アドラー心理学総合 33【嫌われる勇気】
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■関連書籍
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」岸見一郎
「アドラー“実践"講義」向後千春
「アドラー心理学ワークブック」「勇気付けの心理学」岩井俊憲
「アドラー心理学を語る」「クラスはよみがえる」野田俊作
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。
■共同体感覚について
アドラー心理学のあらゆる理論や技法は、共同体感覚を持つ個人の育成を通じて、協力的な社会を築くという思想の実現に向かう形で整理されています。
ゆえにアドラー心理学の実践はすべて、個人の競合的なライフスタイルを協力的なライフスタイルに代替する事で、すべての人々が所属できるように、自分にできることをしよういう決心を支援するために行われます。
合意を得ずに他者に介入したり、社会構造を変化させようとしたり、個人の自己実現を叶えるためにアドラー心理学の理論や技法を使うと、アドラー心理学の押し付けになりかねないので注意しましょう。 自己承認と自己受容とはまったく異なる概念だと思うのね
自己承認とはあくまでも他人に求める承認欲求を自分に向けたもの
自己愛性人格障害はこの欲が物凄く強いために必然的に満たされない人たち
それを自分により強く向けるが故に精神が崩壊した人たち
自己受容は私なんぞの言葉では説明できない
承認欲求は他人だけでなく自己に対して向けるものも破棄しなければならない
自己愛性人格障害は自己承認が強すぎるが故に自己受容を死ぬまで得られない人たち
われわれはそのような異常者ではないので自己への承認欲求を正当に放棄すればいい ある元企業経営者は、刑務所に入ってケツの穴がガバガバになったことで
アドレリアンを名乗るようになったのは興味深い
矛盾に満ちたこの世において、すべてを受け止めるにはアナルセックスは欠かせないのかも >>953
> 自己受容は私なんぞの言葉では説明できない
難しく考えすぎだと思う
未熟だけどそんな自分が好き、くらいのもん アドラーを理解するにはホモセックスが欠かせないのだとしたら、
アドラー心理学は女には理解できないものということになるよね
女はホモセックスできないもんね・・・
小林さんは嫌われる有機を何百回も読んだそうだけど無駄でしたねw >>950
他者信頼と社会が自分を受容しているというライフスタイルのつながりがわかりません
社会が自分を受容するかどうかは他人の課題では? >>937
相対的に価値があるように見えているだけで他者がいなければ無価値であると言っているようなものです
そんなのやばくないっすか? >>953
承認と受容の意味の違い
しょう‐にん【承認】
[名](スル)
1 そのことが正当または事実であると認めること。「相手の所有権を承認する」
2 よしとして、認め許すこと。聞き入れること。
じゅ‐よう【受容】
[名](スル)
受け入れて、とりこむこと。 みんなは仲間同士で手を差し伸べてくれるし
自分は常に役に立つ存在だ
これを信じられる様に日々他者貢献や自分への勇気付けなんかで刷り込み続けていくだけ >>957
そこは共同体感覚の包括的な議論が必要になるような内容だと思うから、ちゃんとは説明できないと思うけど端的に
1.どんな場面でも人間の行動の究極目標は所属である
2.所属は自分の内面ではなく対人関係の中で成立する
という前提に立って「あらゆる対立や葛藤は自分も他人も不完全であるゆえに発生するであって、本質的には人と人は協力的に暮らす事が自然なことだ」
というアドラーの思想を取り入れると
「社会(他者)が私を受容してくれるかどうかはわからない」という世界像が「一見そうは見えないけど不器用なだけで、ひょっとすると、社会(他者)は私を受容しようとしてくれているのではないか?」という世界像に変容する
理屈では伝わりにくいと感じたので具合例でいうと
職場で上司が自分の仕事のやり方を否定し、感情任せに怒鳴りつけた、という事実に対する解釈の例
「理解してくれるかどうかは上司の課題。これは職場のオーダーを全うするために責任を持ってやっている事だから、自分の課題としてきっちりやろう。」
という解釈が、
