愛とはなんぞや シーズン66
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
だが、それも無いものなのだから、それは承知していないといけないよ。会わない選択をしてきたのは自分なのだから。 大正三年に、武田信玄の位記宣命が正統な子孫に、
渡される事になり、調査を開始したものの、
あまりに全国各地から武田氏の子孫と名乗り出る家が
多かったため、困った山梨県が、当時の日本歴史学の
重鎮渡辺世祐博士に、調査を依頼したそうです。
同氏が十年かけて私人として調査した結果、最終段階
まで主だった候補として残ったのは、信玄の次男信親を祖先とする、正式に正統子孫と認定された、東京都在住の
武田昌信氏、米沢市の、信玄の六男で後に上杉景勝に仕えた武田信清を子孫とするという、武田茂家です。
また勝頼息子信勝の子孫とする、東京都の市川一家、
そしてこれも信勝の次男勝親を祖先とする、
兵庫県の武田勝信家の四家です。
そして、初めに上野晴朗氏も、「もちろん、大正時代の資料と同様に、強い裏付けがあっての事ではない。
ただ、自分の家ではそう伝えており、系図があるといった家々である。」と断っておきつつ、興味を惹かれたとして、武田義信系の子孫の主だった家として、
以下の三家を挙げています。この中で武田義信の子孫とするのが、義信の息子武田九郎左衛門源義光の家だと
する、八王子の尾股家、これも義信の息子だという、
東京都小金井市の、武田六兵衛正成の岩間家、栃木県の足利市の、義信の息子だという信房を祖先とする、
青木家。
これらの家に該当しない方は、相当信憑性は低いと
当サイトでは判断したため、どうか問い合わせはご遠慮下さい。少なくとも、これら地方に該当しない方々。
また、偽系図というものも、多いです。(このような戦国武将の子孫という伝承がある家は、各地に多いですが。)少なくとも、今の公式見解ではそうなっています。この武田氏の子孫問題について詳しくは「信玄の妻 円光院三条夫人 上野晴朗 新人物往来社」をご覧ください。すでに絶版になって久しいですが、図書館なら置いてある所も、あると思います。
信玄の位記宣命の話が持ち上がった大正三年当時、
武田氏の子孫と名乗る家が非常に多く、渡辺世博士も、
当時、大変に調査と認定に苦労されたようです。
やはり、このような一次史料にない、庶民側の系図の
氾濫、そして掴み所のない、その資料性格に弱り果てられたとか。 ブログも記事を読んでもらうまで結構ハードルだな。
昨日も50人ほど来て87くらい記事を開いているが、そのほとんどが読んでいない。
検索して、サイトを開いて、すぐ閉じる。これが非常に多い。つまり読者にリード文で知りたいことがないのだ。
いくら質の良い記事を書いても、読者は長い記事を読むほど暇では無いのだ。知りたいことをサクッと知りたい、調べ物の途中なのだ。
俺のサイトは記事を読んだ人は5分くらいは目を凝らしてみてくれる。これもGoogleアナリティクスでデータがでるからわかる。
サイトを開いてすぐ閉じてるかもわかるし、どこからみてるか市町村までわかる。 それでも人気ブログーのページ滞在時間は多くて1分30秒。しのブログは、平均3分を超えている。つまり目を通してくれた人がじっくり記事を読んでくれているというデーター。
ページを開いてすぐ閉じる直帰率というのがあるがこれも65%くらいでハイアベレージ。
このように読者ファーストなためにドメインパワーのない俺の記事の4つくらい1〜7位に上げてくれてる それから、俺の記事は物販に繋がらない。
広告を出しても誰も広告サイトに踏み込まないのだ。そりゃそうだな。哲学の記事を書いても寝心地のいいマットレスの広告なんか踏まないものな。
運良く広告のバナーを興味をもって踏んでいく人もたまにいるだろうが、アフィリエイトでは無い記事なので、なかなか踏まない。
1日にせめや1000人くらいサイトに来れば一人くらい買ってくれるかもしれんが。程遠い。とはいえ、改善の余地が多分にあるのでやりがいがある。
分析して対策して、収益を上げてみる。
ブログを初めてちょうど半年だ。
7/20から開始
現在、12/23 最近気にかけていることとして、SNS上で交わされる言葉や言論が貧しくなっている、との認識を示した。「批判を受けたら(それには応えず)
別の批判を投げ返している。方法として恥ずべきこと。日本の首相さえそうやってふるまっている」と嘆き、「自分の中に何をもっているのか、明確に説明しなければいけない」と注文した。(パリ=疋田多揚) コメント
203
村上春樹はこう言いたいのだと私は意見する。
自分が批判されるということは、自分の内省に問題があるという指摘だ。何が問題なのか真摯に受け止め、その内容を理解して反論する必要が個人にはある。
何故なら、個人はパーソナリティがあり、立ち位置があって発言するからだ。説明責任が個人にはある。
最近は、批判されたら、その批判に対してその本質に反論せず悪態をついたり、自分がされた批判に対して攻撃的に相手の目をえぐり出そうとする発言が多い。
そうではなく、批判されたらもう一度自分の発言に立ち返って考えてみるべきだ。
こう言いたいのだと思う。 ズーは行かないな
夜もまたセットになった
すまん
朝には帰ります やられたらやり返す復讐の精神は旧約聖書にも書かれている真理
まず殴り返して黙らせてから反省すれば良い
行儀の悪い人間に従ったらつけ上がるのだからSNSではそれでいいと思う
内省・内観は必要だがそれと同時に名誉の為にストロングスタイルも必要だ マキャベリも侮られるなら恐れられた方が良いと言っているだろう 春樹はソンケイを集めてるから春樹スタイルで良いんだよ
でも大抵の人はソンケイされていないのだから侮られまいとやり返すのが処世術として正解では
特にSNSは知り合いでもない連中からの批判だしな 知り合いからの批判の場合は相手を見て態度を変えるだろう? >侮られるなら恐れられた方が良い
そのような浅はかな考えが、安心において侮りを、不安において暴虐を生じるのですよ。 自分が相手から畏れ敬われていると感じるときにこそ自らの慢心/侮りを自覚し、
自らが相手から侮られていると感じるときにこそ、自らの長期的な安定を
危うくする暴虐な振舞いをしないように用心することが、賢明でしょう。 君が言っても説得力がないので誰かの言葉を引用してくれ
マキャベリの言葉は時代と国境を越えて残ったから引用したまで
君の考えが浅はかじゃないと説明も無ければ論拠もないのだから耳を貸す価値がないんだが >マキャベリ風に分析するとこう言う感じ
マキャベリ風に分析する前にマキャヴェッリの著作を実際に読みましょう >>43
SNSなんて通り魔や言葉が通じない野良犬相手にするようなもの
感じる以前に知らない相手が噛み付いてくる
身内や知り合い前提の振る舞いと混同してもね >>45
読んでいってるんですが
やっぱり耳を貸す価値の無い人の言葉だったかな >マキャベリの言葉は時代と国境を越えて残ったから引用したまで
では、原著が手元にあるので、きちんと引用してください
確認してみますよ 今度は自分の非を認めず攻撃的に揚げ足取りですか
因みに手元にないので正確な引用は其方でお願いします >因みに手元にないので正確な引用は其方でお願いします
ボロが出ましたね。私は、自分が引用するときは必ず、原文をそのまま
コピーしてそのまま貼り付けています。マキャヴェッリの著作なら、
ネットで公開されているので、あなたでも他のだれでも自由にアクセスできるはずですよ。 あれ
結局引用はしないんですか?
ここまでのやり取りで分かった事はマウント取り合戦が正義って事ですよね
自分自身で僕の書き込みの正当性を実践してくれた訳ですが
ちょっと内省が足りないんじゃないですか?w この通り人は侮られると侮れまいと攻撃するのが普通で人生で学ぶ真理と言うわけですよ だから春樹スタイルは春樹みたいに高みから見下せる余裕が為せる御業
先ずは高みに登る事が肝要かな
ブログで成功して高みに登ってね
しのちゃんよ マキャヴェッリの言葉に依拠しているので自分の主張が
正しいとここで言ってる人は、引用云々以前に、
マキャヴェッリの著作の表紙を開く前から、根本的に
大きく読み方を誤っているのですよ。その本の表紙には
何と書かれていますか?おそらく『君主論』ではないでしょうか。
『君主論』とは何ですか。それは『平民論』でも『万人論』でもなく、
「君主が統治を安定させるのにどのように振る舞うことが賢明であるのか」
を説いた著作なのです。ところが、あなたとあなたが説得しようと
している人々のいずれも、「君主」でもなければ、「君主によって
統治される人々」でもない。マキャヴェッリの著作を少しでも
まともに読んだことがある人なら、マキャヴェッリが、あなたの
主張のような単純思考の思想家ではないことは明らかだが、
いずれにせよ、「君主」へのアドバイスの言葉がそのまま、
あなたや、あなたが説得しようとしている相手に適切であると
考えるのは、「脳腫瘍患者」に医者が放射線治療を勧める診断を見て、
「放射線を脳に照射することが人々の健康の増進につながる」と
主張しているのと同じです。 エスパーではないので、あなたが何を引用しようと思ったのか私には分かりませんよ。
引用とは、自分の言葉で言い換えることではなく、そのまま書かれていることを
コピーして再提示することです。 SNSの罵倒・罵り合いが知り合い同士の喧嘩じゃない訳で
ただストレスなり面白がって煽ってる人が殆ど
だったら相手にしないか反論は必要って話
至って単純で全てに汎化して話てるなら過ちだって指摘したんだけどその程度のこともわかってないで噛み付いてくる訳だw
それが正常な反応であって君の言ってることを君自身が実践できていないよと
態々言うまでもなく皆わかってる事だけどさ
言語ゲームを楽しめてるならそれでいいけど >>60
人生の蘊蓄のない君の言葉薄っぺらいってことだよ
出来もしない事は言わないことだ いつも真面目に仕事してる店が
三ヶ日が終わった後の次の日を必ず休む
それを見てると、とても家族思いなんだろうな、と
この10年そう思ってきた
家族は大事だ おどろおどろしい
デストロイド・デストロイ・シティ 踊ろよレディー
優しいスローダンス
て曲を思い出した >1都3県対象の「緊急事態宣言」7日に決定の方針 菅首相
緊急なのになんで2日後なのか? 昨日、岸辺露伴なるドラマをみたが、岸辺?
幸田露伴じゃないのか? と思って見ていたら泉鏡花ならぬイズミキョウカなる女が出てきた。 そんでなかなか面白かったが、何か岸辺露伴は人の心が読めるらしい。高橋一生もなかなか当たり役ぽくておもしろかった。
ドラマの中にとうもろこしを食べる時のマナーが出てきたが。 仕事終わったよ
YouTubeで見たよ
「岸辺露伴は動かない」
すごく好きだよ ブログの夏目漱石「それから」がようやく完全したわ。 岸辺露伴は他人の記憶を読んで書き換える事が出来るスタンド、ヘブンズドアー 批評や解説するならサブカルも網羅しないと
読者視点に立って様々な角度から現代と繋げて解説する必要があるんじゃないの
浅田彰とか毎日映画数本見て雑誌とかも読み漁ってたんだろ 「岸辺露伴は動かない」大ファンなんだわ
本家よりも好きかも
今日は久々に湯をためて風呂に入って
あとは風邪気味だったので寝て
風邪退治してたわ さて、働きます
昨日は頭がボーッとしてた
風邪気味だったのだと思う そう、ジョジョのスピンオフ
もともとは短編掲載で一話きりの漫画を有名漫画家が描いてくシリーズでスピンオフ禁止だったのよ
でも、荒木先生が担当に言われたことを破って
岸辺露伴てキャラを出しちゃった(ストーリーテラーとして)
そしてそれが面白かった
(先生も「おもしろかったでしょ?」て書いてる)
で、その後に岸辺露伴をストーリーテラーとして書く
奇妙な世界の短編集が「岸辺露伴は動かない」シリーズ やはりおこか。
しかしわざとではない。俺の人生は別の方へ向いて向かっている。幻想の世界に時間を割けない。 伸びたのアドヴァイスにしたがってyoutubeに違法アップロードされていた岸辺露伴全三話見たけど中々面白かった
それと共に世の中のモラルとは何なんだろうかと感じた
アメリカでは民主主義を公然と否定して自分たちの意見が正しいと暴れだす人が随分と勢いを増している
酷いと思いつつも民主主義の政治は常にマジョリティの意見だけが取り上げられマイノリティは無視される仕組みなのだから怒るのは当然とも言える
結局は民主主義かどうかより平和で安心できるかどうかに尽きるんだろう GoogleのYoutubeなんか未だにグレーゾーンな部分で金儲けをしてるわけだろ
しかしマスコミを脅かし一部飲み込む勢いすらある
今まで信じられていたモラルってのが如何に根拠がないものなのかを感じる とっかかりブログだが、外部の被リンクを全然獲得してないのにキーワードのいくつかがかなり上に登ってきてるのだが。
「村上春樹 子供」といつキーワードでググると7位まで上がっている。
「細かな作業が苦手」のようなニッチなキーワードではなく「村上春樹 子供」やぞ。これが検索順位7位や。 これから収益化していくわけだが、ジャンルが決まりつつある。初めは転職のジャンルしかないと思っていたが、今考えているのは恋愛ジャンルだ。
意外に相談所とか婚活ダイエットとか案件がいっぱいあって高い。恋愛系の記事を更に2つ書いてみたが、はよ文章直さにゃ。 恋愛系のほうがよさそう
転職とかそっちは実態のある具体的な話を求められそうだし
転職本当に考えてるなら素直に就活する
そこに抽象的な話は入り込む隙間がない気がする
呑み屋の愚痴ならともかく コンビニのお姉さんがあざとかわいくて心くすぶっている
ちょっとはなにかかる声も上目遣いの仕草も髪型もすきなんだけど、
どうしようもなくチキンだからそのお姉さんの前では挙動不審になってしまう
ていうかそもそもコンビニの店員さんにどうやってアプローチすればええねん、 恋愛の記事は需要があると思う、
というか、恋愛そのものの真実っていうのは、
考えてみる価値がありそう アプローチってのは条件が整ってこそするものだし、遠いなら諦める。まあ、それを突き破ってでもって頭にあるなら別だが。 嫌味でもないがw
読んでないから知らん
転職後の対人関係のアドヴァイスとかなのか
具体的な転職っていうと収入と職歴とコネだし
それ以外じゃハロワの使い方に労組・ユニオンって感じ? 織田信長の武田征伐の後は、間違いなく上杉征伐の筈だった。そして危なかった。本来なら武田・上杉連合軍を編成するのだろうが、木曾義昌と穴山梅雪の裏切りで時間も稼げぬまま武田は滅亡。
織田信長は武田のあと上杉を滅ぼして、長宗我部へ攻め込み制圧して、たぶん同盟者の北条も屈服させる気であったであろう。
そして最後は毛利に攻め込んで天下をほぼ統一し、あとは東の佐竹や伊達・最上、九州の勢力は従順の意を示したのは目に見えてる。
これが武田の瓦解で収まったのは天命だったのかもしれん。武田信玄の5男である武田信清、そして娘の菊姫以下が上杉に帰属した。
上杉の命運は、本能寺の変で助かった。
徳川家康の時代に上杉と上杉に帰属した武田家は米沢藩に移封。 織田信長は畿内制圧で、ほぼ天下布武は成せていた。
あとは武田・上杉・佐竹・毛利・長宗我部までが兵を動員して引き分けに持ち込むしか無かった。それが東から西から共闘すれば、引き分けの可能性はあった。
ただ、武田の瓦解が早かった。そのくらいでないと織田信長は全てを手に入れられるほど強大化していた。
この5カ国共闘は織田信長との引き分けの必須条件であり、織田信長が諦めるまで戦いが続けられただろう。
そして、織田信長に全部が帰属して天下統一となる。これが一つの道であったが、武田の滅亡の方が早かったのは運の尽きだが、本能寺の変でもう一波乱。 上杉景勝がギリ生き残って、その後
魚津城陥落
https://i.imgur.com/G7GujZL.jpg
中条あゆみ
本名、中条あやみポーリン(中条氏とイギリス人のハーフ)
武田家残党のその後
https://youtu.be/dUuhJMkfSGs とっかかりブログ
めっちゃ「細かな作業が苦手な人の適職〜」リライトしまくった。この記事から60%流入してくるから大幅に読者目線に変えてみたわ。 婚活読んだよ
今日はダラダラして
インスタライブ見てたのだ >>152
あれは実験的だが金のために書いた記事だ 警備員のやつも読んだよ
loveとloverも読んだ おはよう、今日はこれからリーグ戦
夕方には帰る
緊急事態宣言を受けて即帰宅せよ、とのご命令 部屋のヒーター壊れて寒い
エアコンは寝室にあるんだが小さい奴で寝室締め切ってちょうどいいくらい
隣の作業部屋まで温まらねーわ とっかかりブログだが、
そろそろ収益化していく。
記事もそのようなものに変化している。
夏目漱石の著作要約は全部書く気でいるが。
「恋愛ジャンル」
「睡眠ジャンル」
「転職ジャンル」
「占い」
今は、このジャンルの記事を量産してる。 社畜として働いていることが、不労所得を得ていることよりも尊いわけではない。
働いていること=人々の役に立っていること、ではない。
効果のない医薬品を高額で売り付けても、肥満や生活習慣病を悪化させる
食習慣を助長する商品や食品サービスを販売しても、売上を伸ばすために
尽力するなら、一生懸命働いていることになるが、それが人々の役に立っている
わけではない。スマホを普及させるために投入されている多大な労力に
しても同じことだ。そのサービスや商品の提供の結果、人々の生活が
豊かになった、よりよい生活が可能になったと判断されて初めて、
そのために投入された労働が人の役に立っていることになる。
一方で、不労所得を得ることは、働いていないのだから、まったく他人の
役に立っていないように見える。にもかかわらず、それでも、その無為
が、他人が人々の生活に害を及ぼす労働に懸命に従事することの妨げに
なっているなら、間接的に人々の生活をよくすることに貢献していると言える。 人を殺すためにしか役立たない爆弾や火器を製造販売していても、
売上を伸ばすために尽力しているなら、一生懸命働いていることになる。 帰宅、ただいまなのだ
ただいまのあとはガラガラ
なんだっけ?
コロナこえーぜ 速報
上杉景勝が米沢に三十万石に移封。
武田残党は徳川家康に吸収され赤武者隊と遠くに逃げ延びた者と、上杉に与した3種類がいたとのこと。
https://youtu.be/sfP52qDDcuE https://youtu.be/5ok06tb3NGU
日はまた登り繰り返していく
僕らの空を通り過ぎていく
生き急ぐとしても構わない
理由がいる人は残ればいい ねぎの浅漬け作り過て気張って食べたら吐き気が凄い
胃の中からねぎの匂いが強烈に出て来る
腹痛とか食当たりじゃないが耐え切れないネギ臭
ねぎって嘔吐作用見たいのがあるんだよな
消毒効果が強いから胃を刺激するんだろう 誰かに共感するって、難しい時代に今は入ってると思う。殊に、日本人の価値観は宗教的な価値の崩壊と共に点でバラバラになっている。
つまり価値がばらばらで誰かに共感できにくい時代と国になったのだ日本は。
物語の共通が失われている現代でも心が通じる瞬間はある。あるけど珍しい。 https://youtu.be/9covhIuWZMU
本能寺の乱がなければ、上杉・長宗我部・毛利の順で滅ぼされていたのだよ。
織田信長はそのつもりだった。
つまり甲州征伐は手始めだったわけ。つまり滅びたのは武田止まりであった。逆に言えば武田は運が悪かった。 本能寺の変か
武田の滅亡は、木曾義昌の裏切りがなければ今少し時間が掛かった。
もし明智十兵衛の織田信長への謀反が計画されたものならば、武田もギリ助かった可能性はあった。
本能寺の変が起きなくても、時間があれば、上杉・武田連合軍が形成されていたことだろう。
そうなると激戦は避けられない。
それでも軍勢の数で織田信長の優位は変わらない。それを策略によって引き分けに持ち込めるとしたら、武田・上杉連合軍が長期に持ち堪えて、織田信長が諦めて和睦が成立する引き分けの可能性はあった。 心が通じるのは嬉しいよね
仕事終わった
寒くて辛い
昨日は友人の精神的介護をしてた
負けて落ちたから、その介護
LINEでずっと 抑圧と統制された社会だったからこそ同じ価値観を皆が押し付けられ共感ができた
抑圧から解放されそれぞれが思い思いの事へと関心を向けた結果、共通の価値観が失われていき共通の話題が消えた
その結果発達したのがSNSであり共感を求めて呟く訳だが、古い価値観と生活様式に慣れ親しむ老人にとってSNSで共感を得るのは受け入れ難いのだろう
嗚呼昭和生まれの悲しき性 最早隣人に共感を求める時代は終わった
SNSで共感出来る人間を見つけて集まる時代だ所謂フロッピー
しの求める縁はインターネッツの先にある 月光、いい曲だ
trickがまたおもしろいドラマだった 仕事終わった
店からコロナかもしんない人が出た
PCRが予約でいっぱいでできないのだそうだ
怖いぜ 鬼塚ちひろは、幸薄いんだよ。
女としてあれは方向性合ってんのか?? どっか間違った女って顔が貧相になるからわかる
女は間違っちゃいかん。生物失格は人間失格。 結局、全体的に男が悪いのか? 女が悪いのか?
どちっだったんだ?
女だろ。だったら懺悔して進め。モタモタすんな。 >>207
人による。自分がどう見られているのか弁えろということ。
Artigkeiten. – Unbeliebten Personen rechnen wir die Artigkeiten,
welche sie uns erweisen, zum Vergehen an.
http://www.zeno.org/nid/20009233032 対等に扱ってもらいたい相手が挨拶もせず、目も合わせようとしない場合、
無視され、卑しめられていると感じるが、
対等な関係にあると周囲から見られたくない相手が、挨拶をしてきて、
目を合せようとする場合、
執拗に嫌がらせをされていると感じる >>210-210
このような感情の働き方は矛盾しているわけではなく、二面的(double faced)である
だけである。また、感情の働き方が二面的であるのは自然なことであり、
そうでなければ感情として働くことはないだろう。さらに、その二面的な働き方を
正当化するように一般的に倫理として表現するなら、人の気分を害する(フランス語の
動詞を用いるなら、《vexer》)ようなことをするのは悪であり、控えるべきである、
ということになる。気分を害されたなら、今後、そのようなことがないように
相手の方があらかじめ注意するように要求する権利が生じ、相手はそれを守る
ことを負い目として意識しなければならない。相手がそれを守らないなら、
第三者は、気分を害された被害者に身方する("to ally with")のが当然のこと
であるが、その場合にもあらかじめ配慮が必要である。というのも、その被害者
が対等な関係にあると周囲から見られたくない第三者に身方されることは、
やはり最初に気分を害されたときとまったく同じく自分を貶める嫌がらせと
感じられることになるからだ。したがって、身方しようとする第三者は、
自分が、その被害者によって対等以上の存在と見なされているかどうかに
あらかじめ気を配る必要がある。以上を一般的に通用する倫理として
まとめるなら、「いつでも顔色を窺ってから、自分の身の程を弁えた振舞いをしろ」
ということである。 「いつでも顔色を窺ってから、自分の身の程を弁えた振舞いをする」ように
要求する倫理を一般化することによって、平等で公平な社会の実現を目指す。 さて、仕事終わった
めっちゃ眠い
少しは活動的にならねば これを上手く利用するなら、「挨拶をするのは人として当たり前、皆きちんと
挨拶をしましょう」という運動を推進するだけでも、容易に階層関係を確立する
ことができるのですよ。
一方で、「きちんと挨拶もできない人間は、人として失格だ」という教え込む
ことを徹底し、他方で、「好ましくない者」から挨拶されても決して挨拶を
返さないように皆が無視する。すると、無視される側は、自分は相手にされておらず、
存在しないかのように扱われているので、自分が挨拶することは望まれていない
と自覚するようになる。そこで、挨拶をすることを自分から控えるようになり、
自分がやるべきことにだけ専念していると、「挨拶もしない不審者がなにか
いつも勝手なことをやっている」ということになり、「人としてなっていない」
という烙印を押される。無視されるのは構わないが、不審者扱いされるのは存外
なので、自分から挨拶をしようと思い切って挨拶すると、今度は、「変な人から
声をかけられた」と言われ、「危険だからなんとかしないと」ということになる。
このパターンは、別に「挨拶」に限らず、例えば、学者の研究論文において、
「先行する研究が存在する場合、それをきちんと参照し、引用しなければならない」
というような倫理でもまったく同じことなのですよ。だからこそ、学者の著作や
研究論文と対等のものとして扱ってはならない便所の落書きを参照すべきではない
し、誰の論文であれば、利用していても言及しなくていいか、誰の論文であれば、
参考にならなくても、言及すべきかという問題が生じる。 無理無理
ネットはネット。
現実は別。
想像の世界は消滅するよ。わかってないようだけど。 現実はある。が、恐ろしいほどパワーアップしてる。これから上がるで。 現代社会の基本が階級化を基礎としているのは否めない
なんとも嫌悪・不快感を煽る書き方をしているが会社組織や政治を見れば明らかではある
互助的な側面もあるがそれも社会の成員を認められればこそ
ナショナリズムが互助の境界を露わにしているように自国・自己優先は誰もが抱く感情
上っ面だけであってもマナー・社交性は保たないとな >なんとも嫌悪・不快感を煽る書き方をしているが
むしろ、現実の方があららさまで、徹底している。 ウォーターサーバー売ってる営業も、自分の仕事が人の役に立ってるだなんて思っちゃいない、水商売も風俗もそうだろうが、生活するために仕方なく働いている、
だから、社会に貢献しているかなんて二の次なんだ、
しかし、働いていない人間への風当たりはおかしいというか
そもそも問題はそこにあって、
働いていることをさも美徳のように考えるのは独善的で、
働いていない理由もいろいろだし不運もある
若い世代の考えはその辺進んでいるというか、
働いていることを社会貢献だと思っている節はあまりないかもしれない
会社員で結婚して家庭を持ってというレールのようなものに要求される基準が高いというのも理解できて、
それが結局得か損かも僕にはわからない 俺は童貞を失ったかどうかもわからないことによる不能感と葛藤にも似た混沌でぐちゃぐちゃになりながらも、会社生活を外面でも成り立たせようという出口の見えない汚い努力を続けているよ 村上春樹 子供
検索順位大幅に落ちたなぁ
別にええけど Twitterを少し趣を変えて、二通りシリーズで攻めることにした。
@shibatomosan 生みの親(姉ちゃん)
育ての親(お婆ちゃん)
義理の親(お婆ちゃん)
お父さん(夫)
こんな地獄のような家庭で生まれてそう ヤミつきになっちゃった
ちょっとカユいくらいがイイ
気持ちええのじゃ 橋本環奈のような女は元来俺の彼女だったが、人間のボタンの掛け違いでなくなった
ロストジュネレーション 環奈ちゃんかわいーで一次的にテンションが上がっているだけなの?半年位で治る?
それともジブリガチやフィギュアガチみたく、そのまま精神の病気に進行しちゃう? 本能寺の変
麒麟がくる
ユキムラチャンネル
同時期にやりそうだな。楽しみだ。両方とも正親町天皇首謀説か?? まあ、秀吉が絡んでたこたーねーな。
知っていた可能性はあるが。
滝川一益や柴田勝家も「本能寺の変」があった後、畿内まで逃げ延びるんだが、秀吉だけ早すぎる。
それで何で細川藤孝は明智光秀の味方に付かなかったか謎だ。細川藤孝は室町幕府にいたから上位が恐れ多いのかな?
明智光秀と信頼関係があったのにふしぎでならん。 ラシェットは、見るからにいかにも軽いというか、
国民からの信頼が得られそうにないキャラだな 期待によって選ばれたのではなく、単なる消去法の結果 仕事終わり
今日は早上がりなのだ
明日は歳を一つとる
また年月を無駄にしてしまった 今夜は芸能人のところへ麻雀なのだ
記念の日だから打ちに行くのだ
仕事はお休みなのだ
一人で過ごしたくない気分だったのだ
シャ乱Qのズルい女を歌いたい気分なのだ いきなりステーキで国産サーロインを食べた
500円引き うわ。ブログ頑張ってるんだが、なかなか飛躍的はアクセス伸びない。ずっと横ばいだし、なかなか新しいキーワードが上位いかない。 ちなみにワードプレス登録したのが7/20だから半年経ったわ。まあサボってる時期があったとは言え、半年でPVが合計6000。今月は1500ペースだから収益化には程遠い。
やっぱり外部の被リンク貰わんと駄目かー。 検索順位1位1個持っていて、月間ボリュームは恐らく60くらい。それと夏目漱石の小説のあらすじからの流入力が次いで多く。あとの検索キーワードは泣かず飛ばずだ。
アナリティクスの成績は良い。平均ページ滞在時間が1ヶ月460人の新規ユーザーと既存ユーザーが30人と少しで2分11秒、直帰率67%。
かなりいい部類には入るが、SEOが頭打ち。 12月21日から今日まで500人サイトに訪れていて1500PVっておかしくないか? いや一人3ページ見てる計算か? とっかかりブログ
『[もう一つのサピエンス全史]ドメスティケーションと心の人類史』をよろしく!
GoogleかYahooから「とっかかりブログ」で検索すると一番上に出ます。そのなかの2番目に新しい記事が我ながらよくできた記事になります^_^ 本能寺の変のこと考えると、
ブルブルブルブル震えて眠れない。同時に織田信長が生きていたら、上杉征伐はもう直ぐにでも果たされただろうし、毛利も一年もつはずがない。
長宗我部との条約破綻により(織田信長が締結寸前で不平等条約を長宗我部に被せた。滅ぶすつもりがあった)、四国侵攻も速かっただろう。
そこまで行けば同盟国の北条も危ない。侵攻すればあっと言う間に滅ぼされる。佐竹・島津、それから伊達政宗の運命もかなり変わっていたことだろう。
どちらにしても怖いな、 信成は信雄
上白石は信孝
浅野忠信はお市
香川真司は不明だが信雄か?
神木隆之介ってそうか? あと半年以内に「とっかかりブログ」でドカンドカン来るで 今後、ブログのことで作業しないと行けないことがいっぱいある。本当に記事もいっぱい書くことあって時間が足りん。
少なくとも9つの記事を書かなければならない。リライトも併せてこれだけで時間が掛かる。記事には次の種類がある。
・特化記事(詳しい内容の記事)
・まとめ記事(特化記事群の総まとめ記事)
・キラーページ(収益化のための記事)
特化記事を集めて内部リンクてまとめ記事に貼っていく。
例:とっかかりブログ
まとめ記事:「ドメスティケーション」
↑
特化記事:「ミニマリスト元年」「パンデミック」「人生に残された時間を考える」「世界経済」「高度情報化社会」
5つの記事を「もう一つのサピエンス全史、ドメスティケーション〜」で簡単に紹介して内部リンクを貼っていく。
こうして記事群を作っていく。これをサイト設計という。記事がリンクすることで読者の興味や流入が分散されてサイト全体が活性化する。
これによりPVが上がった。
そして恐らくGoogleの評価も上がっている。 次にキラーページ
これは収益化ための記事であり、実際に広告を貼ってその商品を実際に売るためのマーケティング戦略による記事を作成する。
「とっかかりブログ」のキラーページは
「趣味のためのおもしろい資格を取る」や「英文法の重要性」を説いた記事だ。
これら記事は実際にアフィリエイト広告の説明が多い。どんな資格があって取るとメリットがあるとか、デメリットはどうとか。
このキラーページ作成が収益化の肝になる。
あらゆる特化記事やまとめ記事からキラーページに読者を誘導していく。キラーページのSEOを狙うよりまとめ・特化記事群から誘導して流入させる。
そうやってマーケティングをしていく。 そしてGoogleの評価であるSEO。
本当はキラーページの検索キーワードが上位表示されれば良いのだがそうもいかない。
とっかかりブログも4つほど上位表示があるので(月間ボリュームが10以下だが)、しかし実際、このキーワード上位か90%新規の流入があり、今月はこのまま行くと2400PVくらい。
日に15〜30人の新規、月に600人の新規、PVが2400。どの記事からもキラーページを踏んでもらえるように今はサイトを整えている。
キラーページ作成=アフィリエイト記事
まとめ記事によって全ての記事を内部リンクしている。そしてどこから入ってもキラーページに飛ぶ様に今整えている。 マウス反応しなくなったので、まだ読めてない
買ってくる ガス海老と言う北陸採れる海老が甘エビより美味いとか ブログ読んだ
しの相当勉強してるよな
僕もメンタルでブログやってみようかな 欠の穴を舐め玉をしゃぶってでもひとりの大物と繋がる根性があれば成功できる目はある はっきり言って大穴狙いしかしてこなかったんだけど、
どうやら僕はピーの気質があるらしい
糖質の記事に需要があるなら、
ちゃんと下調べすれば収益化できると思う 後は成功するまで気合で乗り切るしかない
他人からモチベーション貰おうとしても大概萎える反応されたり無意味なdisりを受けてロクな事にならないから強い目的意識がないとgdgdになる
とアドヴァイスにならない根性なしの失敗談を送ろう なるほどな、自分惰性で生きてきたような人間だから先を見越されているようだ 統合失調症関連で需要がありそうなのは、
・実話体験
・診断されたらどうするか
・障害者年金の受け取り方
・障害者採用での就職
・薬の副作用
・病気のメカニズム
などだろう
ちゃんとしたエビデンスを持って記事の質を上げれば、
一定数のアクセスは確保できると思う 世の中当たり前だが、金で回ってて、
それは綺麗なもんじゃなくて、
欲とか利害が前提で動いている
それに足つっこんだところにいるということが、
地に足がつくということで、
まったく褒められたもんじゃないし、認めたくもない
でもそれが現実ってことなんだろうな 時代は利益の追求より、創造性に価値を置くようになっている。
ジョブズしかりユーチューバーしかり、
利益を目的とするのではなく、イマジネーションやエンタメ性が結果として利益を産むということが増えているように見受けられる。
利益追求の目的化自体がナンセンスというか、前時代的であるかのようにも映る。
このアンチテーゼは普遍的なものなのだろうか? 新しい産業だからじゃないのか
拡大が止まればMBAとかが持ち上げられてまた利益やら効率性追求に変わる
サイクルの一環じゃねーの 理想と現実は互いにメタを張り合う関係にあるのだろう、
理想が最終的にぶち当たるのが現実だが、
現実も突き詰めれば理想によって成り立っている
現実なき理想が空虚なように
理想なき現実は空転するのだろうな >>317
先が読めないな
パンピーの自分がいくら頭を捻ってもイマジナリーで食ってけないように
現代で支配的な、直観を重視する動きと気質も他のものにとって変わるかもしれない
あるいはこのままシンギュラリティに投入するかもしれない 創造性とかイマジナリーで大きな利益をあげているのは少数の限られた人間だろうが、
波に乗っている人間はもっと多いかもしれない ・太宰治「人間失格」の要約記事
・英語リスニングに関するアフィリエイト記事
・宗教のまとめ記事
・SEO対策進捗状況
・ニーチェ
・哲学を中心に文系のまとめ記事
・太宰治「斜陽」の要約記事
・文学記事のまとめ記事
・占い系のアフィリエイト記事
サイトをスリムにするためにまとめ記事を早急に作って、内部リンクでサイト全体の統制を取らんと。そしてそこから漏れた記事はすべて削除する。 夏目漱石はお休みして、みんな興味が高いだろう太宰治の要約記事を作成する。
「人間失格」と対になっている「斜陽」も同時に書かんと意味ないからこの2つの要約記事は完成させる。
それが終わったら今まで書いた文学の記事をまとめ記事に集めて内部リンクで繋ぐ。
アフィリエイト記事も書かんといかんし忙しいな。 占い系の記事はちょっと勉強しないといけない。よく知らんからな。どういう原理なのか? それは幸せを呼ぶのか? それから占いのアフィリエイトがあるので、それを売る記事にするのが目的。 これが自己満で終わるか、実際に収益化に繋がるか。賭けだな。 実際、記事をリライトして、日本語の歪な部分を直したのと、記事群をまとめ記事書いて内部リンクで繋げたことで目に見えてデータに成果が表れてきてる。
自己満で終わるか収益化できるか。大いなる幻想か? 真実か? 反抗か革命か。 成功するかどうかは誰にも分からない
わかってれば当然皆真似してやるんだから
後は実際にやって成果を積んでいくだけ
自分の労力以外には僅かな設備以外殆ど投資せずにやってればマイナスにはならない 俺、太宰治って実は生理的には好きじゃない。
が、太宰治は取り上げたかったので読み直した。
基本、下がる文章読んでも気乗りがしない。 僕はあまり好きじゃないけど
大学の友達は熱烈なファンがいたわ とっかかりブログの「人間失格」を描き終えた。
最後の「左翼活動について」だけでも読んでみて!
