0026名無しさん@お腹いっぱい。
2020/02/24(月) 12:11:28.38ID:Zh6nn4ME0空の青と帽子の黄色の線が、余りにも鮮明でしたので、今も、強く目に焼き付いています。
でも、何故、そのような”白昼夢”を見たのか、当時は、全く理解できませんでした。(正直、それは、今も全く同じ状況です。)
実は、拙ブログ中の”天空に浮かぶ巨大なイメージ”というのは、60年近く前の、その時の印象を思い出したものなのです。(内容は、全く異なりますが。)
ところで、佐々木邸の裏庭には、とても美しいガクアジサイが 咲いています。
毎年毎年、まるで、佐々木先輩の御霊(みたま)のご帰宅を、待ち続けているかのような風情です。
今年の梅雨時にも、きっと美しく咲いてくれることでしょう。
また、正直申しまして、私が昨日、ナカソネ氏に関して、
あのような激烈な文章を書きましたのには、一つのワケがあります。
それは、佐々木先輩始め、同機で犠牲となられた方々のご無念を、
少しでも晴らしたいという思いがあったからなのです。
佐々木家と我が家(すでに、熊本地震で被災して、駐車場になっていますが)は、200メートルと離れていません。
1985年、先輩のご葬儀が、ご実家で営まれました。
母も参列いたしましたが、気丈な先輩のお母様は、母に、
こう語られたとのことです。「息子は、戦死しました」と。
これは、生前の母から、直に聞いた言葉です。
この平和な世の中で、亡き愛息の墓前で、こう語る母親の言葉は、
一体、何を物語るのでしょうか?
私たち日本国民は、次の言葉を、今一度、心に深く刻むべきだと思うのです。
ある墓碑銘には、こうあります。
「日航123便で死亡した520名の犠牲者1人1人がどうして
死ななければならなかったか、関係するあらゆる事実を解明し、
将来の安全に役立てることこそ、真の供養である」と。
(2004年8月12日 航空安全国際ラリー組織委員会)