【終末論】ー 世界と人類の終わりについて ー
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・今、人類という不完全な欠陥種が終わろうとしている
・人類という歴史的に長い苦役と不条理、苦悩と不快、根元悪の存在が終わろうとしている
・世界と人類の終末から展望を始め、最期の人類終末へと火花のように至ること
・ポスト人類のあとに到来する【不可知の実体】は一体何であろうか
・彼らは人類の朽ち果てた不正と汚穢と不名誉に溢れた墓石をみてこう語るだろう
<地球上には、かつて人類という哀れな奴隷種族が存在していたようだ>と。 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生じてくる。逆にいえば、
一定の原因が与えられなければ、結果が生じてくることは不可能である あらゆるものには、なぜそれが存在するのか、あるいはまた存在しないのか、という
原因あるいは理由が示されなければならない。たとえば、三角形が存在するならば、
その三角形がなぜ存在するのかという理由あるいは原因がなければならない。
もしもそれが存在しないならば、その存在を妨げたり、除去する理由あるいは原因がなければならない。
だが、この理由あるいは原因はものの本性にふくまれるか、それともその外部になければならない。 たとえば、四角の円がなぜ存在しないのかという理由は、そのものの本性そのものによって
示される。むろんそれが矛盾を含んでいるからである この世に耐えられない者は、同様に、あの世にも耐えられない者であろう >しかし地上における神のみわざは啓示されなかった。神は、ご自身の
みわざの代行者がいかなる行動によって、いやそれどころかいかに人々
を導いて、この世の用件に介入すべきかを、啓示なさらなかった。
キリストの受肉により神の恩寵が法に取って替わって以後、神が
告げられたのは、キリストの再臨までの短い期間、苦しみながらも
世の支配者たちに従うべしということだけだった。地上における神の
みわざは、この世の正しい秩序であり、人間の争いの対象である。
この争いが深刻になればなるほど、争いの当事者たちは神のみこころ
についてその都度自分の解釈をますます堅く信じて疑わなくなる。
この争いは、自分の信念こそが神のみこころであると述べ立てるために、
聖書の註釈を利用する。<
エーリヒ・アウエルバッハ、『中世の言語と読者』、pp.314-315 世界が、人類が、まず先に、不死を、永遠を、約束され、
あとは徐々に改良されゆくばかりの文明となった時、
初めてそれを眺め、適度に参画する個の永遠も
あってもよいかもしれない 終末論は周期的に出てくるけど、実現した試しはない
ハルマゲドン とりあえず東京にマンション貸りておいて、こっちにいながら準備しようとしたが…… まあ、あっちのことは怒んねーけどほどほどにしないと食い込んできて自分まで死ぬことになるよ。 どこまで死ぬか教えておくか、
時計の針が20分から50分までの人たちはほとんど死ぬ 仲間にいてよく怖くないな。
俺なら日常のどこで死ぬかなんてグループ入らねーわ。いきなり殺すんだろ。 世界が終わるというのは、どの時代にもよく言われていること アメリカでは、ワクチン投与済みの人々にも、マスクの義務化が課されるように
制度が再度、変更されている州が増えてきているようだよ
ワクチン打ってもコロナデルタの感染力に対しては、十分でないということで スペインかぜ(1918 flu pandemic, Spanish flu、スペイン語: La pandemia de gripe de 1918、gran pandemia de gripe、gripe española)は、
1918年から1920年にかけ全世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザの通称。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック
重度指数(PSI)においては最上位のカテゴリー5に分類される。
全世界で5億人が感染したとされ、 世界人口(18億-19億)のおよそ27%
(CDCによれば3分の1)とされており、 これには北極および太平洋諸国人口も
含まれる。死亡者数は5,000万-1億人以上、おそらくは1億人を超えていたと
推定されており、人類史上最も死者を出したパンデミックのひとつである。
現状の歴史的・疫学的データでは、その地理的起源を特定できていない。
流行源は特定できていないが、初期にスペインから感染拡大の情報がもたらされた
ため、この名で呼ばれている。パンデミックが始まった1918年は第一次世界大戦中
であり、世界で情報が検閲されていた中でスペインは中立国であったため戦時の
情報統制下になく、感染症による被害が自由に報道されていた。
一説によると、この大流行により多くの死者が出たことで徴兵できる成人男性が
減ったため、第一次世界大戦の終結が早まったといわれている 今のコロナは、百年前のスペイン風邪の流行より、世界人口数が3倍以上あり、
かつ、人々の国境を超えた行き来や物流も当時よりずっと多いことを考えれば、
今回のコロナやその変異株が、スペイン風邪の3倍以上の被害を出すであろう
ことくらい想定しておくのが、リスク管理というものではないかな。
まだ、コロナは序章が始まったくらいで、これは助走に入っているくらいに
考えておくのが良いだろう。大規模な戦争はないけど、その代わりに、
地球規模の自然環境の大規模災害が多発しているので、それで釣り合うのではないかな 岩戸の位置を再び修正(岩戸は人間の意識の内にある)
「十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。」
これはどうやら中心の目を囲む同心円(中心に至るまでの距離というか時)を表していて、岩戸そのものの位置を指している訳では無いようです。
ただ「二の」が「千引きの岩戸」と一致している為、「仏教の岩戸」が明けた海8/15(4/21)で「千引の岩戸」を「二の言答」と言っている訳ですね。
『言答(いわと)明けたる今日ぞ目出度し、二の言答(いわと)早よう明けてよ。八月十五日。』【海の巻 第5帖】
日本に定められた70週に至るまで後 百と二日
http://imepic.jp/20220115/338180 原始キリスト教ってたぶんこのスレみたいだったんだよ 2022年5月5日は 日の出の巻の冬至(日12/22) と 上つ巻の夏至(上6/21) に照応しているようですね。最弱(冬至)から最強(夏至)へのひっくり返りと統合という二つの意味がありそうです。
鎮座の上6/10 は黄の馬と一致
外国の飛行機(地底人のUFO?)が来ると騒がれるのは4月後半みたいです
「後ろの正面だあれ」
後を八合目(この世 (八つの世界)の一番 後)とすると九合目の冥界が後ろの正面
「四十七と四十八で世新しく致すぞ」
これは天地を物理的に新しく作り変えるという意味みたいです。そして四十七と四十八はその日付を指しているようです。※ポールシフト(あるとすれば)はその為のものみたいですね。「四十七と四十八」は 5/19〜5/22
五十九柱の石を黄11/17からカウント
https://d.kuku.lu/f495bb2a8 右目 + 左目 + 鼻 = 三位一体(プロミデンスの瞳)となりこの世だけでなく三千世界をも照らし出す(全てを見透す)ってことらしい。
ht◆tps://d.kuku.lu/3c7fb7c6d >>164 午後の14:50.江頭さんみたいだけど. 「最後の審判」とは何でしょうか
「キリストの再臨」は「神の子」に以下の贈り物を与えてくれます。
すなわち、「神を代弁する声」が、間違っているものは間違っており、真実であるものは決して変わっていないと宣言するのを聞くことです。
そして、これが審判であり、これにおいて知覚が終焉します。
最初にあなたは、これを真実であり、今や修正されたマインドから投影されたものとして受け入れた世界を見ます。
そして、この神聖な視力によって知覚は沈黙の祝福を与え、それから姿を消します。
知覚はその目標を達成し、その使命を完了したのです。
この世界に対する最後の審判は、いかなる有罪判決も含んではいません。
というのは、それはこの世界を完全に赦され、罪もなく、まったく何の目的もないものとして見るからです。
原因がなく、そして今や「キリスト」の視力からすると一つの機能もなく、この世界はすっと姿を消して無になります。
この世界は無の中で生まれたのであり、無の中で終焉します。
そして、この世界はそもそも夢の中で始まりましたが、その夢の登場人物のすべてもこの世界と共に姿を消します。
今や肉体は無用となり、したがって、徐々に姿を消すことになります。
なぜなら「神の子」は無限だからです。 「神の最後の審判」はこの世界に有罪判決を下して、あなたも一緒に地獄に落とすだろうと信じていたあなた、次に述べる神聖な真実を受け容れてください。
「神の審判」は、「神」があなたのすべての過ちに与えた「修正」の贈り物であり、それによってあなたをそれらの過ちから解放し、それらがもっているように見えたすべての結果から解放したのです。
「神」の救いの恩寵を恐れることは、苦しみからの完全な解放を恐れ、安らぎと安全と幸せに戻ることを恐れ、あなた自身の「帰属意識」との結合を恐れることに他なりません。
「神の最後の審判」は、「神の子」を祝福し、「神」が「神の子」と共有される永遠の安らぎに戻るようにと彼に呼びかけるという、「神」が指定された計画の一歩一歩と同じく慈悲深いものです。
愛を恐れないでください。
というのは、愛だけがすべての悲しみを癒し、すべての涙をぬぐい去り、「神」が「ご自身の子」と認めている「子」を苦痛に満ちた夢から優しく目覚めさせることができるからです。
