イタリアの歴史
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中世から近現代にいたるまでのイタリアの歴史を語るスレです。 電子音楽では、ドイツ人が世界の最先端を開拓したけどな
クラフトワークなんか、YMOも思いっきり影響を受けている
でも確かに、機械的なリズムと同じメロディーの繰り返しが売りだ フランスにはかつて「ローマ賞」というイタリアへの留学制度があったが、1968年の五月革命でに廃止された。後継制度はあるが昔ほどの権威はない。
一方、アメリカの芸術家とくに建築家にとってはパリの「エコール・ド・ボザール」に留学するのが夢だった。 一方で「エコール・デ・ボザール」の有力アトリエを仕切っていたのは「ローマ賞」受賞者 世界に冠たるフランス料理といっても、中世には、刀でブツ切りにした肉を手づかみで食べるという粗野なものだった
16世紀のルネサンス期に、カトリーヌ・ド・メディシスを王妃に迎えたおかげで、先進国イタリアの食事文化がフランスに入ってきた ヴェルディが「国民的作曲家」に奉られたのは実はムッソリーニの時代
ジャンヌ・ダルクがフランス全土で有名になったのが
ナポレオンの時代からだったのと同じ
それまではデュ・ゲクラン元帥のほうがずっと有名だった ナショナリズムが勃興した近代に脚光を浴び、祭り上げられた伝説のヒーロー
韓国でいえば「李舜臣提督」とか 「保守」と「右翼」の境界は微妙だが、前者は文化的多様性を重視し、後者は純粋化・国粋化・単純化・中学生にも理解できる化を目指す。前者は保守知識人に適合し、後者は思想的偏向者ないし狂人・無教養庶民の友。
やたらと「国民的○○の父」「純粋○○」をでっち上げるのは、社会に後者の偏向気運が蔓延している状態のとき。正常人も知性が停止し、単純化すべきでないものが単純化される。左翼も同じ。 日本・ドイツ・イタリア・フランス
先進国はどこでも、ウルトラ・ナショナリズムの時代を経験した イタリアの場合は国王より格上の教皇がいた。フランスの右翼はブルボン・オルレアン・ボナパルティストの集合体なので求心力に限界があり、あm >>909 続き
あまり極端になりようがなかった(異論は承知)。
ドイツの場合は、印欧語族の発見以来の人工的な疑似科学イデオロギーだったが、人工的であるがゆえに「伝統保守」からの歯止めが効かず「近代の地獄」が現出した。ボルシェビスムも類似。 日本やドイツと違って、イタリアにはあんまりそういうイメージがないけど、
19世紀後半から20世紀前半にかけてのイタリアはウルトラ・ナショナリズムで強烈なイデオロギーの国
「ファシズム」の語源もイタリアのファシスタ党 植民地帝国を目指して、北アフリカとかバルカン半島への侵略に乗り出した
合言葉は「ローマ帝国の再興」、「未回収のイタリアを取り返せ」 イタリアは、第二次世界大戦後の高度経済成長もなにげに凄い
日本とドイツにそういうイメージを全部もっていかれたが、イタリアの近現代史も似たような軌跡をたどった 日本の天皇制イデオロギーの初出は『神皇正統記』。これは優れた学術的考察だったが、その後休眠。
江戸幕府が、皇室・寺社統制を強めすぎ・やり過ぎたので知識人層(徳川光圀、山崎闇斎ほか)に反発が起き、拠り所として『神皇正統記』が復活。水戸学ほか。
日本文化再評価の実証的研究であった「国学」が「脱中華・日本優先」の政治思想に変質し合流。こうして天皇制イデオロギーが誕生。つまり近世の産物であって、江戸幕府がやり過ぎなければ誕生しなかった。
明治時代は近世の天皇制イデオロギーを上手く取り込んだにすぎないが、教育勅語が布石の役割を果たし、南北朝正閏論、統帥権干犯、天皇機関説、国体明徴などなど(順番は適当)、教祖・主犯が曖昧な、共同幻想的・参加者自由の共謀共同的なイデオロギーに成長。 古代ローマ人、現代イタリア人の3倍の海の幸 研究:時事ドットコム
https://www.jiji.com/jc/article?k=20210827041959a&g=afp
2021年08月27日12時55分
古代ローマ時代に海辺で暮らしていた人々は現代のイタリア人よりずっと多く魚を食べていたことが、
西暦79年のベズビオ火山噴火による犠牲者の遺骨の調査で明らかになった。
また、男性は女性よりも高級食材を多く食べていたことも分かった。 >>915
これは貴重な知見。詳しく知りたい。ポンペイの魚醤の原料は鯛だったし、文献中心よりは遺伝学等の分析の方が確実性が高そうだ イタリア人も自分たちの国の形が長靴とかブーツに見えると思ってるの? 普段は知らないけど他国人に説明するときは意識している
他「どこの出身?」
伊「ターラント」
他「ふ〜ん、どのへん?」※タラント空襲のタラントとは連想できず。大昔はタレントゥム。
伊「ブーツの土踏まず(arch)のとこ。港町だよ」
「ブーツのこのへんでローマの北」というのも聞いたことある
たぶん小学校で地理を教わるときも、教師は長靴のこのへんとか教えていると思う ターラントは南イタリアの大都市で、軍港や製鉄所中心。大学の本校があってもおかしくない環境に思われるが確か分校しかない。 戦後のイタリアでは、ブリガーテ・ロッセ(赤い旅団)による
モーロ元首相誘拐・殺害事件があったな 赤い旅団はカモッラとも関係があり、モーロ殺害にはアンドレオッティの黙認ないし関与が噂された(その件を調べていた編集者はマフィアに暗殺された)
ドイツ赤軍も検事総長、経営者連盟会長を殺害 赤い旅団とマフィアってどこで接点を持ったんだろ?
モーロじゃなくてマフィアのボスやってればな 一方で疑獄事件が起きると、政財界の黒幕連中はマフィアを使ってのお約束の口封じ
(日本の場合、政財界の黒幕というのは主に漫画や隠謀論のネタにすぎなかったが、こっちは本物)
ソ連の崩壊によって黒幕連中の存在意義が薄れタンジェントポリとなる 赤い旅団メンバーでその後マフィア入りしたワケありのインテリヤクザ・・・
そういうのいた? >>925
構造的には、殆どいないんじゃないかな。
イタリアは日本と違って左右がぐちゃぐちゃに混じっており、無期懲役を食らった連中も半自由身分になると就労が可能だが、就労を支援している心情左派層や奇人変人がいる。
・反省はしても、「全面的に転向」する必要がない
・たとえ内面的に激しく後悔していたとしても、今更「転向」するのは却って不利益を蒙る
したがって、マフィアやカモッラに身を落とすメリットが薄い つまり、イタリア人の一個人ないし集団の内面には心情左派・心情右派が混在しており、どちらが発現するかは個人的事情や社会状況による。
日本のネット内の「ネトウヨみてるか〜」だの「パヨクが〜」という単純脳では、イタリアやフランスの現象は理解できないと思う イタリアはだからこうだとか左だからこうだとか二元論的なものがないのか 単純二元論(左右とか労使とか)が一番分かりやすいが、実際には様々な対抗軸が存在し絡み合っている。どの対抗軸が重視される(可視・争点化)かの構造モデルは国ごとに異なるのでは
正規労働対非正規労働、現役世代対高齢者、現世代対未来世代、専業主婦対就労女性・・可視化はされてるはずなのにね
専業主婦については主婦も若干の社会保険料を払うことにすれば争点としては薄くなるはずなんだが、これがなんとも
一方で本来は対抗軸になりえないものが煽られて争点化 赤い旅団が、誘拐・暗殺路線に走った(警官・憲兵数十人を殺害)とき、組織犯罪からすれば
「若い奴らが俺達のお家芸を真似しだした」「シノギ的には競合しないようだ」「治安警察力を削いでくれるのは歓迎だ」だったかな。敵の敵が友になるとは限らないが提携はあったろう。テロリストたちは盛んに自叙伝を書いているらしいが、この部分の闇が残る
高潔・有能なカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ国家憲兵少将は、赤い旅団摘発・マフィア捜査に辣腕を振るったため双方から敵視されたが、知事に転出後にマフィアに暗殺された。 >>913
1958〜63年の年平均経済成長率は6.3%に達し、ジョリッティ時代に
匹敵する高度成長を記録したが、今回もまた南部と北部の経済格差を広げる
不均衡な発展だったな
そのうえ農村から都市への人口移動は農業離れを推し進め、農業人口は減少した イタリアとアルジェリアをつなぐ「地中海パイプライン」というのがある
そのほかに、地中海東部には有力な海底油田・ガス田が存在する
イスラエルやキプロスは、産出した天然ガスの欧州輸出を計画し、
そのパイプラインを、対立関係にあるトルコではなく、ギリシャのクレタ島などを
経由してイタリアに通す計画がある
やっぱりイタリアと地中海・北アフリカの縁は切れないよな イタリア本土からチュニジアでも、日本と韓国より近い 共和政ローマがシチリアを属州にした後、カルタゴとぶつかるのは必然だったのか イタリアは1911〜12年、リビアのトリポリ・キレナイカを植民地すべく
オスマン帝国と交戦し、リビア領有に成功する
ジョリッティが「歴史の宿命」と称したこの戦争では、ナショナリストや
利権を有する財界のみならず、国を挙げてリビアの楽土幻想に酔った
非戦・反戦の立場を一貫して守ってきた社会党からも参戦論者が現れ、
党外に排除される
ドイツや日本と同じく、「遅れてきた帝国主義国家」の宿命なのかな リビアは国土の96%だか97%が砂漠。
海岸のすぐ近くから、奥地まで砂漠だ
イタリア人の期待は、すぐに幻滅へと変わった 『黒い砂漠』という実録映画があったな。エンリコ・マッティはパイプラインの産みの親でもある。
その死の陰には、お約束のようにアンドレオッティの姿があった。 >>935
高速道路を移動中のファルコーネを正確に爆殺するほどの技術力があったのはシチリアマフィアだけ。 シチリアをイスラムが治めていた時代、頻繁に上陸・駐留してくるイスラムに、教皇は「拉致されるかも」と真剣に怯えた。一度バーリから出撃した部隊がローマに迫ったこともあった。ランゴバルド系の南部諸侯は当てにならずビザンチン、特にビザンチンの海軍力が頼りだった。このため、教皇領を得てからも、教皇はビザンチンの意向を無視できなかった。
最初は毛嫌いしていたノルマン人が意外にも滅法強く、イスラム、ビザンチンの両方を追い出してくれたとき、初めてビザンチンと対等になった イタリアって何で王制廃止されたんだ
日本は残ったのに >>945
ファシズムを認めてきたので反発が強かった。初代国王いがいは人気が無かった。保守派と教皇も見放した(カトリック教会は中立宣言して干渉せず)。国民投票では南北で結果が明確に異なった(南部は王制、北部は共和制支持)。
もともとローマは共和制だったし。教皇という精神的な君主もいるし。
キリストという人格性を帯びた神がいるので(人格的要素については神学上の論争テーマ)、どの君主も相対的には軽い存在であり安泰ではない。国民と苦難を共にした印象的な王がおり、「王室は無形文化財」 >>945
ファシズムを認めてきたので反発が強かった。初代国王いがいは人気が無かった。保守派と教皇も見放した(カトリック教会は中立宣言して干渉せず)。国民投票では南北で結果が明確に異なった(南部は王制、北部は共和制支持)。
もともとローマは共和制だったし。教皇という精神的な君主もいるし。
キリストという人格性を帯びた神がいるので(人格的要素については神学上の論争テーマ)、どの君主も相対的には軽い存在であり安泰ではない。国民と苦難を共にした印象的な王がおり、「王室は無形文化財」 「無形文化財」「世界遺産みたいなもん」と認知されれば存続。イングランドは吃音王ジョージ6世が国民を鼓舞し続け宮殿の庭が空爆されたこともあった。デンマーク王はヒトラーが激怒するほどナチスに毅然として応じ国民から敬愛された。
日本の場合は、『神皇正統記』とそれを復活・補強した水戸学・国学の理論が世俗化した一種のエートスがバックボーン。加えて、世界遺産だとは思うよ。少なくとも応神いらい続いてるし(異論承知)、文化的認証の源泉(異論承知)。 王室全般が忌避されているわけじゃなくて初代国王(パンテオンが墓所)は敬愛されており、退役軍人が墓所を守っている。 初代国王はヴィットーリオ・エマヌエーレ二世だっけ
初のローマ旅行でヴェネツィア広場すぐ近くのおんぼろビジホに泊まり、
エマヌエーレ二世記念堂の階段を夕方のぼり、夕陽にそまる市街の景色を楽しんだ
イタリア人からは「ウェディングケーキ」とか呼ばれてあまり評判がよくない建造物だそうだが、
旅人の記憶にはローマの初めての思い出として懐かしくやきついている >>951
あの辺りはオンボロ・ビジホでしたね。私はバチカン周辺からトラステヴェレ方面、アメリカ人目当ての安宿「ホテル・ミケランジェロ」とかが定宿でした 紀元前より前の遺物があるからね。世界四大文明だし。
今の中共に正統な文化的継承権があるかどうかは別の話。
オルドスの騎馬民族のバックルとかがスキタイに影響を与えたとか言い出してるのは笑止千万 1935年に、イタリアはエチオピア侵略を開始した
イタリア軍はこの戦争で毒ガスを使用したものの、それを否定し続け、
政府がこの事実を認めたのは、侵略から60年を経た1990年代になってからだった 最近は世界遺産認定の乱発で価値が下がってきたような気がする… 世界遺産って、ユネスコに賄賂を贈ったら簡単に認定されるんだろうか? 賄賂かどうかは知らんが、政治力がモノをいうのは確か 富岡製糸場が世界遺産なのはよく分からない
日本国内の国宝や重文ならまだしも世界遺産って… 国連貿易開発会議(UNCTAD)が韓国の地位を「開発途上国」から「先進国」に
変更したけど、あれも賄賂で手に入れたんだろうか… >>963
流石に韓国台湾シンガポールは国民所得も産業構造も名実ともに先進国だよ……
むしろ頑なに途上国特権維持しようとしていたあたりに問題が 「我が国は先進国ニダ」と胸を張るわりには、「じゃあ、途上国への特恵は廃止ね」と言われると、慌てて「分不相応ニダ」と打ち消す イタリアがG7に参加した経緯が面白い
当初はイタリアは参加国から除外されてたが、首相が会議の場まで乗り込んで強引に参加
イタリア人は強し >>967
50年前から大自動車コングロマリットが存在する国がG7じゃないっえのは、ちょっとアレだ
航空産業なんかでもかなり強いんだぞイタリア 岩倉使節団も、イタリアの近代化の遅れについて書いているけど、
日本人のイタリアに対する低評価というのは明治から始まっていたのか 低評価だったからこそ明治の留学生たちは英独仏中心だった
明治時代にイタリアに留学した有名日本人って誰がいるだろう? >>970
留学じゃないけどラグーザ玉はイタリアの美大で美術を学んでいるね
他は芸術家でもほぼフランスかドイツ留学のような 日本の西洋古代史研究ではラテン・ローマよりギリシャが優位
中世ではゲルマン・アングロサクソン系が強く、
中世イタリア研究はそれほど盛んではない
英文学研究は盛んだが、イタリア文学研究は手薄 >>972
> 日本の西洋古代史研究ではラテン・ローマよりギリシャが優位
> 中世ではゲルマン・アングロサクソン系が強く、
古代ローマですら、あったとしても英独系視点のものばかり 文学では、シェイクスピアやゲーテは有名だが、
アリオストやタッソの作品を読んだことがある人は少ないだろうな イタリアでは文学くらいしか半島共通のものが無かった
話し言葉さえ全く違っており政治的統合はもとより文化的統合も遅れた
日本ではあまり知られていないが、今でもイタリア人のイタリア人アイデンティティの希薄さと言うのが良く指摘される
郷土へのアイデンティティは強くてもイタリア人という意識は弱いと 国民という概念自体が近世以降の産物で、フランス革命では貴族を除いた「フランス市民」という概念も登場。フランスが使いだした反作用で「ドイツ国民に告ぐ」となるが、それまではバイエル人やシュヴァーベン人にすれば「ドイツ人とは俺のことか?」
神聖ローマ帝国における「ドイツ人」は東フランク人だとザクセン人が不満だったから。もっともルターはローマに敵意をもっていたから「ドイツ性」を強調したが「ドイツ」という観念は知識人層中心の符号。
これが一変するのが「印欧語族の発見」。ドイツ人はインド・ゲルマン語族と解し北欧神話が大ブームに。オランダ人(フランク人の末裔)にまで「君たちもゲルマン人だね」というお誘いがあったが、独自のアイデンティティを誇るオランダ人にすれば迷惑な話だった。
いずれにせよ印欧語族の発見がなければドイツの統一はなかったと思う。イデオロギーが必要だった。 明治時代のお雇い外国人にもイタリア人がいたけど,その代表格キヨソネが
画家というあたりいかにも芸術の国イタリアらしいな。
それはそうと塩婆って19Cに入ってからのイタリアはテーマにしないような・・・
国土統一期とかアドワの戦いとかダヌンツィオ、ムッソリーニとか >>977
その辺の話はエッセイで書きまくっとるよ
小説のネタではないらしい >>977
イタリアという観念を知識人だけでなく大衆にまで普及させた功労者はマッツィーニだったと思う。
ただ、どちらかと言うと不遇のイメージがつきまとう。
それでも、大政党が派手に崩壊し共産党もほぼ原形をとどめていない中で、マッツィーニを開祖と仰ぐ政党は今も国会に議席を有している。 塩婆って塩野のことか。ベルリングェルが「伯爵家」の出だとかの考察は、ヴィスコンティを題材にするのならわからんでもないが、意味不明で所詮上澄みしか見れない、見たくないレベルの知性だと思った。 >>981
ジャンセニスト(カトリックなのに予定説)から正統カトリックに戻った人だね。十分貢献したでしょ。マッツィーニ1人に帰しているわけではない。いわゆる「三傑」に限らない。私がマッツィーニを評価するのは長年ほぼ一貫していたこと(逆に言えば進歩がなかった?)。ボナローティは所詮国際的陰謀家だった。マッツィーニの願いは1946年にようやく結実した。その後がね・・ ヨーロッパだと小学校でも落第は珍しくないよ。適用割合はゲルマン系の方が高いけど。国民所得とかにモロに相関しそうだな。制度として維持しないと示しがつかない。
日本も、旧制中学・高校じゃ落第は当たり前だった。戦後に甘やかしが始まり、その悪影響が今に至る。一度、中央か慶応の法学部で必修科目の教員が正義を通し、2割ぐらい留年して就職出来なくなったという「事件」があったな。教員は、断固として追試を拒否。 戦後の人の伝記を読んでても結構小学校時代の同級生で留年とか結構でてくるので驚く
ただそれらは家庭の事情で中学生でも家業労働しているとか極度の病弱だとか
栄養失調気味で病気がちとか貧困が背景にある事例がほとんど
体育とか定期健康診断とか、学校に保険の先生が配置されるとかいった
国民の健康を管理する体制は留年解消にも役立った オランダの小学校は平均五%ぐらいが留年だよ。容赦がない。それでも子供の幸福度は高いという。
オランダは、結果的に石油系利権に食い込んだし、偶々北部で天然ガスが出たけど、資源にとぼしいという危機意識がある。ベルギーは鉄と石炭が出るので産業革命はオランダに先行し、オランダは恐怖を覚えた。
日本はなまるいんだよ。 今の日本でも高校なら単位制(私立高、公立でも定時制など)の場合には
単位を落として原級留置はありえるね
実際には長期の病欠以外にはそのまま自主的に中退が多いらしいけど
>>984
その「事件」は記憶にある、有名私大だけど大学名は憶えていない
決まっていた就職先がフイになり、親たちが出てきたこともあってマスコミでかなり派手に報道された
日本の就職は新卒一括採用主義だから「事件」化したのだと思う
イタリアの就職はどうなのだろう 日本じゃないけど入社三年目の俺の部下は堂々と修論作成のための有給を申請してきて驚いた
おい・・・履歴書に修了と書いてなかったか?????
仕事ちゃんとやってくれてるので不問にしたが
日本もちゃんと能力を図って採用したんだったら貴重な人材なんだから
入社後の単位取得を認めるくらいの柔軟性があってもいい >>987
イタリアは若者の就職難が絶望的なレベルで有名 >>988
自称院卒で実は学卒か。人事担当が「成績証明書」を「修了証明書」と誤認したのかな。単位さえ取ってれば後は修論だけで、通学は要旨発表会と口頭試問だけだから有り得る話ではあるね。 俺の曾祖父は大卒までストレートだったのが逆にコンプレックスだったらしい
戦前は留年して学ぶことが一種のステータスだったみたいだから イタリアの大学って卒業するのが超ハードで何年か留年する人もめずらしくないって
どっかの書籍で呼んだ事あるな。
>>991
留年してまで学問に浸れるくらいの経済的余裕があっての事なんだろうな >>993
イタリア在住の司馬遼太郎みたいなもんだが「あたしは見たくないものは見ないの」だもんな 欧米じゃ大学卒業者もコネが無かったら就職するのが非常に困難らしい
だから日本の新卒一括採用方式がすぐれている面があるのは確かなんだよな
無論弊害があるのも確かだが ゴンドラの漕ぎ手は免許制でタッソの詩歌を朗唱できることが求められているそうだ。風情があっていいな。日本だと京都検定2級とらないとタクシー運転させないようにしようみたいな話か >>995
フランスではグランゼコール出ても女は在校中からのコネを作りにくい(作ろうと思ったら・・)というのが問題になってる 大学と違って士官学校はさすがに留年を許さない?>イタリア カンツォーネはいいよな。シャンソンは台詞を聞かせるフォークソングみたいな臭みがある(シャンソン好きだけどね)。胸にしみる。
今では演歌みたいな扱いなんだろうか レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。