>>128
日本、日ノ本国は、大和朝廷(大和国)が蝦夷(エミシ)と呼んで卑下した東北地方以北を勢力圏とした強力な首長連合国家。

都は津軽。今の日本地図を眺めていてはエライ辺境の様におもわれますが、
勢力圏、影響圏はサハリンや千島列島まで含みましたから
津軽は地理的にも政治経済共に日ノ本国の中央。「日本中央」

元々は大和王国(系図上の神武から、)の大彦(=太子)らが九州から侵攻した親戚の物部王家に大和を追われて、
一旦は態勢を立て直して琵琶湖東岸地域〜伊賀地方に盤踞してクナト王国を号し、物部と対峙しましたが、
圧倒的な物部の攻撃にクナト王国は崩壊。

主力軍をひきいる大彦ほかは北陸から日本海沿岸方面に、
御子の奴奈川別ひきいる別動軍は東海〜太平洋沿岸方面にそれぞれ転進(追撃を受ける度毎に退却を繰り返した)
最終的に東北(会津?)で合流した2方面軍は態勢を立て直して国を建てたのが日ノ本国。
彼らは伊豆王国やアラハバキ国日立国(鹿島神宮は元々彼らが造った。)等を建てた。

また、出雲族の習いで秀麗な山から刺し登る朝日を太陽の女神と仰ぎ拝んだ(後に天照大神)事から朝日の名の付く山も彼らの痕跡。