「もしかすると上司は自分を過ちを犯さないように援助しようとしているのではないか?気になる点を指摘するのに怒りを使用するのは『ヘタ』だけど、俺も同じようなもんだ。冷静に話せる方法はないだろうか?」
という解釈に変容するので、その後の取る行動が建設的になりやすくなる
自己受容、つまり自分の不完全さに対する受容度が上がることで、他者の不完全さを受容できるレベルが上がり、
今まで他者は自分を承認しないことばかり(と感じていた)行為が、自分や社会に対する貢献であると受け止めやすくなるので、たとえ自分に対して攻撃的な態度であっても信頼しやすくなる
そういう意味で、自己受容=他者信頼 自己概念:私は自分で自分を承認する
世界像:他者が自分を承認するかどうかは他者の課題
自己理想:だから私は他者の課題に介入せず、自分の課題に介入もさせず、自分なりの貢献感に従って生きていこう
これが嫌われる勇気を通して伝わっているメッセージかなと思う
否定はしないけどそれ以上にアドラー心理学で大切なのは課題の共同化を通じた個人の自立や勇気づけかなと つまり 自己受容=他者信頼=ホモセックス ということですね 千年の闇も一本のロウソクの火で消える (インドのことわざ) >>954
だからホラレモンはアドレリアンなどではないってw >>937
比較の対象でどうとかじゃなくて、天才だろうが高学歴だろうが、建設的に社会に関わっていない人はアドラー的には残念な人ですね 堀江さんは他人への承認欲求だけじゃなく、
自己への承認欲求も放棄した本物のアドレリアンだと思うよ
自己満足みたいな安っぽい動機で生きてる人じゃなさそうだもん
むしろ些細なことに拘り続ける自称アドラー派の人たちの方が
偽善、欺瞞に満ちた生き方に写るよ >>969
小並感ありがとう
てかそろそろ荒らすのやめてもらえませんかね? このスレでずっと前に誰かがアドラーを実践するとニーチェ的になっていくと
言ってたけど、今はよく分かる
ホリエモンはアドラーを突き抜けてニーチェのスーパーマンになっちゃった人だからね
みんなもホリエモンに嫉妬してるんでしょ?自分も嫉妬してますよ 堀江氏は日本中に知れ渡る状態になった後の人でファンは多いので承認欲求はずっと満たされたままなので気にする必要がない。
水中の魚が水を求めないようなものだ。 イエス、ニーチェ、アドラー、ホリエモン
この4人は大体同じこと言ってるように見えてきたよ プロパティ(property)
譲渡可能、交換可能な所有をあらわす言葉
同時に「かけがえのない私という存在」という意味での
交換不可能な固有性をあらわす言葉 この4人の中でアドラーだけが圧倒的にユーモアのセンスが欠けてる
ここがアドラーの一番ダメなところだわ
アドラーの解説本はアドラーのその欠点を補う形で書かれているものが望ましいね
嫌われる勇気は若人を通して笑いを提供してくれてるのがヒットした原因だわ イエスの教えに従って生きることと、イエスのように生きることが
不可分の関係になってるのが面白いね
キリスト教の歴史は異端を排除することで教会の権威を保ってきたけど、
むしろ排除された側にイエスの正当な後継者がいたんじゃないかという気がする ネルヴァル、アルトー、ニーチェ、ルーセル、そしてフーコー『狂気の歴史』へ パウロ・ティリッヒという神学者のいろんな解説を読んでたんだけど
やっぱり自己受容や他者信頼とは大変なことなんだと思い知らされた
生まれたときからアドレリアンのホリエモンは最初からそれが出来るけど
そうでない人にとってはほとんど不可能なことだと 自分主体から教義主体へというのはある種の跳躍だからな。
鰯の頭も信心からではないが、自分に合った教義だと見極めてから飛び込むのがよいとは言えるのだろう。 例えばアドラーの教えに飛び込むとして、自分は飛び込むことで何を失うのを
最も恐れているのかということをはっきりさせるのはいいだろうな。
それが本当にアドラーの教えに飛び込んで失われるものか検討するのも。 アドラーの教えは一般的な日本人の精神が耐えうるようなものじゃないよね
そのことに気が付かずにアドラー儲になってるのはアドラーを安易に考えすぎ
とりあえずティリッヒの「勇気」を岩井氏が抜粋してくれてた
https://blog.goo.ne.jp/iwai-humanguild/e/b5a9c5dcd38efb5f873f79d914d9312f 韓国は課題の分離出来てる?
世論が極端に触れたりするところ見ると、日本と大して変わらないような
なんてったって"個人"心理学だもんね
つきつめれば、一人一人の個人がそのまま独立国家を形成しましょう
と言ってるようなものだから
日本のような甘えの構造(土居)にどっぷり浸かった風土で実践しようなど
狂気の沙汰だよ 嫌われる勇気読んだけど難しいな
今の自分を受け入れるってのが何なのか分からない
受け入れた気になっても周りと比較して劣等感を抱いてしまう アドラーの英語wikipediaに書かれてることと
日本語wikipediaや嫌われる勇気に書かれてることがかなり違うんだけど…
英語wikipediaはフロイトに始まる理論の枠内に収めようと努めてる感じ
読んでいて誠実さが伝わってくる
日本語の方は制約がない分、あいまいな記述になってしまってる感がある
誰か日本語の方を書き直してくれないかな?
ところでアドラーが影響を受けたというカント、ニーチェ、ドストエフスキーを
読んだ後だと、嫌われる勇気のような考えに至るんですか? 嫌われる勇気買って読んだけど対話形式で頭にはいらないし青年がいちいち突っかかってて腹立たしいんだけどどう理解すればいい?ホリエモンの本読んだ方が頭にはいる >>987
>今の自分を受け入れるってのが何なのか分からない
みんなちがって、みんないい 金子 みすず
みたいな >>991
日本語wikipediaは日本のアドラー心理学のプロが書いてるんでしょ?
だったら日本独自の解釈に基づいて書かれてる可能性が高いよね
学問でガチガチに人格まで強制されることは日本人の心性に合わないもんね
本来ならアドラー心理学は英語で学ぶべきなのかもね
日本語という田舎言葉の限界だけじゃなく、日本のプロが商業的都合で
意図的に書き換えたりしてて問題多そう >>992
だから君が直せば良い
Wikipediaはそれができる所だ >>992
違うよ
履歴を追ってみればわかるが、ja版は一個人が書いたものがベースになっている とりあえず、仮想論のところだけはかなり違う内容になっちゃってるので
誰かなんとかしてください
ハンス・ファイヒンガーの虚構論に基づいて説明するべきところが
プラス/マイナスがどうとか、違和感あるんですが
え、これでいいんですか? アドラー心理学総合34
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1541469487/
次スレ立てました
ウィキペディアの内容ががちょうど議論になっているので、>>2以降の基本前提を載せるかどうか保留中です
僕が違うところから基本前提の説明を持ってきましょうか? ある考えが例え虚構だとしてもその上に新たに構築物が生み出されなら有用である
というのがファイヒンガーの思想だよね
創造性を引き出す虚構ならどんどん用いるべきだと
なので虚構と創造性をセットにして説明しないとプラグマティズムなんかと間違われやすい つまり、ファイヒンガーの考えもアドラーの考えもいってしまえば
実はただの虚構なんだよねw 残念ww
アドラー心理学を実践する各個人が創造性を発揮出来るかどうかにすべてかかってる アドラーの言葉を共通の語彙に共同体を作って支えあって幸せに暮らしましょう
というだけのことだと思うけどなぁ。
個人で問題を解決しようとする限りいかに思想的なものをこねくり回しても
孤立して行き詰るだけだと思うし。
単に人の輪に加わるのが怖いというのならわかるけども。 individualをcobuildで調べたら誰かの模倣しようと試みたりしないとも書いてある
アドラー心理学にとって創造性はやはり重要なテーマだと思う
物まねしないからといって創造的だとは簡単には言えないけど…
日本のアドラー関連の文書はここを削って説明しようとするから
説教臭いものになるんでは このスレッドは1000を超えました。
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