擦文人を虐殺してなり替わったオホーツクアイヌ人
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原住民ヅラをしているが実際は侵略者である
北海道在来の擦文土器文化や漆塗り、竪穴式住居を消滅させた
また、アイヌ語も元々日本列島ではなくアムール川流域で使用されていた言語である 明治期までは天皇=朝鮮系だと誰もが知っていたし、だからこそ併合の際に日鮮同祖論も難なく受け入れられた。
教育の現場では、偉大な天孫民族が、土着の蝦夷・隼人・土蜘蛛どもを征服して王朝を建てたと教えていた。
しかし戦後になり考古学や遺伝学が発展し、列島に先住していたのは弥生人ではなく縄文人だということになると
日本の右翼は、「万世一系」の皇族神話が崩れるのを恐れ、「天皇はD系縄文王ニダ!」と声高に主張するようになった。
さらに日本人は「単一民族」だという神話を守るために、「アイヌは樺太から侵入した外来種ニダ!」ということにした。 チンタスレギの>>2
現実を言われたから悔しいニダ!
嘘こいて荒らすニダ!
なお現実はアイヌはアムール川から侵入した蛮族の模様 本州アイヌ語 VS 半島日本語
幻の「本州アイヌ語」を復元する [Honshu Ainu Language]
https://www.youtube.com/watch?v=4xinneD9hjY
A Brief Introduction to Hypothetical Peninsular (Para-)Japonic Languages
https://www.youtube.com/watch?v=OWpfp1yq9-0 トーシロの出鱈目トンデモ動画貼って精神勝利するニダ https://www.youtube.com/watch?v=xZgC-OVCWyU
現在、国内ではアイヌの民族問題を生み出して、日本を分断しようという動きがあります。
既に、北海道を先住民族であるアイヌによる独立国家にしようという主張さえ存在しているのです。
この工作活動は、日本人に広く定着している、次のような漠然とした先入観、贖罪意識に付け込んだものなのでしょう。
1 アイヌは北海道にもっとも復くから住んでいた民族である。
2 そして、北海道はアイヌのみが住んでいた土地である。
3 その土地に、和人たちは後から足を踏み入れた。
4 アイヌは日本人に差別、弾圧されていた。
5 アイヌ民族は今でも北海道に存在しており、差別、弾圧は続いている。
最も重要な点は、これらのうち「5」は明確に間違いであるということです。最後のアイヌ語話者が死去したのは、かなり昔のことです。いまや、アイヌ語を日常的に使用して生活している人など存在していないのです。
現在では「アイヌ」はアイヌ系日本人の体内に、DNAとしてのみ残っているのであって、「民族としてのアイヌ」は消滅しているのです。 弥生文化は韓半島起源だからな
もうだいぶ前から考古学的に弥生文化は韓半島南部の無文土器文化の亜種だというが判明している
日本最古の弥生遺跡である板付遺跡の発掘調査から支配階級は韓半島南部が起源の松菊里型住居に住んでいて
被支配階級が縄文型住居に住んでいたと判明している
弥生文化人は韓半島からの移住者で縄文人を征服しながら九州から関西に広がっていく
そしてそこで一時停滞したあと弥生文化は一気に東北まで拡大する
ネトウヨは縄文文化などとあほヌカすがジャップは韓半島起源の弥生人で縄文人をジェノサイドした側だ
言語学的にも弥生語より古い日本語が弥生文化以前の韓半島に存在していたことが確実視されている
だからwikipediaにもPeninsular Japonicで記事が作られている
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Peninsular_Japonic
