縄文時代の信仰について。 [無断転載禁止]©2ch.net
縄文時代の全国各地の遺跡から発掘されているヒスイの勾玉。これが一つのキーアイテムである。
少なくともBC5,000年から日本全国で作られておりこれほどまでに長く作られ続けた理由があるはずである。
ヒスイ加工工房も多く発見されている事から大きな価値があり加工技術を求めていた事が分かる。 少し後の時代になるが、中国の後漢書や倭人伝によると、2つの青い大きな勾玉を取引したと記されている。さらに後『隋書』 によると「新羅と百済は倭を文物の多い大国と崇め、倭へ使いを通わしている」と記しており、勾玉が交易品であ った事が分かる。朝鮮の権力者の墓からも日本から伝わった勾玉が発見されているが、前方後円墳を含む古墳からの発掘が多い。
古墳自体は勾玉が製造されてから随分後になるが、前方後円墳の形と勾玉は関係があるかもしれない。
勾玉に関して調べた所、当時の信仰のヒントになる次のような もう1つ縄文時代のシンボルは「縄」です
縄文以前から日本に高い技術があった篭(農耕穀物を集めるために使用されていた)から来たものか、紐(穀物を束ねた)から来たものか
とにかく縄は縄文土器のシンボルであり、現代も神聖な物として継承されています 縄文土器にもヒントがあります。文様は、宇宙・世界のこと、ムラとムラとの関係、人と人のつながり、ヘビや鳥、狩りの様子、子供が生まれるときの姿など、具体的なものが表現されています。こうした土器が広い地域に見られることは、次のように考えられます。  縄文は地域のシンボルマークも多かったが、なぜ縄紋ではなく縄文なのか。
東京人類学会会長の神田孝平は、明治21年『東京人類学会雑誌』の論文中で「縄文土器」の語を使った。神田は漢学の知識から縄目文様は“紋”ではなく“文”の字が相応しいことに気付き、この文字を選択した。何に気付いたのか。それは ちょうど三内丸山遺跡が栄えた縄文時代中期の頃、世界では、最古かつ最大の文明メソポタミア文明が生まれました。
縄文文化は、非常に長い期間続きましたが、それは停滞でも未発達でもなく、優れた技術や豊かな精神世界を持ち、成熟した社会であったと考えられます。狩猟採集文化が極限まで発達したものと言えるでしょう。
http://jomon-japan.jp/jomon-cultur/ さらにそこから1万年程遡ります。
1万6500年ほど前の遺跡である大平山元1遺跡の土器、そしてその後の遺跡から発掘された1万年前の剣や装飾品を見てみましょう。
まず土器ですが発掘された土器には模様が無いように見えます。
しかし石で囲った炉の跡、石蒸し料理に使った焼けた石なども見つかっていますので料理用でしょう。
約1万4500年前ごろには、粘土ひもをはりつけた「隆線文土器」が生まれ全国に広がっています。 三内丸山遺跡の6本の柱跡
あれって神社の柱に似てるよな >>11
あれを高床式倉庫跡だと言ってる馬鹿がいるけど、それは無い。
なぜなら後続の高床式倉庫が無いから。
次に高床式倉庫が青森に現れるのがその3000年くらい後だなんて
おかし過ぎるだろ。 2万年前
東アジアらへん(ロシア、中国、日本とか)で土器が発明される
日本でも1万6000年前の最古の土器・炉・石蒸し器が発見されている
→全てドングリと魚の料理用の土器
→当時、日本とロシアは陸続きであり、植物がある地域のうち最北である青森で最初に発見されている事から樺太から移動したと結論付けされる
1万年経過
メソポタミア文明が成長を続けシュメールとして文明開花
中東で土器発見(これまでにない高度なもの)
その後シュメール人は世界各国へ移動
しかし以降はシュメールを越える高度な文明は生まれず現在に至る
(せいぜいエジプト文明程度) 19万年前
 ホモ・サピエンスの出現
10万年前
ミトコンドリア・イブ(全人類の祖先)が誕生しアフリカからユーラシア大陸に拡大
※発掘調査ではないため7万年前との説もある(後述)
12万年前
島根県出雲市の砂原遺跡
その後日本全国に広がる
9万年前
岩手県の金取遺跡
7万年前※
トバ火山超大噴火
ヒトのDNAの解析によれば、7万年ほど前に人類の人口が僅か数千人に激減し、遺伝的な多様性の多くが失われ現在の人類につながる種族のみが残った
ヒトが衣服を着るようになり、ヒトの衣服に寄宿するコロモジラミが生まれる
4万年前
世界最古の磨製石器やナウマン像の剣やアクセサリーが製作されており、すでに日本では独自の文化が形成されていたことがうかがえる
信仰の痕跡あり
ロシアから南下したのか?
島根から北上したのか? 完新世になると気候は温暖になり、海面が上昇して日本列島が大陸(ロシアや樺太)と分離した。この中で、およそ16000年前頃から打製石器に加えて磨製石器が使われるようになり、さらに土器(いわゆる縄文土器)も制作しはじめた。 1万5000年前の暮らし
●社会
貝塚や住居跡を囲むように馬蹄形(U字型)や円形になっていることから集団に一定の規律の規律が存在したらしい。また、住居の大きさにはほとんど差がない事から、貧富の差や身分の差はなかったと考えられている。
● 精神生活…自然に依存した生活の為自然現象を崇拝をしていた。
アニミズム…自然現象に霊威を認める。
呪術的習俗…超自然の力により、目的を達成使用とする。
土偶…女性をかたどった土人形。多産と豊かな収穫を願う。
石棒…男性を表現した石製品で生命力を祈る。
屈葬…手足を折り曲げて葬る。
抜歯…成人になると、犬歯・門歯を左右対称に抜き取る。
●交易
黒曜石・サヌカイト・ひすい(硬玉)が各地で発見されていることから、遠方の地域との交易が考えられる。 >>16
人類はホモサピエンスとネアンテール人の混血である。
日本人はネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を極端に多く持つ(日本人は約25%、世界平均は1〜2%)
つまり縄文人は、ホモサピエンス以前の人類であるネアンデルタール人との混合なのである