これを恐れないでください。
救いはあなたがそれを歓迎することを依頼しています。
そして、この世界はあなたの喜びに満ちた受容を待っており、それはこの世界を解放するでしょう。
以下の言葉が「神の最後の審判」です。
”あなたは今も「私」の神聖な「子」であり、永遠に罪のない存在であり、永遠に愛にあふれ、永遠に愛され、あなたの「創造主」のように無制限であり、完全に不変であり、永遠に純粋です。
そういうわけですから、目を覚まして「私」のもとに戻ってください。
私はあなたの「父」であり、あなたは「私の子」なのです”。
イエス・キリストの「奇跡講座」という本からの引用でした この世界の価値についてもう一度考えるために少し時間を費やす価値があるかもしれません。
おそらく、あなたはこの世界の価値についての思いのすべてを手放すことで何も失うものはないと譲歩して認めるかもしれません。
あなたが見ている世界は確かに容赦のない世界であり、不安定で、残酷で、あなたのことなど気にかけることはなく、すぐに報復に走り、無情で憎しみに満ちています。
それは与えますが撤回します。
そして、あなたがしばらくの間大切にしていたすべてのものを奪い取ります。
永続的な愛はここでは見つかりません。
というのは、それはここにはまったく存在しないからです。
これは時間の世界であり、すべてのものが終わる場所です。
この世界の代わりに、失うことは不可能であり、愛が永遠に継続し、憎しみは存在することができず、報復には何の意味もない世界を発見することは損失でしょうか。
あなたが本当に欲しいもののすべてを発見することは損失でしょうか。
そして、それらのものには終わりがなく、時間が存在する間はずっとあなたがこうであってほしいというまさにその状態であり続けると知ることは損失でしょうか。
しかしながら、それらのものですら私たちが語ることができないものと遂に交換されるでしょう。
というのは、あなたはその場所から、言葉がまったく機能しない場所へと移動し、言葉はまったく語られることがなく、それでいて、確実に理解されている沈黙の中へと入っていくからです。
イエス・キリストの奇跡講座からでした 死は存在しません。「神の子」は自由です。
死はひとつの思いであり、数多くの形をとりますが、多くの場合、認識されることはありません。
死は、悲しみ、怖れ、心配、あるいは、疑いとして現れるかもしれません、
怒り、信仰心の欠如、信頼の欠如として現れるかもしれません。
肉体に対する心配、羨望、あなたが今そうでないものになりたいという願望があなたを誘惑するためにとるあらゆる形で現れるかもしれません、
このような思いのすべては、死を救い主として、解放を与えてくれるものとして崇拝することの反映にすぎません、
怖れの体現、罪の宿主、罪人の神、あらゆる幻想と欺瞞の王である死という思いは、確かに強力に見えます。
というのは、死はすべての生命あるものを自らの腐食した手の中にもっているように見えるからです。
あらゆる希望や願望をその生命を枯らす手で握りしめ、すべての目標を視力のない目で知覚しているように見えるからです。
脆弱な者、絶望している者、病める者は、それだけが実在的であり、不可避的であり、彼らの信頼に値すると考えて、死のイメージの前に頭を垂れます。
というのは、死だけが確実にやってくるからです。
死以外のものはすべて不確実であると見られます。
やっとのことで手に入れたとしてもあっという間に失われ、その結果は不確かであり、それらがかつて生み出した希望は裏切りがちであり、その航跡には希望や夢の代わりに塵と灰汁の味が残ります。
しかし、死は当てにすることができます。
というのは、それが到着するときには確かな足取りでやって来るからです。
死は、それ自身に対する人質としての生命を奪うことに決して失敗することはありません。
あなたはこのような偶像に頭を垂れるのでしょうか。
ここでは「神ご自身」の強さと力が、塵でできている偶像の中にあると知覚されているのです。
ここに、「神」と正反対のものがあらゆる創造物の主として宣言されており、生命を支持する「神の意志」よりも強いとされ、終わることのない愛と、「天国」の完璧で不変の恒久性よりも強いとされているのです。
ここにおいて、「神の意志」と「神の子」の意志はついに打ち破られて、死が神聖な「神の子」の肉体の上に置いた墓標の下に休息するべく横たえられているのです。 敗北して神聖な存在でなくなった彼は、死が彼にこうなってほしいと望むものになったのです。
死が自ら書いた彼の墓碑銘には彼の名前はありません。
というのは、彼は塵になったからです。
墓碑銘には次の言葉が書かれているだけです。
”ここに「神」が死んだことを証言する証人が眠る”。
そして、死はこれを繰り返し、繰り返し書きます。
その間に、死の崇拝者は同意し、額を地面につけてひざまずきながら、恐ろしそうに確かにその通りだとささやくのです。
いかなる形であれ死を崇拝しながら、大切にしたくない形や避けたい形を少数選び、一方で残り全部の形を信じるということは不可能です。
というのは、死は全体的であるからです。
すべてのものが死ぬか、それとも、彼らは生きて、死ぬことはあり得ないかのどちらかです。
いかなる妥協も不可能です。
というのは、ここには再び明確な立場があり、私たちが正気でありたいならば、この立場を受け容れなければならないからです。
一つの思いと完全に矛盾するものは、その正反対のものが誤っていると証明されなければ、真実ではあり得ません。 「神」の死という考えは、あまりにも途方もないものであるために、狂気の者ですらそれを信じることに困難を覚えるでしょう。
というのは、それは「神」はかつて生きていたけれども、なぜか死亡した、どうやら「神」が生き残ることを望まなかった人々によって殺されたらしい、ということを暗示するからです。
彼らのより強い意志が「神の意志」に勝利したのです。
そのために、永遠の生命が死に道を譲ったのです。
そして、「父」と共に「子」も死んだのです。
死の崇拝者たちは恐れているかもしれません。
しかしながら、これらの思いが恐ろしいということがあり得るでしょうか。
もしも彼らが、自分たちが信じているのはこれだけだということを見て取ったならば、彼らは一瞬のうちに解放されるでしょう。
そして、あなたは今日これを彼に示すのです。
死は存在しません。
そして、今、私たちは彼らの救いと私たちの救いのために、あらゆる形の死を放棄します。
「神」は死を作られませんでした。
したがって、死がどのような形をとろうとも、それは幻想であるに違いありません。
これが、今日私たちがとる立場です。
そして、私たちは死を見過ごして、その彼方にある生命を見ることができます。
私たちの「父」よ、今日、私たちの目を祝福してください。
私たちは「あなた」のメッセンジャーです。
私たちは、すべてのものの中に輝いている「あなたの愛」の栄光に満ちた反映を見つめます。
私たちは「あなた」の中においてだけ生き、動きます。
私たちは「あなた」の永遠の生命から分離してはいません。
死は存在しません。
というのは、死は「あなたの意志」ではないからです。
私たちは、「あなた」が私たちを「あなた」と同じような存在として永遠に「あなた」の一部とするために置かれた場所、すなわち、私たちが「あなた」および生命あるものすべてと共有する生命の中に住んでいます。
私たちは「あなたの思い」を私たちの思いとして受け入れます。
そして、私たちの意志は、永遠に「あなたの意志」と一つです。
アーメン。
イエス・キリストの奇跡講座からの引用でした 私が見ているのは、復讐の一つの形です。
今日の考えは、攻撃の思いをマインドの中に保持している人が、この世界をどのように見ているかを正確に描写しています。自分の怒りをこの世界に投影している人は、復讐がまさに自分に襲いかかってくると見ています。
こうして、彼自身の攻撃は自己防御であるとして知覚されます。
この悪循環は、彼が見方を変える気持ちになるまでますます悪化していきます。
彼が気持ちを変えなければ、攻撃の思いと反撃の思いが彼および彼の全世界の人々の心を奪うことになります。とすれば、マインドの安らぎが彼にとって可能であるはずがありません。
あなたが脱出したいのは、この野蛮なファンタジーからです。それが実在していないと聞いたら、それは喜びのニュースではないでしょうか。脱出できると分かったならば、それは幸せな発見ではないでしょうか。
あなたは自分で破壊したいと思うものを作りました。あなたが憎み、攻撃したいと思い、殺したいと思うもののすべてをあなたが作りました。あなたが恐れているものはすべて存在していないのです。
今日、少なくとも周囲を5回見回しますが、1回につき少なくとも1分は費やしてください。あなたの目を一つの物体から別の物体へ、一人の体から別な体へとゆっくりと移動させながら、次の言葉を自分自身に向かって言ってください。
私はやがて壊れるものだけを見ています。
私は永続するものは何も見ていません。
私が見ているものは実在していません。
私が見ているのは復讐の一つの形です。
練習が1回終わったところで、自分自身に次の質問をします。
これは私が本当に見たい世界だろうか。
その答えが明らかであることは確実です。
イエス・キリストの奇跡講座からでした 2、観音経 直虎
2、本能寺の変
1、うっせえわアンパンマン
00.恋するフォーチュンクッキー
-01.うっせえわ マリオ
-02.GET Wild、
-03、ひこうき雲
-03、椎名林檎 NIPPON 人類は奴隷のようなものなので、もうそろそろ止めないといけない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています