「愚か者には見えない服」・・現代アート [転載禁止]©2ch.net
さてなぜか前スレが落ちたのでここで続きをやりましょう。
若い人はどんどん議論に参加してください。 まあいいじゃないですか、現代アートなんて所詮、理屈こねくり回す言葉遊びなんだし 理屈こねくり回す言葉遊びなら現代美術に一生縁のない人生しか送れない星の下に生まれたんだから、現代美術がどうたらこうたら
論じなくてよろしい。 いや、そういう要素を含んでいるって事も踏まえた上で鑑賞するのが現代アートの楽しみかたなのでは?w 要素?そんな要素なんか元々どこにもないはずだが。下手な考え休むに似たり そうかな?w
まあ芸術の捉え方や楽しみ方なんて人それぞれって事で勘弁してよ 何と何が同じだってことに気づけるかなんだけど。新しいものをやったもん勝ちじゃないの。
本質的な互換性というかどういうところに重点を置いてるかに気づけるかなんだけど。表面的なことに差異が無いと
芸術なんて作家活動して何年も暮らしていけないよ。 安部公房はいまから半世紀も前に
「人間そっくり」で「何があると人間で、何が欠けると
人間ではなくなるのか」を位相幾何学で問てみせたね。実はかなり
前のスレで同じような問をもった若いのがいたね。わたしは
数学のことはとんと分からないのだけど、美術は形といった
連続量で「美しさ」が決まるということになっている以上、
公房の話は一度は考えてみるべきだと思う。 スーパーマンは指が片手に四本だと人間じゃなくなり、
あるネズミも白い手袋をはめると人間的になってしまうように、
現代アートも「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と
なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、現代アートでござい」ではね。
・・・・・ ≫「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか
この文学に関しての質問が、今の議論に必要なのですか?
私は貴方との論点のずれを修正すべく、問題点を整理し、貴方の質問に答え続け、貴方に明確な質問を投げかけました。
貴方は私の答えを答えになっていないと言い、その理由も語らず、こちらの質問には答えず、話題を脇にそらす。
私には、あなたが悪戯に争点を増やしてわざと論点をずらしているようにしか見えませんが?
でも逃げたと言われるのも本意ではないので一応答えます。
≫作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは、他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
現代アートにせよ文学にせよ、他者が認めるというのは、必要条件ではありますが十分条件ではありません。
》ニセモノを展示しても新しい概念の提示
その通りです。
現代アートにおいては物質的な作品に本物も偽物もありません。それは価値観を提供するための仕組みなので、それが模写した紙幣だろうが物質的なモノが存在しなかろうが関係ないのです。
必要なのは、作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができることです。
相手を騙して金銭をだまし取るような行為は、目的が異なるので明確に区別されます。 もう一度整理します。
◆貴方の質問に対する回答
現代アートの定義/何が欠けると現代アートにならないのか
→「まだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供すること」
「作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感できること」
「作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができること」
◆貴方への質問
「現代アートの定義とは何か」「何が欠けると現代アートにならないのか」「AとBの差異」について、私は再三答えて来ました。
しかし、貴方は「まだ問いに答えてもらっていない」といいます。
私の回答に論理的な瑕疵があるのでしょうか?
論点にずれがあり、あなたの質問の回答になっていないのですか?
なぜ私の回答を回答と認められないのか、その理由をお聞かせください。
貴方は他人の話を聞くことが苦手なようです。
このまま続けても、貴方はニヤついた語り口でBのバリエーションを繰り返すだけでしょう。
貴方にプライドがあるのなら、「どんどん議論に参加してください」という書き込みに嘘が無いのなら、まずは私の質問に答えてください。そこから建設的な議論を重ねていきましょう。
回答をもらえるまで、私はもう何にも答えません。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。 >>347
> まだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供すること
>作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感できること
>作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができること」
「価値観」をカネに、
「作家」を詐欺師に。
「鑑賞者」を被害者にそれぞれ入れ替えてごらん。
話は成立するよ。 ペテン師がまだ誰にも見出されていない新しい貨幣を発行・提供し、
その提供した貨幣を、被害者が信用し、
ペテン師と被害者が互いにその貨幣で取り引きを開始した・・
こういった儲け話と同じだ。
現代アートと詐欺師はこのように区別が出来無い。まさにトポロジー。 現代美術作家がまだ誰にも見出されていない新しい価値観を提供し、
その作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感し、
作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができた。
ほおほお。 仕立屋が「王さまと仕立屋と、賢い人にしか見えない服」を提供し、
その仕立屋がこしらえた服はなるほど、彼らにしか見えない。
王さまと仕立屋と、賢い人たちは互いが精神的に有意義であると思える振る舞いを
したとして、大満足であった。
「王さまは裸だよ」と子供が言うまでは。 ペテン師がまだ誰にも見出されていない新しい貨幣を発行・提供し、
その提供した貨幣を、被害者が信用し、
ペテン師と被害者が互いにその貨幣で取り引きを開始した・・
こういった儲け話と同じだ。
文学と詐欺師はこのように区別が出来無い。まさにトポロジー。 購入者が自分で納得して買うなら別によくね?
買った側は単純に気に入ったから部屋に飾りたいとか将来もっと市場価値があがる事を勝手に期待して買うんだろうし
購入した作品が届かないってなら詐欺だけど 現代美術作家が「鑑賞者とわたし(現代美術作家)と、美的感性のある人にしか
感じられない作品」を提供し、
その現代美術作家が提供した価値観を、鑑賞者が共感し、
現代美術作家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができた。
わたしにはこの話と「裸の王様」の寓話を違いのあるものとして、区別できないね。
あなたはできると仰るけど・・ 小説家が「鑑賞者とわたし(小説家)と、感性のある人にしか 感じられない作品」を提供し、
その小説家が提供した価値観を、鑑賞者が共感し、
小説家と鑑賞者の間で互いが精神的に有意義であると思えるキャッチボールができた。
わたしにはこの話と「裸の王様」の寓話を違いのあるものとして、区別できないね。
あなたはできると仰るけど・・ >>354そう。
だから面白いんだよ。
私は前々から現代アートと詐欺師の儲け話は一緒だと主張してきた。
この話は鑑賞者のおそらく純粋な美術を愛する心につけいった、悪質な詐欺であり、
許せないといった義憤も最初はあった。だけどこれほど物語としても
ペテンとしても非常に面白く、現代アートなるものをめぐって作家と鑑賞者との間に
なにか悲しくも笑ってしまう喜劇のようなものが起こっていあたり、却って
すきになってしまった。現代アートでは観る者が逆に観られる側となり、
最後には作品の一部にまでなってしまう。まさに芸術的な詐欺。 安部公房好きなバカはこれだから面白いんだよ。
私は前々から小説、文学と詐欺師の儲け話は一緒だと主張してきた。
この話は読者のおそらく純粋な安部公房の文学を愛する心につけいった、悪質な詐欺であり、
許せないといった義憤も最初はあった。だけどこれほど物語としても
ペテンとしても非常に面白く、小説・文学なるものをめぐって小説家と鑑賞者との間に
なにか悲しくも笑ってしまう喜劇のようなものが起こっていあたり、却って
すきになってしまった。文学では読む者が逆に読まれる側となり、
最後には作品の一部にまでなってしまう。まさに文学は詐欺。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。 わたしはかつてこれほど〜
なにか悲しくも笑ってしまう喜劇のようなものが起こっている話は、
聞いたこともなく・・・・
かな。乱文だったね。訂正して謝罪します。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。 世界的な緩和政策でマネーが刷られまくってるわけだけど、ゴールドの裏付け無く国の信用だけで無限に発行されてる紙幣は詐欺じゃないの? 1は、どうしても私の質問に答える気はないようですね…文脈から読み取れと?
あなたの書き込みから読み取るに、私の回答は論理的な穴があるので回答たり得ていないということですかね?
それならばそう書いてください。最低限の説明すら無しに「答えをもらっていない」と断じるのは不誠実です。議論を望む者の態度ではありません。 》「価値観」をカネに、「作家」を詐欺師に。
》「鑑賞者」を被害者にそれぞれ入れ替えてごらん。話は成立するよ。
》ペテン師がまだ誰にも見出されていない新しい貨幣を発行・提供し、
》その提供した貨幣を、被害者が信用し、
》ペテン師と被害者が互いにその貨幣で取り引きを開始した・・
》こういった儲け話と同じだ。
断じて同じではありません。貴方は「AとBは同じ構造を持っている、故にAはBである」と言う乱暴なこじつけをしているだけです。
例えば、パスタマシーンとシュレッダー機は、どちらも投入したものを細長く切り分けるという道具で、同じ構造です。
しかしこの両者は投入する物も、その目的も違います。
「パスタマシーンに書類の束を入れてごらん。書類は小間切れになるだろう?
故にパスタマシーンは調理器具などではない、事務用品である」
こんな無茶な理屈がありますか?
例えば車は、人が速く快適に移動するために作られた道具です。それに対して、
『「車の運転手」を殺人鬼に、「歩行者」を被害者に入れ替えてみてごらん。車は凶器に早変わり。
つまり、車は人を殺す為に作られた兵器なんだよ』
貴方の理屈は、これとどこが違いますか? それ便器を台座に乗せて「便器じゃなくて彫刻だよ」ってのと同じ理屈やんけ >>362詐欺じゃないよ。信用貨幣なんて取り引き相手との
信用だけでいいんだ。
現代アートもそう。
結局「現代アートとはなにか?」といった
理屈で捉えようとした瞬間に現代アート作家の罠に陥って
いるのかもね。実在しない幽霊をあれこれ考えて、
あるだのないだの話しあえばもうそこに幽霊が
現れてしまう。ない派もある派も幽霊が概念として「ある」として
議論していることに気付いていない・・・。
本当にみごとで面白い。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。
詐欺じゃないよ。信用貨幣なんて取り引き相手との
信用だけでいいんだ。
文学もそう。
結局「文学とはなにか?」といった
理屈で捉えようとした瞬間に作家の罠に陥って
いるのかもね。実在しない幽霊をあれこれ考えて、
あるだのないだの話しあえばもうそこに幽霊が
現れてしまう。ない派もある派も幽霊が概念として「ある」として
議論していることに気付いていない・・・。
本当にみごとで面白い。 ない派もある派も、幽霊がすでに概念として「ある」という前提の下に
議論していることに気付いていない・・・。
かな。
乱文だったね。
>>364さん。
だからトポロジーなの。 それに対して私は「ある人間の思いを書き付けたものが文学になり得るというのならば、
何があるとそうといえ、何が欠けるとそうではない」のか、と訊いた。
その答えはまだもらってないね。
作家側が「文学書」ですと言ってみせたモノ・行いは
他者が「文学書である」と認めさえすればそれでいい・・
いっそ白い紙本に「通貨単位:百億円」と書いて売ってみたらどうだろう?
偽造紙幣を発行しているんじゃないよ、文学書なんだから・・紙幣を印刷して
逮捕された現代美術家とは根本的に違う。これ、面白いと思わないかい?
文学として貨幣を流通させちゃうんだよ。司法だって文学書が
商品として販売されて著者が印税収入を得ていることを違法だとしていない。安部公房は通貨を
発行させているのではなく、文学作品を流通させているだけなのだから。
以前から自分はバカで無学だから文学とはなにか?その意味するところを教えてほしいと言ってますけど・・
文学も「何があって、何が欠けて」の対象になれるはずである。
というか、そうでなくては困るのだ。定義の出来無い概念と なっているはずのモノを「これは何か分からないけど、
文学でござい」ではね。
詐欺じゃないよ。信用貨幣なんて取り引き相手との
信用だけでいいんだ。
文学もそう。
結局「文学とはなにか?」といった
理屈で捉えようとした瞬間に作家の罠に陥って
いるのかもね。実在しない幽霊をあれこれ考えて、
あるだのないだの話しあえばもうそこに幽霊が
現れてしまう。ない派もある派も幽霊が概念として「ある」として
議論していることに気付いていない・・・。
本当にみごとで面白い。 信用通貨は詐欺じゃない、現代アートも同じ…
つまり現代アートは詐欺じゃないんやな? 行いの結果によるのかねえ・・・・。
ないものをあることにして、取り引きをした。
これは詐欺か?
詐欺じゃないよ。そうだとしたら、先物や為替での
取り引きが出来なくなってしまう。
現代アートだってその価値を認めてお互いに取り引きの
手段となれば、それでいいのだから・・。なんてことはない、
延々と話を引っ張ってみたら現代アートは詐欺である派と
詐欺ではない派が、そろって現代アート作家なる者が用意した
穴に落っこちてしまったというわけさ。
めでたしめでたし。 》だからトポロジーなの。
私は大学で数学を学んでいましたが、貴方がトポロジーをどういう意味で使っているのかわかりません。
AとBが同相だからなんだというのですか?図形Aと図形B上の任意の点が一対一対応するような関数が存在するから、それが何か?
いい加減な言葉で人を煙に巻くのはやめてください。
他人に伝わる、平易な言葉での再度の説明をお願いします。 いや、372 で書きましたけど・・・・言っておくけどわたしは数学のことは
全く分からないよ。恥かしながら無教養なのでね。 あなたはトポロジーという言葉をどういう意味で使ったのですか?別に学術的に正確でなくても構いません、あなたが何を主張するためにその言葉を使ったかを聞かせてください。
それともなんですか、トポロジーという難しそうな言葉を使えば私が黙るとでも思いましたか?数学は詳しくないとか、あなたに良心の呵責というものはないんですか?
別にこんな瑣末なことに噛みつきたくないのですが、あなたは万事この調子です。問いや指摘をはぐらかし、同じ主張を長広舌で繰り返して答えたつもりになっているだけ。 1の「ひゃくまんえん」も多くのみなさんが何も考えず普段、当たり前に使っている信用通貨の価値に対する疑問を炙り出し既存の価値観を揺さぶるのがコンセプトなんです、とかそれらしい事いえば(作品のレベルは置いといて)現代アートになるやんけ
そこはどうなのー? >>375数学のことは全く分からないとトポロジーと単語を書くときに言っておきましたけど・・
位相幾何学はあなたが仰られた話で正しいのではないの。それにこの言葉は
「人間そっくり」で安部公房が用いてました。とある作家の前に
火星人と自称する男が現われ、ばかばかしいと思いながらもどうしても
彼と人間の区別がつかない。なんとか火星人とする訪問者を
言い負かしてやろうとあれこれするも、どうにもならない。その内に
作家自身も自分が人間なのか、人間そっくりなのか分からなくなっていき・・
といった話。 >数学のことは全く分からないとトポロジーと単語を書くときに言っておきましたけど・
なら書くんじゃねえ ボケ >>1
すみません、ちょっと感情的になり過ぎました。反省します。
>>376
それは確かに、現代アートではあるでしょうね。レベルの低い現代アート。 >>381
つまり、理屈こねてもっともらしいコンセプトを与えると何でも現代アートにできるって事かな >>382
この作品?は経済システムに言及すると共に近年の仮想通貨ブームに対するカウンターとしてのコンテクストも含んでいるので敢えて紙という現物を流通させています、とか適当なコンセプトを与えたら現代アートになるんじゃない?w >>384
作品じゃなくてパフォーマンスアートかな?w さらに、この紙は再生紙なのでエコロジーのコンテクストと輪廻転生という仏教思想もレイヤーしてます!なんつってねw >>383
ええ、理屈をこねてもっともらしいコンセプトを与えただけの作品でも、それに共感する鑑賞者がいれば現代アートだと思いますよ。たとえそれが軽薄な動機で作られていたとしても。それこそ、最後に『なんつってねw』とか書き加えるような作品でもね。
ただ、軽薄な動機で作られた作品が現代アートになり得るとしても、全ての現代アート作品が軽薄な動機で作られているとは限りません。
詐欺まがいの、噴飯ものの現代アート作品が存在しているのは事実です。しかし、だからといって全ての現代アートが詐欺であることにはなりません。 でもところで多分、コンピューターにあなたがいうそのA・B両方の
条件を入力して「違いはなにか」と訊いても「違いはない」と
応えるぜ。なぜってコンピューターには「信用」とか「期待」といった
概念を理解できないからだ。現在のアプリやソフトにはそのような
言葉を計算させるものもあるみたいだけど、当然理科学系の教養の
ない自分には分からないことばかりだけどね。 >>384ビットコインなんて現代アートだと言い切ってしまえばよかったのにね。いわく
「このコインは数学の難問を問い賢い人にしか扱えない信用通貨であり、さらには、
単なる信用がひとり歩きしてしまう危なっかしい現代社会を風刺した現代アートでも
あります」ってさ。 ビットコインが詐欺なら、現代アートに対して行われている投資はどうなのか?
先進国は堂堂とガラクタに何億もの値段を付けて未来の財産にしてしまっている。
ちゃんと美術オークションにかけているので、正当な価値が発生しているのだから、
詐欺にはならない。 「信じてしまえば紙切れも金地金」
中共党が支配するどこか国の話。
ある若い投資家が引退した老夫婦へ投資話を持ちかけた。
大都市に建てられた写真を何枚も見せていわく「この物件は
全ての近代的なインフラが整っていて買いですよ」。
買い手がすでに何人もいるが、特別に販売するのだという。
好景気なのもあって、老夫婦はその話を信じた。
実際に金を払ってその土地に行って見たら都市も建物も何もなく、
夫婦にみせたそれはCGで描かれた画像だった・・
この話は現代の行き過ぎた信用社会が示した悪質な詐欺であり、また、
傍から見れば欲にまみれた人間のもたらす喜劇でもある。
現代アートもとやかく言わず、作品になってしまった鑑賞者を観察するのが
いいのかもしれない・・。 1の理屈だど現代アートに限らずモナリザもピカソもゴッホもセザンヌも全てのアートは詐欺って事になるわな 「信用とは何なのか?」
といった問にビットコイン制作者は
みごとに、そして美しい皮肉でもって応えたと思う。
これはまさに芸術だね。 前に亜書褒めてたけど結局返金命じられて
芸術性なんて無いとなったのを覚えてたら
ビットコインが芸術とか寝言言えないと思うんだけどね 詭弁垂れ流すことしか能がない>>1が早く死んでくんねえかなあ ビットコインも亜書も
頭のきれる美術界にアート宣言をし問題を投げ込まないと
そもそもアートにならん。 >>398法は蜘蛛の巣と同じ。それを破ることのできないものだけを
捕まえる そのうち判事が芸術と似非芸術とを分けてしまえる日が来るのかもね。
二つの絵画を並べて「これは芸術作品、あれはニセモノ」と。
こうなるのがこの手の詐欺師の目的であることも知らずに・・・・。
存在しないモノを実存する法的機関が「存在する」とお墨付きを
与えてしまったのだからね。どこかの中産党国家が従軍慰安婦なんて
真っ赤な嘘をでっち上げたけど、この話と同じだね。なかったものを
存在する機関があっただの、なかっただのと、議題にしてしまった
時点で負けなのさ。最高の商人とは無い物を売買する者である、と
誰かが言ってたけど本当なんだねえ。 アメリカ版「お宝鑑定団」で鑑定士がヘタうった。
高校生が美術の授業で作った水差しに「これは貴重、550万円」と言い切った
karapaia.livedoor.biz/archives/52217972.html
とさ。
現代アートは誰でも貨幣を発行できる権利を持てることを暗示した行いなのかもね。 中共党といえば・・かつて正義の味方だと自称するアメリカが、中共党に「
人権」外交で迫った。人権などは、それを信じている者たちの頭の中以外どこにも
存在しないペテン概念だ。今、人権詐欺の説明ははぶくが「これを信じないお前は
問題だ」とアメリカは独善的に言い放ち、いつものように脅し始めた。しかしその後
中共党最高指導者は人権で詰ってくる者らに最高に素敵な返答をした。
「そのはなしは聞こえなかった。」
俺は思わず大笑いしてしまった。そうだよなあ、存在しないモノなんかは
最初からその通り無い物として無視してしまえばいいんだよって。こんなに
みごとな「無い物詐欺」を騙ってくる相手への、皮肉の効いた意趣返しは
見たことがない。さすが慰安婦詐欺を仕掛けた側でもあって
この手のペテン返しはお手のものといったところか。 全部は読んでないけど
1は現代アートとやらに過大な幻想を抱いていたのではなかろうか?
芸術とは偉大なもの、難解で高尚なもの、という意識があって、そうあらねばならないと考えているように見える。
実際にはそうでないと知って詐欺だ詐欺だと騒いでる、と
そんな風に見えるがあっているかな? 違いますよ。最初からピカソなどの現代アートは詐欺だと考えてました。 後、今はもう安部公房とかも文学自体がすべて詐欺だと考えてます。 ピカソやダビンチはなぜ、作品を見せた後に様々な言葉で説明されるのだろう >>408
わかる気がする、以前は「芸術」であったものが
張りボテに見えはじめてきたのって自分だけじゃなく
社会全体の視点じゃないかな そいつは俺が書いたレスじゃないよ。
このキチガイの友人なら引き取ってほしいんだがね。 >>410
実は俺、キチガイとか書いたけど、俺自身、精神病院の閉鎖病棟から書き込んでるだが。
親と主治医に入院させられちゃって。 ・・予想通りの展開なので、あとはあなた方の知性で真偽を見極めてほしい。
この者はこんな数人しか見てない板で荒すのだから、よほど俺に言い負かされて悔しかったのだね。 さて。日本は個人の貨幣発行権を制限するってさ。
「これは数学の難問試験を通った者だけが使用できる、賢いものしかやりとりできない
信用通貨幣です」だといった話は通用しなくなるらしい。
この調子で現代アートへの投資も詐欺かどうか見分けてほしいね。 どうせ就職するなら業界一位の会社に行った方がいい。会社の規模でできることの幅が変わるし、会社の名前による力も大きいし、一位の会社には優秀な人間が集まるからだ。働くとやれることの幅と会社の看板に助けられることを痛感するし、優秀な人と働くと学ぶことは多い。 「絵描きは画家にならったとしても、その×○にならってはならない」
×○に入る言葉をかきなさい。 またピカソに法外の値段か。芸術も結局カネなんだねえ。 。
進撃の巨人も最大級の現代芸術だよな!
内容が!
文学の分類か! 近年の古代支那は西域の発掘成果によると、油絵の具を使用した壁画が発見された
そうな。つまり油絵の具は欧州起源ではなかった。 現代アート詐欺師は子供を絶対的に相手にしない。なぜなら彼らはしばしば
その詐術を見破ってしまうからだ。
「パパ、これは楽描きだよ」
ピカソ展でこんなことを言われたら、画商はなんとするのか。
「いいか、ガキ。ピカソは産まれたときからすでに天才であった。なんと彼は
母親の子宮から出た瞬間に『僕に鉛筆を! 』と叫んだのだ。しかも、7つのときに写実を完全に習得し、
父親は画家をやめ、そして・・」
「でもこの絵は楽描きだよ。だって僕が書いたのとそっくりだもの。」
「どこのガキか知らないが、いい加減にしなよ、あんた・・・・・。」
」 「僕だったらこんなの、いつでも描けるよ」
子供はもっていたクレヨンで壁に絵を描いた。
「現代アートさ」画商が子を引っ叩こうとしたところ・・・・・
「ほう。みごとなものだね」
いきさつの知らない紳士がつぶやく
「この絵は」うんうん頷いて「あえて壁に描いたところに意味がある」 この後の展開はこのスレでおなじみの、アンデルセン童話
「裸の王様」である。
この話は自称インテリゲンティアが実はなにも知らないのだ、という
ソクラテスの対話篇をもっとも分かりやすく例えたみごとな寓話である。
現代アートも実際のところ、こんな簡単で古典的な詐欺の範囲内での
お伽話でしかないのだ。 現代文学詐欺師は子供を絶対的に相手にしない。なぜなら彼らはしばしば その詐術を見破ってしまうからだ。
「パパ、これはくだらない本だよ」
安部公房の小説をこんな風に言われたら、編集者はなんとするのか。
「いいか、ガキ。安部公房は産まれたときからすでに天才であった。なんと彼は 高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していた
のだ。しかも、東京帝国大学医学部医学科に入学し、 そして医者にこそならなかったものの小説家として埴谷雄高に才能を認められ・・」
「でもこの本はくだらないよ。だって僕が書いた文章とそっくりだもの。」
「どこのガキか知らないが、いい加減にしなよ、あんた・・・・・。」
「僕だったらこんなくだらない小説、いつでも描けるよ」
子供はもっていた鉛筆で適当に短編小説を書いた。
「文学さ」編集者が子を引っ叩こうとしたところ・・・・・
「ほう。みごとなものだね」
いきさつの知らない紳士がつぶやく
「この文章は」うんうん頷いて「あえてガキが書いたところに意味がある」 正しいとも正しくないとも言えないな。
例えば、クラシック音楽の指揮者を「音楽に合わせて棒振ってるだけだろ」って言う奴いるよな。
それは音楽をあまり聴いてない奴にはそう見えるだけだってこと知ってるから、賛成しない。
そんな例は沢山ある、凡庸な人間はほとんどの事をそんなふうに、上っ面だけで見てる。
まあ現代アートに関しては、確かにインチキ臭いものも多いけど、これも絵が好きな人間と
そうではない人間とでは違いがありそうだな。 では訊くが、>>428さん、音楽の指揮とはどういった行いをさすのかな。 では訊くが、>>430さん、文学とはどういった行いをさすのかな。 馬鹿は前衛になれない。後に付いてくるのみ
もしくは
アウトサイダー枠で人に持ち上げられるか http://dai.ly/x4qhxvc
すっ裸エロいwww ボディーペイントの祭A さすが多摩美術大学だね。芸祭でやってくれた。この美大がやっぱ一番か。 言語という表現手段においては>>1みたいなゴミアホがモノを書いたり言ったりても世間は完全スルー
しかし同レベルのアホが「アート・インスタレーション」なるものをこさえると
アートを飯の種にしている評論家が御大層な解説を加えて「インテリ仲間」として世間に紹介
評論家のゴタクにコロッと騙されて世間もこれを手放しでありがたがる
でも実際のところは「アート・インスタレーション」なるものもモノを書いたり言ったりするのと同じ「表現」にすぎず
表現は表現者の中身と等価だから、アホが作ったものは所詮アホ丸出しの何かでしかない
いい加減、>>1もこのことに気づくべきだろう もっと言ってみたら?
ところで、この一件で多摩美術大学側がこの優れた学生らに小役人じみた説教をし、
何もかも禁止、禁止の保守対策を採ったら、名門私立美大としては終わりなんだろうなと思う。
どこかの美大みたいに、国立美術大学に落ちた生徒の受け皿になってれば、
そこそこの成果も出せるし、
文科省からやってきた天下り退官者に媚びを売って助成金をもらい、醜く無駄な箱物を建て
満足しているって感じの学校になったら最悪だね。あんたの学校、誰も積極的に学びたいって
生徒はいないよ。みんな見ているんだよ、若いのは・・・・。