O巻 p.180-181
【スターリン首相からチャーチル首相へ      四三年三月十五日
・・・・・・・二月から三月にかけて、北アフリカにおける英米軍攻勢の圧力は、増大しなかったばかりか、
攻撃の進展はぜんぜんなく、貴下自身が定めた攻撃の最終日は、延ばされたのです。
その間ドイツは機械化六個師団を含む三六個師団を、ソ連に向かって西欧から移動させることに成功しました。
これがソ連陸軍にとって、いかなる困難となったか、またソ独戦線におけるドイツの立場が、
どれほど緩和されたかは、容易に理解できます。 シシリィの重要性は完全に認めますが、
それがフランスにおける第二戦線に取って代わることにならぬ のを、私は指示せねばなりません。・・・・
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&;no=154

>その間ドイツは機械化六個師団を含む三六個師団を、ソ連に向かって西欧から移動させることに成功しました。

「しかしソ連への攻撃は行われなかった。だがそれは日本の宣伝家たちが主張しているよ
うな、日本が中立条約の条件を誠実に遂行したからではなく、ドイツの『電撃戦』が失敗
し、ソ連の防衛力が同国の東部で維持されたからだ。いつ始まるかわからない日本の攻撃
を撃退するための準備として、ソ連軍全体の28パーセント超に相当する549万300
0人の中から156万8000人と数千台の戦車や航空機が極東と南の国境近くに配置さ
れた。この戦力は、ソ連とドイツの前線で効果的に使えたはずだ。そのため、軍国主義日
本の政策が、戦時中に中立条約の規定に違反し、全体として大祖国戦争と第二次世界大戦
を長引かせ、ソ連や他の国民の犠牲者を増やしたと考える十分な根拠がある。」
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160414/1955357.html

邦訳者後書きには、ノモンハン停戦協定が締結された後も1941年、その7月1日現在のロシア側戦力は、
対独戦に振り向けられていた戦力より大きく、723119名の兵力、戦車4638両、航空機4777機、自動車6万余台、
トラクター1万余台、砲14062門などと、やたら記録をとる民族だけに詳しいのだが、
http://yhsvtex.blogspot.jp/2007/06/19417172311946384777614062-30003.html