低学歴低脳底辺のネトウヨは日本語版もあるから言語切り替えて読んでみろ
考古学的にも言語学的にもジャップの起源は韓半島なんだよな
縄文人はプレアイヌというべき人たちでジャップの先祖は縄文人をジェノサイドした側の末裔だから
ネトウヨのいう縄文文明とかお笑いだよな
ジャップの神話は韓半島系の神話で縄文文化の要素はゼロ
何故ならジャップの先祖は縄文アイヌを虐殺するか奴隷としてジェノサイドしたから
日本書紀や古事記に原住民の土蜘蛛を悉く殺したと誇らしげに書いてあるぞ
更に土蜘蛛は手足の長い狩猟採集民で言葉が通じないと書いてある
土蜘蛛ってのは縄文系のアイヌだろうよ
天ころの先祖が原住民を葛で作った罠に嵌めて火を放って焼き殺したとかそれで葛城という地名が出来たとかてんこ盛りだわ 韓半島南部の全羅道や済州島の古代の言語は日本語と同系であったと推測されている
ネトウヨは韓民族の先祖を小便で顔を洗う不潔な穢人だと書いているが
言語学的には穢は韓半島で韓民族と混住していた日本語系の人たちだと推定されている
皮肉なことに不潔な穢はジャップの親戚だったという訳だ
日本語や琉球語の故地は韓半島なのは確実で更にその前の日本語話者は山東にいたんだろ
中国の周王朝の時代に山東半島は漢民族の支配下に入る
その原住民は東夷と言われていた
彼らは漢民族に同化するか渤海の対岸に移住していった
移住先は農耕に適した遼河下流域や韓半島南部
その頃の遼東の文化と無文土器文化は共通点が多く同系という事まで考古学的には判明している
山東の東夷→韓半島の無文土器文化人→弥生人→現代のジャップだ
日本の教科書では未だ日本民族は太古の昔から日本に住んでいてとか大嘘書いてるからな
歴史を歪曲してるのはジャップの方なんだよな
日本列島で誕生した縄文文化人が弥生文化人になりクニが生まれて統一されて
天ころが生まれて日本国になるなどというお伽話が普通に教科書になっているからな
そんな訳ねーだろ
ジャップは韓半島起源の弥生人が縄文アイヌを悉く殺戮や奴隷化して産まれた民族
そして九州から南に行ったのが琉球人になる
蝦夷は本州アイヌに違いなく倭人の弥生時代からのジェノサイドが平安時代まで続いたということ
今の東北列島人は征服された蝦夷の末裔ではなく後から入植した倭人の末裔
そして本州アイヌの民族浄化が終わった頃から倭人は北海道に進出して北海道アイヌの浄化に入りその完了形が日帝の北海道内地化だ
ジャップそのものが半島起源なんだがネトウヨの寝言が糞笑える https://www.youtube.com/watch?v=xZgC-OVCWyU
現在、国内ではアイヌの民族問題を生み出して、日本を分断しようという動きがあります。
既に、北海道を先住民族であるアイヌによる独立国家にしようという主張さえ存在しているのです。
この工作活動は、日本人に広く定着している、次のような漠然とした先入観、贖罪意識に付け込んだものなのでしょう。
1 アイヌは北海道にもっとも復くから住んでいた民族である。
2 そして、北海道はアイヌのみが住んでいた土地である。
3 その土地に、和人たちは後から足を踏み入れた。
4 アイヌは日本人に差別、弾圧されていた。
5 アイヌ民族は今でも北海道に存在しており、差別、弾圧は続いている。
最も重要な点は、これらのうち「5」は明確に間違いであるということです。最後のアイヌ語話者が死去したのは、かなり昔のことです。いまや、アイヌ語を日常的に使用して生活している人など存在していないのです。
現在では「アイヌ」はアイヌ系日本人の体内に、DNAとしてのみ残っているのであって、「民族としてのアイヌ」は消滅しているのです。 弥生人は、朝鮮人系ではなく、中国長江稲作文化人であった事が遺伝子で判明しています。
日本列島+朝鮮半島南部は、長江流域人に近いみたいです
つまり、
中国長江(今の上海など)→稲作→日本列島&朝鮮半島南部
が正しい。
朝鮮半島は寒かったので、稲作は朝鮮半島よりも、日本列島が適していた、
朝鮮半島は南部だけは稲作に適していた
稲作は朝鮮人ルーツではなく、中国長江流行がルーツ
稲作は朝鮮半島経由ではなく、
中国長江流域稲作文化→直接→日本列島に伝来 遺伝的にはオホーツク人と縄文系のハイブリッドだけど
オホーツク人自体は継続して渡航してきたわけじゃないから
アイヌとして確立する頃には縄文の血の方が濃くなってるよ 縄文人をハプログループD1a2aと定義するなら
D1a2aを80%以上の割合で持つアイヌは縄文系と言える。
さらに細かい事を言うなら、アイヌの女系の血統を示すミトコンドリアDNAから見ると、縄文人というよりは明らかに環オホーツク海種族の遺伝子を強く引いている。
ニブフなど樺太系ばかりではなく、カムチャッカ系の遺伝子も交えている。
つまりアイヌ人は男系が縄文人で女系がオホーツク人のハイブリッドということになる。
つまり、オホーツク人社会に縄文人が侵入して女を娶ってできた人種だということになる。 縄文系の擦文人は北へ進出し、オホーツク人と勢力争いをしていた。
擦文人はその後も北方への進出を続け、紀元1千年ころにはほぼ北海道の全体を支配下に収め、さらに樺太まで版図を広げようとした。
彼らは鉄を持っていた。自分で作ったのではなく、大和勢との交易により入手したものだ。
石器時代を生きているような種族との戦闘がどういう帰趨をたどるかは火を見るより明らかである。
そのなかで現地民と集簇して形成されたのがアイヌ人だということになる。
だとすれば男性が縄文人系、女性がオホーツク人系という遺伝学的特性が矛盾なく説明できるのではないかと思う。 >>1
そもそも1000年前の史料にはアイヌ民族なんて微塵も記述されてない
アイヌ民族意識が誕生したのはラングドルフのように1700ー1800年代だろう そりゃ、アイヌではなく「蝦夷」と記載されていたんだから >>24
アイヌじゃないしな
アイヌ文化でもないしアイヌ文化も後付け
後付けアリなら倭人は日本人で北海道に蝦夷前から居るしなw じゃあなんで北海道から倭人らしい発掘品…
銅鏡や銅鐸、あるいは文字の記された木簡が出土しない? ようはアイヌ民族は乗っ取り民族なんだよね
アイヌ信者はアイヌ誕生前からずーーーっとアイヌ民族に含めてるし
後付けアリならじゃあアフリカ人辺りが北海道の先住民族と書き直すべきなんだよね >>26
倭人期のも出てるのにウソ付くなよ千葉ザイヌ脳
【おおよその年代(北海道にアイヌ民族より前からの日本史料等】
・続縄文 日本人(倭人)期 ・阿倍比羅夫が北海道の拠点「後方羊蹄(倶知安や余市辺り等と)」・渡島か樺太でヒグマ狩り。大変な労力だったろう。7世紀辺り。500年代の粛慎による略奪とか。 本州産の碧玉管玉出土か元江別1遺跡
・擦文 日本人(倭人)期 ・江別古墳群の須恵器、鉄鏃、刀子等 8世紀辺り
・擦文 日本人(倭人)期 ・茂漁古墳群 和同開珎 8-9世紀辺り
・擦文 日本人(倭人)期 ・帯金具(日本の位階(役人)が使う)、アイヌ語より前に日本語というか漢字到来か千歳市美々8遺跡出土の墨書土器・大川遺跡の7世紀辺り太刀・帯金具、刻書土器9世紀付近か
・擦文 日本人(倭人)期 ・北海道留萌市の星兜(平安)
・擦文 日本人(倭人)期 ・渡島半島・厚真 奥州藤原氏
・12世紀の常滑焼の壺(北海道厚真。日本人)
・約1000年前の「火打ち石発火技法(火花式発火法)」アイヌより前に本州から伝わるw(北海道厚真・上幌内モイ遺跡)
・ ※ アイヌ信者側は勝手にアイヌ語などの意味を決めつけてるが、13世紀等にアイヌ民族が居た証拠史料は無く、史料には様々な別民族名があるwアイヌ語とも書かれてないwアイヌは後世の後付け。ド新参民族で江戸しぐさファンタジー系。
・ アイヌ文化(アイヌ語も後付け) = 後世の後付け。既にアイヌより前から別民族がいる。
・ つまりアイヌ語とは例えるなら「韓国人が漢字や古代中国地域の言葉を「これはハングルが起源!」と後付けで決め付けるようなもの。ハングル起源ではなく「漢字」なのにw
・超後世の後付け妄想プロパガンダを、よく調べもせずにアイヌ信者等に言われたことを鵜呑みにして「アイヌ語なんだねーーー」って信じるのはバカw江戸しぐさ捏造事件みたいなものw
・当時に実在してない民族なのに、歴史の間隔が思いっきり開いた後付けがアリなら、北海道の石器時代にいた人間は大和民族って主張も採用しないとダブスタw
・ アイヌ民族意識が芽生えたのは遥か後世。13世紀にすらアイヌなんて微塵も居ない。サヨクがアイヌを利用し「反日工作」をしているということ。
・「 主流 = 真実とは限らない 」。主流にさえすれば真実となるなら、捏造が主流となると真実になる矛盾が生じるw主流の某江戸しぐさが捏造であったようにw
・「北海道の倭人が、アイヌ的な文化を作った」と言った方がいいwアイヌではなく倭人でいいねw(渡党もだが馬鹿Wikipedia等で無理やりアイヌ扱いなのも工作・日本語通じようととにかくアイヌ扱い工作と。このような反論はほぼ併記しない「偏向」WikipediaはWikiあるあるでもあるかw
・遥か後世の後付けでいいなら「北海道の先住民族は、アイヌではなくファイナルファンタジー民族」と言うふざけた後付け呼称を採用すべきであるw
・結局、先住民族を無理やりアイヌ民族扱いは「ワガママ」「ド反日思想」の流れが大きい クソ後世の後付け妄想がありなら
縄文人は日本人
縄文人は倭人
倭人は日本人
北海道は倭人が先
つまり北海道の先住民族は日本人
こう言える またコピペw
道南や日本海沿岸、
日本本土との交通の便がいい地域だけじゃないか?
道東や道北、石狩川上流部での「和人の痕跡」は?
www >>30
ほら、予想通りいつもの千葉ザイヌ脳だ
とっくに提示済み🤑
【アイヌ民族より前の日本の痕跡】知床の遺跡から奈良時代の銅銭出土 国内最北の出土例 「チャシコツ岬上遺跡」9世紀ごろの地層から、奈良時代の銅銭「神功開宝」
//www.asahi.com/articles/ASJCH4HK8JCHIIPE010.html
【アイヌ民族より昔に北海道にいた本州人】ヒスイは新潟県糸魚川周辺で産出されたもので、船泊遺跡の墓に埋葬されていた男性が身に付けていました。
//www.akarenga-h.jp/archives/library/1075/
【アイヌ民族より昔の倭人系の痕跡】江別古墳群 本州からもたらされた須恵器、鉄鏃、刀子、鋤先、勾玉など 8世紀頃
//www.city.ebetsu.hokkaido.jp/site/kyouiku/2925.html >>30
北海道の先住民族 = 日本人
クソ後世の後付け妄想がありなら
縄文人は日本人
縄文人は倭人
倭人は日本人
北海道は倭人が先
こう言える
道東や道北も同じ >>30
辺境でクマだらけで交通の便がいいとか無理ありすぎ
初期アイヌすら2万人くらいしかいない🤑
・ 北海道の面積は本州の約3分の1もの広さ(本州日本人すら数百万人)・初期アイヌの人口2万人ぽっち←これでアイヌが北海道を支配してたと鵜吞みにする特定アイヌ信者w 千葉ザイヌもわかりやすいなあ
コピペガーと言いながら妄想捏造アイヌファンタジーでコピペ爆撃すんのが
千葉ザイヌのやり方だろう?w😂 >>1
> 原住民ヅラをしているが実際は侵略者である
ごもっともです😊😊😊 1800年辺りの登場したアイヌ神話がウソだらけだもの
あんな文明進んだ新しい時代によくアイヌ神話なんか作れたなw😂
言語もメチャクチャで大昔の史料もろくにないのにあんなに細かく神話が伝わるとか😂 人口2万人しかいないのに北海道の支配者面アイヌwww
>>1
ですねえーアイヌは簒奪者 結局、ド新参民族のアイヌ民族を先住民族扱いは、
「サヨクのワガママ」「ド反日思想のために利用」