終わりに書いた男たちの悲痛の叫び声!! 来る未来でクルミか
久留美という女の名前かとおもた そもそもボクは自閉があってそのことで虐めを受けたなんて、
流行の病み墜ちサイトのノリじゃないですか。 とっかかりブログ書いた。
今回は「宗教」のまとめ記事にする。 仕事終わったぜ
ホットケーキはあまり好かないんだよね
あまり食べない これっくらいの、お弁当箱に
相反する光と闇を詰め、
その衝突により巨大なエネルギーが生じ、
天は開き、大地は潤い、
夜と昼とが巡り、
植物は芽を出し、動物たちは野を駆け、
人々は営み、未来へと希望を託した。 寝落ちしてた
見たよ
クォーターパウンダーはそんな戦略で出したんじゃない
あれはバーガーキングが日本に進出すると決まって
バーガーキングはワッパーというデカいバーガーが売りで
商売敵の長所を潰すために同じ路線のハンバーガーを先に出したのよ
アメリカ本場のデカいバーガーが来るから
先にマックが「これが本気のバーガーだ」というキャンペーンをして
バーガーキングに客が流れないようにした のび太が持ってきたバーガーキングの情報は、それが本当か第三者にはわからないからソースを持ってくるべき クォーターパウンダーは力の入ったキャンペーンで
マックがすごく金をかけてたわけで
サラダマックとは力の入れ具合が違うのよね 問題は、第三者が信じられるかられないかの問題。
その情報を信じられないという人間へはどう対処する? 「信じる信じないはあなた次第」と
胡散臭いグラサンかけて決め台詞を言うさ 僕は偶像崇拝が嫌いなので
「信じるに値するための偶像を出せ」と迫られても困るの。 ロシア革命については、1905年に十万人の民衆が集まって、当時のロマノフ王朝のニコライ2世に嘆願書を提出にきた。民衆は平和的に王室に日露戦争などの停戦や待遇改善を訴えた。
サンクトペテルブルクに現れた民衆に対して、皇帝ニコライ2世は軍隊に発砲を指示。日曜日のサンクトペテルブルクの広場は地で染まり、これを「血の日曜日事件」という。
このロマノフ王朝の暴挙に対して立ち上がった。
そもそもニコライ2世までのロシア帝国はロマノフ王朝の権威を国民も重んじていた訳だ。
日本で言えば恐れ多くも賢きミカドは敬うべき存在であったが、日露戦争の敗北や「血の日曜日事件」によって国民はロマノフ王家を信用できなくなった。
この血の日曜日事件の時だって、民衆は悲痛な叫びで丸腰のまま皇帝に嘆願書を手渡しにきただけなのに発泡された。非常に可哀想だったのだ。 この第一次ロシア革命勃興により、ロシアと民衆の長きに渡る戦いが幕を開ける。サンクトペテルブルク、現在のレーニングラードでの悲劇「血の日曜日事件」をお忘れなく。
この時期はちょうどロシア帝国が南下政策を推し進めていた時期で、西洋列強に遅れをとるまいと中国分割に参加していた。
このまま中国へ南下してくると日本も危ないということで、日本の方からロシアに戦争を仕掛ける。これが日露戦争であり、
日本が歴史的に大国に勝利を収めてアジア進出に乗り出すきっかけとなった戦いだが、ロシアの国内情勢はその後不安定になっていく。
第一次大戦を経てポリシェビキ人民委員会であるレーニンが台頭してくる第二次ロシア革命によるロマノフ王朝打倒へと至る。
おそロシア >>366
寧ろのび太と言う偶像を信じろと言っているのを理解していないのが相変わらず辛いんだけど
会話が成立しないと言うか 金借りたとかそう言うので舌尖が鈍ってんじゃねーぞ
のび太の論理的思考力の弱さは致命的だな 何かを信じるのに偶像を必要とする、というのが偶像崇拝だと思うの
別に僕を信じなくてもいいんだよ
そもそも、その経済雑誌が見当外れかもしれないじゃん
なら僕が言ってることも間違いかもしれない
マクドナルドの社員の言質をとったところで
その社員が嘘をついてないからどうかは分かりようがない
だから別に信じなくてもいいんですよ でも矛盾してたら信じなくてもいいわけですよ
例えば時系列の矛盾とかね
そういうのがあれば、それは間違いなわけです これは信用問題なんだよ
のび太が信用できるかどうかの問題
詐欺師やデタラメな人間、知らない人間を信じることができるかどうかの話
それに対してソース元を明かさずgdgd信仰云々というなら信用に足らない人物というレッテルがのび太に貼られる訳だ
自らを神と同じ立場の据えて俺を信じるのか信じないのかと迫るその態度は傲慢かつ不敬じゃないのか 自分の態度を俯瞰して捉えることができないその姿はまさに子供と同じ未熟な精神の証拠
この言葉を信じられないなら信じなくてもいいですよ
こう言われてのび太は信じるのか
信じないならのび太は他者に対して不誠実な詭弁を宣う詐欺師嘘つきであり、信じたなら子供っぽさから周りを辟易させている事を認めて謝罪するべきだろう はいはい、他人を謝罪させたいだけのくだらない妄言に付き合うつもりはない 別に信じなくていいよ
僕も僕自身のことは信じてないから。
もしかしたらマックは違う戦略だったかもね。 繰言ではあっても妄言じゃありません〜w
そういうところが論理を重んじていないって以前から指摘してんだけど 知的に興奮することが欲しいんだよね、僕は
それを満たしたいわけ
まぁ、その僕の関心の外側を突いてるのは推測できるけど、つまらん 僕は知的だととても思えなかったから質しただけでして ごめん、そういうの間に合ってる
「知的」ということに高尚さはなくて
じゃあ「役に立たなさ」でもいい
たまたま「知的」としか言えないからそう言うだけで
そこに変なものを読み取らないで 僕の思考は僕のものな訳で
そう言う物言いが既に傲慢で幼稚
相手にしないと言うなら相手にしなければ良いんじゃないの まぁ、君がガチでナイーブとは思えないから、
わざとやってるのだろうとは推測してる
どこかでまた交わることもあるだろう これは知的な話をする上でのマナーでしょ
エビデンスを提示するのは ソースの話か、清見には世話になっておるが、発言をしたのなら説得的であるべきだとは思う。 読み手や聞き手に対してのことやな。
自分だけではなく読み手や聞き手がいるということは確か 僕は説得的な会話というものは非科学的だと思ってるんだよね、実は。 まあ、それ以外は何も言わんが。
あまり言い争ってもしょうがない。 葡萄(ブドウ)(Middle Chinese: /buo dɑu/)は、中国語だが、
葡萄は、蝦の色をしているから、葡萄色と書いて「えびいろ」と読む。 エビが赤いとは頭が茹で上がっているようだねぇ
クレバーに会話したいんだけどのび太クンにはまだ早いかなぁ 僕は「真」という概念を言葉の中心に置きたがるけど
言葉というものをそう使わないコミニュケーションもあるよね
という話 テキストベースでコミュニケーション取ってるのに僕の気持ちをわかってくれよとか正に子供だろw
本当に幼稚だよね
のび太くん 清見は優しいやつだがな。ある話に至ると激しく熱くなるので、あの部分で女が逃げてしまう可能性を見てしてる。それ以外は思い遣りがあり優しい。 過去に傷を負う人というのは多い。何かがあったのだが、そこに触れると傷痛が走るのでなるべくは触れないが 痛みで生を感じトラウマを自覚し乗り越える力が湧く
或いは発狂して死ぬ アノニマウスよ、海老天堂大学に通って柔道してたとは チョコパイを勧めてくれたコンビニのお姉さんが辞めてしまったようで、
悔やまれるのと喪失感に苛まれている まあ、落ち着いて座れ。まずは話すぞ。
俺がちゃんと導いてやるから。 別に分かってくれよ、なんて思ってないわ
価値観が違うのにつっかかってくる奴がいて
しかもこいつが理解した上でやってくる、というだけ
その悪趣味な嗜好はやめれば?とは思ってるけど すまんな、しには分かりづらい話なのだけど
ここに友好なコミニュケーションは成り立たないんだ
お互いに罵り合うのが正常な哲学の姿なのだ 価値観の違いといえば違い
だがしかしのび太の言葉の行き着く先を見透かしているだけなんだがw
そういう浅い物言いや態度は人を不快にさせるよという話 つまりのび太は人を不快にさせておきながら
自分の快だけを正当化しているというね
言外のコミュニケーションと言うならまずそこを敏感に感じ取る感性を磨けと 所詮コミュニケーションはマウントの取り合いが常に発生しておりマウントの取り合いを嫌う人間こそ実は自覚的にマウントを取っている
それでいながら本気でマウントを取っていないと言い訳をしているうちにそう思い込んでいく面があるから人の心理というのは厄介だ
自覚的に演じているなら最早クズ
僕はその欺瞞を許せない
僕のエゴがそう囁いている >>439
一回俺と実際に話してみるといいよ。
どういう感じになるか。 俺、現実世界でも勝ち気だったり、サディスティックな男やヒステリーな女をコミュニケーションで攻撃性を無効化できるから。 マウントの取り合いは東京に暮らしているからじゃないか? 周りにそういうコミュニケーションしかないんやろ。 僕は悪意には悪意を持って返すしマウントにはマウントを返す
のび太がイラつくならそれはのび太くんのやってるコミュニケーションが人をイラつかせているからだろうに
人イラつかせておきながら僕をイラつかせるなと言うマッチポンプ
実に見事な煽り芸 断言できるし間違いなくは僕は優しく正しき人には常に敬意を持って接する人間なんだが
のび太にはそれがかけてる面が明らかにある
それを許す度量はない
僕が狭量だと言うならそれは認めよう しを無視するのはわかる。悪かったが悪意はない。5ちゃんを見ないのはいいことだとは思わんか? 俺はやるべきことができた。 おまえは屁理屈で価値を逆転できるやつだろ?
白も黒とできる弁術なら好きに言えるだろ
そんなおまえの詐術のような弁に付き合うつもりはない
それだけよ マウントがとりたいなら僕以外のやつを相手にすればよろし さて
理を持って語ってきたけど感情的になって納得出来ないなら致し方ない
元々会話で相手を納得させる事が出来るとは思っていない
人は理性より先に感情があり感情や欲望を果たすために理を用いるだけなので
お釈迦様も調伏する時はぶん殴りますからね 近所の自称24時間営業のマクドナルド三年前から24時間謳っているのに深夜にいつ行ってもやっていない
やれ自粛だ、コロナがバイトから発生だ、改装、掃除だと書いてあるがマジで一回もやってるのを見た事がない
深夜やってないんだからちゃんと書いておけよと言いたい
それとも何かしらフランチャイズにおける契約か何かで深夜営業だとしておく事で有利な点があるんだろうか
明らかに深夜営業やめてるのに24時間と書き続けてることに不信感しか湧かない 今のアパートに引っ越してきた当初はちゃんとやってたんだがある時から辞めたな
ただ店の前には張り紙だったり立札建てて理由書いてるから本部の監査に対する偽装工作臭さがすごい 夜型だから深夜営業は便利だったのに
今は吉牛と松屋とすき家を順番で巡ってる
マックがあるとアクセントになって良かったんだが
ジョナサンはジョナサンの癖に生意気にも深夜料金取るか行ってない
不味い癖に元々ちょっと高く深夜料金とかふざけんなって感じ この24時間営業の嘘はマクドナルド全体であるようだ
ググルと結構出てくるが実態がよくわからない
なぜ表示をいつまで経っても改めないのか まぁこうやって取り止めもなく何かしらの記事などを参考にせずに書き綴るよりはソースを明かさずとも引用する書き込みの方が価値はあるのだろう
しかし噛み付いた所はそこではなく信用を問うた時にgdgdと言って俺を信じないのか言い出した傲慢さにだが しかし仮にあのやりとりでちょっと思い出せない、などと言った返しならスムーズなコミュニケーションとなり、聞き手側は探してみるかとなるか、ふーんと流したのだろうか
ここで俺を信用できないのかと言い出した瞬間にのび太のいつもの幼稚な傲慢さが表出した
これはエゴのバランスが崩れイドが優勢になった瞬間だろう このように防御反応が出ると言う事はトラウマがあるのか普段のコミュニケーションが少なくコミュニケーション能力が未発達、未熟故なのか 「俺を信じないのか」なんて一言も言ってないだろ
その歪んだ読解力を直せよ 信じるもよし、信じないもよし
そんなことはどうでもいい
ってことよ
おまえ、分かってる側だろ?
真逆の解釈をするなよ 理解せずに読み流せ
読書を継続するってのはそう言うもの
読めない日もあるから分量熟すにはにはそうするしかない 仕事で編集する時ってそんなもんだ
取り敢えず読み流して全部目を通さないと始まらないしな
必要な時にもう一度読み返せば良い
読み返さないって事はそもそも興味も読む必要性もない本だったって事 読書は読んでも「頭に残らなかった」ってのが一番意味がない。というわけで、俺は最近は、読むならおもしろいと思える本、もしくは文学なら聴き流している。
俺が途中から気づいたこと。いくら哲学書や文学書を読んだからって頭に残ってねーなという意味のなさに気づいたことで、どうすれば頭に残るかを考えてインプットするようになった。
工夫するようになった。哲学も文学(小説)も歴史も社会学も精神分析学も全て頭に入るようなモノを選んだし、動画学習や朗読も多用して聴いた。
哲学は木田元がよく理解できたので読み込んだ。それに付随する「概説 西洋哲学史」峯島旭雄と「冒険者シリーズ」を併せて読んでモノにした。
文学ならオーディブルを多用した。
歴史は「宇宙が始まってから今日までの全歴史 137億年の物語」を中心に時代区分ごとの一冊を借りて熟読。
ゴロゴロしたい時は、教養系のYouTubeを余すところなく聴きながらゴロゴロする。
ブログをやることでアウトプット
これでもはや高等遊民と言えるほどインプットが完了した。 俺は東浩紀の言葉を自分なりに咀嚼して書いたまで
読めない日も読まないと知識は積めない
仕事だと読めない日も読まないと仕事が進まない 特に教養系YouTubeは
「武田鉄矢 今日の三枚おろし」
「大人の教養」
「本要約チャンネル」
「中田敦彦YouTube大学院大学」
「ただよび」(東進の講師のYouTube)
「大人の学び直しTV」
「社會部部長」
「大人の教養TV」
「武田邦彦の声」
「ユキムラチャンネル」
「歴史の細道」
「歴史じっくり紀行」
これらをめちゃくちゃ聴いてる。
どのくらい聴いたか? 何千回も聴いてる。
すると、本で読んだこととよくリンクしてるし、本そのもののことを言っていて見解が一致する。こうなると面白い。つまり頭によく入るのだ。 YouTubeは馬鹿にできん。
つまりよくわからん本を一生懸命に見てるより頭に入る。それもかなり質の高い語りがある。文化人や教養系の大学院関係者が作り込んでいるからな。
YouTube?
とか言う人間より、よっぽどYouTube多用してる俺の方が知識がある。 最近youtube大学あんまり見てないな
大分テレビっぽくなってきて見てて辛い動画の割合増えてきて 今時youtubeを馬鹿にしてる奴はいないと思うが
むしろテレビの方がおかしいこと言ってたり浅いこと多いし インプットをするという側面からみればだ、YouTubeはよく頭に入る。そして、それをおさらいするために、よく本も開いて重要箇所をメモしたり熟読したりする。
するとまたよく頭に入る。入り組んでいたら必ずメモをする。
周りでは東海オンエアとかカジサックとか見てるのが多いが、別に悪いとは言わんが、見すぎると俺と差が出るよっていいたくなる。 テレビは尺が限られてて兎に角端折ったり誤解を招く表現を使った例え話が多い
それか説明が全くなくただ凄い技術と言って流される 殊に、歴史は頭に入りにくい。
哲学と社会学は長年の俺の専売特許なので、YouTubeでもこの程度しかいえんのか、とは思う。
精神分析学もよく頭に入っているので、専門用語聞いた瞬間にその構造までわかる。
しかし、歴史は忘れやすく入り組んでいるので、キッチリ頭に入りにくい。それでいて世界史も日本史も文系の教養としては最も重要なのである。
というわけで、YouTubeを聴くことですごく知識が増した。 東海オンエアとか見てても良いだろ
ヒカキン見ようがさ
テレビだって放送大学とかある訳だし
youtubeという媒体を使っているだけでyoutubeという言葉に対するしの嘗てのバイアスが他者の言葉に偏った反応を示していると分析はしておく >>479
ああいうのは見破れる人間が見れば何ら問題ないな。間違った情報を切り捨てて必要なものだけ受け取ればいい。
それなしてもTVから受け取れる情報は薄い。ニュース見るよりYahooニュースみた方がわかりやすいだろ。 >>481
別に見てもいいよ。
ただ、貴重な時間にバラエティなど見過ぎはインプットが疎かになるってだけ言いたい。
実際、俺も月に1回はみる。 >>476
YouTube大学は平たく広く扱っているからな。哲学や禅や少し入り組んだ話になると不出来なことが多い。 アメリカ史で分からないことが出てきたら「大人の教養」「大人の学び直し」をみる。そしてアメリカ史の本を開く。
アイルランド史が出てきて、あまり分かってなかったら「ただよび」を見る。そして本を開く。
繰り返しだ。 yahooニュースはあれで問題があるが
他の報道各社のニュースを集めてタダ乗りしてるだけだから
ニュースソースとしては活用できるがビジネス倫理的にはマナー違反 占いとか本格的に勉強したい
占いを勉強する難しさは、
熟練の詐欺師の手法を体系化して学びたいという難しさに似ていて、
ポーカーでもいいけれど、手法というと、例えば、ブラフだったりミスリードだったりするのだろうけど、そもそも体系化されていなかったり、個人の数だけ手法があるとも言えてしまう感じがする。
学問と違ってこれという入門書がなくて、サイト漁ったり、占いやってるグループチャットに参加したりしてるけど、
まだまだ知識を獲得できていない。
あと哲学書もそろそろ腰を据えて読みたいし、数論もやってみたいし、いずれ歴史もやってみたいが手につかない。 占は、命、卜、相に分けられる
命術は、生来の運命を占う、数秘術や占星術がある
卜術は、その場での運勢を占う、タロットや易がある
相術は、身体と身の回りから運勢を占う、風水や手相がある
占い師はこれらをひとつないしは組み合わせて占いを行うわけだ
雑観だが、現代の占いは、多様化と、スピリチュアリズムや心理学との迎合が見受けられる
占いのカードだけでも山ほどの種類があるし、引き寄せの法則とか高次意識とか持ち出してくる
占法ひとつとっても、占われる本人がカードを選ぶという方法がなされることもある
もちろん真面目に占法を守っている人もいるわけで、一概には言えないが、学問とはことなり現代の占いに正解という形はなくて、個人の総合力でそれぞれやっているという程を様している しかし、易経にしろ占星術にしろ、かなり深い哲学があるのは確かで、
それはある種古代人の素朴な直観によるところがある
易は陰陽2通りを6回積み上げて、2の6乗の、64通りの卦から占うが、
それは一つに大気の流動と同一視される
陽気が下3つ、陰気が上3つのときを、地天泰といい、もっとも喜ばれるが、
陰気である湿った重い空気が、陽気である乾いた軽い空気と混ざり合うからだという。
つまるところ、農耕民であった漢民族としては、上昇気流が発生し雨が降ることを喜んだのだ。
さて、易を立てた伏羲は自然を素朴に観察して、ある種の自然の理を見出したとも言えるが、
ゆくゆくはこの法則というのが、易経でいうところの1であり、太極と言える。
易の占法で、筮竹を一本取って太極に見立てるというのはそういうことだろう。
これに対して、0は混沌たる無為自然である無極となる。
後世に書かれた太極図説では、(世界は最初)無極にして太極。とある。
ようするに深い洞察と素朴な直観に裏付けられているのが占いとも言えるわけだ 占い師も2種類あってキチガイじみた神秘性を持たせるタイプと相手より教養が高く導いてくれると信頼されるタイプ
後者は精神分析医と通じるもんがあると思うが 精神疾患にかかって、絶望して、そうだ占い行こうと思って、
川越の占い師に500円で占ってもらったら、
お前はちんこに黒子があるから女を悦ばせられるとか言われて
調子乗って風俗行ったというのが、一連の風俗通いの始まりだった
今思うとよかったのか悪かったのか分からないがいい経験と思い出になった 教養で上からマリコな、
占い師は深入りすると依存されやすいのと、倫理の外から物申したいがために、
それとわかる占い師っぽい格好や奇抜な格好をするらしい
まあ医者の白衣も同じようなもんだな 川越の占い師はともかく、
古代からある占いなるものにはなにかこう本質みたいなものがありそうな気がするんだよ、
それが逆に水戸黄門の印籠みたいになって右斜め上から物申すマンが生まれるのかもしれないけれど、
科学とはまた別ルートでなにか真理に迫るものがあるのではないかと、 ちんこに黒子がある→女を悦ばせられる
というのは、咒という占いの基本技だろう
そもそも前者と後者に関係はないはずだが、関係念慮が生じて意味が生じる
気にしてなかったおのれのちんこの黒子が途端に意味を持ちはじめるわけだ
これは言語と対象の関係に似ている
そもそもりんごと、りんごという音声は関係がないはずだが、
それが関係するから意味を持つわけで、これを自分は名指しの魔法と呼んでいるが、哲学の意味論の問題になる https://youtu.be/DFCgGaDYADw
誰にも定めは変えられない。だが、そのまま待つか、自ら行くかは決められる 誰にも運命は変えられない。だが、ただ待つか、自ら赴くかは決められる。
東の果てにアカシシにまたがり、石の矢尻を使う勇壮なる蝦夷の一族あり
もののけ姫の舞台は室町時代末期、おそらく北条早雲が勇猛に伊豆に進撃していった頃の話だろう。
アシタカの故郷は東北のどこか。一族は蝦夷という言葉から古代大和政権に敗れて、東北に退いた北海道縄文人だろう。
東北といっても室町時代にはかなり奥地まで侵略が進んでいたため、もっと奥、青森から松前の辺りの蝦夷一族だと思われる。
アシタカは蝦夷の一部族の長となる若者。東のタタラバで呪いに掛かったイノシシの呪詛を被った。そういう話。 韓日?
韓日という言い方をするということは、韓国人か?
日本人が韓日とは言わない。 https://www.afpbb.com/articles/-/3317552
>同氏は、各国政府と航空各社は現在、ワクチン接種歴を記録した電子ワクチン・パスポートの導入を検討しており、航空会社の間では利用者にワクチン接種を義務付けることが標準になるとの見解を示した。
まあ、もうすぐ、スマホで電子ワクチン・パスポートを提示できなければ、公共交通機関の利用も、
通学も、会社出勤も、外食も、スタジアムでのスポーツ観戦も、映画館や劇場に行くことも
できないようになるわけです。パソコンとかの定期的なアンチウイルス・ソフトウェアの
インストールと同じですよ。 俺は思う。
東京オリンピック委員会の会長である森喜朗の発言と外国人がその発言からした批判と、この国際的な反応を受けて日本人が森喜朗を糾弾するのと、
この3者間でそれぞれ受け取ってるニュアンスが違うと思う。森喜朗は女性蔑視で言ったというより、日本的な家父長的な古い言い方をしただけ。
外国人はそのニュアンスが分からんから、どんなつもりで森が言ったかわからず批判していて、これに便乗した外野や身内の日本人が「ほれ、見ろ」という感じで子供を叱りつけるような言い方で言っている。
森喜朗は失言したわけだが、それぞれに齟齬があって滑稽だ。森喜朗の発言は女性蔑視というよりも、森なりの経験則から客観的に語っている。
外国人の受け取り方は、この日本的家父長性が理解できないから、差別したと思ってる。もちろん家父長的な発言がそれ自体女性蔑視に当たる場合も想定できるが、
外国人の理解は、森が女性を蔑んで言ったことだ受け取ったが本人は毛頭そんなつもりはないだろう。
まあ、批判された時点で駄目なんだけど、またアナウンサーの主張が滑稽で パターナリズム(家父長制)はそれ自体がフェミニズムの敵みたいなところがあるから
その権化みたいなものは叩かれやすいのだろうね しょうがない
日本の右翼系大物政治家が多数載っている有名な例の会報誌とか読んでると明らかにフェミニズムを敵視している
海外からの方が誤解ではなくある意味より客観的に森喜朗の発言を批判できていると言える 日本会議とか見る限り日本の保守系政治家は半フェミニズム思想が強烈
誤解しようがないほどに反フェミニズム語っている
日本会議のwikiちょっと読むだけでもわかる 日本国内にいるからこそ国内の主要メディアが報道したり伝えず見えてないものもあると思うよ
日本から見ると中国政府の報道規制とか言論統制がおかしく見えるようにね
しやのび太が思っているより明確に自民党の政治家の多くがフェミニズムに対して攻撃的で保守的だと思う
そもそもしは大分保守的で右寄りの価値観が発言の節々に散見してるから森喜朗に共感してるかもしれんけど
のび太は訳の分からない事ばかりでそれ以外は殆ど語らないから知らんが 女も動かないなら動かないでもいいが、しを動かすだけの材料を持ちあわせていないからな。
しの特性が動かない岩や石であると言うことを曲げるのはできない。しは女に動かない。そういう星の元に生まれてる。 女も経験から、普遍的な男に対する態度を決め込んでしにも当てはめるが、それやったらしに関しては袋小路に墜ちるからな。
それで最後変になるが、女ってのは脳足りんなのよ。
最も保守的なのは女の方だ。ちょっと違うなと思うことには、それに見合う鍵穴がある。それを見つけないで経験から当て嵌めて何かするなよと言いたい。 慌てん坊のサンタクロース
クリスマスの前にやつまで来た
急いでチリリン急いでチリリン。
女の場合、鍵穴に合わない鍵を差し込んで無理矢理開けて壊すのがいいと考えてるが、そんなわけない。不幸にならんかったのかな? 昨日の倫理の時間は、ハンナ・アーレントとアイヒマンについてかー 発狂して保守的という言葉を文脈無視して国語辞書的な意味にまで落として詭弁・ダブスタで語るとことがしの限界か 現代においては女性は、男性と性別に由来する精神性に対する区別は極めて差別的
これを誤解というのは明らかにしやのび太が差別主義者だと示している
自分で気づいていない、更には自分が正しいと思うところが差別問題の根が深く実質的には世代交代でしか解消されないとされる点だろう
この議論は議論の当事者を説得、納得させるのが目的ではなく次代、次々代へのメッセージ、啓蒙目的と知って欲しい
はっきりいえば最早しやのび太や森喜朗は手遅れで君らを相手にしていない ブログやべーな。またモチベ下がってる。
とっかかりブログ、なんか見に来てくれなくなった。検索順位が上位の2つからしか流入がなくて、別のページに飛ばねーの。
魅力ないかな あとはもうちょいでGoogleのコアアップデートでどうなるか。Googleが評価してくれればもう少しページビュー増えるが、今のキーワードの一位と三位が消えたらアクセス無くなるんちゃうかな 前までは、4つ上位検索があった。
「細かな作業が苦手」「細かな作業 苦手」「細かな仕事が苦手」「細かな作業 苦手 適職」が一位
「夏目漱石 彼岸過迄 あらすじ」「彼岸過迄 あらすじ」が3位
「夏目漱石 それから あらすじ」
「夏目漱石 こころ 書評」
「村上春樹 子供」
これが一時期5〜10にいたが、今は見る影もない。 上の二つは生き残っているが、
このページから別のページに飛ばねーのよ。哀しいかな。 あ、あとGoogleとYahooではなく、
beingサイトのアルゴリズムで上位がある。
「カント 哲学」10位くらい(前は6位とか)
「カント 哲学 わかりやすく」(5位)
それから
GoogleとYahooで
「仏教 とっかかり」
「哲学 とっかかり」
「キリスト教 とっかかり」
とかで検索すると1〜5位にいる。
ただ、この検索をする人はいない、
時々いるけど、少ない。 50位前後ならまだまだ検索キーワードいっぱいあるが やり続けるしかないと思うよ
いつか爆発するネタを引き当てるまで少しづつ読者集めるしかない
10人のアクセスより100人のアクセスのほうが拡散は10倍速く広く広まるんだし
アクセスが伸びなくなるとモチベ下がる気持ちはよくわかるが まあね一時期、日に50人来てて、「あーこのままアクセス伸びるんだろうな」ページビューも5000いくかなとか甘い考えでいたら、伸び悩んだわ。
昨日は23人30PV
今日は僅か10人14pv 1月は700人の来訪で2000PVやったが、2月は下がりそう。 俺はちと文章が長くなるからな。
ある種の人は見ないだろうな。
それでも平均ページ滞在数は2分超えてる。それから直帰率も70%で離脱率も65%とか。
悪くはないが、やはりすぐ出てく人も多い。止まって読んでくれる人もいて、その場合、じっくり読んでくれてる模様。 とっかかりブログを知っていて来てくれて読んでくれる人もいるが、問題は新規やね。新規でキーワードから入ってくる人たちの平均ページ滞在時間は1月は1分ちょっとやった。
リピーターは6分とか7分くらいページにいてくれてる。 でもここ4日くらい
「彼岸過迄 あらすじ」で入っても1ページで出てく。「細かな作業 苦手」で入ってきてもそれきり出てく。
昔はそのようなことはなかったが。
もう一度、流入ページを洗い直した方が良さそうやな。 多くの人を寄せるならコンテンツをそっち系に寄せた方がいいかも Twitterをポチりまくってたわ。
Twitterアナリティクスなるものを発見したので、ツイートしたり色々試してみてた。 めちゃTwitterやってた。
Twitterにもアナリティクスというツールがあってな あんたがたどこさ
肥後さ
肥後どこさ
熊本さ
熊本どこさ
センバさ
センバ山に建設された次元転移ゲート”SENBA”には、
500光年離れた場所から、量子暗号化された未知の情報が送られて来ており、
解読は困難を極めていたが、“TANUKI”を名乗る天才ハッカーにより、ついに解読は成功し、
未知の情報の内容は宇宙創生に関する、統一理論の方程式であるという論文がネット上に公開された。
この理論をもとにすれば、アンチグラビティシステムによる反重力推進機構の船を作ることができ、光速をも超える宇宙間航行が可能になる。
そして、21XX年、恒星間航行船、”KONOHA”が完成する。
地球各地から集められた精鋭によって、暗号の送り元である生命体との邂逅を目的とした、果てしない旅が始まった。
〜プロローグ〜 森し
「女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかかります」 和辻哲郎によると、人間の性格は次の自然形態に規定されている
・モンスーン型
・沙漠型
・牧場型
モンスーン型……我々日本やインド、中国などの東アジアに多い気候。これらの気候は、夏は暑く雨が多かったりする。そこに暮らす人々は受け身的な性格になり、自然に逆らわずに自然に従った人間が形成される。
牧場型……主にヨーロッパなどの気候の変化に乏しい地域に暮らす人々の性格。地震もなく災害が少ないことから自然は、人間にとって服するものではない。
こう言った気候に暮らす人々は、合理的な性格の人間形成になっていく。 砂漠型……主にアラビア半島なとの中東に多い気候。この地域に住む人々は、性格がギスギスして戦闘的になるらしい。征服されたら全体に服従するような形態を取る。 日本人は典型的なモンスーン型の人間が形成されている。殊に日本古来の神道、推古天皇の時代に入ってきた仏教、
江戸末期から明治に伝来した西洋文明の切り替えや併合が可能だったのは日本人の性格がモンスーン型であったことから説明される。
日本人の思想の基盤は、三本柱によって成り立つ
・祖先信仰……死んでいった御霊を祀り神とする信仰
・自然崇拝……自然には神が宿るといった信仰
・伊勢信仰……人間は天照大神を始祖とする天皇を中心にできあがっている。 ちょっと古いが
2015年の「君の名は」は、これら日本の三本柱がよく表現されたアニメーションだった。
まず古来日本の考え方として、他界が重要な意味をもってくる。宮水三葉の世界は、死の世界である「他界」である。そして立花瀧の世界が現世である「現代」の人間世界を意味する。
もともと神の世界と人間の世界は、神道では分けられている。神の国は天照大神やタカミムスビが生まれた高天原を言う。
そして人間の世界は、もともと地上に天照大神が降臨した高天原から葦原の中つ国(アシハラのナカツクニ)に降り立ったことから現世は始まる。
神の国(高天原・タカマノハラ)
現世の国(葦原中国・ハシハラノナカツクニ)
黄泉の国(イザナミが穢れを持って来た)
この3つに分かれる。 宮水三葉の世界は岐阜県の古川であるが、時間差で現世と繋がった黄泉の国。立花瀧の世界は、東京であり現世でもある「葦原の中つ国」になる。
三葉は伝統的な神楽をする巫女の末裔である。瀧は都会の高校生。時間が前後するが、黄泉の国と現世の国が「とりかへばや物語」によって繋がったところから物語が始まる。
イザナミとイザナギの神話では、国産みの神話があり、恐らく三葉の母親がイザナミの役割になるだろう。 三葉の母親は、他界している。
もともとイザナミは、国産みを行い淡路島を初めに産んだ。そのあとも日本列島を次々に産んでいき、火の神を産んだ時に焼けて死んでしまう。
イザナギは、黄泉の国へイザナミを迎えに行ったが、穢れを負ったイザナミを見てイザナギは現世に逃げ帰り、川で禊をする。
ちょっとこの辺は物語と完全に対になってるわけではないが、大まかには構造になっている。
スサノオが地上で暴れて根の国(根堅洲国・ネノカタスクニ)に向かうことになるが、これも黄泉の国である。
これが瀧が赴いた岐阜県の玉森町だったっけ?
完全に隕石によって消えた町に赴くことになる。
中上健次の紀行文「根の国 木の国物語」もモチーフにもなっている。 もうカビの生えた昭和以前の倫理観を語っても通じない世の中だと一度脳内をリセットした方がいいぜよ
お前らはもうジジイなんだよ
若くないんだから凝り固まった脳味噌ほぐせ 違うね。
志・心・仁義礼智・誠、そう言ってことってのは普遍的な善なんだよ。そういうものこ伝統・文化のなかにあった場合、それは大切にした方がいい。 どうやら僕が言いたい事がわかっていながら目を逸らしたいようだ
やはり手遅れか 本居宣長によれば「もののあわれ」という日本の刹那や心ってのは天皇の存在や生き方に、その影が見えるものだ。忘れてはならない。 普遍的ななんらかの信念に従うという態度の正反対とは
そんな仮定の存在を置かず
すべてが流行であり、流行がすべてだとの態度をとること
道徳が流行れば道徳に価値はあり
道徳が廃れれば道徳に価値はない
そこにあるのは空虚な信念でない信念 僕はそういうのは好かない
さて、仕事終わった
おつかれモード 社会システムに当て嵌められた善の話をしてるのではない。美しきものというものは感動する人間が培った心だ。心の底から哀しくなることの例え、またはそのさま。
そういったことは素晴らしいことなんだよ。
Superflyの「愛を込めて花束を」という歌。風の声を聴け。 嬉しいとかわくわくするとか、喜びを分かち合うこと。何でもいい。そういった心の底からいいなと思えること。それ自体の話であり、美しき春や涼しい秋もそういうもの。
そういうものでしかない。そういう時が過ぎ去ること。いい季節。楽しい、みんないる。そういうことが過ぎ去ってしまう。刹那。それが日本文化だ。それが「もののあわれ」だ。
それ自体の何ものでもない。そういうことの象徴があってもいいではないか。それが役割と演技であってもだ。 うつくしい自分が感じてもその美しさを醜さと感じていた人も数多くいたということ 醜いことはある。天皇や象徴は、それを排除しきったものではない。 本当は繊細な日本人がギスギスし始めたのは最近のことだ。みんな昔の価値を失ってもろにメンタルやられたのが今の日本人。今は回復期。一昔前は酷かった。
和歌など読んできた日本人が価値を壊して自分たちが何者かを忘れて、もう一つあった日本の野蛮な山賊文化を良しとしたのが今の日本人。
根無草だよ。 日本人の雅の文化と山賊の文化があって、雅の文化を下に置いたのか今の日本人。それは現在では回復傾向にある。
嫌になってなw
ますらおぶり
ためらおぶり
でも、山賊文化に古来勝ったのが大和朝廷だ。
山賊の文化は日本の下になった。それが豪族になったり農民になったり。昔の大君だな。 雅ってのは奴隷がいて初めて成立するものでいわゆる汚いものに蓋をしてるだけでしょ
だから目を逸らすなって言ったんだけどね 勿論金があり権力があれば綺麗なものに囲まれて生きることができるしそれが中世の倫理・文化・美術だったんだろう
しかし近代民主主義において民衆にも文化や倫理・美学が説かれるようなるとそのような華やかな文化は誰もができるものではないから民衆のための文化や倫理が必要となった
そして森喜朗のような考え方は中世の古くさくかび臭い価値観と生活様式に根ざした男尊女卑に過ぎず現代においては到底通じるものじゃない
また普遍的な美を求めて宝石や金を求めてもそれを求める姿は醜悪そのもの
普遍性の持つ美と普遍性を求める姿べつものだと理解しろと言いたい 社会が進化した以上は倫理もアップグレードしなきゃならんのだよ
ついてこれない奴が普遍だなんだと言い訳するな 今までの美が普遍的だったと何一つ証明してもいない癖に普遍的だと語るのは屁理屈に過ぎん
恥を知ってほしいな 心を失った日本人はまさに愚民。
もしくは古代日本の血がない半島の人間か 朝鮮人を否定する訳ではないが、朝鮮人とは、その時代時代でそれぞれ入ってきている。馬韓や弁韓、百済や高句麗、新羅、李氏朝鮮など、そして戦後に日本にいた在日朝鮮人や在日韓国人は、日本の心などはわからないだろう。
特に李氏朝鮮は腐敗した社会であったと聞く。日本人の心もない、戦前戦後に日本にきた半島の人間は美しき日本を残念ながら知らない、 ほら
すぐに差別とヘイトが出てきた
これがしの実態なんだよね 今度は女は虐げられでしゃばらないのが美しいって言い出すぞw 江戸時代までの日本人は繊細で、コミュニケーション力が高く、人と人との関係は「阿吽の呼吸」「以心伝心」というように、奥ゆかしくウィットに富んだ心の文化だ。
江戸の町はそれはそれは清潔で、町民は貧ながら助け合って生きていた。時代劇でみるような犯罪はすこぶる少なくて、おかっぴきは治安が良すぎてすることがあまり無かったと聞く。
江戸時代も300年も続いたのだから何も事件がなかったことはないだろうが、治安の良さは今も昔も変わらない。 朝鮮半島の人間っていうのは、常に日本に入ってきてはいる。だから俺にも昔の朝鮮の血は入っているだろうが問題は日本の万葉集や古今和歌集の文化を知らない、記憶にもないところから来た連中だ。 古くは縄文文化。縄文時代の日本人は殺害行為が1%未満だそうだ。つまり悠久の時を何万年も過ごしてきた民族だ。
弥生時代に朝鮮半島から来た人間によって戦争が生まれた。そして現行天皇家(大和朝廷)もその中の血が色濃いだろうな。それが時間を掛けて血が混ざって人々は心を取り戻し、
そうかと思うとまた半島から来て、血が混じると平和になりの繰り返し。縄文文化の記憶が平和の証なのだ。
江戸時代は鎖国が続いたから半島の人間の流入も少なかったことだろう。だから江戸時代も平和が続いた。
縄文人は繊細なのだ。繊細が故に、大陸の血が混じるごとに葛藤して、時代を経て心を取り戻す。
「もののけ姫」のアシタカは室町時代頃の北海道縄文人だ。「曇りなきまなこで見定める、決める」この頃、まだアイヌ人はいない。
アイヌ人は、北海道の北から入ってきたシベリア系の民族が侵攻により北海道縄文人と混血して13世紀頃?にできた民族だ。 今の天皇家の末裔も弥生時代に入ってきた半島人。それが純粋な日本人を蹴散らして、縄文人は北に南に散らばった。
北に行った者は北海道縄文人に、南に逃げた者たちは琉球文化を培った。
沖縄の文化が平和の文化であるのは、縄文の平和の理念が色濃いからだ。
真ん中にいた大和朝廷は、紛れもなく古代朝鮮半島から来た民俗だ。それが縄文と混ざって宮中の公家文化ができていった。
そして、時代を経て今度は藤原氏。これも弥生時代に入ってきた半島の後に入ってきた百済辺りの半島人。
優しいくて繊細なのは縄文人だと考えていい。 例えばFUJIWARAのフジモンと木下優樹菜を思い浮かべて欲しい。フジモンは藤原五摂家と現代朝鮮人の混血。木下優樹菜は純粋な半島人だ。
木下優樹菜
フジモン
どちらが日本人だかわかるやろ。 どちらも現代韓国だが、これから子孫は日本人と交わって心を取り戻す。あの木下優樹菜の気性も変わっていく。
フジモンは半分半島、半分日本人。まだ日本人的な心が残る。 勿論俺も在日は全員日本から追い出したいよ?
特に外国人参政権とか正気を疑うものだし
だけれでもそれと女性蔑視は別物だ
しはそこから目を背けるなと そういう話ではない。
朝鮮人が悪いとは言ってない。わからないのは血がないからだという事実だ。その子供は心がわかる。 まあ、韓国には韓国人の誇りとか大事なものはあるんだろう。しかし、日本人の繊細さが日本人以外にわかるのかと わかろうと思えばわかるかもしれんな。初めは理性でわかって同じ人間として部外者が心で理解する。
現にドイツ人やフランス人は日本文化を理解している人もいる。 ドラえもんのようなSFマンガでは
「鏡の中の世界」のようなものがある
そこでは現実世界とはあべこべの非日常世界
哲学てのは「鏡の中の世界」を想定できることが大事で
僕らの“あたりまえ”がひっくり返った鏡の中の世界の住人とも対話できる精神は大事だよね
それが“知的謙虚さ”と言われるものの正体ではあるだろうね 半島の人間が悪いということはないが、朝鮮の文化って共感の文化やないじゃん。特に木下優樹菜とかTKOの木下って朴でしょ。朴姓はちょい野蛮なイメージ。
金は王朝系だからまだ品があるが。
そのかわりパクチソンなどを見てもわかる通り突進力が半端ない。 日本人の社会は家中心の「.縦社会の人間関係」なんよ。嫡男がいて、嫡男以外は外に出る。殊によくあるのが女性しかできなかった家の子供。
そういう次男から下の弟たちは、みんな娘婿になるか養子になる。他所の家では娘婿を取ることで、次の世代の嫡男ができた時、孫は自分の血を引いている。
そうやって血統も家も保ててめでたやとなる。
しかしだんだんと先細っていき、家が断絶仕掛けると.親戚から子供を引き取って家と血統を何世代も前に戻して保とうとする。 >>618
その家の概念、儒教的な倫理が男尊女卑だとストレートに指摘してるんだがまだ言い訳すんの?
書き込むほどにしのバイアスとヘイトが浮き彫りになってるよ ああ、そういう男尊女卑とかいう概念さ、もっと宇宙規模でみれば色んな意味を帯びるし、ミクロレベルまで見ればチリみたいに取るに足らないと思わん? 今さあ、Twitterで東進予備校にリツイートされた訳。
その瞬間に1500人がいっせいにツイートに集まったんだけど、そのあとバズらねーの。
何でだと思う? いいねも12止まり。 訳わかんねーんだけど。
有名予備校講師とかいいねくれたんだけど、スーッとみんな消えていく。ちょっとよくわからん。 何故か?
いつもこういったことろでわからなくなる。
しのちゃんはお手上げかもしれん。 そりゃしがまだ何者でもないからだよ
しをいいねしても何にもならんからね
足跡にもならんし
積み重ねていくかリツイートしやすいインパクトのある動画や画像貼るとか? いや、何者でもないやつでもいいねが40以上あるのは普通。それが20いかない 「大人の教養TV」 天皇とは?
あめのみやつこ返信
三島由紀夫が安田講堂で左翼に、「いいから、おまえら天皇を理解しろ」「理解してから左翼運動をやれ」って言ったのを思い出します。
理解できない筈ないのです。革命分子は天皇を理解できないというのは本当に何もわからないで歴史を学んでいるかのように振る舞うようなもの。
右翼が手放して天皇を崇拝する国粋主義主義な訳じゃない。左翼が伝統の意味を理解しない運動家ではない。そう信じたいですね。 あめのみやつこ 返信
左翼・右翼の良い悪いの区別はないと思います。何故ならイデオロギーが右だろうが左だろうが、一定数の過激派や異端分子が現れるのは普遍的なことですから。
1960年代以降左翼運動は日本では穢されたものですよね。おどろおどろしいことをやった人たちがいたので。それに伴い社会党は見る影もなく、共産党もどんなに頑張っても自民党の足元にも及ばない。
三島由紀夫も同性愛に伴いグロテスクなイメージを持つ人も多い。宗教もイデオローグも穢されたら払拭するのは大変です。
日本では「罪と穢れ」があり、日常生活でも穢れた人(スティグマ・レッテルを貼られた人)を忌み嫌う光景はどこにでも見られます。と言うわけで現代において右翼の穢れは10段階の4くらい。
左翼の穢れは7〜8といったところでしょう。ヨーロッパでは左翼はその存在をある程度認知されています。何でもそうですが社会のなかに結社が現れると既存の権力と対立構造になることがあり、
殊に日本では得体の知れない異端分子は村八分みたいな存在になります。
昔の創価学会(現在は日本社会に組み込まれてますね)や統一教会などの宗教団体、連合赤軍やブントの左翼運動、ヤクザなど。日本人はどうしても忌む者たちを受け入れない排他的な側面が強い。 あめのみやつこ 返信
日本文化も良し悪しあります。
良くも悪くも日本文化というのは繊細な文化です。四季折々の自然と先祖崇拝、伊勢信仰、これが日本文化の三本柱です。外国人から見たらとても美しい文化です。ですがこれは表の文化です。
裏には「罪と穢れ」「ハレとケ」「この世とあの世を隔てている異界」があり、漫画やアニメーションに見られるように異世界というものが日本人にはどこまでも付き纏います。
それは日常生活のなかで内部と外部が現れ、それは人を傷めつける要素があります。異界は「忌む」ものです。「結界」を日本人は作って神聖なものを囲って汚いものを排除します。
これは非常に負の部分が大きい。日本文化にも怖い側面はあります。美しい日本と忌む文化、両極の側面があることを忘れてはいけません。
とはいえ日本は平和を主導するほどの良い国民性はあると思いますよ^_^ あめのみやつこ 返信
なるほど、日本人は外国の文化を巧みに取り入れてきました。しかしそれは、外国文化が異界のものだからではありません。いや、むしろ優れた陽の文化だからこそ積極的に取り入れてこれたのです。
優れた文化を見抜くことができる日本の知恵者がそれをわかった上で取り入れたのです。仏教の伝来は推古天皇の時代でした。そして仏教文化を取り入れた者は聖徳太子のような知識階級でした。
幕末の西洋文明を模した近代化を受け入れたのも優れた知識人です。吉田松陰然り、久坂玄瑞然りです。
つまり日本が巧みに外国の文化を日本文化と融合してきたのは当時の知識層です。うまく自国の考えとミックスさせて民衆に分かりやすく説いたので定着するのです。
ただし知識階層でない民衆は、異界世界を忌み嫌います。それは昔からです。得体の知れないものは外部(異界)なのです。普段の日常生活は「ハレ」。
そして非日常の婚姻儀礼や葬式などは「ケ」の文化です。そういった世界は穢れを伴うので穢れを祓うような儀礼が定着しました。
というわけで、日本人は外部を乗り越えた人が外部から来た文化をうまく受け入れてしまう。民衆は後からそれが良いものであることを優しく教えてもらってうまく伝来するのです。それと日本人の元来の排他性とは違います^_^
普段の晴れの日は日常です。よくわからない得体の知れないものは「ケ」、妖怪やお化け、狐や狸もケの世界のものです。日本人の怪談好きも同じです。
異界世界への入り口にみんな立って固唾を飲んで得体の知れないものに近づくのです。しかし、それは怪談話のケの状況。
そういった異界が日常の晴れの文化に入ってくると排除されます。被差別部落然り、村八分然り、そして天皇の存在もです。 まるで日本人だけが排他的であるかのような物言いに強烈な違和感しかない
アメリカだって強烈な赤狩りがありマフィアやギャングがいて黒人は奴隷解放後も有色人種入店禁止の店に入れなかった
日系人は戦時中収容所送りだっただろうに
外個人から日本の倫理が美しいと評価されているというなら外国人が日本の倫理をおかしいという評価にも耳を傾けろとね
まるで筋が通らない言葉だなぁ 日本の構造の話だ。
外国には外国の差別や外部はある。 日本の優位性や美しさを表現するのに結局外部が必要なんだろ
この書き込みの根っこにある肯定性の論理に重大な欠陥があると指摘しただけ >>649
「日本の美しさや優位性」に外部が必要がどうかは入り組んだ話になるのですぐには答えがでない。 指摘した点は構造に対する正誤ではなく、その構造自体を社会的な価値として肯定的に捉えるか否定的に捉えるか個人的な主観よるだろういう点
日本人でも醜く息苦しいと感じる人は無数に存在するだろう
まるで日本人の総意として美しいと断じるかのように書いてもその部分には客観性や抽象性を感じないってこと 共感を得たいというなら右翼には受けるかもね
所詮共感に抽象性や客観性は必要とされていない
ただより多くのパイに向けて共感的な発言をすれば良いだけ
アカデミックであったり論理性や正確なエヴィデンスは求められていないんだから 俺の言った日本文化の構造が肯定的か否定的かって?
良し悪しで言えばどちらともだ。
日本人の排他性はもちろん負の部分であり、無くす必要がある。酷く無教養だと外部を差別するからな。
日本文化の良い部分は、もちろん排他性にはない。日本の古臭いイエの臭いと座敷童子のように、あるいは妖怪や狐や狸のようなものは、外部分子の差別に繋がっている。 日本文化の良さは各時代のインテリ層の倫理性にある。メタ倫理と極度の現象学的間主観性の領域において非常に美的であり、人の心は清廉潔白だ。
古くは万葉集に登場して和歌を詠む天皇や民、聖徳太子のような者たち。弘法大師と最澄、菅原道真、源空、親鸞、日蓮、道元、栄西、林羅山、石田梅岩、平田篤胤、本居宣長、吉田松陰など
日本の倫理道徳を形作った知識人の数は枚挙にいとまがない、
学のない民衆はやはり排他的だ。それは現代でも同じ。 じゃあ半島人にヘイト撒き散らしたしも排他的な側なんだね ただし民衆のなかにも武家は忠義をもって主君に仕え、農民はいつの時代も天皇を敬い、江戸町人は粋な精神を育んだ。
知識人はもちろん、民衆の文化も美しい。
日本昔ばなしに登場するイジワル爺さんと婆さんは、日本の負の構造をシンボリックに表したもの。
清廉潔白が報われるという信仰みたいなもの。 現代でもみんな無意識に差別したり、何かを忌み嫌ったり、異界世界を恐れたり、マウントを取って驕りを見せたり。
そういったものは知識人にはない。あるいはあっても乗り越えた者の方が多いだろつと思う。 おはよう
さて、今日もまたセットだ
夜には帰るのだ ちなみに西洋文化も日本文化も宗教というものが大きな意味を持つ。梅原猛によれば、日本は二度神を殺しているという。一度目は神仏習合と修験道の構造解体。二つ目は戦後に行った政教分離に伴う仏殺し。
梅原猛「神殺しの日本」
西洋文化は近代の経済構造の変化で科学技術の発展によってキリスト教から離脱する者もいたが神は殺していない。
キリスト教を信仰しない者もキリスト教的な生活様式は染み付いているし、精神の基盤はキリスト教にある。
ニーチェやハイデガーはこれらの宗教性を一度洗いざらい精査している。が、日本人は宗教的な精査を行わずにただ神を殺してきた。
そのせいで1980年代以降から徐々に人間の結びつきが切れ始めて今ではこのザマだ。日本人は根無草のように自分たちの大切な価値を失って現世を彷徨う弱者に成り下がった。
宗教が死んでいるから酷く共通した価値がない。共通した価値がないから生きていてもつまらない。何故つまらないかというと人間同士の付き合いがつまらなあからだ。 その天皇を敬ってきたというフィクションが超絶薄寒いんだけど
そんなのは明治以降の創作洗脳プロパガンダだろ
それで浸透なんてもんがある時突然作られた
まるで古代からあえう伝統的なもののようにな
天皇なんざ敬われていなかったから武家社会が台頭してる
そりゃ武家もまた天皇の血縁親戚がスタートなんだから正体や実像はしれてるわな まとめ
西洋ーキリスト教をメタ的な視点によって精査して、自由な精神の基盤を守った。キリスト教的な慣習を備えて国土にしっかり根を張った精神状態で現代に至った。
日本ー日本の宗教は複雑で、多様な宗派の集合としての宗教性を日本人は未だに根底に有している。が、意識的には神を殺して無自覚的に宗教を備えながら、一方で宗教価値が死んでいるので行動に一貫性がない。
大事な一貫性が失われた国民。基盤にあっても分からない状態の精神性。
西洋のように自分たちの宗教を精査できていないので忘却的に宗教を備えているゾンビ軍団 >>661
このレスは無意識的に言っている
僕はわかりません死ぬまでは、と。
僕は天皇のような存在を有してません←無自覚的な価値を有したデラシネ。 ベースが既に歪んでいるしもはやそんな薄っぺらいフィクションに人は酔えない
昔は教育の機会は限られて知識は隠されてきたが現代じゃ知識は公開されより多くの人間を教育することで国力を上げる時代
もう無理なんだよ
そんなフィクション・理屈で人を纏めるのは
今日本人が日本人として纏まっているのは日本で生まれ育ったと言う実感だけだ
フィクションを共有してはいるがそれを理屈としては受け入れていない
ただの共通の話題程度のものにしか過ぎないだろ メタ倫理として過去の倫理・文化を見ている
それに没入なんかできないんだよ 宗教みたいな染み付いたものに無自覚になるとどうなるか?
日本人を見ればわかるやろ。価値がわからない。自分がわからない。どう行動していいかわからない。周りは好き勝手な価値を持っている。
宗教が死んでいるので、価値が多様化して人間の繋がりが薄い。人間といてもつまらない。話が噛み合わない。他人が得体がしれない。
一人になる。引きこもりや精神病理を抱えているか欠陥人間が多い。力強いやつだけ得をする。何故なら彼らは自分で進んでいけるから。
女は当然ギスギスした男を選ぶわな。 >>665
これは>>667ということ。
日本人は1980年から2000年代までは底をついて酷い民度だった。今は回復期。底ではない。ただまだひどい。 西洋社会は日本みたく人間といても話噛み合わないとかつまらないなんてことないで 西洋社会はちゃんと、順を踏んでいる。
哲学が宗教を精査して、メタ倫理的に自分たちの価値を理解している。よくみろ。西洋人にも、無宗教者はたくさんいる。
だけど、ほとんどの人間がキリスト教の慣習を続けているではないか。価値を自覚してるんだよ。
日本人は??
無自覚 日本人は、
ほぼ馬鹿。無価値。ノンポリ。染み付いた宗教的価値に無自覚。それであて恥知らずにも僕は無宗教です。
キリスト教やイスラム教の人
「はあ??? 無宗教???」 恥知らずもいいところだな。
それでいてサムイを着たドイツ人に日本文化を教えてもらっている始末 俺が言いたいのはそのやり方
古臭い価値観を無理やりもって来て宗教としても受け入れられるほどに民衆は愚かでいられなくなったって事
もっとスマートに作り上げられたものがない限りは無理だよ
サロンなんかが流行ってるのはそれ故だろ
それぞれが自分が好む物語や哲学を選んで集まる 日本社会
ギスギスしてる。ギスギスしてるのが社会だと思っている。宗教がないのはメタ倫理を経ていない。ただ馬鹿だから無自覚に有している宗教性を忘れて「僕は無宗教です」
「はあ???」 例えばドーキンスなんかは有名な無神論者だわな
これはダーウィン以降のアカデミックな流れだろ いいんだよサロンはサロンで集まれば。
面白いというより集まりのほとんどは虚しいんだよ、実は。行ってみると何となく話せたな。独りになると俯き加減に孤独を感じる。
価値の共通があったってなかったって別にクラブハウスだって、サロンだって参加すりゃいい。ただ価値を自覚しないと虚しいよということ。 だからニーチェやキルケゴールの役割は機能したんだよ。西洋文化の総括をしたんだから。それによってちゃんと国土に根を張って生きていけてるんだから。
日本人は殺したんだよ仏や神を。
だから根無草。 日本人の心は確かにあるし、その伝統のなかに美しい価値がちゃんとある、天皇はそういう存在だ。これは何度でも言うで。 日本人は心は失ったけど、行儀良さや規律的なところは産業のなかに残った。それは悪くはないが、日本人らしく笑い合って生活していない。
何だが虚しい。何だがつまらない。早く独りになりたい。どうしてだろう。他人が得体のしれない存在に見える。 まあいわゆる心を無くして礼儀の形だけ残った形骸化した社会というやつだな。オフィスの中は規律正しさだけ残った薄ら寒い人間の集合体。 >>676
無宗教はちゃんと今までの価値を総括して、その上で神はいないと言えばいい。日本人はそうではない。ほぼ忘却状態の無宗教者だ。
全て学んで全てわかった。わかった上で宗教を信仰しない、という選択の上に無宗教なわけではない。高校卒業時に東大へ行けるだけの係よがあってあえて就職するのではなく、
日本人は勉強できないまま卒業して行けるところがないから仕方なく何も考えんと工場労働に就職したようなもの。 しの孤独感はしのパーソナリティによるものだというのはわかった 生きていますか!
死んでいますか!
日本人はゾンビですか??
元気ですか!
元気があるわけない。もののあわれを本心で思い出せ。いい時があってその頃に刹那を覚える。みんながいて、笑いがあって、話がずっと続いて最後に心がわかって哀しくなる。
こういうことが昔の日本だ。 みんなオフィスで死んどるわ。
だるい顔して、暗い顔して、ルールだけ厳しくなって、マウント取り合って、クソ面白くもない飲み会。裏で陰口。 昔の日本は俺らに従わなきゃ殺して全部作物奪うぞ
とーちゃんなんで武士に従わなきゃならねーだ
シーっ逆らったら殺されるっぞっ大人しくしてるしかねーだっ
オラいつか武士になっていい暮らししてやるだっオヤジみたいに惨めに暮らしたくねーだっ
こんな感じ で、しはどんな社会生活送ってるか。
明るい。生き生き。ついつい話しすぎてしまう。周りにいる人の8割と二人きりでいても大丈夫。
みんなオフィスで死んどるわ。
だるい顔して、暗い顔して、ルールだけ厳しくなって、マウント取り合って、クソ面白くもない飲み会。裏で陰口。 >>685
昔と変わらんじゃん
切腹の代わりにリストラからの首吊りになったくらいか ニーチェを例に出すなら農奴的で儒教的な支配体制の肯定を脱却する為に天皇や家長制は死んだとする哲学的なまとめが必要だろ
現代は殺さずに棚上げして延命したから抜け出せていないだけ 自分でいうのも何だがお悟りを開いたのかと自分で錯覚するくらい。どよーん。しの周りピカピカ。
仏の心がわかった。どうしても敵対してしまうやつには裏で手を回して駆逐する。仏様、そうだったのか。マウント取るやつにはイナしながらだんだん均等になる。 時には口汚いことも言う。ブラックジョーク。仏様もそうでしたか。よくわかりました^_^ 何だ〜善てこう言うことだだったのかー
ただし心だけは穢さない。心を穢さなければ駆逐も可。仏様、そうですよね。
仏「うむ、よくわかったな」 春になると蝶々が足の周りに絡まりついてくる。手を広げるとそこに蝶々が止まる。犬がものすごく懐く。
悪鬼は駆逐。ブラックはジョークで。 ちんこと同じ素材を開発したら、
縮んだり伸びたりしていろいろ応用できそう 寝てました
起きたよ
昨日は疲れてたのよ
長丁場で打ち続けてて ワイヤレスイヤホンの偽物きた!
結構使えるな。音楽の質についてはわからんが900円でこれだけ使えるならコスパ的に合格! 晃代は俺を二度選ばなっかったんだから、苦しんでも当然の報いだ。 30代の時選ばなかったのは致命的だな。
馬鹿かと思うわ。 女ってのは子を産む体に生まれついているから、誰もが生まれつき情熱的なんだよ。それを男にも求める。たくましく自分を強く奪ってほしい虎思ってるんだ。
それが草食系男子にはわからんのだ。
男は男でリードしてくれる女を待っている。
これって何の齟齬が起きていると思う?? 我々の親世代、あと、しも42なので俺も親世代に入るが、みんな子供を囲って育てようとするのだよ。母親が悪いのだ。
戦後世代の親はみんな子供を囲っている。
それは今も昔も変わらない。
つまり一般的に暴力のない普通の家庭の子供は過保護に育てられ過ぎている。それをいち早く察知して母親の子宮から出ていくのが女の子たちだ。
何故なら女の子たちは次の世代を作らなければいけない運命だからだ。
整理するぞ
・一般的な家庭の子供は現代ではみんな囲われて育っている。
・この一般家庭の子供のうち女の子だけは早く大人になる。
・一般家庭の子供のうち男の子は何かをやってもらうような草食系男子になる。 一般的と言う言葉を遣ったが、一般的ではない家庭があるからそのように言ったのだ。
では一般的ではない家庭とは何か?
それはそう、虐待を受けて親のストレスに晒されてきた子供たちがいるということだ。
そうなると次のような子供が社会という土壌に集まる。
1、一般的な家庭で育った草食系男子
2、一般的な家庭で育った大人女子
3、一般的な家庭で育った甘さがある女子(これも大人になれる)
4、やさぐれだ家庭で育ったサディザム男子
5、虐待されて育った(精神的にも肉体的にも)子供
このような大別の子供たちが学校や社会で集まっている。 そして、これとは別に宗教の概念が曖昧な日本で、家庭はファミリーロマンを国土と切り離したところで展開されている。
一般的な家庭では、みんな子供はが大事だ。
しかし国土と切り離して、宗教のない育て方をする。日本という絶望の国の話はしない。今まで我々がどのように歴史を歩んできたかを親たちは子供に話さない。
このような国の共通価値がそれぞれの家庭で一致して、それで自分たちの肌の色と自分たちが信仰してきた宗教、そこからできた慣習(エートス)、それから国土の自然との共和を習うことになる。
これを日本人は端折ってあるので、子供たちは社会に出たときに共通価値がないままに自分たちだけで新たに価値を創造していく。
これにより個人のガラパゴス化された価値がそこかしこにできてオタクになる。 子供たちが最初に社会に出たときに、そこには昔からいる人たち、同じような顔ぶれが揃っている。そりゃあ同じ大和民族だからな。
ずっと同じ顔ぶれだ。
でもそこにいるのは昔から知っている人たちではない。自分に無自覚な曲がった性格を有した子供たちが集団になっている。その中に自分がいる。
だが、同じ同朋だ。共通価値なしでも過去生の記憶で急に心が繋がったりする、ぶつ切りに繋がっていくわけだ。
我々日本人には日本人の共通の顔があって過去や歴史があって、そして価値が一致すれば大勢の中にいる自分を実感するできるものだ。
しかし価値がなくなった日本で無意識にある共通の価値観を意識しないままポップコーンを煎るとぱんぱん弾けるように自我が肥大化した子供たちがいるわけだ。 社会にいるのは根無草である、自分たちが何者か分からない仮面の子供たち。
この状況と対象的なのが北欧のデンマーク、スウェーデンなどのスカンジナビア半島の若者たちだ。
彼らは自分たちが何者であるかを知っている。自分たちがどんな歴史を背負ってきたのか。自分たちがどんな民族で、宗教は何なのか。
共通価値があるのだ。経済に関しても社会もストレスのない北欧人は共通価値をもって統制の取れた若者が毎日楽しく過ごしている。 本来、日本人は繊細で和歌を詠む、心の通ったバランスの取れた民族なのだが、戦後齟齬が生じてどんどん民度が下がっていった。
最悪は1990〜2010。今は回復期だ。 日本人の子供は両極端なのだよ。
・草食系男子は何もわからない。わからないから強くなろうともしない。とにかく自分の世界が強い。
・大人女子は明るく生きようとするが、ほぼ草食系は無視して若者の集団を強い男子で固めて大勢の女子とオラオラ男子という極端な若者集団ができる。
・メンヘラ男女も非常に多い。虐待を受けた子供たちもやさぐれるので意外に若者集団に組み込まれる
このような日本社会になってある。
実はアメリカのような人種の坩堝である社会もこれと似た構造になっている。日本とアメリカの若者文化はカースト的な共通点がある、 共通価値のない根無草な日本人は、日常のコミュニケーションに齟齬が生じる。共通価値を見出したのが「お笑い」の世界だ。
彼らは面白い。
何故面白いか?
それは国土に繋がれた本当の自分になれたからだ。
彼らのコミュニケーションはうまくいく。自分たちを取り戻せたからだ。彼らがお笑いという世界に飛び込むのは人間的でありたいからだ。
日本的ゾンビとして65になるまで心殺して生きたくないから、彼らは芸人になっていったのだ。芸人になりたいと思うやつらはほぼ人間になりたくてなった。 言葉を発するということは、そのまま国土と関係している。言霊というやつだ。
彼らは真言を手に入れたのだ。
そのときに何を言えば心が繋がるのかを内省して身につけていったのだ。それも時間を掛けて。彼らはコミュニケーション力があるのではない。
時間を掛けて自分を取り戻していった結果面白いことを言うことができるようになっていったのだ。
特別なのではなく日本人を取り戻したに過ぎない。 その場所、時間、自分、日本の霊性、それらの時間的な規則を芸人は繰り返して身につけた。
言っていいことと悪ことがあり、言っていい時と悪い時があり、自分を外部に置いて霊性をあの世から持ってくることで、自分たちを取り戻して日本人的ななったのだ。
「自虐」という概念は、霊性を外部に送り込む作用とそこから自分を呼びつける作用とある。 >>722
今度は芸人に媚びていいねをもらうつもりか
それはいい戦略な予感
大抵の芸人は嫌いだが嫌いなものを敢えて褒めることが出来れば人の世が生き易くなると思うけど無理なものは無理だった 女が女女すると普通は男は男になる。
だけど、それが現代では個人個人の時の流れがそれぞれ違うので、女が女女すると男がうざがったり、男が男になっても女が取り合わなかったりする。
そこで、恋愛は戦略的にならなければならない。 そこはうまくならなければならない。
つまり心が繋がった状態ならそれは可能なんだが、心も繋がってないのに、男が男になって来られても女は何この人と思うだろうし、女が女女してたらある種の男は「うわー引くわ」ってなるわな。
古代であれば、直ぐに女は女に、男は男になれたがな。 すごいだろ。
加藤泰三先生のテレホン人生相談聴いていて理解した。 ちょっとだけ言葉で説明するよ。
若貴さんが来てトントン叩いたんだ。母親のこと考えていた時に理解した。 母親が無意識に俺を袋小路にいれているのだが、出てこれる簡単だ。伊豆の叔母さんとイトコとあきひろというイトコがいていた 二人のイトコは父方のイトコだ。ただ、いない。書きたい 俺を殺すしかない。俺を殺すか、女どもが産んだ子供たちが滅びるか。どっちか 俺のイトコに何かするとwwwww
えいっ!
開ゴマ!! 人まで殺していたとはね
女たちが、そこまですると報いを受ける女も多い THE ART OF LOVING.
THE HEART OF MAN.
It's genius for good and evil. 普通の認識で言えば心の交流が先にある
それを動物の如き発情期を普通とする認知の歪みが凄まじいね
ちゃんと現実を見つめてくれ
動物の発情だって色々ある
画一的に語れないように人間の発情の仕方を自分に都合よく捉えようとしても無駄だよ エーリッヒ・フロムは精神科医だ。ネオフロイト派のね。彼が到達したのは愛なんだよ。どこかで人間の奇跡を体験してる。 セックスは手段ではない。欲求の高次の目的だ。子を産みたい・子を産ませたいというのはやむを得ず出る汁だ。そうではなくちゃんとした道を通って出れば愛するという快楽に到達する ちなみにフロムは精神科医界隈ではほぼ無視されている。彼はナチスへの憎しみが強すぎて診療に障害がある。フロイト派はフロムをすっ飛ばしていっている。
アンナフロイト、マーラー、スピッツ、クライン、ピアジェ……
だけど、フロムの著作には愛を語りうるだけの >>750
これについては、パーソナルな物語が語られている。
この女性は中年女性。子供はいない。夫と二人暮らし。お金に執着がある。
具体的には、金銭的に損をすると酷く落ち込みこむ。
大原敬子先生の見解
お金に執着しているのは、人生が充実していないからではないか? 何かを失うことに強迫観念的に不安になるのは今を生きていないから
加藤泰三先生の見解
実を言うと、
お金を失う=対象喪失なのでは?
人生で何かを失った経験はない?
それを思い出せばすぐによくなるよ。
女性
人生で失ってきたものを直感する。
「失ったものがあります。愛犬を失った経験があり頭から離れない。お会計の時に損をすると死んだ愛犬のことを思い出す」
失ったものを思い出す。
見事に精神分析に於ける無意識を意識化した例。
相談者はこれで乗り越えを一つした。 愛犬を失った経験が乗り越えられていない=何かを失う度に損をした気持ちになる。
・愛犬を失った経験を乗り越えていない(無意識)
・お金に損をするとそのことが妙に気にかかる(無意識的に愛犬柄お金に書き換えられて反復して現在の生活に支障をきたしている)
無意識(愛犬)が意識下(お金)
無意識(死)が意識下(損をする)
置き換えられている。これを意識化したことで乗り越えが達成される。これが精神分析学だ。 いまから戒厳令を敷く。自分たちは助かりたい方向に向かうように。東南アジアに行くなり 自分自身になれないんだったら悪魔になった方がマシだ
デービット・シーベリー 聴いててよくわからないかもしれないが、繰り返して聴いてみたろ。一つだけでいい。繰り返し聴いてみて、特に加藤泰三さんのやつがいい。
YouTubeの検索エンジンに「加藤泰三 テレホン人生相談」と入れていくつか聴いてみて、自分で気になった回の放送を4回聴いてみろ。
相談者の反応に注目して聴け。加藤泰三さんや大原敬子先生のアドバイスの正誤は最後、相談者の反応を見て自分でしてみろ。
複雑なら紙に構図を書いてみろ。やれ。 みたよYouTube、最後まで
愛犬を失ったところのくだりはなんか胡散臭かった
対象喪失か
理由もなく焦ってる人は何か大切なものを失っているのです つまり加藤泰三先生の推測したことがピタッハマったところでずいぶん胡散臭いということ。清見の中では口裏を合わせているのではないかと疑惑をもったわけだ。
もう一歩進むと、その場合、女性の演技になるわけだ。清見は女性のリアクションが演技か演技じゃないかわかるか?? 清見の日常、人が誰かの内面をピタッっといい当てるということがほぼ皆無な訳だね。 日常において、内面を言い当てられるということは現在日本人の殆どが回避していることだが、周りの人間が若い頃より本心とかけ離れたことを言い募って訳の分からない状況になるのに慣れている。 会話しながらあっち飛びこっち飛びして、話の本質からそれ続けるような状況しか経験していない。これって現在の日本人のコミュニケーション特有な訳だけど、これってなんだと思う?? 外国から帰ってきた日本人は、これを本質に戻して戻ってくるよね。いきなりズバリ物事の本質を言い当ててくる。
つまり外国では、現代日本人みたく物事の本質から離れて一緒に会話してるのにコミュニケーション乖離を起こしているような、そんなことはない。
みんな人それぞれ、いい加減な当てずっぽうで言葉が乱立してみんな人の話も聞いていない。ただ一方的に話し続けて、相手が何か言うとその言ったことへの返答ではなく
何だが別の無意味なことを話してその場が終了する。
これが日本人が根無草たる所以だ。 でもこれも2021年現在、みんか少しずつ会話形態を本質の方に戻しつつある。あんな感じのコミュニケーションは乖離し続けて孤独になって自分自身もわからなくなってしまうだけ。 それでもまだ何割かの人間は、ああいう会話をし続けるよね。何故か??
それは他者に介入するのが怖いからだ。 俺がまるで加藤さんを信仰しているように聞こえるかもしれんが、もっと言うと加藤泰三先生はみんなの遥か先に精神レベルが行っているということ。
そして遅ればせながら、しもその背中を追って精神が変化していっていると言うこと。ちなみに加藤先生も10本に2回くらいは外していると思う。
でも大体核心を突いているから、相談者が最後に明るい声で「ありがとうございました」と言っている。 もっと言うよ。
日本人は他者の内面に介在するには情弱すぎるんだよ。精神が5歳児の状態なんだ。それでみんな大人になってる。
殊に日本人の価値ってのは物凄く複雑な訳だ。
複雑でありながらそれを親子間で受け渡しができていない。心が停滞して存在している人が殆ど。
日本文化は宗教を殺したからね。日本人の宗教は物凄く複雑なものだから、それの受け渡しができないでほぼ親はそういった既存の価値観を殺している。
子供たちは国土に根付いた文化的価値を失って根無草のように浮いて存在してる。
これが西洋ならどうだ?
キリスト教一択。キリスト教的慣習は親から子へちゃんと引き継がれている。宗教の複雑さがない上に親はちゃんと自分たちの文化・慣習を認識して子供に渡している。 ハイデガーの「存在と時間」による構図はこうだ。
非本来的な「現存在」(批判)
期待(過去)➖現前化・今しかない人(現在)➖忘却(未来)
本来的な「現存在」(ハイデガーの主張)
先駆的覚悟性(過去)➖瞬間(現在)➖反復(未来)
つまり現在に自分がいるのか、ということだ。ハイデガーのいうところの「現前性」。ここに自分の意識があるか??
ハイデガーは非本来的な自己は過去に先駆的覚悟がないと言う。過去にとらわれているか? 現在にちゃんと自分にいるか、ということ。
これはフロイトの見方にも、共通してる。 自分は現在にいるか
それとも過去にとらわれているか
この二つに一つだ。そして過去にとらわれている人は、何かに対して強い憎しみがある場合が多い。これが加藤先生の持っているパースペクティブだ。 しが昨日言ったことと、これらのことと関係ないと思うか?
つまり、しの過去に引きずってくる何かは家族物語(ファミリーロマン)のなかに社会がある。しの家のこと親戚のことを変えていくことで、社会も生物界も変わっていく。
これは仏陀見た世界だ。
事事無碍法界 口裏を合わせてるというよりは
ゴールドリーディング?みたいな
誘導されてる感じがするんだよね
占い師みたいな感じ? それは解決になっているのか
悩み事は解決されたのか?
そういうのも含めて前進してるのかな?って思いながら聞いてた なるほどね。その可能性はあるかもね。
まあ、対象喪失ってのは、ちゃんと精神医学の型があって、その型に見事に合致した形で彼女の行動が語られた、と俺は見ている。
つまり学術的な症例だ。精神医学の場合、症例から科学的な根拠に当てはまっているものがある。彼女の場合、そういった症例の範囲内だったという話だよ。
ただ、それにしても合致プラスαがあった。 ちなみに、精神分析学にはハイデガーの「現存在」を精神医学に当て嵌めたビンスワンガーの「現存在分析」という哲学的な治療メソッドがある。
>>778
その人の現前性がどうなのかという精神分析だ。
加藤泰三先生は、過去を引き摺っている人の対象関係をうまく炙りだしているよ。 ほぅ、そこらへんは全然知らん
そういうものなのだろうな 所謂、精神医学っては症例が事典みたく資料になっていて、それに当て嵌めて症状を決めているみたいよ。
境界例(ボーダーライン)とかいう異常と正常を分ける時には症例から見てどうかという感じ。
それで現代ではいい加減な精神科医だと、症例と薬を図解にしてよく観もしないで機械的薬だけ与えるみたいな。
それで被験者はブクブク太ってくらしい。 寧ろ精神医学はその出鱈目な辞典を批判して理学療法に舵を切った訳ですが
恣意的且つ主観的な医師のバイアスによる診断に客観的な信憑性、エヴィデンスがないと断じて切り捨てた
精神分析はその最たる極み 人の本音・本質を口にしないのが日本人の美徳だろ
それを察してコミュニケーションを重ねて行く事が出来ない未熟な本音でコミュニケーションを無理やり進めて嫌われてやんわりとはぶられる
会議じゃ本質論を語った方が良い時も多いがそこら辺も力関係を読まないと地雷を踏む 匿名ではオナニー・承認欲求と本音の世界だとは思うけどね
のび太がなんで匿名ですら本音を出さないのかは知らない
どんな妄想を抱いて書き込んでいるのやら個人的な動機故に察することは出来ないな >>788
ああ言う、あっちこっちそっちみたいなコミュニケーションの取り方が日本人の美徳か? 笑わせんな 海外生活で繊細な機微、奥ゆかしさに欠けて帰ってくる人達の空気の読めなさが顰蹙を買う訳だが 日本人の奥ゆかしさは高度なコミュニケーション、言語機能の発達によってのみ理解できる
本音ばかりで浅く語れば頽落していく こゝろのKは日本人であると言う意識を持った西洋化された日本人
儒教的な価値観が廃れ西洋化された教育によって育っている
明治初期までは儒教は重要な基礎教育みなされていたが大正時代には既に高等教育における選択的な教養の一部にまで追いやられていた
そんなものに憧れつつも基礎部分で思考は既に西洋化されつつある
基礎の部分で日本人の魂を注入されずに憧れ高等遊民のような生活に慣れ親しみそれが如何に日本人離れした歪な存在化を客観視出来ずに違和感だけを世間に抱きアイデンティティクライシスの末に死んでいく迷い人
まだ迷い人として自覚と強さがあるなら良いがそれもない故にひととこに居着くしかなく疎外感を強め病んでいく
コミュニケーション能力が弱い人間は客観視も弱くなる
動けない人間が本音で語れば友敵を明確化して無用なトラブルを招くだけだよ 恐ろしく時代錯誤な考え方だね、森元レベルw
IQ低いでしょ?w SNS やLine好きは客観視できないから集団でイジメるし自殺する >>796
時代錯誤とかそういうものじゃないんだが
君の場合は自分が知らないことに劣等感を感じて攻撃してるだけの下の下のレベルでしょ
馬鹿が無駄に絡んでくるのはみっともない
お互い会話が成立しないレベルに教養が離れているんだから時間の無駄じゃない?
言い返すならちゃんと中身のある内容で応答して
君にできるならねぇ Kの自我が西洋化された日本人の姿か?
逆説的にではあるが一理あるな。ただ、いいか、Kは宗教者だそ。非常にストイックな精神性を有した漢だ。
ただ、日本的な宗教性に反発はしてる。
Kの実家は浄土真宗の寺のうちの末の方の子だ。あとは浄土真宗に反発していながら、日蓮に傾倒している。
そう言った意味では非常に日本的なたくましいストイックな日本男児だ。が、 >>798
日本人であるなら家を継承することに迷いは生じないだろう
ましてや碌に働きもせずに遊学するなんてどんな正当性があるというんだ
これは夏目漱石自体が感じたものだろう
日本人の生活と意識が急速に変化していっていることに対する意識から書かれたものだろう
少なくとも明治以前とは明確に隔絶した倫理・教育・社会で育った人間の精神性を描いたものだ
ちなみにベースにした理屈は東浩紀なんかの鼎談の文章読んで自分なりの視座で解釈して書いてます 夏目漱石の視座は、西洋から急激に輸入した文化が日本人の精神に影響して、こころを喪失しているという事を主張してる。
夏目漱石「それから」にもその記述がある。
柄谷行人の「文学論」にもそのことが言及されている。それらの限界は梅原猛やしの見方とも一致している。 Kんl強さとしが語るものが僕にはひ弱な人間にしか見えないと言う話 しとは価値観が重ならないという事を理解してくれれば良い 燕雀いずくんぞ、鴻鵠の志を知らんや
燕雀……小さい鳥
鴻鵠……大きな鳥
大きな鳥の気持ちを小さな鳥はわからない。
秦の時代。陳勝・呉広の乱。陳勝の言葉。 梅原猛は日本人は二度宗教を殺してると言っている。
一度目は明治時代の伊勢信仰における神仏の分離。二度目は戦後のGNQの政教分離政策。
詳しいことは言わないが、宗教、殊に神道と仏教は日本人に染み付いた価値観。
これらを殺したことで、日本人はこころをどんどん失って今ではこのザマだ。
宗教における見解の浅いこと。それは文化人の中にも日本人の心を理解できない者がいるほど。 江戸幕府は、林羅山を徳川家康から4代に渡って家庭教師として採用したが、民衆にも江戸時代のインテリも必ずしも上下定理の理が浸透しきらずに、日本人は多分に哲学をしてきた訳だ。 だってテレホン人生相談のコメント欄をら見てみ。みんな的外れなことばっかり言って理解しようともしていない。
何一つ本質的なことにまで言及しない姿勢。
いい加減な主知主義的な言い分。
昔の日本人の繊細さのかけらもない。
見ていて哀しいほど まあ、こう言うとしが思い上がっているとか、お前が正しい根拠はなんだとか言われそうだが、断言する。お前らの言っていることや指示していることは的外れだ。ちっとは心眼でモノを見たほうがいい。 それは知識的にしが優れているが、それは上乗せされたステータスであって、真髄はこころにある。
何にも人間のこと考えずにきたツケはお前らが背負うことになるが、実はそれによって社会自体が汚れて、そして全体がギスギスしてつまらないような社会になっていっている状況。
人間は群れで生きていて、一人幸せになることはできない。お前らの汚れはこちらにまで浸透してくる。
心を蔑ろにしてきた愚民。オールB層。他人を利用できるかできないかでしか見れない。
これは啓蒙せざるを得ない。 心眼で見るから存在しない自分が見たいものを投影しちゃうんじゃないの >>750
だってさあ、これ一つとってもコメント欄見てみ。
酷すぎひん。人間の心について何一つ考えてない。こいつらって他人の表情見て、どんな顔しているのか、悲しいのか、嬉しいのか、怒ってるのか、冷ややなのか、多分わからんぞ。
コメント見てそう思うわ。
阿呆なのかな? いつだって物事は見聞きしても遅れて理解するものだ
だから僕がここで書き込んでいるのは後から「だから言ったのに」といつかマウント取る為の伏線・布石 俺のコメントも掲載してるけど、構造を説明していることに意味はない。そうじゃなくて、この女の人がさあ、どんな苦しみを今まで抱いてきたのか率直に
「生きていて生の実感が湧かないんだな」「哀しいことが過去にあって引きずってしまって抜け出せないのかわいそう」とか
「充実した日々が送れるといいな」とそう言うこと言ってるやつあんまりいねーの。 >>817
いや、共感とか憐憫の情が一切感じられない。
年配の人とかのコメントも載ってるが、全然駄目だ。 Twitterとかもそう。
コメントは自分のステイタスのことばかり。その人がどうなろうと知らんってわかるわ。インフルエンサーに対して的外れなおべっか。その人がどんな人間なのかわかんねーし、知ろうともしてない。 人を傷つけないような配慮も足りないやつが日常に多い。口を開けば他人批判か、いかに他人より自分が優れているか語るための揚げ足取り。
日本にも古き良き精神性が残っている地域もある。都会はほぼどこ行ってもギスギスしてる。
俺が旅行した中では福井県はまだ人は親切だし、言葉に思い遣りがある。
岐阜県の飛騨市。「〜かな」という言葉を語尾につける。相手の気持ちを汲んで仮定法で「こうだと思うけどどう?」って言うニュアンスの方言があるが、話していて心地いい。
しかし物凄くこういう地域も減っていて少ない >>816
こんなもんを見てるしにドン引きとしか言えんw でも東京が全然駄目かと言うと、そうでもない。ギスギスはしているが意外に本質的なこという人間も多い。大阪の人間もそういう傾向にある。
何故かはわかるが。 >>822
いや、俺はこういう人間の業とか煩悩みたいものが剥き出しになって物を見られるのは非常にいいことと思う。
こういうものばっかり聴いている訳ではないし、3つも4つも聴いていたら疲れる。だけどこういうものを聴くということは人間に関心がある証拠だ。むしろステータスだと思っている。 分かることと共感できる事は別と言っているんだがまぁしょうがない
これもまたいずれ理解することだし
今僕の言ってる事を理解しろとは言わない
ただ将来の布石としてマウント取ってるだけだから
マウント取れていないだろと言いたいだろうが実はマウント取る事になっちゃうんだよね しが文化人や有名人について言及するのは、ミーハーだからではない。人間の分類がわかるからと、シンボリックな存在であることで、言及すると万人に意味が伝わるから吊るし上げて語っているわけだ。
文化人
古市憲寿
津田大介
東浩紀
宇野常寛
荻上チキ
堀江貴文
西村博之
など
彼らは何者かを認知されている。だから彼らの立ち位置や価値観や思想や存在そのものを語ることで手っ取り早くコミュニケーションのツールになる。
だから語る。 例えば、ホリエモンや西村博之がどんな存在か?
彼らは率直に言って情弱だ。かなり攻撃的で殺伐としてる。が、非常に現代にマッチした存在だと思う。
彼らのような頭の回転が速く他人を退けられる人間はこの世の中の象徴だ。
彼らの考え方は独創的で、よく物事がわかっている。立ち位置は社会的成功者らしい。非生産的なことは嫌い。先程から言っている馬鹿とは付き合わない。
ただ、少し思い遣りにかける。もちろん完全に情がない訳でもないし人間としてはおもしろい。 だけどちょっと彼らは憎しみが強い。
過去に対して何かを憎んでいる。それはもちろん親父かお袋に対しての感情であるが、完全に離れてはいるだろうが、彼らが強いとは思わない。
核心には寄せ付けないから強いようには見えるが。 また、古市とか宇野ってのもなかなか存在としてはおもしろい。まあ、あまり言うとなんだが、ポリシーは薄い。宇野はノンポリだと自称してる。情は薄くはないが他人に冷たいだろう。
マイペースだが強い信念があってこのタイプも現代の日本人的ではある。頭の回転がしの3倍速なのでスマートになんでもこなせるだろう。
むちゃぶりは誰よりも嫌う。むちゃな要求ほど彼らが嫌うものはない。 そのエディプスコンプレックとリビドー基軸に語る精神分析の手法は誰にでも当てはまるだろと
どんな言い換えもできるマジックワードだわな >>831
んーとねえ。
つまり精神分析というより、アドラーやロジャースみたいな精神分析学とは違う福祉心理学や臨床心理士にも共通してるどうあがいても拭いされないもの。
その人のことを語る上で両親から出発して考えざるを得ないところのものなんだけどね。 古市は地頭の悪さが発言や行動に見えるが
宇野は知らん 幼児期の体験や教育と言いたいんだろ
一通り基礎心理学の本は軽く目は通しているからなんとなくはわかるが まあ、今日は声を荒げたが、無差別殺傷事件てあるじゃん。ああ言うのってさっき言ったように他人に無関心な人間が増えれば増えるほど、まだまだ何処かで起きるようなものなんだよね。
ハッピネス指数の高い国ではあまり無差別殺傷事件は無いというし、性癖のある精神異常者も少ない。
やっぱりしわ寄せはいきなりやってくる。もししがその現場に出くわしても彼らは俺を刺せないんじゃないかと思うがw わからんけど。
逸話で、釈迦牟尼がアングリマーラという人の指を首飾りにしていたという超絶殺戮マシーンに剣を突きつけられたがいくら刺そうとしても其れができなかったという話がある。
最後にアングリマーラは泣き崩れて釈迦牟尼の足元で泣いたという話だが、
俺は強ちまったく荒唐無稽なことだとは思わない。 フーコーの権力について書こうとしてやめた
フーコー読んでないからね
マウントてそういうことなんだろう 俺は殺された女には多少の因果はあると考えている。
情が薄くなっていくと殺されやすくなるし、他人に無関心を貫いていくとどっかでドカンドカンが来るように思うが
つまり誰でも殺せるということはない。
殺される人は殺されるくらいまで心のレベルが下がっている人だとは思う。
殺されるべきで無い人がやられそうになると人間の何人かが怖くなるんじゃないかなあ。知らんけど。 女は本来、命を奪われることも自殺することもない生き物だと思う。それが殺されるったのはよっぽどのこと。
ただ、普通の生活を送っているレベルでは殺さないレベルにまでいくことはできないし、運が悪いと人に付き纏われるのかも。
人と物凄く繋がりが多い情の深い人を襲っても無理なんじゃないかなあ。まあ、そこまで来ている人ってのは半数以上で、優しい人は命を奪われない説。
あとは女が自分の子供を捨てるってのはよっぽどだな。産むことより産まないことを優先できるほど、やばい妊娠なのかもとか思う。
情のある赤ちゃんならお腹にいる時から顔が紅潮して、母親的な母性本能が子供を生かそうと作用すると思うが。 街に出て、じっとしてると物事の太極的なものがみえてくる。渋谷のハチ公前に座って2時間人の流れを見ると何かアイデアが湧いてくる ちょっと人を心配させて気を惹く言葉ばかり昨日から言ってるけどそろそろ何かに打ち込んだらどうなん
聞いてて疲れる おっと、悪口はそこまでだ
すべての悪口は僕に来なさい きみは、なかなかの漢だよ、マジで
きみは、モテるよ、きっと
アイツはまるっきりダメだけど、加藤みたいで 名無しで書いてるといつ間にか別の人が書き込んできてごっちゃになるな
だけどコテハンはつけません
ただ>>842の台詞は何年か前にも言った気がするが
正直この板に流れて来た時に波平やしの孤独に誘われて居着いた訳だが
俺もだいぶ病んで来た 病んでいるから哲学板にいるのか、
哲学版にいるから病んでいるのか ベットの下からちんこが見つかった変死体のニュースを昔みたけど、
今ならそいつの気持ちわかるな 日本人の心とって「天皇」とか「アシハラノナカツクニ」とか何とかって言っても全然何のことやらとなるので、もっとわかりやすく。
ブルーハーツ
ゆず
この辺がわかりやすいかもしれん。
ブルーハーツは現代日本人の心といっていい。
ゆずは現代日本の古い価値形態だと言っていい。 「ブルーハーツ」「ゆず」に共通していること。
・日本的な心の唄である
・日本人に馴染み深い
・単純に優しさや侘びしさを歌っている
・他人に関心・思いやりがある歌詞(応援歌)
・刹那・もののあわれに関連してる
・右派的な唄(国家に関してはまったく無自覚的)
・主観を自問してる。客観的に至る。 そして最も重要な共通点
誰にでもわかりやすく純粋な心を伝えている。
単純であること。正直であること。「粋」であること。粋であるとは非常に心のバランスを取って綱を渡るような唄。 「ゆず」や「ブルーハーツ」を起点として、もう少しワイルドにしたのが「長渕剛」。一歩知に進んでいるのが「海援隊」「吉田拓郎」。古きに退行してるのが「元ちとせ」。 演歌はモロにそういうものやな。
演歌、フォークソング、ゆず、ブルーハーツ、長渕剛、吉田拓郎、海援隊……
まあ、こんなところやろ。彼らは西洋的な価値の輸入に失敗した戦後日本人のグズグスな価値形態に時間を戻せ。人間になれ、と謳っている。 時間が戻るわけない。
女はわかっているので昔なら40代ならジュディマリとか20代ならあいみょんとかになる訳だ。日本人はもういいから。こころは先にもあるから、と。 「時間を戻せ」といっているのは男
「時間は進んでいるものよ、その中に心はあるの」これが女。
元ちとせは特殊w
おれは元ちとせ好き。 ある種の男の「時間を戻せ」というのは女は同調はする。いいね、心っていいねって言う。
だけど、それは一面的な時間の憂いであって「それはそれ時間は時間」と考えるのが女。
それについて行けない。心を守れ! これが日本人の半数くらいの男。 ちなみに温故知新は不可能。
「温故知新」は、古きを訪ねて新しきを知るということだが。
「温故知新」は知の段階のことだ。
知性が積み重なっていくと、温故知新に至るもので馬鹿女とか情弱男が「温故知新」に至ることなどない。
しだってようやく万葉集を読むくらいまでようやく進んでいたくらいだもの。 いいこと教えてやろうか?
しのにできることは今では何一つない。
もし誰かがやるべきことが何一つないとしたら、考えられるのは人為的に誰かが死んでいる。 人間ってのは人間の関係性に関してはうまくできている 人間関係はちゃんと輪になっていてうまく成ってあるもの。
でもそれがうまく行ってないということは何者かのために堰き止められているということ。
もしかしたら、堰き止めているのはかなりビックリするくらいのことを知っている組織かもされない。あるいは人類の使命を背負っている女か?
どちらにしても、良からぬ企みがある可能性が高い。 変えられないものは「過去」と「他人」
変えられるものは「現在」と「自分」 今はブログなんてやる気分じゃねえ。
俺もあと半分近く生きる時間がある。
110歳で子供ができてまうわ。マジで。 もうこの際、過去のことなんてどうでもいいわ。
過去にいた人間は人類のためにはよ順番に死んでいってくれ。死ねば誰か現れる。 俺の望みは誰か現れることだ。
全員が全員違うのだ。 自分すら変えられないからブログを続けられない
他人を思い通りに出来なくとも影響を与える事はできる
刹那的に生きていけば何事もなせない
願望・欲望の弱さが物事を地道に続けさせる原動力足り得なかった
希望に縋るな
孤独に歩み続けろ
出来ることはそれだけだ しのみは乗り越えた。
あとは乗り越えてないやつ次第。 俺の方はチェックメイトだ。あとは知らん。
どこに問題があるか、突っ撥ねるなら癌が増殖するだけのこと。そしてどっかから死んでいき、自然淘汰されていく。
俺はもう血を見ることもないし、病気になることもない。まあ頑張って乗り越えてみてよ。知らんけど。世界は素晴らしいから。 四面楚歌になって殺されないようにね。
みんな怖がるから、知らんけどw こういうとなんだけど日蓮は病気で死んだが親鸞は80まで長寿を全うした。
日蓮も親鸞も人を惹きつける魅力があり、そこには物語性がある。ただ日蓮は自力で、親鸞は肉食妻帯の他力だったってこと。 善人なおもって往生を遂ぐ、
いわんや悪人をや
しかるを世の人つねにいわく
「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」
この條、一旦、その謂あるににたれども、本願他力の意趣に背けり。その故は、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心、かけたる間、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力の心を廻して、他力をたのみ奉れば、真実報土の往生を遂ぐるなり。
煩悩具足の我等は、いづれの行にても、生死を離るること、あるべからざるを憐れみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏の為なれば、他力をたのみ奉る悪人、もっとも往生の正因なり。
よって「善人だにこそ、往生すれ。まして、悪人は」と仰せ候いき。 他力本願ってこと。
他力本願は自分のことを他人に任せる、という意味ではない。阿弥陀如来に自分の身を委ねるということ。 簡単に言うと。
まあ、頑張って。じゃ。死ぬなよ。死ぬなよ、絶対に知らんけど。 乗り越えたなら幸いだけどとてもそう聞こえないのは何故か
自分で救われるしかないという点は一致しているが >>902
そう言う言葉の発露がしの内面の荒廃具合を感じさせる
うまく言葉にできないがSOSを発信しているのはわかる
答えはわかり過ぎるほどに分かっているのに手が届かないもどかしさ
故の孤独を紛らわせて生きるしかないんだよなぁと こればかりはしょうがない
しもそうやって老いていくんだよ
みなが抱える孤独から逃げることはできない
寂しさを紛らわす家族はいるんだからそれで我慢しろと
伴侶が得られなかったのは残念だろうが今の時代珍しくはない しのは優しくないか。
本質がどうか?
もしからしたら能面顔なのかもしれない。
もしくはそうでないか。 女から見れば、
自分に子供ができた場合、この男は自分たちにとって害になるのか? 守り神になるのか?
女は自分と子供を括って、まず夫を俯瞰する。
その中に入れられないのであれば夫は囲いの外に出して考える。もし自分たちに協力的なのであれば母子のその中に入れる。
また、もし子供を産まない選択をしてるとしたら、男はそのまま生活圏の中に存在するものとして見る。 女が男を選ぶ時、かなり鋭くその男を洞察している。
仮に人間の精神レベル1〜5あったとする。
レベル1の女がレベル5の男を見てどう思うか? たぶん何もわからないだろう。その優しさを見て何も感じない。もしお近づきになっても両方が惹かれ合うということはない。
あくまで精神年齢の低い女は自分に合致した男を選ぶ。レベル1は依存レベルが高いので支配レベルが最高潮の男に支配されることを欲する。
ではレベル4の女はレベル5の男を選ぶか? 合致というものはある。
レベル2の女はメンヘラであり、攻撃性が強いので、これまた精神に問題を抱えている男を選ぶ。やはりモラハラするくらい執着の強い男を選ぶことになる。
依存が強すぎるレベル2の男か、支配が強烈なレベル1の男か。依存度が高い女は依存度の強いレベル1か2の男を選ぶが、
一応生活レベルで支障がないが愚痴が多く、他人批判ばかりするレベル3の男には選べない。レベル3から見ればレベル1と2は気持ちが悪いからだ。
レベル1 依存度か支配欲が強烈に強い(病的なサディスムとマゾヒスト)
レベル2 メンヘラであり依存性が強い
レベル3 生活レベルに支障はないが他人への攻撃性が強い
レベル4 ある程度成熟した人間性を有する。無理をすることで疲れやすい
レベル5 人格者であり、物事の格物致知に至る。自分の欲することの矩を越えずに行動する レベル4の女は運良くレベル5の男と付き合うと、尊敬してレベルが引き上がっていくので、毎日を生きることができる。
ハイデガーの言うとことの現存在の「現前性」(今を生きることができる)。世界が優しく美しく映る。
ただ大概、やはりレベル4はレベル4との付き合いになるだろう。そのように合致する。稀に一つレベルが上の人間と付き合うことができるが、僥倖である。 レベル1〜3は、精神的に憎しみを抱えている。
ハイデガーの現存在の過去に囚われている状態。ハイデガーの「存在と時間」の図式は次の通り。
非本来的な「現存在」
期待(過去)➖現前化・今しかない人(現在)➖忘却(未来)
本来的な「現存在」(ハイデガーの主張)
先駆的覚悟性(過去)➖瞬間(現在)➖反復(未来)
またフロイト的に言えば、
無意識に「過去」を抱えている人間。
メランコリー気質。もう少し進行すると病理的な妄想を伴う精神疾患を抱えている。
これにより、強い支配欲求や依存性が現れる。いわゆるメンヘラである。 しは言い訳に哲学を使ってるのが辛いな
実戦に役立ているならいいんだけど現状の肯定に当て嵌めている
行動に繋げていない
人間関係の構築においては相手の価値観を認めて相手に寄り添う事だろ
これは小学生ですら実践している事だ
人気者になれる何かしらのものがあるなら寄ってくる人がいるだろう
しかしそれを失い周りを退屈させたなら自らが歩み寄るしかないんだよ
社会が望む人格があるならそれを演じ続けるしかないし、それを演じる素養にかけたなら媚びるしかない
媚びると言う言葉が嫌なら寄り添え お前らはこれがわからないから今のこんがらがった現状があるんだろうがっ
人類の半数以上はこれを本能的とも言えるほどにスムーズに熟しているから繁栄してるだろ
欠陥抱えた奴らが哲学に逃げ込んで問題を難しく考えて言い訳する 哲学を話して女が寄ってきた試しがあったのかと言う話
哲学話して女が寄ってこないから孤独なんだろ
どうしても哲学話して女寄せたいなら自分のサロンを開くかtwitterやfacebookで女を募集しろと
それで女がこなきゃ哲学で人気者になれる素養が足りてないってことだろうがっ
だったら諦めてお前らが女の趣味に合わせて口説けよ
口説ける相手を見つけろよ
ちゃうんか!? もう認めちゃおうぜ
若い時はモテることがあってもジジイになるとそう言うものは無くなるんだよ
素直に金で釣ろうぜ
金をまず得ることを考えようぜ
それが無理なら趣味に生きようぜ
お釈迦様の教えはそう言うことなんだってばよ 精神世界は迷宮だが、
入り口と出口があることだけはシンプルに同じだ 愛と言う概念は、何となくコンサセスができているような違っているようなよくわからないとこあるな。 愛という言葉、みんなの見解が合っているか?
それともそれぞれ違うか。
概ね全員一致してるが、細かくみるとそれぞれ違うような。そんな感じ。 長い冬。
本当は清見にはもう借りないで、返すだけにしようと決意したいのだが、すまぬ 【鏡音リン・鏡音レン】貯水槽の亡霊【オリジナル曲PV】 https://nico.ms/sm23933884 貧すれば鈍するを地でいってるな
人がお金で魂を売るのもやむなしか
やはり一番最初に金を稼ぐことに脳みそを酷使するのが正解だったか
悔しい anonymouseよ
世の中は金だ
まずは金ッ!金ッッ!!金ッッッ!!!
金を積み上げろっ
福本先生の言葉です いや
違うな
愛がお金だと知っていながら稼ぐ力のない自分から目を背けていただけか 囚人が自分よりも楽に暮らしているように思えて、嫉妬してみても
看守が今さら囚人に戻る道はない。職務放棄すればどうなるか
よく分かっているでしょう。自業自得です。諦めましょう。 囚人を監視する役割を与えてもらったお蔭で、人を家畜のように扱いながら、
自分は人もどきのような生活をさせてもらえたのだから感謝しましょう。 情けは味方、仇は敵なり。
バルカン半島のスラヴ民族問題について考えたことはあるか?
どういうものかって?
この地域は第一次世界大戦の引き金になったセルビア人やクロアチア人、スロベニア人などの多民族国家(モザイク国家)としてユーゴスラビアがかつてあった土地だ。
この地域の特徴は、バルカン半島の民族同士の仇討ち合戦が行われている土地。どんな問題があるかというと、各民族が入り乱れてかつて殺し合いをしたことで、治安が非常に悪い。
日本でも仇討ちはかつて合法とされたが、この地域の民族紛争は最近まで酷くて、ユーゴスラビアの国民はみんな明日自分の命に保障がないことから、
今日生き残るために知恵を絞るということだ。 もとを正せば日本の日常生活にもわだかまりというものはつきまとうもので、他人に対して気をつけてないと背後から刺されたりする。
訳もなく馬鹿にされたり、毎回マウントを取ってきたり、攻撃性を自分に向けられたりすることをどう思う?
そういう上司や知人がいたとして、そいつが闇に紛れて丘の上に立っていたら突き飛ばしてみようかと考えるのは普通のこと。
消せたらこいつを消してみたい。邪魔だから何とかしたい。そのようなことを考えるのは悪いことだとは思うかい?
みんな法があるからしないだけで、よっぽどやり込められたら捨て身で殺しにくるかもしれない。これは善悪というより互いに気をつけなければいけないものだ。
これは性悪説でも性善説というものでもなく、誕生して蓄積された憎悪というものだ。理屈ではなく日常に塵が溜まるようなもの。
モラルハラスメントはあってはならないし、人間関係は繊細なもの。旧ユーゴの話に戻してみよう。 仇とは、親兄弟や愛する人に危害が加わったり命を奪われた場合に、善良に生きてきた人間がどのように思うかということだ。
殊に手塩に掛けて大事に育てた子供、恋愛途中の相手、そういうものが自分の私利私欲のために命を奪われた場合どうなるか?
これが実はセルビア人とクロアチア人などの間にあったらしい。火種は古いがセルビア人もクロアチア人も両方南スラブ系の民族で、他民族からみるとほとんと見分けがつかないらしい。
ここではかつて親兄弟が殺されて、殺し返して、また殺されといった紛争が絶えなった。これは今の日本国内の世間でも見受けられる問題だ。
つまりムカつくやつや兄弟がぶっ殺された場合に腹に抱える憎悪、これが人間にはあるということだ。理屈ではない。 優しい子だった、自分に良くしてくれた、愛してい人、このような心の通じた相手が馬鹿なやつに攫われてレイプされたり嬲り殺されたりしたら。
そいつらに罪の意識のカケラも見られなかったら、それまで善悪に生きてきた人間の心は180℃転換する。
それがユーゴスラビアであったのだ。
覚えておいた方がいい。恐ろしいことはある。
日本人は平和ボケしながら、その繊細さ故に、攻撃性の強い人間にやりこめられて鬱になったり人間トラブルはある。
普段何も悪いことがない人間は、お笑いのExitみたいな感じでポップに振る舞っているがあれは平和だからああなっているだけで、
仇が出来たら、そいつは180℃変わることになる。
切実になるし、シビアになるし、哲学者にもなるだろう。 善悪に生きてきた
訂正、善良に生きてきた
しの人間付き合いのなかにも色々ある。
会った時には非常に気があって、仲良くなったやつがいたが、ある時からマウントを取ってきたやつがいた。
今から5年くらい前のことだが、
そいつにちょっとした頼み事をしたのだが、何か言って結局、それをやってはくれなかった。
その時から変だなとは思いつつ付き合っていたが、だんだんマウントを取るようになったので、こういう状況になった時に、経験則からそいつに背を向けるようになった。
挨拶くらいはするがミュートして、一切ラインの返信も返さずに、何か言われたら今は忙しいからといって取り合わなかった。
これはこれで相手も利用価値がないと判断するので、そのまま自然に人間関係は消滅した。今では付き合う相手は選ぶようになった。 何か自分に降りかかった時に、人間は正気でいられるかって話。平和だといろんな人間が出てくるが、日本が現在の香港のように政府が自由奪いを束縛するようになったら、チャラい人間はみんないきなり変わるもの。
ギャルが仲間うちで何か陰惨なことがあった後に、急に大人みたく発言するようになるのは環境がそうするということだ。
元サッカー日本代表の監督だったイビチャ・オシムには語録や名言があるが、あれはセルビア人である彼の生い立ちが彼を哲学者にしたに過ぎない。
彼は言う「明日生きられるかわからない極限の社会で、私は今日を生きるための知恵を搾って一つ一つを考えて決断してきた」と。 まだ10代20代っての精神的に脆い。
周りで可愛い子が誰かに抱かれたくらいのことでめちゃショックを受けたり、ちょっとしたことでトラウマを抱えてしまう。
他人の攻撃性にも対処しきれないだろうし、何でも真に受けてしまう。PTSDも発症しやすい。
大人でも目の前で恐ろしいグロテスクなものを見せられたら精神がいかれてしまう。
このように人間精神はものすごく脆いし、思った以上に環境に支配されていることがわかる。 人間は弱く脆い。自分が生かされているということを忘れずに、毎日、太陽が昇り沈んでいくのだからシモーヌ・ヴェーユがいうところの「恩寵」を忘れずに謙虚に生きるべきである。 しの精神は成熟しつつある。
これは非常にありがたい運のいいことだ。
ここまで五体満足に生きられて織田信長のように現実を受け入れて、戦略を練ることができる。
一人でできないことは、誰かに訊きにいったり頼み事をする。 ユーゴスラビアが不安定さを一言で言い表せば金
経済が不安定な国は荒れる
国が一つにまとまるには言語的な統一は最低限必要と言えるが連邦制をとり言語の統一すらできていないのだから文化や意識が一つに纏まるはずもない
まだ経済的な余裕があるなら連邦制でも協調できる
しかし困窮したら不満を抑えることなどできない
裕福な民族・国は困窮した国を寄生虫呼ばわりし、困窮した民族・国は裕福な国を資源や産業を占領独占する山賊や強欲な圧政者呼ばわりするのは明白
結局ユーゴスラビアなんて一時成立した経済圏に過ぎず民族としての意識は成立していなかった 多くの場合金のない結婚は不幸になる
絶対ではないが仕事でストレスを抱えてそれは家族間の関係さえ荒れさせる 運命の人と出会って、結ばれて、家庭を築いて、老後を過ごす
それが自分にとって必然的な幸せに思えた。
それは、無意識に投影されて、哲学の探求の形を取った。
イデアの探求とは、初恋の影を追い求めるのと同義だったから。
しかし僕は呪われすぎた。そのほとんどは自業自得だけれど、業を犯さずに生きることほど難しいことはないのだから、初めから無理だったと諦めもつくのかもしれない。
僕に残っているのは、万能感の背後にある不能感、不全感で、
狂気にも似た、底なしの混沌で、
暗闇のなか、唯一の頼みだった道標も失ってしまった。 成増って行った事ないな
志村坂上なら仕事でちょくちょく行ってたが さわっちゃいけないところだとそういう解釈になる
萌絵なのか?? パシリかつストーカーという立ち位置が心地よいのか??? もっと経済が安定して安定期が長く続いて共通文化を醸成できていれば良かったけど
経済が安定していないんじゃ無理
アメリカは豊かだから戦争起こしてもまとまったし言語を統一でき共通の文化を醸成できたんだろ ユーゴスラビアなんて貧乏きわまりない国同士の集合体
そりゃパイを取り合って殺し合いますわ
日本だって戦国時代は隣村同士で殺し合うのが普通だった
豊かになっていくことで大人しくなり近隣を貿易相手と見做すようになる
しかし飢饉となればやはり一揆が起こり奪い合った
単純だよ
恨みなんていつだってみんな抱いてる
貧乏はそれを露出される
最低限のお金という衣で常に心を覆っていないと人は殺し合う 問題は、始まりの貧困ではなく途中に殺しあったことによる瑣末な憎悪だが みんな本当はわかってるんだろ
飢えた国同士が争うなら片側を民族浄化させるのが一番争いを少なくさせることだって
第三者の余計な調停が混乱を長引かせる
合理性を持って冷徹に考えれば勝ち負けは明白にして敗者は吸収消滅される事が国が大きくなっていく上での必然的な過程だ チトー政権下で一度纏まった南スラヴだが、あまりに民族主義者たちが人を殺し過ぎた チトー政権下での社会体制による根本的な経済の問題性から経済が低迷してる
社会主義なのか資本主義なのかハッキリさせるしかなかったんだろ
ソ連から離れるなら完全に資本主義に舵を切るしかなかったんだろうよ
共産・社会主義なんて小さな国でやっても回らないんだから 他民族的な融和・共生を正しいと見るか吸収消滅的な同化政策が正しいか
民主主義が多数派による政治なら少数民族は異物にしかならん
日本はまだ裕福だから殺し合いになっていないだけだろ
本当に貧困化したら殺し合いの差別が起きるね
ユーゴスラビアはソ連崩壊時にインフラや経済が混乱してそのレベルの貧困にまで落ちる未来が垣間見えたから殺し合いが再燃したんだろ 元々違う民族なんだから仲良くなれるはずがない
日本と朝鮮だって外から見たら同じ国に見られてるのに仲悪いだろ
言葉も違うからコミュニケーション取れないし宗教や倫理観だって外から見たら違いの区別が出来ないが日本人も韓国人も全く違うと言い切るだろう
こういう問題は抽象化して語っても無駄
根本から別の考えと利益の対立が根底に存在している
だから双方にとって対立を超えるほどの利益豊かさが存在しない限りは融和なんて不可能なんだよ 対話や問題可決の方策なんて徹底的に殺し合いさせて片方を追い出すか絶滅させるしかない
それを止めても永遠に燻り続けるだけなのは今のバルカン半島にアフリカ中東と全てが物語ってる
お金だけが解決するのは旧約聖書にも書かれているだろう
親族殺したらそれに見合った羊や金で和解するしかない 金だ
金さえあればみんな笑って暮らせる
経済しくじったら殺しあうしかなくなる お金こそ愛だと僕は愛の真理を知った
手遅れ気味だが知った
だからお金を稼ごう
それが愛に繋がる wiki「ユーゴスラビア紛争」より
第一次世界大戦で敗れたオーストリア=ハンガリー帝国は解体し、バルカン半島西部にユーゴスラビア王国が1918年に誕生した。建国時から多民族国家であり、主導的な立場のセルビア人に対するクロアチア人ら他民族の反感といった問題が存在していた。
第二次世界大戦でユーゴスラビア王国はナチス・ドイツ、イタリアや他の東欧枢軸諸国に侵攻され、侵攻に参加した各国に併合された地域や占領地、傀儡政権の支配地域に分断された。
ヨシップ・ブロズ・チトーは民族を超えてパルチザンを率いて枢軸国と戦ったものの、クロアチア独立国のウスタシャがセルビア人を虐殺し、
一方で崩壊したユーゴスラビア王国軍のセルビア人将兵が組織したチェトニックはパルチザンやクロアチア人を攻撃した。
クロアチア・セルビア双方の民族主義者による敵対勢力への蛮行は遺恨を残し、後のユーゴスラビア内戦においても論争の的になった。 まあ、頑張れ。
人間の瑣末な憎悪というやつを理解した方がいい。
結局、尾を引いているのは民族問題だ。 クロアチアのウスタシャ
セルビアのチェトニック
1990年サッカーイタリアW杯において、
イビチャ・オシム率いるユーゴスラビア代表がアルゼンチンと戦った時にPK戦にまでもつれ込んだが民族活動家の暴挙を恐れて、PKは全員わざと失敗した。 >>986
言っている意味がわかっていないようだな
そんなものは外部には到底理解できないもので、また当事者である程に対話や理解では決して乗り越える事ができないものだ
ただ裕福であればそれも抑えていられる
そうして安定した社会が百年二百年と続ける事ができれば漸く新たな国家民族として乗り越えられる
しかし世代を超えて安定できなきゃ恨みは一気に噴き出てどちらかが滅ぶまで殺し合うのは現代に至るまで歴史が証明してる 殺しあう歴史は相互理解で乗り越えられないという話
殺された恨み殺し返す事でしか埋まらず相手が死んだ後も決して怒りは消えない The Art of Laving.
The Heart of Man.
its genius for good and evil,1964. サンユッタ・ニカーヤ2
仏陀、悪魔との対話
岩波文庫 例えばイスラエルとパレスチナは絶対融和しないよね
もしイスラエルがパレスチナに謝罪して難民を受け入れたら数年以内に大規模な内戦が起きるよ
元々パレスチナの土地をイスラエルが武力で奪って追い出したんだから経済的に余裕で来たらパレスチナの過激派は全力で戦争仕掛ける 自分たちがどれだけ酷いことをしたか分かっているからイスラエルはパレスチナ難民の受け入れを絶対しないんだし ユーゴも殺し合いの連鎖が続いている以上は余裕と機会が有ればまず殺し合う
許せるわけないじゃん
機会があれば絶対報復するわ もともとはイギリスの外交のツケやね
フサイン・マクマホン協定
サイクスピコ協定
ヴァルフォア宣言
当然知ってるよね 何年か前にシオニズムは何冊か読んだな
大分忘れてるが インディアンだって実質的に滅亡したと言っていい
アイヌだって社会としては完全滅亡してる このスレッドは1000を超えました。
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