哲学者は最も政治を嫌う
古代ギリシャの時代から哲学者はソフィストに勝てない 役所がヤクザいれて追い出すのを実況中継するのか?! 哲人政治(てつじんせいじ、英: rule of philosopher king[1][2], aristocracy[2])は、プラトンの思索した、哲人王を統治者とする独裁政治体制の一種。 プラトンは哲人政治を実現させようと、いくつかの試みを行っている。
アカデメイアを創設し、哲人王となる人材を育成しようとした。アカデメイアからは哲人王こそ現れなかったものの、優れた人材を多数輩出した。
シラクサの僭主ディオニュシオス2世に哲学を学ばせ、哲人王に導こうとした。また、その親戚のディオンはプラトンに心酔し、その弟子となった(プラトンをシラクサに招聘したのは彼である)。結局ディオニュシオス2世にはプラトンの理念は根付かず、ディオンはクーデターを起こしたものの失敗し、暗殺された。
プラトンの試みは結果として失敗に終わったのである。 スターリンもいちおう言語学者という面がある
ウクライナが大被害を被った集団追放も「ウクライナ語という言語は存在しても、ウクライナという土地から切り離せば話者は『ウクライナ人』ではなくなるはず」という論理を実践に移したとも言える 哲学者が政治をするとホロコーストを起こす
ハンナアーレント 政治家が哲学を学んで哲学者の色を消すか、哲学者を文学部に閉じ込めるか。 >>4
エピクロスのこの主張は、本当に大切だと思う。近年まで自分は政治の動向に一喜一憂し、時に精神を乱され、夜が眠れないこともあった。
けれどもエピクロスの哲学を知ってから、毎日心が平穏で楽しく暮らせている。 そもそも、>>4や>>19、そしてエピクロスが主張する通り、政治とは哲学から遠い世界の出来事ではないか。
古今東西、徹頭徹尾哲学者の理想通りに政治が行われた国が存在しただろうか。 >>21
同感。理想的な政治や理想的な国家を述べる哲学者を見ると、この人は余程暇なのか、もしくはド級の勘違いをしているのか、どっちなのかと思ってしまう。 哲学板なんか見てても分かるけど、まずマトモな議論なんか見かけないよね
ある程度学識があってリテラシーの高い層は匿名掲示板で議論するメリットを感じないからなんだよ
結局はそれと同じ事が政治にも当てはまるんだと思っている
前述のそういった層はなるべく干渉を受けず拡散性の高いメディアに露出するようになるし、リテラシーの低い層は匿名のSNSによってネット社会における市民権を獲得したという錯覚に浸る事が出来てしまう
その時点で対話の可能性は消失してしまっていて、メディアによる社会の分断がまさしく深刻化しているのが現状にある
デジタル庁なんか出来てデジタル独裁が加速するのは間違いないけれども、ただ我儘を吐き散らしマクロな政治参加を拒絶する大衆は無抵抗のまま懐柔されるだろうとしか思えない >>22
>>23
その通り。哲学者は個人個人の幸福や死について考え、またそれを最重要のテーマにするべき。 >>24
それって個人の感想ですよねを乗り越える必要性はないと? >>22
>>24
確かに。結局、どんな天才哲学者が政治論や国家論を述べた所で、現実ではその哲学者の論の
都合の良い所だけ使われ、あとのそれぞれの体制や陣営にとって都合の悪い所は切り捨てられ
るか無視されてしまう。また、その使われ方も「◯◯という哲学者によれば〜」という権威付けであり、その哲学者の論の内容は捨てられてしまう。
真実、>>21が言う通り、古今東西、徹頭徹尾哲学者の理想通りに政治が行われた国は存在しな
い。
結論として、>>4のエピクロスの「隠れて生きよ。」が真理である。 相対主義てのはマクロで見た場合の呼称な
ミクロの事象としては主観主義 >>26
正にこれ。政治と哲学は相容れない。政治について論じる哲学者はどこかずれている。 西洋で政治的な立場をはっきりしない、考えを語らない人間は一人前と見なされないが、
政治を語らない哲学者なんて存在しない 働くより前に差別やめるべき、差別していたら働けない フー嬢とケコーンするやしなんていないだろは
もれのネタじゃないケド BTSゴリ押しキモ政治からの回復ワンイシュー政党なのか!!? >>32から>>39
こういうのを見ると、ますます>>4と>>26の、エピクロスの「隠れて生きよ」が真理だということがわかってくる。 風邪くすりODっていつまでおんなしこといてんだよハゲ共 「幸福と祝福は、財産がたくさんあるとか、地位が高いとか、何か権勢だの権力だのがあるとか、こんなことに属するのではなくて、悩み
がないこと、感情の穏やかなこと、自然にかなった限度を定める霊魂の状態、こういったことに属するのである。」
「我々は言わねばならない。いかに最もよく人が自然の目的(快)を保ちつづけうるかを。そしてまた、いかに何人も最初には自ら進んで
公職に就こうとしないものであるかを。」
エピクロス『断片その二』から 【出所不明の断片】より サヨ暴のチンマンコ騒ぎに全集中していきてゆきたい! 「我々は、日常の私事や国事の牢獄から、我々自身を解放するべきである。」
『エピクロスの勧め』から 「人々からの損われることのない安全は、煩いごとを排除しうる何らかの力(個人的または社会的な力)によっても、或る程度までは得ら
れるけれども、その最も純粋な源泉は、多くの人々から逃れた平穏な生活から生まれる安全である。」
エピクロス『主要教説』から 「自由な生活を送ったからといって、たくさんの財貨を獲得することができるわけではない。なぜなら、こうしたことは、群衆か権力者か
に追従することなしには、容易ではないからである。だが、自由な生活は、すべてのものを、いつまでもつづくゆたかさで所有しており、
そして、たまたまたくさんの財貨を獲得した場合には、それ(自由な生活)は、容易に、それらを分配して、隣人の好意を得ることもできよ
う。」
『エピクロスの勧め』から 政治的問題に振り回されたり政治的動向に一喜一憂したりして、自己充足を妨げられたり心の平穏を乱されたりするのは本当に嫌だ。 でも政治が国民の生活に大きく関わっているのは事実だし仕方なくない?気にしてないのは金持ちくらいでしょ。 多民族国家だと、自分たちの主張を実現させる切実な場所で、
自分たちの正しさを主張するために哲学は不可欠だけど
日本だとまあまあそこそこみんなの思ってるようになるから、
哲学だ、政治だ、選挙だというのは薄れるよね それが戦後ほとんど自民党が与党でいる理由
世界的にこういう現象は他にないよね 社民党とか寂静とおなしような勢力とおもわれてたワタシですが ですが! ガーシー面白いね
犯罪者がどの立場で偉そうにしてるのか
日本の逮捕権が及ばない国で言いたいこと言ってるんだろうけど
あいつクスリやってるんじゃかな >その一方、ヒカルは東谷が当選する可能性に言及した上で「本当に時代が変わる。テレビからネットの時代に変わって、ダメなことが表にめくれちゃう時代がきているなと思っていて。隠しごとができない時代がきている」と話し、その象徴である東谷にエールを送っている。 もはや理性的合理的ではなくなった政治や国家、社会に関することをやめ、オセロゲームや
掌の如くクルクリかわる世間から距離をおき、哲学は個人の自己充足と魂の平穏を旨とするべ
きではないのか。
だから哲学は政治と相容れない。 >>60
訂正
クルクリかわる世間✕
クルクルかわる世間◯ >>60
「自己充足を、我々は大きな善と考える。」
エピクロス『メノイケウス宛の手紙』より >>60
まさにその通り。政治などを語っている哲学者はどこか胡散臭いように思える。 >>60
本当にコレ。世間や政治は猫の目みたいに意見や立場をコロコロ変えるくせに、そのことを恥とも思わない。こっちはそれに振り回され、心を乱され、一喜一憂しているのに。
だから政治と距離をおき"隠れて生きよ"と主張して自己充足を第一とするエピクロスは正しいと思うし、彼の哲学にはとても賛同できる。
故に政治と哲学は相容れない。 サルトルは社会との積極的な関わりを持ち続けたと哲人を自負してるかもしれないけど
理想主義=マルクスに嵌まりすぎて結局、理性を放棄した残念な人 哲学者は、変節漢が多く一貫性が乏しい政治という世界からは、離れて関わらないほうが良い。 ジョン・ロック、ルソー、モンテスキュー、ホッブズetc国政や法に最も強く関与してきたのが哲人 幸福は政治では得られない。エピクロスの残した手紙や断片や主要概説を読むと、そのことが
良くわかる。だから哲学は政治とは離れたほうが良い。 社会全体の仕組みを考える法倫理、政治思想と個人の救済を目的にしてる
実存主義はどちらも哲学だとおもうよ 哲学者が政治から遠ざかる理由は、「正しさは普遍化できない」っていう
消極的な理由によるものに過ぎない
社会規範や立法の正当性を問われて、合意があるからだけの理由では困る 哲学は個人の生死や個人の幸福や個人の自己充足に、全力全開で取り組む学問であり活動だ。
政治なんていうド級にレベルの低い事柄など、その時の空気に流される変節漢や小人、そして後世の暇な歴史家に丸投げでもしておけ。
とにかく、政治は哲学に近寄ってくるな。
哲学をする者は、政治に魂を動揺させられないように、隠れて生きるのだ。 偏っているという自覚はあるが、それでもこれ>>84が今まで生きてきた自分の本音であり結論だ。だからこそ、エピクロスは偉大な哲学者だと思う。 少なくともお前の言ってることは一般論ではない、個人的な考えを押し付けようとすんな >>88
あの業界ってバカの生成所で傍迷惑だから凄い迷惑なんだけど
東浩紀は最高の哲学者である
よってこの板にいる人は東浩紀より下である
なのでいかに優れた理論であっても東浩紀には劣る
と盛大に勘違いを炸裂している
まず当たり前のことだが東浩紀なんてのより
この板のほうがレベルは上だ
じゃあなんで東浩紀が有名なのかって、悪魔に魂売ったからだ
君だって悪魔に魂を売ればめちゃくちゃ有名になれる
そんだけ
ちょっと小突くだけで余裕で東浩紀など粉砕できる
(最近は小突かなくても勝手に自滅しているか) この辺は哲学に限らず一般的だとは思うけどね
売り込みしていれば練習している間がない
練習していれば売り込んでいる間がない
あんな営業活動ばかりやっていたら時間があるわけがない かつてのリベラリズムやマルキシズムは理性の最先端って感じだったのが
何時の間にか好き嫌いの感情論だけで暴言を垂れ流すだけのキチガイになっていた
結局、他人の受け売りばかりで自分の頭で考えなかった結果だろう 皆、聞け
これから>>95が本質を付いた意見を披露してくれるそうだ 本質を突くと、お前成果物だけ持って行っちゃうじゃん まず当たり前のことだが東浩紀なんてのより
この板のほうがレベルは上だ
じゃあなんで東浩紀が有名なのかって、悪魔に魂売ったからだ
君だって悪魔に魂を売ればめちゃくちゃ有名になれる
そんだけ
正論ワロタ 青果物わろた、
誰にも見せないで評価されるならみんなノーベル賞だな 「われわれは、哲学を研究しているように装うべきではなくて、真に哲学を研究するべきである。なぜなら、われわれが必要とするのは、
健康であるようにみえるということではなく、真の意味で健康であるということなのであるから。」
『エピクロスの勧め』から エピクロスの時代って、まだアリストテレス前で分科が進んでないから哲学っていっても
それは広い意味での教養だろう 女性を押さえつけてむちゃくちゃにしたい
イケメン死ね来世で豚になれ >>104
エピクロスはアリストテレスより後の時代の人物だよ。実際に、エピクロスは『ヘロドトス宛の手紙』『ピュトクレス宛の手紙』でアリストテレスを批判しているよ。 >>108
ソクラテス前と思ってた、快楽主義だねストア学派の エピクロスの書き残した手紙や断片を読もう。哲学と政治が離れたものだということが、良くわかるから。 名スレ定期age
皆、エピクロスの書き残した手紙や断片を読もう。 名スレ定期age
皆、エピクロスの書き残した手紙や断片を読もう。 エピクロスの書き残した手紙や断片を読もう。哲学と政治が離れたものだということが、良くわかるから。 昨今の政治の動きを見ると、心底政治や政治家に期待することが無駄に思える。これらに関心を持ち、その動向に一喜一憂することは、精神の平静を乱すことになり百害あって一利無し。
だから"隠れて生きよ"と主張したエピクロスは偉大だ。皆、エピクロスの書き残した手紙や断片を読もう。哲学と政治が離れたものだということが、良くわかるから。 政治なんかに二度と期待しない。エピクロスの書き残した手紙や断片をよんで、心底実感した。 大晦日に温泉に入って、暖房のきいた部屋で畳の上にごろ寝しながらエピクロスを読む。最高だ!そしてやっぱり哲学と政治は距離をおくべきと実感する。 >>134
エピクロス「だから言ったのに・・・・。」 政治に近づいても良いことはない。政治は魂を蝕む青酸カリみたいな猛毒だ。 「政治が〜」「政策が〜」「国家が〜」「体制が〜」「選挙が〜」。こんなことを議論しても四六時中これらが頭にいっぱいで、結果、魂は動揺し続ける。また、政局に振り回され、常に
一喜一憂している。こんな状態は、魂の平静に、つまり幸福にほど遠い。だから皆、政治等から距離をおき、"隠れて生きよ"と主張したエピクロスの描いた手紙や残された断片を読むべ
きである。 毎日エピクロスを読む。本当に勉強になるし、ためになる。哲学と政治は離れたものだと実感する。 「隠れて生きよ」の意味とは、政治だけでなく今でいう世間のゴタゴタ・争いごとから身を引き、野心を持たないことが心の平穏であると思う
いったい、挑発的なソクラテスには心の平穏があったのだろうかね
怒りから身を守るにはセネカが、友情の大切さはキケローが教えてくれた
人との関わりに悩む時に解決してくれるのはプルタルコスである "隠れて生きよ"
これ程自分にとってためになった名言は他に無い。 それは当たり前です 政治はレベルの低い宗教だからです
責任転嫁教というものです
死ぬまえ文句いいながら生きていくというか、文句言いながら死んでいくかと思います
それがいいなら信仰してしてくださいw
でも、希望の言葉を聞きたい人もいると思うのでいいますけど、新しい時代は意識的に生きる時代です
こういうと努力という言葉を思い浮かべてしまうかもしれませんが、そうじゃないです
遊びながら楽してお金が入ってくる生活も可能です
それを努力して勝ち取るか、何かにやらせるかの選択です
「潜在意識を活用してうまくやっていく人と、もがきながら苦しんで行く人に別れていくのです」
潜在意識の活用というぐらいですから、自分の未来へ呪いの言葉を送り込んでいることを見直す必要があります
潜在意識は、その人の望みを100%フィードバックしてくれているだけです 哲学と政治は水と油だよ。なのにこの二つを混同して考える人は阿保だよ。そんな人はエピクロスを読もうよ。 シャンカラは、その解説書の中で仏教の多くの教義を批判している。しかし、彼の最も直接的な仏教批判は『ブラフマ・スートラ』2.2.32の注釈に見られる。
要するに、バイナシ派(仏教徒)の教義は、その信憑性を検討するたびに、砂上の楼閣のように崩れ落ち、それゆえ信憑性がない。釈迦は、無常、刹那、空という互いに矛盾する三つの教義を説いた。釈迦は民衆を憎んでいるか、民衆を惑わすために矛盾した教義を説いて、混乱した言葉を発しているのである。釈迦の教義は解脱を望む者にとっては尊敬に値しない[3]。 商業とも相性悪い
キリストが商人殴ったのは正しかった 哲学者が「政治が〜」「理想国家が〜」等言い出すと、とたんに胡散臭くなる。何故なら、哲学と政治は相容れないものだから。 萱野稔人さんなんかは、
津田塾のために、自分のために必死なんだな、
と思う。 個人の幸福よりも、政治というレベルの低いモノを優先したり主張したり言及したりする哲学者は駄目だよ。 実際のところは、自分も深く関与させられながら、自分は足を洗わせてもらいたいとぬけぬけと言ってみせるモンテーニュの姿勢は、私にはむしろ好ましく感じられる。 アクチュアルな行為より形而上的問題を思弁する方を好んでいることは間違いない😘 政治なんていうものについて言及する暇があるのなら、
個人の幸福や人間の内面的なものにもっと目を向けれ
ば良いのに。 魂の平静を乱す政治なんてものは、見たくもないし言及したく
もないし聞きたくもない。掌やオセロゲームのごとくコロコロ
変わる政治というド級にレベルの低い事柄に関わると、精神が
穢れる。 政治より自己の幸福や内面のほうが身近で、はるかに重要だ。
なのに多くの人は政治という遠いものについて四六時中無駄で終わりの無いおしゃべりをしている。
暇なのかな? わが敬愛するエピクロス先生のスレがあったとは。
「隠れて生きよ」は「忘れられて生きよ」と訳されることもあり、
そちらもぴったり来る。
人倫に背いて生きているのではないからあえて人目を避けることはないけど
そもそも世間様に忘れられていれば
外的な煩わしさなどほとんどなくなる。
ポルトガルの民謡にあるという
「透明人間になりたけりゃ
貧乏人になるがいい
誰もお前を顧みぬ」
という一節もエピクロスに重なることだ。 政治なんてものに関わっても時間の無駄だし、第一、自分の精神に穢れをつけたくない。
そんなことをする暇が有るのなら、自分の内面や魂に目を向けて幸福を求めていきたい。 かつて政治に関わっていた時、政治の動向で頭がいっぱいにな
り、一喜一憂して、振り回され、精神は動揺に満ち、毎日疲れ
ていた。
今ではエピクロスの著作を読み彼の哲学を知って、政治と距離
をとることによって、精神の平静を得て、自己の幸福を実感す
るようになった。
だから毎日感謝している。 哲学=無職
哲学をしている人は無職である必要があります。
仕事をしないことが哲学なのです。
仕事から逃げる事、それが哲学です。 ガンディーは週に一度を沈黙して過ごした。話すのを控えることで、心の平穏が得られると信じたのである。これは モウナ(मौन:沈黙)と シャーンティ(शांति:平穏) というヒンドゥー教の理念から来るものであった。沈黙を守る日には、筆談によって他人と意思疎通した。ガンディーは37歳からの3年半、「騒然とした世界情勢は心の平穏ではなく混乱をもたらす」として、新聞を読むことを拒んだ。 愚民はだいたいSNSで政治を語っている。
ひとっこひとり死んでいない飛行機事故のような、事件ネタも好きだ。
哲学からはもっともほど遠い、まあ俗流の生き方、それが愚民のスタイルだ。
政治と言っても、原理を問うのではなく、野次をとばしたいだけの馬鹿。
だいたいこういうやつは、事故や災害時の書き込みで頭の悪さが露呈する。 旅客機で死人いなかったからって
先走ってホルホルしちゃった人
手を上げなさい 政治家の汚職が取り沙汰されるたび、"隠れて生きよ"という
エピクロスの言葉を受け入れて本音に良かったと実感する。 政治というド級にレベルの低いものに関わる暇が有るのなら、
もっと自分の内面や魂に目を向ければ良いのにね。 政治が構造上機能しないようになったのは日本くらい。
外国では十分生活に直結してるし国民は選挙も行くし政治についても語る。
日本の政治は、特別上級国民の用足しありきで、十分全方面の根回しが済んで世論が騒がないに必要な政策を進めていくのみ。
一国の首相を選出してもこれほど意味のない国があるだろうか? 政治やそれに必ずつきまとう派閥といったものは、人を一喜一憂
させ精神を乱す。エピクロスの哲学を学び、政治や派閥といった
ものから離れ、自己充足につとめることにより、魂の平静を得た。 複雑系を実践的に制御する営みが政治である。
この複雑系を整合的に記述できる哲学も、物理学も、社会学もない。
だから政治の出番だ。
政治は、理論家からは嘲笑され、民衆からは文句を言われ、
泥にまみれた営みである。下心がある奴しかやる気になれん。 どんな理論も及ばない混沌とした世界で、それでも整合的な営みをしよう
とするのが政治だ。
ほとんど成功はおぼつかない。泥まみれ。高貴な者には挫折しかない。
海千山千のワルが、かろうじて成功する。
ちなみに、挫折した高貴な人々とは、
聖徳太子w、田沼意次w、西郷隆盛w、鳩山由紀夫w、小沢一郎w、菅直人w・・・ エピクロスを読もう
哲学と政治が離れたものだということがわかるから エピクロスを読もう
哲学と政治が離れたものだということがわかるから エピクロスを読もう
哲学と政治が離れたものだということがわかるから エピクロスを読もう。政治と哲学は相容れないことがわかるから。 政治とは、複雑系の社会を、なんとか制御しようとする行為。
その方法として、
(a)人為的に、ある原理を持ち込んで、それに基づいて制御する。
(b)時々の状況に対して最適解を模索する。
現状は(a)と(b)の間のどこか。 政治家が哲学を述べる時も、哲学者が政治を述べる時も、どちらも違和感が有る エピクロスを読もう。政治と哲学は相容れないことがわかるから。