●パヤオは東映動画ってアニメ会社で長編アニメを作ってたんだが
パヤオが28歳の時に高畑が監督したホルスの大冒険って映画が大コケして
二度と映画が作らせてもらえなくなった
●それでテレビアニメをやるために東映動画を退社して31歳の時にAプロっていうアニメスタジオに高畑たちと移籍した
このスタジオではピッピっていうアニメをやるつもりだったんだが原作者のリンドグレーンってババアに会いにスウェーデンまで行ったら「目がデカ過ぎるし絵柄がキモイ」と言われ速攻で断られた
帰国したパヤオはルパンで「Aプロダクション演出グループ」っていう変な名前でアニメ演出家としてデビューする
●そのあとはパンダコパンダとかハイジとか三千里とかいった高畑のアニメを手伝って
38歳の時に未来少年コナンっていうテレビシリーズの監督としてついにデビューする
●大塚っていうパヤオの先輩が映画版ルパンの監督をやることになったんだが
鈴木清順の書いた脚本がゴミ過ぎて大塚がパヤオに「監督なんかやりたくねえよ」と電話した
そしたらパヤオが「じゃあオレがかわりにやるわ」と立候補
●パヤオはその日のうちに手伝っていた高畑の赤毛のアンの仕事を辞職(メインスタッフなのに)して(高畑は激怒)会社も辞めて大塚のスタジオに移籍した
●大塚のスタジオに移籍してくるときにパヤオは丹内司っていうのちにラピュタの作画監督をやる若手のアニメーターも引き抜いてきた
●電話の翌日からパヤオは大塚のテレコムってスタジオに来て
勝手に自分の机を作って鈴木清順の脚本を読みもせずゴミ箱に捨て
ものすごい勢いでカリオストロの城のイメージボード(水彩画)を描き出した
●それと同時にパヤオは赤毛のアンで天才的な仕事をしていた若手の富沢信雄ってアニメーターを高畑に無断で引き抜いてテレコムに入社させてしまった(富沢は今はテレコムの社長)
●1か月でカリ城のストーリーを完成させたパヤオは20歳以上年上で大ベテランの山崎晴哉って脚本家に執筆してもらうも出来上がりを読んで「つまんねぇな」と一蹴
●結局脚本を無視して1か月かけて絵コンテを描くことになった
絵コンテを描きながらパヤオは赤毛のアンの筆頭原画(原画を描く量が最も多い)だった篠原征子っていう若手アニメーターを無理やり引き抜いてテレコムに入社させてしまった(クラリスは全部この人が描いた)
●それから1か月かけてパヤオは亜細亜堂の河内日出夫ってアニメーターとオープロの友永和秀と山内昇壽郎と真鍋譲二ってアニメーターを引き抜こうとしたんだが
それがバレて揉めて結局出向って形で協力してもらうことになった(友永っていう若手は冒頭のカーチェイスシーンを1人で描いた天才)
●その翌月にもパヤオは赤毛のアンから新川信正っていう若手アニメーターを引き抜いてカリ城に参加させた(この人はテレコムには入社せずにフリーランスになった)
●そしてその翌月にはパヤオは赤毛のアンで背景美術を描いていた山本二三っていう若手を無理やり引き抜いてテレコムに入社させてしまった(この人はラピュタやもののけ姫の美術監督をやった)
●パヤオが電話で立候補してからアフレコ終了までに7カ月かけて映画は完成した(実際の製作期間は6カ月でそのうち作画期間は4カ月半)
●映画は制作費の5億円すら回収できないほど大コケ(配給収入3億)しパヤオが次回作を作れる可能性はゼロとなった