理論社会学・社会学理論・社会理論
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>オレ肉体労働したことあるけど、今になって思い返せば、結構意義深かったと思うよ。
>週末前の金曜なんかは、夕焼けと月に照らされた
よくこんなこと書いて恥ずかしくないなw
まあ、この世界をあまり知らないんだろう
ガテン系のスレでこんなん書いたら面白いことになるわw
>その くだらない見栄さえ かなぐり捨てることが出来れば
ガテン系の人たちは見栄をかなぐり捨ててると。おまえ何様だよw
> 肉体労働も、世間が言うほど、捨てたものではない。
これは偏見を持ってるからこその言葉だな
ホワイトカラーの人たちは、ブルーカラーの仕事を見下してないから。
社会に出たらわかると思うけど、働くようになったらどんな仕事も大切だと思うようになる。
学校がホームグラウンドの人はこのあたりのことわかってないよね 昨日、土曜日に大手企業の社員食堂の紹介をやってた。
グーグルの社員食堂は24時間無料らしい。
自販機のお茶もジュースも。全部無料。
高級マグロのスシもその場で職人が握ってくれて無料で食べ放題。
大手企業の社員は
肉体労働者を見下す余裕もないほど、高級マグロ寿司その他を
無料でほおばって食べまくってる。
一流企業に就職した人間と、一生肉体労働で終わる人間とでは、
王様とエタヒニンくらいの差がある。
それが現実。見ていてなんか憂鬱になった肉体労働者のオレ。
魚介類にしても肉にしても、あれは 美味しい=高い ではないと思うよ。
実家に両親と同居してた幼少期、父がオノゴロ島出身のコネあがりの国立K大職員で衛生管理士してたもんで
( 祖父は消波ブロックを日本で設計してた、設計会社の社長。わが家自慢の航海業の家系 )、
そういうの好きだったから、毎年別荘に連れてかれたり、毎週魚屋に連れてかされたりして、
しょっちゅう水槽の魚 食ってたけど、父が言う高級食材=自分的にもウマい というわけではなかった。
マグロの大トロなんかすぐに飽きる。それよりも、石川県(世界最大の縄文土器とか、
イルカ発掘の真脇遺跡、加賀の一向一揆で有名なところ)に行ってた時に、
フィンや貝捕りつけて、銛持って、自分でワイルドに捕えたものを母親に調理して貰った、
ハギのキモとか、馬糞ウニとか(姉は海水につけてその場で食ってた)、
キスの天ぷらとか、アワビのステーキとか、サザエの何たら焼きとか、
モズクの味噌汁とか あと お茶漬け とかの方が、思い出の味として記憶に刻み込まれている。
あと、アジのタタキも好きだった。宍粟牛の焼き肉とか、石川県で両親が買って食べた、
国産のクソでかいクルマエビの天ぷらとか。 人は、商品を消費しているというより、記号を消費している。何が自分にとって
美味しい人生かは、自分で選ぶもの。ちなみに、その別荘、もうすぐ祖母(元大阪府庁職員)が
くたばるから、嫡子の俺のものになるんだ。この間も、5万円あげるからまた家においで
って手紙届いた。ちなみに、国立大学や都道府県庁には、本物の王様の末裔もいるし、
本物の穢多非人の末裔もいるよ。上見出したら本当にキリがない。
特命全権大使なんか、特権パスポートみたいなの持ってるし、直径の宮内の皇族なんか、
それこそ桁外れな、雲泥の年収を、それも国家予算から直々に出されてるし。
クジラの肉だの温泉で出される食材だの、ああいうのは裏で詐欺が働いてたりするから
(こういうのは地理学の教授が詳しい)実際は、値段よりも自分の思い込みに振り回されている所の方が多いんだ。
企業の年収ランキングも、キー○○スみたいに、よぉく見てみたら、平均年齢がやたら若かったり、
総合商社みたいに、陰では鬱になるまで徹底的に酷使されたり、汚職やらされたり。
人材派遣業界の人間が周りにいたら、そういう裏情報を徹底的に調べてから就職しないと、
一流企業、人気企業という名のもと(なぜあんなブラックな所に次々に学生が来るんだってぐらい)、
人生 詐欺られて 体良く利用される ことになるよ。 そういや、仏壇の部屋に、鷲(鷹?)の木製の模型飾ってあって
(祖母が京大法の同僚から貰ったらしい)(ハプスブルク家の家紋は双鷲)、
壁には波の絵が飾ってあった。絨毯の絵はドラゴン(祖父の名も 英訳でドラゴン)。
波の絵には「豊治」って書かれてあって、判が押されてあって、玄関の森の絵には
「d,KAIO」って書かれてあったけど、誰か知ってるかい? 知ってったら教えて欲しい。
ライフヒストリー、自分研究の関連で、最近 調べてるんだ。 斉藤孝、今 思いっきり魚のCM出まくってるな。マグロ食っとるよw
