もし南樺太が日本領のままだったら
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日ソ中立条約などなければ、いつでもソ連に攻め込めたのに。
たとえ全面戦争でなくても、ソ連は極東に軍隊貼り付けておかなければならなくなり、独ソ戦にも大きな影響があっただろう >>649
>いつでもソ連に攻め込めたのに
そう思って中立条約締結前にノモンハンでソ連軍に戦争を吹っかけて日本軍はどんな目にあった?
また中立条約締結後かつ独ソ戦開始後に、
日本は明らかに条約違反の戦争準備である関東軍特種大演習(関特演)を実施して、
それで独ソ戦の推移に何か影響はあったか? ソ連はゾルゲなどを通じて日本がソ連と戦うことはないと確信していたから、関東軍特殊演出などやっても無駄
独ソ戦開始後、ソ連に攻め込んでいたら、かなりの影響があっただろう ノモンハン事件は戦闘的には引き分け。
日本はソ連の被害を過小評価して判断を誤った 満州で軍事演習やると日ソ中立条約違反なのか?
関東軍は勝手に開戦した前例が何度もあるが、またやってくれたら面白くなったかもしれん 南樺太ソ連に譲るからアメリカとの和平仲介して!ってもっと早い段階で交渉してたらまた状況変わったのかな? >>654
>南樺太ソ連に譲るから
スターリン「それには及ばないよ。俺が自分の力で奪い取るからな!」 終戦があと1カ月遅れていたら、北海道はソ連に占領されていただろう
そして北海道はアイヌ人民共和国として外国になっていた 日本は手足をもぎ取られながらも
ドイツや朝鮮みたいに胴体を引きちぎられることはなかったな
不幸中の幸い そもそも朝鮮半島ってなんで分断されてしまったの?
素朴な疑問 >>654
日本が弱気に出てきたと思って更に要求してくる。 ドイツ降伏後3カ月以内にソ連が日本を攻撃してくると、ヤルタ会談の情報が入ってきてるのに、愚かな日本政府はソ連に講和の仲介を頼んで待っていた。ソ連の返事がある訳がなく、日ソ中立条約有効期間がが残り1年あるのに、ソ連は条約の延長はしないと言っただけで日本に攻め込んできた。 択捉島、国後島を取り戻せ
どちらも沖縄本島より面積が広い 沖縄戦が日本唯一の地上戦と言われるけど
千島列島へのソ連侵攻は地上戦じゃなかったの? 占守島で地上戦が行われた。他のところは早々と武装解除してしまい、ソ連軍が虐殺、強盗、強姦やり放題 千島列島全島で対抗してたら日本に千島が残ってた可能性もあるだろうか。 樺太はソ連軍が一方的に虐殺してきた
戦いとは言えない >>668
ヤルタ会談だかポツダム会談で、
南樺太と千島列島はソ連に引き渡すと米英ソで取り決めたからソ連軍の進駐は拒めない
日本はポツダム宣言受諾したから
スターリンは北海道北部へのソ連軍進駐も望んだが、
トルーマンが拒否したんで北海道は日本に残った 当時の米国は頭悪すぎた
終戦後はソ連の方が脅威になることは目に見えていたのに国際法違反を犯してまで利敵行為をした
だがヤルタごときには何の効力もないから反故にして問題ない 実際サンフランシスコ講和条約では樺太千島をソ連及びロシアに引き渡さないことになっている
そのため彼等は現在も国際法上不法占拠している形になっている >>673
米国というよりルーズベルト個人が頭悪かった
高卒のトルーマンの方がよっぽど有能な大統領 南樺太と千島列島は国際法上未確定地域で領有権を主張出来る国がない。
日本はサンフランシスコ条約で南樺太と千島列島を放棄しててロシアは条約に署名も批准もしてないから領有権を主張出来ない。
ロシアの法学者もロシアの実効支配を支持しつつも「法的にはこれらの地域は真空地帯」と認めてる。
そこでこういった異常事態を是正するためにどういった解決策があるのだろうか?
日本でもロシアでもない第三国が領有を主張することも出来るのだろうか?
日露二国間のみの平和条約締結で国際法的に瑕疵のない状態に出来るのか?
国際学者は真剣に考えてみるべきだろう。 サンフランシスコ講和会議で、日本が樺太、千島列島を放棄すると言ってしまったので、樺太に対する日本の領有権はない。
千島列島に北方4島が含まれないと、サンフランシスコ講和会議の時に付け加えておけば、北方4島は戻ってきたかもしれない そもそも北方四島なんてものは日本の後付け理論
吉田茂も国後島と択捉島は放棄したと国会で答弁してる
それを後になって千島列島には含まれていないと言い出した 無理
プーチンになってから日ソ共同宣言の有効性も怪しくなった >>683
今は無理だがコロナ禍が明ければ行ける。 樺太千島を日本が再領有することは禁じられていないし、
民間人を大量に殺戮して正当な理由なく強制的に放棄させられたのだから、日本には再領有を主張する正当性がある
日露で共有するのが妥当な解決策であろう ロシアが北方領土返還するとは思えない
竹島を奪還するより無理だろう 近々ロシアがウクライナを侵攻するとすれば
そのときが北方領土返還を迫る最後の機会になる
ロシアは二正面作戦が出来ない国だからヨーロッパで揉めている間に日本は返還のため揺さぶりをかけるべき 南樺太と千島列島、どちらか返して貰えるとしたら日本にとってどちらが得だろうか >>689
千島一択
南樺太だけあったところで何にもならん。 ソ連崩壊という一大チャンスがありながら返還の努力をしなかった日本には何も期待出来ない ソ連崩壊の時の日本の首相は宮澤喜一
その後は細川、羽田、村山
全部駄目だな ソ連という「政府」が崩壊しても、「ソ連→ロシア」という国家は変わらないんだぜ。
大陸から中華民国政府がなくなって中華人民共和国になっても国土と国民、そして歴史文化がそのままなのと同じ。
まさか政府が変わったら国民はその国土から出ていかなきゃならんと思ってる? ロシア帝政を倒して共産政権をたてたソ連は、ロシア時代の借金は別物で無関係とか言い出して、外国からの借金を踏み倒そうとした 今の日本は過疎地の水道は自分で金出して引けというスタンスで
地方に金出さないんだよ
だから樺太があっても誰も住まないと思うぞ
樺太に日本人が移住するくらいなら
北海道北部はもっと賑やかになってるはずだ 地方切り捨て、東京一極集中
明治から戦前は外へ外へと外向きエネルギーだったのが、
戦後は内へ内へと内向きエネルギーに変わった >>694
ソ連崩壊直後のロシアがどんな混乱に陥ってたか知らんのか?
国家の体を成していなかった だからってその地に定住するロシア人がその地を出ていかなきゃならないってことはないんだよ 安倍晋三政権が北方四島のロシア帰属を認めてしまった上に国民の税金から3000万円をロシア様に献上してるんだよなあ
それを批判するとネトウヨに反日呼ばわりされてさ
お前らなんで自民党支持してんの? 馬鹿なの? 創価だったら仕方ない 3000億円だったわ
これだけのカネを国民のためではなくロシア様のために使うって
安倍晋三は本当に反日だよな >>700
左翼の側からいくらゆさぶっても時間の無駄
少なくとも保守じゃなきゃ支持者は自民を支持する
立憲・れいわの馬鹿は邪魔してるだけ
2島返還を邪魔した米がいまだにダンマリ。米露は組んでんだろう
当初日露の歩み寄りを嫌がったわけだが
プーチンはもう米の意向に沿ったまま
日本から旨い汁吸う方が賢いと結論出してる。惨めな自民党 >>697
なにいってんだよ。江戸時代も鎖国して
士犬農工商で日本史上屈指の差別社会にし、
飢饉で人口激減、参勤交代で一極集中してただろうが
今の日本に似てるけど外圧なしでこれだから政府はもっとひどい
関東政権ってのは鎌倉時代も御恩と奉公で似たようなもんだよ >>703
藩なんて自治政府だよ?特に外様藩
薩摩藩なんて半独立国だ
参勤交代は武士だけで、農民はほぼ一生地元で暮らす
天皇は京都、商業は大坂、政治は江戸と地方分権なされてた 政財官、全てが東京集中されたのは明治から
それ以前の一極集中だと平安時代前期にまで遡る
平安後期の律令体制崩壊から明治維新までの千年間、中央政府の地方統制は極めて緩い
江戸時代の諸藩の年貢率なんて藩によってバラバラ
税率一元化されたのも明治の地租改正以降 >>699
なんでいきなりロシア人の定住だの追放だのという話になるんだ?
