消費しているだけの人生って、マジでやばくないか?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ゲームだけしている毎日がゴールデンウィークの無職波平や無職の
哲学板コテハンとか見ると、人生に恐ろしい不毛さを感じるよ
果たして、人は消費するだけの存在でいいのだろうか
社会に何の価値や利益を与えず、何の人間的な成長もなく、
ただ消費し、存在しているだけの白痴的な存在
サルトルであれば、それを吐き気として表現したことだろう 今の日本人を見てるとスマホを必死に擦るだけの消費者にしかなれないとつくづく感じます https://www.youtube.com/watch?v=HGoYZ4oOmYU
ヘレン・ケラー 輝ける魂
あなたの顔を日の光に向けていなさい。そうすれば影を見なくてもすみます。
いつも真理に目を向けていなさい。
そうすれば、あなたの心から不安や心配は消えます。
問題と対峙しなさい、でも決してそれに支配されてはならない
その問題から、忍耐と思いやりを学ぶのです
自分や他の人の人生に どんな奇跡を引き起こすか分からない
ヘレン・ケラー 955 考える名無しさん sage 2021/11/14(日) 19:29:00.38 0
社会的包摂の重要性が説かれる昨今、脱人間主義は何処まで実現可能なのか問われている
人間主義的認識に偏重する事が環境要因の軽視に繋がり、社会資本、人的資本の荒廃に密接している
巧みなマーケティングによって購買行動を煽られ顕示的消費を繰り返す若者は更にそれをInstagramに上げる
資本によって歪められ隠蔽されてしまった空間こそが生産の領域であり、付加価値という虚構は欲望に対する信仰でしかない
消費の循環を生産の循環へ
資本主義において消費されないものは弱者であり、弱者とはマイノリティーである
そしてマイノリティーは常に抑圧されている ヒント:ケインジアン政策はエコに反するゆえ時代錯誤 フーッ | /
| \
| .|
フーッ | /
| \ フーッ | /
| \
| .|
フーッ | /
| \ 俺が一番最近疑問に思っていることは
普通に労働をして賃金を得ている社会人が消費者を自称していることだ
なんか最近の社会の価値観は、俺は納得できない
産業に携わる人間が生産者を自称できないのはおかしい
そしてただテレビ出演して喋ったり動画配信でカラオケとかゲームして遊んだりポンチ絵を公開して居る連中が
クリエイターと呼ばれていることに虫酸が走る野田
本当に人が生きるために必要なライフライン、社会で必要不可欠な仕事をしている
お前らが軽視されるこの社会の仕組みは完全に狂っている
社会にタダノリして遊び呆けている連中こそ消費しかしていないクズどもだろうが
そういう存在を持て囃し経済を加速させ分断と淘汰を実行しているこんな社会はさっさと破壊しなければならない
今この時代に生きる俺と君たちが実行しなくてはならない 消費主義志向は、人間をお金や物、サービスの奴隷にするため、人間を墮落させる装置と化す
マーケティングはこうしたお金や消費の奴隷を作る洗脳装置である
内面を空っぽで醜悪な人間にするのが消費主義や資本主義システムである つまり、その人間が醜悪になればなるほど資本主義と親和性が高くなり、高貴になればなるほど資本主義的なものとは自然と距離が取れるようになる
あまり消費しない人間は、そのまま廃棄も少なくなるので、持続可能性が求められる気候危機の時代の最先端にいるとも言える。逆にその点で消費主義者は、最も遅れた人間と言える。現代の知恵遅れとも呼べよう 大量生産消費のサイクルそのものが不毛であるし、そもそも単なる下部構造の一項に過ぎない生産要素に特段の価値があるわけでもあるまい。生産の形而上化を目論む連中はおそらく虚業家であろう。本質的には無価値な商品に巨大な付加価値があるように見せかけることが連中の目的ぢある 経済構造に精神的な優劣などない
あるのは財の交換だけである
需給の偏りを精神的な優劣性の帰結とみなすのは、財の交換を精神の交換とみなすようなものである。これは財による人間の本質的な疎外と言っていい 今日は一つの説を提起したい。それは前世と原子の関係性である。我々の体を作る皮膚、組織などを細かく見たら、大元には原子がある。
原子とは宇宙の始まったときから、数質量を変えずにある。つまり、今身近にあるものも、とてつもなく昔からあるもの。と原子レベルで見ればそう言えるのである。
ここで私は原子と記憶の関連性について疑問を博した。前世の記憶は少なからず人類みんなにあると私は考える。再利用されてきた原子レベルで記憶は維持される。 むしろ、この拙劣な精神が生産の形而上化による産物とすれば、その形而上化された生産の本質こそ稚拙と言わざるを得ない。これは形而上的存在への冒涜であろう 資本主義的な欲望喚起システムは、ブランディングによって実質を
上回るようなフェティシズムを商品に付与する。これがブランド品で
ある。人々は表象やシンボル、ブランドのロゴのためにお金を余計に
支払うのである。つまり、見栄のために消費するのである
愚かな人々は社会的ステータスとしてのブランド品を奴隷のように
欲しがるので、そのための無駄な労働や金策が必要になり、場合に
よっては犯罪や詐欺にまで手を染める者までいる。なぜ、そうした
人々は社会的なステータスを欲するのであろうか。それは自分が
中身の空っぽの人間なので、そうした外的な装飾品を使っていないと
不安に陥るからである。 地球環境視点で考えると、非物質的な消費やサービス業であれば、
地球環境への負荷も高くないと考える者がいるが、それも事実に
反している。
たとえば人気ユーチューバーのコンテンツを安易に視聴すれば、
そのユーチューバーに大金が入ることで、そのユーチューバーが
浪費や贅沢をしたりするので、間接的に環境破壊に視聴者は手を
貸していることになる。要するにコンテンツ系の消費においても、
そうした注意をすべきなのである。なるべく資本主義者的な
屑人間の動画は観ないように心がけるべきである。
サービス業も同じで、観光一つでも飛行機、移動による排気、
観光施設や建物、アミューズメント施設を作ったりするので、
やはりそれも環境破壊に直結した経済行為であると言えよう
投資や株も同じである。それで利益を得ればその金が余計な
消費や生産に使われて、地球資源を枯渇することを指数関数的に
加速するので、やはり、それらの行為も消費の持つ悪性を免れて
いないし、気候変動の原因となる行為である。もちろん、
電力をやたら消費するビットコインなども同様である。 生産量を上回る消費量による生産量の持続可能性からの逸脱を消費量に帰責するのは誤りである
いくら消費量が落ち込んでも生産量が必ずしも逓減するわけではないからである
むしろ因果は逆であるはずである この掲示板に書き込むことは、コンテンツの生産活動なのか、それともサービスの消費活動なのか? 間違った価値観を幸福と思い込み
いい給料をもらって高級車を買って贅沢な暮らしをするために
子供のころから勉強していい大学を出て一流企業に勤める
フランス料理に寿司に
不味い料理なんかを出されたら「こんなまずいもの食えるか」と言ってしまう
ゴキブリはあるものを食うし贅沢をしない
ゴキブリ以下の人間になるためにいい大学に行くという間違った価値観
しかも一流大学に落ちたらそれで苦しむという二重苦の中で生きること
これが道徳ややさしさを失った理由
それでも金が余ると今度は
権力欲・独占欲・名誉欲・支配欲・金銭欲に駆られて
それ自体が我意識の狂った価値観につながっている
狂った価値観を幸せと勘違いしてるんだから
幸せになれるわけがない >地球がズタボロ
そんなふうに考えるのは、単なる無自覚な思い上がり
地球がズタボロになったりはしない。
自分が生きにくくなっていることをまわりのせいにしているだけ。 そもそも、地球環境は人の生活を持続可能にするためにあるわけではない。
現生人類が到底、生活できないような地球の環境においても、
地球上の生命体はずっと存在してきたし、存在しつづける。 今は労働者(≒奴隷)の人数のほうが多いからなんとか回ってる
資本家のほうが多くなったら終わりの始まり スティーブ・ジョブスも言ってるけど金なんて病気になったり死に際になれば役に立たないからな
本質的なところを見誤りやすいのが資本主義なのかもしれない 汗水働いて得た100万円と
株や不動産で得た100万円と
不正や汚職や犯罪で得た100万円が同じっておかしいだろ 利益至上主義
金欲至上主義
格差至上主義
奴隷至上主義 >>49
同じではないよ。
@汗水働いて得た100万円
労苦に対する報酬/補償という意識が働くので、
その金で、その労苦を労うに価するものを
手に入れようという動機が強く働き、
その金額が報酬/補償として労苦に対して
割が合わないと感じられれば、感じられるほど、
浪費してしまいがち。 A株や不動産で得た100万円
田畑に撒いておいた種から育ち、管理して収穫にまで至った
作物の稔りのようなものとして認識されるので、
当面の生活に必要な分だけ消費して、残りは貯えておき、
また畑に撒いて、今度はもっと効率的に労力を節約して、
質の良い収穫が得られるように知恵を働かせようとする動機が働く。 B不正や汚職や犯罪で得た100万円
本来は他人の手に渡されるはずのものを不当に盗んできて、
自分のものにしたことが強く意識され、それが発覚すると、
盗んで手に入れた100万円を返さなければならなくなるのみならず、
罰せられて大きな損害を被ることになる懸念が払拭できないので、
それを使うことに慎重になり、使う場合には、その金を使って
やはり他人を同様の不正や汚職や犯罪に巻き込み、
暗黙の共犯者を増やすことによって、自分の身の安泰をはかろうとするようになる。 何も生み出せない人間は、一体何のために存在しているのか
それだと、ただ環境破棄しているだけの消費者にならないか 何の自己成長や学びもなく、ただダラダラコンテンツやサービスを消費しているだけの状態、これは、相当人間としてヤバいだろう ひろゆき「何かほしいもがあるなら1ヶ月待て。するとほとんどが必要ないとわかる。これに気付くと幸せになれます」 [434776867] ルール1 欲しいと思った1カ月後に買う
食費や家賃は別にして、衣服や、外食、携帯のアプリといったものは、それが本当に必要だったら1カ月後も必要だと感じるわけです。つまり、1カ月待って必要だったら、そのときに買えばいい。
かといって、1カ月、ただただ我慢を続けるのはしんどいですよね。なので、その間は、いろいろ調べてみてはどうでしょうか。たとえば、自転車が欲しくなったら、自転車にはどんな機能やブランドがあるのか、それを安く手に入れる方法がないのかを調べまくる。そうやって情報収集をしていれば、1カ月なんてあっという間に経ちます。
欲しいものは「知識として」手に入れよ
ただ、僕の経験では、いろいろと調べていくうちに、「これは買う必要があるのか?」と思い至り、結局は買わないことがほとんどです。ということで、「欲しい」と思ったら、なんでも1カ月待つということをするだけで、モノに対する考え方は随分改善します。
人間であれば誰しも「欲しい」という欲望があるでしょう。しかし、それを「満たす」ことは永遠にできません。たとえば、高級自転車を10万円で買ったとしても、「もっといい機能のもの」「新しいデザインのもの」というように、その願望は止められません。それを満たし続けた人とそうでない人で、得られるものの差はそこまでありません。
https://news.livedoor.com/article/detail/13654804/ >何の自己成長や学びもなく
成長すれば成長するほど、日々必要とする消費量が増える 42
考える名無しさん
age
2023/10/26(木) 21:09:19.49
ID:0
少し近所に大きな商業ビルが出来たので、そこに入っている家電量販店をちょっと回ってみた
そこで得た結論は、欲しいものが何もない、ということに気づいた。あらゆる家電やIT機器、
ドローンまで売っていたが、何一つ、欲しいものがなかった。すべて贅沢品、余計なもので
あり、そのまま環境破壊につながる商品群だということだけが明らかになる。
今どき、強い物欲がある時点で、それだけで頭の悪さの反映だということが分かる
ホリエモンが欲しいものは何もない、と言ってたが、それと似た感覚である
昭和の高度成長期脳で脳が退化している人間にこそ、物欲とか、お金への執着が
過剰にあるとしか思えない。ウィトゲンシュタインは莫大な遺産を相続できる立場であったが、
一切、相続せずに済ませた。脳が高度に機能していれば、お金や物に頼る必要が
ないからであろう 要するに自己成長がまるで感じられないような人生は無意味または無価値だろう、という観点だ。単なる消費では自己成長には繋がらない、単なる死ぬまでの暇潰しにしかならない ドルーズは資本主義を欲望機械と表現していなかったか。それをここでは消費機械だと言い換えて表現してみよう。
それは人間というよりは、単純化された反射システムを持つ機械であり、フロイトのタナトス(死の欲動)へと通ずる反復強迫である。哲学はこうした奴隷的な自動性と他律性から人々を解放する役割をも担う 正しいという漢字は、一度止まると書くことからも分かるように、哲学は一度止まって、もう少しよく考えてみよう、と人に促すのである
資本主義は逆に、反射系を促すように作動する。人に考える暇を与えないで消費を促すのが資本主義である ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています