心の成長は非論理的
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結局人間はどこまでいっても利益不利益で動いている。
子育てさえも自己愛に近い。
となれば心の成長とはなにか?
ほとんどの場合はただの「適応」。 ソウカ4ネ
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大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf 心の成長ってある流派(人間性とか・・・)の病理
変な宗教にも多いし >>5
名無しさんの言う通りや
名無しさんも早う島本町から逃げ出す方がええで
島本町なんか陥没して地球上から消滅したらええんや 【論理力テスト】次の文章は正しいようで実は論理的に間違っています。どこがどうおかしいか貴方は説明できますか→「何度学校を変わってもいじめられるのは、いじめられる側に原因がある証拠だ」…答えは「感情自己責任論」で検索 心の成長ね・・
お題目あげてる先生、お前が成長しろよって人が多し
あー臨床やめたいわ 若い男性に「きれいな熟女か、ブスな若い娘か」と聞くと答えに迷う。
だが中年男性に同じ質問をすると全員が「ブスな若い娘」と
答える。若い、それだけでいい、年取った男はそう考えるのだ。 >>1
>結局人間はどこまでいっても利益不利益で動いている。
そうではないと思います。
人間は自分の精神の安定を求めて動いています。
そして、お金を儲けること、利益を上げることで自分の精神が安定する人が、
利益不利益で動く人ということになります。
また、人の心に成長はないと思います。
人の心はどのようになれば成長が完成するのでしょうか。
どのような方向に向かって成長するというのでしょうか。
人の心に成長とか完成はありません。ただ、変化するだけです。 「心の成長」は「自己の変化」です。
どのようにして自己が変化するかは難しい問題ですが・・・。
スタートは、全知全能の「自己」です。
まだ、「自己」という形を持っていませんから「自己」と言えるかどうかは分かりませんが・・・。
「自己」=「世界」の状態です。
生まれたばかりの人間は、知らないモノの存在を知りませんし、出来ない事の存在を
知りませんから、主観的に全知全能です。
自己と自己以外のモノの区別はありませんから、自己=世界です。 その後、フラストレーションの経験を通して、自己=世界の中に自己ならざるもの、
自分の思い通りにならないモノを発見し、それにより徐々に自己が限定されていきます。 こうして、ネットでみんなと話せるのが最高の人間関係なのかもしれ
ないな。ネットってほんと自由。話す言葉は一言だけでもいいし、
饒舌に話してもいい。こんな気ままな人間関係は、ネット以前は考え
られなかった。昔は友人を持つことはリスクがいっぱいだった。 私たちは「人間は精神的にどんどん成長していって年をとればだんだん完璧に近付く。」というような
「成長」に対するイメージを持っていないでしょうか。
「小さい頃は、道理も理屈も分からず、訳の分からない論理で生きていたのが、経験を積むに従って
だんだん論理的、合理的に物を考える事が出来るようになる。そして、ある程度の年齢になれば
そこそこ「合理的な自己」を持つようになり、さらに経験を積むことによって「より合理的な自己」に
どんどん成長していく。そして将来は「完璧に合理的な自己」とまではいかないまでも、
それに近いような状態には到達できるのではないか。」
というようなイメージをもっていないでしょうか。このイメージが間違っています。
これは「完璧に合理的な自己」という完成形の存在を知らず知らずのうちに前提にしているように思います。
多分この考え方は、「神」という完ぺきな存在を前提としているヨーロッパ的なモノの考え方に引きずられている結果だと思います。 自分がステージ上と思いあがっているお偉いさん達いるいる。
超自己中のくせして何が実存だよ。あきれる。 おまえの惨めな回想シーンとおれの絶大な権力どうだって
ちんぽこりんも言ってた >>24
例えば、1冊の本を読む場合なら、1行、1ページ読むごとに終わりは近付いてきます。
「本を読み終える」事をゴールとすれば、読むほどにゴールが近づいてきます。そしていつかはゴールがやってきます。
しかし、個人の自己はそのようにはなりません。
まず、ゴールがありません。ゴールがあると思い込む事は出来ますが、実際にはそのようなモノはありません。
だから、ゴールへ至る道筋というモノもありません。
個人には「自己の完成」も「人格の完成」もありません。そして、「人格の完成」に近付いていく事もありません。
「自分は『人格の完成』に向かって成長している」というのは、そうでありたいという願望による錯覚です。 心の成長ね… 偉そうな事書く学者や心理士達。あんた達がしろよ。世間知らずだらけじゃん >>29
>ふつう人々は真実を見る目を持ち合わせていない
>日本人の標準的な暮らし振りとは自分たちの日常に起こっている出来事の半分のことにも盲目である
その通りですね。
まあ「真実」って何なのかについては議論の必要があるかもしれませんが・・・。
人は出来事や物事をそのまま、ありのままに見るという事はできませんから。
自分に都合の悪い事はいくら頑張っても見えませんから。
そして、修行をして真実が見えるようになるというものではありません。
「悟りを開く」などという事は起こりません。
「何かの訓練をしたり、何かに出会ったりしたごく少数の人は真実が見える」というのは真っ赤なウソです。 「人格の完成」は幻想ですから、すなわち、人格が完成した状態というモノが存在しませんから、
「人格の完成」に近付いていくという事もあり得ません。
心というモノがどういうモノかはさておき、心の完成という状態が幻想ですから、
その状態に向かって「成長」していくということも幻想でしかありません。
心には「状態の変化」があるだけでしょう。変化した後の状態が、変化した前の状態より「成長」しているかどうかは
判定のしようがありません。
多分、神という絶対的な理想的な存在というものを信仰している欧米人が、
「神のような理想的な人格」という、ありもしないモノを「存在する」と思い込んで、その状態を「完成した人格」と
考えただけで、「人格の完成」などというモノは、単なる欧米人の妄想にすぎないと思いますね。
欧米人はありもしない「神」の存在を信じていたために、いろいろなありもしないモノを存在すると考え、
いろんなモノを創り出してしまったように思いますね。 >大阪府三島郡島本町のイジメは被害者が全部悪い
↑
イジメの加害者を擁護し被害者を非難するなんて
島本町は鬼畜の町だな 誰でもできる在宅ワーク儲かる方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
J1PNY しいていうならば
個であることを、主張するものだけが
本当の、恥を知るでしょう
私が、私を、嫌いにならない事の大切さがあるんだ 人間性心理学は自己超越を目指すんだとさ、超自己中な先生が説いていた
新興宗教に似てる 論理学体系より 客観 主観 いずれかが退席、の自由を、律法に於いても。 成長曲線も 複雑で カヲスだよ。心に関しては 心学
心の中だけに生死が混じるようなね。 偉人が偉業を成した年齢が今の自分よりも年下だと「うっ」ってなる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています