カール・ヒルティと其の駄目な弟子
俺はカール・ヒルティの著作に出会って、人生の謎が全て解けた。 カール・ヒルティの著作に出会うまでは、自分に起こる幸運と不幸にただ訳わからず翻弄されていた。 カール・ヒルティの著作を何度も熟読して、自分に起こる出来事の全てを、逐一意味づけることができるようになった。 カール・ヒルティの名言や、俺の人生を通して生じてきた雑感を述べて生きたいと思う。 過去をふりかえるな。それが栄光であろうと挫折であろうと。過去をふりかえるのは何の益にもならない。 この言葉は、過ぎ去ったことをいつまでも思い返しては落ち込んでいる人に、前を向くことを教えてくれる。 私たちは、過ぎ去った思い出にとらわれることなく、未来への希望と、今現在の課題に生きることができれば、とても意義ある人生が送れるだろう。 ヒルティは、時に学校教育について批判をしている。学校教育は、成功すれば学問への愛好心と何人かの尊敬すべき師を与えるが、そうでなければ子どもたちから多くの時間を奪うと言っている。 学校教育は、子どもたちに善と真理への反発心を植え付けさせなければ十分であり、大事なのは、学校を卒業してから、人が自らに対して行う自己教育であるという。 人間自らに備わっている悪の要素を徹底的に克服し、良い習慣を涵養し継続すること。善と正義への指向を持ち続けること。
これがヒルティの言う自己教育の重点だと俺は考える。 俺たちが高校・大学を卒業してからは、人生そのものを教え導いてくれるメンター・指導者はほぼいなくなる。世間に出ると、ほぼ全ての人々が自分の生活で手一杯であり、他人のことに構っている暇などないことに気づく。
ましてや他人の人生をよい方向に教え導き、指導する力量を持ち合わせる師匠たりうる人間など、一般人には皆無である。
だから、自己教育が重要なのである。 ヒルティは人間生活にとっての「仕事」の重要性を説く。
全く仕事をしないで長期間を過ごすことは、人間をだめにすると言う。
誰でも時々思う。仕事をしないで生きていけたらなぁと。
だがヒルティは、仕事なしで幸せな生活をもとめることは愚かなことだと、一蹴している。
おそらくヒルティは、弁護士としての立場から様々な人間に接することで、そのような観察結果を持ったのかもしれない。 そこで俺も、内心つらい苦しいと思いながらも日々仕事にいそしんでいる。
そこで得られる最大の心理的効果は、自分は何かの役に立っているという自己効力感と、毎日味わうことができる、仕事からの解放の喜びである。
毎日を充実して過ごし、夜は仕事からの解放を味わい晩餐をする。
ヒルティは、人間はこれ以上の幸福を求めてはならないと言っている。