大正時代のアナキスト大杉栄はパンク
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「杉よ! 眼の男よ!/俺は今 骸骨の前に起(た)って呼びかける/慈愛の眼 情熱の眼/沈毅の眼 果断の眼/すべてが闘争の器に盛られた/信念の眼!/女の魂を攫(つか)む眼/それ以上に男を惑わした眼/彼の眼は太陽だった/遊星はために吸いよせられた/彼の死には瞑目がない 太陽だもの/杉よ! 眼の男よ!/更生の霊よ/大地は黒く 汝のために香る」 時は大正12年の春。
東京北千住生田に奇怪な一軒家があった。
六畳・四畳半・二畳の三つの部屋は、各々赤・青・緑の障子で囲まれ、
標札には「三色の家」とある。
その標札はやがて「ギロチン社」に変わった。
そこには十人前後の若者が定職もなくごろごろしていた。
彼らの風体がまた異様で、長髪にインバネス(とんび)やルパシェカでキメたり、
和服にオーバーを羽織り、真っ赤なトルコ帽をかぶったりしている。
北千住に移る前には、「叛逆者倶楽部」「青い家」「墓社」「黒狼」などと名のっていた彼らは、
一見ちょうど流行していた未来派・表現派・モダニズム・ダダの前衛芸術家集団のように見えた。
実際彼らの主魁中浜哲は、現在日本アヴァンギャルド詩の先駆と評価される詩人である。
実は彼らの正体は、行き場のない若者たちがやぶれかぶれに結成したテロリスト団だった。
先述の自称天才詩人中浜哲以下、最下級の梅毒もち女郎を熱烈に愛したヤツや
母を想う短歌をよみ涙をながしてテロを語る奴など、
どうにもアブナイのだ。 特に古田大二郎というのは、日本史上最もネ暗な自伝を二冊も残した男で、
初恋の少女に声も掛けられず一人悶々とし、革命を志したものの頭が悪くて理論は語れず
根性がなくて労働者の間にも入ってゆけず、いじけきっはたあげくギロチン社に流れつく。
こうした連中が天皇や来日した英国皇太子の暗殺やら、
満州のコミューン建設やらを陰謀するのだが、元々意志が弱く自堕落な奴ら故、
何もできやしない。
資本家を総会屋風に恐喝して(リャク行為)得た資金も、遊廓や酒場でたちまち費ってしまう。
いずれはテロを決行し死ぬ身だから、生きてるうちに遊ぶのも許されるというのが彼らの言いわけで、
そこには労働者人民のための大儀などなく、
あるのは純粋行動に酔うエリート意識であった。 大正12年秋、関東大震災後の混乱の中、
アナーキスト大杉栄一家が憲兵に虐殺された時、
ギロチン社の連中はようやく死に場所をみつけた気になった。
「瞬間の自由!刹那の歓喜!それこそ黒い微笑、二足の獣の誇り、生の賜物
『杉よ!眼の男よ!更正の霊よ!』
大地は黒く汝のためにかおる。」
詩人中浜哲はかく絶唱した。
彼らは大杉栄の復讐テロを決意したのだ。
しかし強靭な意志力も周到な計画力もない彼らギロチン社に、
テロの成功はおぼつかなかった。
資金を恐喝せんと鐘紡社長を訪れた中浜は張っていた警官隊に囲まれたちまち逮捕。
銀行を襲った古田は行員を誤殺し、奪った金は75円。
大杉殺しの元凶の憲兵司令官を狙うも爆弾は暴発、ピストルは空砲。
あっけなく逮捕され、中浜は
「弥生空ギロチン高く霞みゆく黒蝶我は散る花に舞ふ」
との辞世の句を遺し、古田は童貞のまま白菊一輪を抱いて、
各々20代の若さで絞首台に消えた。
思想的実践と呼ぶにはあまりに幼稚で退廃的な彼らのテロリズムは、
むしろダダや未来派や表現主義の芸術理念の究極にある
命がけのパフォーマンスだったのかもしれない。 大杉栄の娘たちは今の目で見てもみんな美人だったね
特に大杉栄に一番溺愛されてた長女の魔子なんかは特に
だがみんな「天皇に弓を引いた者の娘」という扱いで
不遇と言うかどこかうらぶれたと言うか
大杉栄、野枝夫妻の事がいつまでもつきまとってどこか陰りのある人生だったように思える 「美はただ乱調にある。 諧調は偽りである」
自身の「眼」のことか顔のバランスのことか美しい我が子は諧調だと思わなかったのか
下世話な話しで悪いね 下世話ついでに吉永小百合が与謝野the bitch晶子を演じた「華の乱」はどうだった?
聖 泉鏡花の外科室を台無しにしたくそばばあ!
なんにもわかってねえじゃねえか! これほどまでに心を揺さぶられた文章は初めてだ
ttp://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black1.html
人は皆、労働をやめるべきである。
労働こそが、この世のほとんど全ての不幸の源泉なのである。
この世の悪と呼べるものはほとんど全てが、労働、あるいは労働を前提として作られた世界に住むことから発生するのだ。
苦しみを終わらせたければ、我々は労働をやめなければならない。 アナキズムの目標は権力の廃絶である。
対するマルクス主義の目標は労働者階級の権力奪取であり、
これは社会民主主義からスターリン主義、トロツキー主義まで一貫している。
第1インターはマルクス派とアナキストの対立に終始したが要約すると
マルクスにとって、アナキストの主張は単なる夢想に終わるか
無差別テロに至るだけの反革命的妄想と考えられた。
一方、アナキストにとって、労働者が権力を奪取するというマルクスの主張は、
単に悪玉の首領が交替するだけだと考えられた。
きわめて残念なことだが、両者とも正しかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています