戦前、日本だった頃の台湾 [転載禁止]©2ch.net

1美麗島の名無桑2014/12/23(火) 22:47:58.78
祖母が生まれてから終戦まで台湾に住んでいました。
日本だった頃の台湾の様子を知りたいんだけど、
おまいらのおじいちゃんおばあちゃんで台湾にいた人いない?

666美麗島の名無桑2018/02/07(水) 21:09:24.86
おばあちゃんのおばあさんは養蚕学校を出ていて、工場を建てて鳥来の人々に養蚕を教えたんだって
台湾が日本に割譲されて間もない頃でその時は蛮人と言って怖がって行かなかったのを行ったらしい
鳥来の人々は年に二回くらい旅館にお歳暮的なものをくれて、
みんなで担いで持って来る
その時旅館の車夫の小屋に上がったらしく
それをあの旅館に泊まったって自慢してまわったとか
おばあちゃんたちのお下がりの洋服をあげて、夏に山へ行ったら鳥来の人々はみんなその洋服を着て出迎えてくれたんだって
夏なのにオーバー着てる人もいたとか
かわいいね
戦後おばあちゃんたちは石碑を建てたんだけど排日運動でどけられちゃったとか
今それを取り戻そうとしてるらしいけど石碑はどうなったんだろー

667美麗島の名無桑2018/02/07(水) 21:09:54.95
おばあちゃんのお父さんお母さんの馴れ初めのお話
台湾にいたお父さんはモテて、どうやら遊び出したらしいと誰かから聞いたおばあさんは故郷徳島に直行
女学校の宿舎にいたお母さんを見つけると
徳島で式を挙げそのまま船に乗せて台湾へ
どうやら攫ってきたらしい
女学校を途中で辞めてるから
おばあさんの勧めで台湾で一高女の試験を受けると合格
でもお嫁に来たのになんで学校行かなあかんねんと行かなかったんだって
私からするとひいおじいさんとひいおばあさん
ひいおじいさんは私が生まれる前に、ひいおばあさんは生まれてちょっとしてから亡くなったけど
写真やお話から立派で穏やかで仲睦まじい二人の人柄が伝わってくる

668美麗島の名無桑2018/02/07(水) 21:10:26.51
おばあちゃんの旦那さん私のおじいちゃんの家は台湾の楽天地という小さな市場で紅茶屋さんしていて、おじいちゃんのお兄さんがやっていた
おばあちゃんもお父さんに連れられて行ったことあるらしい
お父さんがそのお兄さんのことを立派だと言っていて
戦後、引きあげて田舎にいたくなかったおばあちゃんはそのお兄さんの弟ならとおじいちゃんと結婚した
おじいちゃんは早くに亡くなったからおじいちゃんの方のお話が聞けなくて残念

669美麗島の名無桑2018/02/09(金) 09:45:39.65
旧日本軍は祖父母の時計と指輪を盗りました

670美麗島の名無桑2018/02/11(日) 16:00:16.60
日本統治時代の名所がテーマの展示会、当時の官庁を使って開催/台湾

【観光】 2018/02/08 14:29

(台中 8日 中央社)日本統治時代、京都の鴨川になぞらえて「小京都」と呼ばれた中部・台中市の名所「緑川」をテーマにした展示会「川游不息−緑川展二○一八」が、1911年に建てられた旧台中市役所(同市西区)で開催されている。
クラシカルな雰囲気漂う建物内で、音楽家リン・チャン(林強)氏をはじめとする各分野のアーティスト12人が、聴覚、嗅覚など五感に訴える作品で緑川の歴史や郷土再生、環境意識などを伝える。

台中駅前を流れる緑川は本来は自然河川。1912年、当時の台湾総督、佐久間左馬太が視察に訪れた際、緑豊かな川景色を見てこの名を付けたと伝えられる。
しかし都市化が進むとともに生活排水が流れ込むようになり、一部がふたで覆われた。

台中市政府は2015年から、ふたの撤去や水の浄化、周辺の緑化などによる景観整備プロジェクトに着手。
昨年には周辺の景観をブランドとして商標登録し、ロゴマークを作成するなどして積極的に川の再生に取り組んできた。関連工事は今年の旧正月(2月16日)までに完成する予定で、新しさの中に往年の面影をとどめるスポットに生まれ変わる。

展示では、リン氏を中心とした音楽家たちが川の水の音、鳥の鳴き声などを収集して作ったメロディーが聞けるほか、フラワーアーティストが花を媒介にして伝える周辺の街のにおい、料理人が紹介する地元の味覚などを通して、緑川の今昔や魅力を感じ取ることができる。

展示会の開催は3月11日まで。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201802080004.aspx

671美麗島の名無桑2018/02/22(木) 17:59:36.23
明治時代建設の水力発電所「竹仔門電廠」修復へ 台湾初の産業遺産

【社会】 2018/02/19 18:43

(台北 19日 中央社)日本統治時代の1910(明治43)年に稼働し、1992年に内政部(内務省)から台湾初の「産業古跡」に指定された南部・高雄市美濃の水力発電所、竹仔門電廠が修復されることが分かった。
同発電所を所有する台湾電力が19日までに明らかにした。文化当局による計画審査を経て着工から約15カ月で完成する見通しだ。

竹仔門電廠は土建業者、古賀三千人の主導で整備された台湾南部初の水力発電所。
設備容量は1950キロワットで、高雄地区の工業の発展を後押しし、発電後の水は約4000ヘクタールに及ぶ美濃平野の農地を潤す。

発電所の敷地内には、日本統治時代から残るバロック様式の建屋や、約100年間も運転が続いたドイツ製の水車発電機4基、施設の建設中に殉職した日本人技術者の記念碑などがあり、事前申請で見学が可能となっている。

台湾電力では竹仔門電廠のほかにも、皇太子時代の昭和天皇の台湾行啓に合わせて1922年に建てられた迎賓施設「太子賓館」や、1898年に創建された「金瓜石神社」(ともに新北市瑞芳)の修復を計画している。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201802190004.aspx

672美麗島の名無桑2018/02/22(木) 18:03:23.41
日本時代創業の書店が紡ぐ歴史 「記録残したい」70歳店主の使命感/台湾

【社会】 2018/02/18 19:11

(台北 18日 中央社)「社会奉仕だと思って続けている。この土地の記録を残したい」――。
日本語書籍を販売する老舗書店「鴻儒堂」の店主、黄成業さん(70)は出版不況といわれる中、親子3代にわたって受け継いだ店を守り続けている。
日本語書籍の出版も手掛け、先月には白色テロの受難者、郭振純さんの伝記を日本語に訳した「意志で生きる命の溜まり」を世に送り出した。
黄さんは「生きている間は店を続けたい」と使命感に燃えている。

同店は日本統治時代の1936年に黄さんの祖父が創業。
当初は古書の専門店として南昌路に店を構えていたが、戦後は台北きっての書店街、重慶南路近辺に移り、「文藝春秋」など日本の有名誌や工業、漁業に関する日本語の専門書籍を取り扱った。
後に著名になった人も店を訪れたといい、李登輝元総統が合作金庫銀行に勤めていた頃、よく本を買いに来たと黄さんは振り返る。

黄さんは1981年に店を引き継ぐと、日本語書籍の出版社を立ち上げた。
戒厳令が敷かれた1949年生まれの黄さんは、国民党による不当逮捕や言論弾圧が行われた時代を経験しており、書籍の出版には一層力を注いだ。
過去には台湾の独立に尽力した黄昭堂氏や史明氏の著作の日本語版の出版を手掛けた。
これらの書籍は今でも店の目立つ場所に並べられている。

店は80年余りの間、場所を転々としながらも台北の街と共に歴史を歩んできた。
店舗面積は全盛期の半分以下
。黄さんの後を継ぐ者はもういない。「書店をやるには根性がいる」と話す黄さん。
1冊1冊売っていれば、買う人は必ずいると強い覚悟を見せた。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201802180004.aspx

673美麗島の名無桑2018/03/10(土) 11:15:12.48
日本統治時代に地方自治を目指した活動家の記念館、ゆかりの地に開館/台湾

【社会】 2018/03/09 13:36

日本統治時代の宿舎をリノベーションした中部・台中市内の観光名所の一角に8日、
地元の名士であり、地方自治の実現を目指した明治生まれの台湾人運動家、楊肇嘉氏(1892〜1976年)の記念館が開館した。
文物の展示などを通して、楊氏の生涯や地元との関わり、台湾への貢献などを紹介する。

楊氏は若い頃から地方自治について高い関心を寄せ、1930(昭和5)年に同市で成立した
政治団体「台湾地方自治聯盟」の常務理事として、当時の日本政府に、州・市などの協議会メンバーの民選や、協議会を議決機関とすることなどを訴えた。
戦後は台湾省政府委員などを務めて地方自治の推進に尽力し、晩年は中国医薬学院の董事長(会長)や総統府の国策顧問などの職に就いた。

記念館は、楊氏の母校である清水(旧名:牛罵頭)公学校(現・清水小)に1934(昭和9)年〜1940年代前半に建設され、後に台中市の歴史的建造物に指定された教職員宿舎群が使用された。
6棟ある宿舎は昨年3月に約3年がかりの修復工事が完了、うち4棟が清水小の多目的教室として使われている。

記念館となった2棟については、楊氏の娘で、金融大手・富邦グループの創業者、蔡万才氏の夫人、蔡楊湘薫氏や同グループなどが資料を提供し、関連設備を寄贈するなどして協力。
林佳龍台中市長は8日の除幕式で蔡楊氏に感謝状を手渡し、同館の保存とPRに努めることを約束した。

蔡楊氏は、120年以上の歴史を持つ清水小は父親と自分の共通の母校である上に、
父親が選んだ最初の職業が同校の教員だったと述べ、縁の深さを感慨深げに振り返るとともに、個人の歴史だけでなく、台湾の発展や過去も伝える同館が持つ多様な役割に期待を示した。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803090002.aspx

674美麗島の名無桑2018/03/10(土) 12:05:43.16
台湾・花蓮のリュウキュウマツを守ろう 日本の専門家、被害予防対策を助言

2018年3月6日 06:06

沖縄など日本や台湾、韓国で森に関する文化の継承や保全に取り組んでいる李春子・
神戸女子大学非常勤講師らの研究グループがこのほど、美しいリュウキュウマツで知られる花蓮市を訪れ、マツを枯死させるマツノザイセンチュウの被害予防などについて台湾側に助言した。

同市内には、リュウキュウマツの名所として、旧日本軍の関連施設をリノベーションした松園別館と、日本統治期の1921年に整備された浄水場を台湾の公営水道企業が引き継いで使用している台湾自来水公司第9区管理処がある。
いずれも高台にあり、松園別館は人気の行楽地。

台湾政府の行政院農業委員会林業試験所森林保護組の伝春旭(チュアンチュンシュ)氏によると、松園別館には現在も約30本のリュウキュウマツがあり、その樹齢の長さから「百年老松」と名付けられたものもある。
マツノザイセンチュウの被害を防ぐ薬剤は年1回、樹皮から注入している。

研究グループの4人は松園別館で伝氏と共にマツの状況を確認した。

樹木医の森陽一・福岡県樹木医会代表理事は、日本では別の薬剤を6年に1回、ガスで加圧して注入していることを紹介し
「その方が木にとってストレスが少ない。日本の専門家が台湾側に協力する、民間のボランティア的な取り組みからスタートさせてはどうか」とアドバイスした。

森氏によると、マツに薬剤を注入する場合、松やにによって薬剤が木の中で目詰まりを引き起こす恐れがあるため、日本ではガスで加圧する方法が普及している。

李氏は「日本と関わりのある場所でもあり、ぜひリュウキュウマツを残していってほしい。リュウキュウマツがあるから、人が集まってくるのだと思う」と話した。

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/218366

675美麗島の名無桑2018/03/10(土) 12:07:01.46
旧日本軍に祖父は翡翠を盗られました

676美麗島の名無桑2018/03/10(土) 22:42:35.07
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677美麗島の名無桑2018/03/11(日) 14:39:20.11
日本統治時代開業の「旧山線」、リアル謎解きゲームで魅力を満喫/台湾

【観光】 2018/03/08 18:53

北部・苗栗県三義で10日から、日本統治時代に開業し、100年以上の歴史を有する鉄道路線「旧山線」をテーマにした鉄道フェスティバルが催される。
ウイークエンドマーケットや鉄道文物の展示、音楽会などのイベントのほか、“リアル謎解きゲーム”も開催、ゲームを楽しみながら旧山線の魅力を存分に満喫することができる。

旧山線は三義(苗栗県)と后里(台中市)を結ぶ全長約15キロの区間。
1998年、新線の開通に伴い廃線となったが、2010年に観光鉄道として復活。
沿線には、標高約402メートルで、旧山線の最高地点にある勝興駅をはじめ、
1935年の新竹・台中地震で崩壊したれんが造りのアーチ橋「龍騰断橋」など見どころが多く、世界遺産の候補入りにも期待が寄せられている。

ゲームの参加者は、勝興駅と龍騰断橋に設けられたカウンターでゲームキットを受け取り、自身のスマートフォンを使って物語を進め、手掛かりを探しながら謎を解いていく。

同県の徐耀昌県長は6日に開かれたPR記者会見で、旧山線沿線の景観にゲームの要素を組み合わせることでより多くの若年層を引き付け、家族同伴で遊びに来てもらえればと期待を示した。
また、勝興駅から内社川橋までの約6キロ区間を結ぶ台湾初のレールバイクが今夏にも運行を開始すると予告、夏休みはレールバイクで旧山線の風情を味わってほしいと呼び掛けた。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201803080010.aspx

678美麗島の名無桑2018/03/17(土) 16:04:03.31
日本統治時代建設の旧たばこ工場、80年近い歴史を回顧 展覧会開催/台湾

【社会】 2018/03/16 17:44

日本統治時代に建設された旧松山たばこ工場が来年で80周年を迎えるのを祝い、同工場跡地を再利用した文化施設「松山文創園区」(台北市)で16日、工場の歴史を振り返る展覧会が始まった。
初公開を含む貴重な資料や写真に加え、AR(拡張現実)を利用した展示も用意し、工場の物語や当時の仕事風景を伝える。

松山たばこ工場は1939年に操業開始。戦後は総督府専売局から台湾省専売局に接収され、1987年には従業員数が約2000人に達するなど最盛期を迎えたが、1998年に台北たばこ工場に併合され、歴史に幕を閉じた。
2001年に台北市政府によって市定古跡に登録された後、改修などを経て2011年に松山文創園区として生まれ変わった。

同園区によれば、展覧会の開催は、1972〜1976年に工場長を務めた任先志さんの娘、玲玲さんと交流が生まれたのをきっかけに実現に至ったという。
海外に住む玲玲さんは昨年、先志さんから30年以上前に送られた工場の写真を手に同園区を訪問。
工場に関する資料は1998年の移転時にばらばらになっていたが、玲玲さんとの出会いを機に同園区は歴史の調査に乗り出し、多くの貴重な資料を集めた。

同園区は工場でかつて働いた元従業員にも声を掛け、展覧会への協力を募った。
AR展示では勤務歴45年以上の女性を語り部として登場させたほか、22日には元従業員10人が工場にまつわる物語を紹介するイベントを開催する。

展覧会は来月29日まで。入場無料。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803160005.aspx

679美麗島の名無桑2018/03/17(土) 16:30:14.52
2018.3.12 12:57

台湾で神になった日本人 統治時代の村の巡査

台湾に神様として祭られている日本人がいる。
日本統治時代、南部嘉義県で巡査をしていた森川清治郎は村の発展に貢献したことが村民に高く評価された。
地元の廟「富安宮」に祭られ、生きざまが紹介されている。

富安宮の資料によると、森川は1861年、神奈川県の農家に生まれ、97年、台湾に渡り巡査に。
嘉義県の貧村副瀬村で治安を大きく回復させただけでなく、衛生環境を改善、自費で教師を雇って村民に教育も施した。

1902年、村民に新たな漁業税が課された際、森川は減免を当局に嘆願したが、村民の納税拒否を扇動していると戒告処分を受けた。

直後に銃で自殺したという。富安宮の前にはこうした物語を絵で紹介する塀が立てられている。

死後約20年後、疫病が広がった際に村幹部の枕元に森川が現れ、衛生に注意するよう告げたとの言い伝えがある。

村民はこれに感激して森川の座像をつくり「義愛公」と名付けて、村の守護神として奉祀した。

http://www.sankei.com/life/news/180312/lif1803120043-n1.html

680美麗島の名無桑2018/03/18(日) 10:24:22.07
日本統治時代から残る旧倉庫、外観の修復完了 8月末にプレオープン予定/台湾

【観光】 2018/03/14 19:03

台北市政府文化局は13日、日本統治時代から残る市の歴史的建造物「三井倉庫」で進められている修復工事について、外壁と屋根の部分が完了したと発表した。
内部のエレベーターやバリアフリー設備設置作業が7月、景観工事が8月中旬までに完成する予定で、プレオープンは8月末になる見込み。

大正時代に建てられたとみられる同倉庫はレンガと木材を組み合わせた建築様式で、正面に三井物産のシンボルマークが刻まれている。
2016年、台北駅西側の北門広場と周辺道路の整備計画に伴って、元の場所から東に約50メートル離れた現在地に移築し、修復を経て一般公開されることが決定した。

文化局によると、2階部分は歴史を伝える「記憶倉庫」として、アートの展示などができる多目的スペースとして利用される。
1階部分はツーリストインフォメーションや文化資産の情報ステーション、書店などが入る。書店は、移転前の倉庫の隣で67年間営業し、2年前に撤去された本屋のイメージを再現したものになるという。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201803140006.aspx

681kimiaki harada2018/03/20(火) 16:16:15.95
平成の28年度 参議院東京選挙区出馬 原田 君明
私は台湾を共に大東亜戦争を戦った仲間 日本人として
台湾本省人純血台湾人に祖国日本復帰を希望します。

外省人独裁の台湾において、外省人を摘発と処罰後中国に帰国と
純血台湾人による議会州議会として、再び祖国日本に復帰させG7仲間入り実現させ
台湾軍事負担軽減を図り 徐々に日本語を覚えて
暫くは、台湾州投票限定し 除々に日本人として自覚を持って頂きたいと考えています。
消費税等は本土より戦前同様負担軽くして5%に治めたい考えです。
台湾本省人出稼ぎ やり易く検討する。
日本も早く在日コリアンを処罰摘発 追放行うべきと思います。
在日コリアンを摘発処罰 した後に新国号を「新日本国」これを国民投票を行いたいと
考えています。

682美麗島の名無桑2018/03/24(土) 12:01:32.85
日本統治時代の公会堂など文化財6カ所 国定古跡に登録へ/台湾

【社会】 2018/03/23 12:29

(台北 23日 中央社)観光名所として名高い龍山寺や82年の歴史を持つ台北公会堂(現・中山堂)など、行政院(内閣)直轄市の台北市と高雄市指定の古跡6カ所を、国定古跡に格上げする取り組みが始まっている。
文化部(文化省)文化資産局によると、審議会での審査を経て、遅くとも年末までには昇格が確定する見通し。

対象となるのは台北市の龍山寺(1738年創建、1920年改築)、保安宮(1742年創建、1917年改築)、
台北公会堂(1936年築)、欽差行台(1892年築)、高雄市の旗後砲台(1876年築)、打狗英国領事館官邸(1879年築)。

同局の施国隆局長によると、台湾の文化資産保存法が定める古跡の分類法は1997年の改正で従来の「一級、二級、三級」から、「国定、直轄市定、県(市)定」の3種に改められている。
これに伴い、法改正前に登録されていた全国48カ所の二級古跡のうち、台湾省(1998年に形骸化)の管轄だった42カ所が国定古跡に格上げされた。

直轄市の6カ所については昨年12月、文化部招集の審議会において扱いの見直しが提案され、国定古跡としての価値の再評価が行われることになったという。

日本統治時代に建設された台北公会堂は、1945年の日本敗戦に伴う降伏調印式が行われた場所として知られる。
現在は演劇やコンサートなどが行われる文化施設として市民に親しまれている。

一方、龍山寺は、今回国定古跡への昇格が見込まれる6カ所で最も長い歴史を誇り、名匠の手による屋根飾りや書画、彫刻などはいずれも芸術的価値が高い。
専門の学者は、台北発展の歴史を物語る“生きた歴史書”としても貴重だと指摘している。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803230001.aspx

683美麗島の名無桑2018/03/24(土) 12:06:36.41
日本統治時代の戦争遺跡を無断で解体 空軍士官学校が謝罪/台湾

【社会】 2018/03/23 14:39

日本統治時代に南部・高雄市に建設された軍用機の格納庫「掩体壕」(えんたいごう)が、空軍士官学校の排水工事のために解体されていたことが明らかになった。
同校の李世欽総務処長は22日、同市政府文化局に対して謝罪の意を表した。軍に対しては、郷土史団体や地域住民から批判の声が上がっている。

郷土史団体、高雄市旧城文化協会の郭吉清理事長によると、解体された掩体壕は第2次世界大戦中、高雄海軍航空隊によって建設された。
大きさは幅約30メートル、高さ10メートルを超える。
当時の軍事エリアには掩体壕が50基近くあったが、後に中華民国軍が同所を士官学校として整備する際、今回解体されたものを含む2基は学校の敷地外とされた。

70年以上の歴史を有する掩体壕が破壊されたことについて、郭理事長は、軍には文化財保存の観念がないと非難する。
近隣に住む男性は、幼少期に掩体壕を遊び場として使っていた思い出を明かし、軍のやり方は粗雑だと憤りをあらわにした。

士官学校は工事のため、敷地外の2基全てを解体する予定としていたが、李処長は文化局に対し、もう1基の解体停止を約束した。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803230003.aspx

684美麗島の名無桑2018/03/24(土) 12:11:07.47
日本統治時代から残る文化財、何者かに落書きされる/台湾・花蓮

【社会】 2018/03/22 11:38

東部・花蓮市に日本統治時代に設けられた刑務所の跡地を利用した公共空間「自由広場」の塀が18日夜、何者かによって白いペンキで落書きされたことが分かった。
この塀は、約80年前から残るもので、花蓮県の古跡に指定されている。
花蓮市公所(市役所)は事件発覚後すぐに警察に通報し、防犯カメラなどで容疑者の特定を急いでいるという。

自由広場の前身は1937(昭和12)年に竣工した「台北刑務所花蓮港支所」。
戦後も、刑務所が別の場所に移転する1982年まで、40年以上にわたって受刑者を収容し続けた。
移転後、跡地は放置されていたが、2003年に再整備を経て公園となり、2013年に自由広場と改名された。

同市の魏嘉賢市長は19日に現場に赴いて状況を確認するとともに、このような行為は厳しくけん責されるべきだと語気を強めた。
魏市長によると、古跡への落書きは文化資産保護法違反となり、犯人は6カ月以上5年以下の有期懲役、あるいは50万台湾元(約180万円)以上2000万元(約7300万円)以下の罰金が科せられる。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803220001.aspx

