【訃報】カメラばあちゃん増山さん死去【徳山村】
アラーキーは、生と死って事言ってるけど、増山さんの撮った写真にも
生と死が写ってるな。村の死や故郷の死、生まれ故郷で死にたいという老人の
気持ち。そういった死に関する色んな物事が写ってる。でも写ってる村人の
姿は生き生きとしてる。 ばあちゃんの写真とか見てると、銀塩だデジタルだ、カメラだレンズだなんてグダグダ言ってるのが
馬鹿らしく思えてしまう。 >>74
まったく同意。
婆さんの写真を見るたび、
何故写真を撮るのか、何のために撮るのか、いつも自問させられる。
そして、誰かに巧いって言ってもらいたいからとか、とりあえず絵になりそうだから
って理由でシャッターを切っている自分を見つけるんだな。
写真を撮るということの本当の意味を教えてくれたように思うよ。
>>73
>やっぱり、写ってる本人に喜んでもらえるような写真がイイよね。
撮る趣旨が多様である以上、良くも悪くも色々な写真があるけど
自分が撮った写真で、ほんの一瞬でも人を幸せな気持ちにさせる
ことができたら、激しくいいなと思う。 朝日新聞の日曜版「be」で紹介されていた事があった。
もうネットでは見る事は出来ないみたいだけど。 婆さんの写真は決して技術的に巧い物ではなかった。
でも、そんな事はどうでも良い。
この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
こんな事出来る人、どれだけ居るだろうか?
少なくとも「大御所」竹内敏信や「脱がせ屋」篠山紀信には逆立ちしても出来ない事だろう。
人として生まれてきて、その生きた証を残せる人って凄いと思ったよ。
もとより婆さんより「もっと」凄い物を残してる人がいるのも承知している。
だからと言って婆さんの所行を卑下する事は出来ない。
少なくとも俺には婆さんほどの物を残す事は出来ない。出来そうにない。
改めてご冥福をお祈りすると共に、(会った事無いけど)お別れの言葉。
「やったね婆ちゃん」
訃報聞いた日にAmazonで注文して、今日届いた。
>>79
>この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
なんか感動した 大御所の写真にはちっとも憧れない。ただ、これでもかって言うほど念入りにやっているであろう自分の
足を使ったロケハンの積み重ねは、一生見習わなくてはいけないと思う。
脱がせ屋さんの写真は、ブツ撮りのフィギアみたいだ。何が悲しゅうて生きた人間をフィギアみたいに
写さなきゃならんのかが俺にはわからん。果てしなく痛々しくてもトレカメやもえたそのヌードのほうが、
生きている人間が感じられるぶんだけずっとオモシレエ。
アマチュア写真倶楽部の作品展とかをたまにみると、変に上手く撮ろうとしてる写真ばっかで凄く寂しい。
それと、フォルテアやベルビアで撮ったと思われるキモイ発色の写真が目立つ。あんな癖のあるフィルムを
脊髄反射で使ったら良くなる筈の写真までダメになる。
そういうのと比べると、増山さんの写真は被写体への愛と被写体が持つ命が伝わってきてしかも作風が上品
で好きだ。写真には、撮影者自身が投影されると知らされる。ヘボ写真を性懲りも無く雑誌に送り続ける以上、
自分も心して撮らないといけないといけないと思う。 >>81
村の様子を写真で残せと、天命が下りたんだろうとおもう。 天命なんて霊感的なものではないだろう
婆ちゃんの写真は消える故郷と出征したまま帰ってこなかった旦那への想いが結晶化したもんだよ ・゚・(ノД`)・゚・ 今日、初めて写真を見た。
なんか、季節の空気や村人の体温が伝わってきそうな写真ですね。 >この婆さんの写真群を並べると「村」が出来るんだぜ。
たづ婆ちゃんが何をなし遂げたのか正確に表現しやがったなこのやろう。
写真やってる人間に対して最高の賛辞だと思うぜ。 昨晩テレビでやってたのか・・・
ちゃんとラテ欄チェックしとかんと駄目だな。見たかった。
もう10年ぐらい前に中京テレビかどっかが徳山村を取り上げたドキュメンタリーをやってて、録画したんだけどテープが行方不明(つД`) ピッカリコニカ等開発に携わったコニカの内田さんが,このおばあさんのように
カメラを使ってもらうと開発者冥利に尽きるとおっしゃってた。
増山おばあちゃんのご冥福をお祈りします
そしてコニカミノルタのカメラにも…
さっき「徳山村写真全記録」が届いた。ホントいい写真集だと思った。
その後、アラーキーの「センチメンタルな旅 冬の旅」を本棚から引っ張り出して見た。
被写体への愛情と生と死が、どちらの本にも溢れていると思った。 「徳山村写真全記録」買いました。
村の人々や風景はもちろん、ダム工事で働く方々にも
優しい思いやりの言葉・・・ただただ感動です おかずと言うより、日本酒を一杯飲りながら見てると…最高のツマミになる。
寧ろ、日本酒がツマミか… 昔、なんとかピカソで見たなぁ。
写真集を数年前に買った。すげぇよかった。
弘法は筆を選ばず。 今週読売夕刊追悼抄で下の写真つかわれてた
晩年のようだが何使われてたのかな
亡くなった日にもテレビの取材が入る予定だったとか
ttp://show.yomiuri.co.jp/photonews/photo.php?id=9193 もう9年も前のカメラなのか…漏れも今でもブラックを愛用してるよ。 ピッカリ(C35 EF)以外のも使ってたんだ。
それともプレゼントかな? ずっとC35 EFだと思ってた・・・
使ったこと無いけど、これも良い描写するんだよね? >>92
おかずになるかどうかは分からんが、酒の肴にはなる。
あれがあれば、下戸の俺でも二合は飲める。 最後のビッグミニにしてコニカ最後のコンパクトカメラの名機か。 ばあちゃん、カメラのことは分かってないかもだけど、
ちゃんと使いこなしていたな〜。
有名な写真家がよくワークショップやってるけど、ああいうのにばあちゃんが参加してたら
もっと良い写真が撮れてたのかな いや、逆にすかした、いかにもな絵になって、
あの素朴であるからこそ、伝わるものが消し飛んで、
つまらない田舎の写真になってしまうような希ガス。
7万枚撮り続けたってことは、けっこう頑固なのかもよ。
技法を習ったからって、そんなに変わらないような気がする。 徳山村写真全記録を読了。
運動会での偶然撮れた流し撮りや、梯子に登ってガクガクブルブルしながら撮った神社の祭礼の写真と
いったほほえましいエピソードにほくそ笑む一方で、白い布で巻かれた墓石、重機で倒される家屋や
木々といった村の消滅を否応なしに意識させる写真を見せられて衝撃を受けた。
このころ小学生だった子供達もいまでは三十路以上か…
ところで写真のデート部分が横長にかぶっている写真が頻繁にあったが、あれはどうやったら
そう写るのだろうか…故障?
そういえばピッカリやジャスピンコニカの開発者への内田康男さんへの賛辞も文中にあったな。
ちなみに今の徳山ダムの進歩状況
http://www.water.go.jp/chubu/tokuyama/ 写真のデート部分が横長にかぶっている写真は
開発者がそれを見て、ギャーーー、公開しないで!
と言ったらしい。
ちなみに、畳2枚だかに伸ばした写真は、ピッカリは
レンズに手抜きをしていないという証明として、度々
開発者が講演のネタにしたらしい。 畳二枚か、すごいな。
俺はさいきん、デジタル一眼レフの画質に飽き足らず
6x9判カメラを買ったところだよ。
私用で集合写真を撮ることが多いもので。 しかし60超えてからの7万枚ってすごいな。
40代で20分歩くのすら苦痛になった今の俺って・・・ 1ヶ月の現像代が20万超えてて年金突っ込んでたという話だからね。
このおばあちゃんの写真見て
写真ってホント撮る人によって良くも悪くも写るという事を知らされた
腕じゃないんだね おばあちゃんに教えられました このばーちゃんの写真を見て思うのは
ただ綺麗で、冷たい、つまらない、商売人やコンテストの写真より、
製品として見れば酷い出来だが、確実に村への思いが伝わってくる。
こういう写真こそ本当の意味で「上手い写真」と言うのだろう。
真の芸術とはこういうものかも知れないな。 写真には、撮った人の人格が写るってのは
本当だと分かるよね。
悪い例だと、内田ユッキーの写真に出てくる人は
みんな不安げだったり怯えていたり、すごく不幸を感じさせる。
被写体を威圧しちゃいけない。 そろそろ過剰なばーちゃんまんせーがキモく感じてきた >>122
確かにね。自分の慧眼をひけらかしたり、他の写真を皮肉るために
引き合いに出されたら、婆さんも浮かばれまい。
婆さん自身「良い作品を撮ろうと思ったことはいっぺんもない」と言ってるわけだし。
泰然自若・唯我独尊、まあ、どっちも芸術(芸術家)のスタイルだ。感じ方は人それぞれだ。 今初めて亡くなったことを知りました。
ショックです。
1月頃だったか、NHKの深夜便で徳山村の昔話を語る肉声も聞いたばかり。
出征したご主人とは最後まで会えなかったわけだけど、天国ではきっと
会えるでしょう。
ご冥福をお祈りします・・・ 昨日写真集注文しますた。香典つーかなんつーか。冥福お祈りします。 俺も尼損からギフト券が来たので
買っちゃおうかな。 誰でもピカソに出たとき、世界のキタノに、アングルがいい云々と言われて、
は?????って顔をしていた。
アングルなんつう言葉を考えて撮った事などないのだろう。
でも、結果がよけりゃ、いいじゃん!
撮る時、被写体の首から上が切れないようには気をつけていた
ようだけど。 >>128
ユー買っちゃいなよ。
マンセーするつもりは毛頭ないが、目の保養になります。
身近な人間や風景を撮るときの基準というか目標もできた。 被写体である村人達のやさしい顔が素晴らしい。
婆ちゃんへの気持ちが、そのまま写真に残ってる。
そうかと思えば重機に倒される桜の木の美しさと残酷さはどうだ。
狙ってとれる写真ではないなと思うよ。テクニックじゃない、
現場の現実が写っているよ。ネがカラーのショボい画質を
忘れさせる衝撃があるな。
じいちゃんへ残したい、後の人に残したいという気持ちが、
ばあちゃんに写真を撮らせたんだろうな。
ばあちゃんのこと、忘れないよ。合掌
>>129
あの番組最初はふーんてな感じでみてたんだが
カメラ構えかた瞬間”このばあさんただものではない”オーラだしてたぞ。 >>133
ワロタ.
ケド、 ナゼカ スコシ ナミダ ガ デタ. あのへん、膨大な水の重量で活断層が影響を受け、
地震が起きる可能性があるらしい。 >>140
眉唾物の話だな。あまり真に受けないほうが良いよ? 写真集に出てる運動会の写真、初めてピッカリを手にして取ったという写真
バッチリ流し撮りが決まってるんだが..... >>144
膨大な枚数撮ってたそうだから、決まってるのもあるでしょう。
でも、良いのが撮れるまで何度もチャレンジするっていう精神は
アマチュアフォトグラファーの鑑だよね。 >>140
まあ根尾谷断層なんてのも近所にあるけど関係ねえべよ
黒部ダムはダムの水で高熱隧道の温度が下がったが もうすぐ沈んじゃうんだよな 誰もどうする事も出来ないんだよ
ごめんな ばあちゃん このスレマジ涙。
9月1日から婆ちゃんが住んでた徳山の戸入、門入地区方面の道が、試験貯水開始による通行止めになるそうです。
この週末が訪問できる最後のチャンスになるかな。
婆ちゃんが伝えたかった村の様子を確かめて来たいと思います。
独りヨガリのチラシの裏スマソ。 <<153
レスサンクス
初心者ですが、携帯から何とか挑戦してみますね。
今までコンデジをメインに使ってきたんだが
オークションで何気なくC35を落札し手に入れた。
シンプルでタフそうでクラシカルでかっこいいC35FL。
落札した後にググって増山さんのことを知りかつてないほどショックを受けた。
写真、カメラ、生きること、愛すること・・・
俺もちゃんと生き、ちゃんと写真撮ろうと思う。
増山さん、いつか天国行ったら色んな話してください。
ご冥福をお祈りいたします。 ダムに沈む岐阜・旧徳山村 故郷、目に焼きつけ
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060824dde012040068000c.html
>最後の夏になった。徳山ダム(岐阜県揖斐川町)に今秋、水がためられる。いよいよ旧徳山村は水没する。 村がダムに沈む年にお亡くなりになったんだね。
(-人-) 東京から写真撮りに岐阜に行ったんだが、
鵜飼と白川郷撮って帰ってきてしまった。
あ〜徳山村行っとけばよかったー 見ておきたかった。 合掌 今日あたり徳山行ってみるかな・・・
調べてみるとあのあたり道幅が狭いみたいだけど大丈夫だろうか
初心者ドライバーには辛そうなところだ
閉鎖日まで数日だし他の車も多いのかなぁ ゆるナビ〜ゆるやかナビゲーション〜
http://www.nhk.or.jp/yurunavi/
忘れられない女性たち
「さようならの風景」〜 おばあちゃんカメラマン 増山たづ子
番組内で取り上げられてた。
金曜深夜に再放送あるみたい ついに今日増山さんが住んでた、戸入方面への道が、通行止めになったみたいです。
>>160 最後に撮り納めはできましたか?
>>161 寝ないで見てみますね。 少し古い写真集も見てみたくなって
近くの図書館かたっぱしから検索書けたらあった!
けど、1の春夏秋冬の写真だけで目頭がやばいんで
図書館で見るとかなりやばそうだ、、、、、
市が違うから借りられないしなぁw
増山さんの写真って
村中の家族アルバムのなかから傑作を集めたみたい
みんなの家にも身内だから撮れる傑作写真があると思うけど
これを一人で撮ってるのが凄いよなぁ
ホントこのおばちゃん、すごいと思う。
今 流行のカメラマンとか どうかな〜っと思える 増山おばあちゃんは
「徳山村を撮ることにかけては世界一の写真家」
だと思う。 ピッカリコニカ使わせても世界一
たぶん真っ暗闇でも操作できたんじゃないかな
ほんの少し感触が変だったり異音がしたりしても分かったり
徳山村やピッカリや家族や行政や愛情や、そういった世の中の全てのことを
ちゃんと把握して理解して納得して「生きる」ということは、
身体を使ってじっくりゆっくりしみこませて成されるものなんだな
自分もこうありたいと思う 再放送見ました。
軽く一言では言えないけど、目が熱くなりました。
明日、アマゾンに写真集注文しようと思います。
再放送やるの教えてくれて、ありがとうね。 >>161
見逃すところでした。
「この瞬間は二度とない。」
うなずきました。
ありがとうございました。 検索して辿り着きました。
亡くなってたとは知らなかった。自分は元徳山村住人です。
ばあちゃんはいつも元気で明るくニコニコしてました。
いつも場の和かい雰囲気を作って撮ってましたよ。写真集に自分載ってます。
良い思い出が沢山です。 放送を見た者です。
一人の婦人の行動によって、
本来なら全く関係の無い自分たちにも
徳山村の記憶が刻みつけられた事を考えると、
なかなか真似出来ない事だと思う。
そんな力のある写真を自分は撮れない。 >>166
なんでそういうヲタくさいこと言うんだろ
「カメラ」が好きで撮影してたんじゃないんだぞ?
たまたまピッカリコニカが出て、たまたま増山さんが出会った だけ
そして増山さんが「負担」を感じないで使えてたから、カメラが障害にならず
撮影続けられたんでしょ。
これがカメラ屋のおっさんに小難しいのを薦められてたら、どうなったかね?