アドラー心理学総合35
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アドラー心理学(個人心理学)を語るスレです。
■関連スレ
[前スレ]アドラー心理学総合 34
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1541469487/
[兄弟スレ]アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/
■関連書籍
岸見一郎『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』
向後千春『アドラー“実践"講義 』
岩井俊憲『アドラー心理学ワークブック』『勇気付けの心理学』
野田俊作『アドラー心理学を語る1.2.3.4』『クラスはよみがえる』
清野雅子『3歳からのアドラー式子育て術「パセージ」』
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。
■共同体感覚について
アドラー心理学のあらゆる理論や技法は、共同体感覚を持つ個人の育成を通じて、協力的な社会を築くという思想の実現に向かう形で整理されています。
ゆえにアドラー心理学の実践はすべて、個人の競合的なライフスタイルを協力的なライフスタイルに代替する事で、すべての人々が所属できるように、自分にできることをしようという決心を支援するために行われます。
合意を得ずに他者に介入したり、社会構造を変化させようとしたり、個人の自己実現のためにアドラー心理学の理論や技法を使うと、アドラー心理学の押し付けになりかねないので注意しましょう。 アドラー心理学の理論的な枠組みは、個人の協力性の育成のため次の5つを基本前提として受け入れていることによって成立している。
「基本前提の歌」より引用
■個人の主体性
個人が心と体を動かすが、心が個人を動かすのではない。
個人はいつでも主語の位置にある。
■目的論
本能、欲求、衝動、感情が個人を動かすものだと考えず、個人がそれらを使って生きていく。
人の心は一因一果論では説明できないが、目的論を採用するならは予測と制御ができるようになる。
動物たちは個体の生存と種族の保存を目指して生きているが、人は社会的な動物で、社会があってはじめて生きられる。
そのため人の究極目標は、社会の中に居場所を見つけ出し、所属をとげて人から愛されて、仲間と一緒に暮していけることと言える。
所属のために選ぶ方法は人ごとにみな違うものであり、それが個人の個性を作り出す。いかなる個性も所属に向いている。
ある種の個性は所属を目指しつつ、正しい方法学んでいないため、競合的な目標追求し、努力をしても結果が得られない。
勝って所属をしようとすることも、負けて所属をしようとすることも、やればやるほど所属に失敗し、自分と他人を不幸にするばかりになる。
不幸を感じて暮しているならば、ある日のひとつのエピソードをとって、感情、思考、行動を手がかりに仮想的な目標を調べる。
自力かあるいは人に助けられ、隠れた目標を自覚させて、競合的とわかれば工夫して、協力的な案を試みる。
こうして日常実践続ければ、次第に心は協力的になり、やがてはいちいち意識しなくても、協力的に暮らせるようになる。
勝ち負けのない協力平等の真の所属を目指して実践し、子どもに伝え、人類全体が所属を果たすことに向かっていく。 ■全体論
個人は有機統合体であり、部分の和よりも大きな全体で、部分の間に葛藤矛盾はない。
意識と無意識、理性と感情は、一見すると対立していると見えるが、実はそんなことはなく、分業しながら協力して動いている。
近代科学は部分を研究し、それを集めて世界の運動を一種の機械のように説明し要素論的理論を作ったが、心も社会も生きた全体であるため、要素論では予測も制御もできない。
社会はともかく個人の心には全体論は役立つアイデアで、予測も制御もどちらも可能だし、バランス保って改善してゆける。 ■社会統合論
一対一の二人の関係を調べて、そこから科学の方法で人の心を説き明かそうとするもの。
心理学は科学であるゆえに、観察できない心の中でなく、観察できる対人関係を対象にして理論を組み立てる。
二人の間が競合的であれば、どちらが上でどちらが下なのか決めようと争いを続ける事になる。これが縦の関係と呼ぶ。
二人の間が協力的であり、相手に任せて口を出さないか、力を合わせて一緒に働けば、横の関係と呼んで区別する。
二人の間が競合的ならば、相手の賞賛得るため行動し、だめなら不適切な行動で注目関心引こうと試みる。
競合性がもっと強ければ、権力争い互いに興奮し、相手を負かして自分が勝とうとし、感情投げつけ相手を罵倒する。
負ければ裏に回って復讐し、相手の心を傷つけようとする。
たとえば犯罪行為に走ったり、病的思考で相手を困らせる。
それでもだめなら最終段階で、無能力を誇示して人々が自分に一切期待せぬように脱落者としてむなしく生きていく。
これらの競合的なやり方は相手も競合的にするために悪循環が回転し続けて終わることなく二人を苦しめる。
ひとりが協力的な生き方を学んで、相手を尊敬、信頼し、勇気づければ二人の関係が変わって自分も相手も幸福になる。
人はいつでも社会に組み込まれ、自分の行為が相手を決めてゆき、
相手の行為が自分を決めてゆく。
「自分が変わることから始めよう。これはみんなにとってなんだろう、私はみんなになにができるだろう。」
これを共同体感覚といい、明るい未来を作る鍵となる。 ■仮想論
個人は事象を勝手に解釈し、それを事実と思って生きていく。主観の世界に人は生きている。
事象を個人が認識したときに、良いか悪いかどちらでもないか無意識的に判断するのだが、根拠を私的感覚と呼ぶ。
悪いと思えば、これはライフタスクであると劣等感を感じて判断し、対処行動によって補償して、仮想目標を目指して行為する。
ライフタスクとは価値によるマイナスあり、仮想目標価値のプラスだが、客観的にそうなのではなく、個人の意味づけ以上のものでない。
私的感覚を根拠に判断を繰り返すので、個人の行動はいつでも決まった冗長性があり、事前に予測ができることになる。
古典的にはライフスタイルと呼ばれるが、いまのはやりではナラティブなどと呼ばれることもある。個人がこの世を生きる物語。
競合的な私的感覚は生活上の問題困難を引き起こすが、当の本人は自分のせいだと知らないかもしれない。
ある場合には共通感覚と違っているので問題抱え込むので、普通は人はどんなに思うかを知れば、摩擦を起こさなくてすむ。
人によっては共同体感覚が育っていないため、問題抱え込む。
自己執着をいったん保留して、相手のために貢献考えよう。
相手の目で見て、相手の耳で聴き、相手の心で考えられるよう、普段の暮らしで訓練繰り返し、思い込みの罠から抜け出そう。
私的感覚をあたかも絶対の真理と思わず、違った考えも可能であると認める生き方を価値相対論と呼んで重視する。
現代世界の不幸のさまざまは、自分が正義で相手が悪人と相手を裁いて競合的になり、暴力的に解決しようとする事で生じる。
共同体に貢献することを仮に共通価値と認めあい、理性によって対話を重ねれば、明るい未来を築いてゆけるだろう。 >>1
おつです
最近結婚して相手のとの価値観の違いやちょっとした葛藤を無視できないくらい近い関係になったから、いろいろと悩みが増えました
アドラーを学ぶには絶好の機会だなと思ってまたアドラー熱が高まっていろいろと読み返してます
たまに書き込みに来ます >>8
共同体云々の部分はそう見えてしまうけど、よく読めばハイエク信者じゃない?
最近ハイエクちょっと知って、アドラーそっくりだと思った ホリエモンの新幹線の座席の件はアドラー抜きにしても本気で理解に苦しむな
前の席の人に「座席下げても良いですか?」なんて言われたら
にっこり「どうぞ」って応えればすむ話じゃん
これで誰も傷つかないしむしろ自分のパーソナルスペースを配慮して貰えたことに嬉しくすら感じるわ
仮にウザいなと感じたところで大げさに問題にするほどのことなのか?この程度が過剰な配慮なのか?俺が変なのか? >>10
ハイエクはアドラーよりあとの時代の人だろw >>11
自分もシート倒すのを聞く事が「過剰な」配慮に当たるとは思わない。 ところで、どれくらい配慮したら過剰な配慮なんですかね? 他人がシート倒したくらいでキレるのは他者信頼まったくできてなくね? ホリエモン自身が大好きな課題の分離ができてないと思う >>9
きっとアドラー心理学が役に立つと思います
疑問があったらここに投げてくれれば答えれる人が答えれるし、テンプレの本なんかも役立つと思います
専門機関についての情報は俺は得意じゃないけど、誰かしら得意な人が居るんじゃないかと思います >>8
確かアドラーは対戦中に軍医を経験してて
社会主義的な思想を持って実際に団体を支持して活動した時代もあったけど、社会を変えようという活動方法に限界を感じた
そこで、一人一人へのアドラー心理学の啓蒙によって、やがて社会が協力的なものに変わると期待するのが
自分にとっての正しい活動方法だと考えるようになったって話しだったと思うよ 配慮そのものは、相手にとってできるだけ手落ちなく良い結果になる様に心を配ることだから、
過剰な配慮かどうかっていうのは、他者貢献と繋げて考えるのが良いと思う
確か他者貢献の注意点として、自己犠牲になってないかどうかっていう基準があったと思うので
自己犠牲を伴うかどうかが、過剰な配慮かどうかの分岐点なんじゃないかと思う
配慮自体を過剰だと感じるかどうかというのは、
ゲゼルシャフト(機能共同体)感覚かゲマインシャフト(価値共同体)感覚かで別れるのかも知れない
ゲマインシャフト感覚なら、他者に話し合いで合意を取るのが良しと考えるだろうし、
ゲゼルシャフト感覚を持っていれば、分業的に自分の役割を果たしていれば良いので
相手に対してこっちはこっちで対処するから余計な配慮は無用となるのかも知れない 俺自身は配慮は大事にしたいけど、他者の望むことを察して行動するのが苦手だと感じる
だから話し合いを大事にするアドラー心理学の考え方に頼るのが自分にとって都合が良いと思う よく言われるように「自分がされて嫌なことはしない」くらいは過剰な配慮にはあたらないと思う
「自分は◯◯と感じるけど、もしかしたら相手は××と感じるかも」から来るものは過剰な配慮 なにかする前に相手に聞けばいいだけの話
自分がしてほしいことを、こそが迷惑 >>21
ホリエモンは徹底してゲゼルシャフトに適応した人って感じするね
アドラー心理学の肝は社会構造がゲゼルシャフトであることを認めつつ、個人の心にゲマインシャフト感覚を取り戻す事で協力的な社会を創るという思想方針にある 地球のガン細胞を、徹底的に更生!
地球破壊主義者どもを、徹底的に打倒!!! 地球を生きものの楽園にする!!!
これは、地球を生きものの楽園にするということであり、人以外の生きものの楽園にするということではない。勘違いされるな! 地球を生きものの楽園にする。いつ実現するか?今すぐ!!! 大きな夢を掲げる者は実現に繋がらない場所での行動しているふり以外してはいけない
実現可能な行動をしてしまった途端にハリボテの自己陶酔だということが他人にも自分にもバレてしまう 縦の関係という感覚は自分の中にしかないので
他者が縦の関係だと感じるなら自分がそうだということなんちゃうかな >>41
じゃあ相手がどんなに上から、下から目線だろうが自分が横の関係と感じていればいいの? あ、でもアドラーってそうか
他者を変えるのでなくて自分を変えるって考えだもんね 相手がどれほど上から、あるいは下から接してきても、こちらは横で接することは可能
ていうか、アドレリアンなら皆できると思うよ 世の人は、我を何とも言わば言え。
我が為すことは、我のみぞ知る。
アルフレッド・アドラー Ptsdは量刑にも考慮されているのにそれを「無い」などと主張して犯罪者に有利な社会を作り出そうとしている人間のクズ >>52
ないと言ってない
ない、と考えたら便利ですよと言ってるのがアドラー心理学 有限の資源を奪いあうより、分け合う方がいい。道徳的にもそうだが、そっちの方がよほど合理的だろう。 世界中の皆で、地球を、皆が笑顔で暮らせる生命の楽園にしよう! いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショックWいわゆるトラウマWに苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。
そこで、特定の経験を将来の人生のための基礎と考える時、おそらく、何らかの過ちをしているのである。
意味は状況によって決定されるのではない。
われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。
つまり、PTSDは無いと言っているわけではなく、PTSDを使って苦しむ形を取るのか、建設的な意味付けをするのかは個人の決定次第だという話なんちゃうかな 例え死んでも、生命の尊厳を否定することはできない。 >>63
俺もそう思うよ
俺たちは仲間だ
今日も共に仕事を頑張ろう アドラーって物欲を満たそうとする行動についてはどう考えてたの? >>67
人は物欲などの欲望に突き動かされるということを認めない立場
主語は常に個人であり、欲望や感情、衝動などを使って何を成すかは個人次第 使用の心理学の観点から対人関係の目的を考えてみるんだよ ニュース速報!!「「巨大隕石アポフィス」地球衝突の危機!!」
近未来、2029年、4月13日、「巨大隕石アポフィス」
(直径340メートル)地球に衝突!!
巨大隕石が地球に衝突した場合、「人類全滅(じんるいぜんめつ)」!!
(「アメリカの軍事基地」、「ホワイトハウス」、
「核シェルター」、「聖なる神殿」も破壊しつくされます!!)
「アメリカのナサ」は、宇宙機を「巨大隕石」にぶつける
「ダート計画」が現在、進行中です!
日本では、岡山県「スペース・ガード」が「危険天体の監視と発見」を
おこなっています!!
4月29日に米ワシントンD.C.で開催された
「2019 Planetary Defense Conference」の集会において、
NASA管理者のジム・ブライデンズティーン氏が異例の
警告を発している。
「これ(隕石衝突)は「ハリウッド映画」ではありません。
まず人々の理解を確認する必要があります。
我々が知る限り生命を宿す唯一の惑星であるこの地球を、
最終的にいかにして守るのかという話です」
(ジム・ブライデンズティーン氏)
「「人類史上最悪の非常事態」に、みなさん備えて下さい!!
これは、「現実問題」です!!「架空の物語」ではありません!!」
ニュース速報!! 上司が勇気くじきするような言い方するから
自分が無能に思えてきて落ち込む…はぁ 上司が勇気をくじかれているんだよ
他人は変えられないから仕方ない
解決策は一つ
自分が勇気づけの人でいよう >>74
そうは言うけどこのつらい気持ちは簡単にはいかないよ… >>76
よくあるけど新人だからわからないことを質問や確認をする
質問や確認すると、こんなこともわからないの?自分でまず調べろと言われる→こんなこともわからない自分がバカに感じる
自分で調べると時間がかかったりミスをする
上司にはなんで聞かなかったの?確認しなかったの?と言われる
どうしたらいいかわからない… >>77
その事情を説明して相談に乗ってもらうのが良いと思うよ
例えば、同僚、上司本人、上司の上司とか
自分の気持ちをどうにかしたいのであれば、カウンセリングの方がオススメだよ
レスで「うんうん、それは大変だね」とかってゆっくり話を聞いても仕方がないし ニュース速報!!「巨大隕石アポフィス!!地球衝突の危機!!」
米航空宇宙局(NASA)によると、
「死の神」の名を持つ「巨大小惑星」が、
「2029年」に地球に接近する!!
この小惑星「99942アポフィス」は直径約335メートル。
アポフィスの名は、
太陽をのみ込もうとする「エジプト神話」のヘビ神のギリシャ名に
由来する。
ただし「2029年」に「アポフィス」が地球に衝突の危機!!
地球から約3万キロの距離を通過する見通し。(地球スレスレの距離!)
地球に衝突した場合、「衝撃波」(しょうげきは)で、
「200メートルの巨大津波」が
発生し地球文明(原子力発電所も軍事基地もホワイトハウス)を
「破壊」しつくす!!
世界に、「氷河期」がやってきて,「核シェルター」に
逃げ込んだ「人間」もすべて、全滅する!!(滅びる!!)
(空ににげても海に逃げてもムダ!!どこにも逃げ場がない!!)
「氷河期」を生き残れる人間は、いない!!
「恐竜」のように「人間」が絶滅(ぜんめつ)する!!
まだ「研究」が不足し、「巨大隕石」(超巨大質量の岩石)の
軌道をかえる方法(うごかす手段・方法)は
まだ、「考えられていません」!!
「全地球規模レベルの史上最大の危機」がもうすぐやってきます!!
「マスコミも、もうすぐ騒ぎ出すでしょう!!みなさん覚悟してください!」
ニュース速報!! >>78
ありがとうございます
やっぱり相談することが大事なんですね
そして自分で環境を変えられるなら変えていく
内面の問題はまた別問題ですもんね
カウンセリング、検討してみます >>80
ああそう言えば、>>1の書籍とかも良いと思う
岩井俊憲『アドラー心理学ワークブック』
これなんかは、認知療法に近い形で共同体感覚に向けた思考のトレーニングができるし
取り入れてみてほしいかも 全人類一致団結し、地球を生きとし生けるものの楽園にするのだ! 正当化が始まっている時点で正当じゃない。
不当化が始まっている時点で不当じゃない。 理屈:「他者の課題には介入せず、自分の課題には他者を介入させない」
現実:「他人はズカズカと自分の課題に介入してくる」
理屈:「自分の信じる最善の道を選ぶこと」
現実:「国家公務員の総合職に落ちれば、いや上位20傑に入らなければ
財務省の門は閉ざされるから、自分が信じたとて最善の道は選べない」
理屈:墓守や長兄の役割など、家系のつながりをアドラーは完全に
欠落させている 子供が執拗なイジメを受けていたりしても「そりゃ他人の課題」と親がうそぶいていたら
子供が自殺しちゃったりするよ
そうなってから初めて「アドラー心理学、間違ってんじゃんか!」と叫んでも後の祭り
会社なら、責任を負いたくないとか、余計なことしても給料上がるわけじゃないから
「自分の課題」を極小にすることで相対的に最大給料をもらおうとする人間だらけで、
人事も仕事の結果や経営者の資質の有無ではなく、もっぱら好き嫌いで抜擢が行われると
ますます自分のテリトリーを小さくして守備を固めて、余計なことには関わらないで
さらりいまんに徹しようとする人間ばかりを増やしてしまう
どれもアドラー心理学の行き着く奈落の底 >>87
というより、あなたが勘違いしているように「課題の分離がアドラー心理学の中核理論である」という誤解を修正した方が良さそう
カウンセリングの時に共通の目標があって初めて機能するものだよ
課題の分離は 親が教師だと子供も教師を選ぶ家庭が多い
親が官僚だと子供には「絶対に民間には行くな!」と諭すこともあって
子供も民間をバカにして霞ヶ関を選ぶ傾向はいまだに強い
親が警察だと、採用試験のヒエラルキーで、総合職以外はどんなに手柄を
上げても給料や地位はほとんど上がらないから、その不条理と、官僚やキャリア組を
徹底して守る現行制度の欠陥を目の当たりにして、子供には「勉強しろ!」
「良い大学へ入れ!」と教育熱心に尻を叩くことが知られている
アタマの良い子が良い大学に入るというより、世代の因果で尻を叩かれた子たちが
早くから受験の意識に目覚めて準備して環境を作っていくことが知られている
バイオリンのプロを生むには、、一家を挙げて経済的にも支えていく覚悟をする話は
よく聞くことで、どれもこれも他者による関与で人生を創っていくことが知られている
つまり、アドラー心理学の「自立」など、現実にはあり得ないという簡単な証明
アドラーの屁理屈は、どこにも通用しない「勝手に言ってなさい」物件だろう >>88
「課題の分離」がアドラーの中核であろうと、外周縁にあろうと、
はっきりと理論として押し出している以上、ごくわずかな事例であっても
反証を提示された時点でアドラー心理学は終わる
だからというか、そもそも「中核であると勘違いしている」との指摘は的外れ >>90
それなら、課題の分離をもうちょっと勉強した方がいいと思うよ
そもそも、子供のいじめとか会社の仕事に課題の分離が使えるわけがないから、反証になってないんだよね
おそらく課題の意味するタスクとレスポンシビリティを混同しているんじゃないかと思うんだけどどうだろ? >>89
世の中は騙し合いだからね
他人だけじゃなく自分の親までも劣等コンプレックスによって騙してくるから
子供はそういう大人たちの言うこととどう向き合っていくべきなのか
アドラー心理学の自立ってそういうことを考える力を養うものだと思ってる
その後に勉強をしたほうが得だと思えば思いっきり勉強すればいいし、
能力的に捧げた労力や時間に見合ったものが得られそうにないと思えば適当なところでやめればいいし
でも、親の劣等コンプレックスによって尻を叩かれた人の方が社会的に成功するのは
事実だし、しょうがないね 理解しないで否定から入る人に教えるのって大変だし、
もうそう思うならこっち来なくて良いよって思いがちなんだけど
ここのスレのみんなは優しいすよね
人殺しの殺人鬼の池田大作の創価の公明が政治活動
キチガイの集まりの創価の公明が政治活動
キチガイカルトの創価の公明が政治活動 岸見の2冊=アドラー心理学の神髄
と信じて良い?それともあくまで岸見流ってだけで、
「嫌われる…」を読んだからといって本当のアドラーとはほど遠い? >>98
さっき初めて来たんだもん、しょうがないよ あの2冊は最&高
あれ読めば絶対間違えない
あの2冊こそがアドラー心理学のバイブル 嫌われる勇気に乾杯♪
糾弾されたンじゃなくて、糾弾されるためにわざわざ書き込んだというのがアドラーさんの教え 人のこと言えない、こうして互いに腐敗しあい、組織は潰える。 自分も正し、他者をも正す。正せぬものは、処刑。こういうまともな人間集団は、長命だ。 自分は正すが他者は正さない。こういう迎合保身主義者は、組織の敵である。
他者は正すが自分は正さない。こういう腐敗ゴミは、革命・クーデターで潰さなければならない。
自分も他者も正さない。これは論外であり、滅ぶ。
自分も他者も分け隔てなく当たり前に正す。こういう当たり前のことができない組織は、短命である。 自分は正すが他者は正さない。こういう迎合保身主義者は、組織の敵である。
他者は正すが自分は正さない。こういう腐敗ゴミは、革命・クーデターで潰さなければならない。
自分も他者も正さない。これは論外であり、滅ぶ。
自分も他者も分け隔てなく当たり前に正す。こういう当たり前のことができる組織が、長命である。 >>109
居場所がないからこんなところに書き込んでるんでしょ >>97
真髄というなら本来は、臨床、教育、子育ての現場で他者との対等な関わりを通じて自分が変わる事で、結果的に他者も変わるという理論
嫌われる勇気は自分の自分による自分のための自己啓発理論になっているけど、アドラー心理学の大枠は外してないから許容範囲内かなって感じの本 例えば騙されている人がいるとして、
その人に気付いてもらいたいとしたら
アドラー心理学的にはどういうアプローチをしますか? 騙されている人は、自分から騙されるためにそういう場面を自分で作っているというのがアドラー
加えて、他人の問題には介入するなというのがアドラーの教え >>113
その前に、騙されていることに気づいているかどうかを本人に尋ねて見るひつようがあるね 「あなたは一生何もせず、遊び暮らしていればいい。何かされる方がよほど困る。言っちゃ悪いが、足手まといなんだよ。」
〜無能について、全人類 赤面症理論だな
治せないし、治しても何も改善しない…と。
深層心理で別のところに原因があってのことだから医者の関与(治療)は意味がないんだよね 自分が気付いてることを伝えるのは全然良いんじゃない?
私は〇〇の理由から、あなたが騙されているのではないかと思いますって感じで
それを聞いて、気付いて確かめるのも相手を信じるのを選ぶのもその人次第の課題になる
例外っちゅーか、仕事とかで毎度いちいち気付いたことを伝えて、
他者の気付く能力の向上を阻害するのは課題の侵害かも知れない アフリカで拉致されてアメリカに連行され、奴隷にされた。→自己責任
旧満州で拉致されてシベリアに連行され、強制労働させられた。→自己責任
ISILに拉致され、性奴隷にされた。→自己責任
祖国が日本に併合され、自分は従軍慰安婦にされた。→自己責任
自己責任論者とか単なる重度知的障害者じゃんwww! 自己責任って輪廻転生とか前世の因業の類でしょ???w あー怖い!!!サリンばら撒くとかやめてね?自己責任真理教徒の皆さん!!!w 岸見一郎尊師と彼を崇拝する自己責任真理教徒による世界中みんなどんな境遇の人も全員が全員ことごとく本人のせいだ理論!!!w
その池沼さがキモ過ぎ!!!!!w どんな酷い目にあって今どんなことになってどれほど誰も助けてくれなくても全部「そいつの自己責任!」
重度知的障害者さんってみんなこうなの???w >>120
それ全部自己責任ちゃうやん
キチガイかな君は >>124
あ、発狂中でしたか、失礼
発作がおさまったらまた来てください 君たちってさ?本当に世界全員自己責任、本人のせいだって信じてるの???w
だったら北朝鮮の委員長やらサウジの国王やら日本の天皇になってみろよアホ!!!w
翼の折れたエンジェルって本当にみんなこんな可愛いことばっか言うんだね!!!w
カワイ〜〜〜www! どうすれば、「世界中み〜んな自己責任!」「全て本人の努力次第!」「努力は必ず報われる!!!結果が悪いのは全て本人の努力不足!」こんな森友園児みたいな従順な大人に育つんだろうwww! 頭蓋骨が空洞だから、"コンコン"って音立てるwww! アドラー心理学は前提は決定論であって自己責任論じゃないからスレチだよ 翼の折れたエンジェルワロタw
お子様かと思ったら高齢者かよおめでてーな
今のままじゃあもう君の挽回の機会はもうないから、アドラー心理学を学んで幸せになるんだね 自己責任真理教徒は、(逆の意味で)打てば響く「森友木魚」だ! 「自己啓発学んで成功するって言う人で成功した人見たことない。」マツコ・デラックス ttps://ja.uncyclopedia.info/wiki/池沼 ttps://ja.uncyclopedia.info/wiki/池沼 https://ja.uncy
clopedia.info/wiki/池沼 >>135
あー、やっぱり情弱高齢パヨクだったか…
途端に哀れになってきたな…どうしよう >>136
アブラハム・マズローはアドラーの理論の上に自己実現の欲求なんてのを付け足して自己啓発の始祖になったけど、アドラーはそんなものには与しないんだよなあ >>142
マズローは別にアドラーに付け加えたわけではないよ
マズローの所属欲求とアドラーの所属への力動は単に違う概念
マズローのそれは全体論でも社会統合論でもない >>144
もう一度言うけど付け加えた訳じゃないよ
あなたはおそらくマズローを好きじゃないんだろうけど一度読んでみたらいいよ
「完全なる人間」を読めば全体の理論のベースが理解できる
晩年の自己実現→自己超越の流れを経てアドラー心理学に重なるから >>145
実現していない自己などない
したがって自己実現などというものもありえない
ー野田俊作 >>147
それは補正項で読んだことあるよ
なにが言いたいんだ?
俺はマズローよりアドラーの方が普通に好きだし別にマズローを称賛している訳じゃないよ
言いたかったのは、>>142で「マズローはアドラー理論の上に自己実現欲求なんてのを付け足して」とあるけど、アドラー理論に自己実現欲求が付け足された訳じゃないということ
欲求に階層をつけるというアイデアは、フロイト理論の違和感からの払拭とアドラーの力への意思という一つの回答、そこにアメリカの風土が持つ心理学への期待に応える想いがハイブリッドされて生まれたものであって、アドラー心理学の土台の上に築かれたわけじゃない
せめてマズローの本を読んでくれ >>148
せめて「」の意味くらい読み取ってくれ
なにに噛み付いているのかさっぱりわからん
つけたした、というのが気に入らんのかもしれんが、自分の認知バイアスは自分でなんとかしてくれ、俺に噛み付いても何も変わらんよ >>149
噛みついているように見えるんだね
なにか言い回しが気に入らない訳じゃないよ
「マズローはフロイトの理論の上に自己実現欲求理論を付け加えた」ならそうだと思うけど、アドラー心理学はマズローの理論の土台にはなっていないよということを知ってもらいたんだよ
だから自分の言っている事の意味がよくわからないなら、マズローの本を一冊くらい読んでみてもらいたい マズロー自身がなんやったっけ、アドラーの流れの心理学者っていう情報から
理論もアドラー心理学が土台なんだろうな、自己超越とか独自にアドラーを解釈した感じぽいし
っていう先入観は持ち易いんちゃうかな?実際この流れを見て俺はそうじゃなかったんかあって思ったし >>120
祖国を日本に併合してくれと懇願し、嫌がる日本に併合させては
自分はまんまと従軍慰安婦のバイトに応募してしこたま稼がせてもらった。 アドラーの理論の上に付け足した1番しっくりくる人はヴィクトールフランクルかな? アドラーに限らず、こういう人生理論の問題は
・正しく理解できない
・解説本で曲解されて普及する
・正しかろうが、正しくなかろうが、よくわからないまま各自が思い思いの
個人理解に引っ張り込んで腑に落として理解したことにする
なんどもいろんな理屈が出てきても、すぐに忘れ去られ、また次に飛びつき、
でも誰も幸せに人生を送れないのはそれが理由
人生理論をたとえてみれば、デブが多いアメリカで次々と健康器具が生み出され、
次々と一世を風靡するも、すぐに飽きられ、誰も効果をゲトできず、むなしい屋上架を
永遠に繰り返しているのと変わらん アドラー心理学は健康器具なんかと違って、時間をかけてじんわり浸透してるイメージだな individualなるありもしない概念の青い鳥を追い続けてるだけにも見える アドラー心理学はindividualともcollectiveとも違う概念で、ゲゼルシャフト社会の中で
ゲマインシャフト感覚の人間関係を育てるっていう現実的な概念なんだけど
見る人によって見え方や感じ方も違うっていうのも確かにアドラー心理学の考え方だね ま、自己啓発っつう詐欺商法の教祖として祭り上げられてしまったきらいはあるわな
マナーセミナーみたいな
ヒューマン・ギルド系というか、北米アドラー心理学では取り入れられてるんだったっけ? 選挙に行かない奴はクズ扱いされるけど
選挙を盲信しすぎてると思うんだ
まず選挙で漏れが学校の学級委員様に選ばれたあたりが
多数決がいい結果にならないと証明している。 自分自身の一生涯に責任を持つことができぬ者が、自己責任がどうのなど笑止。 過去と未来は関係ない?過去と未来は自分だけど自分じゃない??? それは本当の自分じゃないレベルの脳みそだな!!!笑 そんな腐った脳みそで、一生「過去と未来は関係ない」などと言ってろ!!!笑 本当に、「それは本当の自分じゃない」レベルの腐った脳だよ。 過去=今の自分
だしね
「自己決定」だけで億万長者や自分に都合の良いルールを好き勝手作って
自分の成功人生を自分で定義できる権力官僚になれたら世話ないわ ところが面白いことに自分で自分の事をこうだと信じ込んでいると他の人間はそれに釣られて同じように信じ込む事がある。
これはおそらく無意識に情報収集してミラーニューロンが真似ようとするためではないかと思う。
無意識のレベルで「信じる」という行為がコピーされて真似されてしまうのだ。
だから自己イメージはそういう意味でも重要で、自分の事を自分でダメだと信じ込んでいると他人までダメだと信じ始めるので大変危険だ。
人からどう言われようが客観的事実がどうであろうが「これでいいのだ」と100%自己肯定した方が良い。
そうするとその後の無意識の動きがそれを表すための行為になり、更に巻き込まれた他人も同じように信じるようになり本当に善い状態になって行くだろう。 >>168
ここ、アドラー心理学スレだけど
アドラー心理学学んでも億万長者にはそもそもなれないよ? 明日があるさ、って考えはアドラー的にどうなんだろ
今を肯定的に捉えてるからいいのかな 自己責任自己責任言うんやったら、自分の一生涯に責任負うてみいや。 過去の自分の責任は取れない→償わない
未来の自分の責任は取れない→借金踏み倒す
これが「過去と未来は関係ない」いうアホンダラの屁理屈かい! まるでどこかの国のプリンセスのフィアンセみたいやな!!!w こんなやつらに自己責任いう言葉使われるんやったら、日本人みんなクソみたいにアホや思われておしまいやな???w 過去の自分は自分じゃないから過去の責任はない?
未来の自分は自分じゃないから未来の責任はない? そんな腐ったやつは、必ずや過去の責めを負わされ、必ずや未来のために自己犠牲を強要される! 過去の責任を取らざる者、過去の責任を取らさるる。
未来の責任を取らざる者、未来の責任を取らさるる。 一生そうやってバカ面下げて、過去と未来は関係ないなどと脳みそ腐ったバカ話嘯いてろ!!!笑 「過去と未来は関係ない。」
こういうこと言うやつらは、まず間違いなく全員頭極度に弱い系。 ハッキリ言う。過去は関係ないだの、未来は関係ないだの、脳みそのイカれたこと言って自己責任徹底的に負わないやつに、自己責任がどうなどと語る資格は微塵もない。 いくらなんでも自分が生まれた事には責任ないよな。
自分の体は自分で設計して遺伝子操作して作ったわけじゃないしな。
なんだか知らない内にこうなってたわけで、それは誰でも同じだ。
そういう意味では誰にも何の責任もないと言える。
起点に責任がないんだからその後の事にも責任はない。 過去にこんな目にあったから、こんなんになっちまっただねえか
というのは大いなる勘違いってことだからね
自分の好きでそうなっただけでしょ、過去は今の自分には関係ない
だって、トラウマなんてそもそもがないんだもんね
ってゆうのがアドラー爺 >>194
さすがにその解釈までいくとアドラーではないよ
過去に影響を受けたストーリーに基づいて、人はそれぞれ自分の所属のため戦略を編み出していて、それをライフスタイルと呼ぶ
さすがに幼少期(6歳くらいまで)の影響をなくすのは至難の業なので、アドラー心理学は過去からの影響を「なくす」のではなく、「活かす」道を取る
自分の個性は保ったまま、自分の所属を獲得するために、相手の所属も配慮できるような方法を学んで、日々の暮らしの実践を通じて、「協力的なライフスタイル」へと変容していく
どんな過去の経験を持っていても、自分を受け入れ他者と協力的に暮らせる個人が世の中に増えていくことで、ゲマインシャフトな社会に近づくだろう
ってゆうのがアドラー爺 野田さんの4部作読んでから他の著者のアドラー本を読めなくなった… ヒューマンギルドって本来のアドラーじゃないってマジ? どっちが正しい?という考え自体がアドラーに反するよね
正義を振りかざすのはNGでしょ >>190
そうだな
お前の言うとおりだな
お前が、正しい、よ セールスの手法で2つ商品を出してどちらにするかを聞くというのがある。
ここでバカな客はもう一つの隠された選択肢があることを忘れどちらかを選んで買ってしまう。
言うまでもなく隠された選択肢とは買わないという選択だ。 どっちが正しい?と普遍的に問うとややこしくなるけど
どっちがアドラー心理学の理論を正しく継承してるかと言えば野田さんになるし
岸見氏は野田さんから学んだアドラー心理学を自身が学んだ哲学で解釈した分と
共同制作者である古賀さんの編集も相まって
嫌われる勇気はある程度の改変に近い表現がされている
っていうのはこのスレの共通認識だと感じていたけど、訪れる人が代謝してるんだろうね おれたちがまじめくさって読んでいたのは、アドラーじゃなくて、
アドラーとは似ても似つかないキシラーだったのか。。。
ダマされた感が強いわ >>204
関係ないけど、そんな風に代謝という言葉を使う人初めて見たw
賢い! 最近、すれっどもひとつの生命体のように全体論で捉え始めているからね >>204
アドラーを正しく継承、というとなかなか難しい問題になってきませんかね?
アドラー心理学にはドライカース以降様々な人が関わってきてしまっているし、
むしろ、それらの古典を翻訳された岸見さんのほうがアドラーに近いと言えるのかもしれないですしね >>208
恨みを持ったままだと幸せになれないってのはそれが理由だよね。 今の自分の状態は誰かの責任だと証明しようとして無意識に不幸な状態を維持しようとする。 要点だけ知りたかったが、だらだらと教師と生徒の掛け合いを延々と読まされてしまった
なんにも役にたつことが頭にも心にも残らない本だった >>214
それってアドラーとどういう関係があるんですか? もうめんどくさいから、アドラーもアドラー解説員も忘れて
ツァラトゥストラとかスッタニパータ読めばよくない?
似たようなことが書いてあるよ
本当のアドラーは〜、なんて無駄なこと考える必要なくなるし >>216
アドラー理解してる人ほど、本当のアドラーはなんて言わないけどね アドラーは、アドラー心理学をしっかり守れて幸福な人生だったの? >>219
野田俊作さんのアドラー心理学を語る「グループと瞑想」から
それだけではなくて 、アドラ ー心理学そのものが 、アドラ ー心理学以外の理論に対して不寛容になってしまう 。
我々は狂信的になるのはいやなんです 。真理とか正義の名のもとに 、どれだけ多くの人々が殺されたことかを思いださなければなりません 。
真理とか正義とかいうのが 、最も危険なイデオロギ ーだと 、私は思うんです 。
だから 、真理ではなくて 、 「こうしたほうが便利ですよ 」っていう話に限定したいんです 。 本当のアドラーは〜、のようにそれをさも真理かのように言うのはアドラーじゃないんだろうね
パラドックスみたいだけどw そもそもアドラー心理学を形にしたのはドライカースとアンスバッハーだしね そもそも個人心理学は、ビジネスとしての精神医学を発展させたフロイトに対する
アンチテーゼみたいなもんなんでしょ?
アンチテーゼだけで独立してるわけじゃないよね
あと、ビジネス精神医学に対するアンチテーゼなのに、それが形は違えど別のビジネスに
なっちゃってるなんて自己矛盾もいいところじゃない? フロイト精神医学はビジネスというか権力者の道具だよね
それも金儲けとサイエンスが結び付くことで生まれるめちゃくちゃ危険な類の
個人心理学はそういうものに対するアンチテーゼなので、
岸見先生の言うのとは違う意味で劇薬なのでは
先生のいう程度の劇薬なら初期仏典やニーチェにも含まれてるのでそれらを読んでいればいいね >>221
ここでその話を持ち出すのはおかしい
アドラー心理学のスレで、アドラー心理学の理論に添うか沿わないかを判断するのと
真理や正義を判断するのとは全く別の概念でしょ
アドラー以外の理論や方法をアドラーと比較して
どちらが便利で建設的かという話をするのなら建設的だしスレチにもならないと思うが >>209
それはそうかも
かと言って野田さんも当然翻訳される以前からアドラーの古典は全て目を通して精査してるだろうから
翻訳した方が正しいともならないのもあるけどね
「正しく継承」と表現したのは、学会としての継承に正当性があると思ってのことだったのと
嫌われる勇気は少なからず古賀さんの誇張が含まれてることからだったけど
岸見さん個人の翻訳の功績はあると思う
少なくとも嫌われる勇気はアドラー心理学の理論を誇張と歪んだ表現でセールスした本だと考えるよ 個人心理学の言ってる内容を見て思うのは、
とてもじゃないけど個人一人の幸せのために
ある学説ではないということ
フロイトの理論へのアンチテーゼでしかないものを
一人一人の人生や生き方に応用して
本当に当人の望む幸せが得られるかね?
無理でしょ ビジネスがどうとか、劇薬を飲むために別のものを読むとかの話は
そもそもの選択する目的がズレてるから
内容を精査する論点が明後日の方向にピントずれしていることに気付けると良いんじゃないかと思う アドラー本人は共産主義にも関心持つような人で、
人一人の人生と社会の在り方が不可分の関係であることをよく分かってた人でしょ
個人心理学を自己啓発みたいな切取り方するのが完全な間違いだとは思わないけど
それでは単純な自己啓発的な目標すら達成出来ないのでは?
だってそんなの成し遂げた人を見たことないし・・・
一見してアドラー的ではない、でもアドラー心理学の体現者であるホリエモンを見て
いつもいろいろ考えちゃうよ >>229
「個人」というのは、潜在意識と顕在意識とで対立しないという意味で
人の心を分割できる最小単位のことを指しているのであって
「個人一人の幸せのための学説」という意味ではないよ
思想としては、個人ひとりではなく、誰もが所属できる方向に建設的な考え方を持つことで
自立した生き方を選ぶことができるようになるという学説だよ
自立というのは、自分には人の役にたつ能力があって人々は自分を助けてくれる仲間だから
できることをやろうという生き方ができてることで
解釈としてはそれによってコンプレックス(ルサンチマンぽい概念)や神経症を
回避していけるという学説だと考えて良いと思うよ >>231
自己啓発的な目的ってどんなものを指してるのか分からないけど
アドラー心理学を実践したら社会的に成功できるかも?と解釈して
そうならないことをディスってるのだとしたらやはりピントがズレてると思うよ 体現者ホリエモンは社会改革者だから
ホリエモンに似た起業家はいっぱいいるけど、誰もホリエモンになれないのは
ホリエモンが社会変革を促す改革者だから
岸見先生も一応ちょっとそういう生き方を目指してるっぽいけど 体現者ホリエモンに似た人物というと、日本人では上皇陛下ぐらいしか
思い浮かばないわ >>234
先ず、アドラー心理学の目的は基本的に>>232の方向であって
ホリエモンの様な社会変革者を目指す目的に使うのはお門違いだと思うよ
ホリエモンみたいになりたいならホリエモンの教えを請うのが良いんじゃないかな?
それから、ホリエモンが体現者というのは対談記事の煽り文句だから
岸見さんがその様に認定したかどうかは定かではないのと
ここのスレの流れにもある様に、ホリエモンはゲゼルシャフト社会の適応者であり
アドラー心理学のゲマインシャフト感覚の体現者とは言えないのではないか?と考えてるよ
ただし、他人の心のことだからこっちでとやかく言っても本当のところは分からないけれども >>229
まあその時代に居合わせたわけではないからわからないけど、
たとえ始まりがそうであっても、現代のアドラー心理学はちゃんと個人の幸福も実現できる思想になっていますよ >>234
お前まだいたんかwww
承認欲求はおさまったんか? 心理学者も哲学者も、ただ人の世のあれこれを自分の神経症的分析で
こねくり回しては理屈っぽいモンに仕立てて訳知り顔するだけなんだと思う 人間関係がすべての悩みの種というのは確かだろう
ただそこに他者だけではなく自分との関係も含むのではないか アドラー理論が理解できても、やっぱり過去とは決別できないから、今日から幸せになるみたいな芸当って無理だと思う
それに過去といっても前世から引きずってる因果もあるんだし、今生で1ミリくらいは剥離できるのかも知れないけどね >>246
嫌われる勇気以外の本も読めばそういう結論には至らなかったなー 質問です、アドラー心理学を学んで良かったと思うことはありますか?あと、これだけはまだまだうまくいかないということはありますか?
私は考えるのをやめてまず実行することによって自分を変えることが出来てきたと思ってます。
他にも他者に共感すること(単なる同情することではなく)を知って、パートナーと良い関係を築けられるようになったと思います。
うまくいかないことは、まだまだ今までのライフスタイルに固執している部分があることです。良くも悪くも、ですが >>251
良かったことは人を嫌いだと感じることがあまりなくなったことかな
自分も他人もみんな不完全であり、所属を目指して試行錯誤していると考えれば、助け合う方向を目指すスタンスの方が自然で楽だしね
過去のライフスタイルに関しては固執していて全然問題ないんだよね
ライフスタイルを取り替える、というよりは、自分の所属を目指すときに同時に相手の所属を配慮できるように軌道修正するイメージ
自分の個性として過去のライフスタイルを好きになってみて下さい >>248
三日〜一週間でライフスタイルは変えられるそーだよ >>253
ありがとうこざいます、参考になります。
自分は基本的に人となるべく関わらないように生きてきたライフスタイルなのでそれを変えたいと思って試行錯誤してます。
自分の所属の仕方とあまりに掛け離れている人と関わるとやはり疲れます。怒りの感情を多用する人とかは特に、逃げ出したくなります。 ここで議論してるより現実世界で試行錯誤した方が百倍マシ 急に行動が変わったと思ったら、「アドラー始めました」って? 自己啓発したいならアドラーよりもっといいのあるでしょ >>256
それね
アイデアを聞いたら、すぐに試してみて結果どうなるか見るくらいの人の方が成就するよね 読んだけど意味がわからん
自分の人生を変えるほどの影響力もこれっぽっちもなかった本
売れたみたいだから著者は儲かったってことだけじゃないかな、この本の意味は? >>266
すっげームラムラしてきたからお前のこと考えながら抜いたわ ライフスタイルを変えるって簡単にいうけどどうやって変えるの? ライフスタイルを認知、判断、行動に置き換えた場合
先ず変えていけるのは判断だと思う
判断軸のポイントを善か悪かではなく、共同体感覚的かどうかで検査することに置くことで
善悪の判断とは違う判断結果を出すことができると思う
この判断によって認知と行動を検査したとき、感情的な躊躇が出てくる場合がある
このときに共同体感覚的な判断結果に添う選択を取れるかどうかの鍵を握るのが勇気だという理論なん違う?
だから必要なのは勇気を育てることだということで、勇気付けをしましょうって話でしょう
つまり、どうやってライフスタイルを変えるのかと言うと
電マぜめで 人が日常において行う判断のうち、意識的に行ってるものは2割もない気がする
残りの8割以上は無意識的・習慣的に行われていて、これらを自分で変えようとしても
意識に上らないものである為、変えることが難しい >>269
エピソード分析だよ
アドラー心理学と言えばエピソード分析 >>276
エピソード分析やりたいけど
お金払ってパセージ?っていうの購入しないといけないんだよね >>277
エピソード分析の代わりというか、>>1の「アドラー心理学ワークブック」なら
おそらくエピソード分析の手法も取り入れられてて且つアドラー心理学も学びながら取り組めるのではないかと思います 自己犠牲→プレゼンティング的劣等感
他者犠牲→マウンティング的優越感 アドラー特待生になると、結局、どういう人物像になるわけ?
ホルエモンみたくなるのがアドラーの理想型? アドラーにつっかかって人生を無為に過ごすことが一番の危険 アドラー心理学ワークブックって著者ヒューマンギルドの人でしょ?
ヒューマンギルドのアドラー理論って最大規模の日本のアドラー学会から間接的に否定されたんじゃなかったっけ? まあ過去の話だよ
ヒューマンは北米系
アドラーは欧州系ってことで >>283
俺も持ってるけど、内容は良いと思うよ
否定どうのが気になって嫌なら仕方ないけど >>281
ホリエモンみたいなリバタリアンを追求する姿勢こそが
アドラー心理学の体現者たる所以だよね アドラーが現代に生きてたら人工知能の無制限の利用に反対してたと思う >>286
承認欲求ニキはなにか少しは改善したの?
多少馴染みがあるから心配だよ >>287
ってことは、自分たちもアドラーをやってると時代の落伍者になってしまうってことぢゃん
善悪よりも現実が猛威をふるうからね、正義や真理を突っ張ると負けるんだよ
アドラーは使い物にならない昔の屁理屈に堕ちてんだね 5ちゃん掲示板だと無理解な人の上部のイメージによる会話の進行が定期やな 「嫌われる勇気」ってタイトルは、あれでよかったのかな?
アドラーをますますわからなくするんじゃなかろうか? あれって利己的に振る舞うのが勇気だと誤解させたよなあ… 真理なのか、本質はなんなのか・・・
そう深く考えようとするタイプは、だいたいが宗教にハマってしまうんだよ
人の理屈に真理など無い、釈迦だって嘘っぱち、、お経はいい加減に書き換えろ…って
わかっていると自然に平安が訪れる 自己責任とアドラー氏・岸見氏の意見とは関係がないのでしょうか?アドラー・岸見は自己責任論者だと言う人がいるのですが。 そもそも自己責任論というものを明確に定義してもらわんことにはな ってゆうか、○○論とかそうゆう小難しいことを知らないと人生が不幸になるわけでなし、
なにかの理屈の鋳型に自分を忠実にハメ込んで幸せになるとも思えない
そんな当たり前の結論です 昭和天皇は神ヤハウェ
東條英機は教皇ウルバヌス2世
日本軍は十字軍
日本兵はキリスト教の聖戦士 ただ一つの違いは、キリスト教聖戦士は天国に行けると思っていたが、日本兵はただ死ぬだけだったこと。 やらなければならないことをやる。
やってはいけないことをやらない。 みんながそうしないなら自分もそうしない→やる気なし
みんながそうしなくても自分だけはそうする→やる気あり 家康「他の者が尾張殿を裏切ろうとも、この徳川決して尾張殿を裏切り申さぬ。」
信長「三河殿は、余が襲撃されて鶏が三度鳴く時に織田など知り申さぬと三度追手に言い、三河に逃げ帰るでござろう。」 価値とは、値段ではない。
値段とは、価値ではない。 値段を価値だと思い込むな、価値は値段のことではない。 値段は価値に非ず。
価値は値段に非ず。
退け、サタン。 自己責任御用学者は、世界中のありとあらゆる倫理に悖る行為を、被害者が悪いことにする。 権力の走狗御用学者、その下請け走狗こそが、貴様ら自己責任原理主義教徒だ! >>327
お前は、自己責任御用学者の走狗!権力者の犬の犬だ!
恥を知れ!!! いや似てるのは分かるよ
野田さんも岩井さんも仏教に傾倒してるのは似てるってところから入ったのあるとも思う
根本的には違うものなんだけどね アドラーやその時代の心理学の先駆者は哲学も学びながら実践で理論を組み立ててったわけなんだけど
その中で仏教の教えも汲み取っていたであろうことも当然可能性として大きく考えられるし >>335
非我→自我→無我、という意識の成長の階層(インテグラル理論)があって
アドラー心理学は自我の確立までの理論でその後までは追求しない
仏教は無我を目指すが自我の確立の領域を見落としてしまい、迷いの中にいる修行者が多い
補完関係としてちょうどいいというような内容 仏教は悟りを目指すのでは?無我には修行の途中でなる時があるだろうけど。そこがゴールではないよ。 難しいこと言いだしたら、まず間違いだと思って
関わらないように砂漠化するのが大吉 アドラー心理学自体には興味があって、関連本読んでみたいなと思うんだけど どの本も読みにくそうでなぁ。。 岸見一郎さんと仏教の僧が対談する企画やってほしいなあ 川崎19人殺傷事件の犯人は
両親が離婚したから事件を起こしたんだ。 なんでも自分のせいにする奴と
なんでも他人のせいにする奴だったら
後者の方が生きるのが楽だと思うんだ そして自分の責任と他人の責任の区別がついて且つ協力し合えるともっと生きやすいね >>344
こらこらトラウマは存在しないんだよ。いいね?
犯人は引きこもりたかっただけ
そしてあげくのはてに人を殺したかっただけなんだ
原因はないのだよ
え?今回被害者がトラウマになるからケアが必要?
こらこらトラウマは存在しないんだよ。いいね? 死なざるを得ない状況に自分を追い込みたかったんじゃないだろか トラウマなどありません
ニートになりたいからニートなんです
いじめは原因でない
なぜならいじめられた人みんながニートになってるわけじゃないから
虐待も言い訳です
よって学校にカウンセラーを配置するのは無駄です
原因なんてないんです
すべては目的なんです >>353
多分あの本が誇張して書いてるから誤解が生まれるんだろうけど過去に原因が完全にないんじゃなくて、あったとしてもそれを求めるのが無意味ってことじゃないの 単に
原因探すより目的を見た方が対応策が見つかりやすいってだけ 「嫌われる勇気」は誇張ではなく嘘だからな
トラウマを否定せず、それにこだわることの無意味さを説けばいいのにしてないのだから確信犯
それで回復できるならその程度orそういった種類の心理状態だったということ
心理学ではなく哲学だと認めてるみたいだし、心理学でないという前提で扱うものだよ
それが合わん人は系統的脱感作など原因から対処していかないと
なんらかの刺激に対して恐怖芯抱く人間に
「君は怖がりたいだけ。君の恐怖に原因はないし、トラウマにもなっていない」
とか、追い詰めるだけ。 まあ実際トラウマと身体が結びついて日常生活が送れなくなる病気ってあるしな
アドラーが生きてた頃とはトラウマの捉え方が違うのだろう このトンチンカンなトラウマ論議はいつまでたっても終わらないんでしょうね いじめ公認心理師。いじめは人事にいるスキルだろう。公務員にとってはな。 いじめをしないされない方に入っていくとしょうもない人生となっている。 トラウマがあるとかないとかの話は精神内界論
アドラー心理学は社会統合論
これで終わる話だと思うけどね >>357
時系列で考えたらそうだよな
パニック障害とか >>356
岸見を教祖として崇める人がけっこう見られる気がする
ありゃ哲学じゃなく宗教だよもはや トラウマは外傷だから日本の内科医院病院組織と折り合いが悪いな。 虐待で脳が委縮しててもそれによる不都合は、その不都合でありつづけたいという目的をあなたは遂行しているのです! >>348
PTSDは存在しない?
すごい脳みそだな、たぶんトラウマという言葉がトラウマになっているんだろうな。
周りにトラウマじゃないことをトラウマという人間がいるか、あるいは自分がそうではじかれたか。 >>368
君は嫌われる勇気教の信者になる素質が皆無だな
虎馬は存在しないのだよ >>371
嫌われる勇気に納得できなくて、反発したいのわかるけど
そういう自棄になったような回りくどいアピールいらないよ ベトナム帰りの兵士がPTSDになったのは
就職したくないから ベトナム帰りの兵士がPTSDにならずに就職できた
ベトナム帰りの兵士がPTSDになって就職できない
・兵士個人の刺激に対する反射行動の違い
・ベトナムでのエピソードの違い
などを考慮せず、就職したい、したくないだけで表面的に判断するのが「嫌われる勇気」 お前たちがもし本当にアドレリアンなら、世直しの一つでもしてみろ。自社自国オンリーで、他社他国は関係ない。そんな自称アドレリアンなど、鼻毛にもならん。 社会を良くする→アドレリアン
こっちがモノホン
社会を良くすると主張する→自称アドレリアン
これはニセモン 社会を良くするのが、アドレリアン。
社会を良くすると主張するだけなのは、自称アドレリアン。 アドレリアンと自称アドレリアンなら、比較にもならん。 画餅どもよ、貴様らは決して餅ではないぞ?
そのことを自覚しやがれこの偽善者! 自分で考えろアホ!
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数分の作業で終えられるのでぜひお試し下さい ツイッターで反論したい
でも、フォロワーに悪い印象を与えるかもしれない。
自分の意見がつぶやけれない。
反論するってことは相手をコントロールしようとする行為。
だからスルーするのが正解。
と自分にいいかせるのは
自分をごまかしてるだけか。 論理的理性的に自己主張することは必要なスキルですよ >>390
他人の人生を生きてらっしゃるようですね 課題の分離完璧に出来たら、他人に関心がまったくなくなって
完全なひきこもりになっちゃった
他人に興味がある人の方が不思議でならない >>394
人生の課題ってなんのこと?
承認欲求を否定したらどんな理由で人と接する必要があるの?
ぼくの人生の課題、あるとすれば心の中にしかないよ 大学4年生の夏
ここまで学校で学んできて
いざ就職となると
就きたい仕事がなくて途方にくれた
今思えば
親が認めそうな仕事と自分が興味のあることが重ならなかった
夢中になれたものは
ダイヤル接続時代のネットでグラビアアイドルの画像を集めることくらいだ
だから写真家になれば良かったんだ
ではいつやるのか?
今すぐ退職してその方向に向かうべきだ。
そうしなければ一生他人の人生だ。 アドラーは知らんが、嫌われる勇気は、課題を他人に押し付けるような利用の仕方をしている人もいるような
とくに親子関係でね 基本は承認欲求の否定、存在の肯定だけど、人は一人で生きている訳でないので
(共同体感覚)、部分的には承認欲求も肯定しないといけないし、
存在も否定しないといけない。そうでないと生き物を殺して食べることさえ
できなくなってしまう。 嫌われる勇気をブラック企業が社畜洗脳するために使ってるっていう話を聞いて悲しくなった 親の体罰を法律で禁止するのに反対な日本人は多いからな
嫌われる勇気もそれに近い理由で支持されてるんでしょ 嫌われる勇気にツッコミどころは何点も存在するのは分かるけど
このスレでは理不尽な攻撃を受けてて笑う その何点かを話しているのに理不尽な攻撃とは難問だな 例えば親の体罰の支持と嫌われる勇気の支持とはどの様な相関関係があるの? 体罰はトラウマにならんと考えてる人が多いんでしょ
あ、多いってのは相対的にというより、普通は体罰反対だと思いきや、かなり多いってこと
30代に限っては体罰肯定派が多いと朝日新聞だったかの記事で見たね
そいうマインドもった人が多いなら、嫌われる勇気のトラウマ否定も支持されやすいんじゃないかな >>408
嫌われる勇気はトラウマを否定しているけど、体罰も否定してるからその仮説は成立しないと思いますよ 20世紀の偉大な心理学者100
フロイト3位
ユング26位
アドラー67位 蚊帳の外で蚊が飛んでいるからなんだ?
檻の中で猛獣が吼えているからなんだ?
承認欲求について、ロベスピエール。 例外者(フロイト心理学)=精神的神聖権力者=自分選民誇大妄想患者=自己愛性人格障害者
について語りましょう。 引きこもってる中年は頭がいいし
自立している。
妥協して嫌々働いて
法律や世間体に縛られて仕方なく親を養ってるおまいらこそが
自立できていない >>409
嫌われる勇気が体罰を肯定しているのではなく
トラウマ否定原因論否定において矛盾したマインドが問題ということだね
・体罰したら子供はますます悪くなる(体罰は悪くなる原因)
・子供は体罰されたからといってみんながニートになるわけじゃない(原因論否定)
昨今の川崎から始まった無差別殺人、親殺しにおいて
加害者の虐待環境(可能性)は理由にならんって人も多いし、
逆に次官の子殺しを理解できるとかのたまう輩もいる始末
体罰を肯定するときのマインドは、嫌われる勇気で原因論を否定したり、
否定しなかったりの、矛盾した思考に近いものを感じるね >>417
単に誰も自立できてないだけ。
更に日本人の大半は外国にあまり行かず国際情勢もほとんどわからず国内の競争に明け暮れて内弁慶になってる引きこもりだらけ。
過去には暴走して真珠湾を奇襲攻撃して無差別に人を殺害したこともある。とんでもない引きこもりだ。 >>418
アドラー心理学で体罰がだめだというのは、子供が暴力で問題を解決することを学んでしまうからですよ
教条主義的に「暴力ダメ!」と喚いているわけではない >>417
頭が良かろうが悪かろうが、コミュニティーに貢献するなど建設的に関わっているものが一人前の人間なので、引きこもりはそもそも不幸な人間の筆頭にある 自分がしょうがないなら、他人もしょうがない。
他人がしょうがなくないなら、自分もしょうがなくない。 善を行うことができるから善を行い、悪を行わないことができるから悪を行わない。それを、善人とは言わない。
善を行うことができないから善を行わず、悪を行わないことができないから悪を行う。それを、悪人とは言わない。 >>420
学習って行動学であり原因論の極致だと思う
あとアドラーではなく岸見(+ライター)自己啓発だね アドラーが否定したのは原因そのものではなく一因一果説
一つの結果は一つの原因から生まれるという偏った認識のことだよ
このスレで原因論云々言ってる人たちが片っ端から誤解しているからテンプレに追加してもいいかもね アドラー派ってオペランド学習についてはどう考えてるんや? >>427
岸見な。アドラーをとくに否定していない。
誇張とかじゃなく間違いなのさ。 「自己責任自己責任と弱者を切り捨て、最後は自分自身が自己責任の名の下に切り捨てられる。これこそ典型的な自己責任であり、自己責任の決定版であると言える。自業自得乙!!!笑」
革命について、民衆。 >>435
「弱者」なんてどこにもいない
尺度次第でなんとでもなる
だから「弱者」は、、あなたの心が作り出した幻
もしあなたが自らを「弱者」だと思うのなら、弱者というポリコレ棒で得をしたいだけ >>428
個人の主体性は、行動療法は、刺激や経験がその人の行動を決めると考えますから、この前提は一致しません。
全体論は、行動療法では、刺激を受けたり経験する対象を分割はしませんので、 要素論的ではないという意味では全体論には一致します。
認知論は、行動療法では、最終的には 刺激-反応に還元されますので一致しません。
目的論も、行動は刺激や経験の結果と考えますの で一致しません。
対人関係論は、刺激を与える存在という意味の他者という意味では対人関係論 は一致します。
http://adler.cside.ne.jp/database/061/061_04_nakajima.pdf 医療の入院なしと法律をつないで看護に負担を掛けないように仕事組んだらどうだ? 看護師帽や看護が犠牲になる必要はない。宗教的崇高な犠牲心に付け込んだ
病院詐欺グループが能力やおカネを食い物にしている。業務改善令。 病院内より外部があやしいからよく調査しておくように。 車に乗ると飛び出してきた子供を轢き殺す可能性は必ずあると思うんだ
わかっていて車に乗るのは悪いのか 100人に毒を与えたら5人が死にました
5人死んだからといって100人全てが死ななかったので
毒は原因じゃありませんw >>443
家を建てたらピンポイントでそこに隕石が直撃して家族もろとも皆殺しになる可能性は必ずあると思うんだ
わかっていて家を建てるのは悪いのか
5chに何気なく書き込んだ内容に心理的にショックを受けて自殺してしまう可能性は必ずあると思うんだ
わかっていて書き込むのは悪いのか
風が吹けば桶屋が儲かる可能性は必ずあると思うんだ
わかっていて風を吹かすのは良いことなのか >>445
嫌われる勇気の原因論否定は、意思決定の理由として何を採用するのか?という枠組みでの話だから
拡大解釈すると議論にならないよ
枠組みに収まる形の中で納得のいかない事例を見つけてまた疑問を投げかけてみたら良いと思うよ 私たちは、社会の中(対人関係の中)で生まれ育ってきました。
そして、これからも対人関係の中で生きていきますし、そこから離れることはありません。
引きこもりのように、一見、対人関係から離れているように見えるケースでも、
何らかの意味では対人関係のネットワークの中で生きていることには違いがありません。
そして私たちは、対人関係の中で自分とはどんな人間であるかを学び、
対人関係の中で自分の価値観を持ち、
対人関係の中で信念(考え方)をつくり、
対人関係の中で行動し、対人関係の中で喜びを得、対人関係の中で悩むのです。
全てが対人関係の中で起こります。
私たちの考えや行動、そしてその結果である喜びや悩みは、全て対人関係の中で起こっていることであり、対人関係と切り離せないものです。
だから例えば、「誰に対して、どんな目的をもった行動なのだろうか?」などという視点で見てみるわけです。
人は(本人が自覚しているかどうかは別として)対人関係の中で何らかの目的をもって行動していると考えているからです。
このような立場を、「対人関係論(社会統合論、システム論)」と言います。
人は対人関係のシステムの一部であり、相互に影響しあっているという考え方です。
例えば、子供が学校に行かないということが起こった場合も、子どもの内部に原因を探す(精神内界論)のではなく、対人関係の中に目的があるのではと考える(対人関係論)のです。 人の上に立つのはいいが、上下関係そのものを破壊するのはダメ。こういうのを、奴隷制擁護論と言う。 100人に毒を与えたら5人が死にました 。
5人死んだからといって100人全てが死ななかったので、毒は原因じゃありません。
自己責任の典型だな!笑 100人に毒を与えたら5人が死にました 。
5人死んだからといって100人全てが死ななかったので、毒は原因じゃありません。
きしみん、さすが!!!笑 自己責任とは、共同責任の否定である。
自己責任の剣で、自己責任教の信者は、人権弾圧も環境破壊も「自己責任だ!!!」。
つまり、自己責任教とは、私利私欲主義自己愛性人格形成教なのだ。 人権弾圧も環境破壊も完全無視の自己責任教徒は、自分ないし自分たちの私利私欲を満たす御用学問を追求するよりも、自らの劣った人格を更生させる方がいいと思う。世直しされちゃうよ?笑 君が不幸なのは、君が不幸になろうと選択したためなので、他の誰の責任でもないよ
まず自分から変わってみようか? 人格が腐った環境破壊人権弾圧主義のゴミどもを、徹底的に完膚なきまでに完全無欠に打倒! 道徳とは本来、自身の精神的成長のためにツールとして作られた。
それを、道徳を振りかざして権力闘争し、他者を支配するために使うとは何事! >>454
めんどくさい課題は分離してOK
意識高い系は時間が大切なのです アドラー心理学は心理主義
これ信奉してる人は脳科学とか知らないのか? 脳精神主義は心理主義をないがしろにする薬売りと言われても仕方ない精神科医らがいきつく先
逆に心理主義が行き過ぎたカウンセラーが、アドラー系だろう
心理主義の根底には精神分析があるわけで、アドラーの中でも原因論徹底否定の輩とは区別が必要かな 岸見先生は人間には自由意志があるって言ってたけどそれは正しいの? >>471
それはプログラミングされた通りにしか動かない自立型ロボットが環境に合わせて「自由に」動くみたいなものだ。
前に進みながら左に障害物があれば右に、右に障害物があれば左にと「自由に」、そして「自分の動きたいように」動くのだ。 アドラーは決定論側だよ
目的あるいは手段を代替することでプログラムを変えることができるとする「やわらかい決定論」
所属への方法を代替する、というところにのみ自由意志が存在するという人生の取っ手理論 アドラーがどうの岸見がどうのって、アンタら自分自身の意見はないの??? いくら難しい本読んでも、実社会でいろいろ頭使って試行錯誤するのとでは雲泥の差やで? 自転車に乗れるようになる本を読むのと、実際に自転車に乗ってみるのと、どちらの方が自転車に乗れるようになるかな??? 自転車に実際に乗れる人よりも、自転車に乗れるようになる本を読んだだけの人の方が、えてして自慢げに人に教えたがるものだ。 言うてアドラースレじゃあアドラーの話をしないとスレチだし
こんなに過疎なのはそういうことやろ 住人はもうな一周して解脱してもうたんや
きみらの書込みはみとると思うで なんの解説をしているのかと思って良く見たら解脱だった >>479
なんでってここがアドラースレだからだろ セフレは身体的な関係
恋人は精神的な関係
夫婦は身体的かつ精神的な関係
これが、アドラーさんの三つの課題なんやな。 善悪の否定は、革命で滅ぶ道である。
損得の否定は、自滅の道である。
善悪の否定も損得の否定も、滅びの道である。 485
では、身体的な関係でも精神的な関係でもない異性は? セフレは身体的な関係
恋人は精神的な関係
夫婦は身体的かつ精神的な関係
???は身体的な関係でも精神的な関係でもない >>495
なんで個人を肉体と精神に分割してるのにアドラーと言えるの? 答えられた者は、アドラーの後継者として、二代目アルフレッド・アドラーを襲名できます。 アドラーは全体論、体と心に分けてたらアドラーとは言えない。 テレビで親からの性的虐待の記憶で苦しんでる女性がやってた
悲劇のヒロインを気取ってるだけですね? エックハルトトール、マイスターエックハルトを読んだときは
優しい気持ちになってエゴが和らぐのに、嫌われる勇気を読んだ後は
エゴが強まる気がする
ここの書き込み見ても嫌われる勇気でアドラー心理学を学んだ人はトゲトゲしいよ
この違いは一体どこにあるんでしょう?
嫌われる勇気はインパクトのある本だけど、危険な本でもあるね エックハルトトールまだいたんだね
ここまで粘着する執念は一体どこから来るんでしょう? >>475
それらに対する批判だって自分の意見じゃん
自分で概念を定義づけして新しい用語でも作れってことか? >>498
まあ介護問題で悩んでる家庭とかに嫌われる勇気読ませたら
家族間での押し付け合いが始まるだろうね トゲトゲしいって感じるかな?
その辺、ライフスタイルによって変わるんちゃうかな
あとアドラーは社会統合論だからエゴみたいな概念はどうでもいいんちゃう? 個人心理学というのがそもそも誤解を招きやすい訳語なんじゃないの?
アドラーはindividualの用語に患者を取り巻く他人などの環境全体を含めてるみたいだし
誤訳の上に課題の分離という言葉を強調すると無駄にエゴが強化されるよ アドラースレでエゴの強化とか言われると違和感を感じるね
エゴの強化って、自己執着とか、利己主義みたいな文脈として使ってるってことかな?
アドラー心理学の表現に置き換えて言うと、競合的なライフスタイルってことになるのかな
まあ哲人の軽快な感じの明確に否定に感化されてると競合的なライフスタイルが育つ可能性はあるのかも? 誰かが始めなければならない。他の人が協力的かどうかはあなたには関係ない。
私のアドバイスはこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうか考えることなく。 現代日本人は世界一エゴイスティックな人たちだからね
偽善めいた言動を見るたびに内に秘めたエゴの強さを感じてしまう
まずはエックハルトを読んでエゴを弱めなければならないよ
アドラーについて考えるのはそれからでも遅くないよね エゴの強化=競合的なライフスタイルに向かうこと
と解釈すると
エゴの強さを感じる=他者が競合的だと感じる
ということになる
アドラーは自分自身のライフスタイルを説くので、他者が競合的だと感じる印象は
自分自身の競合的なライフスタイルから生まれると考える
フロイトやユングで解説すると投影という言葉がある
逆に
エゴを弱める=協力的なライフスタイルに向かうこと
とも解釈することができる
エックハルトトールを読むと協力的なライフスタイルに役立つのだとしたら
それを利用するのは良いことだと思うけど
それでも他者が競合的だという認識が手放せないのだとしたら、
アドラー心理学の実践をそのままやってみるのも手なのでは?とも感じる 「エゴイスト」の特徴3
3つ目は特徴は、「自分がエゴイストだとは思っていない」ことです。
基本的には自分のことしか考えていないので、周りから自分が
どう見られているかには気づきません。
なので、自分が「エゴイスト」であるとは考えていません。
自分がエゴイストであるとは考えていないので、
エゴイスト的な行動をとってしまいます。
https://word-dictionary.jp/posts/803 エゴイスト同士の親子で殺し合う
これが現代日本人を象徴する事件
エゴイストが、自分こそが謙虚で周りに気を使いすぎる人間であり
それゆえいつも損してばかりいる、と考えて課題の分離でさらに
強いエゴイストになる
無自覚にやってるとしたら末期的だわ
課題の分離は自覚的エゴイストがさらなら高みへと昇るためにやるものだよね 課題の分離は自分のなかのエゴを自覚するために必要なんだね
エゴイストは周囲の人間を自分の道具のように考えてるからね
まずは課題を分離しないと他者という認識が生じないし
嫌われる勇気はエックハルトを読むための準備として必要なんだね 嫌われる勇気=課題の分離
だと考えてるのだとしたら、仰りたいことはよくわかる
嫌われる勇気は課題の分離への言及がセンセーショナルだったけど
本来はアドラー心理学の協力的なライフスタイルに向かうことを推奨するものだと理解すれば
課題の分離という言葉への危険視から離れられるのではないかと思う
課題の分離の目的は、エゴの強化(競合的なライフスタイル)の推奨ではなく
エゴを弱める(協力的なライフスタイル)方向に向かう為の心がけとしての役割なわけで
例えば他者のエゴが強かろうと弱かろうと、自分のエゴを弱める為の活動との関連性を切り離して
自分はエゴイストにならないぞっていう自覚を持つ為に使うのが有効だよっていうのが
嫌われる勇気の言いたいことだと解釈してみてはどうかな?
そしたら、エックハルトを読むのも良しだし、他者がエックハルトを読まないのも良しだと考えれるんじゃないかな? >>511
体現者ホリエモンのような自覚的エゴイストになりたい(でも無理なんだけど)
そこに至ってはじめてエゴを弱めることが出来るんじゃないかという気がする
ああいう人にしか共同体感覚なんて持てないのでは >>514
共同体感覚は誰でも持ってますよ
共同体感覚があるから、自分の行いや考え方を照らし合わせてチェックすることができる
エゴイズムも共同体感覚があるから自覚することがらできる ここの人たちにとっての非エゴイストって具体的には誰が該当するの? >>516
協力的なライフスタイルの人=非エゴイスト
と考えて良いなら、その辺に沢山居ると思う
具体的に誰って言い出すと、みんな完璧じゃないから粗を見つけるきっかけになって相応しくない気がする
それよりも、色んな人の協力的な態度と、共同体感覚と、アドラーの理論を照らし合わせて
そこから学ぶ方が有意義なんじゃないかと思うよ >>507
そもそもアドラー心理的はエゴを弱めることを目的としてないよ
エックハルトトールは俺も読んだけど、あれはエゴをなくすこと、いわゆる「悟り」を目指して理論を展開しているが、それとは方向性が違う
アドラーは社会統合論の立場なので、エゴというような内面的な表現は避けるから言い回しは難しいけど、「エゴ」を「所属への力動」と言い換えると話が見えやすいと思う
人が所属へ向かうのは基本前提であり、弱めたりなくしたりはできないものとアドラー心理的では考えるわけだ
そのかわり、自分が所属を果たそうとするときに、他者の所属も配慮して尊重できるようになることを目指すわけだ
これができる人が>>513のいう「協力的ライフスタイル」を持った人と言える
これを実践していけば、対人関係においての矛盾葛藤対立分離をリソースとして暮らしていけるゆえに共同体感覚が育っていく 24歳男です。ある日を境にED気味になりその事がすごくショックでトラウマになりました。一日中そのことを考える生活を約一年ほど続いたところ、不安障害になりました。
仕事をしている時に不安がよぎり苦しくなりそこから仕事が苦しくなりとトラウマがトラウマを呼ぶという雪だるま方式でだんだん悪くなっていきました。
今は彼女と会ってる時間も不安で楽しめません。
性行為は10回中8回は成功するぐらいなのですが、残りの2回が失敗するのでいくら成功しても不安(トラウマ)が消えません。
これをアドラーのいうトラウマは存在しないという
概念で否定してくれませんか?? >>517
それなら協力的なライフスタイルと非協力的なそれとの具体的な違いって何? >>519
レスで否定されても反発心が起こるだけだと思う
カウンセリングを受けてみた方が良いんでない? >>520
協力的なライフスタイルとして重要なのは
他者を尊敬して、自分との違いも尊厳の重みも認めつつ礼節を持って接する態度を持てるかどうか
他者を信頼して、相手の行動の善意を見つけ信じようという態度を持てるかどうか
他者に共感して、相手の関心や考え方、意図、感情、状況などに関心を持てるかどうか
その中で、共通の目標に向けて合意を作り、共に問題解決の努力ができるかどうか
あとまあ久しぶりに書くけど、自己受容、他者信頼、他者貢献を自己犠牲なく実践できてるかどうか
と、色々あるけど、非協力的な部分は見つける必要がなくて、
協力的な態度や行動を見つけて、自分が協力的でいる努力をしたり
良いと思ったことを真似してみたりするのが良いと思うよ 共同体感覚をもって他者貢献をしようとすると他者の課題に踏み込まざるを得ない時があります。
みんなの迷惑になり本人のためにもならないと思える行動をとる社員に傾聴してみると独特で頑固な信念体系を持っている場合が多いです。
どのような態度で臨むのが適切ですか? >>524
正の注目、負の注目という考え方があります
ちなみに独特で頑固な信念を持っている、と感じたのは誰でしょうか?負の注目ではないでしょうか?
人の行動の目的は所属なので、負の注目だとしても社員はあなたに関心を与えられたら手っ取り早く目的は達成できるわけです
方法は二つです
1. 正の注目を与える
相手の行動の協力的な側面を見る訓練をする
あるいは、
2.注目を与えない
相手の競合的な行動に対して注目を与えない 人は協力しなければ厳しい地球環境で生き延びることができないので、協力することで共同体感覚を身につけてきたと言われます。
しかし、生まれたての赤ん坊は、自分に親の注目を向けさせなければ生き延びることができません。
成長するにつれて、そのような自己中心的な行動から人と協力することを教育されていくのですが、問題行動に向かってしまうこともあります。
「賞賛の欲求」「注目喚起」「権力争い」「復習」「無能の証明」の中で、親が権力争いに勝ってしまわないことが大事であると言われます。「復習」以上の段階に行ってしまうと、解決に第三者の介入が必要と言われます。
勇気挫きの方向性によって、または本人の取り方によって、自己中心的な人が育ってしまうので、勇気づけは難しいですね。 >>522
なんか曖昧だね
漠然としすぎてて煙に巻かれてるみたい >>522
協力的なライフスタイルとは一言で言えば、自分が行為(所属への力動)するときに他者の所属を配慮できるような価値観 協力的なライフスタイルって倫理的利己主義になる場合があると思う。
社会全体が自分の所属する共同体だという意識を持ち続けられるのが理想だけど、自分とは縁遠い共同体に対して「旅の恥はかきすて」な意識が湧き上がらないようにするにはどうすればいいの? >>523
最強のエゴイストである現代日本人にとってはそうなってしまうようだね >>529
ごめん
もうちょい具体的にどういう状況を危惧してるのか教えてほしい >>531
職場の人には協力的な態度でも居酒屋の店員さんには横柄な態度な人がいるとする。
その人に
「居酒屋の店員さんも私たちに食事の楽しみやリラックスできる空間を提供してくれる共同体のなかの一人だよ」と言っても
「店員に敬意をもって接しても自分には何も恩恵はない」と答える場合がある。
買春ツアーの例からもわかる通り自分から縁遠い共同体に身を置いた時に普段の共同体感覚が外れてエゴが湧き上がる場合がある。そうならないためにはどうすればいい? >>532
一見自分にとって利が無いときでも協力的でいることそのものに価値を感じて人と接することができるっていうのが
協力的なライフスタイルの特徴だという前提はとりあえずさておき
他人がどうであろうと自分が協力的でいようとすることを大切にするという観点と
相手を変えることよりも、相手の中の善意に注目して、自分が協力的でいられる対処を選ぶのが良いと思う
例えば、仲間内では協力的に振る舞えるのだったらそこに注目しつつ
自分は店員さんに対して失礼のない様にしていたいのだと相談してみるのが良いと思う
それでも店員さんに失礼だと感じたときは自分が「すみませんね」と一言添えてみるのも良いかもしれない
売春ツアーをするしないについても相手を操作することよりも、
自分はそういうのは好きではないということを表明して参加しないくらいが良いんじゃないかと思う >>523
そう考えても外れてないと思う
お稽古ごとっていう表現の方がしっくりくる感じ >>532
共同体は全世界全時代全生物全物体に広がるものなので、というのはさておき
見返りというか、私がここにおいた貢献が染み通っていって私がいるここまで満たされてくるという意識を持てば、どこででもいつでも貢献できるんじゃないんでしょうかね
あと売春旅行は貧しい生活の扶助という意味合いもあるので搾取だと捉えるのは一面的かなと思ったりする
完全余談ですけどね 全宇宙が自分の所属する共同体であると認識して協力的ライフスタイルで生きる。
所属への力動を全宇宙共同体に向ける。
まぁ、常人には無理。そんな人間にどうやってなるの?というのが問題。
>>518によると「悟り」を目指すようなアプローチはとらないようだね。
でも所属への力動を広大無辺なものへ向けるなら、どうしても「神」や「悟り」ということへ近づくための方法論が必要になると思う。
以上マインドフルネススレの住人がおじゃましました。 >>5の仮想論的に、学術的な理論を無視してでも
壮大にスピリチュアル的な解釈を使わないと気持ちが追いつかない場合もあるということじゃろうな >>538
>>539
「気持ち」を侮ってはならない。
仮想論にある通り、私もあなたも個人の勝手な意味づけを今日も無意識に繰り返しているのだ。
私的感覚に振り回されている自分に気づこう。 アドラースレでアドラー理論を無視して私的論理で他者にレスするのあたり
気持ちを侮ってはならないのがよく伝わります >>541
>>5の仮想論はアドラー理論ですよね?
使う用語も全てアドラー理論に合わせているつもりです。
アドラースレ共同体への敬意は持っています。 >>536
共同体感覚の広がりの件はあくまで心がけの話だから、誰にでもできることだよ
例えば宇宙じゃない話だけど、ゴミに関する環境問題の情報に触れて
身の回りでできるゴミの分別やゴミ拾いを意識する様になったり
まあその程度のことだよ
あと何だっけ
宇宙船の廃棄物なんか宇宙にポイポイ放り出してるのが問題視されてたことがあったけど
そこで、「ダメじゃないか」と世界に声を上げるのか、
NASAを信じて日常のできることに集中するのかで言うと
後者の方がアドラー心理学的な感じがする
その辺のニュアンスに関する論文とか探したらあんのかな?
そこに神とか悟りとかの概念を持ち込みだすと、
100点からの引き算で物事を判断する姿勢に陥る可能性が懸念するところだと思う
「自分は(あいつは)悟ってないからまだまだだ」みたいな価値判断から
他者と交流していく課題への心理的な障壁になると良くない感じ
だから、アドラー心理学や共同体感覚も、絶対的なものではなく、
自分が必要なときに寄りかかる杖の様な道具として使うことが推奨されてるんよ
物足りない人は別のやり方を採用すれば良いし、もちろん他人に強いる様なことでもないってことになる >>543
了解( ̄^ ̄)ゞ
肩肘張らない感じでイイね! エックハルト・トールは言います。
まず、何に対してあなたが責任をとることができるかというと、
それはあなたの意識状態に対しての責任です。
あなたの意識状態によって、あなたが創造する世界が決まります。
なぜなら、あなた自身が「人類」だからです。
「人類」というのは象徴的な概念であり、「人類」は存在していません。
「人類」とは人間のことです。あなた自身が「人類」なのです。
ですから、「人類」のために責任をとるためには、
第一に、自分の意識状態に責任を取る必要があるということになります。 マインドフルネススレからのお客さんに対して
尊敬して、自分との違いも尊厳の重みも認めつつ礼節を持ってレスできましたか?
相手の言動の善意を見つけ信じようという態度を持てましたか?
共感して、相手の関心や考え方、意図、感情、状況などに関心を向けましたか?
543のように他者を受容する態度で臨めば競合的な関係にはならないのです。 >>546
アドラー心理学には沢山の本が出版されていて、ある程度体系的に学べるし、
どの様なメカニズムで共同体感覚を育てることができるのかっていうのも学べるから
よかったら>>1にある書籍も読んでみるのをお勧めするよ
嫌われる勇気が有名だけど、それ以外であげられてる本の方が正しく学びやすくてお勧めかな
マインドフルネスがお好きとのことなので、学んでみると仏教との類似性も見つけることができて面白いと思う
例えば、他者貢献や勇気付け、エピソード分析っていう、
活動を続けていくことで自他の共同体感覚が自動的に育つ様なアドラー心理学学徒特有のお稽古的な活動があるよ 畳の上で坐る修行もいいけど人との日々の関わりをお稽古活動にするのもイイね。
禅語の「歩々是道場」だね。
共感的に人と接することで養う共同体感覚は関係性によって自分が成立しているという「縁起」の思想を思い起こす。 >>548
アドラー心理学も「いまここを生きる」っていう、共同体感覚以外に推奨する概念がある
けど、いまここを実現する方法論は共同体感覚以外に持ち合わせていないので
マインドフルネスを併用的に利用する人も結構いるみたい
日本アドラー心理学会代表の野田さんも上座部仏教が好きみたいだし
相互補完的に相性の良い活動なんだと思うよ >>548
アドラー心理学でも関係性によって自分が成立していると考えるよ
>>4にある社会統合論だね エックハルト・トールは言います。
あなたはストレスを感じていますか?
未来へ向かうのに忙しすぎて、「いま」の価値は、ゴールに到着するまでの手段になっていませんか?
ストレスは、「ここ」にいるのに、「そこ」にいたいと思うことや、
「現在」にいながら、「未来」にいたいと思うことで生まれるのです。
そうすると、わたしたちの内面は、真二つに分裂してしまいます。
内面にこのような亀裂を生じさせるのは、とても不健康なことです。
「誰もがそうやって生きている」という事実は、それを良しとする理由にはなりません。 エックハルト・トールは言います。
あー眠い。もう寝よ。 >>526
よし今日も理科の授業の復習するぞ
これで明日の授業もついていける
ってバカやろ! >>536
宇宙うんぬん言ったところでアドラー心理的は「普段の対人関係の中」で「自分の態度を変えるために」使うものだから、そんなに難しいことじゃないよ >>556
そうだね。
宇宙の構成員である私とあなたを大切にするよ。 >>555
互いのいいところを持ち寄ってコラボしてハッピーライフって事でしょ? ハッピーライフハッピーホームパナホームってことだよ エックハルト・トールは言います。
ある人は、代替物を求めてドラッグでハイになり、
大音量の音楽を聞くなどして五感を過剰に刺激し、
スリルや危険な行動やセックスに溺れる。
人間関係の波乱までがこの真の生命感の代わりに使われることがある。
また多くの人がつねに背景にうごめく不安をごまかそうとしてすがるのが、親密な人間関係だ。
「私を幸せにしてくれる」男性あるいは女性である。
もちろんそんな期待は「失望」に変わることがほとんだ。
そして再び不安が蘇ると、人はたいていパートナーを責める。 改めて見ても嫌われる勇気の悪影響はひどいね
近年稀に見る悪書
トラウマは過去で未来のことを考えればよいと
アドラーや両立論に対して誤った理解を助長させた
正しくはこうだ
未来のことを考えようとすると、不安になり、
その不安が過去の出来事に起因している
これがトラウマ
なので過去と未来を分けるのは、過去と未来の
因果律を無くすことになる。もちろんアドラーは
そんなこと言ってないし、むしろ逆のことを言っている
ではどうすればよいか? …そこで出てくるのが
七つの習慣だな。トラウマの有無はともかく、あるいは
トラウマがある状態でも構わないので、習慣を付ける
ことでトラウマと一緒に取り込んでしまおうとする着想
因果律をなくすのはプラトン流のイデア論の系譜だろう。
嫌われる勇気の作者はプラトンの研究者だからな。
一方でアドラーは両立論の系譜であり近代国家の樹立
にも関わっている潮流である。
と言ってももはや嫌われる勇気の作者はプラトンの
系譜ですらないだろう、哲学を使って便乗商法をした
ペテン師である。どのくらい酷いかと言うとアメリカ建国
の父たちはカトリック教徒でしたと偽って布教する
くらいの無茶苦茶。 犬に噛まれた経験
↓
犬と接するの不安
↓
正しいメソッドで犬と接する
↓
犬との楽しい経験が増える
↓
犬とハッピーライフ 相手のことを理解したかったら、
「その人の対人関係はどんなものなのか?
そこでは何が起こっているか?」
を探ることが必要だと
私たちは考えています。
人は、一人だけで生きている
わけではありません。
対人関係の中で初めて
成立するものなのです。
極端な話ですが、
対人関係(人間関係)が存在しなければ、
その人の思考も行動も存在しないのです。
そのように、『対人関係の中の存在』
として人を理解しようしているのです。
そう考えると、
『どんな行動もいつも
特定の誰かに向けられている』、
『人生のあらゆる問題は
対人関係の問題である』
などのアドラーの言葉も
理解しやすいのではないかと思います。 全ての理論を加味した結果共同体感覚最強説で筋が通るのが面白いよね
物事をネガティヴに捉えてたとしても、協力的なライフスタイルになることで
建設的な見方ができる様になる寸法でやんすって感じ
過去の経験や未来の展望も、今も合わせて時間軸的な対象をネガティヴに捉えてても
今協力的なライフスタイルであろうとすればやがて良いことになりまっせってことだよね
それは相手が時間軸だろうと、自分だろうと他人だろうと社会だろうと犬だろうと
劣等感だろうと優越感だろうと同じことで
共同体感覚は今のライフスタイルによって無限に対象を広げたそれらを建設的に捉える技術ってことなんやな >>564
それやね
>>565で言う「ネガティヴに捉える」は、「他者との関係への悲観(競合的)」っていう意味で
「建設的に捉える」も「他者との関係を建設的(協力的)に捉える」ってことに集約されるんだな 国家間が双方の資源を相互活用して友好関係を築くのに似てる。
自分と他者の長所・良い所を資源と捉えて協力して益を得る。
嫌いな相手でも、その人の資源にだけドライに注目すれば戦略的互恵関係を築ける。 エックハルト・トールは言います。
どのような偏見も、思考と一体になっていることのサインです。
言いかえるなら、あなたには、もはや「人間の真の姿」が見えておらず、
「この人は○○な人間だ」という、独自の固定観念をみているということです。
人間の生命の価値を、単なる観念のレベルに引き下げることは、一種の暴力といっても過言ではありません。 >>568
コピペの連投は迷惑です。
意見や考えを書き込む能力がないのなら
無理に参加せずに読んでいてください。 >>567
確かに国家レベルで考えても似てるところが多々あると感じることもある
アドラー心理学では共同体感覚が良いことだとしている以上、
みんなにとっても共同体感覚を持つのが良いことだという思想も持っていて、
アドラーの生きた対戦中という時代背景もあったし、社会システムとして横の繋がりを重視した方が
みんな幸せなんちゃう?ってことでアドラー自身も社会主義の活動に参加したこともある
だけど実際は多様なライフスタイルの人達が渦巻く中での政治活動での実現はほぼほぼ不可能だと判断して、
やはり臨床の中から個人レベルで布教していくしかないのだという判断になった
しかも、アクティブな押せ押せの布教ではなく、共同体感覚の思想と理論に沿って、
ただ自分がそうあることだけによって自然とじんわり全体に広がったらええな〜という、
途方も無い気の長い野望をアドレリアン達は継承してることになる 共同体感覚ってようは自分が共同体のイニシアチブを握るぐらいにならないと
だめよってことでしょ?共同体の辺境でうろついてたって虐められて
共同体から排除されるのがオチだし・・・
偉い人に金魚のフンみたいにくっついていれば一応共同体に属してるとは
言えるけど、それが共同体感覚に基づいているのかといえば全然違うだろうし…
ホリエモンは日本の多数派の意見をリードしてて、実質的に日本という共同体を
動かしてる
ここがホリエモンがアドラー体現者とよばれる理由だよね 西洋人みたいに個人が確立された人間社会なら万人にとっての共同体感覚
というのも分かるけど
ニホンザルの社会ではボス猿だけが共同体感覚を持ってて、後のモノは
共同体から排除されないようボス猿のご機嫌伺いにいそしむのみ 西洋人の社会にもボス猿みたいなのは当然いっぱいいるんだけど、
どんな雑魚でもボス猿と一応対等に話すんだよね
ボス猿から排除されることをそれほど恐れない
対等といっても非礼や無礼が許される、ということではないからね
ここはニホンザルがすぐに勘違いするところだが およそ75年前の日本
共同体感覚のために命を投げ出した英霊が靖国神社に眠っています。 >>572
>>573
それはあなたがブラックな環境に身を置いた経験の影響でそう認識しているのでしょう。
そんな尊大なリーダーばかりではない。
そんな卑屈なメンバーばかりでもない。
それと、西洋は良くて日本はダメって論調は昭和の時代によく見かけたけどグローバルな現代社会で「個人」の意識はそんなに単純ではないよ。 >>571
共同体感覚は自分がどんな状況だろうと
「私はみんなの役に立ってるしみんなは私の仲間だからみんなの為になることをしよう」
と感じるスキルだよ
その代わり共同体の辺境だろうが金魚のフンだろうが
人々と関わろうとする姿勢で生きていこうとする気概も同時に持つ必要があるよ >>571
共同体感覚=協力性
だよ
協力性の反対が競合性
人が人を支配しない対等な態度を「自ら」育成しようってだけ
難しく考えすぎだよ >>573
横の関係とは、上司という立場を気にせず横柄に接することではなく、
相手の立場に配慮しつつ、でもへり下るのでもなく、協力的に関わることだよ
日本で言う上司やお客様みたいな、目上として設定される役割を持つ相手の立場に配慮するには、
敬語という便利な言葉を使いこなすとマナーも守れてて楽だよ みんなが大東亜共栄圏の完成のために役に立つことをしようとしている社会。
ヒエラルキーの明確な軍隊組織に所属している時に自分の信念に反する命令を受けたらアドレリアンはどう対応しますか? >>572
ボス猿のご機嫌をとることと共同体感覚は矛盾しないよ
自分の幸せの鍵を握るのはボス猿だけじゃないという気付きとそれを築く動きが
自分の共同体感覚に気付くきっかけになるかも知れない >>579
アドラーは戦時中、軍隊医師に所属して、そうやって神経症になり、戦場に出れなくなった兵士を見て
トラウマよりも、戦場に行かない目的に注目する様になった
研究当初は共通感覚からの協力的ライフスタイルの説を持って検証していたけど、
所属国を超えた人類という共同体を認識する兵士から着想を得て、
どこまでも広がる共同体感覚を提唱する様になった
ちなみにアドラーの弟子たちは、ナチスに捕まり、自分の信念を通して虐殺された
で、自分はどうするだろう?
愛するものと幸せでいる為に逃げれるなら逃げるし、どうしようもなければ
戦場でも愛する人を守ることと、同じ人間との狭間で悩みながら答えを求めるんだと思う 互いの良い所を尊重して協力しようという態度で上手くいく事は多い。
ただ残念ながら、こちらの共感的な態度を逆手にとって「自分だけ得しよう」「相手を支配下に置こう」という態度で対峙してくる人み少なくない。
アドラーで全て解決するわけではない。処世術48手のうちの1つに加えるくらい。 >>583
うまくいくためにやるんじゃなく、自分の競合性をなくすためにやるんだよ
そもそもアドラー心理的は処世術ではない 残念ながらアドラー心理学は処世術じゃないよ
相手がどの様な態度だろうとこちらは協力的に関わろうという信念に基づいた生き方だよ
そして、処世術を使うこととアドラー心理学を使うことは矛盾しない
例えば、相手に気に入られる方法とか、オレオレ詐欺を見抜く力は処世術
相手が支配的でも、オレオレ詐欺でも、相手の共同体感覚の育成を願って関わる姿勢がアドラー心理学 まあ48手のうちの一つだとしてでも、引き出しに入れてあるのは良いのとだと思うよ 利用されようとしたら、それはできません、とか、こうするのはどうでしょう、とかいえばたいてい回避出来る >>563
犬は口が大きくて人間を噛むことが楽にできる種類が多いのがいけない。
その点猫はだいたい同じサイズで小さくてそもそもあまり人を噛む事がない。
ネコ科の動物は沢山いるが大きいのは猫ではなく別の名前が付いている。
しかし犬は同じ犬でありながらサイズが小さいのから大きいのまで沢山ありそして大きいのは人を噛むのだ。 >>571
ホリエモンはホリエモンファンの人を動かしているだけで日本を動かすほどにはなってないように見えるがなあ。 >>587
その辺、例えばパセージとかはアドラー心理学の実践編でつまり共同体感覚の為の処世術って感じやね >>588
狼犬もゴールデンレトリバーもグレートデーンも優しいよ
ピットブルも土佐犬も育て方によってとても協力的で優しい生き物になる エックハルト・トールは言います。
自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはない。
正しいというのは、ある精神的な立場(視点、見解、判断、物語)と自分を同一化することだ。
もちろん自分が正しいと言うためには、間違っている誰かと比較しなくてはならない。
だからエゴは自分が正しいと思うために、好んで誰かが間違っていると決めつける。
言い換えれば、自分という意識を強化するためには、誰かが間違っていなくてはならない。
間違っているのは人だけではない。ある状況も、不満や拒否反応を通じて間違いだと決めつけられる。
「こんなことは起こってはならない」というわけだ。
自分が正しいなら、間違っているとか欠陥があると判断される人や状況に対して、
自分が倫理的に優越していると思うことが出来る。
その意味でエゴは優越感を欲し、優越感を通じて自らを強化する。 アドレリアンは
今まさに自分を噛んでいる犬とも競合的にならない。
噛みたい犬の気持ちに共感する。
犬歯の鋭さや動きの素早さという良い部分に注目して協力できる道を探る。 人は弱くて不完全で限界があるから協力しないと暮らせないってのが前提なのを忘れがちだよねみんな
協力的な事が人格的に優れている→×
協力的な方が自然→○ >>594
お前ナウシカ知らねーの?
俺は威嚇してくる犬にも手を差し伸べて「ほら、怖くない」を実践してるぞ。
そうすると、犬の方も「この人は敵じゃないかも」と察知するんだぜ。
ついこの間もそれで手が咬み傷で血だらけになって威嚇も収まらなかった。 エックハルト・トールは言います。
たとえば、誰かにニュースを知らせようとする。
「ねえ、聞いた?え、まだ知らないの?それじゃ教えてあげる」。
そのとき、あなたが注意深くて、きちんと「いまに在る」ことができていれば、
たとえそれが悪いニュースでも話そうとする一瞬に満足感がよぎるのがわかるだろう。
そのわずかな瞬間、エゴの目からすれば自分に有利で相手には不利な不均衡が生じているからだ。
その瞬間、あなたは相手より「多く」を知っている。
あなたが感じた満足感はエゴのそれで、他人との関係で自分が強者になったと思うことから生じている。
相手が大統領だろうが法王だろうが、その瞬間はあなたのほうが「多く」を知っていることによって優越したと感じるのだ。 >>597
あなたは威嚇してくる犬をも尊敬して、人と動物との違いも認めつつ礼節を持って手を差しのべた。
犬の行動の善意を信じる態度を持ち続けた。
共感して、犬の意図、感情、状況などに関心を持った。
素晴らしいアドレリアンです。名誉の負傷です。 >>561
キシミーは哲学者やしなぁ
臨床心理士でも、安易に未来ばかりに目を向けようとする輩も多い
見立てがへたくそなことを隠せるからね >>596
そう。人類共同体は協力的なのが自然だし、本来あるべき姿。
人類は長い歴史の紆余曲折を経て、今のところ「資本主義」がメインストリーム。
資本主義は自由競争が原則。
「欲」を抱えた人間同士が社会を成立させるため競合的になることを否定はできないと歴史は語っている。 >>601
その通りやね
アドラー心理学はゲゼルシャフト社会(競争的社会)の中でゲマインシャフト感覚(共同体感覚)を適合させる思想だから
他者が競合的に流されることも仕方ないと許容しつつ互いの所属を尊重していく為に歴史を利用することができる エックハルト・トールは言います
何千年も人類を苦しめてきた悲惨さに終止符を打つには、
まず与えられた瞬間の自分の内面の状態に自分が責任をもつことから始めなくてはならない。
つまり、たったいまからである。
自分自身に聞いてみよう。
「いまこの瞬間、自分のなかにネガティブな状態がないか?」。
それから自分の感情や思考を冷静に見つめる。
先にあげた不満や苛立ちや「うんざり」した気分など、低レベルの不幸が自分のなかにないかを観察しよう。
とくにその不幸を正当化したり説明する思考(実はそれが不幸の原因なのだ)に気をつけて観察しよう。
自分のなかにネガティブな状態があると気づいても、それは失敗ではない。
それどころか成功である。
そこに気づかない限り、内面の状態と同一化したままであり、それがエゴとの同一化なのだから。 レスが伸びると寄ってくるエックハルトさん、もしかして目立ちたがり屋?w すべての悩みが対人関係の悩みて、すべての喜びが対人関係の喜びなのでしょうか。 エックハルト・トールは言います。
エゴのなかには、賞賛や賛美を得られないと別の形の関心に方向転換し、それを引き出すための役割を演じるものがある。
たとえば、ポジティブな関心が得られないと、代わりに誰かを挑発してネガティブな反応を引き出し、ネガティブな関心を得ようとする。
これは子供にもすでに見られる。悪さをして関心を引こうとするのだ。
とくにネガティブな役割演技が目立つのは、後述のペインボディ(エネルギーの場に集積された古い感情的な苦痛)が活性化されているとき、
つまり過去の感情的苦しみを引きずっていて、同じような苦しみを何度も体験してはその苦しみを新たにしようとしているときである。
有名になろうとして罪を犯すのもこの種のエゴで、彼らは悪名や他人の非難という形で関心を求める。
「私はちゃんと存在していると、どうでもいい人間ではないと言ってくれ」と叫んでいるようだ。
こういう病的な形のエゴも、ふつうのエゴが極端になっただけなのだ。 エックハルトのコピペ連投者を分析すると
●問題行動で大人の関心を引きたい
●偉人の言葉を記す事で自分に権威があるような気分を味わいたい
ってなところかな? >>607
ありがとう、ちょっとスッキリした
問題行動よりも、会話すればお互い幸せになれる可能性があるのにね 私の実感としては
どんなコミュニティにも競争原理は働いている。だからといって目先の事柄で競合的になるとロクなことはない。
共感・礼節・敬意をもってどんな人とも接していると、みんなが助けてくれて引き上げてくれる。
社内政治で最も大切なのは「信頼」。
みんなの信頼を得てコミュニティのまつりごとを行い、統治する立場に引き上げられる人間は共同体感覚をもつ者だというのは自然で当然の成り行きなのだと思う。 他人に罪を引き受けさせるなら、他人の罪を引き受けろ。
他人の罪を引き受けないなら、他人に罪を引き受けさせるな。 エックハルト・トールは言います。
「手放すこと」をすれば、人間関係は、深いレベルで変わっていきます。
「すでにそうであるもの」を受けいれられない人は、誰をもありのままに受け入れていない、ということを意味します。
つまり、人に対して判断を下し、批判し、レッテルを貼り、拒絶するか、
自分の思いどおりにその人を変えようとしてしまいます。
また、「いま」を、「目的達成のための踏み台」とみなしていると、
自分が出会う人たちをも、、目的達成のための踏み台にしてしまいます。
当然の結果として、人間関係、つきつめると人間そのものが、その人にとって、あまり重要でなくなります。
極端な場合には、全く意味のないものになってしまうこともあるでしょう。
物的な利益にしても、権力でも、身体的な快楽やエゴの欲求を満たすことでも、
人からなにを獲得できるかが、その人の最大の関心事になります。 >>609
出世欲とアドラー心理学は調和して使うこともできると思うけど、
アドラー心理学が出世の為に効果的かと言うと、そういうものでもない気がする
アドラー心理学によって自分を誠実に生きたい(ここでは出世の)方向に動けるっていう意味では効果があるとは思う
逆に出世の為に特化した思想としては、儒教が思いあたる
儒教は上に立つモノが礼節を持って義を尽くす思想だけど
身分制度についても細かに設定されてる歴史的なところから、
日本アドラー心理学協会としては、対立的な思想として設定されてる
仁義礼智信の思想だけを抜き出すとアドラー心理学と互換ありそうな感じなんだけどね
他には、7つの習慣なんかはアドラー心理学の影響を受けたんじゃないかって感じの理論になってて
両立させて出世の為に効果的に取り組むことができると思う >>614
出世欲って言っても大金が欲しいわけでもマウンティングがしたいわけでもない。
共同体感覚を持つ者は所属する共同体の個々人から協力を得て、それはやがて共同体を動かす権力になるってこと。
で、その権力はまたみんなのために使う。
宗教的な表現をすれば神の御旨に沿う者は恩寵を受けるということ。 自力の功罪だけが功罪。他力の功罪など、功罪とは言えない。はたして、自分の功罪の者が、この世にいるかな?
運命を呪うことはできても、運命に感謝することはできない。こういう人間に、真人間は一人もいない。
全部自力でやって来た?ふ〜ん!自力で生きていけるなら、地球外でもやっていけるね!!!笑 >>618
そういう意味でいう権力だったんやね
だから信頼という言葉を強調してた感じか 運命を呪ってはいけないのでもなければ、運命に感謝しなければならないのでもない。呪っても感謝しなくてもいい。だが、呪うことはできるが感謝することはできないとか、感謝することはできないが呪うことはできるとか、そういうのがおかしいのだ。
不運を呪うなら、幸運に感謝しろ。
幸運に感謝しないなら、不運を呪うな。 不運を呪うなら、幸運に感謝しろ。
幸運に感謝しないなら、不運を呪うな。
その程度のこともできぬ人間に、生きている資格はない。 このわけわからないこと書いてる人はエックハルトさんと同一人物? 別人かもね
エックハルトはこのスレだけでこの投稿はマルチだから
狙ってるのかもしれんけど >>605
悩みも喜びも対人関係の目的を考える
それが真実というよりは、内側ではなく外側で考える事で、心理というものを可視化するためのアイデアだよ 日本人は健全な共同体を作れない劣った民族
カルトやヤクザのように一度入ったら抜けられないようなところばっかり
自分のことだけど、草野球のチーム辞めただけで相当な嫌がらせされた
他でもこんなことばっかりだろ 部活やめただけで顧問から2発殴られた上に、卒業するまで視線も合わせてくれない
そんなこともあったなあ
ブラック部活なんて言葉が何年か前からよく聞かれるようになったけど、
部活なんてすべてブラックだろ
やる気も才能もない生徒と先生、やることは互いの怨念をぶつけ合うだけ 王権は、言語に絶する壮絶な権力闘争の末に勝ち取られた。王権神授説は、誤りだ。人権もまた、然り。 中国は強権的な国家だけど、人民は開かれた心を持つ人たちだよ
日本や朝鮮は国家が本来担うべき役割の一部を共同体が持つよう役割分担がなされてる
国家が持つ権力に比べて、共同体が持つ権力は見えにくい
アドラー心理学のいう共同体感覚を日本朝鮮で用いるのは非常にあぶない
課題を分離など唱えたところで、国家の分権としての共同体の力で捻じ伏せてくる ごめん俺の頭が悪くて全然意味が入ってこない
具体例とかで優しく教えてほちい >>627
嫌な思いをしたんですな
>他でもこんなところばっかだろ
楽しいコミュニティも沢山あるよ 香港人のデモを見てて思うんだけど、あれが本来の中華民族の姿なのかもね
今の大陸の人は抑圧的状況を生きてて辛そうだわ ブラック部活の経験
↓
人の集まりを嫌悪(私的感覚の偏り)
↓
そんなんばかりでもない(価値相対論)
↓
犬とハッピーライフ 何々するやつ。
何々活して、何々するやつ。
何々活せず、何々しないやつ。
何々活だけして、何々しないやつ。 >>631
あなたの頭が悪いんじゃないよ。
書いてる人のロジック構成と表現方法が稚拙なだけ。 >>630
意味がわからないよ
国家だって共同体だし
あと共同体感覚を「用いる」ってなに?
共同体感覚とは個人のライフスタイルの事なんだけど
所属している組織は特に関係ないよね? 日本と朝鮮では共同体感覚を持たない人の方が偉い
むしろ共同体感覚など持たない人の方がアドラー的
体現者ホリエモンを見てください 国民性なんていうステレオタイプで論じるのはグローバル化が進んだ現代では無意味。 >>639
共同体感覚を持たない方がアドラー的ってなんやねんw
アドラー本人はとにもかくにも共同体感覚推しなんだよ
共同体感覚なくしてアドラー心理学ではないよ >>641
日本人には宇宙まで広がる共同体をイメージすることが出来ないからね
そんな劣った人には共同体感覚は1億年ぐらい早い それ、共同体感覚を無我の境地かなんかと混同してるだろw 究極の共同体である無限の宇宙を想像出来なければ、
共同体感覚はより小さな共同体を志向せざるを得なくなるよ 対人関係論だから宇宙をイメージする必要がそもそもないんだよ
他人と関わる態度を「競合→協力」へと粛々と日々、切り替えていくだけ 確かに対人関係論だけど、なぜ人を尊重するかというと私たちの共同体の一員だからって事でしょ?
どんな共同体かって言ったら家族→会社→国家 と拡がっていって最終的に宇宙をイメージする人がいてもいいと思う。 イメージする人がいてもいいけどイメージできる必要はないよね
日本人には支援するけどこの人は中国人だから無視しとこ
みたいな区別を徐々になくしていければいい話で
わざわざ、この人は宇宙共同体の仲間だから〜、なんてイメージを膨らませなくても可能 人類みな兄弟って事でいいじゃん
言葉で共通の目標を見つけて課題に取り組むのがアドラー心理的のやり方なんだから、言葉で意思疎通できない概念まで引き上げる必要はとりあえずないよ 家族よりもペットばかり可愛がる人は人間関係への勇気を挫かれてるってじっちゃが言ってた 妻可愛い→子ども可愛い→ペット可愛い→幸せ家族!
妻怖い→子どもに尊敬されてなくてヘコむ→ペットだけは裏切らない→会社行きたくない… >>614
出世欲は精神内界論だからアドラー心理的との調和はできないよ
権力への意思と言い換えた方がいい 年金2000万円問題をきっかけに日本はもうダメだからスウェーデンに移住するって言ってた友達がいたけど家族よりペットばかり可愛がる人と同じ発想だろうね >>653
今、現実に目の前にいる人との関わりを変えていこうっていうのがアドラーの対人関係論。
人との関わりが上手くいかないのは幼少期の親子関係にある、みたいに精神の内側に注目していくのが精神内界論。
自分が現実に勤務している会社の人を尊重し、協力的に仕事をして共同体に大きく貢献したい、というのは実にアドラー流だと考えている。
「心理」の後の予測変換が「的」になってるから「学」に直した方がいい。 猫は
よく寝ているからそう名付けられた可能性がある 人と長時間一緒にいるのに疲れて、1人になりたいと思うのや、1人になったら落ち着く、というのはアドラー心理学的にはどういう考え方が出来るんですかね?
協力的な関係が築けていればそもそも長時間一緒にいても疲れない? >>661
競合的な相手を受け流したり、それぞれの私的感覚を尊重するのは技術が必要です。疲れると感じることもあるでしょう。
多種多様な人がいる現実のなかで協力的な関係を築くのは簡単ではありません。 エックハルト・トールは言います。
さとりは、自由の境地です。
恐れ、苦痛、欠乏(「自分は十分でない」という思いこみ)、その欠乏に起因する渇望、貪欲、しがみつきなどの感情から解放されています。
さらに、強迫的な思考、ネガティブ性、過去と未来に対する執着心からも解放されています。
思考は、わたしたちにこうささやきます。
「『ここ』からじゃ、『そこ』にはたどり着けないよ」。
さとりをひらくには、条件がある、と思考は言っているのです。
その条件とは、なにかの出来事が起こることだったり、わたしたちが「なに者か」になることだったりします。
要するに、思考はわたしたちに、「時間」が必要だと言っているのです。
さとりをひらくには、なにかを見つけ、なにかを解決し、なにかを達成し、なにかを手に入れ、なに者かになり、
なにかを理解する「時間」がなければダメだと言っているのです。
思考は、時間が、さとりをひらくための条件だと言っているのですが、
皮肉なことに、時間こそが、さとりをひらくうえで「最大の障壁」なのです。 >>661
疲れないなんて不可能だよ
ここに関しては技術の問題でもないと思うな
人は不完全な存在であるという大前提を忘れないことが大切
人は時に勇気を失い競合的にもなってしまうもの
距離を置きたいと感じるのも自然なこと
そんな自分を好きになってあげればいい
そうすると他人に無下な対応をされても寛容になれる
(この人は疲れているのかもしれないな。俺もそんなときも
あるもんな。)って感じで認識が深まるから
これが自己受容であり他者信頼な訳で共同体感覚が育つということ
だからこそより協力する必要性も理解できるし
貢献的な関わり方ができるようになる 競合的な共同体の狭間におかれたアドレリアンはどういう行動をとるの? エックハルト·トールは言います
「さとり」とは、「すべてはひとつであり、完全である」という境地にいることです。
それゆえに、「すべてとつながっていること」なのです。 >>664
うーん、なんか納得出来るような出来ないような…
アドラー心理学結構勉強したつもりだったんだけど、僕の理解不足ならごめんなさい エックハルトはいい神父だよな。ヒルティ―の宗教的随想風教授もおススメ。 協力は競合の対義語ではなく上位互換だから競争社会の中に入っていくのは特に難しいことではないよ
淡々と協力的な姿勢を取り続ける
社会統合論ゆえに自分の行動は他者に「必ず」影響を与えるから協力的なスタンスは徐々に組織に浸透していく >>669
身のこなしもトークの組み立ても完璧で淀みなく流暢に笑顔を崩さずに話し、人をその気にさせるのが上手な営業マン
ちょっとおっちょこちょいだけど親身になって細かい点にも時間をかけて相談に乗ってくれて気軽に連絡できる営業マン
友達を紹介するときにどっちに頼む?
不完全な方に協力したいと思うのが普通だと思うな >>672
浄水器や布団の営業マンなら協力してもいいけど銀行や住宅の営業マンならおっちょこちょいなのはイヤだ。
おっちょこちょいな方に協力するのが「普通」だなんて私的感覚を絶対的真理と思い込んでるね。テンプレ読んだ方がいい。 差別愛が大きいほど、良くも悪くも過激化する。
差別愛が小さいほど、良くも悪くも穏健化する。 協力的関係の説明聞いてると、盆暗にはアドラーは難しいわ
言ってることはなんとなく分かるけど、実践するには技術がいるように感じる
対人関係のスキル
それってつまりコミュ能力
コミュ障には無理ということだね 好戦的な囲碁うち(ゲーム三国志)と連戦連杯やりたいのだが。 コミュ障にはエックハルトしかないのかなあ
内なる世界を掘り下げるしか >>681
それあるね
積極的な相槌ができるだけでコミュニケーションは変わる
呼吸とペース、声のトーン、表情を合わせると親近感が変わる
相手の接続語を拾ってはてなを付けると相手の話が弾む
「そしたら〜」⇒「そしたら?」
「でも〜」⇒「でも?でも?」 相手の話を聴ければ私的感覚を感じ取ることができるし、それに対して共感を示すこともできる。
アドラー理論はざっくりとしたフレームワークだから現実に目の前にいる人との関わりの中で実現するには傾聴のような細かい技術が必要だと思う。 エックハルト·トールは言います
ほとんどの人間関係は、単なる言葉の交換に過ぎません。つまり、思考の次元にとどまっているのです。どのような人間関係においても、静寂のスペースを取り入れることは不可欠です。
静寂のスペースがなければ、人間関係は思考に支配され、いとも簡単に問題と軋轢にまみれてしまいます。静寂のスペースさえあれば、それは、あらゆる問題を駆逐します。 アドラーに影響を受けていると言われるスティーブン・コヴィー先生は7つの習慣で、「刺激と反応の間にスペースを置くこと」で、反応を選択できる。それができることで7つの習慣を実現していけると言っています。 エックハルトを引用するときは
どの本の何ページからなのかちゃんと書いて欲しい エックハルト・トールは言います
相手の言動や行為から刺激を受けた時、人は、快/不快の感情をもとに反応します。
刺激と反応の間にスペースを置けば相手の言動や行為の元になっている私的感覚を感じ取ることができます。
互いの私的感覚を尊重し、共通価値に向けて協力的関係を築くことで共同体感覚は育まれるのです。 エックハルト・トールは言います
人は承認欲求に駆られて自分が話そうとします。
しかし人を尊重し共感するためには、まず聴くことが必要なのです。
相手が話しやすいように静寂のスペースを置くのは傾聴の基本です。 コピペ連投者に告げます
理論だけなら誰でも書けます。
自分の体験を自分の言葉で語ってみてください。
掲示板はいつでもあなたを迎え入れます。 エックハルト·トールは言います
「許し」とは、一切の「不満」、「心痛」を手放すことです。不平不満が無益で、「にせの自分」を助長するだけだと気づいた瞬間、変化は自動的に起こります。 エックハルト·トールは言います
個人や集団についての観念的なアイデンティティをつくりあげ、「彼はこういうやつだ、彼らはこういう人間だ」と言い出す。
あなたが他者のなかにあるエゴを相手そのものと混同したとき、あなた自身のなかのエゴはその誤解をもとに自分が正しくて優れていると考え、敵と想定する相手に非難や憤慨や怒りで反応することにより自分自身を強化する。
こうしてエゴは大きな満足を得る。
あなたと他者は別の存在だという意識が強くなり、相手の「他者性」がとんでもなく拡大されて、もう相手が自分と同じ人間だとは思えず、人間として根源的な一つの生命を共有していることも、人間に共通の神性も感じられなくなる。 人間と人間以外の生きものが別なら、犬と犬以外の生きものも別だろう。 KKKを批判する在特会みたいな、自分を棚に上げた批判には、不思議と怒りを感じない。
感じるのは、その知性の低さに対する憐れみと、自分はこういう恥知らずなことが平気でできる自己愛性人格でなくて良かったという、運命への感謝だけだ。 エックハルト・トールは言います
「他者のなかにあるエゴを相手そのものと混同する」ってあたりはわかる。
相手の子供っぽい部分や欲深さなどを見てしまった時に悪人だ・敵だと つい決めつけてしまいそうになる。
でも誰にでも動物的な野蛮さは宿ってるし、自分も人のことは言えないと感じる。
互いの不完全性を認めて相互補完的に協力しながら共に共同体を築いていきたい。 エゴを捨てると今まで抑制して押し殺してきた生身の自己が飛び出してくる
これは怖いですよ
憎い姑の葬式で露わになる女の恐ろしさを見たときを思い出す するしない責任あり
させるさせない責任あり
されるされない責任なし
させられるさせられない責任なし 自己愛性人格障害
自功自功
他功自功
自罪他罪
他罪他罪
普通の人
自功自功
他功他功
自罪自罪
他罪他罪
修行者
自功他功
他功他功
自罪自罪
他罪自罪
悟りを開きし者
自功他功
他功他功
自罪他罪
他罪他罪 ツイッターフォロアーリアルで知り合いが数名おるから
好きなこと言えなくてモヤモヤする
別のアカウント作るか
ホリエモンとか叩きがいがありそう。 あなたになど、誰も何の興味もない。
それが罪なら、自分は他者に何の興味も持たずして、
そのくせ他者には自分にありったけの興味を持てなどと虫がいいことを言うあなたは、一体どれほどの罪になってしまうのか?恐ろしいことである。 「バカの壁」がベストセラーになったことがありました。人は自分と異なる価値観を持つ人のことをバカと感じるようです。
人がそれぞれ持つ価値観を仮想論では私的感覚と呼びます。自分の私的感覚だけを絶対視すると周りが皆、知障に見えます。実際にはバカはオマエ。 誰もが持つ承認欲求を利用して喋らせて情報を引き出すのが狡猾さです。話を聴いてくれた相手を人は好きになります。そうなれば操作し放題です。
私のことをわかってほしいなんて考えているのはバカなガキ。 バカな女性を見つけて傾聴する。話から私的感覚を感じ取る。アホな私的感覚を持ってるけどやさしく尊重してあげる。
↓
挿入する。(アドラーありがとう) 傾聴がアドラー心理学実践に役立つという話であって傾聴自体はアドラー心理学の実体ではないので
傾聴の悪用をディスってるのを見ると、はあそうですねとしか言いようが無い 傾聴にしても課題の分離にしても、協力関係や自他の共同体感覚の育成を目的としてなければ
アドラー心理学と言えないってことでして
つまり、「挿入する。(アドラーありがとう)」だとしても、目的が協力関係や自他の共同体感覚の育成なら
アドラー心理学と言ってもいい
ただ、バカとかアホっていう言葉は競合的な認知に陥りやすいので気を付けた方が良いと思う 車の運転でイラッときたときに、荒い運転じゃなくて安全運転を選ぶというだけで共同体感覚一歩前進 アドラー理論を自分が実現するためには技術や自制心が必要。それは一朝一夕に身につくものではない。修行が不可欠。
女性の身勝手とも思える話に落ち着いて頷き、共感を示す。
劣等感で卑屈になっている相手にも敬意をもって尊重する。
協力して二人でできる事を共に考える。
そして二人の快楽共同体は完成する。
そういうご褒美があるから楽しく修行ができて自分の自制心や技術を磨くことができる。 女性の話を傾聴する。
↓
話から私的感覚を尊重して共感する。
↓
挿入する。(アドラーありがとう)
↓
犬とハッピーライフ >>721
俺男な上にラカニアンなんだけどさ、アドラー理論て前提から女性バカにしてたり報酬が集積回路だったりすんの?
心理学以前に日常会話のレベルで男のほうが圧倒的に雑談力に劣ってる状況で、身勝手と思われるリスク背負って話題切り出してくれてる相手に受け身のクセにマウントとってる気分になってるようなら、もうアドラー理論なんて関係妄想の悪化でしかないよ。 スレ読み返してみたけどアドラー理論てずいぶん変なとこにいっちゃってるんだな。
もうこのスレ住人には信じられないかも知れないけど普通の人々は極力責任の所在が曖昧などうでもいい話をしてるもんだぞ。それをいちいちメタ解釈しなきゃならなくなってるお前の心のほうが心配だよ。 マウントをとってる気分から脱却して共感や敬意を磨く修行の話なんちゃうかな 普通の人がどうだろうと誰かに心配されていようと他者と自分の相互所属を守る思想の特殊な心理学を採用する為に
責任の所在を意識するのが効果的だぜっていう人たちが集まるスレってことなんちゃうかな >>726
なるほどな。空気を読める能力自体は前提で、適切なワードを能力的に出力する内的な制度ね。
でもこれってさ、ラカン派ではファロセントリズムってよばれてる批評対象なんだよ。 ファロセントリズムは男根主義と翻訳されることもあるようだね。マウント云々って言ってる人がいるけど
凸が上位で凹が下位ってわけではない。
人間は誰しも不完全で得手不得手がある。共同体のために生かせるものを各々が持ち寄って協力的ライフを送る相互補完的な幸せを実現しようってこと。 わかったよ。アドレリアンというのは功利主義者なんだ。 功利主義は結果を重視するけど、アドラー心理学は動機として所属に対する善があることに注目するっていう違いがあるよ 功利主義は万人の利益を善とする。
共同体を利する為に万人で協力するアドラー理論とマッチする。 エックハルトの言う神を究極共同体とすれば自己を神へ溶け込ませるエックハルトの思想と共同体のために個々人が協力するアドラーの思想は合致する。
功利主義は個々人の幸福の総和を最大化させる「最大幸福」を目指す。
人間はそれぞれ得手不得手がある。聖書も「タラントの譬え」で神はタレント(才能)を人それぞれ異なる形で授けるとしている。
共同体の幸福の総和が最大であれば、たくさん挿入する男とそうでない男がいるのは問題ない。 そう言うと、世界平和の為なら淘汰され滅ぼされる民族があっても問題ないという思想になりかねず、アドラー心理学実践として気をつけないといけないよ 「隣人を愛せよ」というキリスト教が宗教戦争の元凶になる。
同様に協力的ライフスタイルのアドラー理論も動機が共同体に基づいている以上、異なる共同体へのヘイト感が生まれることはある。 異なる共同体ってなんやねん
アドラー心理学じゃない話なら他でやればいいのに エックハルト・トールは言います。
自分の宗教だけが「真理」だと信じているなら、それはエゴの強化に役立てていることになる。
そうなると宗教はイデオロギー化し、優越感という幻想を生み出し、人々の間に分裂や紛争を引き起こす。
「真理」に役立てれば、宗教の教えは目覚めた先輩たちが残した道標、地図となってスピリチュアルな目覚めを、
つまり形への同一化からの解放を助けてくれるだろう >>745
アドラー心理学の共同体感覚を宇宙や人類まで広げられるなら別だけどね。 >>747
基本そこが目的にあるから、そこを別にして危険視するのも微妙じゃない? 対人関係論だからって>>647みたいに言う人もいる。共同体感覚は宗教的意識だと思うんだけど。 >>749
宗教と共同体感覚を見分ける簡単な考え方があるよ。
宗教は絶対的な思想として信仰することが求められる。
共同体感覚は必要な時に寄りかかる杖みたいな道具。
宗教を信仰していれば、他の思想は間違いとか、別の共同体という考え方を採用する。
共同体感覚を使ってると、色んな考え方があって当たり前だという考え方を採用する。 エックハルト・トールは言います。
思考はうまくいけば真理を指し示すが、決して真理そのものではない。
だから仏教では「月をさす指は月ではない」と言う。
すべての宗教はどれも誤りでありどれも真実で、どちらになるかはどう活用するかで決まる。
エゴの強化に役立てることも、「真理」のために役立てることも可能なのだ。 んー。なんとなく掴めた気がする。
真理に向かってみんなで協力しようっていう意識ではなくって
今それぞれが共に在ることを尊重する感覚のことかな? エックハルト・トールは言います
単純で検証可能な事実の場合は別として、「正しいのは私で、あなたは間違っている」という確信は、
個人の人間関係でも、国家や民族、宗教同士でも危険だ。
だが「正しいのは私で、あなたは間違っている」という信念はエゴが自分自身を強化する方法のひとつで、
精神的な機能不全であり、人間同士の分裂と抗争が終わらない原因であるなら、
ふるまいや行為や信念には正しいも間違いもない、ということなのか?
そうなると、まさにキリスト教関係者がこの時代の最大の悪だと批判する
倫理的相対主義(人間行動の指針となる絶対的真理などないという考え方)に陥りはしないか? エックハルト・トールは言います
もちろん、真理は自分たちの側にのみ存在する、
つまり自分たちだけが正しいという信念は、行動ふるまいを狂気のレベルにまで堕落させる。
そのことはキリスト教の歴史そのものが如実に示している。
教会は何世紀ものあいだ、自分たちの教義や聖書(あるいは「真理」)の狭い解釈と
わずかでも違う意見を持つ者を拷問にかけ、火あぶりにし、
この行為は正しい、なぜなら犠牲者たちは「間違っている」からだ、と考えてきた。
犠牲者たちはとんでもなく間違っているから殺されなければなからなかった、というわけだ。
「真理」は人の生命よりも重要だとみなされたのだ。
ではその「真理」とは何なのか?
あなたが信じるべき物語、つまり思考の塊である。 エックハルト・トールは言います
カンボジアの独裁者ポル・ポトが殺害を命じた百万人のなかにはメガネをかけている者全員が含まれていた。
なぜか?ポル・ポトに言わせれば歴史のマルクス主義的解釈が絶対的な真理であり、
その絶対的真理のポル・ポト版によると、メガネをかけている者は教義のある階級、ブルジョワ、農民の搾取者だからである。
新しい社会秩序をつくるために、彼らは抹殺されなければならない。
ポル・ポトの心理も思考の塊だった。 エックハルト・トールは言います
カトリックその他の教会が、倫理的相対主義を現代の悪の一つと批判するのはなるほど正しい。
だが、絶対的真理はあるはずのない場所に探しても見つからないだろう。
あるはずのない場所とは、教義、イデオロギー、規則、物語などだ。
これらに共通しているのは何か?思考からできあがっているということである。
思考はうまくいけば真理を指し示すが、決して真理そのものではない。
だから仏教では「月をさす指は月ではない」と言う。
すべての宗教はどれも誤りでありどれも真実で、どちらになるかはどう活用するかで決まる。
エゴの強化に役立てることも、「真理」のために役立てることも可能なのだ。
自分の宗教だけが「真理」だと信じているなら、それはエゴの強化に役立てていることになる。
そうなると宗教はイデオロギー化し、優越感という幻想を生み出し、人々の間に分裂や紛争を引き起こす。
「真理」に役立てれば、宗教の教えは目覚めた先輩たちが残した道標、地図となってスピリチュアルな目覚めを、
つまり形への同一化からの解放を助けてくれるだろう エックハルト・トールは言います。
絶対的な「真理」はただ一つで、その他の真理はそこから派生している。
その「真理」を見出したとき、あなたの行動はすべて真理に沿ったものになる。
人間の行動は「真理」を反映することもあれば、幻想を反映することもある。
「真理」は言葉で表せるか?表せる。
だが、もちろんその言葉は真理そのものではなく、真理を指し示すにすぎない。
その「真理」はあなた自身と切り離せない。
そう、あなたが「真理」なのだ。
よそに真理を探していたら、きっとだまされ続ける。
あなたという「存在」、それが「真理」だ。 無意識の衝動に従えば正しいということではない。
フロイトはそう考えたと解釈する人々はフロイトの議論が犯罪者の言い分に似ているといったりする。 誰かが始めなければならない。他の人が協力的であるかどうかはあなたには関係ない。
私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうか気にすることなく。 >>744
>>747
>>752
宇宙や人類に広げることができてないとか、広げる必要があるとか考えているなら単に共同体感覚をよくわかってないんだよ
このスレの一部の人は、「日本人のあなたは仲間で、アメリカ人のあなたは敵」みたいな価値観をなくすには共同体感覚の枠を広げる必要がある、そのためには悟りに近づく必要があるみたいに捉えている節があるけどそういう事ではない
アドラー心理学の実践は人との関わりの中でのみ行われるものだから、あまり拡大解釈することに意味はない
日常で接する他者を「見知らぬあなた」から「親しいあなた」として捉えなおして協力的に接するというもの
他者は必ず自分とは異なるライフスタイルを持っている訳だから、自分の子どもだってある意味宇宙人なんだよね
だから、子育てでもして、子どもと協力的に暮らす経験をすれば共同体感覚はものすごく育つと思うよ
政治とか宇宙とか考え始めると逆に迷走するでしょ 流派の違いだろうけどスピリチュアルタスクってのもあるしそない頭ごなしじゃなくても良さそうかな 共同体感覚って英語では community feeling とかsocial interest みたいだけど原語のゲマインシャフトなんたらっていうのはどんな語感なの? エックハルト・トールは言います。
言葉にしばられないでください。
言葉はあくまでも、目的に到達するまでの手段なのです。
言葉は抽象概念です。
道しるべとなんら変わりなく、ことなはそれ自身を超えたものを指しているのです。
「はちみつ」という言葉は、「はちみつ」そのものではありません。
はちみつについて研究したり、論じたりすることはできても、
肝心のはちみつを味わうことをしていなければ、それを、ほんとうに知ったことにはなりません。
はちみつをいったん味わってしまえば、言葉には、こだわらなくなります。 エックハルト・トールは言います。
その逆のケースについても、同じことが言えます。
なにか理由があって、「はちみつ」という言葉を毛嫌いしても、
それを味わうことを妨げてしまう可能性があります。
もしも「神」という言葉に対して、強い嫌悪感を持っているなら(これはネガティブな執着心です)、
言葉だけでなく、言葉が示している実態をも拒絶しているのです。
その実態を経験する可能性を、自ら拒んでいるのです。
こういった一連の行動は、もう説明するまでもありませんが、
思考を「ほんとうの自分」とみなすことに起因します。 エックハルト・トールは言います。
これとまったく同じ理屈で、
神について生涯にわたり、思惟をめぐらしたり、語り合ったりしても、
それで神を知っていることにはならないのです。
そんなことをしても、神の実体を、一瞬でも、かいま見たことにはなりません。
「道しるべ」や「偶像」へのこだわりで終わってしまいます。 エックハルト・トールは言います。
では、結論を言いましょう。
ある言葉が自分にとって都合が悪いなら、その言葉をさっさと捨てて、
自分にとって都合のいい言葉におきかえればいいのです。
「罪」という言葉がきにさわるなら、「無意識状態」とよんでみてはいかがですか?
長い間誤用されてきた「罪」よりも、「無意識状態」のほうが、
罪悪感を抱かずに、言葉の奥にある真実をつかめるかもしれません。 ひねくれた承認欲求について議論しましょう。
エックハルト・トールは言います。 さん、どう思います? 議論と言うとはピンとこないけどレスを見て間違った認識だと思ったら口出しするかもです エックハルト・トールは言います。
被害者役も非常にありふれた役割の一つで、
同情や憐れみや自分の問題、「私と私の物語」への興味という形で関心を求める。
不満や、侮辱された、立腹したというような多くのエゴのパターンには被害者意識という要素がある。
もちろん、自分に被害者の役割を振り当てた物語に自分を同一化してしまうと、その物語を終わらせたくないと思う。
だからセラピストなら誰でも知っているように、エゴはアイデンティティの一部になった「問題」の終結を望まない。
誰も「私の悲しい物語」に耳を傾けてくれないと、頭のなかで何度も自分に語り聞かせて自己憐憫にふける。
そうすれば、人生や他人や運命や神に不公平な目にあわされている自分というアイデンティティを守れる。
そのアイデンティティは自己イメージに明確な輪郭を与え、自分を何者かにしてくれる。
エゴにとってはそれだけが大事なのだ。 自分は弟だし親と仲良くなかったし、介護は兄にまかせます
兄がなんかいってきても、介護は自分の課題じゃありません
嫌われる勇気のおかげで気づくことができました! >>770
日本語の文章が間違ってる人が他人の間違いに口出しできるの? 共同体感覚の原語であるゲマインシャフトゲフュールは個人的には「親愛の情感」と翻訳できる気がする。
どんな人にもそういう態度でっていうと、やはり悟りの境地を目指すスタンスになるんじゃないかな? 愛することよりも愛されることを取ると、栗原勇一郎の妻みたくなる。
あれを反面教師とし、恥の何たるかを知れ!
肝に命じて置けよ!!!? 共感と、申し出があればいつでも無理のない範囲で援助できる、それが共同体感覚の一部ではない? 強者になれ
なるためには邪魔になる弱者を切り捨てろ 業者弱者なんて基準によってどうとでも変わる
そんなもんにしがみつくのは勝手だけど、幸せからは遠いよね >>779
いや適者生存には運も含まれる
幸せかどうかも子孫を残せた上での幸せか
子孫残せず現実逃避の中の幸せかってのもある >>781
子孫が残らないと不幸というのはすでにあなたの統覚バイアスだと思うよ 子孫はともかく結婚生活はアドラー心理学の理論技法の効果を実感するのに効果的だから経験しておくのがおすすめ アドラー心理学の理論技法の実感の為の結婚って、まあ自由だけど言葉だけ聞くとあれやね 今日は、記念すべき日だ!なぜかって???笑
なぜなら今日は、私が罰系人間でも報酬系人間でもなくなったからさ! さあ、今まで私を虐げてきた奴隷主たちよ!もはや、お前たちなど眼中にない。 お前たちの振り上げる鞭は、
お前たちの差し出す飴は、
お前たちの狡猾さと邪悪さと、貪婪さと愚劣さの証。 もはや奴隷主たちよ、お前たちの時代は、今幕を閉じだ。 >>785
人間の欲望には限りがない
結婚してもそれを生かせない人間の不満は、贅沢な不満ってやつだ >>730
亀レスごめんだけど、ファロセントリズムは性差の優劣を指示しないよ。ざっくり言うとヘテロ男性はファルス函数っていう柵の中でしか生きられなくて、女性が生きる柵の外がどうなってるのかを精神分析は扱えない、みたいな事です。
あなたの文読んでると、まるで1セットのパズルのバラバラのピースが努力次第で一枚の絵に成るのが前提になっているように思えるんだけど、それだと時間性をまるっきり無視してないか?例えばだけど、あなたは好きな異性のタイプが劇的に変わっちゃった経験ない? >>794
男女はもとより、細かく考えれば個人の頭にある言葉↔想起内容(シニフィアン↔シニフィエ)はそれぞれ異なるから自分以外みんな柵の外だと思う。
時間性を考慮しても、その時に互いが持ち寄れる有用なものを見つけて協力して相互補完的な幸せを創ればいいと思う。
> >>730
> 亀レスごめんだけど、ファロセントリズムは性差の優劣を指示しないよ。ざっくり言うとヘテロ男性はファルス函数っていう柵の中でしか生きられなくて、女性が生きる柵の外がどうなってるのかを精神分析は扱えない、みたいな事です。
> あなたの文読んでると、まるで1セットのパズルのバラバラのピースが努力次第で一枚の絵に成るのが前提になっているように思えるんだけど、それだと時間性をまるっきり無視してないか?例えばだけど、あなたは好きな異性のタイプが劇的に変わっちゃった経験ない? 人としても生物としても間違っていない。これ当たり前。
人としては間違っていないが、生物としては間違っている。やや、障害ぎみ。
人としては間違っているが、生物としては間違っていない。サイコパス。
人としても生物としても間違っている。障害サイコパス。
人殺しの殺人鬼の池田糞作の創価の公明が政治活動
キチガイの集まりの創価の公明が政治活動
キチガイカルトの創価の公明は落ちろ!落ちろ!選挙で落ちろ! >>795
まさに無意味なシニフィアンの連鎖の仕方が、厳密には一人ひとり違うんだよね。ラカン派から見てアドラーとかフロムが疑わしいのはまるで社会表象のレベルに性善が備わってるように語られるからなんです。
人間の心に於いては幸福ってのは原理的に一人で頭の中でしか追及できないもんじゃない? 一人で頭の中で追及する幸福にも相手役が居ると想定するアドラー心理学を信奉するかしないかはあなた次第ってだけなんだよ そもそも自分の頭の中で解決するならラカンの理論を追及するのにアドレリアンの承認は必要なくね?でもありまして >>807
脳内物質の文筆具合って器質じゃん。器質的要因ってつまり心にとっては外因のことで、一人で悟ってない限りシニフィアンの連鎖にベクトル与えちゃうんじゃないか? 誤字な上に意味不明なレスごめんなさい。
要するに、現象学者がやってるエポケーとか精神病者の生き方の地点から見るに、アドラーにとっての経験的他者への依存が不思議でならないんです。 >>808
最近の心理学界隈では、自立とは依存の対象範囲が広い状態を指すみたいだよっていう記事がアドレリアン的に納得できる話で
逆にコミュニケーションを拒絶してると私的論理(シニフィアンっつーんですか?)が増幅されて
余計に暮らしにくくなるんじゃねえでしょうか?っていう理論は私には不思議は無いと感じるんですよ >>810
なるほど。精神治療がオープンダイアローグの様な方法にシフトチェンジする流れとも大局的には合致しますね。それでアドラーね。俺が老害なのかもな 推しメンは人それぞれ。人の課題には踏み込まず、ディスられる勇気を持つ。
アイドルヲタ共同体へソツなく所属できるのはそういう人間。 店を責めてるのであってお前らじゃないんだけどわかる? 功に見合う賞なく、罪に見合う罰なし。自滅せざるを得ず。(自滅しないことはできない。)
功に見合う賞あり、罪に見合う罰あり。自滅させるを得ず。(自滅させることはできない。) きしみさんて、著書嫌われる勇気で全員エゴイストだって言ってるの? ラッセルもその著『幸福論』第一部、不幸の原因──第八章「被害妄想」で公理を四つあげている。
第一、あなたの動機は、必ずしもあなた自身で思っているほど利他的ではないことを忘れてはいけない。
第二、あなた自身の美点を過大評価してはいけない。
第三、あなたが自分自身に寄せているほどの大きな興味をほかの人も寄せてくれるものと期待してはならない。
第四、たいていの人は、あなたを迫害してやろうと特に思うほどあなたのことを考えている、などと想像してはいけない。 もしあと100年しか生きられないとしたら、あなたはどうしますか? 生き返らない。というか、生き返れない。死んだのだから。じゃあな、親父。 母親が勇一郎、父親がなぎさ。気持ち悪過ぎて反吐が出る。 承認欲求って、人をここまでキモくしてしまうものなんだな。 承認欲求の満たし合い、ここまで気持ち悪いキモスは世界にない。 人間最大のキモス。それこそが、承認欲求の満たし合いだ。 母親は親父を支配することにサディズム的欲望を、父親は母親に仕えることに無上の喜びを感じているようである。 ここまで実の子に分析される両親、ある意味かわいそうだ。 お前も親をそういう風に分析すんのキモいって思われるかも知れんが、見えてしまうのは仕方がない。 というよりも、そんな見苦しい様見せる両親の方を責めたい。 神って言うのがいるならな、そいつは飛んだ変態だ。露出狂だよ、神さんは! ご両親がSMプレイをしてる現場か写真でも見つけて発狂してんのか? >>873
親子の情を無視したアドラー心理なんてしょせん机上の空論なんですよ >>880
お前だったら淡々と受け入れられんのかよ?
すごいな。 ある功を賞されることもない罪を罰せられないことも求めませぬ。まして、ない功を賞されることやある罪を罰せられないことはなおさら求めませぬ。 要らない物を送り届けて、請求もクソもねえもんだ。押し売りじゃなくていじめだろ。 机上の空論は言いすぎた
親の恩を無条件で肯定する社会には解毒剤としてのアドラー心理学が必要 企業の年功序列の組織では若者が嫉妬され潜在能力が発揮できない場合がある。
しかしそこで潜在意識を書き換えれば潜在能力が出て活躍できる。
親子関係にも似た要素があり、母子撞着を超えれば結婚できる。
直接意識的に嫉妬を乗り越えるのは難しいが、課題の分離をすれば容易に乗り越えられる。 恩の押し売りなんて、親として最も恥ずべき悪徳だろう。それにもかかわらずそれを恥じも外聞もなく行い、あまつさえそれが道徳とまで言う。人間という動物は、せっかくのバカデカい大脳も独活の大木だな。 剣豪は、棒切れで相手を倒す。
剣の振り方すら知らなければ、どんな名剣も無駄だ。
脳の使い方がわからぬなら、持っていても仕方があるまい。そんなもの、カタツムリにスマホを与えるようなものだ。 親と何があったか知らんけど心の闇を掲示板でぶちまけるの止めな。 誰かが始めなければならない。
他の人が協力的であるかどうかはあなたには関係ない。
私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。 >>891
逆じゃないか?w
虐待親をトラウマはないということで影響を否定する嫌われる勇気は不必要だわw >>899
親のせいにしているうちは自分の人生を自分の責任で生きるところまでいかないという説だから >>897
自分から始めなさいよ
他人はどうでも良い >>903
>親のせいにしているうちは自分の人生を自分の責任で生きるところまでいかないという説
いや違うから
別にそれはトラウマを否するしない、原因論を否定するしないに関わらず真とできるし トラウマなど存在しないかのように生きなければならない 『かのようにの哲学(Die Philosophie des Als Ob)』における
ファイヒンガーの主張とは、人間は決して世界の根底的現実を
知ることはできないので、思考の体系を構築し、それが現実に
適合すると仮定している、すなわち、人間は「あたかも」世界が
人の作ったモデルに適合するかのように振る舞っている、というものである。
たとえば、アドラー心理学における「トラウマは存在しない」
といった現象が直接観察されたことは一度もない。だが、
アドラー心理学はトラウマが存在しないかの如く想定しており、
その仮定に基いてなされた考察によって新しくより良い構築物を生み出すのである。 アンドレ・ヴェイユ
「数学は少数の天才によって進歩するのであって、2流以下の数学者たちは共鳴箱にすぎない」
ファイヒンガーの主張は自然科学や数学に限定すれば有用なのは分かる
というか現実にそれらの分野はそうやって学問を発展させてきてるし
天才だけがより良き構築物のために「かのように」について語る
その他のものは「かのように」の解釈注釈を作り続ける
だけど哲学心理学に応用するとなると、とたんに胡散臭いものとなる
何が「より良い構築物」なのかが重要なテーマであるわけだから
哲学心理学の学問的混乱は「より良い構築物」を「かのように」で
語ろうとするところにもある
本来、各個人でバラバラに存在してる「より良い」の基準をどうすり合わせるのか
議論は絶えないね そもそもトラウマ否定した時点で因果関係を肯定しているわけで矛盾 トラウマというのは抽象的な概念であってそれを見た人も食べた人もいないただの仮説だよ それ
トラウマをトラウマとして説明しないというだけなんだけどな
トラウマ否定にいつまでもつっかかって来る人は頭固いんだろう
多分同じ人なんだろうけど トラウマというのは実証主義的な概念でも反証主義的な概念でもない。
そういうガラクタは世の中にいくらでもある。
そういうガラクタ(トートロジー)は一切捨てていい。 バラを触ってトゲで怪我をした経験を持つ人はバラに警戒心を抱く。
経験(特に幼少期)は不快を避けて生きていくために必要。
個人的経験の集積が仮想論で言うところの私的感覚。
ただ経験が特異なものだとその人の行動様式は周囲と適合しない。
そこで「自分が正しく、世の中が間違ってる」と競合的になると社会不適合のまま。
周囲の人々の私的感覚を尊重し、共感することで特異な私的感覚は修正されていく。 >>911
トラウマが否定されてしまうと自分の利益が失われてしまうと感じているのだろう。つまりその利益に依存して生きている。依存できなくなれば死が近づくと信じているから本能的に生き延びようとしてトラウマ擁護に必死になる。 「俺がAなのはTのせいだから仕方ないんだ!」
「Tとか全然関係ないじゃん。」
「ふざけんな…俺はAでいるのが大好きなんだから言い訳がなくなると困るんだよ。」
ってこと? そもそもトラウマとは、行動学の学習において、恐怖症などの原因となるもので、
むしろ脳科学よりのものだり、哲学者はこれだから・・・w >>914
虐待問題に携わったことのないお気楽な哲学者の思考かな?w だったら、「やめな」じゃなくて「やめて」か「やめろ」だろ。 "要求"を"勧め"みたいな形にするのウザいよ?ガチで。 919で896だよ。
鬱陶しい人を動かしたい時、そのまま要求の表現を使うと競合的な印象を相手に与えてしまい逆効果になることが多い。
なので「あなたのためだから」という共感的な表現を使って行動を変えてもらう。
実際、解決を求めるような表現の書き込みではなかったし、こんなところに書いても分析対象にされて遊ばれるだけだから
止めな(>_<) 互いに無視しろよ!どっちもどっち
お前ら、課題の分離まったくできてないから。 課題の分離って
ウザイ相手になされるがままになる事じゃないでしょ? 掲示板を共同体と考えた場合
共同体の秩序を乱す人間にアドラー心理学はどう対処するの? ウザいって言っちゃってるし!笑笑
これが共感的表現ね〜〜〜!
いかにも解決を求めるような表現の書き込みだわこりゃ。 面倒くさくなってウザイって書いちゃったけど
「自分の意に沿わない」とか
「私的感覚に大きな開きがある」とか
の方が良かったかな? もしここに、二人の美女がいるとしよう。一人は優しい豊満タイプ、もう一人はキツめのスレンダー白ギャルだ。 エッチを二人の快楽共同体とすれば
互いの凸と凹という良い部分を見いだして協力的ライフスタイルという話にもできる。
アドラーはなんにでも合う。 君は、二人のうちどちらか一方にしか…
そのとき、君はどういう選択を取るべきか?
学生A:僕は断然後者です。刺激を求めるのは、男のさがですから。
学生B:これは好みの話ではない。どちらを取るべきかでしょう? サンデル:もちろん、今話し合うべきことは、どうすべきか?だ。だが、どちらが好みというのは、人の心理につながるからとても重要だ。いい議論になって来た。続けてくれ。 学生A:僕は、優しい人は結婚相手には向いていても、エッチは断然刺激的な後者です。今はエッチの話で結婚ではないから、後者にすべきだと思います。 サンデル:もちろんその通り、今は結婚の話ではなくエッチの話だ。だが、それすらも人によって好みのタイプは分かれる。他の諸君はどうだろう?
学生D:僕は、どちらでも構いません。そもそもこんなの、すべきもすべきでないもないと思います。第一、女子たちがドン引きしています。先生は、ご自身がセクハラをしているに等しいと自覚すべきだと思います。 学生C:僕は先生の言う通りだと思います。エッチであれば後者、結婚であれば前者というのは、A君の思い込みで、一般的にそうであるというのは男はこうであるという偏見にすぎません。 女学生E:私もD君と全く同意見で、先生はおかしいと思います。こんな話を平気でできる人とは思いませんでしたし、それを知っていたらこの授業を取ってはいません。失礼します! サンデル:(女子たちみんないなくなっちゃったな。)
さあ、続けよう! >>929
正しく戒律に沿うとしたら、相手の競合的なニュアンスには気付かない様にして
所属に向けたその人なりの善に注目して共感した上で勇気付けて協力的な方法を提案する流れを意識することかな ただ掲示板だからチャットやカウンセリングみたいな会話で進めてレス番を消費していくのは
スレや板や情報を見に来る様な人への迷惑になっちゃうから バカバカしい。頭固過ぎ。お前ら実社会でそれ役に立ってねえだろ。 そもそも
>親と何があったか知らんけど〜
と、勝手にバックグランド推測してる時点で… どう対処するって、目の前の人間みろや。
「掲示板で言ってたからこうする。」
アスペ? >>945
必死か否か。論点としてどうでもいいわなw まあ、発達なら仕方ないけど…
君さ、アスペルガー症候群スレ行きな?ここ、君にとってかえって悪影響になると思うよ?固い頭がさらに固くなって、「だってネットで書いてたもん!」とかなったら・・・
目も当てられん。 アスペルガー症候群の人は、アスペルガー症候群スレに。
アドラーは絶対にやめた方がいい。ろくなことにならん。 理解できない無理難題を障害者に負わせて、自己責任もクソもねえ。そんなんだから事件起こりまくるんだろうが!
岸見さんも岸見さんだよな。ホント! 学者として、世の中の人たちが自分と同じだけの知性を持っているとは限らんのだから、自分の発言の結果考えろや! 「その結果を引き受けるのが誰かで、誰の自己責任なのかが決まる。」
アスぺが誤解したらそのアスペが悪いから、俺は悪くない?クズか! きしみ!アンタのやってること、アンタの自己責任だからな!
罰当たりめ。 >>947
だから構ってちゃんとかほんとに病気の人とか自由に書き込みする掲示板では
荒らしは不可抗力の災害的に発生するのが自然な流れって感じやね
2ちゃんの基礎能力のスルースキルを発動するくらいがアドラー心理学的にも掲示板的にもマッチした対応かも知れない 先日お邪魔したラカン信者なんですが、最近尊師のスレが荒れているのですがワタクシ、2日以降はこっちに書き込んでいません( ;;)
勘違いだったらゴメンね。俺のレスの延長みたいになってたので… ぐえ。リロード忘れて書いたら間に山盛りの書き込みが・・・ >>970
匿名掲示板なので誰かはわからないのですが、ここ数日アドラースレとラカンスレが似たようなタームで共に荒れてるので、同じ方が書いてらっしゃるのかと邪推した次第です。
繰り返すけど勘違いならゴメンよ。 因みになんですが、俺個人はアドラーを完全に見下してるし >>934
ウザイから書き込みやめてくれ、でいいよ5chなんだし
ただ、自分が感情的になっちゃっただけなのに、要求の表現は競合的な印象〜とか、あなたのためだからとか、共感的表現を〜とか、私的感覚の開きがとか説明しはじめたのが最高にかっこ悪いなとおもいましたまる ところで、「あなたのためだから」ってのは全然共感的表現ではないよね?
「僕はあまりいい気分がしないからやめて貰えると助かるよ」って感じでアイメッセージで言う方が協力的だし共感的だしアドラーらしいと思う
要求も上手に主張すればいいんだよ 要求も上手に主張すればいいんだよ
上手に生きる方法を話しているのに手段に「上手」という結果を含む表現をいれてしまう
こういうのをトートロジーといって、まともな議論をするときに混ぜたら台無しになるもの
わかっててギャクでやっているならすまん そのすぐ上に、上手な自己主張の例が書いてあるやん
単語に噛みつきすぎちゃうか、きみ >>975
アドラースレ読んでると机上の空論で遊んでるだけで実践してる人は少ないと感じる。
> 「僕はあまりいい気分がしないからやめて貰えると助かるよ」って感じでアイメッセージで言う方が協力的だし共感的だしアドラーらしいと思う
イヤなやつにそんな言い方で通じると考えてるなんてお花畑も甚だしい。 >>979
>>975は、アドラーのことをわかってるつもりの「イヤなやつ」だとおもうよ >>975
いいと思う。あなたのためだからの何様感は異常。 975叩いてるお前、あなたのためだからさんでしょ?悔しいだろうけど白旗上げな???笑 第一、アドラーって横から目線。上から目線の「あなたのため〜」は、ウザいどころかアドラーですらない。 >>979
アドラー心理学は相手に通じるためにではなく自分に通じるために使うものだよ 岸見一郎先生に出会って自民党一択だと理解出来た
ありがとう岸見一郎先生 執拗に定期的に岸見批判してる人は岸見さんに親でも殺されたの?
アドラーの批判ではないのかな? 子供が想像するような共同体などこの世に存在しないよ
サイコパスみたいなのとバカな羊の群れが無数にあって
それらがちゃごちゃとこの地上を覆い尽くしてる
だけど悲しいかな、羊が知能を働かせたところでサイコパスにはなれない
アドラーも共同体感覚などと詐欺師みたいなことを言わなければ
信用するに足るんだけど惜しいね スピノザみたいに知性を向上させて精神の自由を得るだけでいいと
言ってくれる人の方が良心的 >>991
そこが採用するしないの別れ道なんだろうね
採用する人は、人は社会的な生き物で協力し合わないと生きていけないという理解で世界を見てる >>993
協力なんてのは建前で、お互い打算で動いてるのが社会ってもんでしょ
子供じみた言葉で白痴化させるのはよくない >>994
もちろん色んな見方があって良い
あなたの生き方も尊重しますよ
あなたはあなた、私は私
可能な程度で協力するし、それ以上の踏み込みには応じれない
ここら辺が課題の分離になるってな感じですよ このスレッドは1000を超えました。
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