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rolleiflexとrolleicordと仲間たち

0453名無しさん脚
垢版 |
2023/06/20(火) 06:23:13.89ID:XCmQ28Lw
そのルートについては既によく記憶していないのであるがフォトキナがらみと言う事だったのであろうそれでないと普通のパッケージツアーではフォトキナに行くなどと言う事は最初から予定に入れていないからである。それで2日か3日ほどケルンで取材して、もう話わかったと言うことでその後に行ったのがスイスのユングフラウヨッホがどこだか忘れたけれどもアルプスの上の方であった。なぜ覚えているのかと言うとその時私は持参のワイドアングルローライフレックスでケーブルカーの1番上からアルプスを撮影している記憶が残っているからだ。

そしてもう一つワイドアングルローライフレックスで私が撮影した記憶と言うのはロンドンで日曜日にダイアナがどっかの教会に行ったときの後ろ姿なのである。非常に大柄な人でピンクのスーツを着ていた。私は有名人でも芸能人でもそこら辺の通行人でも正面から撮影するのは好まないのである。顔が割れると言うわけでつまりつまらなくなってしまう。それでダイアナが後ろ向きになって教会に入っていくところを目の上に持ち上げたワイドアングルローライフレックスで盲撃ちにしたのだが後から見たらちゃんと映っていた。この顔写真と同じピンクのスーツだったな。

至近距離からダイアナを見たと言うことで私はダイアナにある種の近親感覚を持ったわけである。それから10年後ぐらいにあれは1997年8月31日であったが偽ライカ同盟のメンバーと板橋の北部を歩いていた時に私のことを知っている写真愛好家が車で走っているときに私を認めて急停止してその時にダイアナがパリで交通事故にあったと言うことを教えてくれたのだった。
0454名無しさん脚
垢版 |
2023/06/29(木) 06:40:30.42ID:oe+1S3Ag
66番の蛇腹カメラと言うものは、ローライフレックスにうつつを抜かしていると、ついついそのありがたさを忘れてしまうものなのである。

何十年もローライフレックスを使っていて、私もそのことを忘れていた。蛇腹カメラを使うようになったのはこの10年位の話である。

もっとも、50年代蛇腹カメラはEtohを使っていたのですが、それは8 × 10インチの蛇腹カメラと4 × 5インチの蛇腹カメラだけであった。ごくたまに4 × 5インチ蛇腹カメラの後に6 × 9センチのフイルムホルダーをつけて撮影をしたりすることはあったが、それは広告写真のしきたりの補助的なものであって、写真表現とはかなり遠いところに存在したのであった。

1980年の暮れにファーイーストに戻ってきて、調布の多摩川住宅に住んで、そこから真ん中のつげさんとお付き合いができるスタートラインであった。

京王線に乗って、もっぱら遊びに行くのは、新宿と言うのは、普通の人間のパターンである。新宿駅東口にかなり大きなカフェがあって、名前は忘れてしまったけど、そのエントランスに巨大な丸テーブルみたいのがあって、また、売り出す前の天才荒木がそこにぽつんと座っていた。

1976年にヨーロッパを巡回した写真展の時、天才。荒木には出品してもらっているから全く知らないと言う顔でもない。1976年に新期は30代後半であった。日本軍の軍服を着ていて、それがオーバーサイズで何かモダンな感じがしたのである。

こちらは何10年代アメリカ軍の放出品の軍服を着ているから、日本軍とアメリカ軍の傀儡政権が話をしていると言う感じだな。

その円卓会議の喫茶店で何度目かにがあったときに、天才。荒木は黙って。私に懐かしのイコンタと言うタイトルのハードカバーの写真集を差し出して持っていた。マーカーペンでサインもしてくれた。

今では超有名人の天才荒木であるが、あの頃はそれなりの新人としての売り込みに苦労していたということがわかって微笑ましい。

写真集の内容はうろ覚えであるが、これはフィクションである父親のイコンタカメラに古いフイルムが入っていて、それを現像してみたら、その頃の愛人の写真が写っていたと言う山流生節日が好みそうな内容が焚き付けられていた。
0456名無しさん脚
垢版 |
2023/06/30(金) 07:17:44.48ID:VfS2wfUK
写真の内容はお姉ちゃん写真なのであるが、私が天才荒木を評価しているのは、ペンタックスの6名で撮影した東京の秋というのがあって、これは下駄履きで撮影したと言う伝説が付属している。

東松さんが沖縄が好き。以前に沖縄生撮影に行った時は、やはり下駄履きで撮影していたと言うゴシップが東京にまで流れてきた。こういうゴシップの速度と言うのは、インターネットなどよりも早いものなのだ。

私が2眼レフカメラから蛇腹カメラにチェンジした原因と言うのは天才。荒木が私にくれた懐かしのイコンタがそのスタートポイントになっている。

イコンタは戦前にドレスデンで作られて、戦後になってから西ドイツのステップガルトで生産された。ここに紹介する。二台は西ドイツで作られたものである。一般的な価値評価からすると、戦前の東ドイツで作られたものがそのまま評価されると言う事は少なくて、たいていの場合、東西が対立しているから西側の方が素晴らしいと言うような評価が流れるのである。

ところが面白いことにイコンタに関しては、戦前のドレスデンで作られたものが良いと言うような意見が強いところがまた不思議である。

こういうレンズブランドに関するRumorと言うのは、不思議なところがあって、例えば戦後に西ドイツで作られたカールツアイスのレンズは優秀だと言われているが、そこにオプトンと言う名前が付くとマイナスポイントになってしまうと言うところがある。

この間違った情報の出所は、アサヒカメラのニューフェイス診断室あたりだったのではないか?オプションがマイナスイメージと言うのを表出すると、その言葉が一人歩きを始めると言う怖いサンプルだと思う
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