これが大きい😂😂🤑🤑
13世紀等にアイヌが実在しないことがバレてもアイヌごり押しは「ワガママ」なのよね
「アイヌ信者サヨクの思い通りにならなきゃヤダヤダ!」ってこと😂 コロナただの風邪の反ワクチンをみたら「これはこういうやつです」とおぼえないといかん
そいつらがアイヌ差別用語とか使うんだから スレタイ見るとここアイヌ叩きスレだし
どんどんアイヌ批判してこうぜ ワクチンパスポートであぶりだされるようなのが叩いてるからな
見逃してはおけない アイヌって縄文系だろ?
ならば擦文人の子孫じゃないのか? >>43
千葉ザイヌ脳は日本人も縄文系で
サペンスやネアンデルタール系って知った方が良いぞ
北海道は北方の侵略者が来てんだからアイヌが純血じゃないのは当然
縄文も本土が本流で北海道は新参 北方からの侵略ってどのソース見て言ってんの?
モンゴルの樺太侵攻と関係するのか?
これ以降、元からアイヌへの攻撃は止むが、元の勢力圏外からアイヌによる攻撃があったことが元側の記録に頻出する[22]。
中村和之はこれらの動きから、元によるアイヌ攻撃は、アイヌによる黒竜江流域への侵入を排除するために行われ、アイヌの根拠地を攻めて滅亡させる目的ではなかったとし、1284年からの3年連続の攻撃により、アイヌ勢力は樺太からほぼ排除されてしまったと主張する[23]。
元朝は、樺太南端に前進基地として「果夥(クオフオ)」城を設けている。西能登呂岬に遺跡が残る白主土城は、アイヌ伝統のチャシとはかなり構造の違う方形土城で中国長城伝統の版築の技法が使われており、ここで言う「果夥」であった可能性が高い[23][24]。
元軍はこの果夥を拠点として、宗谷海峡を北上しようとするアイヌを牽制したものと思われる。これ以降、アイヌは樺太に対して散発的な侵入しか行うことはできなかった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E4%BE%B5%E6%94%BB >>46
寧ろ当時の北海道人こそが侵略者という論はあるな
元国側の史料で見ると
Wikipediaは素人編集の偏向やアホ捏造も問題だが北からの蒙古の時はアイヌじゃないしな
アイヌとして誕生してない当時の文献もアイノアイヌはない >>1
擦文人を虐殺してなり替わったオホーツクアイヌ人
↑そして江戸時代辺りにアイヌが誕生と >>49
何がアホなのか具体的に証明してないし
反ワクチンである証明もしてない 当時にアイヌ民族として誕生してないなら当然アイヌ民族じゃない
ただの後付け🤑
オウム真理教のアサハラ民族と同レベルだって事実を受け止めようねえw😂 大昔はアイノもアイヌも無いしな
複数の別民族が居た 「オホーツク文化」は、サハリンで成立した漁撈や海獣猟など海洋適応に特徴をもつ文化です。
この文化の担い手は、その遺跡の分布範囲や立地状況、推測される生業からみて、船を操ることにたけていたと考えられています。オホーツク人は、擦文人とは異なり、寒冷地適応の形質的特徴をもっており、現在サハリンに住む先住民ニブフの祖先と考えられています。
(出土する人骨の形質学的研究によって彼らが続縄文人や擦文人とは非常に異なった顔かたちをしていたことが判明しています。その顔立ちはむしろ大陸のアムール川流域、樺太方面の人々と最も似ているそうです。)
擦文文化が成立した七、八世紀ころ、オホーツク文化は北海道のオホーツク沿岸から千島列島まで領域を拡大して最盛期を迎えながら、同時に中国の北方地域(吉林省・黒龍江省・アムール川流域・沿海地方)の人々と交易をおこなっていました。
中国側からもたらされたのは曲手刀子・耳飾り・帯金具・小鐸といった金属製の装飾品、ブタなどでした。
オホーツク文化から移出されたのは毛皮が主な交易品だったと考えられています。中国の唐王朝にも朝貢していたと見られています。 オホーツク文化が北海道北部からオホーツク海沿岸地域に広がっていった五世紀から七世紀までのオホーツク文化前期は、日本では現在より気温が低い時代であったようです。
そして、オホーツク文化後半の八世紀〜九世紀には、一時寒の戻りはあったものの、それまでの寒冷な時代から温暖な時代への移行期と言えます。
オホーツク文化を担った人々は、三世紀中頃から始まった気温の低下とともに、彼らの獲物であった魚類や海獣の棲息域の南下を追うように北海道北部に上陸し、さらにオホーツク海沿岸に沿って文化を広げていったのではないでしょうか。
そして、十世紀以降の気温の回復にともなって、「擦文文化」が、オホーツク海の沿岸地域にも広がったのでないでしょうか。 オホーツク人は、サハリン・北海道・クリール列島のオホーツク海沿岸に主に居住していた人たちですが、その居住圏をみても分かるように海岸部にのみ生活しています。
それはすなわちオホーツク海を生活の舞台として海獣狩猟を主に行っていた海洋民であったことを証明しています。
オホーツク文化前期の竪穴住居を残す集落は、利尻・礼文島などの北海道北西部地域から枝幸町付近までのオホーツク海北部地域に多く、紋別市付近から網走市付近のオホーツク海南部地域にかけては点在するに過ぎず、それより東のオホーツク海東部地域では激減しています。 オホーツク文化後期の段階では、北海道北西部地域やオホーツク海北部地域には集落があまり存在せず、枝幸町目梨泊(めなしどまり)遺跡より南東部の地域に集落が形成され、特にオホーツク海南部と東部地域の沿岸部に集落が集中しています。
このことは、オホーツク文化のルーツがサハリンなどの北方域に存在したことを裏づけるもので、北海道のオホーツク海沿岸を下ってきた足跡を追跡できるものと言ってよいでしょう。
このように、オホーツク人は海岸沿いに集落を構えてましたが、他の時代とはまったく異なる特徴のある竪穴住居を作っていたことが分かっています。
大型で五角形ないし六角形のプランをもっているのです。その系統はやはり北方諸族の竪穴に求めざるを得ないようです。 【住居の変遷】
まず竪穴住居址の変遷をみておきます。擦文文化の竪穴は隅丸方形で、南東側の壁にカマドを設置し、中央部に地床炉をもつのが基本です。
大きさは一辺が四〜一〇メートル位です。これに対して、オホーツク文化の竪穴は五角形ないし六角形で、コの字形の粘土貼り床をもち、石組み炉を有するのが基本です。
大きさは長軸が一〇〜一五メートルに及ぶ大型のものです。
これらに対して、トビニタイ文化の竪穴は擦文文化の隅丸方形を踏襲し、オホーツク文化の石組み炉をもち、カマドや粘土貼り床は用いられないのが基本となっています。
両者の融合がここに見られます。 【土器の変遷】
最盛期の頃のオホーツク土器は、壷形で粘土紐の貼付文(ソーメン文)をもつものでした。
同時代の擦文土器は、菱形ないし深鉢形で刻線文を施したものです。
それらが融合あるいは接触したような新たな土器群が登場するのです。
それをトビニタイ式土器群と呼んでいます。
その特徴は、器形が底部を除いて擦文土器の髪形を基本とし、文様としては擬縄貼付文や紐状貼付文(ソーメン文)、刻線文を施しているもので、完全に擦文土器とオホーツク土器の両方の特徴を合わせもつものです。 大西秀之(一九九六)は擦文土器の「模倣品」をより細かく分析して、新しくなるほど模倣品としての完成度が高くなると述べています。そして「ヒトからヒトへの技術の伝達と習得」を示唆しています。
つまり、トビニタイ土器群の製作者は、「たとえ擦文文化圏にいたとしても、こうした製作の場に参加できなければ、擦文式土器の製作技術の習得は不可能」とし、さらに「異文化集団が、こうした製作の場への参加を許されている状況では、最低限の意思疎通をはかるためのピジン(接触言語)の成立が予想される。
逆に、ピジンが生まれるほどの緊密な関係であるからこそ、土器製作の場への参加が許されると考えるべきである」と述べています。
そして、こうした集団は「接触・交流というレベルを超え、擦文文化集団との間に社会的なネットワークの一部を共有していた」とし、「こうした背景には、両集団を密接に結びつけるような関係、例えば婚姻や協業などが成立していた状況を仮定せざるをえない」と結論しています。 オホーツクって面白いよな
オホーツクなくしてアイヌは無い それは当然だが
オホーツク文化人混じった後でも蝦夷って呼ばれてたのにそれは無視して「アイヌ」以外認めないってどういうことなの >>62
だよなあ
アイヌより先の日本人や他民族を認めるべき
「アイヌじゃないとヤダヤダ」はワガママ😂😂😂 >>62
幕末や明治に蝦夷と自称または他称してた人々はいたの? >>64
それは記録がないだろうけど
骨鬼(クーイー)と蝦夷の類似はどっから来たんだろうか 他民族だらけだったからな北海道
色んな所から来て色々誕生するのも不思議ではない >>67
オロッコモヨロ北方含め色々だろうな
三丹人も面白いが 北方に樺太人いただけでその他侵入許してるわけないだろ >>69
また千葉ザイヌのファンタジーか
北からの蒙古や青い目で察しろ、人口1万2万人程度で人流止めれるかよ
倭人の北海道拠点も防壁としてそこまで強くないだろうということは無念だが
まず道南レベルでオホーツク民族系南下してるしな
【アイヌ民族よりも昔の日本人や他民族/北海道奥尻島】主にサハリン島南部や道北・道東沿岸部に分布するとされていたオホーツク文化が日本海を南下して奥尻島まで及んでいた
//bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/183580
アイヌみたいなゴミを除けば北海道の考古学はロマン
俺は本当はアイヌみたいなゴミより海にあった頃の北海道の海竜とかそういうロマンが好きなのだ 北海道の人口が少ないのは厳しすぎる自然環境は当然として
ヤバイ熊等が多いのも影響してそう オホーツク人は海洋民族なので内陸にまでは来てないよな 北海道の先住民族はロシア民族だ新法ができてしまわないように戦わないとな この論理性がまんまコロナ風邪脳の反ワクチンなんだよなあ >>76
何が言いたいのかサッパリだわ
北海道は多民族地域で複数の時代で様々なもんが出てるから面白い
//www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/detail/00001032.html
> 青苗砂丘に埋もれた6〜7世紀頃のオホーツク文化の遺跡の存在が判明した。この文化は、サハリンやオホーツク海沿岸で栄えた文化で、舟で海上を移動したことにより遠い奥尻島まで到達したものと推測される。
> 遺跡からは土器や石器の他に、人骨やクマの歯、本州産(島根県)の管玉や鉄製刀子など特徴的なものが発見 >>72
オホーツクも色々あるがなんか行動的だよなオホーツク
ヴァイキング的なノリでもあるのだろうかオホーツクは
【アイヌ民族より昔】常呂遺跡 ところ遺跡の森(北見市常呂町)で謎が多いオホーツク人のルーツに触れてみよう
//hokkaido-labo.com/area/doutou/tokoroforestpark-of-archaeologicalsites オホーツク文化期は寒冷化しており、オホーツク人が漁をする海獣が南まで来ており、それを追ってオホーツク人が南下したのだろう
そしてオホーツク文化期を終わると温暖化してオホーツク人は北に移動した >>78
それでサハリン人が支配したことになるか? 大きな本屋に行っても「アイヌ先住民説を批判する奴らはウヨク、レイシスト、歴史修正主義者」という本しか無いのだが?どこで知識を仕入れたの? 適当に言ってるだけだろ
ただの風邪反ワクチンとほぼ同じ >>83
具体的にどこの本屋でどう調べたの?
知識も何も戦後サヨクの妄想本じゃなくて
「歴史史料」「考古学遺物」で調べて言ってんだが
アイヌはド新参ってな なんせアイヌが先住民族であるという歴史史料が当時に実在しないしな
後付け捏造だらけが糞アイヌ >>83
具体的にどこの本屋でどう調べたの?
許可取って画像付きで 蝦夷の歴史があるがな
北海道(渡島)にちゃんと住んでいたと お前一回縄文石器を真似て作ってみろって
絶対無理だろ? >>89
お前どうせ計算間違いとかしまくるタイプだろ 北海道の最古は北方人だってな
宗谷海峡から来られたらそうなるわな >>91
当時にアイヌは居ないのにまた混同?
蝦夷より倭人の方が古いなwww >>83
どこの本屋でどう調べたんだ?
画像付き証拠まだ? 時系列
・倭人
↓↓
・蝦夷
= 日本人 = 蝦夷
= 蝦夷は新参、アイヌ民族はもっとド新参 辞書的な意味として
倭人(わじん)は、
・狭義には中国の人々が名付けた、当時、西日本に住んでいた民族または住民の古い呼称。
・広義には中国の歴史書に記述された、中国大陸から西日本の範囲の主に海上において活動していた民族集団。 >>98
辞書的()ソースはwikiのゴミじゃん
それ最近wiki編集された奴じゃない?倭人の項にそんなものあったか?
↓現実はこうだから消して追加しといて
【東北の倭人・弥生関係】(まあ倭人は縄文期レベルと考えていいが。そもそも東北より西の本州の方が古い)
・古墳時代前期(4世紀)の宮城県の入の沢遺跡の銅鏡
・青森県(2300年前)等の垂柳遺跡、砂沢遺跡等の稲作跡、秋田県の地蔵田遺跡(遠賀川系土器)
等
【古墳時代前期(4世紀)倭人/東北宮城県】東北の古代史を一変 防御固めた集落跡から銅鏡4枚 鉄製品が30点出土。斧、剣、刀子などで、鉄斧のうち1点は布にくるまれ、壺の中に入れられていた状態だった。装身具は264点見つかった。勾玉や管玉、ガラス玉など多様な大きさの材質でできた玉類 宮城県栗原市・入の沢遺跡
//style.nikkei.com/article/DGXMZO97727930W6A220C1000000
【弥生・倭人/青森県/2300年前】本州最北の農耕の始まり 弥生時代とはどんな時代か それまで弥生時代に東北地方北部で稲作はありえないと受け止められていたが、決定的な証拠となった。 (田舎館村の垂柳遺跡・約2400年前〜2300年前の本州最北にして東日本最古の稲作跡として知られる青森県弘前市の砂沢遺跡・鶴田町の廻堰大溜池)
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【弥生・倭人/秋田県/紀元前3世紀】地蔵田遺跡 出土した土器の中には、北九州地方の影響を受けた遠賀川系土器も含まれており、東北日本海沿岸北部に早くから弥生文化が伝わったことがわかります。
//www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1002684/1002261.html 一般的に、古代の西日本の人々を倭人と呼ぶ事はあっても、古代の東日本の人々を倭人と呼ぶ事は無い
独自の言葉の定義はコミュニケーションの齟齬を生む ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています