「愚か者には見えない服」・・現代アート [転載禁止]©2ch.net
さてなぜか前スレが落ちたのでここで続きをやりましょう。
若い人はどんどん議論に参加してください。 >>295
その疑問とかを作品で表現すれば、それが現代アートになるんじゃね? すいません、自分は若くないし、現代アートの定義も巷間言われてる言葉をなぞるしかできないけど。
現代アートとは「まだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供すること」と良く言われるよね。
だから作品として実体のないジョン・ケージの「4分33秒」も、
新たな価値観や物の見方を提供しているとう点で現代アートとして成立してる。
>>「何があると現代アートといえ、何が欠けると現代アートではない」と定義できるのでしょう・・・・
便器に「泉」と名前を付ければ、命名行為自体が「人工物の便器を自然界の営為になぞらえることができる」という価値観を提供しているから現代アート。
命名するという行為がなければそれはただの便器なので現代アートではない。
現代アートを鑑賞したり購入したりする人は実体が無いのを承知の上で、新しい価値観を受け取ることにお金を出しているんだと思うよ。
無理解や見栄が入り込みがちなのは、旧来のアートでも同じこと。
いや、自分は現代アートを擁護するつもりは全くないんだけどね。
でも批判するにしても、現代アートの存在は一度は認める必要があるんじゃないかと。 >命名するという行為がなければそれはただの便器なので現代アートではない。
残念ながら、貴方に見る目がありません。 >>「まだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供すること」
とは「誰が」それを現代アートだとみなせるのだろうか。 何度も書かれているが、現代アートは「不換紙幣」に似ていると言われているね。
ある金持ちが白紙に「ひゃくまんえん」と書けばその価値として流通する貨幣と同じだと。 >>「誰が」それを現代アートだとみなせるのだろうか。
鑑賞者でしょう?
作家が作品を通じて「ものの見方」を提示し、鑑賞者がそれに共感して価値を認めれば
評価するし、購入することもあるでしょう。
たとえ第三者がその作品に価値を見出さなかったとしても、この作家と鑑賞者の間では
現代アートという概念を共有できていると言えるのでは?
白紙に「ひゃくまんえん」と書いて、それに価値を認める人はいないでしょうが、
便器に「泉」と書いて、価値を認める人はいた。
便器自体に値段がついたのではない、その行為に値段がついたんです。
1は、作品という「もの」以外に、行為も作品になり得るという部分は首肯してもらえますか? 何年も前からその話で堂堂めぐりだね。
>たとえ第三者がその作品に価値を見出さなかったとしても、
>この作家と鑑賞者の間では
>現代アートという概念を共有できていると言えるのでは?
それに対して私は「ある行いが現代アートになり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「現代アート」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「現代アートである」と認めさえすればそれでいい・・
ある人が紙に「単位:百万円」と書いて貨幣として流通させても、
それを相手が取引きの手段として使用しておれば立派な
信用通貨になると・・そう言いたいんだろ?これは何も問題はないよ。
信用取引きなんてそんなものなんだから。 昔は通貨を発行させるには何らかの物体の裏づけが必要だった。が、今は
そんなことは要らない。経済は速さが大切なので一々モノがあるかどうかなんて
確認しなくてもよいのだ。現代アートもそうだ。何が描かれているのかより、
どんな値段なのかが重要なのだ・・
そうだろ。
そうだよな? いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、現代アートなんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
現代アートとして貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって現代アートが
投資として運用されていることを違法だとしていない。現代美術作家は通貨を
発行させているのではなく、現代アート作品を流通させているだけなのだから。 ・・仮にその現代美術家の行いが詐欺として裁判になったとしたら、どうなるのだろうか。
ただ額に入った、「百億円」とだけ書かれた作品が実際に商人に百億円で買われ、
その価値ある財産として市場に流通したら・・したとしても第一被害者が存在しない。
これは真っ当に美術市場で値段のつけられた芸術作品なのだし・・第一まず判事は
何を以って芸術作品なのか、本物の芸術とニセモノの芸術を判別しないといけない・・
そんなことはできないはずだ・・だとしたら司法の対象にさえならず、検察も
起訴出来ないのではないか。仮定の話だが、現代アートが「芸術だと認めた相手が
いさえすれば成立する」のならこんな話も無きにしもあらず。
面白いねえ・・。 芸術作品に値段をつけるから価値がって
現代アートに限らないだろ馬鹿じゃねえの それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
現代アートとして貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。 そもそもそんな低レベルの作品?に金払うバカがいない ところで、世界的な前衛作家の安部公房はとっくの昔に「見えないもの(実存しないもの)」に
値段を付けて販売する会社を描いた戯曲「幽霊はここにいる」を発表している。 だからどうしたんだよ 「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」
さっさと万人にわかる文学の定義でもしろや 逃げてんじゃねえよ このくたばりぞこないが >「ある行いが現代アートになり得るというのならば、何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか
新しい価値観の提示。白紙に「ひゃくまんえん」と書いても、新しい価値観を提示していることにはなりません。
>何が描かれているのかより、どんな値段なのかが重要なのだ・・
違います。値段も重要だし、高価に売ることのみを考えている人もいるでしょうが、お金や名誉以外のものを求めて真剣に現代アートに取り組んでいる人はいます。 1の主張はいまひとつ冗長に感じるので、勝手ながら論点を整理させていただきます。
A.「アート作品は自ら制作したものである必要はない」という価値観を提示するため、便器に「泉」と書き加えたもの
B.アートという権威に騙される愚者からお金をだまし取るため、白紙に「ひゃくまんえん」と書き加えたもの
私はこの両者の間には決定的な差異があると考えます。
1の主張は、この両者に差異はない、あるいは差異は不明瞭であるため等価である、ということでいいですか?
違っていれば訂正してください。
この両者が等価なら、確かに現代アートは詐欺と言えるでしょう。
Bの例をいくら列挙したところで、Aの非存在証明にはなりません。 1は頭がパアだからそんな説明してもしょうがない 1は感じ取れないただの無神経で頭の造りが粗末なボケナスだけど自分が
絶対に正しくて、無いと思ったものは無いとしか思ってないし、それでここまで単にレスがついてるだけだから >>313
>私はこの両者の間には決定的な差異があると考えます。
それを前々から訊いているんだよ。その違いとは? >>311君は何を言っているのか分からないよ。気が違っているのではないの・・。 ああ、上に
>新しい価値観の提示
とあったね。それは作家と鑑賞者との間にある感性の共感だけで
決定される概念・評価・・ということでいいのかな? >>314その通り。以前から自分はバカで無学だから現代アートとはなにか?その
意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・ それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・ 現代アートとその他を別けるポイントは美術史の文脈を汲んでるか否か
そして作品に価値をつけるのは美術界の権力者。アートアドバイザーや有力ギャラリスト、キュレーター、有名コレクターなど >>320
理屈こねてぐだぐだ文脈だの何だの言ってるところで美術に対する見る目がありません。村上隆あたりがいってること受け売りしてるだけでしょ。
美術と政治は違います。 美術の価値を決めるのは政治
戦後、世界一の大国となったアメリカがアートの世界も支配したのが現実 それは中国の国力が上がるに比例して中国アートが流行し価値が上がる現実からもあきらか お前に選択する自由が無いのか?政治とはそもそも権力作用であり権力とは他人にその人間の意思に反しても何かを強制させる力だ。
お前が中国やアメリカから好きでもない作品を強制的に購入させられたり鑑賞を強いられてるとかいう話があるのなら別だが、お前はただ
単に感動できるものが無いし、自発的に選ぼうという内的な衝動とか動機に欠けるから村上隆とかあんな2流以下の人間が言うこと真に受
けて政治とか権力の話を持ち込んでるだけだ。
美術は権力とか財力のような全体を相手にするものではない。現代美術は猶更のことで見る人間を非常に選ぶ傾向にある。自分で感じて
納得できない人間にはすぐれた作品でもアメリカ人だろうが中国人だろうが、ゴミにしか見えない。 >>324
あなたが自発的に評価した作品、アーティスト参考までに教えてよ 自分の理想としては個人的な名前よりも作品だけ見て一流だと判断できるだけの鑑識眼であり、人名みたいな固有名詞からの
卒業だから、いちいち名前を書くのは面倒だけど、岩波書店から以前刊行された日本の写真家ってシリーズ。あれに選ばれてる
写真家は自分の中では本当の1流だ >>326
ありがとうございます。チェックしてみます! 見て、面白いっていう人は自分の知り合いでもいないけど。そもそも絶版になっているのは商業的に成功し得ないから。
まあ、大きめの図書館なら置いてある場所も多分、多いと思うから図書館に行ったついでに閲覧してみればいいと思い
ます。 私は1の質問には全て答えて来たつもりです。そろそろ貴方もこちらの質問にはっきり答えてください。
私が>313で提示したA・Bについて、
◆「A・B両者の間には差異は無い、よって現代アートはBの如き詐欺行為と変わるところがない」という主張でよろしいですね?
◆「現代アートの定義とは何か」「何があると現代アートか」「AとBの差異」について、私は再三答えて来ました。
しかし、貴方は「まだ問いに答えてもらっていない」といいます。
私の回答に論理的な瑕疵があるのでしょうか?
論点にずれがあり、あなたの質問の回答になっていないのですか?
なぜ私の回答を回答と認められないのか、その理由をお聞かせください。
◆あなたはひたすらにBのバリエーションを語ることしかしません。それはもう結構。
AとBがなぜ同じものであるのか、その理由をお聞かせください。
あなたにとっては自明の事でも、具体的に説明いただかなければ私は理解できません。
関係ないですが私もあなたと同様に、>>320>>322>>323のような、借り物の言葉で「現代アートなぞ金・権力・権威の下僕」と言って憚らない、情熱の欠片もない醒めきった人間が死ぬほど嫌いですよ。そこは気が合いそうですね。 尻穴にケツマンコという新しい価値観をつけた最初のホモやウンコに食べ物という新しい価値観をつけた最初のスカトロの人は現代アーティストですか? >>313
その違いってなんなの?知っているなら教えてほしい。 白紙に「ひゃくまんえん」と書いただけの物も紙幣の価値や経済システムの矛盾や疑問について言及してると考えたら一応、現代アートなんじゃねーの? いま展示した絵を逆さにしても「新しい概念」の提示だし、
折りたたんでも「新しい概念」の提示だし、
写真で焼き直しても「新しい概念」の提示だし、
ニセモノを展示しても「新しい概念」の提示だ。
「ここに参加されてられるお皆さんはもはや、新しい芸術に囲まれて、芸術作品そのものに
なってしまったのです・・・・」
安部公房だったらこんな風に書くかな。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・ 鑑賞者が芸術作品とはまさに「新しい概念の提示」ですね
だから金持ちは芸術作品である自分の価値を示すために現代アートに高額なカネを払う、と まあいいじゃないですか、現代アートなんて所詮、理屈こねくり回す言葉遊びなんだし 理屈こねくり回す言葉遊びなら現代美術に一生縁のない人生しか送れない星の下に生まれたんだから、現代美術がどうたらこうたら
論じなくてよろしい。 いや、そういう要素を含んでいるって事も踏まえた上で鑑賞するのが現代アートの楽しみかたなのでは?w 要素?そんな要素なんか元々どこにもないはずだが。下手な考え休むに似たり そうかな?w
まあ芸術の捉え方や楽しみ方なんて人それぞれって事で勘弁してよ 何と何が同じだってことに気づけるかなんだけど。新しいものをやったもん勝ちじゃないの。
本質的な互換性というかどういうところに重点を置いてるかに気づけるかなんだけど。表面的なことに差異が無いと
芸術なんて作家活動して何年も暮らしていけないよ。 安部公房はいまから半世紀も前に
「人間そっくり」で「何があると人間で、何が欠けると
人間ではなくなるのか」を位相幾何学で問てみせたね。実はかなり
前のスレで同じような問をもった若いのがいたね。わたしは
数学のことはとんと分からないのだけど、美術は形といった
連続量で「美しさ」が決まるということになっている以上、
公房の話は一度は考えてみるべきだと思う。 スーパーマンは指が片手に四本だと人間じゃなくなり、
あるネズミも白い手袋をはめると人間的になってしまうように、
現代アートも「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と
なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、現代アートでござい」ではね。
・・・・・ ≫「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか
この文学に関しての質問が、今の議論に必要なのですか?
私は貴方との論点のずれを修正すべく、問題点を整理し、貴方の質問に答え続け、貴方に明確な質問を投げかけました。
貴方は私の答えを答えになっていないと言い、その理由も語らず、こちらの質問には答えず、話題を脇にそらす。
私には、あなたが悪戯に争点を増やしてわざと論点をずらしているようにしか見えませんが?
でも逃げたと言われるのも本意ではないので一応答えます。
≫作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは、他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
現代アートにせよ文学にせよ、他者が認めるというのは、必要条件ではありますが十分条件ではありません。
》ニセモノを展示しても新しい概念の提示
その通りです。
現代アートにおいては物質的な作品に本物も偽物もありません。それは価値観を提供するための仕組みなので、それが模写した紙幣だろうが物質的なモノが存在しなかろうが関係ないのです。
必要なのは、作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができることです。
相手を騙して金銭をだまし取るような行為は、目的が異なるので明確に区別されます。 もう一度整理します。
◆貴方の質問に対する回答
現代アートの定義/何が欠けると現代アートにならないのか
→「まだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供すること」
「作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感できること」
「作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができること」
◆貴方への質問
「現代アートの定義とは何か」「何が欠けると現代アートにならないのか」「AとBの差異」について、私は再三答えて来ました。
しかし、貴方は「まだ問いに答えてもらっていない」といいます。
私の回答に論理的な瑕疵があるのでしょうか?
論点にずれがあり、あなたの質問の回答になっていないのですか?
なぜ私の回答を回答と認められないのか、その理由をお聞かせください。
貴方は他人の話を聞くことが苦手なようです。
このまま続けても、貴方はニヤついた語り口でBのバリエーションを繰り返すだけでしょう。
貴方にプライドがあるのなら、「どんどん議論に参加してください」という書き込みに嘘が無いのなら、まずは私の質問に答えてください。そこから建設的な議論を重ねていきましょう。
回答をもらえるまで、私はもう何にも答えません。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。 >>347
> まだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供すること
>作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感できること
>作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができること」
「価値観」をカネに、
「作家」を詐欺師に。
「鑑賞者」を被害者にそれぞれ入れ替えてごらん。
話は成立するよ。 ペテン師がまだ誰にも見出されていない新しい貨幣を発行・提供し、
その提供した貨幣を、被害者が信用し、
ペテン師と被害者が互いにその貨幣で取り引きを開始した・・
こういった儲け話と同じだ。
現代アートと詐欺師はこのように区別が出来無い。まさにトポロジー。 現代美術作家がまだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供し、
その作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感し、
作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができた。
ほおほお。 仕立屋が「王さまと仕立屋と、賢い人にしか見えない服」を提供し、
その仕立屋がこしらえた服はなるほど、彼らにしか見えない。
王さまと仕立屋と、賢い人たちは互いが精神的に有意義であると思える振る舞いを
したとして、大満足であった。
「王さまは裸だよ」と子供が言うまでは。 ペテン師がまだ誰にも見出されていない新しい貨幣を発行・提供し、
その提供した貨幣を、被害者が信用し、
ペテン師と被害者が互いにその貨幣で取り引きを開始した・・
こういった儲け話と同じだ。
文学と詐欺師はこのように区別が出来無い。まさにトポロジー。 購入者が自分で納得して買うなら別によくね?
買った側は単純に気に入ったから部屋に飾りたいとか将来もっと市場価値があがる事を勝手に期待して買うんだろうし
購入した作品が届かないってなら詐欺だけど 現代美術作家が「鑑賞者とわたし(現代美術作家)と、美的感性のある人にしか
感じられない作品」を提供し、
その現代美術作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感し、
現代美術作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができた。
わたしにはこの話と「裸の王様」の寓話を違いのあるものとして、区別できないね。
あなたはできると仰るけど・・ 小説家が「鑑賞者とわたし(小説家)と、感性のある人にしか 感じられない作品」を提供し、
その小説家が提供した価値観を、鑑賞者が共感し、
小説家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができた。
わたしにはこの話と「裸の王様」の寓話を違いのあるものとして、区別できないね。
あなたはできると仰るけど・・ >>354そう。
だから面白いんだよ。
私は前々から現代アートと詐欺師の儲け話は一緒だと主張してきた。
この話は鑑賞者のおそらく純粋な美術を愛する心につけいった、悪質な詐欺であり、
許せないといった義憤も最初はあった。だけどこれほど物語としても
ペテンとしても非常に面白く、現代アートなるものをめぐって作家と鑑賞者との間に
なにか悲しくも笑ってしまう喜劇のようなものが起こっていあたり、却って
すきになってしまった。現代アートでは観る者が逆に観られる側となり、
最後には作品の一部にまでなってしまう。まさに芸術的な詐欺。 安部公房好きなバカはこれだから面白いんだよ。
私は前々から小説、文学と詐欺師の儲け話は一緒だと主張してきた。
この話は読者のおそらく純粋な安部公房の文学を愛する心につけいった、悪質な詐欺であり、
許せないといった義憤も最初はあった。だけどこれほど物語としても
ペテンとしても非常に面白く、小説・文学なるものをめぐって小説家と鑑賞者との間に
なにか悲しくも笑ってしまう喜劇のようなものが起こっていあたり、却って
すきになってしまった。文学では読む者が逆に読まれる側となり、
最後には作品の一部にまでなってしまう。まさに文学は詐欺。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。 わたしはかつてこれほど〜
なにか悲しくも笑ってしまう喜劇のようなものが起こっている話は、
聞いたこともなく・・・・
かな。乱文だったね。訂正して謝罪します。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。 世界的な緩和政策でマネーが刷られまくってるわけだけど、ゴールドの裏付け無く国の信用だけで無限に発行されてる紙幣は詐欺じゃないの? 1は、どうしても私の質問に答える気はないようですね…文脈から読み取れと?
あなたの書き込みから読み取るに、私の回答は論理的な穴があるので回答たり得ていないということですかね?
それならばそう書いてください。最低限の説明すら無しに「答えをもらっていない」と断じるのは不誠実です。議論を望む者の態度ではありません。 》「価値観」をカネに、「作家」を詐欺師に。
》「鑑賞者」を被害者にそれぞれ入れ替えてごらん。話は成立するよ。
》ペテン師がまだ誰にも見出されていない新しい貨幣を発行・提供し、
》その提供した貨幣を、被害者が信用し、
》ペテン師と被害者が互いにその貨幣で取り引きを開始した・・
》こういった儲け話と同じだ。
断じて同じではありません。貴方は「AとBは同じ構造を持っている、故にAはBである」と言う乱暴なこじつけをしているだけです。
例えば、パスタマシーンとシュレッダー機は、どちらも投入したものを細長く切り分けるという道具で、同じ構造です。
しかしこの両者は投入する物も、その目的も違います。
「パスタマシーンに書類の束を入れてごらん。書類は小間切れになるだろう?
故にパスタマシーンは調理器具などではない、事務用品である」
こんな無茶な理屈がありますか?
例えば車は、人が速く快適に移動するために作られた道具です。それに対して、
『「車の運転手」を殺人鬼に、「歩行者」を被害者に入れ替えてみてごらん。車は凶器に早変わり。
つまり、車は人を殺す為に作られた兵器なんだよ』
貴方の理屈は、これとどこが違いますか? それ便器を台座に乗せて「便器じゃなくて彫刻だよ」ってのと同じ理屈やんけ >>362詐欺じゃないよ。信用貨幣なんて取り引き相手との
信用だけでいいんだ。
現代アートもそう。
結局「現代アートとはなにか?」といった
理屈で捉えようとした瞬間に現代アート作家の罠に陥って
いるのかもね。実在しない幽霊をあれこれ考えて、
あるだのないだの話しあえばもうそこに幽霊が
現れてしまう。ない派もある派も幽霊が概念として「ある」として
議論していることに気付いていない・・・。
本当にみごとで面白い。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。
詐欺じゃないよ。信用貨幣なんて取り引き相手との
信用だけでいいんだ。
文学もそう。
結局「文学とはなにか?」といった
理屈で捉えようとした瞬間に作家の罠に陥って
いるのかもね。実在しない幽霊をあれこれ考えて、
あるだのないだの話しあえばもうそこに幽霊が
現れてしまう。ない派もある派も幽霊が概念として「ある」として
議論していることに気付いていない・・・。
本当にみごとで面白い。 ない派もある派も、幽霊がすでに概念として「ある」という前提の下に
議論していることに気付いていない・・・。
かな。
乱文だったね。
>>364さん。
だからトポロジーなの。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。
詐欺じゃないよ。信用貨幣なんて取り引き相手との
信用だけでいいんだ。
文学もそう。
結局「文学とはなにか?」といった
理屈で捉えようとした瞬間に作家の罠に陥って
いるのかもね。実在しない幽霊をあれこれ考えて、
あるだのないだの話しあえばもうそこに幽霊が
現れてしまう。ない派もある派も幽霊が概念として「ある」として
議論していることに気付いていない・・・。
本当にみごとで面白い。 信用通貨は詐欺じゃない、現代アートも同じ…
つまり現代アートは詐欺じゃないんやな? 行いの結果によるのかねえ・・・・。
ないものをあることにして、取り引きをした。
これは詐欺か?
詐欺じゃないよ。そうだとしたら、先物や為替での
取り引きが出来なくなってしまう。
現代アートだってその価値を認めてお互いに取り引きの
手段となれば、それでいいのだから・・。なんてことはない、
延々と話を引っ張ってみたら現代アートは詐欺である派と
詐欺ではない派が、そろって現代アート作家なる者が用意した
穴に落っこちてしまったというわけさ。
めでたしめでたし。 》だからトポロジーなの。
私は大学で数学を学んでいましたが、貴方がトポロジーをどういう意味で使っているのかわかりません。
AとBが同相だからなんだというのですか?図形Aと図形B上の任意の点が一対一対応するような関数が存在するから、それが何か?
いい加減な言葉で人を煙に巻くのはやめてください。
他人に伝わる、平易な言葉での再度の説明をお願いします。 いや、372 で書きましたけど・・・・言っておくけどわたしは数学のことは
全く分からないよ。恥かしながら無教養なのでね。 あなたはトポロジーという言葉をどういう意味で使ったのですか?別に学術的に正確でなくても構いません、あなたが何を主張するためにその言葉を使ったかを聞かせてください。
それともなんですか、トポロジーという難しそうな言葉を使えば私が黙るとでも思いましたか?数学は詳しくないとか、あなたに良心の呵責というものはないんですか?
別にこんな瑣末なことに噛みつきたくないのですが、あなたは万事この調子です。問いや指摘をはぐらかし、同じ主張を長広舌で繰り返して答えたつもりになっているだけ。 1の「ひゃくまんえん」も多くのみなさんが何も考えず普段、当たり前に使っている信用通貨の価値に対する疑問を炙り出し既存の価値観を揺さぶるのがコンセプトなんです、とかそれらしい事いえば(作品のレベルは置いといて)現代アートになるやんけ
そこはどうなのー? >>375数学のことは全く分からないとトポロジーと単語を書くときに言っておきましたけど・・
位相幾何学はあなたが仰られた話で正しいのではないの。それにこの言葉は
「人間そっくり」で安部公房が用いてました。とある作家の前に
火星人と自称する男が現われ、ばかばかしいと思いながらもどうしても
彼と人間の区別がつかない。なんとか火星人とする訪問者を
言い負かしてやろうとあれこれするも、どうにもならない。その内に
作家自身も自分が人間なのか、人間そっくりなのか分からなくなっていき・・
といった話。 >数学のことは全く分からないとトポロジーと単語を書くときに言っておきましたけど・
なら書くんじゃねえ ボケ >>1
すみません、ちょっと感情的になり過ぎました。反省します。
>>376
それは確かに、現代アートではあるでしょうね。レベルの低い現代アート。 >>381
つまり、理屈こねてもっともらしいコンセプトを与えると何でも現代アートにできるって事かな >>382
この作品?は経済システムに言及すると共に近年の仮想通貨ブームに対するカウンターとしてのコンテクストも含んでいるので敢えて紙という現物を流通させています、とか適当なコンセプトを与えたら現代アートになるんじゃない?w >>384
作品じゃなくてパフォーマンスアートかな?w さらに、この紙は再生紙なのでエコロジーのコンテクストと輪廻転生という仏教思想もレイヤーしてます!なんつってねw >>383
ええ、理屈をこねてもっともらしいコンセプトを与えただけの作品でも、それに共感する鑑賞者がいれば現代アートだと思いますよ。たとえそれが軽薄な動機で作られていたとしても。それこそ、最後に『なんつってねw』とか書き加えるような作品でもね。
ただ、軽薄な動機で作られた作品が現代アートになり得るとしても、全ての現代アート作品が軽薄な動機で作られているとは限りません。
詐欺まがいの、噴飯ものの現代アート作品が存在しているのは事実です。しかし、だからといって全ての現代アートが詐欺であることにはなりません。 でもところで多分、コンピューターにあなたがいうそのA・B両方の
条件を入力して「違いはなにか」と訊いても「違いはない」と
応えるぜ。なぜってコンピューターには「信用」とか「期待」といった
概念を理解できないからだ。現在のアプリやソフトにはそのような
言葉を計算させるものもあるみたいだけど、当然理科学系の教養の
ない自分には分からないことばかりだけどね。 >>384ビットコインなんて現代アートだと言い切ってしまえばよかったのにね。いわく
「このコインは数学の難問を問い賢い人にしか扱えない信用通貨であり、さらには、
単なる信用がひとり歩きしてしまう危なっかしい現代社会を風刺した現代アートでも
あります」ってさ。 ビットコインが詐欺なら、現代アートに対して行われている投資はどうなのか?
先進国は堂堂とガラクタに何億もの値段を付けて未来の財産にしてしまっている。
ちゃんと美術オークションにかけているので、正当な価値が発生しているのだから、
詐欺にはならない。 「信じてしまえば紙切れも金地金」
中共党が支配するどこか国の話。
ある若い投資家が引退した老夫婦へ投資話を持ちかけた。
大都市に建てられた写真を何枚も見せていわく「この物件は
全ての近代的なインフラが整っていて買いですよ」。
買い手がすでに何人もいるが、特別に販売するのだという。
好景気なのもあって、老夫婦はその話を信じた。
実際に金を払ってその土地に行って見たら都市も建物も何もなく、
夫婦にみせたそれはCGで描かれた画像だった・・
この話は現代の行き過ぎた信用社会が示した悪質な詐欺であり、また、
傍から見れば欲にまみれた人間のもたらす喜劇でもある。
現代アートもとやかく言わず、作品になってしまった鑑賞者を観察するのが
いいのかもしれない・・。 1の理屈だど現代アートに限らずモナリザもピカソもゴッホもセザンヌも全てのアートは詐欺って事になるわな