糞爺が語る今のガキには信じられない昔の無線事情
・昔はアマチュア無線を主題とするドラマがあったハローCQ http://www.fmpalulun.co.jp/sound/CQ1.mp3
・昔はアマチュア無線機が西武デパートでも売られていたが定価だったので買うやつはいなかった
・アンテナの会社が少なかった50MHzの場合
マスプロの5エレが6000円でムデンの5エレが5000円
HFは貧乏人は2エレクワッドを自作して金持ちはハイゲインの八木を買った
・リグは自作が多かったファイナルは807→6146→S2001
モジりは6BQ5 7189A PPが普通
・免許証は冊面で途中から小さくなった
・ローカルのOMさんに訪問するのが定番で奥様の愚痴が有った
「ウチのダンナはいい大学にいけなかっはたのよ」厨房の漏れ達に言われてもなあ
CQ誌にも「若造がサービスが悪いとふざけんな」と言う苦情があった
・CQ誌は180円から200円に値上げされたが中身は広告ばかりで編集後記には編集部のYLさんも書いていた
・4月号でアンテナの大家が電波を任意に屈折する装置を掲載したら「記事と違い使えないぞ」と言う苦情がよせられた
・昔は貧乏人は水晶数個で出てたVFOは小金持ちの象徴で7㍋は北京放送の朝の停波を狙ってCQを出した
・トランジスタ名は今と違いメーカーによりバラバラでゲルマニウムトランジスタが1本千数百円だった ちなみに当時の物価
手紙は10円、ハガキは5円
電車の初乗りは大人が10円で小人は5円
菓子パンは15円で牛乳は20円
1ドル360円で1ポンド800円以上でジョニ黒が1万円
カラーテレビは1インチ1万円で19型は19万円もした ノコギリの歯と小さいL型金具とかまぼこみたいな厚い板で往復電鍵を作った
キーイングする時は感電しないように注意しなければいけなかった
カソードからの電位がモロにかかってるので 12AY7の2パラでGGアンプを作った
これを自作1W50メガトランシーバに着けて交信した
楽しかった 笑 電管職員が酒の席で
アマチュアの周波数帯ならなにをやっても良いと言ってた ガキのころ管球再生ラジオを作ったが実体配線図がデタラメでまったく動作せず
近所のOMに泣きついたら回路図を読むんだ馬鹿者!と怒られた 何につけ敷居が高かったな。
原会長など雲の上のお方だった。
高尾など呼びつけて叱ってやった 糞ジジイ過ぎるわ
その歳で5ちゃん書き込みしてたらいかんと思う JA1ANG米田さんにボケが入ってきているのに、永遠と連載を続けるCQ誌の編集長にヴォケを感じた 生意気な編集をしていた月刊ラジオライフの編集スタッフが
逮捕され臭い飯を食う羽目になった
以降吠えないチワワとなってしまった 笑 >>21
アメリカ帰りの米田さんがネイティブ米人を招いて英語教室を開いた
その時冠詞のTheの発音が文頭が母音の単語の場合にはジ・アルフィーみたいに変化するのは英語が赤点だった漏れでも知ってるが
そのネイティブ講師はザ・アルフィーみたいな発音をして質問攻めにあったそうだ
(ソースは昔のCQ誌)
多分日本語講師が詩歌を「しか」と発音しちゃたものと同じだろうか?