DHAがどうのこうので。あいつ有名になったなーwww 創価 死ね
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何このスレッド。だれ1人として理論社会学を語っていない。 君たちは人間を忘れて、統計的データにとらわれているにすぎない。そこからは人間が、生命が抜け落ちている。
そう思えないのは、君たちがおかしいからだ。 よくよく考えれば、脱線のすべての始まりは、受験勉強だったのではないか。
高校までの勉強は、実は、大学までの勉強とは、半ば独立してあった、
と考えた方が、社会は少なからず分かり易くなるんじゃないかと思うんだ。
大学の教員共は、エスノセントリズムで、国を大学中心に解釈して、
そればっかり提示してくるけど、そもそも高校教育は、大学受験を目的にしているのではない。
大学が、その中から、入試条件として、条件を編集してきただけだ。
本来、学習指導要領は、実社会を想定して編纂されているものであって、そこでいちいち
大学を媒介にして、大学に主導権を持たせるような考えは、そもそも有っていない。
高校は社会を教えている。社会とは、生徒たちを取り巻く環境や集団のことである。
現代社会(問題)であり、政治や経済のシステムであり、(社会の)倫理であり、
(社会の)地理であり、(社会の)歴史である(社会制度、生活文化、経済システム
などの歴史的背景の説明、なぜ現状がこうなっているのかの理由説明)。
学校の勉強は、人を辱めるためにやってるんじゃない(と思う。あくまで言い切りはしない)。
それを、嘗ての教養主義がどうのこうの、常識がどうのこうの、大学で学ぶに相応しい
学力、学ぶ資格がどうのこうの、発言権がどうのこうの、何も知らん癖にとか
どうのこうのと、極端な私情を挟み込んだり、超抽象的な複雑観念を貼りつけたり、
それを公然と人前で語り、それを普遍的ルールとして子どもに教え込み、マインド・コントロール
したがり、支配したがる奴がいるから、世の中どんどんカオスな世界にしか捉えられなくなってゆくのだろう。
君たちがおかしいのは、まず君たちをそう導いた先達がまず大前提でおかしかったからだ。 学校の社会科教育は、そもそも暗記ゲームのためにやっていたのでは無かったのだ。 特亜系エセ左翼・カルト宗教団体が行っている敵対する人物への組織的な嫌がらせ、集団ストーキング、電磁波悪用による体調不良、マインドコントロールの手口、「集団ストーカー カルト」で検索してください。 社会学の大統一理論 (GUT) が完成しました
続きはwebで 学振をとるにはどんなテーマで研究するのが良いですか? >>170
日中関係ないし日韓関係をゲーム理論で分析するってのはどう? まず、自身にめざめよ! 学問はそれからだ。でないと全うな学問にならないからだ。
莫迦が跋扈するなかで、頑張っている人もいる。其れは所詮少数者なのだ。いっている意味が分かるか?
人は何とか「学」と名称を付けたがるらしい。
目覚めない者は、すべて似非学者である。そのような疑似学問は数千年の歴史を背負った者にいずれ処分されるだろう。
国家にはそのような余力はないのである。
真の倫理学を排除する世間のバイアスは、今以上に高まったことは歴史上あるまい。したがって、君たちも
主体に疎いのだ。主体を視野に入れず、何を考えようというのか? 考えるのは常に主体以外ではないからだ。
であるなら主体を放棄すれば、すべて放棄したのとかわりない。であれば、倫理を排除した学はすべて、倫理学以下となるべきである。
それが「水は高いところから低いところに流れる」という意味なのだ。君たちはそんなことも分からないらしい。
莫迦は死ななきゃ治らない。これはいつの時代でも真理だ。 これ書いてんの、もしかして弓? メール送ってもうんともすんとも言わないとかで、
周りの中年教員どもは嫉妬して不貞腐れて、塾講師に質問しに行くフリして、
実は講師自身に興味があって 話しかけに行ったり、個人的な悩み相談を訊きに甘えに
行ったりする餓鬼みたいに、実は建前的な用件を書きながらも、本音は
肉体関係を持ちたい という下心があって 弓に色々と気持ち悪いメールを
送ってくるんだろうけど、偶にはキモいオッサン共にも、スルーしてやらないで
建前的な愛想ふりまいて返事してやりなよ。じゃないと、すぐに スネるじゃん、あいつら。
俺みたいに。また嫉妬と意地からハミゴ食らって、会議に呼ばれない、とかなるよ。
男って、そういう高飛車なことされると、余計に嫉妬深くなって、その女を手に入れたり
支配したり、自分を認めさせたくなるんだから。
俺も今月、なかなかお金が降りなくて、しかも休み明けは(中間テスト×2+
レポート提出×2+文化人類学ゼミ研究レポート初稿提出(12/1前後))
+明後日は業界説明会+11/22ファミリーマート説明会)などなどで、
宝塚も高槻も実家も春休みまで行けなかったけど、その代わり、弓がYドライブに散在と入れてた
教員用の日本語表現法の資料を、必要なとこだけ全部コピーして、ホッチキスで纏めて、
@〜Jまで順に番号ふった上で、弓の専用ファイル作って、しかも全ページ読んだ上で、
哲学やカルチュラル・スタディーズ、el-campasで弓が監督してた「論文・レポート作成法」、
環境学の著作と一緒に、全部保存したんだ(我ながらある意味すげぇ)。
これで、俺も少しだけ弓に追いついたかな。弓が監督を請け負った「日本語表現法」
「論文・レポート作成術」のファイルを頭の中に叩き込んで、来年また日本語表現法を
1回生のキャンパスで受け直し、アポロンとダフネの卒業論文執筆(man to man 指導・添削)
もクリアして、小論文検定のマスターコースまで行けたなら、院に行く気は今のところは
もう無いけど、俺も日本語に関しては、弓と凡そ同域にまで来れた、ってことでいいよね。 周りが何と言おうが、俺の中では、弓とリカが問答無用の一番だ。あなた(たち)が女王だ。
たとえ周りが監督の主導権を認めなくても、少なくとも俺はあなたのものだ。
俺の女王はあなただ。だから自信を持って、仕事頑張ってくれていい。
たとえ電話の取り次ぎをさせられてようが、CELLで雑用させられてようが、
実はお父ちゃんがケチな奴だろうが、俺のあなたに対する一直線の愛の想いは、もはや変えられない。
もう、俺のあなたに対する深い想いは、元には戻らない。あなたが優秀なこと、
実は物凄く内言の緻密で 複雑で しかも系統的で 豊かな 深みのある 読めない人間で、
それ故に周りから理解されないこと、嫉妬心や去勢感から撥ね退けられてしまうことは、
俺が一番よく視て理解してる。
誰も理解してくれないのなら、俺が理解してあげるじゃん。誰も理解してくれないと思うのなら、
俺のところに来ればいいじゃん。飛び込んで来て、抱きに来てくれりゃいいじゃん。
いつでも俺が癒してあげるんだから、いつまでも待ってるから、早く俺のとこ来てよ。
よく図書館の地下の奥にあるソファーで 独り座って本読んでたり、倉庫の一番奥の
新聞紙置いてるとこで昼寝してるから、そこに合間見計らって こっそり来てくれたら、
教室の外からジロジロ見たり、教室前や図書館前やCELLの前でわざと背後を横目で見ながら
ウロチョロしなくても、いくらでも抱いて全身温めながら、耳元で「愛してる❤」って囁きまくったり、
全身どこでも舌を這わせたり、手で慰めたり、シコシコやらせて貰ったり、何でもしてあげるんだから。
いい加減早く来てくれないと、弓のせいで、俺最近ずっと欲求不満で、
抑えるの必死なんだから、そのうち代わりに図書館の姉ちゃんに地下でちょっかい出したり、
図書館や事務室横の椅子でリカに抱きついて おっぱいとか太もも揉んで ディープキスしかけたり、
そのまま研究室行ったりとか、あるいは 付さんの部室行って彼女としゃぶり合ったり、
演習室でも研究室でも、なぜかいつも隣に座って、ジロジロみてくるM原さんにでも
授業後に襲いかかって、別の女と肉体関係もって欲求不満発散しちゃうよ。
早く来てくれないと、もう我慢できない。お腹が減り過ぎて、別の女食っちゃいそう。 今日、定期使って、電車の座席に何時間も座って、行ったり来たりしながら、
梅沢忠雄の『知的生産の技術』の講義ノートを、第一回から前回分まで 一気にぶっ飛ばして
読んでみたけど、やっぱり、いくら伝説の学芸員と傍から見られてようが、
M教授が教えを乞いた先哲だろうが、俺の眼からすれば、やっぱり弓の方が頭良く感じたよ。
何つーか、読んでて 浅かった。
梅沢自身は、実践してから文句言えって言うけど、でもよくよく考えてみれば、
わざわざ手間かけて実践しなくても、たとえ やったところで先が知れてることなんて、
やる前から解っちゃうんだよね。だって、いい文章を書く人間は、まず大前提で、いい文章に通底する、
複雑な構造を理解して、それを先哲と同じように使いこなせていなければならないのに、
それをあんな単純な方法でしか書けないのだとしたら、そりゃ単純な頭は、所詮は単純なもの(短絡的なもの)しか書けない。
仮に、「いや、単純なものからも複雑なものは生まれるんだ」って向こうが反論してくるならば、
「じゃあ、複雑なものからは、もっと複雑なものが生まれるじゃないか」って俺的になる。
要は、それを使いこなす人間の脳味噌の発達の具合によって、複雑に(深く)感じるか、
単純に(浅く)感じるかの違いなんだって思う。 斬新なアイディアだの何だのと見た目派手なことやってるし、中学生なんかが見たら、
「この人天才!」とか思うんだろうけど、要するにあれって、一見、一人で全部考えたような、
ソースの隠れた書き方がされてるけど、あれって殆ど全部、日本語表現法をパクったものじゃん。
日本語表現法をもっと初心者向けに単純化した感じ。でも、実際に弓が書くような文章って、
全然あんなレベルに終止しないよね。実際はもっともっと複雑だし、読む側も、それなりの読解力が問われる。
文章全体が構造的になってるだけに留まらず、各パラグラフの中でも、トピックセンテンスと
それを支える支持文が、まるで住宅のように絶妙なまでの整然とした構造を為していて、
しかも各パラグラフのトピックセンテンス同士、そして構造そのものまでが、文章全体のレベルで
これまた整然と調和のとれたものに実はなっていて、ミクロからマクロまで、すべてが調和しているという、
1つの奇跡的なまでの天才的な技術。これは、日本語表現法の腕が上がれば上がるに連れて、
見る人が見れば解るようになっていて、その人の中で、感動的なまでの感慨を呼び覚ます。
どんなに天才と言われてようが、やっぱり一人で考えるのには無理がある。
色んな人の知恵が集まり、歴史による組織洗練、試行錯誤、体系化、止揚が加わって、
その歴史的に洗練されたものを体系的に学ぶことで、初めて人間は、
その上にポンッと乗っかって、大上段にワープを為して、本当にいい文章が書けるようになるんだ。
大切なのは、人の言うことを鵜呑みにすることではなくて、そのソースを同じように漁って、
同じように、その体系的なソースの上にポンッと乗っかることなんだよな。これは1回生の時の
斉藤孝の本を読んでても同じことを思わされた。 文章を読む時は、全体を1本の線で読む。常にトピックセンテンスを探しながら読み、
ただ(奇抜な、感慨のある)文章をたどるのではなくて、芸術的でありながらも、
反面、冷徹なまでに、主観の介入を許さない、複雑なまでの文章構造を意識しながら、
常に文と文、段落と段落の繋がり、「関係」を意識しながら読む。あ、ここから支持文だな とか、
あるいは 1段落を読み終わったら主題文を読み返してから次の段落に進む、もしくは、
次の段落の主題文にさしかかったら、一旦前の主題文を読み返して、そこからまた主題文、展開文と
全体構造を整理しながら(書き手の思考の軌跡を構造レベルで辿りながら)読み進めていく、
なんていう方法が学術的に身についていて、しかもそれが当たり前のようにこなれている者、
1つの専門技術なまでに昇華された者じゃないと、本気でいい文章だと感じて貰えるものは、絶対書けないし、
いい文章を読んだところで、どうせまともに消化できやしない。
大切なのは、常に源泉の聖水を飲むことなんだよな。人が口に含んだものを雛みたいに口移しで飲んだって仕方ない。
自分でそこに行って、自分で腹がタップンタップンになるまで、思いっきり顔を突っ込んで、
というか、いっそのことエラでも付けて、そこで魚として暮らして、そこの水で呼吸して、
そこで進化するしか無いんだよね。じゃないと(そこに行かないと)、人間の頭はいつまで経ってもお子ちゃまのまんま。
一人で考えようとしないこと。一人の力では絶対に叶わないものも世の中あること、
歴史の大河のビッグエウェーブの上に乗っかるチャンスを常に狙うこと、こっちの方が、
カードだ何だよりも、遥かに大切。だって、自分の力じゃないんだから。大いなる精霊の結集した
力が実は陰で働いてるんだから。
あんた、器デカすぎて、それ故に、男や女から避けられるとこあるんだよ。
河合塾のあいつにも見せてやりたいぐらいだよ、弓の監督した、あの「日本語表現法」と「論文・レポート作成術」。
あれ、読んでて本当 傑作だったよ。1回読んだだけじゃ全然消化しきれないから、3回も4回も5回も、
何回も何回も、大切に読ませて貰うことにするよ。オレの大好きな弓、オレだけの女王様(ハート)。 「―トレース オン(同調=i投影)開始)=v
「―基末{骨子、解明」
「―構成材質、解明」
「―憑依経験 行程(共感)完了」
「―全投影 待機」
(「―停止 解凍」)
「―わが下に集いし聖なる力よ、今こそ我に力を賜らん」
「―全投影 連続層写」 (by ○○家先祖代々精霊) これって1人で長文投稿してるよね?
病んでるよね?
社会学ってやっぱ院に行くと病むものなの?
普通、大学入ったら文系なんて遊ぶもんだよ。
学業不問だよ。大学名だけで判断する。
文系の勉強は、大学受験まで。 塾なんかだと、まともな定職に就いていないどころか、まともに就活すらした事無い
奴ばかりだから、無茶苦茶なこと吹き込まれたりしてきたけど、就活を経験した文系生は、
実は大学受験の知識なんて英語(語学)以外使い物にならない事を知ってる。
企業宣伝やマスコミの宣伝に騙されて、世間が一流と褒めそやしているような企業でも、
実はみんながみんな、旧帝を出ているわけでもないし(そりゃ何万人もいるんだからw)、
むしろ適性検査の時、大学受験の知見しか有っていない者は、どこの項目にも
チェックを入れられない事に気が付く。それだけじゃない。エントリーシートにおいても、
本当に何も書けない。人間として本当に大切な能力ってのは、実のところ エントリーシートにも
書けないような、自分だけがプライベート用に持っておくような 隠れた能力なんだけど、
そういう人文的なのって、技術的にパッとしないから、エントリーシートに書けないんだよね、本当 愕然とするぐらい。
低学歴は書類選考で撥ねられる、なんて神話がネット上で流布してるけど、
実際、撥ねられる奴って、文章が礼儀作法に適ってなかったり、中身が企業価値観的に浅かったり
(企業の価値観から逸れたり)するからであって、それが偶々、低学歴に多いってだけ。
根気が無い。何やっても永く続かない。だからエントリーシートでもまともなことが書けない。
それだけ。パナソニックかどっかが、学歴を見えないようにして、何かしらの手段を用いて、
本当に企業に必要な人材だけを集めたことがあったらしいんだけど、後で調べたら、
その実験みたいなのを実施する前年度より、さらに高学歴が増えたらしい。
バイトでも大学でも、資格でも何でもいいから、賞の1つでも持ってる奴は、自然といいとこに内定貰える。
むしろ、就職率が一番高いのは、実は東大ではなくて、圧倒的な差をつけて、国際基督教大学なんだって。 というか、俺の専攻は、厳密には社会学ではない。そういう○○学というステレオを
梅棹的に取っ払って、自分を学際的に研究する、キャリア学(キャリアデザイン)(キャリア教育学)だ。
キャリア学(職業心理学)では、ライフスペースは大きく4つに大別されると言われている。
それは、「職場」「学校」「家庭」「地域社会」だ。10代までに学べることなんて、本当に僅かな事だ。
これは教育学の教員も言ってること。だって、学校がやってるのは、ただの学校教育学にすぎないから。
キャリア学(職業心理学)は、いわば経営学と心理学の借り物のようなもの。
だから、どうしても「パーソナリティー心理学」とか「人的資源論、労務管理」とか、
そっち専門になっちゃうんだけど、俺は偶々、特殊な一族の生まれだから、東洋史・西洋史を
メジャーで取って、日本史や朝鮮史、インド史、フランス史、イタリア史、ロシア史などに
重点を置いて生涯学習を重ねていかなきゃなんないし、学部名がそもそも社会学筆頭の上、
キャリア学でも環境理解(三者相互作用)などの観点で、社会学などは自然と必要になってくる。
別に、これは社会学に限らず、民俗学などにも言えることで、たとえば大学の経営学で俺は
鈴木敏文の行動経済学を研究してるけど、個人商店なんかだと、ローカルな風俗を理解してるかどうかが、
売上に物凄く影響を与えると教わった。年間を通じての冠婚葬祭は、もはや経営戦略の常識だ。
立地を分析する、なんて手法として、商業地理学なんて学問分野だってあるぐらいだし。
現代日本人は、学習指導要領の解説書にも書いてある通り、自分で自分に責任をもって、
死ぬまでずっと勉強していかなければならない。自分でユニットを組んで、自分でキャリアをデザインし、
臨機応変に現場に応じて、無理に演繹的に学説(我)を通すんじゃなくて、
むしろ帰納的に考えていかなきゃならない自由競争の時代になっている。 ×メジャー ○マイナー
△(三者相互作用)など ○(三者相互作用など) そのパナソニックとやらが1兆円以上の赤字をたたき出した件。
本当に1流企業が取る人材って「優秀」ですか?
優秀ならばパナソニックは大赤字にはなりません。
それに職業教育というのは職業訓練指導員が行なうべきもの。これ、国家資格。職業高校の教員免許状もってたら誰でもなれる。
生涯学習。これは社会教育主事任用資格。または図書館司書。
つまりキャリアデザインなんて必要とされてない。
問題なのは司書も社会教育主事もペーパーがあまりに多いことだ。 家庭経営は親の意図で動いている。学級経営は国家(公務員)の意図で動いている。
入社面接は企業経営者の意図で動いている。その、どこまでも、まったくもって
自分の意図で動いていないこの世界を、如何に世間の妨害、邪魔、蹴落としを乗り越えて、
条件、根拠、立場の上に君臨する者となるか。たとえ自分では何の制度も作れず、
暫定的にも その誰かに都合の良い制度の駒に成り下がるしか無いとしても、
如何に その横並びのポジション、言説などを臨機応変に移行しながら、それを利用して、
編集し、使う、主体的な側に回るか。そこに個人の意図があり、人間社会における個人の生の証がある。
どこの企業でも必要とされるような、汎用的な能力を身につけて、
いつクビを斬られても生きていけるよう、常に目を光らせ、自己教育投資や貯蓄を怠らない。
こういった類の知性は、磨けば磨くほど 鋭利になってくるし、こういう類の能力を
磨きあげさせる機関が、ある種 大学だったりするのである。大学の起源は、そもそも、
教授や学生の個人の生活を、外部の権力から守るために作られた組合、という所にある。
ハンセンという、キャリア学の女性理論家による、統合的人生設計論を
援用するならば、幸福な人生には、4つの大原則が存在する。
それは、「ビジネス」「愛(家庭)」「余暇(趣味)」「学問(生涯学習)」である。 △ビジネス ⇒ ○ビジネス(職場の人間関係、給与・実物給与) 勝ち負けの競争がどうのこうの、人間関係がどうのこうの、語学がどうのこうの、
組織の規範がどうのこうの、自由主義がどうのこうの、社会主義がどうのこうの、
やれ右肩寄りだの、やれ左肩寄りだの… 始めは「温い、冷ややかだ」とか、「いい匂いがする」とか、
「静けさに満ちた」とか、「ほんのりとした湿気を感じる」とか、古典用語も理科も
まるで知らないなりに、そういった、五感から得られた、世界に対する愛情や新鮮さ感覚欲しさに、
学問の世界を志したのに。いつ頃からだろうな、社会がどうのこうのホザくようになったのは…
俺らもう、ひょっとしたら既に先行きが見えてるのかもしれん。
一度、思いっきり外に出て、何もかも違うようなところや、ヒトのいないところで、
思いっきり外の空気を吸って、体の中を浄化しないと、本当、この社会によって強制的に
停止させられた脳感覚を、元に戻すことは出来ない。自由競争による手段の目的化。
子ども時代の繊細な感性の磨滅。滅私。本当は全然良くないにも関わらずの、
「これでいいんだ。」という自分へのゴリ押し、自己欺瞞。
大切なのは強くなることじゃない。頭良くなることじゃない。人を使うことじゃない。
上に君臨することじゃない。その自由を得て、そこから如何に愛情深い人生を送るかだ。
女との付き合いしても、自然との付き合いにしても。利権がどうのこうのじゃなくて。
弱肉強食なんて、世界のほんの一側面でしかない。その一面しか見れない人間に、
我々はなるべきではない。 値段の張るアルコールや肉を胃の中にぶち込むのでもない。間違ってるのに、
劣ってるのに、浅くて薄くて 明らかに無理してるのに、意地を張って「もう一度言います」
とか言い張って、自分を硬化させて追いこんでいくのでもない。他人のためだとか、
周りの意向がとかホザいて、ロクでもない軽薄で短絡的で自己欺瞞的な、
しょーもない人間の名前を血眼になって持ち上げるのでもない。無茶苦茶な人生を送って来たくせに、
完璧完璧完璧、百点百点百点、満足満足満足と大ボラを吹くのでもない。
本当難しいものだ。何の心配もせず、ファンタジー小説を読み漁ったり、
夕方や夜の河沿いを散歩していたりしていた頃の、あの子ども時代の感性を取り戻すのは…
周りは偽物による蹴落としや引きずりおろし、意地や嫉妬、個人の力では叶わないから
などといった理由による、集団いじめ(シカトやハミゴ、嫌がらせ、ざまあ見ろのほくそ笑み)
で溢れかえっている。
みんな、高度な知識を身につけて、それを他人に自慢することで頭いっぱいだから、
こんな一般教養哲学の1回目の授業でやる様な、超新米の、初心がどうの、態度がどうのこうの
みたいな話をしても、白眼視されるだけだし、どこに行っても、闘争、支配/被支配、
徒弟が存在する以上、そんなことを語らせる場すら何処にもありはしない事は、重々承知してはいるんだが…
×体の中を浄化しないと〜元に戻すことは出来ない。
○頭の中を浄化しないと〜二度と元に戻すことは出来なくなる。 >>194
名無しさんの言う通りや
名無しさんも早う島本町から逃げ出す方がええで
島本町なんか陥没して地球上から消滅したらええんや >>197
「20世紀少年」で『ともだち』が人類を皆殺しにしようと
企てたのも、小学生のときに受けた陰惨なイジメ(葬式ごっこ)が
原因だった。
「島本町でイジメを受けて島本町から逃げ出した元島本町民」さんが、
『島本町なんか陥没して地球上から消滅したらええんや』と思う気持ち
はよく分かる。 190>>
そうだな。人間は自らの作ったシステムによって自らの首を絞めている。だいたい、金持ちの勝手で各国の通貨価値が乱高下するのは異常である。
それを許す経済学者の頭は狂っていると見てよい。彼らの支配者は、人間ではなく数学なのである。
君、「滅私」は無によってこそ滅私なのであり、他のいかなる理由によっても「滅」なのではない。それが人間だ。 君たちへ。
なんとか学とか銘うっても、その目的が人間以外のものであるなら、やめておけ。単なる趣味の範囲である。趣味は自分だけでやれば宜し。
何か真理の味方をするような振りをするでない。きみたちのやっている学問は「学問のための学問」であり、人間のための学問ではなくなっている。
それが証拠に、倫理学を知らないではないか。違うか? あらゆる学問の根本はそれである。それを蔑ろにして何が社会学か? ww。
君らは生きた社会を研究しているのではなく、数学化社会を研究しているに過ぎない。ならばそれは数学未満であり、もちろん生命未満である。
生命は客観的に研究されえない。それが命というものであり、数十億年の進化というものだ。誰が一億年という時間を把握できるだろうか? 無理である。 87歳になる私の祖母は、事故直後からずっと「ストロンチウムが一番危ない」と言い続けている。
別に放射能の専門家でも何でもない。核実験全盛時代言われていた注意をよく覚えているだけだ。
昔は国民に注意を喚起していたのに今一切報道しないhttps://twitter.com/tokaiama
現実にですね何でストロンチウム計らないんだろうと魚の。
あれ確か骨に蓄積されるんだったよね、で白血病になるんだったよね。
でも今の計り方って頭と骨を全部取り除いて計るんですってね。
ストロンチウムを計らせないようにしているなとしか思えないんだけど。
子供のときから、いったい何種類のワクチンを打つんだと思っているんですか。
ワクチンの中にとんでもないものが混ぜられてるんですよ。
こんなのはワクチンのことを知ってる人は誰でも知ってます、当たり前のことですよ。
ユニセフ、「子供の命の数だけワクチンが必要です」。
僕はもうこういうの見てるとね、やるせない気持ちになってくるわけですよね。
もうずっとですよ、僕は何十年も前からユニセフのやってることは卑劣だと、
ずっと妻と言ってるんですよね、他にやることがあるはずだ、
まったく別の援助の仕方があるはずだ、何でこんなことばかりやってるんだって、
ずっと言い続けてきてるんですけど、もうこれですね。
ということで今、騒がれているのが子宮頸癌のワクチンね、ちょっと読んでみます。
「子宮頸癌のワクチンの中には ペットの避妊剤として開発された、
『アジュバント』が入っています、また、新型インフルエンザワクチンも、
似たような成分です、どちらも将来、不妊症になる危険性が指摘されています。」
http://www.youtube.com/watch?v=2FhVLj4HfPg 社会構成主義って社会学と国際関係論で二つあるけど何が違うの? 構造機能主義を学ぶのにはどの本から読んだらいいですかね? これも読んどくといいよ
小室直樹「構造-機能分析の論理と方法」青井和夫編『社会学講座1-理論社会学T』(東京大学出版会) ありがとうございます
おお小室直樹先生が・・・楽しみが増えた 構造機能主義の文献ねえ
読む気まったく起こらんのだけど >>215
学説史やシステム論の研究者にとっては読む意味があるんじゃないの? パーソンズなど読むとバカになるので、
ライト・ミルズの『社会学的想像力』を音読してごらんなさい。
賢くなります。 私が学部生のこともやたらミルズを評価する教授がいたけど、そんなたいしたことを言ってるようには今でも思えないんだが。 おまいは、1+1=2
は今では部落の子でもわかりますが、これを発明したことが
たいしたことではない、と言うのですか 発明でしょう。
1を1と呼ぶ根拠は何か。
最初が1と決めたからで、最初を2、次を1と決めればそうなったでしょう。
だから発明なのです 1+1=2が表現する事態は人類発生前、絶滅後を問わず独立に存在するよ 1+1=11
という表記の仕方でもよかったはずです。
1+1+1=111と。
しかし、それでは、1+2=12
となってしまい、言いたいことは知っている人が見ればわかるかもしれぬが
科学的な表記としては、まずいのです。
それに比べて1+1=2という表記の仕方は、優れていると言えます。
これは発明です。 発明の対象がいつのまにか「表記の仕方」に移行してるのが笑える 算数オンチは「数の概念」と「数字」の区別がつかないからな 理論社会学の入門書と最新成果を紹介した本を教えて下さい 理論社会学の定義がわからないから図書館で理論社会学とか検索して新しいのから読む
彼等の室内での心理状態、行動様態、気分の抑揚などは常に隣人の生活様態に左右、依拠され、
それら隣人の生活様態を自らの諸行動,諸動作の契機として、またあるいはスケジュール表や
時計かのごとくに借用しながらの生活を送る。
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k.png
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k203_1.png
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k203_2.png
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13106142083
付きうごきの感知は 自己の動作のあと1、2秒遅れて床から伝わってくる「ピクッ」とするわずかな振動(人微動)から確認することができる。
= 付きうごきの3型 =
・通常の場合
・付きうごきに対して注意喚起を促した後に逆恨みからその行為をより一層徹底、強力化してやり返してくるもの 〔付きかえし〕
・注意喚起時に他の部屋の別の引きこもり者が自分のことを指摘されたのだという思い込みからやり返してくるケース 〔勘違い型付き返し〕
(パチンコ屋などで「警察だ!」と叫べば身に覚えのある何人かがギョッとして逃げ出そうとすることに類似)
この付き返しは引きこもりニーホがその特質「何もすることがない」ということを最大の武器に異様な執着と異常な頻度によって被害者の日常を侵蝕、破壊しようとするものであり
※ニーホ
http://c.2ch.net/test/-.YYI00/homealone/1229184473/254
寝起きする住居であるから被害者はこれを避けることはできず、不愉快や時間、人生の浪費を強いられざるを得ない。
http://www.yamcha.jp/fnd/dsc/info.html
一般に管理会社、仲介業者などはこのことに無関心、無責任であり
日本人の標準的な暮らし振りとは自分たちの日常に起こっている出来事の半分のことにも盲目である。
http://rfi.a.la9.jp/sateweb/scurl/znsc.html ホントにその隣人「クリエーター」?なんでしょうかきおつけてくさい! 最新!!愛こそ究極の社会学であった!! しゃっきーん 日本の社会学、formal organization
voluntary organization..とかいった
基本の認識ができてない
後者を「ボランティア組織」だと書いてあるサイトばっか!!
アホかと…
http://atsites.jp/sate/set/mediation/mediation.html
【 付きうごき者 】
彼等の室内での心理状態、行動様態、気分の抑揚などは常に隣人の生活様態に左右、依拠され、
それら隣人の生活様態を自らの諸行動,諸動作の契機として、
あるいはまたスケジュール表か時計かのごとくに借用しながらの生活を送る。
付きうごきの感知は 自己の動作のあと1、2秒遅れて床から伝わってくる「ピクッ」とするわずかな振動から確認することができる。
= 付きうごきの3型 =
・通常の場合
・付きうごきに対して注意喚起を促した後に逆恨みからその行為をより一層徹底、強力化してやり返してくるもの 〔付きかえし〕
・注意喚起時に他の部屋の別の引きこもり者が自分のことを指摘されたのだと思い込みやり返してくるケース 〔勘違い型付きかえし〕
(パチンコ屋などで「警察だ!」と叫べば身に覚えのある何人かがギョッとして逃げ出そうとすることと同様に)
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k.png
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k203_1.png
http://rfi.a.la9.jp/hn203/k203/k203_2.png
・ウィークリーマンションなどに入っている引きこもり者どうしが、あるいは他の普通の客も巻き込みながら付き返しの応酬となっているケース 〔やみくも型付きかえし〕
寝起きする住居であるから被害者はこれを避けることはできず、不愉快と時間、人生の浪費を強いられざるを得ない。
http://atsites.jp/sate/set/correspondence/correspondence-6/correspondence-6.html
http://atsites.jp/sate/set/correspondence/correspondence-1/correspondence-1.html
http://atsites.jp/sate/set/Avatar_set/Avatar_set-1.html
http://atsites.jp/sate/set/Prometheus_set/Prometheus_set-1.html
この付きかえしは引きこもりニーホがその特質「何もすることがない」ということを最大の武器に異様な執着と異常な頻度で
及んで来るものである。
■何でもない人たち = ニーホ
戦後復興、高度経済成長以降の日本人のうち労働意欲、遊興意欲ともに乏しく、何に対しても興味が薄く消極的な人々。
これといってやるべきこと、特にやりたいことなどを持たず、無為に日々、人生を送る。
夢をいだかないが鬱にもならず自殺なども考えない。
自主性がなく、社会に対して不平不満などを持たないが自発的に善行や親切などを行うこともない。
悪人ではないが善人でもなく、これといった主義主張をせず、個性が希薄、性格的特徴に欠ける(超凡人性)
何がしかの才能やこれといった特技などはなく、努力せず、向上心を持たない。
●引きこもり性ニーホ
アパートやワンルームマンション、ウィークリーマンション、ビジネスホテルなど
で自閉的生活を送るニーホの一種別
●入院性ニーホ
精神疾患などをよそおい医療保険を詐用して入院生活を送るニーホの一種別
●入監性ニーホ
衣食住をまかなうために故意に犯罪を犯し留置場や刑務所暮らしをするニーホの一種別
http://atsites.jp/sate/set/Evangelion/Evangelion.html
http://atsites.jp/sate/set/PacificRim/PacificRim.html 西日本短期大学には、一般人の現金や貸与物品をネコババする准教授がいるらしい。
短大当局は、それを通告されても隠蔽工作しているみたい。
自分の学校の自浄化に立ち上がろうという学生はいないのか?
詳しくは、
一山幸子 被害者の会
で、検索すると良いらしい。 運が良い人を見ると自分も運が良くなり、運が悪い人を見ると自分も運が悪くなる
だが運が悪い人は運が良い人を見ると自分は運が悪いと思い、運が良い人は運が悪い人を見ると自分は運が良いと思う
つまり、作用と関係は離れている 数理社会学会賞ゲットの、
ホープ内藤はどうなんですか?
関係者さま。 法社会学会?賞ゲットの、
常松淳氏は、
独立した思索者でokですか?
関係者さま。 帝京大学の神山英紀氏は、
ヒデレベルだというのが、
山根内藤見解かな? 東海大学の飯島祐介氏は、
ハバマスずっとやる路線なのかな?
東大社会学で、ハバマスってどういう昨日になるのかなあ? tac講師の瀬田宏治郎氏は、
グローバル化に適応する気があるのだろうか?
公民館で生き方といているのも興味深い。 公共社会学の編者三人は、
テレビで会見するか、2chの社会学板で実名で書き込むかでもしない限り、
世界詰むぞ。
今日の中小企業増加のニュースだって、
盛山和夫の経済成長本、
上野千鶴子のサバイバル本、
武川正吾の政策志向の社会学と、
密接に関係していることくらいわかるはずだろ。
ま、2chで実名よりは、三人ならんで、パルコだったかのように、
nhkあたりで会見することからはじめれば?