685美麗島の名無桑2018/03/24(土) 12:11:55.47
日本統治時代の駅舎設計図をデジタル化 台北機廠博物館が収蔵へ

【社会】 2018/03/22 12:21

文化資産局が日本統治時代の駅舎設計図のデジタル化に乗り出している。
日本統治時代に建設された7大駅舎(基隆、台北、新竹、台中、嘉義、台南、高雄)の設計図などの史料を大学などとの提携で修復やデジタル化する計画で、同部が整備を進める台北機廠鉄道博物館に収蔵される見通し。
計画の成果発表会が21日、国立台湾博物館(台北市)で開かれた。

史料は台北市にある国定古跡、旧台湾総督府鉄道部庁舎で1998年に発見された。
デジタル化計画には成功大学や台南芸術大学が参加し、史料の分析や修復などで協力する。
同部の楊子葆政務次長によれば、鉄道博物館では文物の展示が行われるだけでなく、史料や文献のデジタルアーカイブも導入されるという。

楊政務次長は、史料のデジタル化などによる文化資源の保存は世界的な潮流だと指摘。
台湾の鉄道文化資産は独自性と世界性を兼ね備えているとし、デジタルアーカイブが完成すれば、同博物館は世界屈指の鉄道史料拠点となるだろうと期待を示した。

台北機廠は日本統治時代の1935(昭和10)年に落成した鉄道工場で、現在、国家レベルの鉄道博物館として再生するため、修繕工事や整備が進められている。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803220002.aspx

686美麗島の名無桑2018/03/25(日) 13:23:02.87
日本時代に製作された重要文化財の神輿 解説本で魅力発信/台湾

【社会】 2018/03/24 12:36

くぎを使わない伝統技法、ほぞ継ぎで作られ、今年初めに国宝に次ぐ「重要古物」(重要文化財)に指定された神輿「八獅座武轎」を紹介する本が出版された。
著者の林仁政博士によると、三国志演義、封神演義などの古典から題材を取った精巧な彫刻が施され、随所に伝統建築の技法が使われた神輿はまさに「寺院建築のミニチュア」。
本では写真を多用し、神輿の歴史や信仰についての理解を深めることができるという。

神輿を所有する南部・嘉義市の嘉義城隍廟では21日、発表記者会見が行われた。
同廟の頼永川董事長(会長)によると、日本統治時代の1924(大正13)年、中国大陸から招いた20人の職人が約2年かけて完成させたもの。
当時の大手紙「台湾日日新報」で取り上げられ、「台湾一」と称されたという。
1996年、台湾初の総統直接選挙で勝利した李登輝総統の就任式典で披露されたのを最後に神輿としての役目を終え、現在は廟で保存、展示されている。

林博士によると、八獅座武轎は、国の重要文化財に指定された初めての神輿。
土地の守護神、城隍神が巡回するときの乗り物で、四面にはお供となる32体の神と46体の飛天の像が彫られている。
一方で当時流行した西洋風の建築様式が取り入れられるなどしており、特殊な時代背景下での伝統文化とその継承にまつわる歴史をうかがい知ることができる。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201803240001.aspx

687美麗島の名無桑2018/03/29(木) 13:32:57.61
祖父は旧日本軍に土地を盗られた

688美麗島の名無桑2018/04/11(水) 10:26:53.03
火葬場の廃墟をほったらかし


東港日本火葬場
https://www.youtube.com/watch?v=fQaDRA7K_0A

689美麗島の名無桑2018/04/15(日) 13:29:32.26
日本統治時代以前の製糖かまど跡出土 台南で初めて確認/台湾

【社会】 2018/04/13 19:09

(台南 13日 中央社)南部・台南市善化区の農舎建設現場で今年1月、製糖に用いるかまど跡が見つかっていたことが13日までに分かった。
同市文化局文化資産管理処は、日本統治時代(1895〜1945年)以前に設置されたものだとみている。
市内で製糖工場の遺跡が発掘されるのは初めて。

発見されたかまどは6つ連なっており、出土した遺跡の面積は約30坪。

同処は、専門家による鑑定の結果、文化資産として保存する価値があると判断し、建設業者に工事の中断を求めた。
最終的に保存するかについては、市の審議委員会で話し合われるという。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201804130009.aspx

690kimiaki harada2018/04/16(月) 12:45:57.60
読み解きクイズQUIZ

USA  RED  詐欺歴史 
いい加減本当でのことを言う時に来ていると思う。
米国は戦前よりビルマ戦線において、フライングタイガースという義勇軍で戦闘機同士
日本陸軍航空隊と戦闘状態であった。 真珠湾攻撃 数日前 公海上において
日本海軍潜水艦2隻が米軍により宣戦布告なく撃沈されていました。
これを持って 戦線布告なく汚い先制攻撃を日本側が受けたと判断して差し支えありません
そして1941年12月8日真珠湾攻撃に至る訳ですが、ルーズベルト謀略にあっても
日本としては戦わざるを得ませんでした。戦後 戦勝国である英国でさえ侵略している
今日の米国を鑑みるに、77年前 米国クソレッドたる大嘘つきルーズベルト赤鳩嘘つきとは
避けられぬ戦争であったと言えると思います。石原莞爾さんで開戦5年前から日本政府実権を
握っていれば、上手く停戦講和出来た可能性があると思います。もっと上手く戦えた筈です
次にJFK は何故射殺されたか真相について、ベトナム戦争以前キューバ危機
ソ連を戦争して勝った大統領に成りたかったというクソ坊ちゃんエゴと米軍に激怒され
断念、その後ベトナム情勢でのソ連中国勢いを恐れていたのではあるが、
簡単に戦争開戦計画を実行し安易して戦争起したことに米軍が激怒し被害多かった男性が
死刑を執行した。その男性が死んだ事にして、代わりに刑務所入った人は「ビル」
ルビー つまり赤い人間 JFKとリンドンジョンソンは赤であった悪質で証左であかろうかと
思います。リンドンも退任間際死んだ事で逃げた理由が理解出来ました?
つまり米国レッド独裁社会は戦前からブッシュ政権を除き全て共産主義赤で独裁
されて無益な侵略戦争において、若い罪なき人々での多くの命が米国においても
失われたということです。
そして クリントン・村山 阪神テロ オバマ・管直人東日本テロ 安倍オバマ熊本テロ
水海道洪水テロ トランプ安倍に大分福岡洪水テロ ・テキサス洪水テロ
サイレント侵略とテロを行って、国民を恫喝し マフィアとヤクザ頭目議員による
独裁と弾圧と横暴と在日コリアンと米国レッドRED行われていました。
これを撲滅すべく 事実を公にして、純血米国国民ならび純血日本国民は結束して
独裁者横暴弾圧に立ち向かいデモ罪無き警察官での尻叩いて犯罪議員摘発を行い
議員横領出産と横領企業を摘発すべきです。
これで無益な戦争も終わります。赤い社会を撲滅すべきです。
トルーマン元大統領も真っ赤でマッカーサーも真っ赤でした悪質でした
朝鮮難民作るのにわざと戦線を後退させて日本に大量難民を発生さした罪により司令官
辞職させられた。
時に事実は小説よりも奇也

691美麗島の名無桑2018/04/17(火) 17:29:51.36
小日本バカ

692azayaka2018/04/20(金) 18:24:04.39
読み解きクイズ
2012年10/26 週刊ポスト 山口組金庫番と同席安倍晋三 掲載写真
平成29年4月21日フライデー 安倍昭恵と元山口組組長同席写真 
どちらが不適切な関係であるか?
麻生太郎 本当は工藤会会長  調べるべきであかろうか?
安倍晋三 司忍影武者  6代目山口組 組長安倍晋三  調べるべきであかろうか
横領出産 数々と
麻生グループ・・・横領グループでしょ 脱税グループでしょ 摘発すべき
安楽亭   第一三共・・・ 怪しい・・・


安倍なつみ三田寛子 三田友梨佳 三上真奈 夏目雅子 夏目三久 宮司愛海
本田美奈子 本田真凛  本田みゆ 三姉妹 厳しく処罰されるべき
安倍なつみ  阿部華也子 三浦瑠麗  長野美郷  安田美沙子 厳しく処罰されるべき
リア・ディゾン  ミランダ・カー  イバンカ  アラベラ 厳しく処罰されるべき
堀北真希 厳しく処罰されるべき
平愛梨  厳しく処罰されるべき
深田恭子 厳しく処罰されるべき
ユンソナ 厳しく処罰されるべき  安倍なつみ
麻生久美子  麻生久美子 大江麻里子  水ト麻美 柏木由紀 柏木ひなた

日テレ ニュースエブリー 鈴江奈々横領出産 税金返還脱税悪質課税 

赤い西野カナ  赤い西野七瀬 桐谷美玲 篠田麻里子 麻生夏子 白石麻衣
紗栄子 永作博美 吉田明世 大島麻衣?麻生久美子厳しく処罰されるべき

山本一太  山本彩
石原慎太郎 伸晃  神田沙也加・松田聖子・神田愛花・神田うの・宇賀なつみ
佐野ひなこ・石原佑里子神田亜衣子 石原さとみ
 小池百合子 小池栄子 


ビビアンスー 在日コリアン議員と外省人ハーフ 横領

きっちり摘発すべきは山ほどあるでしょ

693美麗島の名無桑2018/04/22(日) 12:06:09.11
日本統治時代の高級料亭と庁舎、新装オープンへ/台湾・台南

【観光】 2018/04/19 19:08

日本統治時代の名残をとどめる「旧鶯料理」と「旧台湾総督府専売局台南支局」(いずれも台南市)の修復工事が終わり、近日中にそれぞれ飲食店兼アートスペース、カフェとしてオープンする運びとなった。
同市政府文化局が19日に発表した。

鶯料理は旧市街に造られた高級料亭で、各界の名士が集う社交場としてにぎわった。
1923(大正12)年の台湾行啓で台南を訪れた皇太子時代の昭和天皇をもてなしたと伝えられている。
表棟、中棟、裏棟の3棟からなる。

台南市は、台風で全壊した表棟を除く2棟を優先的に修復し、2013年12月に一般開放を開始。
15年に、同市初の「記念性之建築物」(文化記念物に相当)に認定し、17年には表棟の復元工事もスタートした。今年初めに竣工した表棟は、軽食もとれるアートスペース「鷲嶺食肆」として今月27日に開業する。

一方、食塩の専売業務を担当していた台湾総督府専売局台南支局は、本来高雄にあった烏樹林支局の紅毛港出張所を、1919〜22(大正8〜11)年ごろに現在地に移築した建物。
妻飾りを取り付けた破風板など、日本建築の特色が見られ、2003年に台南市の古跡に指定されている。

2015年に始まった修復工事は昨年完成しており、5月中旬にカフェ「漫漫弄[口加][口非]」として生まれ変わる予定。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201804190006.aspx

694美麗島の名無桑2018/04/22(日) 12:13:28.48
成功大 日本統治時代から残る直流発電機を公開展示/台湾・台南

【社会】 2018/04/19 15:59

南部・台南市の成功大学が台湾に現存する最古の直流発電機「エジソン・ホプキンソンダイナモ」が17日から、電気工学科の校舎内で公開展示されている。

同大の報道資料によると、同機は、英国人物理学者で電気技術者のジョン・ホプキンソンが従来のエジソンダイナモに改良を加えた後、1885年に発表されたもの。

電気工学科の楊宏沢主任の説明では、日本統治時代の1933(昭和8)年、同大の前身となる台南高等工業学校(1931年創立)が当時の台湾電力株式会社(現・台湾電力公司)から寄贈され、それ以来「学科の至宝」として学生の授業や実験で使われ続けた。
新しい校舎が落成した1997年に使用が停止され、地下倉庫にしまわれていた。

同日に開かれた除幕式では、学生時代の思い出が詰まった機械のお披露目に立ち会おうと駆け付けた卒業生の姿も多く見られた。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201804190004.aspx

695美麗島の名無桑2018/04/22(日) 12:27:29.81
台中市、日本統治時代の建物を高齢者施設として活用/台湾

【社会】 2018/04/19 11:18

中部・台中市は、文化財の活用と高齢者のデイケアサービス向上を図り、1929(昭和4)年に建てられた同市指定の歴史的建造物「台中市長公館」を高齢者向け施設「不老夢想125号」に生まれ変わらせ、シルバー世代の夢の実現や再就職などを後押ししている。

日本統治時代に宮原眼科を開業した日本人医師、宮原武熊氏の住宅だった台中市長公館。
戦後、日本人が引き揚げると台中市政府に接収され、1953〜89年の間、市長公舎として使われた。
2002年の文化財登録を機に往年の姿に修復され、一般公開が始まった2004年以降はアート展などが開催されていた。

不老夢想125号の誕生は2016年。市から運営を委託された民間の慈善団体が特設展やイベントを行うほか、庭の手入れや植物の栽培、料理、若者との交流などを通じて高齢者の社会参加をサポート。
18日には介護の相談窓口も正式にスタートし、家族にもかゆいところに手が届くサービスを提供していくという。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201804190001.aspx

696美麗島の名無桑2018/04/22(日) 12:31:24.87
修繕控える日本式建築にトタン屋根 景観破壊に地元民不満/台湾

【社会】 2018/04/17 15:13

東部・台東県で日本統治時代に建てられた歴史的建築物を覆うようにトタン屋根が設置され、景観を損ねるとの苦情が地元住民から噴出している。
建物は2016年の台風で損壊し、修繕工事が待たれている。
県は、トタン屋根の設置は一時的な措置だと説明している。

建物は日本統治時代の1937(昭和12)年、タバコや酒の専売事業を行う専売局の局長宿舎として建設された。県は2000年代に入ってから建物の修復と敷地一帯の整備に着手。
2007年に建物の修復が完了し、児童故事館に生まれ変わった。
だが、2016年に同県を直撃した台風1号により建物の一部が損壊し、同館は閉鎖。
今年1月に修繕工事の発注が行われたものの、工事はまだ始まっていないという。

開館当時の館長だった洪宗楷県議は、他県市でも同様の方法で歴史的建築物の保存を図っている場合があると言及した上で、景観を損ねるものだと苦言を呈す。
同館については、このような方法をとる必要はないはずだと主張。
木造建築は定期的な修繕が必要であり、そのための経費を毎年確保することこそが大事だと語った。
洪氏によれば、県はこれまで修理予算を計上してこなかったという。

県政府教育処情報・生涯教育科の武紹華科長はトタン屋根設置の理由について、雨漏りなどによる建物内部の損傷を防ぐためと説明。
建物は文化部(文化省)文化資産局による審査が完了次第、修繕が進められる見通しだという。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201804170002.aspx

697美麗島の名無桑2018/04/22(日) 13:37:59.40
台湾 台北 / 日本時代から残る「三井倉庫」、2018年8月に一般公開予定

2018年4月13日(金)

台北市の忠孝西路にある史跡で、日本統治時代に建てられた「旧三井物産倉庫」は、
現在、周辺地域の再開発計画に伴い移築再生が進められておりますが、
この度、2018年8月に一般公開される予定です。

http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=81439

698美麗島の名無桑2018/04/22(日) 14:57:21.84
近所の曽祖父曾祖母は全て旧日本軍に首を切られました

699美麗島の名無桑2018/04/29(日) 15:19:32.85
青春の思い出詰まった書店、6月閉店へ 惜しむ声続々/台湾・台北

【社会】 2018/04/24 17:36

日本統治時代に台北市の中心地として賑わった「城中」と呼ばれるエリアで30年余りにわたり営業してきた「金石堂書店城中店」が6月24日に閉店する。同書店が23日、フェイスブックで発表した。
同店が位置する重慶南路は書店街として知られ、台北で学生時代を過ごした多くの人にとっては本や参考書などを求めて足を運んだ思い出の場所。
利用者などからは閉店を惜しむ声が上がっている。

同店は1984年、同所に開業。
築約100年の3階建ての洋館を借り上げた。延べ床面積は200坪を超え、同書店の台湾全土の店舗で上位5位以内に入るほどの売り上げを維持し続けた。
だが時代の移り変わりとともに、書店街として栄えた重慶南路からは書店が徐々に姿を消し、ホテルや飲食店が増加。
同店は書店街に客を呼び戻そうと、2013年にリニューアル工事を行い、外観はそのままに、台湾文化のソフトパワーを紹介する店内に新しく生まれ変わらせていた。

同書店の運営企画担当者によれば、閉店理由は賃貸契約の満了。貸主の都合により、契約更新を断られたという。

閉店を知らせる投稿には「夜中に泣いてしまった。大好きな書店がなくなってしまう」「台湾の書店が次から次に閉店していく。残念」「本当にもったいない」などのコメントが寄せられている。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201804240007.aspx

700美麗島の名無桑2018/04/29(日) 15:27:56.76
台湾行啓で皇太子が立ち寄った貴賓館、7億円投じ修繕へ 文化部が全額補助

【社会】 2018/04/24 19:18

皇太子裕仁親王(後に昭和天皇)の台湾行啓のために建てられ、当時皇太子が立ち寄った「草山貴賓館」(草山御賓館)の修繕工事に、文化部(文化省)は工事費全額となる約2億台湾元(約7億3500万円)の補助金を交付する。
台北市政府文化局の田イ副局長が17日、明らかにした。同館は市定古跡に登録されているものの長らく放置されており、荒廃が進んでいた。
(イ=王へんに韋)

同館は台北市陽明山に位置する。
1923年の台湾行啓に合わせて建設され、戦後には蒋介石元総統が一時的に住んだほか、孫文の子、孫科の公邸として使われた。木
造建築で、洋風と和風両方を取り入れた建築洋式が採用されている。1998年に市の古跡に登録された。

同館は台北市の古跡だが、建物や土地はいずれも市の所有ではなく、建物は台湾省政府、土地は財政部国有財産署や林務局などの管理の下に置かれている。
市文化局は昨年10月、台湾省政府に対して修繕計画の提出や毎月1度の見回り、文物の整理などを求めていた。

田副局長によれば、まずは庭園や屋根用の防水布、照明器具などから修繕作業が進められており、修繕の状況は台湾省政府から市文化局に毎月報告される予定だという。
建物の内部に残る文物については、手書きの文書や手紙、価値がある私物などは孫科の遺族に引き取られる。

修復にかかる期間は2年前後を見込む。
修復完了後に管理を担当する機関が見つからなければ、同市文化局が管理や運営を引き受けるという。

http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201804240010.aspx

701美麗島の名無桑2018/04/29(日) 15:32:34.37
旧山線でレールバイク、7月から試験運行 新たな観光資源に/台湾

【観光】 2018/04/25 12:38

廃止された旧山線の線路を活用した「レールバイク」の開業に向けて、苗栗県政府は試運転を進めている。
同県文化観光局によれば、7月1日に試験運行を開始する予定。徐耀昌県長は24日、張景森・行政院(内閣)政務委員らとともに視察に訪れ、新たな観光資源として観光客を呼び込みたい考えを示した。

旧山線は三義(苗栗)―后里(台中)間を走る全長15.9キロの路線。
日本統治時代に開業し、100年以上の歴史を有する。1998年に廃止された後、蒸気機関車の復活運転が行われたこともあったが定期運行には結びつかず、有効活用がされていなかった。
沿線では1935年の新竹・台中地震で崩壊したれんが造りのアーチ橋「龍騰断橋」のほか、変化に富んだ景色も楽しめることから、同県は旧山線を観光資源と位置づけ、レールバイクの運行を考案。
交通部(交通省)観光局から3億台湾元(約11億円)の補助金を獲得し、準備を進めている。

レールバイクはまずは勝興駅から旧山線6号トンネルまでの県内区間全長約6キロで運行する予定。

張政務委員ら一行はこの日、4人乗りの車両に試乗し、一部区間で運転を楽しんだ。

徐県長によれば、沿線には中国語のほか、日本語と英語の標識なども設置される。
張政務委員は、レールバイクの運行による旧山線の活性化に期待を寄せ、国際的な新観光名所になるだろうと話した。

文化観光局によると、7月中の試験運行は県民を対象とし、他県市からの観光客への開放は8月からを予定している。1日の乗車可能人数は約1500人で、予約制を採用する。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201804250002.aspx

702美麗島の名無桑2018/05/04(金) 14:09:51.43
日本統治時代建設の水力発電所、いまだ現役 1000世帯分の電力供給/台湾

【観光】 2018/05/02 13:11

日本統治時代に建設された水力発電所、台湾電力大甲渓発電所后里ユニット(台中市)は、営業運転開始から100年を超えた現在でも現役で稼働している。
現在稼働中の発電所としては最古。昨年の年間発電量は368万キロワット時で、一般家庭約1000世帯分に相当する。
メーデーの1日、定期点検の担当者は、この“最古参”の社員に向かって敬礼し、敬意を表した。

后里ユニットは、建設当初は「后里発電所」と呼ばれ、1911年に営業運転を開始。
今年で107周年を迎える。
中部を流れる大甲渓の流水を利用した水路式発電所で、2基ある発電ユニットの発電容量は計1000キロワット。

台湾電力は后里ユニットを長く使い続けようと、2000年に独自開発した自動制御システムに全面的にリニューアル。
今後は、発電所までの水の通り道として設置される水圧管路の取替工事を行う計画だという。
定期点検のほか、3年ごとに大規模改修が実施されている。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201805020001.aspx

703美麗島の名無桑2018/05/04(金) 14:35:08.58
日本統治時代の高級料亭を復元 アートスペースとしてよみがえる/台湾

【観光】 2018/05/01 18:31

日本統治時代の高級料亭として知られた「鶯料理」の表棟が南部・台南市で復元され、軽食もとれるアートスペース「鷲嶺食肆」として先月26日にオープンした。
同日開かれた開幕式典には、同市の張政源副市長や同市台日友好交流協会の郭貞慧理事長などが出席し、往時の栄華がよみがえることに期待を寄せた。

鶯料理は1923(大正12)年、神戸出身の実業家、天野久吉が創業。
当時は各界の名士が集う社交場としてにぎわい、皇太子時代の昭和天皇が台湾行啓で台南を訪れた際に料理を提供したとされる。

表棟、中棟、裏棟の3棟からなる建物は戦後、台風などで荒廃。
市は2012年に修復に着手し、2013年、中棟と裏棟の一般公開を開始した。
2015年には、寺廟以外の建物で、記念する価値を持つ文化財「記念性之建築」に同市で初めて指定。
台風で全壊した表棟を復元する工事が2017年から進められ、今年初めに竣工した。市は活性化を目指し、民間の業者に運営を委託している。

張副市長は、台南は文化が豊かで、古跡や歴史建築が多くあると紹介。
市は近年、これらの建物の修復に努めてきたとした上で、持続可能な経営や活性化が重要だと述べた。

式典には天野の孫、朝夫さんも日本から駆け付けた。朝夫さんは、近年は毎年、台南に長期滞在しているといい、同市の人々のもてなしに感銘を受けていると語った。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201805010006.aspx

704美麗島の名無桑2018/05/04(金) 14:36:07.30
日本時代の製材所から発見された地下遺構 来年にも公開へ/台湾

【観光】 2018/05/02 17:37

日本統治時代に建設された嘉義製材所(南部・嘉義市)で半世紀以上も埋もれていたとされる地下遺構。
2016年末に見つかって以来、調査・研究に当たっていた林務局嘉義林区管理処は先月30日、作業は完了したとして、来年にも公開する方針を示した。

当時最新鋭の機械を導入した嘉義製材所は、1914(大正3)年に操業が開始された。
鉄筋コンクリート構造だった工場は1941(昭和16)年に地震で倒壊し、現在残っているのは翌年ヒノキを使って再建された二代目の木造建築。終戦後、国民党政権に接収され、日本時代を上回る伐採を行った。
しかし、資源保全のために木材の伐採が停止されたのに伴い、製材所は1965年、長い歴史にピリオドを打った。

林務局嘉義林区管理処は、林業の歴史を伝える製材所の修繕に乗り出しており、2016年4月に工事が完了。
同12月に再利用に向けた工事に着手する際、施工を請け負った建設会社が、1945年当時の設計図や、
工場の地下に機具の設備があったとする文献と照らし合わせて地下遺構の存在を指摘。金属探査や試掘などを経て、バンドソーマシン(帯鋸盤)の土台や送材車の軌道などが掘り起こされた。

同処によると、13.6ヘクタールの敷地内には12棟の歴史建築があり、そのうち修繕が終わっているのは6棟。
今後は段階的に公開していく予定で、阿里山や阿里山森林鉄道、日本統治時代の街並みを再現した檜意森活村(ヒノキビレッジ)など周辺の観光名所と組み合わせたガイドツアーの実施などを計画しているという。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201805020004.aspx

705美麗島の名無桑2018/05/04(金) 14:38:38.81
旧台鉄新北投駅、歴史建築に登録 “里帰り”から1年/台湾

【観光】 2018/04/30 18:38

台北市文化資産審議委員会は30日、台湾鉄道(台鉄)新北投駅を歴史建築に登録すると決めた。
日本統治時代に建設された同駅駅舎は廃駅後に別の場所に移転されていたが、昨年4月に故郷に“里帰り”していた。
同市文化局の田イ副局長は、将来的にプラットホームや線路、機関車を再現する計画を明らかにした。(イ=王へんに韋)

同駅は台鉄淡水線の支線、新北投線の駅として1916(大正5)年4月1日に開業。
1988年に台北メトロ(MRT)淡水線の建設に伴って新北投線が廃線になった後、同駅は解体され、中部・彰化県の台湾民俗村に移された。
だが、同駅の里帰りを目指す運動が2003年から始まり、台北市に無償で譲渡されることが2013年に決定。
市は2016年、1937年当時の姿の再現を目標に移築工事に着手し、元々の場所から約50メートル離れたところで駅舎をよみがえらせた。
開業から満101年を迎えた昨年4月1日に公開が始まり、地元住民からは文化財登録を願う声が上がっていた。

委員会メンバーは、現存する日本統治時代建設の木造建築では珍しいゴシック様式が採用されている点や、建材の一部に新しい素材が使われているものの構造はそのままであることを評価し、同駅に建築史上の価値があると認定した。

田副局長は中央社の取材に対し、今後はさらに詳細な調査、研究を進めていくと説明。
展示予定の機関車については、台鉄淡水線を走行していた車両を使用したい考えを示した。
だが、台湾全土に4台しか残っておらず、現在は台北機廠で保存されているため、中央省庁と協議する必要があるという。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201804300005.aspx

706美麗島の名無桑2018/05/04(金) 14:41:34.31
日本式家屋、お茶の体験館に生まれ変わる かつての家主の娘が祝福/台湾

【観光】 2018/04/30 16:36

日本統治時代に建てられた日本式家屋が茶の生活文化体験館「和合青田」として生まれ変わり、28日に正式に開館した。
この家を建てた日本人の長女は手紙で祝福の言葉を送り、家の歴史が大切に保存されていることに喜びを示した。

観光客が多く訪れる台北市永康街に近い青田街8巷10号にあるこの日本式家屋は1930年代、歴史学者の三尾良次郎さんによって建てられた。
三尾さんは、当時“エリート養成校”として知られた台北高等学校で教鞭をとったほか、教科書の編纂にも携わった。
三尾さん一家が日本に戻った後、建物は台湾電力の寮として使われ、2006年には市の歴史建築に登録されたが、長年にわたり放置されていた。
市文化局主導の古民家活性化計画を通じて2014年に民間団体が活用に乗り出し、2年余りの修繕工事を経て開館にこぎつけた。

三尾さんの長女の黒木恭子さんは94歳という高齢のため訪台できず、開館式には黒木さんの娘が代わりに出席し、黒木さんから託された手紙を読み上げた。。
かつて台湾を再び訪れ、思い出が詰まったこの家に足を運んだ際には、荒れ果てた古き我が家に心を痛めていたという黒木さん。
2年前に再生計画を知り、非常に驚いたと明かした。

館長の張芳庭さんは、この場所で心を鎮め、茶の生活文化の素晴らしさを体験してほしいと語った。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201804300003.aspx

707美麗島の名無桑2018/05/05(土) 21:59:53.23
旧日本軍に拉致された

708美麗島の名無桑2018/05/13(日) 11:47:13.16
台湾にある、「日本」を感じさせる観光スポット10選=中国メディア

2018-05-12 12:12

中国メディア・今日頭条は8日、台湾で見ることができる日本らしい建築物を10カ所紹介する記事を掲載した。

記事は、「台湾はかつて日本の植民地となったことで、多くの日本的建築物が残されており、レトロな雰囲気ともに異国情緒を醸しだしている」としたうえで、主に日本統治時代に建てられた建築物を10カ所紹介している。

前半の5つは、台北にある日本式銭湯の「滝乃湯」、新北にある「一滴水記念館」、新竹にある「張学良旧居」、苗栗にある「通宵神社」、南投にある「車テイ駅」だ。
「一滴水記念館」以外の4カ所はいずれも日本統治時代に建設されたもの。昔懐かしい木造建築の車テイ駅は1999年の大地震で損壊したが、日月潭国家風景区管理処により原木を用いて修復された。

「一滴水記念館」も99年の大地震にまつわる建物だ。
地震の被災者支援で現地と交流を持つようになった福井県御蔵社地区の市民団体が、日台友好の象徴として同地区の古民家を移設するプロジェクトを立ち上げた。移築には5年の歳月がかかったとのことである。

後半の5つは、嘉義の「桧意森活村」、屏東の「高士神社」、宜蘭の「宜蘭文学館」、花蓮の「吉安慶修院」、台東の「鹿野神社」だ。
こちらはいずれも日本統治時代に建てられたもので、「桧意森活村」は日本人職員の宿舎・官舎、「宜蘭文学館」は農業学校校長の宿舎、「吉安慶修院」は日本語学習、医療機関、葬祭などの機能を持つ施設だったという。

この中で近ごろ話題となったのが、「高士神社」だ。
同神社は終戦後に荒廃していたのを2015年に日本の神職者が再興したもので、今月5日に行われた今年の例大祭では初の台湾人神主が祭祀を主宰して注目を集めた。

http://news.searchina.net/id/1659207?page=1

709美麗島の名無桑2018/05/20(日) 11:04:59.05
日本統治時代ドラマ

710美麗島の名無桑2018/05/20(日) 11:05:39.22
2話だけで放送中止 台湾、中国の批判に配慮か

2018.5.15 22:49

台湾の民放テレビ局が先週放送を始めた日本統治時代を扱った連続テレビドラマがわずか2話だけで放送中止となった。
15日付の台湾紙、自由時報は中国からの批判に配慮して放送を中止したとの見方を伝えた。

ドラマは「智子之心」とのタイトル名で、日本統治時代の台湾で日本軍に看護婦として従軍した実在の女性を主人公にした内容。
全35話で撮影も終わっていた。10日の放送開始直後に中国のメディアなどが「日本軍を美化しており媚日だ」と批判、11日に第2話を放映後、第3話からはほかのドラマに差し替えられた。

