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北周、北斉、陳の鼎立時代を語れるものはいないか
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0001世界@名無史さん
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2020/02/29(土) 17:14:11.650
「斉、陳、周の三国鼎峙」
資治通鑑より
0016世界@名無史さん
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2020/03/01(日) 19:41:17.370
講談は、清朝の満州人に威張りちらされてストレスたまった漢人の民衆が、日頃の鬱憤を晴らすためにあった
0018世界@名無史さん
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2020/03/01(日) 20:49:10.440
>>17
「三国志演義」などの4作品が「四大奇書」とされるようになったのは清代

「奇書」というだけあって、読書人の愛読書
0019世界@名無史さん
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2020/03/01(日) 21:01:07.990
明代の民衆にとっても、北方民族の侵略は忌み嫌われる恐怖だった。
宋の岳飛や楊家将、明の劉伯温など、異民族と戦う漢民族の英雄は、講談の人気者。

「異民族が出てくるストーリーは民衆に人気がない」というのは、日本に限った話で、中国ではそうでもない。

もちろん、中国でも関羽や張飛は有名だし、三国志に人気がないと言ってるわけじゃないんで
0020世界@名無史さん
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2020/03/01(日) 21:10:08.040
金庸をはじめとする中国の武侠小説には、清の庶民、とくに子どもが講談や芝居を楽しむ場面がよく出てくる

それを見れば、講談がどういうものだったかが分かる
0022世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 17:37:32.110
北周が華北を統一してからは、陳の滅亡は時間の問題となった。

ところが、ここで想定外の事態が起きた。
なんと、不世出の英雄・北周の武帝が若くして死去したのだ。
0023世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 18:24:21.080
>>21
北朝はどうもイメージが良くない
0025世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 19:34:23.850
ああ、後梁って、北朝じゃなくて南朝の残党が建てた小国のことか

それは盲点だった
0026世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 19:37:01.240
そもそも、北朝の後梁は時代が違うしw
0028世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 19:58:05.480
侯景の乱により、南朝の梁はいったん崩壊した。
梁の武帝の子・蕭繹は、侯景の乱を鎮圧した。

蕭繹は、552年11月に根拠地の江陵で梁の皇帝に即位し(元帝)、梁を復興させた。
そこに、北朝の西魏が5万の軍で侵攻してきた。
江陵は554年11月に陥落し、元帝は戦死した。
西魏は、江陵において、蕭詧を新たな梁の皇帝(宣帝)として即位させた。
これが後梁である。

しかし、元帝崩御の報せを受けて、旧都・建康を守備していた王僧弁と陳霸先が、建康で別の皇子を擁立し新たな皇帝としたため、梁は2つに分裂した。

だが、両雄は並び立たず。
建康では、王僧弁と陳霸先の対立が次第に表面化し、やがて王僧弁を倒した陳霸先が、禅譲を受けて、陳の皇帝となった。
0029世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 20:04:21.520
南朝・陳があれほど弱体だったのは、侯景の乱で首都・南京が荒廃して国力がダウンしたのもさることながら、建国時のトラブルが後々まで尾を引いた。

陳覇先と並ぶ2大実力者の1人、王僧弁を打倒して皇帝に成り上がったわけだが、王僧弁の残党は健在で、かれらの反攻に陳覇先は苦しんだ。
0030世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 20:10:17.840
>>26
魏晋南北朝時代と五代十国時代は、どうしても、ときどき王朝名が錯綜してしまう
0031世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 21:21:54.370
魏晋南北朝時代と五代十国時代

とくに紛らわしいのは、両方とも北朝最後の王朝が周

しかも、最後に名君が登場して乱世を終息に向かわせたが、その途上で早逝するという同じような流れをたどった
0032世界@名無史さん
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2020/03/02(月) 22:09:37.210
世界史で習ったけどゴッチャになりそうで
小説十八史略を読んで頭を整理した覚えがある

陳先生ありがとう
0033世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 00:20:43.410
陳先生の歴史小説はおもしろくないけど、まとめるのは上手いな
0035世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 00:32:29.870
蘭陵王こと高長恭は、北斉の皇族で、有名なイケメンの優男。
戦場では仮面をつけて戦っていた。
中台合作ドラマ「洛陵王」は大ヒットしたが、蘭陵王の仮面は、日本の能面だった。

アニメのネタにもなっている。
0036世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 07:24:06.500
資治通鑑読んだ人って現代日本でどれくらいいるんだろう
0037世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 11:58:20.280
>>24
三国志だって燕があったけどカウントされてないし
0038世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 12:16:37.320
>>26
「後梁」っていったら、普通は朱全忠を連想するだろ

この時代のは「南梁」と呼ぶべきだ
0039世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 12:17:23.190
>>37
中国は広いんだ

地方の独立小勢力なんか、数えたらキリがない
0043世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 19:45:18.180
>>42
それまでの仏像はインド人みたいな濃い顔をしていたが、北斉から東洋人っぽくなった

とても優しそうな雰囲気なのが、北斉の仏様の特徴
0045世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 20:12:30.580
>>38
都が西に移ったのだから西梁では?
0046世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 21:24:15.700
>>35
陵王面ならまだしも、般若面って何よ
って言われてたな
0047世界@名無史さん
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2020/03/03(火) 21:27:10.980
>>46
しかも、蘭陵王の邸宅には、神社の鳥居があった

時代考証を超越したファンタジー時代劇だった
0048世界@名無史さん
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2020/03/04(水) 05:07:17.070
最終的に、北の隋が、南の陳を滅ぼして天下統一した。
漢が崩壊して以来、じつに400年後のことだった。

隋はあまりにも強力で、陳はあまりにも無力だった。
このため、「史上、最も楽だった天下統一」と言われる。
簡単すぎたため、時代劇のネタになりにくい。
0049世界@名無史さん
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2020/03/04(水) 14:17:39.420
はからずも隋唐戦争時の唐王の兵力不足の葛藤が生きる演出になってる
0050世界@名無史さん
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2020/03/04(水) 14:23:41.380
>>31
南朝の最期にも、不思議な共通点がある

隋に滅ぼされた陳の後主と、宋に滅ぼされた南唐(呉)の李イクは、ともに政治家としては無能だったが、詩人としては天才で、中国文学史上に不朽の名作を残した
0051世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 15:20:32.300
陳が滅亡したときは
蜀方面からの進行も行われたの?
0053世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 16:12:39.490
秦漢とか三国志の呉の時代には広大な湿地帯だった長江下流が、六朝時代の数百年を通じて開拓が進み、今ではすっかり穀倉地帯。
経済力では南朝が北朝を格段に上回っているので、本当なら難敵のはずなんだけど、陳は弱かった。

侯景の乱のときの南京大虐殺の打撃が大きかったこと、陳覇先のライバル王僧弁の残党との内戦が続いたこと、南朝最後の皇帝・陳後主が無能だったのが原因。

それでも、隋は何年もかけて侵略を準備し、最後は50万の大軍で攻め込んでいる。
結果的には楽勝で、陳後主は、妾と一緒に井戸に隠れていたところを捕縛され、妾は美女なので隋に連れていかれた。
0054世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 18:28:52.450
侵攻の妨げになりそうな湿地が開拓されて進みやすくなった
0055世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 19:11:20.570
東魏、西魏、梁も三国志状態
0056世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 19:42:44.690
>>53
>結果的には楽勝で、陳後主は、妾と一緒に井戸に隠れていたところを捕縛され、妾は美女なので隋に連れていかれた。

後主と一緒隠れていた張麗華はその美貌から帝を惑わされることを恐れた高ケイによって斬殺された
一方後主はというとその暗愚さから反って警戒されずに助命された
晩年は文帝の飲み仲間として重宝され長安で悠々自適の生活を送ったという
0057世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 19:44:29.400
北斉に滅ぼされでもしていたら
暗愚だろうが何だろうが誅殺されていただろう
0058世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 20:38:11.580
>>55
どの国もそれぞれに強大で、突出した勢力もない

「三国鼎立」と呼ぶのに最もふさわしい時代
0059世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 20:39:49.600
>>56
南朝の皇帝や貴族は、文化人としては優れているからな

詩とか管弦を楽しむには、もってこいの仲間
0060世界@名無史さん
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2020/03/08(日) 23:28:17.960
鮮卑復古の北周は突厥と通訳なしで会話できたりしてたの?
0061世界@名無史さん
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2020/03/09(月) 16:40:55.470
>>60
わからんが、唐のほうがさらに突厥との関係が深い
0062世界@名無史さん
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2020/03/09(月) 16:44:52.420
こうしてみると、南朝の梁は大国だった

この3国はいい勝負。三国志の時代より、「三国鼎立」と呼ぶにふさわしい

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/b1/西魏%EF%BD%A5東魏%EF%BD%A5梁.PNG
0064世界@名無史さん
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2020/03/09(月) 16:52:32.100
東魏と西魏は、北魏が分裂してできた。
分裂したといっても、ちょうど真っ二つになったわけではなく、北魏の首都の洛陽も、
伝統的に北朝の中心都市の業も、東魏にあった。
馬も人も、東魏がより多く受け継いだ。

このため、国力は東魏が突出していた。
でも、北魏から続く、鮮卑貴族と漢人官僚の対立までも、ついでに引き継いでしまっため、国内は内紛が絶えなかった。
国力では見劣りする西魏は、宇文泰の粘り強い改革で強くなり、ついには東魏を逆転した。

いろんな面で、数百年前の袁紹と曹操に似ている。
0065世界@名無史さん
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2020/03/10(火) 22:55:05.060
 折から南朝の梁は、侯景の乱が全土に広がり、弱体化が顕わになっていたので、西魏の宇文泰は府兵制で組織した軍隊を派遣し、四川地方や江陵を奪った。
しかし、当時、モンゴル高原に興った新たな遊牧騎馬民族である突厥に対しては、府兵制の軍隊では立ち向かえなかった。

 552年、柔然から突厥の木杆(もくかん)可汗が独立した。
突厥はかつて服従していた柔然を攻撃したため、柔然の民が西魏の領内に逃げこんでくると、宇文泰は突厥の要求に応じて、情け容赦もなく柔然の君主以下3000人を捕らえて突厥に引き渡し、それが皆殺しにされるのを傍観した。
宇文泰は突厥に対してその後も卑屈な態度を取り、その属国と見なされることとなった。一方の東魏は突厥に対して果敢に抵抗し、その侵入を再三撃退している。

<宮崎市定『大唐帝国 中国の中世』中公文庫 p.312>
0066世界@名無史さん
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2020/03/10(火) 23:29:11.320
「西魏の宇文泰は府兵制で組織した軍隊を派遣し、四川地方や江陵を奪った。 」

なぜ蜀はいつも制圧されるのか
蜀の険道は晋時代に交通整備されて侵入しやすくなってでもいるのか
0067世界@名無史さん
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2020/03/10(火) 23:35:06.880
たいてい、北に行くほど軍事力が強いからな

蜀より西魏が強く、西魏より突厥が強い
0069世界@名無史さん
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2020/03/17(火) 14:58:56.410
陳は呉明徹がいるうちに北斉を滅ぼすことまでできなかったのか
0070世界@名無史さん
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2020/03/17(火) 17:37:10.180
陳が北斉を滅ぼしていたら、空前絶後の「東西朝時代」になっていたな
0072世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 09:54:01.050
黄河長江が東西に流れてるからな
国境守るコスト的に南北朝になるのは妥当
0073世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 16:30:14.060
では蜀を征服
有無を言わさず後梁を征服して南半分を征服して武帝梁時代の振り出しに戻すと言う事は
0074世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 16:55:53.330
>>73
大河の下流から上流に向かって攻め上るのは、逆よりずっと難しい

ディーゼルエンジン付きの現代の船ならともかく、昔の船でそれをやるのは無理。
陸路でも、低地から蜀の山岳地帯に攻め上るというのは
0075世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 19:23:43.760
陳は、王僧弁の残党との内戦で忙しかった

それどころではない
0076世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 22:36:48.700
>>75
陳は同時期の北斉後主や北周宣帝みたいなヒャッハーな皇帝がいないから地味で面白くない
0077世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 23:26:23.770
>>76
陳後主は不朽の名作を残した詩人

華やかな貴族文化だ
0078世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 23:28:24.970
秦淮に泊す   杜牧

烟は寒水を篭め 月は沙を篭む
夜 秦淮に泊して 酒家に近し
商女は知らず 亡国の恨み
江を隔てて猶 唱う 後庭花
 
秦淮に来て一泊した夜、寒々とした
水面には夕もやが立ちこめ、月光は
岸辺の砂一面に降り注いでいる
そのとき対岸の酒楼から芸妓が歌う
後庭花の曲が聞こえてきた。彼女らは
この曲に秘められた亡国の恨みなど
全く知らずに歌っているのだ”
0079世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 23:29:35.560
亡国の恨みが秘められた「後庭花」とは何か。

時は唐の建国に先立つこと数十年前、中国はまだ南北朝が割拠し、健康(現在の南京)を都とする陳という国が江南に勢力を張っていた。

その陳の5代目の皇帝 後主叔宝は多芸多才で、特に詩と音楽にすぐれた才能を持っていた。
しかし酒色に溺れて国事を顧みず、寵妃や宮廷詩人と日夜宴遊にふけり、詩を作っては曲をつけ、後宮の美女たちに歌わせては楽しんでいた。

その最も愛唱された一曲が、彼の溺愛していた寵妃 張麗華をたたえて詠んだ詩 『玉樹後庭花』 であった。
そのメロディーは哀切にみち、人々は亡国の予兆を感じ取ったという。
0080世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 23:30:59.190
玉樹後庭花   陳後主(ちんのこうしゅ)

麗宇 芳林 高閣に対し
新妝の艶質は もとより城を傾く 
戸に映り 嬌を凝らして たちまち進まず
帷を出で 態を含み 笑って相い迎う
妖姫の顔は 花の露を含めるに似たり
玉樹 流光 後庭を照らす
    
壮麗な宮殿、芳しい木立が、そそり立つ高殿にむかいあって立ち
化粧をすましたばかりの妖艶な女の姿は、まさに傾城傾国の美しさ、
戸に映った影は色気に満ちて立ち止まり、
閨房を出ては媚びをつくって出迎え
妖しい女達の顔は露を含んだ花に似て
月光は美しい樹林を通して後宮の庭を照らしている
0081世界@名無史さん
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2020/03/18(水) 23:33:49.780
折から北の隋が陳に侵攻し、その軍隊が宮殿に攻め込んだとき、連夜の宴会で泥酔していた後主叔宝は、慌てて宮殿にある井戸(景陽井)に飛び込んだ。
しかし溺れかけて助けを求めたため直ぐ発見され、隋兵が井戸へ垂らした1本の綱に陳後主と2人の愛姫 張麗華、孔貴嬪の3人がすがりついて出てきて隋兵を驚かしたという。
3人は捕らえられ国は亡んだ。

杜牧が『秦淮に泊す』を詠んだのは、陳滅亡後およそ二百余年の歳月が経った晩唐のこと、
いまや酒楼の妓女たちが何の屈託も無く『玉樹
後庭花』を歌うのを聞き、歴史詩に強い関心を持つ杜牧は作詩の衝動にかられて、この詩を詠んだのであろう。
0082世界@名無史さん
垢版 |
2020/03/19(木) 21:39:38.780
>>77
陳後主は斉後主や周宣帝と違って、国政のトップとしてとことんずれてるだけで、人として狂ってる壊れてる感はないんだよな。

>>81
陳宣帝も、何人も息子いたのに、わざわざよりによって一番向いてなさそうなのを選ばなくても。
0083世界@名無史さん
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2020/03/20(金) 05:26:33.120
>>82
平和な時代なら、優れた貴族文化の担い手。

でも、大陸の国際情勢は厳しいからな。
そういう奴が、国家をマトモに運営できることは珍しい。
0084世界@名無史さん
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2020/03/20(金) 08:09:48.960
蜀の劉禅と同じように、国が滅んで囚われの身になってからも、長安で酒浸りの日々を送り、隋の文帝から警戒されなかったという話がある

数百年後、北宋に滅ぼされた後周の李イクは、南京の都を懐かしむ詞をいくつも残し、不朽の名作とされてるが
0086世界@名無史さん
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2020/03/20(金) 11:41:08.490
>>83
文化活動だけ優れてて
政治的には大した有能さはないのに、
内憂外患にも大政争にもみまわれず
位を全うして暗君として悪名高くはない
君主てそもそも殆どいないのでは?
金の章宗ぐらいしかおもいつかん
0090世界@名無史さん
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2020/03/21(土) 21:02:10.680
>>87
生涯、せんそう
0091世界@名無史さん
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2020/03/21(土) 21:03:15.340
生涯、戦争ばかりしていた
0092世界@名無史さん
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2020/03/22(日) 08:22:53.970
>>88
太行山脈で東西に分けるのは、自然国境として落ち着きが良い

でも、ギョウは古来から趙の領土で、キングダムの漫画でも、「太行山脈を回り込んでギョウを攻略する」という話をだいぶ前からずっとやっている
0093世界@名無史さん
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2020/03/22(日) 08:24:37.530
>>85
日本でまったく人気が出ないのは何故?
0094世界@名無史さん
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2020/03/22(日) 23:47:57.070
>>93
横山光輝の三国志みたいに読みやすいマンガにしてくれる人がまだいないから
0095世界@名無史さん
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2020/03/23(月) 00:13:25.500
>>94
キングダムの続編でこの時代やらないかな
現在のキングダムが「キングダム 天下統一編」だとすると、
「キングダム 地上最強編」とかで。
0096世界@名無史さん
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2020/03/23(月) 00:57:30.510
いらない
主人公国の正当化がひどすぎる
0097世界@名無史さん
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2020/03/23(月) 01:06:52.730
鄴てもともと魏の領土じゃなかったか?
まあどこでもいいが
0098世界@名無史さん
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2020/03/25(水) 00:08:20.170
>>94
文宣帝や北斉後主を筆頭に
北朝の描写にリアリティーもたせたら
R指定食らうから
0099世界@名無史さん
垢版 |
2020/03/25(水) 00:21:18.050
あの作者ならリアリティー捨てるだろ
0100世界@名無史さん
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2020/03/25(水) 02:10:49.070
始皇帝の母と、呂不韋の不義密通の話はそれなりにエロかった
0101世界@名無史さん
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2020/03/25(水) 23:04:14.830
>>98,99
むしろそっち方面でカリグラの有名な映画のお株を奪う評判の作品を目指して制作してみるとか
0102101
垢版 |
2020/03/25(水) 23:18:22.270
器質レベルで
脳みそぶっ壊れてるんじゃないか、
と思える狂いっぷりにおいて
文宣帝に匹敵できる実在の帝王は
世界史上ヘリオガバルスぐらいしか
思いつかん。
なので、作品の素材としては
カリグラより断然上だと思うんだが。
0103世界@名無史さん
垢版 |
2020/03/26(木) 17:02:48.000
隋の煬帝の暴君伝説は、唐王朝により誇張・脚色された面がかなりあると思うが、北斉のは多分ガチ
0104世界@名無史さん
垢版 |
2020/03/26(木) 17:09:19.720
「ほんとかよ?」と思うようなウソっぽいエピソードも目につくのだが、北斉の正史を編纂したのは唐朝

そんなに北斉の無道を誇張する必要もなかったと思うんだよなあ
0105世界@名無史さん
垢版 |
2020/03/26(木) 17:11:18.620
北斉後主の逸話 (ウィキペディアより)

・自ら琵琶を弾いて「無愁の曲」を作った。近侍が一斉に和したので民間からは「無愁天子」と呼ばれた。

・ある王に「任地にいた時、何が楽しかった?」と聞くと「蠍をたくさん入れた穴の中に人を入れてもがき苦しむ様を見るのが楽しかった」と言ったので、
同じようなことをさせると、その王を叱りつけた。「なぜ、このように面白いことを隠しておったのだ」と。

・陥とされた平陽を奪還しに行った時、あと一押しで落とせるところまでいったが、馮淑妃と共に落城する様を見物しようと攻撃を止めさせた。
馮淑妃の化粧に時間を取られたので、結局は落とすことができなかった。

・陳に侵略された時はさすがに顔色は失ったものの、臣下に「まだ淮河以南を失われたにすぎません。
黄河以南を失われたとしても我が国には亀茲くらいの国力があります。一生遊び暮らすには充分ではありませんか」といわれて、そのまま納得してしまった。
0106世界@名無史さん
垢版 |
2020/03/26(木) 17:16:39.170
こんな数々の伝説で、その無能ぶりが後世に伝わる。

それくらい北斉の国力は強大で、弱小国の陳に侵略されたり、北周にあっさり滅ぼされたりしたのは、信じられない大逆転だった。
歴史に残る超オウンゴールを連発でもしない限り、こんなことにはならなかった。
0107世界@名無史さん
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2020/03/27(金) 20:39:53.830
北斉の初代皇帝・文宣帝の逸話

・幼い頃、高歓が子供たちの才能を確かめようと、絡まった麻糸を与えては解くように課題を与えた。
他の息子たちは解くことができなかったが、高洋はその絡まった糸を刀で断ち切り、「乱れたものは斬らねばならない」と答えた(『北斉書』文宣帝紀、『通鑑記事本末』)。
これは「快刀乱麻を断つ」という故事成語のもととなったといわれる。西洋にも似た話が伝わる(ゴルディアスの結び目)。

・ある時、文宣帝が悪酔いしたので、母親の婁氏が鞭を打った。すると文宣帝は非常に怒って「なんだ?この婆さん、他所に嫁に出してしまうぞ!」と叫び、誤って怪我をさせた。
酔いが覚めると過ちに気づいて深く後悔し、「私は母上に言ってはならないことを言ってしまった。どうか罪深き私の背中を打って欲しい。打たなければ殺す」と、強引に臣下に自分を杖で打たせ、自ら母に心底から詫びた。

・長い鋸など処刑道具を常に準備していて、酔うたびに戯れで人を殺した。そのため楊愔は、宮殿の庭に死刑囚用の檻を作った。
無論、生贄のためであり、3ヶ月間文宣帝に殺害されなかった者は解放されたという。

・猜疑心の強い文宣帝は、寵妃の薛嬪と清河王高岳の内通を疑い、高岳を殺害した上、薛嬪の姉を鋸引きの刑で惨殺した。後に薛嬪をも殺し、その骨で琵琶を作らせた。

・僕射の崔暹が卒去した時、その死を大いに悲しんだ。ある時、文宣帝はその未亡人の李氏に対して問うた。
「崔暹のことを思い出すか?」
「どうして、忘れられましょうか?」
「それならば、崔暹の傍らに行くがよい」
と自ら剣を抜刀して、李氏を斬り捨てたという。

・占い師が文宣帝の寿命を占った時、占い師は90年生きると予言したが、さすがに文宣帝は占い師が予言をごまかしたのを見抜いたという(実際に出た結果は30年だった)。
0108世界@名無史さん
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2020/03/27(金) 20:42:26.540
やはり、王朝の初代は強烈な個性の持ち主が多い。

初代といっても、東魏の高歓を魏の曹操に例えるなら、初代皇帝の曹丕に当たる人物で、本当の初代は高歓というべきだろうが、それにしたって、王朝を創業したことに変わりはない。
0109世界@名無史さん
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2020/03/27(金) 23:16:31.550
>>108
>>やはり、王朝の初代は強烈な個性の持ち主が多い。

北周孝閔帝「せやろか?」
0110世界@名無史さん
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2020/04/02(木) 14:31:25.840
陳が勝った場合
遣陳使が贈られることになっていただろう
0111世界@名無史さん
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2020/04/02(木) 16:34:58.810
>>36
やラボ、ら、、、。
0112世界@名無史さん
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2020/04/02(木) 16:35:30.970
>>84
、んろ、ら
0113世界@名無史さん
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2020/04/02(木) 16:35:44.140
>>110
>陳が勝った場合
>遣陳使が贈られることになっていただろう
0114世界@名無史さん
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2020/04/02(木) 16:36:05.760
>>89
0115世界@名無史さん
垢版 |
2020/04/02(木) 16:36:20.260
>>83
?ゃららら、、、
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