貨幣論・貨幣哲学
貨幣を扱った本たちと雑誌『批評空間』の出版情報
批評空間(創刊号)近代日本の評論
1991年1月
批評空間(第1期9号)貨幣・言語・数
1993年3月
岩井克人『貨幣論』
(筑摩書房、1993年3月→ちくま学芸文庫、1998年3月)
黒田明伸『中華帝国の構造と世界経済』
(名古屋大学出版会、1994年2月)
批評空間 (第2期第5号) 貨幣と資本主義
(1995年3月)
批評空間 (第2期第20号) 世界資本主義と近代システム
(1998年12月)
批評空間 (第2期第23号) 貨幣主体と国家主権者を超えて
(1999年9月)
大黒弘慈『貨幣と信用:純粋資本主義批判』
(東京大学出版会、2000年6月)
今村啓爾『富本銭と謎の銀銭:貨幣誕生の真相』→『日本古代貨幣の創出:無文銀銭・富本銭・和銅銭』
(小学館、2001年→講談社学術文庫、2015年5月改題追加新章)
西部忠『地域通貨を知ろう』
(岩波書店、2002年9月)
黒田明伸『貨幣システムの世界史:<非対称性>をよむ』
(岩波書店、2003年1月初版、2014年3月増補新版、2020年2月岩波現代文庫版) 黒田明伸の『貨幣システムの世界史』岩波現代文庫
レビュー、感想が増えている。
https://bookmeter.com/books/15113279 NHKが毎年やってきた資本主義論や貨幣論は理論詰めではなく
ハラリみたいな歴史面から攻めるのだろうか。それともコロナで吹っ飛んでしまうのか。 貨幣物神から資本物神へ読み解いていかないと
いつまで経っても労働者を貨幣に縛り付ける資本の意のままじゃないか 資本論の最初の方だけではなく、
貨幣の資本への転化とか、価値増殖過程を読まないといかんちゅうことですな 経済用語の日本語訳も西周がやってたのかなあ?
とふと思った。 広西元信の「資本論の誤訳」によれば
ドイツ語の言葉の定義、語源の理解が拙くて
誤った訳語のまま日本の概念が刷り込まれてしまってるとのことだ
「社会」と「会社」の二つの言葉の相違と類似が和訳では極めて曖昧で
軽率な誤訳で倒錯した解釈を生んでいるのだそうだ 「富の不平等は必然的に生じる」と数理モデルで証明可能
https://gigazine.net/news/20191109-inequality-inevitable/
アメリカのタフツ大学経済学部のブルース・ボゴシアン教授が、
経済そのものが持つ原理によって「貧富の差は必ず生じる」という事実や
「現実の経済では何が起きているのか」という問題に関して、
数理モデルを使ってわかりやすく解説しています。
ボゴシアン教授は、富が1人に集中することの証明に「ゲーム」を活用しています。
例えば、コインの表が出たときには、「所持金が20%増える」、
裏が出たときには「所持金が17%減る」というゲームをしたとします。
所持金が100円だったとしてこのゲームを1回行ったときの期待値を求めると、
以下のようになります。
20×½+(-17)×½=1.5
期待値は正の値となり、このゲームは「得」であるように思えます。
しかし、もしこのゲームを10回プレイして、「表が5回・裏が5回」出たとします。
ゲーム後の手持ちの金額は以下のようになります。
100×(1.2)5×(0.83)5=98.02
というわけで、実はこのゲームは「すればするほど損」です。
このゲームを現実に近づけた思考実験が「ヤードセールモデル」という数理モデル。
ヤードセールモデルでは、参加者はそれぞれ2人で1組を作って「取引」をしてもらいます。
この取引は、現実の売買における「お得な値段だった」
「ちょっと高くついてしまった」という場合を模して、
「どちらか一方が勝ち、もう一方が負ける」という設定になっています。
勝った場合は、取引の参加者のうち「貧しい側の所持金の20%」を獲得し、
負けた場合は「貧しい側の所持金の17%」を失います。
例えば参加者A(所持金100円)と参加者B(所持金500円)が取引して、
Aが負けてBが勝ったとします。この場合は、
負けたAは、Aの所持金の17%である17円を失って、所持金は83円になります。
一方勝ったBは、Aの所持金の20%を得て、所持金は520円になります。
そして、取引が終わった参加者はまた別の参加者と取引を行って、
無限に取引し続けます。
ボゴシアン教授によると、この「ヤードセールモデル」を続けた時、
たった1人が全ての参加者の所持金を獲得し、
他の参加者の所持金がゼロになるという「富の独占」が必ず生じるとのこと。
この富の独占は、参加者の人数にも、それぞれの参加者の開始時の所持金にもよらず、必ず生じます。
現実世界では、参加者同士が取引を行う時に「勝ち負けが50%ずつ」ということはありえません。
この実験結果を受けて、ボゴシアン教授は
「自由経済市場は長く滞在すればするほど所持金を失うという連続性のあるゲームです。
しかも、自由経済市場から離れることは不可能なのです」
と語っています。 >>240
広西は東大卒の武道家で右に位置する人だが
この本は80年前後に特定界隈では話題になっていた
左派で最初に取り上げたのは鹿砦社エスエル出版会の季節で
稲妻の村岡到も評価、接近していった
だがそれも一部の話で
一切無視されていたと言ってもいい 流石にKapitalを資本と訳すのは間違ってないよな。
Geldは貨幣、Wareは商品というのも。 会社と社会は会社人を社会人と呼んだりする弊害にも繋がってるわな。 長谷部訳青木版資本論では
「商品は闘争する」という誤訳があり
これは内輪では革命的誤訳だと
笑い話になったものだ あ〜、G-W-Gのリズムに乗れない。。
算数とか理数系が苦手だからかな
経済学部とか理数系の学部に行かなくて良かった。 資本論と弁証法の関係ってあんまよくわかんないんだよな・・ 使用価値、価値、交換価値
商品、貨幣、資本
これらの関係性が弁証法的であるという訳か。 そもそも現在の危機は
1973年のオイルショックの時点からのスタグフレーションに由来していると。
by 欲望の資本主義2021 市場は社会に埋め込まれている
悪魔の挽臼にしてはならない、社会規範が大事、
最後は禅
by 同上 使用価値、価値→貨幣
商品、貨幣→資本
という弁証法ね。 資本はG-W-G'の価値増殖運動な訳なんだな、
資本家も労働者もそれに引きずり込まれているわけだ。 現代貨幣理論の論争が貨幣論・貨幣哲学に流れてきそうな予感。 MMT熱もそろそろ冷めてくる頃か
それともまだ続くか 通貨は兌換性を失った時からバブルを始めいずれ耐えられなくなり破裂する
その時何が起こるかは推して知るべし
今の借金経済主体の金融世界で本位制回帰などいうのは馬鹿な話だろう
欲望は進むところまで進み破滅する
そして次の世界に繋がっていく、何度も繰り返された事、これまでもこれからも続いていくだけ 経済学になるけど、西部邁の『ソシオ・エコノミックス』は
熟読されねばならない文献なんだろうな。 経済学者→雄弁家という変化を遂げる→の部分を考察するのに必要な文献だろ。 現代思想の1987年8月号もこのスレに当てはまる資料だな。 本や著書となるとちょっとアレだけど、
論文が貨幣になったらおもろいのにな。インテリの間で。 仮想通貨みたいな投資そのものの為だけに存在する仕組みのために
膨大なエネルギーが消費されてるのに、国連はなにやってんだろうな
日本の火力発電所で騒ぐよりそっちだろ 貨幣でも
兌換紙幣は供給が追いつかず市場流動性危機でデフレ化して終わる
逆に不換紙幣は紙幣の価値が下がり続け、最後はハイパーインフレで終わる
通貨の寿命は50年〜300年 さっきプライムニュースで木内登英氏がスタグフレーションに言及していた 円安でさ
円(アルミ)を紙にした方が良いと思う
素材の分、発行するほど赤字膨らむ