レス遡ってもそんなこと言ってるやつ誰もいないが 仮に外交交渉で歯舞と色丹が日本領となったとする。
その場合既に定住している現地ロシア人の権利擁護は日本側の義務となる。
大体こういう場合は2、3年の猶予期間を設けてロシア本土への帰還やそのまま定住、国籍選択といったことを住民に選択させる。
よってロシア人が出て行かなきゃならないことにはならない。
まあ仮に日本領になったらロシア人のほとんどがロシアに帰るだろうけどな。 ソ連が南樺太や千島に侵攻してきた時、残った日本人は虐殺されるか、日本に逃げるか、シベリアに拉致された。 >>706
じゃあ北方四島が日本に返還されたら現在そこに住んでるロシア人たちはどうなんの? >>709
基本的に>>707で書いてある通りだが、それは日露間の条約によるだろう
少なくとも日本政府は返還後のロシア人の権利を保障すると言っている
過去の事例を見ても台湾を併合した際は現地人に日本か清国の国籍選択の2年間の猶予を設けていた
ロシアはクリミア併合をしたとき住民は原則ロシア国籍になることになったが、ウクライナ国籍を維持したい者は引き続き認められた 美人なロシア人に日本に居てくれると良いねえ
北海道美人が秋田美人に取って代わる日も近い! 武魯頓島、知理保以島、知理保以南島まで返還要求したらよろしい。
得撫島の北にある小島3つだけど千島列島のちょうど真ん中ら辺になる。
千島列島を半分に日本とロシアで仲良く分けよう。 >>713
1943年に内地に昇格
2年後の敗戦でソ連に占領 >>714
ありがとう
逆に43年までは外地の扱いだったのか ソ連が崩壊したって北方領土は日本に戻るわけじゃねえだろ
だったら江戸幕府が倒れた時点で日本は幕府が推し進めていた千島進出を放棄したことになる
よってソ連崩壊以前に日本は「固有の領土」を主張できないってことになるんだよ
自民党政権を批判すると反日と言ってる馬鹿がいるけど政府と国家は別物だ
ソ連とロシアは政府が違うだけで国家は変わらない 松岡洋右が日ソ中立条約というものを結んでしまったのが全ての間違い。
独ソ戦に便乗して北樺太、沿海州、カムチャッカ半島、外満州あたりまで獲得は可能だったのに、日ソ中立条約のために無駄な南方へ向かってしまい日本は破滅した ゴルバチョフかエリチンが大統領の時がチャンスだった。
エリチンに賄賂を渡せば北方四島は日本に帰ってきていただろう >>720
チャンスはああいう混乱期交渉だな
しばらく待ってるしかない分けだ プウチンは絶対領土を渡さない。クリミアを奪い、これからウクライナにも攻め込もうとしている >>723
お魚さんがいっぱいとれて北海道の漁師さんが儲かる >>723
領海かなり増える
ロシア太平洋艦隊を監視する基地にもなる >>723
スキーと温泉の穴場として
意外と観光地で栄えるとか。
旅館の食事は海鮮尽くしとなw 今は温暖化で北極海の氷が溶ける量が増えているので日本の北極進出の拠点になる >>186
アラスカとアメリカ大陸西海岸のロサンゼルス辺り迄はロシア領だったが、
ロシア皇帝が、維持するのに負担が増えて大変だという理由で、
アメリカに売却。
しかし、冷戦時代にここがソ連だったら、
陸の国境で米ソが対峙してたことになるんだな。 カリフォルニアは元メキシコ領
米墨戦争でアメリカが奪った
ロシアがアラスカを売却したのは、クリミア戦争で戦費がかさみ財政難になったから。 北カリフォルニアのボデガ湾近くに、前進基地としてのロス砦が1812年に建設された。ロシアは1841年まで砦を維持したが、その後は放棄した
1817年から1853年、現在のハワイ、カウアイ郡ワイメアの地、ワイメア川近くに、カウアイ島でロシアが維持した3つの砦の1つ、エリザベス砦があった。
ロシアはアラスカの次に現在のブリティッシュコロンビア州まで探検し、交易用前進基地や狩猟用開拓地を建設した。後にイギリス帝国やアメリカ合衆国との条約で、その境界は北に移動した。 ロシアはハワイにも拠点を作り植民地にしようとしていた。
日本が、もう少し早く開国していたらハワイを日本の領土にできたかもしれない。 >>733
南鳥島とか小笠原諸島の、明治初期の日本とアメリカの領有権をめぐる争いも、中々興味深い。
★小笠原諸島
1670年:長右衛門ら7名が母島に漂着。
1675年:幕府調査船を派遣。
1827年:英国軍艦、は父島をはじめとする小笠原群島の領有宣言。しかし、この領有宣言はイギリス政府から正式に承認されず。
1830年:欧米人男性5人と太平洋諸島出身の男女20人がハワイ王国から父島に入植し、小笠原諸島には欧米系島民が暮らすようになった。
1862年:幕府は17世紀に行った調査をもとに先占権を訴え、外国奉行水野忠徳らを父島へ派遣し、欧米系島民と会談。
その結果、欧米系島民による既得権益が認められ、代わりに日本による小笠原諸島領有を了承させた。
幕府は、八丈島から移住者30名を父島へ送ったが、生麦事件が発生して日英関係が悪化した為、翌年に父島から撤収。
1875年:欧米系島民は日本による小笠原諸島領有を認め、翌1876年(明治9年)9月に、明治政府は諸外国に対して小笠原諸島領有を宣言した。
★南鳥島(マーカス島)
1902年:アメリカ人A・A・ローズヒルがアメリカ合衆国による領有権を主張して開拓を試みる。
しかし、それを察知した大日本帝国も軍艦笠置を派遣し、先に上陸して牽制した。
★ウェーク島(大鳥島)
1841年:アメリカ合衆国海軍が2つの小島を命名。
1899年1月17日:ケーブル敷設基地のためにアメリカ合衆国が領有宣言。
★ミッドウェー島
1859年:Captain N.C. Middlebrooksによって発見される。
1867年:アメリカ合衆国による領有宣言。
1871年:ハワイ王国の港湾使用料を避ける給炭所を建設する計画だったが、事業は失敗。
1896年:アホウドリ捕獲を目的として日本人が北西ハワイ諸島に進出。日本政府内ではミッドウェー島の借り入れ問題が検討された。
1900年:海底電線敷設調査のために派遣されたアメリカの調査船が、日本人が居住しているのを発見。
アメリカ政府は日本に対して島の主権確認の申し入れを行い、日本側は主権を主張する意思はないと回答した。
1903年:アメリカ海軍管理下に置かれた。
サンフランシスコ-マニラ間の太平洋海底ケーブ敷設中だった会社の要請に応じたもの。 今思えばアメリカは小笠原をよく日本に返還してくれたな。
その気になればアメリカに併合することだって出来たのに。 >>733
日本がもっと早く開国してたら、ロシア帝国のレザノフが失脚することもなく
補給に難ありだった彼のカムチャツカ・アラスカ経営も軌道に乗っていただろう。
その後の太平洋の勢力図がかわってたかもしれない >>735
アメリカがまだ本格的な膨張時期になってはいなかった。
しかも、南北戦争中に幕府は交渉。
というか、アメリカ政府は代表送ってきたのか?
アメリカが本格的に西太平洋に出てくるのは、
西部開拓のフロンティアが消失した、1890年以降。
日本が対外拡張を始める時期とちょうど重なる。
グアムやサイパンは、ずっと昔からスペイン領だった為、
米西戦争の結果として、フィリピンに付属する島々としてアメリカ領に。
1898年6月20日、アメリカ海軍の巡洋艦チャールストンおよび輸送船3隻の艦隊が
当時スペインの植民地だったグアム島をカノン砲で砲撃し、
これを占領しようとしたがスペイン側の司令官は戦争が始まったことを知らず、
司令官自身がチャールストンに現れて降伏の意思を伝え、
島にいた54名のスペイン兵は捕虜となり、グアムは占領された。 他方で、米西戦争の遂行効率化の問題もあり、アメリカはハワイを直轄統治することで、
太平洋の補給基地としての地位を確保しようとした。
日本政府はアメリカによるハワイ併合の動きを牽制するため、
1893年11月、邦人保護を理由に東郷平八郎率いる防護巡洋艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、
ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇させた。
この入港は米国軍艦のボストンなど三艦が停泊中の出来事であった。
女王を支持する先住ハワイ人たちが涙を流して歓喜したと言われる。
日本海軍は、翌年には「浪速」を「高千穂」と交替させている。
しかし、1894年3月、日本政府は巡洋艦高千穂の撤収を決めた。
日本の軍艦派遣は、米布併合の牽制には一定の成果をあげたものの、
かつての親日的なハワイ王国政府を復活させることはできなかった。
1895年1月6日、王政復古を目指し、ロバート・ウィリアム・ウィルコックスをはじめとする
先住ハワイ人たちが共和国に対し武装蜂起した。ワイキキでの小さな衝突が発端であった。
2週間で武装蜂起は鎮圧されたが、政府軍にも死亡者が出た。
リリウオカラニはこの件に直接関与していなかったが、反乱を知りながら黙っていたことから問題視され、
1月16日、弾薬や銃器を隠し持っていたという理由で、他の王族とともに反逆罪によって逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉された。
この蜂起のなかで多くの先住ハワイ人が虐殺されたという。
1月22日、リリウオカラニは約200人の命と引き換えに王位請求を断念し、
今後はハワイ共和国への忠誠を誓い、一般市民として余生を送る趣旨の宣言書に署名した。
こうしてハワイ王国は名実ともに滅亡した。
リリウオカラニは2月27日、反乱に加担した罪で5,000ドルの罰金と5年間の重労働の判決を受けたが、9月6日に釈放された。 1897年4月7日、駐ハワイ公使島村久は、外相大隈重信に軍艦派遣を要請し、4月20日、軍艦浪花はハワイにむけ出発した。
5月11日、公使島村はハワイ外相へ日本移民上陸拒絶にかんし抗議し、1898年7月27日、賠償金7万5000ドルで解決した。
6月17日、駐米公使星亨はアメリカのハワイ併合阻止のため、移民問題を名目にハワイ占領の意見を具申した。
6月21日、外相大隈は、ハワイ併合は太平洋の現状を変動し、日本の権益を危うくする旨アメリカ公使に抗議した。
6月25日、アメリカ国務長官は、公使星に、日本の正当な権益は阻害されないと回答した。 >>736
シベリア鉄道とか、ウラジオストク迄だけど、
カムチャッカとかベーリング海峡方面まで延伸されていたかな? >>737
米西戦争の結果、アメリカ領になったマリアナ諸島の島はグアム島だけ。
サイパン島、テニアン島、ロタ島はドイツに売却され、第一世界大戦後、国際連盟の委任統治領として日本が管理 大東亞戦争で対米開戦が避けられないとしたら、事前にハワイの解放と独立を大きく主張しておくべきだった ハワイ国王が明治時代に来日して、ハワイ国王の姪と日本の皇族との婚約を頼んだことがあったが。日本は断ってしまった。 >>742
この頃のアメリカ海軍は、まだそこまで強大ではなかったが、日本は日露戦争間近で、英国には膨大な借金をして軍備増強、そして日露の講和仲介はアメリカに頼まないといけない状態だった。
日本に有利な状態で講和できて、朝鮮半島や遼東半島を日本の勢力圏にした見返りに、フィリピン周辺にアメリカが進出する事を黙認した、言わば相互不可侵条約を締結したのが、桂=タフト協定。
膨張開始期の日本、そしてその後ろ盾となった英国は、ロシアの南下を抑える為に北に向かった。
しかし、同じく膨張開始期のアメリカは、ロシアの南下を抑える必要がなかったので、太平洋の南の方で、衰退著しいスペインの植民地をひっくり返してはぶん取る方向に向かっていった。
日英が、ロシアの南下政策に直面する中、アメリカはモンロー主義を貫きながら、南方に植民地を得つつ、国力を増大させる事に専念した。 そういえば国後島から北海道まで泳いで渡ってきたロシア人結局どうなった? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています