宙人の宗教化案も一つの概念としては成功間違いなしのものだ。更に何か聞き出す行為をするって
ことは欠点を探す以外にない。お互いの宇宙人を考察するというのは判断力が対象に奪われて彼岸の世界に
行ってしまうので問題である。
二人の宇宙人のどちらが正しいのかを判断したいなら、二つの対象に奪われてしまった判断力を理性の側に
取り戻すことである。自己分析などをかけてみよう。自分はどう思うだろう。宇宙人が垂れ流したような新興宗教が
世の中に流行っても何だか面白くないなあ。俺は全然、入りたいとも思わないし興味もない。俺は好きじゃないな。
反対に、カジノとかが流行ったら、毎日、お祭り騒ぎみたいで楽しそうだな。犯罪とか依存症が心配だけどケアを
しっかりすれば大丈夫だろ。俺はお祭りみたいほうが好きだな。結論はカジノだな。このように、二つの正しいもの
は理性を取り戻すと判断することができる。 価値を発見する手引き
価値を探す原則は最高である。最高以上に価値は無い訳であって、最高美や最高正義や最高善などが考えられる。
だが、人生の問題では尊厳が一番、価値があったり、道徳的な問題では善であったり、宗教的な問題では聖価値であったり
する。これが私たちに用意できる価値なのではないか。価値の中でどれが最高であるのかというのは場合による。
さて、理性の国には一体、幾つの価値が隠れているのだろうか。世の中にある全部の価値を網羅することができるのか。
どういうことかというと、人は学ぶ前から価値を知っているのか、誰かに教わらずに価値を見出すことができるのかということだ。
人には学ばずに理性の種類を増やすことはできないようだ。例えば、美しいと言うだけでは空虚だ。優美なのか、麗しいのか、
カワイイのか、カラフルなのか、経験して知識を増やさないと理性は満たされないようだ。人から尊厳を学ばなければ、生涯、
尊厳の理念を欠いた胸を張らない子供もいるかもしれない。つまり、最高ということは人は知っているのだが、美しいだとか、
正しいだとか、尊厳だとか、理想の種類は学ばなければならない。では、理想というのはどこから生まれるのか。ごく簡単な例
で言うと、横断歩道を渡るのは正しいと言うように世の中の必要で作り出されるものだ。ただ、詳しい理想について知る必要も
ないだろう。前衛芸術だとか、全部、調べる必要などない。理想の全体を表すことを集められるだけ集めるしか方法はない。 魔人とか神獣、鬼神、神鳥とかのほうがイメージがわくだろう。 尊厳は人間界でも一番になれるし、地獄に行っても通用する珍しい価値なんだよ
鬼神が偉くなると有威鬼神となって神に似た神通力を得て地獄に君臨すると言われている 聖の理想
最低のものから頂点に登り万物に祝福を授けるというのが理想的な観念である。こういう理想からしたら、
貧民などの救済を行ったりする。時には、権力に登り政治家になることもある。仏教では泥の中から華を出す
蓮の花が仏花として例えられている。輪廻転生なども魂の不死を唄ってるのではなくて、最低な魂が天使にな
るということが本来の目的だと考えらえる。 最高善について
歴史的な意味で語られる最高善は神の国の実現であるとされている。こうして理性の国を詳細に見渡してみる
と、最高善と言われるものが、善価値と聖価値の合成物であることが推測される。価値は高いと言うことが考えら
れるのであって、最高ということが原則に位置すると考えられる。原則的な意味を付けた所で、善の価値と聖の価値
の合成物にはならないと思われる。 お尻がダイナミックな女は美しい。猫背であると立ち姿が良く、色々なことにチャレンジする身軽さが恥骨を支えている。
お尻のダイナミックな女は綺麗なカーブを描く。決して、中心を捉えることはせずに、あえて、外してみるのである。
お尻のダイナミックな女は一歩踏み込んだことはしない。横から妨害する、邪魔をする、フェイクを入れる。彼女たちは
二つの世界に生きているのである。
ポニーテールはよくない。ツインテール、お姫様カットなどが望ましい。 聖価値の効果 シャドウキャビネット
色々な価値の背後に隠れて影の価値となり、聖価値の効果を付与する。
表面的にはそのままの価値だが、中身は聖価値にとなっている。
実質的なものは聖価値があれば、十分な形になる。 コンプライアンスについて
コンプライアンスとは何かというと企業が法令や倫理など社会的な規範から逸脱することなく事業を遂行する
ことを意味している。理性のどのレベルでコンプライアンスを守れるのか。
見たまま、聞き流すだけの感性のレベルではコンプライアンスは守ることはできない。もっと、高度な理性を必要
とする。悟性のレベルではどうかというと、自分のやってることがどうなるかとか、共同体の規範に従うことはでき
る。だが、何故、悪いのかは分からない。コンプライアンスを守るには、共同体の規範を知ることが必要である事
と一致するのか反対するのか反省する必要がある。反省を加え、共同体の規範に反対していたら、行わなければ
良いのである。コンプライアンスは真実や美や正義や善などを問うことなく守ることができる。 コンプライアンスは全てのことが明記されてることはない。だから、規範に従うだけというのでは不十分である。
自分のやっていることが許されているのかどうやって判別したらいいのかが問題になる。
問題が的外れなのに正しいかどうか考えても答えは出ない。違う問題になったら、正確な答えは出ないからだ。
似たような問題が出た時には反省概念が必要になる。一致してるのか、反対なのかを考えるのだ。 中二病について
中二病は理性的である。中二病は中学生の時期に発生する思想的な現象である。
中二病は漆黒の炎を操ったり、精霊の魔法書を持っていたり、悪魔の王の小説とかを読み始めたり、
ドイツ語の名前を呼んだり、模造刀などを購入したりする。ただ、実際に効力があることはなく、
本人の思想の範囲に留まる。中二病は認識する対象が現実のものではなく、アニメやゲームや小説なのだ。
中二病はアニメやゲームや小説など空想物を理想的なものと考えるのである。
例えば、漆黒の黒龍が体から暴れ出すというのは反価値に傾いた非常に理想的な姿なのである。 理性は幾つかの形態がある。理性は悟性の関係的な概念の補助を借りて最高位を占めている。
定言的な関係の場合、理性と呼ばれる。全体を総称した名前として使われている。
選言的な関係の場合、理想と呼ばれている。この場合、理想は観念の体現者として扱われている。
仮言的な関係の場合、理念と呼ばれている。これは何らかの体系を持った観念を意味している。
理性は理想や理念を総称する名前なので混同が起きてしまう。理性を更に総合する名称が必要であると考えられる。
例えば、理力という名前みたいな感じで理性や理想や理念を全て呼んでみたら、どうだろう。 物語の理念
物というのは感覚に与えられるのだが、人の感覚を抜けると、誰が行為したとか、原因が何だとか結果が何だとか
悟性のレベルで考えるようになる。悟性を抜けると理性の世界に行くのだが、理性の世界に行くと判断力が必要になる。
判断力が必要になるとどうなるのかというと、理性は単独で存在することができないようだ。理性は悟性の動きを
真似たり、他の理性とセットになって働いている。悟性の制約から逃れて、完全に理性になるには美や真実や尊厳
だけではほとんど何も考えることはできない。他の信用できる人は何を言っていたかとか、世間にはどういった意見
があるだとか、理想にピッタリな場面を設定してみたり、物語する理性が必要になって来る。物語の理性は現実のもの
であっても、理性の世界では判断力でもって使われている。 物語の理念は空想ではない。空想は可能性であり、悟性の働きをしてるに過ぎないが、
物語の理念は単なる悟性の働きに止まらない。物語の理念は可能性よりも高度なのだ。
物事はいつも現実に起こってる必要はない訳であるのだが、物語は悟性よりも高級な地位にあるので
他の信頼できる人が何を言ってたかと証言したり、世間にはどれだけ多くの意見があるのだとか言う
だけで、現実のものと同じように受け止められる。これは可能性以上のことだとはっきり分かる。
それで、理性は物語を交えないと理性について書くことがほとんどできない。理性の全体像を現実に
見せる訳にも行かないのだし、物語をすれば、簡単に分からせることができるのだ。 裁判所の判決で睡眠薬を飲ませて少年を十人ほど犯した男がいたのだが、有罪が確定した。
判決理由が人間の尊厳を踏みにじる行為だと言うのだ。少年の内に犯すと尊厳を失わせることができるのか。
尊厳を損なわせる団体でもあったら、少年の内に犯すかもしれない。はっきり、名誉犯罪だと思われたので、少し考えてみよう。
何故、尊厳を踏みにじるという判決が出たのだろう。少年は胸を張ってセックスをしていたのだろうか。
セックスする優先的な地位にあって、セックスの優先的地位を低下させたら、尊厳を踏みにじるということを言われたのかもしれない。
ここで言われている意味は何であったのか。普通、尊厳の眷属である名誉を損なわせるとなると、地位を失わせるとか、
事実を指摘してバカにするとか、そういうことをしないと名誉は損なえない。すると、男が遊びでセックスして愚弄したという意味
ではないようだ。
恐らくなんだが、アウシュビッツなどで強制労働やジェノサイドが行われた。一つの民族を家畜以下の身分に引き下げてしまった
事件なんだが、そういう時にも人間の尊厳が叫ばれたように記憶してるのだが、こういった意味合いで使われてるのではないか。
少年を汚して、モラルをかなり低下させるとか、卑しい仕事に就く人生を歩ませるように汚すようなことをすると名誉刑になると思わ
れる。人間の地位を低下させたから、尊厳を踏みにじると言われたのではないか。 宮崎駿の千と千尋の神隠しの千尋の両親が神様の食べ物を無断で食べて豚になる話しがある。
これは聖価値について語っているところであって、最高のものを手に入れたと思っても、豚になる、
即ち、実際には聖者と言われる人たちは最低の行為しかやってないという説明なのだ。
聖価値は何の行を積む団体なのかが問題だ。モラルとか道徳が最低の聖者だと、大変なことになる。 様相の上級理性
様相を補助にして理性としたものたちがいる。可能は物語である。物語の理性は他の信用できる人は何を
言っていたかとか、世間にはどういった意見が多いとか、理性にピッタリな場面を想定してみたり、理想の違い
があれども、根幹というのはこんな所だ。理想でもゲームでも小説でも物語がないと何も説明することができ
ない。必然性が上級理性になると宿命となる。宿命の理性が働くと、有限なものは必ず滅びるなどと言い出す。
始まりがあるものは終わりがあるなどとも言う人がいる。別に、世の中に滅びないものとか終わらないものとか
一件あってもいいのだが、こういうことは必然の系譜の宿命を言い当てる理性が言わせているのだ。人や物の
終末を言い当てる技は必然の系譜の宿命の理性の仕業だ。現実だが、現実を理性化することなんてできるの
かというのが問題だ。現物を見てだ、あなたはこれに理性を感じますかと言われて感じるのかと。感じるとしよう。
じゃあ、何故、感じるのか。理性を感じる物体を分解して行ったら、理性物質が含まれているのかもしれない。
だが、価値の結晶体というのは発見された話しを聞いたことがない。以前、価値を発見する手引きで、我々に
用意できるものは高いという意識以外ないんだという話しをした。赤ん坊でも高い高いをしたら喜ぶ。我々は生
まれ付き高いという意識は持ってるんだが、具体的に理想としては知らない。だから、理想を知るには世の中を
見て回らなければならない。もし、価値の現実性を知るとしたら、価値の具体的な動きを捉えて理性として記録
する以外にないんじゃないか。 紛い物の至高性なんてあるんだ へー
俺のは簡単だよ
単に感性から入って、悟性に行って、理性でゴールってだけだから
貯金箱みたいなもんだよ
良いですね、で終わりです
物が綺麗だったら、美しいと考えればいいのであって、立派だったら、尊厳ですねってぐらいだからさ
無価値だったら、ゴミですって言えばいい訳だし
ただ、理性の世界に地図がないじゃないか 俺が価値論ってデカいのは地図作りなんだよ
地図があったら、紹介してくれよ 世の中に価値辞典とか売ってない感じなんだが
価値はオリンポスの神々の系譜を引いてるようでいて、海とかは観念とは反対の立場だしね
バタイユは太陽がイメージカラーなんだ
俺は観念論なんだよねー ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています