>>469
>沿海州南部と同じ刻目突帯文土器を作る集団が縄文末に出雲地方に現れる

これはこれでいいと思う
初期の水田稲作は沿海州から来たのかもしれない
この頃の刻目突帯文土器は縄文式時と同じ技法で作られてる
沿海州やオホーツクからの日本への影響の研究はこれからどんどん深まっていくと思う

けど弥生式土器は刻目突帯文土器の外見のまま
作製技法としては朝鮮式の無文土器と同じになって行く
だから2段階を経て土器の構成が変わっていく
水田稲作にも何度かの移民に合わせて画期があるはず

縄文式
粘土紐 内傾接合 貝殻による器面調整 野焼き
弥生式および朝鮮式無文
幅広粘土帯 外傾接合 ハケ目調製(木目による器面調整) 粘土カバーでの焼成

朝鮮式と言ってもこの頃の半島は古日本語を話していた