【誕生肯定】森岡正博【無痛文明】 ★2
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森岡 正博(もりおか まさひろ、1958年9月25日 - )は、日本の哲学者。早稲田大学人間科学部教授。生と死を総合的に探求する生命学を提唱。2006年より「生命の哲学」という新しい哲学ジャンルを提唱している。代表的な著作は『無痛文明論』『感じない男』など。
「誕生肯定」について→
「生命の哲学」のキー概念のひとつである。「誕生肯定」とは、自分が生まれてきたことに対して、生まれてきて本当によかったと心の底から言えることである。森岡は「誕生肯定」を、「生の肯定」や「人生まるごとの肯定」などの概念から区別する。また、「誕生否定」への強制をもっともひどい悪とみなしている。
関連スレ→
【誕生肯定】反出生主義批判・分析スレ【森岡正博】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1654774347/
※前スレ
【誕生肯定】森岡正博【無痛文明】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1655609368/ >>529
導き出せるけど
生まれてこなければその苦痛は感じないんだからそのほうがいいよね この人のTwitter、ちょっと低俗じゃないか?
ネトウヨがいたら米食ってるか聞いてやろうとか 生まれてこなければ(仮定)
苦痛は感じない(仮定→推量)
その方がいい(個人的見解)
それが反出生主義 >>533
前世や胎内記憶とか持ち出されたら流石に敵わないけどな 反出生主義は人類2500年の歴史がある
その人類の成果を[それが反出生主義]の一言で済ませる歴史修正主義者それがアンチだ Tips : The human predicament is not a fate avoidable by death, but it's avoidable by not born. Tips : Does what it says on the tin >>541
本人が納得してれば苦痛じゃないと思われる >>542
苦痛は苦痛だよ
それに納得してない場合がほとんどだし
何が言いたいのかよくわからないな 苦痛の定義は「可能性がなくなること」で良いのでは?
死が万人に忌避されるのはそれは可能性がなくなることを恐れるからです。
逆に死を避けて生きる我々というのは、可能性を求めて生きているということになります。
反出生的な苦痛を忌避して生きるという捉え方も部分的にあてはまるところはあるでしょうが、人が生きる上で基本とする価値判断は圧倒的に「可能性を求める」が多いのではないでしょうか。 >>543
>>544
何にせよ苦痛は存在する
それは生まれないことで味わわずに済む >>545
そう思うなら生まなければ良いだけであって道徳云々はまた違った話だよ >>545
生まれる前に苦痛は存在しません。
可能性はあります。
そして我々の生きるベースとなる価値判断は「可能性を求める」です。
このことから多くの人は生む選択をします。それが今ある現状です。 >>547
それは生む側のエゴでしかない
マッドサイエンティストだって独裁者だってカルトの教祖だってやってることは可能性を求めること いかなるエゴであろうと、エゴならば悪!みたいな認識なん 出生は生贄制度
子供を作れば必ず誰かが犠牲者になる
そうやって障害者にされた生贄が「人間全体」に敵意や憎悪を持つのは当たり前
人間の存在自体が悪だという判定は、「出生の生贄の立場」からすると100%正しく誤りようがない
生贄が近代社会の力を得て徒党を組みはじめたのだろう >>552
反出生主義って敵意や憎悪から生まれた思想だって言いたいのね 産めない女、産まない女が自己完結するならそれこそ人それぞれ、で構わない
自分を正当化し人類全体を「出生カルト」等と呼び
悪のレッテルを貼り付けて攻撃するようになればどうだろう
少なくとも5chの反出生関連のスレには
敵意と憎悪に満ちた書き込みが溢れている
人類を裁く以前に明確な罪人である彼女達を先に裁くべきだろう 出生に否定的な立場を取る個人を社会や世間を笠に着た人間達が寄ってたかって否定したり攻撃するような事態が起きてて、それが放置されてるならそれは出生カルト社会だよ ナタとアンナタ
生みたい奴は生み生みたくない奴は生まない
チャイルドフリー辺りが両者の落とし所だろう >>555
>自分を正当化し
ここに本音が出てる
子供を作らないことは間違ってることだって思ってるんだろ。だから「正当化」なんて語句を使う
>悪のレッテルを貼り付けて攻撃
圧倒的マジョリティである出生派がマイノリティの反出生を叩くのは許されるのに逆になった途端弱き被害者に変身する
これが出生カルト Tips : self-extinction of humankind >>549
そうとも限らないよ
苦痛がまずあってそこから逃れるために存在することにした
という解釈もできる
非存在の気持ちなんぞ誰にもわかるわけはないんだ
石ころの気持ちがわかるか?わかるまい
生まれたくて命を得たくてしょうがないのかもしれない
単なる空想だけどね
でも可能性としては否定できないんだよ
お気楽に非存在の素晴らしさを信じ切ってる君らを見てるとずいぶん楽観的だなあと思うよ >>567
現代の科学的知見を以て物事を論ずるべき
「苦痛がまずあってそこから逃れるために存在することにした」という主張は非科学的
そんな非科学的な仮定をするならオウム真理教のポアだって許されることになってしまう >>568
たしかに非科学的だったな
しかし本質はそこじゃないよ
非存在が素晴らしいなんてことはまだ言える段階にないってことさ
科学的にね
つまり我々はなぜ生まれてくることになったのかってことがまだわかっていないのさ
自然発生なのか作られたのかすらわからない
どちらにせよ一度あったことが二度無いとは言い切れないだろ?
滅びを迎えるにせよそこが分かっていなければ意味無いだろってこと
存在をそこまで忌避するなら当然このぐらいは考えておくべきだ >>569
だからそれ言ったら反出生主義のみならず既存の倫理にも及ぶんだって >>572
関係ねーことを書くな
すっこんでろ
>>570に訊いてるんだ
答えを待つぞ
到底納得できる理屈とは思えんがな >>571
だってそうだろ
生まれる前があったかもしれないなんて言ったら、じゃあ死後の世界もあるかもしれない、殺害された魂は楽園に行けるかもしれない、殺人は本当に悪なのだろうか?…とキリがない >>574
全く違うだろ
魂なんぞ持ち出すんじゃねーよ
科学的に考えるんじゃなかったのか?
そんなんだから非存在なんぞに憧れるんだよ
やはりその程度かくだらん >>575
だからおかしいよねって話
これがわかったらもう「苦痛から逃れるために生まれたかもしれない」なんて非科学的で馬鹿げたことは言わないでね >>576
何がおかしいよねだ
我々は現にこうして存在しているじゃないか
それと魂だの楽園だのと一緒にされてたまるかっつーの
寝言は寝て言え >>577
意識も自我も生まれてから形成されるというのが科学的な知見
「苦痛から逃れるために生まれたのかもしれない」なんて魂や楽園と同じ類の「オカルト」でしかない >>578
それは確か非科学的だと謝ったはずだがな
まだ蒸し返すんそれ? >>579
>非存在が素晴らしいなんてことはまだ言える段階にないってことさ
科学的にね
↑
これどういうこと? >>580
非存在が存在に変わる可能性が残されているっていう意味だよ >>581
非存在は一切の苦痛を感じないし、存在に変わる必要もない >>584
証明はできない
現に我々は存在している
作られたのか自然発生なのかは知らんがね >>585
そうなんだ
俺は両親から生まれたけどな 生贄を育てる愚行
親への憎しみを介護職員にぶつける必然的な代償行動。
親の責任を人類の責任になすりつけLose-Loseにて人類を根絶やしにする必然的な道連れ戦略。
植松には同情する。慈悲の心につけ込まれた。生贄に殺された。
優しくしようとした人間に、生贄は手持ちの悪意のすべてを投げつける。
生贄は敵意を持っている。我々からすると敵にしかなりえない。
我々は知らない間に税金で、生贄を戦士に育て上げている。
彼らが我々を可能なら殺害するに値すると判断しているのは明確だ。
人類滅亡がその証拠、言葉を武器に人間を殺傷するのだ。
反出生主義の取り込みにより目標へのステップを確実に進めている。
殺される前に処理するべきだ。危機感を持つべきだ。
生贄は必ず殺しに来る。強くなって殺しに来る。生贄にした我々を殺しに来る。
生贄をやめれば社会が、我々が滅ぶ。その選択はありえない。
生贄を人間と同列に取り扱った事が植松の、全ての誤りだ。
生贄は同列に扱うべきでない。それなら生贄をやめるべき、社会を滅ぼすべきだ。
我々はそうでないのだから、生贄を人間として扱ってはいけない。
人間かどうかは社会が決める。神があらかじめ決めているような話ではない。
我々が決める。生贄は人間でない。そして現代社会に放置すれば力を付け殺し屋予備軍となる。
絶滅でなく社会の存続を選ぶのだから、そういう結論にしかなりようがない。 植松もそうだったようにお前も実は切り捨てる側を気取った切り捨てられる側じゃないのか 沈んでいく泥舟を岸から冷笑しながら見ている人だと思ってるんだろ
本当は自分も船の中なのに 生んだ子供が生を肯定できなく可能性がある以上、生むべきではないだろうね
ま、そんなの関係ねーって生む人が大半だから、そういう人達の子孫によって人類は継続するでしょう。 >>595
自分の生が肯定できなくなる可能性というのは、具体的にどういうことを指すのでしょう?
自殺してしまうこと?
生きるのが嫌だという思いを抱きながら生きること? 障害児は生むべきでないという価値観は社会で許容されているが、後天的にそうなることもあるからね
存在者は常に取り返しのつかない苦痛と隣り合わせだ 植松と植松信者にとっての理想郷だね
アンチはインドへGO 興味のある人はインドの障害者事情を調べてみればいいよ
「インド 障害者」でGoogle画像検索でもいい 誕生肯定したい人はすればいい
そして誕生否定している人々を尻目に人生を謳歌すればいい 「生きているのが嫌だ」という思いを抱えたまま生きていたり、自殺をする人は、何かしらの解消できない苦痛を感じているのだろう。その種の苦痛が問題とされる。 このスレッドは、森岡という人が自分自身の誕生を肯定するというお気持ちを尊重するという趣旨なのだろうが、誕生肯定できる人は何の問題もない、どうぞ素晴らしい人生を謳歌して下さい。
反出生主義は、誕生否定や存在否定しかできない人間を問題にする。自分の子供がそうなる可能性がある以上、出生は辞めるべきだろう
生命体に存在意義はない。虫や動物は存在について悩んだりしないが、人間は知能が高いので存在について悩み、苦しむ。 例えば、全く同じ人生を二人の人間が過ごしているとして、一人は幸せと感じるが、もう一人は自殺したいと願うこともあるだろう。
後者に力点を置く思想が反出生主義だが、世の中の多数派は前者に力点を置き、後者の存在は見て見ぬフリをする。 自殺を考える人間は〇〇主義なんて面倒臭い事考えない
生きて復讐する意思がある奴じゃないか反出生は 反出生主義は、誕生否定や存在否定しかできない不幸な人間を増やさない為に出生を控えるべきだと主張するので、
反出生主義者自身が誕生否定や存在否定により耐え難い苦しみを感じているかどうかはまた別問題だ。
勿論、そういう人も中にはいるだろうが。 誕生否定や存在否定しかできないというより、誕生否定や存在否定したいということなんじゃないの? 倫理は、必ずしも救済の対象にある人間と同じこと境遇にある者たちによる当事者性が源泉になるわけではないということだ。
>>612のように、苦しむ者は自らで望んで苦しんでいるのだろうというサイコパス的な人間が何食わぬ顔をして存在する。普通に考えれば、苦しみは無いほうがいいに決まっているはずなのだが。 訂正
倫理は、必ずしも救済の対象にある人間と同じ境遇にある者たちによる当事者性が源泉になるわけではないということだ。 誕生肯定するのも誕生否定するのも帰結でしょ。
苦痛があったとしても誕生を肯定したい人と、誕生を否定したい人に分かれて存在するということを言っているのではないの?>>609 >>615
「どう感じるか?」という主観の問題だから、「そうしたい」という願望だろうという意見は不適正だね そう意味では、わざわざ率先して誕生肯定とやらを試みようとしている時点で、本質的には誕生否定の感情があるのだろうな。 >>616
そもそも生まれたくなかったという願望は選択実現できないものなので、選好にはなりえず確かに不適当ですね。
となると誕生否定とは個人的な感情の発露ということになる? >>618
逆にそれ以外に何があると思ったのでしょうか? 「生まれたくなかった」、「生きてるのが嫌だ」、「死にたい」
これらは全て感情に決まってる。
そういう負の感情を抱く可能性がある以上、生むべきではない。 誕生肯定も誕生否定も、感情の発露だ。
方向性の違いでしかない。 誕生肯定しつつ、子供は作らないのが一番いいんじゃないか yeah
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