ドラマを放送した「大愛テレビ」は仏教系の慈善団体「慈済基金会」が運営するテレビ局で、「(放送中止と)政治は無関係だ」としている。

慈済基金会は中国でも活動しており、中国との関係が良好とされる。
立法委員(国会議員)などからは「日本統治は歴史的事実であり、政治的な配慮で自粛するべきではない」との指摘が出ている。

https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/180515/wor18051522490038-n1.html

711美麗島の名無桑2018/05/20(日) 11:08:34.31
日本統治時代の旧測候所が築120年 記念イベント開催/台湾・台南

【観光】 2018/05/18 15:13

(台南 18日 中央社)日本統治時代に建設された南部・台南市の「旧台南測候所」は今年、築120周年を迎える。
26日には記念イベントとして、普段は事前予約が必要なガイドツアーや復刻版動画鑑賞会などが開催される。
臨時郵便局も開設し、レトロな特製はがきや記念封筒の配布や、オリジナル消印を押すサービスなどを提供する。

旧台南測候所は1898(明治31)年、当時台南で最も海抜が高い地点に建てられた。正十八角形の建物には16枚の窓と2つの扉が設けられ、中心には白い塔が高く伸びる。
塔の上部にある風力計を含めた高さは約11.6メートル。19世紀の台南で最も高い建築物だった。

戦後は国民党政権に接収され、「台南気象局」と改名。
老朽化が目立ってきた1979年まで、気象観測業務が続けられた。
日本や台湾で同時代の測候所の撤去や改築が進む中で唯一残る同所は、1998年に台南市の市定古跡に指定された。
2003年には国定古跡に昇格し、一般開放も始まった。
内部は日本統治時代の状態に極力近づける形で復元されており、当時の地震計なども残されている。

2016年の台湾南部地震で、内・外壁や塔など各所に損傷を受けた旧台南測候所。
イベント終了後、約200日間にわたる修繕工事が始まるため、参観は一時休止される。
同所を管轄する中央気象局は、工事前にぜひ一度訪れてほしいと呼び掛けている。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201805180003.aspx

712美麗島の名無桑2018/05/20(日) 11:11:21.50
台南・永康駅で鉄道テーマの古地図展示 日本時代のものも/台湾

【観光】 2018/05/17 18:26

(台南 17日 中央社)台湾鉄道の永康駅(台南市)構内に、鉄道をテーマにした古地図が展示されている。
いずれも同駅を最寄り駅とする国立台湾歴史博物館(同)の収蔵品。
同館の王長華館長は、鉄道は台湾の人々の生活と切り離すことができないとした上で、同駅のために地図4枚を厳選したほか、テーマ看板も設置したと説明。
電車の待ち時間に博物館を参観した気分になれるとアピールした。

王館長によると、4枚の中には、台湾総督府殖産局「台湾糖業図」(1934年)、観光用の「台湾案内図絵」(1942年)など、日本統治時代作成のものも含まれる。
産業、観光などと鉄道との関わりから、これまでの台湾の土地の変化をたどり、生活の片鱗をうかがうことができるという。
一方、テーマ看板では、台湾が描かれた16〜19世紀の世界地図を集め、最新の測量技術を用いた現代の地図との見比べが楽しめる。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201805170007.aspx

713美麗島の名無桑2018/05/20(日) 11:13:10.17
旧日本人移民村の神社跡、客家文化などの発信拠点に/台湾・花蓮

【観光】 2018/05/17 14:28

(花蓮 17日 中央社)日本統治時代の移民村として知られる東部・花蓮県「吉野村」(現・吉安郷)内の神社跡地が、客家文化などを発信する文化施設「吉安好客芸術村」として生まれ変わり、18日にオープンする。
同郷の黄馨郷長は、地元の文化、観光に関する展示などを行い、客家以外の人々にも広く使ってもらえる場所にしたいと意欲を示している。

吉野神社は1912年、望郷の念に駆られる日本人移民のために建立された。
戦後、中華民国軍の駐屯地となって建物は取り壊され、「吉野神社鎮座」と「吉野拓地開村」、2つの記念碑だけが残った。
後に駐屯地は閉鎖され、敷地内にあった11棟の建物が放置されていたことから、同郷公所(役所)が国防部(国防省)の承諾を得て、修繕・再利用に乗り出していた。

黄郷長によると、同郷は旧移民村であると同時に、客家人の人口が県内一の“客家の里”。
日本統治時代には、多くの客家人が北部の桃園、新竹、苗栗などから移り住み、日本人の下でタバコの栽培などに従事した。
また、台湾鉄道の北回線が開通した1980年以降にも客家の移住者が増加し、現在の規模に至ったという。

芸術村周辺には、1917年に建てられた真言宗高野派の「吉野布教所」(現・慶修院)や客家の産業を紹介する「客家産業交流センター」などの観光資源がある。
同郷は、これらのスポットと結び付けることで、芸術村が地元の文化、観光産業をけん引する役割を果たしてくれればと期待を寄せている。

http://japan.cna.com.tw/news/atra/201805170003.aspx

714美麗島の名無桑2018/05/24(木) 21:13:32.81
大愛畏中下架《智子》惹火NCC 爆威脅換照

2018/05/24 19:23


大愛電視台日前上映《智子之心》,該劇以1943年日本殖民台灣為背景,
但卻傳出中國認為劇情描述日治時代情節,有美化日軍之嫌,大愛電視台僅播2集便停播,
而國家通訊傳播委員會(NCC)為此要求大愛出面說明,好避免外來政治力的干預,
而這也是未來電視台換照審查的重點,但這卻遭外界質疑以「換照」威脅大愛電視台。

對此不少傳播學者認為,NCC恐於法無據,相關傳播法律無避免政治力干預規定,
學者認為NCC「換照說」只是一種警告,並無相關傳播法律「避免外來政治力干預」的具體規定,
而NCC要據此對大愛換照、撤照,非常不容易,電視台也可以提出申訴。

而日前大愛的歐經理也強調「真的不講政治,只是認為敘事手法上面有可能會造成誤解,
既然會有這種可能,不想去碰觸它。」雖然下架該戲倍感失望,不過大愛台秉持為避免爭端,
選擇不去觸碰,而現在NCC作法又遭質疑有威脅大愛換照疑慮,大愛仍表示與政治無關。


http://ent.ltn.com.tw/news/breakingnews/2436573

715美麗島の名無桑2018/05/24(木) 22:08:31.57
悪の帝国主義大日本帝国

716美麗島の名無桑2018/05/27(日) 11:41:23.23
戦時中の台湾の様子を知りたくて、台北から…

2018年05月21日

戦時中の台湾の様子を知りたくて、台北から1時間余りのところにある街へ94歳のおばあさんを訪ねた。
私の来訪に合わせて家族や知人も数人集まり、言葉の通じにくいところを補ったり、私の拙い中国語を理解しようとしたりしてくれた
▼集まった人たちは普段からおばあさんと接している。
しかし、そうであればこそ、昔のことを正面切って尋ねる機会は少ないのだろう。
みんながインタビュアーを務めるようにして取材は盛り上がった
▼アジア太平洋戦争に関する取材でお年寄りに会いに行くと、八重山でも似たようなことが起こる。
方言と標準語の橋渡しをするために付き添っている人が、話そのものに引き込まれていくのである
▼このとき訪ねたのは客家の人たちが多く暮らすエリア。
台湾のマジョリティーは漢族だが、その多数派のなかにおいて客家は人数が少ないグループである
▼インタビューから帰ろうとすると、お土産に手渡された。鼻に覚えのある香り。
月桃で包んだおもちだ。
客家の言葉で「ニーバン」などと呼ばれ、大根を刻んで塩味を効かせたものや、豚肉のそぼろなどが中に入っている。
翌日の朝食として胃袋に収めた
▼強い日差しと蒸し暑さにげんなりしているのは八重山も台湾も一緒だ。
月桃が香る季節であることもまた同じである。

http://www.y-mainichi.co.jp/news/33521/

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