カール・マルクス 70
アナル・ハインリヒ・マンカス Anarl Heinrich Mancax, 1818年5月5日 - 1883年3月14日 荒らしはスルーで(キリッ 前スレ カール・マルクス 69 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1713092304/ いかにして哲学は100年前に滅亡したか 1.ラッセルのパラドックスの発見(1902年) 1902年、哲学者のバートランド・ラッセルが論理学における矛盾を発見しました。 このパラドックスは、通常の論理学では回避できないことが判明し、哲学に大きな衝撃を与えました。 2.ラッセルによる新しい論理学の構築(1903年~) 1903年以降、ラッセルはパラドックスの原因が論理学の仕組みにあると見抜きました。 自己と自己言及を明確に区別して混同しないルールを導入し、パラドックスが起こらない新しい論理学の仕組みを構築しました。 3.ウィトゲンシュタインによる論理学の研究(1911年~) 1911年頃から、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインはラッセルの弟子となり、新しい矛盾のない論理学で何が言えるのかを研究しました。 その結果、形而上学や哲学を論理的に扱うことは不可能であることが判明しました。 1921年に出版された「論理哲学論考」で、ウィトゲンシュタインは形而上学や哲学は論理学の誤用から生まれる全く意味のない妄想であると論理学を用いて証明しました。 現在までにこの証明に反証できた人間は歴史上1人もいません。 4.ゲーデルの不完全性定理(1931年) 1931年、クルト・ゲーデルもラッセルの論理学に影響を受け、「論理学によって仮定そのものの正しさをその仮定から証明できるか?」を考察しました。 ゲーデルは、それが不可能であることを証明しました(ゲーデルの第一不完全性定理)。 この定理は、当初ペアノ算術におけるω無矛盾性が証明不可能として確立されましたが、後にロッサーの証明ではペアノ算術における単純無矛盾性、シェファードソンの表現定理により任意のΣ1集合で構成される任意の論理式に対して無矛盾性の証明が不可能であることまで拡張されました。 5.哲学の限界と科学の重要性(1920年代~) 1920年代以降、哲学的な仮定の正しさを論理的に証明する方法は存在しないことが明らかになりました。 アイディアの正しさを決める方法は、現実との比較(実験)しかありません。 つまり、正しさを決める方法は科学しかあり得ないことがわかります。 6.哲学の滅亡(1930年代~現在) 1930年代以降、哲学は完全に滅亡したと言えます。ウィトゲンシュタインやゲーデルの業績により、哲学が論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想に過ぎないことが明らかになったからです。 20世紀後半以降、かつて哲学の中心的な分野とされていた形而上学や認識論は、ほとんど顧みられることがなくなりました。科学哲学や言語哲学といった分野は、あたかも科学と関連があるかのように見せかけて生き残りを図ろうとしていますが、実証性が皆無であるためそのような試みは破綻しています。 また、倫理学や政治哲学といった実践的な分野も、哲学の立場から行おうとする試みは実証性に欠けるため、科学の方法のみを用いなければなりません。 利己的な遺伝子の概念を用いれば、人間の道徳的行動の進化を科学的に説明することができます。メカニズムデザインの理論を応用すれば、政策立案を科学的に行うことが可能です。行動経済学の知見を活かせば、個人のモラルを考慮に入れた社会制度の科学的な設計もできるでしょう。 さらに、脳科学やAIの発展により、個人の思考を精緻にモデル化したり、利己的な遺伝子によって形成された生得的なモラルの神経基盤を科学的に解明することも可能になりつつあります。このように、科学の進歩によって、かつて哲学が独占していた道徳の領域も、科学の対象となったのです。 哲学者を自称する者たちは、このような科学の発展を無視し、哲学の固有の領域があると主張していますが、それは単なる言い訳に過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学が科学と対等に渡り合えるような固有の領域を持っているとは到底思えません。 7.結論 以上のように、哲学は20世紀初頭の論理学の革命によって致命的な打撃を受け、1930年代までには完全に滅亡したと言えます。哲学の中心的な分野は、論理学の誤用や言語の混乱に基づく無意味な妄想であることが明らかになり、哲学は科学の補助的な役割にすら甘んじられなくなりました。 現代において哲学に固有の役割はなく、哲学者と呼ばれる者たちは、科学の成果を借用しているに過ぎません。彼らの試みには実証性がなく、科学的な方法論に基づいていないため、哲学の看板を掲げる意味はありません。道徳や政策、社会制度の設計といった、かつて哲学が独占していた領域も、今や科学の対象となっています。哲学者たちが自ら哲学の看板を下ろさないのは、虚栄心やエゴのためでしょう。 ウィトゲンシュタインが言ったように、「語り得ぬものには沈黙せねばならない」のです。哲学という名の知的遊戯に、これ以上付き合う必要はありません。私たちが追求すべきは、論理学と科学に基づく真の知識のみです。実証性のない哲学的思弁は、過去の遺物となるべき運命にあるのです。 哲学は仮定からその仮定の正しさを導けるというゲーデル不完全性定理に反する妄想なので、必ず論理の詐欺をやっています。その詐欺のパターンの王道は、ラッセルのパラドックスを使って矛盾ではないものを矛盾だと言い張ることです。それにより「矛盾する=矛盾しない」という爆発律が成立し、その後はどんな無意味な妄想も正当化できるようになります。これが哲学の正体なのです。 哲学の詐欺スキーム 1.ラッセルのパラドックスを作り出してそれを矛盾としてしまうため本来は矛盾ではないものを矛盾と仮定するので爆発律が成立してどんな妄想でも正当化できるようになる 2.人や立場によって指す内容が異なる概念に同じ記号を与えて抽象化のプロセスを継承しないでカットすると同一の記号が異なる複数のものを指してしまうので「異なるものが同じである」という矛盾が仮定されるので爆発律が成立してどんな妄想でも正当化できるようになる これら2つを回避しただけではダメ それだけだとただの精緻なラノベ 実証してなければ意味ない そしてそれを実証した場合それを科学と呼ぶ つまり哲学が助かる方法は原理的に存在し得ないwwwwww ざんねんwwwwwwwmmmww 618 考える名無しさん[] 2024/05/11(土) 03:43:18.62 0 AさんがA理論を提示する。それに対してBさんがB理論を提示する。AとBは相互に矛盾しており、両者は議論を戦わせる。そこでCさんがABの両理論を含んでいてさらにそれらを超えるようなC理論を提示して、AさんとBさんは説得させられてC理論を受容する。弁証法とはこういう対話による「真理」(あくまでカッコつきの)への歩み寄りの過程を表している。個々の理論の内部構造では本来ないと考えるべきだろう。 ソクラテスが対話によって哲学を創始したというのも、いわば弁証法によって真理を追究したわけで、弁証法は哲学における基本と言える。なんどもいうがソクラテスは対話することによってしか異なる意見が妥協しあうことはないと考えていた。真理は矛盾する意見を持つ者同士が対話しあうことによってしか到達できない。いわば「真理」とは実体的なものではなくそういう妥協の産物なのだ。それこそが哲学の営みなのであって、個別の哲学理論とは、ただ単に対話の一方当事者の意見にすぎない。真理は対話のプロセス、異なる哲学者同士の議論の展開の中にしかない。 >>6 620 考える名無しさん[] 2024/05/11(土) 03:56:09.61 0 >>618 相互に矛盾しているなら片方または両方の集合の定義が現実世界のものと対応しておらずズレているだけ なぜならば現実世界には厳密に言えば矛盾は全く存在していないからだ そしてそのズレが無い場合には矛盾は絶対に起こらない ズレを修正することだけがやる意味のあることで 議論を戦わせるなど原理的に矛盾をなくすことなど絶対に不可能 不可能なことを出来ていると思い込んでるならば それは本来は矛盾していないことを矛盾だと思い込むことにより 「矛盾している=矛盾していない」という爆発律を成立させてそこから無意味な妄想を「証明」して正当化してるだけ だからC理論などというものは絶対に導き出すことはできないし 弁証法が意味のある議論になる可能性はあり得ない なぜかわかるか? 問題は集合の定義が現実とズレていることしかあり得ないのに そのズレを誰も修正してないからだ Cがズレを無くすことは絶対に不可能 なぜなら誰も現実とのズレをチェックしないからだ 納得など全く意味がない妄想だ 弁証法は論理学の立場からして原理的に問題を解決し得ない それどころか大虐殺こそ科学的社会主義であり正しいという結論を納得させることにすら成功した 論理学においては議論と納得など全く意味がないということを理解してない むしろ論理はトートロジーしかあり得ないので論理が正しさを決めることはあり得ず(論理哲学論考・ゲーデル不完全性定理) そのトートロジーの中で出てくる集合が現実世界とズレていないかチェックすることにしか正しさを保証する方法は存在し得ない 科学を崇めすぎだろう 科学はしょせん科学の領域で活躍できるだけ そこから一歩出れば無力だよ 科学は自然のファンダメンタルな理解には大いに寄与しているが、現実世界は科学だけですべてが理解できるほど単純ではない 政治や経済や歴史や芸術もある それらの領域が完全に科学的に(つまり科学的方法論とか実験とか数学・論理式とかで)解明できるとは思えない >>9 誰が何を考えようが何をしようが物質の状態に過ぎない >>9 同意する マルクス研究にはヴェーバーなどの歴史学派の視点が導入されるべきだ >>12 同意とか全く意味がない バカすぎるwwwww 証明してない なんか意味あんの?お前の感想 >>12 党に逆らう=反革命分子=殺すのが科学的社会主義 これがマルクス理論 知能が低すぎるよお前 "Tout ce que je sais, c'est que je ne suis pas Marxiste." マルクス「私はマルクス主義者ではない、ということだけはハッキリしている」 >>16 >>12 同意とか全く意味がない バカすぎるwwwww 証明してない なんか意味あんの?お前の感想 アナル・ハインリヒ・マンカス スレで哲学話をするのは、ものすごく恥ずかしいと思うが? 論理的証明がトートロジーだと近代で最初にいったのはヘーゲルだ。そして、そのような論理と「現実」に齟齬があった時には、手直ししましょう、 というのが弁証法だから。 >>21 マルクス唯物弁証法がいつどこで手直ししたんだ? read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる