創業110周年!【栗林ペトリ】倒産40周年w #9 [無断転載禁止]©2ch.net
リバースアダプタさん、
日程表ありがとうございます。
これも面白いですね。
一眼レフだと時期的にはFTEE(V6EE)、あるいはFTM972の可能性もありますね。 264さん
そうですね、時期的にFTM972はもう少し後かな。フォトキナ参考出品機は、
ギリギリに仕上げていることが多かったとインタビューでもおっしゃてたので。
SPE=FTEEだとその前の、SP VTPも一眼? CM V6はV6の派生機?と謎が増えますw。
半田さんに後でまとめて質問はしてみようかなとは思っていますが。 遅まきながら、スレ立て乙です。
半田さんからの資料、いくつか拝見しました。マル秘の印のある資料もあったりして
生々しくていいですね。当時の空気が伝わってくるようです。こうした資料が日の目
を見たのも、まとめwikiのおかげです。リバースアダプタさん、264さん、ありがとう
ございます。
ところで、古本屋で、カメラ毎日の1977年の号(6月号だったと思うのですが、メモ取れる
雰囲気でなかったため脳内メモしたところ、記憶が消えかけてまして…汗)を立ち読みした
ところ、仙台のカメラショーで、ペトリREが参考出品された旨の記事がありました。記事では
ローライ35Sに匹敵する小型機とコメントされており、発売日は未定である旨の記載がありま
した。古本なんてケチケチせず、買っておけばよかったとちょっと後悔しております。 まとめwikiの「ペトリカメラ紹介書籍」に、「かわいいカメラに首ったけ!」
を追加しました。比較的新しい本であり、今でも入手容易と思われるのですが、
今まで誰もアップしなかったのは、やはり著者が一部のレストアファンからの
評判がよくないせいでしょうか?(w。いずれにせよ、ペトリのカメラも紹介
されているので、載せておきました。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/14.html いつかはペトリさん、
書籍追加ありがとうございます。
私もこの本持ってましたw
ペトリ35REがギリギリ展示されていたんですね。一度ヤフオクに出ましたが、小さなプラカメラに数万円ついてました。
知ってる人は知ってるんですね。
いつもハードオフのジャンクワゴンに紛れてないか見てますが、あったためしがありませんw 半田さん提供資料の「ペトリニュース」、「IDEA」のページを作成しました。
「ペトリ会だより」と「ペトリニュース」は全号アップしましたので、
今後「ペトリの友」と「IDEA」の残りを随時アップします。
Facebookページに掲載されていたNikkatsu NF-1000の写真の掲載許可がとれましたので、
MF-1のページに掲載しました。
「ペトリの友」に掲載されていた沖縄ペトリの記事を琉球ペトリのページに掲載しました。 264さん
アップありがとうございます。
こちらの方は週末になりますが、残っている仕様書、フレックス7、フレックスBTL(FT)、
スーパー8 をアップしますね。
そのほかに図面や社内規格の書類もあるのですが、こちらは中身を確認して興味深い物が
あればという感じかなと思っています。 リバースアダプタさん、
こちらは「IDEA」のスキャンが終わりました。
社員のお名前と顔写真を消すのでもうひと手間必要です。
スキャンしながら流し読みしてましたが、女性工員が多いこと、次第に提案件数が落ちてゆくのが目につきました。
女性社員は全社員の40%という記述を今回の資料のどこかで見た気がしましたが、
トランジスタガールの例もあるように精密産業では当時から女性が多かったのかな?
提案件数の方は、ペトリが落ち目になってゆくことを思うとそうなのかなとも思いますが、
二年分しかないので判断がむずかしいところです。
あとは開発工程表でみられたカメラの略称がここでも使われてますね。
時期が月単位ではっきりしているので、形態分類表に見られる細部の変化の時期が
特定できるものもあるかもしれませんね。 264さん
アップおつかれさまです。
いつからかはよくわかりませんが、ペトリの全盛期にはすでに、特に組み立て工程は
女性が多かったと思います。女性の方が手も小さいし、繊細な作業に根気強く
取り組めるからということだったんじゃないでしょうか。
他社も多分同じで、経営者が女性だからということとは、あまり関係ない気がします。
東北からの集団就職で中卒の女の子がペトリに来て、組み立てラインで働くというのが、
普通だった時代ですね。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/集団就職
三丁目の夕陽の堀北真希ですねw
足立区は集団就職の女子工員が多かったように読めますがペトリのせいでもあったのかもw リバースアダプタさん、
女性社員の件、人数だけでは確かに判断できませんね。
人事や経営、商談に決裁権のある女性社員は繁代社長の他にはいなかったように思えます。
カメラ製造では設計部門でも電子計算機導入以前の計算助手や図面トレースの業務に女性が
多く雇用されていて、オクテの技術屋さんにも出逢いの機会があったよう(笑 ですが。
コニカには女性のレンズ設計者がおられて、業界でも珍しいと思われていたような話も聞いたことがあります。
繁代社長もあまり表に出ている印象ないですし、この辺はやはり時代ですかね。 記名記事なのでアップできませんが、67年の週刊サンケイでの発見できている
繁代社長の唯一発言の記録によると、商家の嫁としてやるべきことをやっただけ
というような発言をされています。
またあまりインタビューなど取材を受けないし、取材してもあまりしゃべる方
ではなかったようです。
当時子供だった敏夫を代表にしている点など、明治生まれの女性らしく、(記事の
時点で70歳とのこと)表には出ないが、しっかり家を守る的な意識が強い方だった
のではないかいう気がします。
繁代が語った資料をほかにも探したいのですが、難しそうですね。例の日本の
労働者自主管理の研究資料も見られそうにありませんし。
「IDEA」を見るとずいぶんちゃんとした会社ですよねw
60年代に全社員参加で改善活動やっているのは結構先進的に思えますが、どうなんでしょう? QCの歴史でググるとこんなサイトが。
https://www.juse.or.jp/statistical/history/
http://www.net1.jway.ne.jp/qcc-iba/whats/history.htm
1962年が日本のQC元年なのでしょうか。
IDEAには社内提案活動の歴史もまとめられていて、ペトリでは昭和38年11月から始まったようです。(IDEA17号:アップ済みです)
トヨタなどではもっと早く独自の改善活動を行なっていたようなので、ペトリの場合は社会的な気運の高まりを受けて導入、といったところなのかな?
ペトリについてこんな話もできるようになるとは、資料があるのはありがたいですね。
大原社会問題研究所の資料、早く整理されて公開されないかな〜 繁代社長、1968年で70歳ですか。
生まれは1898年、創業者栗林庸二が亡くなった1932年(1931年かも)は30代前半ですか。
細うで繁盛記だなぁ〜 あ、1967年の記事ですねw
一年繰り上げて下さいw 264さん
QCの歴史ありがとうございます。
すぐに取り入れて実践していた感じですね。
やはり60年代までは、けっこうちゃんとした会社ですねw。 >>88
国鉄も64年に赤字転落以降荒廃していった。
70年頃のマル生運動失敗〜75年のスト権闘争で完全に組織的に崩壊した。
ペトリ倒産も77年だからあの年代は過激な労組が勢いのあった時代なんでしょうね。 >>89
学生運動も盛んでしたし、皆何かギラギラしてますね。時代ですよね〜
アップしたIDEAから抜粋をいくつか。
伊勢丹のペトリカメラ60年のあゆみの記事。
カメラタイムズの記事と同じ写真が使われています。
1967年10月の13号から。
http://i.imgur.com/YI6wyTm.jpg
ミスアメリカ訪問でご満悦の庸夫常務。
上と同じ号です。
http://i.imgur.com/cAcBzAK.jpg wikiに製品要目表をあげました。
詳細は不明ですが、こちらはある程度開発が終了して仕様確定した時期に書いて
いるようです。設計部から社内他部署への連絡用でしょうか。
フレックスセブンに社内呼称SP2とありますので、SPは一眼レフのようです。
なのでSPEはFTEEと思われます。SPはペトリペンタVですかね?フレックス7系と
ペトリペンタの系列ともにSPと呼ばれているのは意外ですが、一眼を意味する略語
か何かですかね。 リバースアダプタさん、
資料のアップありがとうございます。
スーパー8はBairdさんの本以外に見たことないのですが、ペトリ側の資料が出てきて確実になりましたね。いやすごいです。
私の残りは来週になります。よろしくお願いします。 スーパー8ですが、いただいた資料の中にカメラ新報66年4月1日版の、ペトリの
カメラショーの出品機の記事のコピーがあり、そこに載っていました。
スペックも記載あり製品要目表と内容が全く同じでしたので、社外発表の
元資料になっているようです。
製品要目表の方はかなり特徴のある筆跡なので、半田さんにどなたが書いたか
心当たりがないか、のちほど聞いてみようと思います。 スーパー8、ほかの機種と同じ書式で、手書きで書かれているので、自社開発の
線もありそうですね。同一の他社ブランド品も見つかっていませんし。
半田さんには、以前ご記憶がないとうかがっていますが、そのあたりも
もう一度お聞きしてみます。 IDEAに出てくるSP 系のコードは、SP SP2 SPV SPF とあります。
SP2=フレックス7で確定
SP ?一眼の部品の意味?
SPV=V6
SPF=FT
ですかね。
それでSPE=FTEEかな。
かなり単純な略称で、社外秘のためコードネームにするという意図ではなさそうですね。
最初のインタビューでコードネームは無かったとおっしゃてたのも、そうゆうことだったからかな。 IDEAを22号までアップしました。あと残り数号です。
リバースアダプタさん、
随分いろいろわかりましたね。
ばらばらの要素が繋がってゆく過程を見るのはとても興味深いです。
スーパー8はかなり具体的に記されているので、試作が進んでいたようですね。
写真資料がBairdさんの本以外に出てこないかな… これもまた「幻のペトリ」ですね。 264さん
ありがとうございます。
スーパー8ですが、カメラ新報には輸出専用機とありました。海外向けに少数作って
終了した機種なのかもしれませんね。 ペトリスーパー8は1966年のカメラショー出品ですね。
あるいは、「小型映画」などの8mm映画専門誌に記事があるかも。
道立図書館にはその頃の号があるけど、遠いなぁ… 前スレでAnscomaticのスーパー8カメラがPetri Super 8に似ているのでは、とつぶやいて、
リバースアダプタさんにチノン製では?とあっさり論破されてしまったのですがw
1966年のアサヒカメラを調べていて面白いことがわかりました。
1966年4月号に日本カメラショーの記事があるので、ここにPetri Super 8の記述がないかと
調べたのですが(なかったw)1966年5月号にクリーブランド・カメラショーの記事があって、
ここにAnscomatic S/85が載っていて詳細は3月号の新製品登場記事に掲載とあったのです。
Anscomatic S/85の写真はこちら。
https://flic.kr/p/dYG3cP
それでこの記事を見てみると、半田さん資料のペトリスーパー8とスペックが実によく似ているのです。 以下、アサヒカメラ1966年3月号255ページに掲載された記事の全文を引用します。
(著者不明/出版から50年経過なので問題ないでしょう)
アンスコマチック S85スーパー8カメラ
Anscomatic S/85 Super 8 Camera
ゼネラル・アニリン・アンド・フィルム・コーポレーションが発表した最初のスーパー8カメラ。
8.5ミリから34ミリ(ズーム比4倍)のF1.7手動式ズーム・レンズを持つ電動機で、
CdSによる自動露出機構を備え、ASA25から100までのフィルムが使える。
インスタント・ローディングのカセットにつけてあるノッチで、感度は自動的にセットできる。
ファインダーは一眼レフ式で、アイ・ピースは視度調節が可能、
速度は18コマだが、1コマ撮りと、リモート・コントロール撮影もできる。
ピストル・グリップつきで、 自動露出を手動式に切替えることもできる。
他のスーパー8カメラと同じに、85Aフィルターが組込まれ、ムービー・ライトをカメラに取りつけると、
自動的に取除かれる。
定価は129ドル。
少なくとも、レンズの数値的スペックは同じです。他の記述も半田さん資料と一致します。
まあ、当時はスーパー8カメラの発売ラッシュだったので、同時期によく似たスペックのカメラが
あっても全然不思議ではないのですがww
あとありそうなのは、チノンからペトリとアンスコにOEM供給されてたのかもしれませんね。 半田さんの資料では電池室がカートリッジ室後部となっていますが、チノン400ではグリップ内部ですね。
資料を見る限り、少なくともボディは関わりがなさそうに思いますが、チノン製でもそういった仕様の物があるのでしょうか。
あるいは資料のカメラは試作だけで、市販品はチノンから供給を受けたなんてことも…? Bさん、
電池はアンスコマチックS85もグリップ部に入れるみたいです。
あと、ボタン電池がフィルムカートリッジ部に入る(CdS用?)ようです。
この辺チノンとちょっと違うようです。
ペトリスーパー8の資料がもっと欲しいですねw 264さん、Bさん、こんばんは。
レンズはチノン製でボディはペトリ製の可能性もあるのかもしれませんね。
そういえばペトリマウントのチノン製と思われるレンズもありましたので、
60年代後半に取引があったと考えるのは自然かもしれないです。 8ミリはほとんど知識がないので、おまかせするとしてw
日程表のSPVTPが何かを考えています。
仮説としてこれもFTEEの原型機だったというのはどうでしょう?レンズのAWP135と35
もEE対応レンズだったのでは?
根拠は担当者の大和田さんと前田さんがSPEと共通していること。67年発表のフレックスEE
からFTEEまで時間がかかり、外観やホットシューの追加など違いが大きいので、
何度か試作され、その間にコードネームが変わることもありえるのではないか?
です。 VTPのスケジュールは68年4/20量産になっていました。FTEE説が正しければ、
コニカFTAがまさに68年4月発売ですので、スケジュール通りなら少なくとも
世界初のフォーカルプレーンシャッターTTLEE機として、遅れはとらなかった
かもしれませんね。 リバースアダプタさん、
SPVTPですが、SPV+TPのように思えます。
つまり、V6をベースとして、何らかの改良を加えたカメラです。
FTEEもV6EEと呼ばれていた時期もあるようで、(1967年4月の日本カメラショー:写真工業誌に記載あり)
FTEEの中間試作の可能性は高いと思います。
さて、TPは何の略なんでしょうね?
TはTTLなんでしょうが、Pはなんじゃらw チノンは8mmカメラのズームレンズからカメラに参入したようなので、レンズがチノン製というのはありそうです。
Bairdさんの本のペトリスーパー8の写真も、チノンとはレンズ周辺のツマミの位置が似ていて、後ろに行くほど(ビューファインダーとか)似てない気がします。 SPV+TPはなるほどです。Pは、レンズのAWPのPと同じかな。
レンズもAはオートでしょうが、Wはなんだろう?
一眼のコードネーム、SPのPはペンタのPかな?だとするとSがわかりませんw こんな仮説はどうでしょう
ペトリペンタ=P
カラー35が単にMと呼ばれていたのように、エポックメーキングな機種は1文字で呼ぶルールだった。
ペンタV=SP
Sはsuper またはsuccessor(後継者)の意味
以降はマウントが同じなので、SPの後に文字を加えることにした。 ペトリV6EEですが、カメラ年鑑1968年版(1967年12月刊)に写真入りの記事がありました。
記事は愛宕英通氏の執筆です。
写真はBairdさんの本に掲載の写真と全く同じで、FLEX EEの文字があります。
Bairdさんはこの写真からカメラ名をPetri Flex EEと判断したと思いますが、V6EEが本来の呼称と思われます。 あ、正しくは愛宕通英氏ですw(また間違えたw
カメラ年鑑には8mmカメラも掲載されていますが、ペトリスーパー8もチノンの8mmカメラも
掲載はありませんでした。 カメラショーではV6EEで発表ですね。ありがとうございます。海外発売はFLEX EE
だった可能性もあるかも。
カメラの標記と呼び名が違うのはペトリではよくありますw リバースアダプタさん、
海外呼称はFlexEEだったかもしれませんね。
ペトリのことですしw
ペトリペンタ用オリコールの分解記事がありました。レンズの真ん中にコーティングが
ない部分があるとのこと。
レンズ同士が接するためらしいです。
goo.gl/VsJZGm ペトリCF35をハードオフで見つけました。
このカメラはペトリ的にはどうでしょう?
珍しいですか? CF-35はヤフオクでもそれほど頻繁には出てこないです。比較的珍しいカメラと言えます。
1977年のペトリカメラ倒産後、元ペトリの主要な技術者がゼニックス工業で開発し、
1980年に再建したペトリ工業が販売したカメラです。
ペトリの常で相場はあまり高くはないので、転売してもうまみはあまりありません。
ストロボが回ったり、沈胴レンズが観音開きの扉の中から飛び出してきたりと、ギミックが楽しいカメラです。
軽くてコンパクトなプラカメラなので、気軽に持ち出してパチパチ撮れる楽しいカメラだと思います。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/129.html 今日はお休み貰って道立図書館に行ってきました。
ペトリスーパー8は「小型映画」1966年5月号に写真入りの小さな記事がありました。
アサヒカメラ、日本カメラ、写真工業の日本カメラショー(4月号掲載)とフォトキナ(11月号掲載)のレポートを1965年から1977年まで見ました。
ペトリの望遠レンズについて、サンとパテントのやりとりがあった、という記述がありました。
年ごとに出品されたカメラの一覧が作れるかもしれません。 個人的な収穫は、昭和30年代にペトリの御用雑誌だった「フォトコンテスト」の1957年(創刊二年目)の号が数冊あって、
これは日本カメラ博物館にも所蔵がないはずです。
時代的にはペトリ35、ペトリF2、ペトリオートメートの頃で、ブローニーのスプリングカメラから35mmカメラに転じた頃のものです。
オートメートの生産として、ベルトコンベアのあるペトリの工場写真がありました。
また、敏夫専務のニューヨーク視察記もありました。
1957年12月から読者の写真投稿枠がペトリユーザーとそれ以外の二つに分けられました。どうやらこの年はペトリ御用雑誌化がより強くなった年のようです。 サン光機のズームレンズについて特許出願を調べてみました。
J-PlatPatで特許分類検索(検索式:G02B15/00)で1960年から1975年末まで見てみました。
約300件ヒットするのですが、サン光機の特許は二件で、いずれもテレコンバータの特許で
ズームレンズの特許・実用新案は見つかりませんでした。
製品はたくさん出してるのに意外でしたw Wikiに掲載されているものと異なるペトリペンタV2の日本語取説を落札しました。
届いたらアップします。
http://i.imgur.com/V89Youe.jpg
http://i.imgur.com/LTQpXZw.jpg
http://i.imgur.com/F3O2BhJ.jpg
「ペトリの友」のスキャンが終わりました。
後ほどアップします。
リバースアダプタさんからお預かりした半田さんの資料はこれをもちまして全てアップ完了となります。 264さん、ありがとうございます。
こちらも要目表のページに、半田さんの資料に入っていた当時のカメラ新報のコピーを
アップしました。66年4月1日付でカメラショーのペトリの発表機種がスペック入りで
記載されています。内容は要目表を基にしていることがわかります。
それとV6F2の記事ですね。戦略的低価格で、敏夫専務が販売店に価格を守らせると言って
いるのが印象的です。 半田さんから、いただいた資料ですぐに目に付いた物はアップしましたが、もう少し
詳細に確認して、興味深いものがあれば来週以降にアップしていきますね。
「フォトコンテスト」ですが半田さんから頂いた資料の中にも63年7月号が入っていました。
目次に、ペトリカメラ愛用者のための特別贈呈版と書いてあり、広報誌として使われていたようですね。 機種コードネームですが、パーツマニュアルにも使われているのではと考え、264さんに
wikiにあげていただいてた物を見たらビンゴでした。
カラー35の専用部品はやはり全てMで始まっているようです。
SPFがFTではと書きましたが間違いでした。FTは多くの部品がフレックス7と共通で
共通部品は当然SP2で始まっています。専用部品はSP2Tになっているので、FTの
コードネームはSP2Tかもしれません。SPFはレンズのコードだったようです。
また、フレックスVのパーツマニュアルにすでにSPVが出てくるので、SPVがペトリペンタV
かもしれないです。
またここまでわかると面白くて、今まで気がついてなかったですが、カラー35の背面の
距離ダイアルの止めネジと、V6、FTのセルフタイマーレバーの止めネジは同じものでした。
FTEEからパーツのコードが数字だけのものに変更されたようで、FTEのコードは確認
できませんでした。 レンズシャッター機も7SがL3。レーサーはPCまたはPCPかな。 すみません、124で書いたFTEはSPEの間違いです。
いただいた資料さらに見直しています。
以前いただいた図面でインスタマチックのゼンマイ巻き上げ機の外観図がありましたが
これはPI3というコードネームだったようです。他にも図面がありました。
何らかの理由で中止され、anscomatic436=PI4が開発されたようです。
日程表にあるようにPI4のペトリ版が計画されていて、設計指示書も発見しました。
デザインは柳澤部長の指示図を参考にせよと書いてあるので、インタビューで聞いた
ように、デザインに手を入れるのは柳澤さんだったという証言の証拠になりますね。
フォトキナ出品するので遅らせるなとの指示もあります。
264さん、当時の雑誌にそれらしい機種は載ってましたか? リバースアダプタさん、
AnscomaticのOEM機はちゃんとチェックしてませんでしたw
カメラ新報の情報以上の記載はなかったように思います。 264さんこんにちは。
いや、ペトリ版なので、ペトリブランドの126フォーマットのカメラです。予定どうりなら
68年のフォトキナで発表されたはず。
アンスコ436のペトリブランド版は発売はされていないと思うので、参考出品もとりやめ
たのかもしれないですね。 ペトリ版の記事は見た範囲ではなかったと思います。
何かがわかってもまた謎が出ますね。
悩ましい〜 264さん、ありがとうございます。そうですか、やっぱり中止したんですかね。
引き続き資料見ています。
いただいた資料で最も新しい日付の、72年10月の書類にM2-IIのコードを見つけました。
カラー35E発売後で、半田さんがペトリを辞められる直前のものだと思います。
内容は固定鏡胴で、ボディの前板と鏡胴をプレスで一体成型する検討のようでした。
後のペトリ35Eのコードで、それにいたる検討かもしれないです。
あとペトリカメラの資料としては、ペトリカメラの良品の範囲を定めた製品規格書や、
加工の標準書がありました。設計者に渡された資料のようです。あと標準的な開発日程
を記載した書類。それから半田さんが、まとめられたシャッター設計の手順書なども
ありました。この辺りはページ数が多いので、アップするにしても時間がかかりそうです。
それと、半田さんがゼニックス時代に持ち帰られたPF-5と記載のある110カメラの図面、
羽田光機時代に入手された、60年代に羽田光機がペトリの下請けとして製造したらしい
スライドプロジェクターのレンズの図面などもあります。この二つは実機を調べて見ますね。 サービスマニュアルの件で思ったのですが、資料というものは思いもよらない使い方をされるものですね。
アーカイブする、ということは取捨選択は後の時代の人にまかせて、あるものはとにかくアクセスしやすいかたちで
片っ端から保存しておく、ということなのかもしれません。
その意味では、ひたすらスキャンなのかな〜
こちらも手が空きましたので、送っていただければアップのお手伝いができます。
よろしくお願いします。 264さん、ありがとうございます。
まとまった資料は、お願いした方が早そうですね。
平日は動きが取れないので、週末に確認してお送りするようにします。
お待ちください。 リバースアダプタさん、
ご多忙のところお手数をおかけします。
了解いたしました。
FBのニッポンペトリ党でペトリ最後の広告として、アサヒカメラ1977年5月号のMF-1の広告を紹介いただきました。
ペトリ倒産は1977年10月なので、もう少し後まで広告が出てたかもしれませんが、どうなのでしょうか?
この年秋のフォトキナには出品できたのかも気になります。春のカメラショーには35REが出てたそうですが。 264さん、ありがとうございます。よろしくお願いします。
フォトキナは隔年開催なんで、77年はありませんよw
そういえば、76年のカメラショーには幻のペトリに載せてるFE-Sが出てたはずです。
76年のフォトキナに出てましたか? あ、ナルホド。どおりで記事がないわけですw
FE-Sの記事はありました。開催年と発表機種のリストはじきまとめますね。 ごめんなさい、FE-Sの記事は日本カメラショーで1976年4月号でしたw
フォトキナの記事はだいたい11月号に載るのですが、この年のコピーはないので載ってなかったか、蔵書がなかったかもしれません。
またガサ入れ行きます… 日本カメラショーとフォトキナに出品されたペトリのカメラについてまとめてみました。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/300.html
結構抜けがあるので、おりを見てまたガサ入れですね。
1973年の日本カメラショーについては、このBlog記事もあります。
http://987.blog.so-net.ne.jp/2006-02-03-6 264さん、まとめありがとうございます。
たしか世界のカメラと写真用品にREが載ってたので76年のフォトキナに出てたんだと
思います。あとで確認して書いときますね。 リバースアダプタさん、
ありがとうございます。
コピーした記事をまとめ直して気づいたのですが、1967年にV6EEが出た翌年の1968年にはフレックスEEと改名して出品したみたいです。
やっぱり、ペトリらしいアバウトさですw 76年のフォトキナを書き加えました。
ここでも、カメラの表記と記事名は異なってますw リバースアダプタさん、
ありがとうございます。
やっぱりペトリですね。
ペトリペンタV2(栗林写真工業時代)の取説をwikiにアップしました。
WikiのペンタペンタVと同じカメラの写真(S/Nが一緒!)が使われてますw 76年のフォトキナにMF-1が出てたので、書き加えました。輸出専用機と記事にあります。
やはりFE-Sは出てなかった可能性は高そうです。
カメラショーで出品していて出してないのは意外です。
理由はAE-1が76年のカメラショーで発表、発売になり、FE-Sに競争力が無いと判断した
からかもしれないですね。 当時の定価はペトリはすごく安くて、2万円は安いと言われたAE-1ボディと、標準レンズをつけて
ほぼ同じ値段にFTEやFA-1は設定されてました。
ただし実売価格もあまり変わらなかったのかな?
草間さんが大手(キヤノン)は販売店にリベートで攻勢をかけていたと言う話がありました。
リベートは値引きの原資ですので、実売はここまで変わらなかったのかもしれないですね。 そういえばbairdさんの英語本にもFE-Sは載ってないので、海外発表はされてなさそう
です。
ペトリとしては国内は新型の小型軽量EE機を今までより高く売るつもりだったが、
AE-1の出現で思うようにならず、海外向けだったMF-1を国内でも販売することにした
のかもしれないですね。 リバースアダプタさん、
FE-SのかわりにMF-1を国内投入、というのはありそうな話に思います。
倒産間際のペトリには打てる手は限られていたでしょうから、「選択と集中」に賭けたのかも。
先日eBayでペトリ7sIIが安く出ていたので落札して、最寄りの郵便局に着いたようです。
ペトリの栄光と限界を象徴するカメラと思っています。
ペトリ最大のベストセラー、ペトリ7シリーズの末裔にして、1974年に1960年代初頭と同じセレン式サークルアイのカメラを手直ししたカメラです。
届いたら例によってwikiにアップしますね。 申し添えておくと、サークルアイのカメラがダメと言いたいわけではありません。
個人的には、機械式カメラの進化の最後の到達点はオリンパストリップ35とコシナのCT-1シリーズと思っています(笑
カブトガニみたいなもので、最適解が古くに見つかってしまって、永く生き延びているものはスバラシイと思いますw 264さん、ありがとうございます。
7sIIいいですね。樹脂カバーモデルかな?楽しみです。
スキャンお願いしたい資料をまとめました。
主に社内規格などの資料をお願いしようと思います。
ペトリカメラ製品規格。(14ページ)
PIS(ペトリインダストリアルスタンダードとかの略かな?)機械製図検図要領(15ページ)
設計マニュアル(案)(37ページ)
これだけ知っていればだれでもシャッター設計ができる(半田さん作成資料)(3ページ)
その他、レンズ鏡胴設計の資料、電子技術の用語解説など数ページ
人間工学研究会報告書(19ページ) ペトリ社内の資料ではなく、写真機工業会が設立した
光学工業技術研究組合の資料のようです。
発送するので、お手数ですがよろしくお願いします。 光学工業技術研究組合は
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/handle/11094/26566
この資料に載ってました。
ペトリも理事に社長の名前が載ってますが、繁代の名前がまちがってます。
当時は女性社長が珍しいのでしかたがないのでしょうw リバースアダプタさん、
ありがとうございます。
結構な量ですね。頑張ります。
ペトリ研究のみならず、1960年代の国産カメラ研究にも役立ちそうな貴重な資料ですね。
発送の方、お手数をおかけしますがよろしくお願いします。 量が多くて申し訳ないです。
ほとんど片面の青焼きですので、バラしたりすればフィーダーで自動スキャンできるかもしれません。
図面と指示書等もまだありますので、それは引き続きこちらでアップしていきます。 リバースアダプタさん、
全部スキャンだ〜とは私が言い出しっぺなのでお気にになさらずに。
楽しみに待ってます〜 リバースアダプタさん、
ありがとうございます!
ペトリ7sIIが届きました。1975年の生産品で、トップカバーは金属、後に廃されるトップカバーの露出計窓もまだあります。
セレンは元気ですが巻き上げできませんw
久々にイジってみるかな。
http://i.imgur.com/jIih7xA.jpg 7sII届きましたか。wikiにまだなかった機種ですね。
これでほぼ戦後のペトリの主な機種は揃ったのかな? あとはインスタマチック機が主でしょうかね。
FTII系海外M42機もTGさんが揃えてくれましたので。(まだまだあるかもw
とにかくリバースアダプタさんはじめ、貴重な資料を提供していただいたスレのみなさん、ペトリOBの方々のおかげです。
ありがたやありがたや。 確かに、インスタマチック機が残ってました。
ペトリ インスタントパック、 インスタントマット、 607 の3機種かな。
確かにほとんど見たことないので、そうとうレアですね。
見つかっても高くはなさそうですがw なるほど、126は135とフィルム幅は一緒なんでそのまま入れるアダプタは作れますね。
だけど126はパーフォレーションが片側なんで、画面に穴が空いちゃうとw。
いただいた資料の中にコダックの126カートリッジの規格書もありました。需要がありそうならこれもアップしますよ。 リバースアダプタさん、
資料第二弾届きました!
冊子ではないので、手持ちのScanSnapが使えそうです。フラットベッドスキャナで一枚一枚やるより楽かも。
これはかなり玄人向けの資料で読みこなす自信がありませんがw、まとめておけば役に立ててくれる人もあらわれるかもしれません。
キヤノネットなど他社カメラを分析してる資料もあるようですね。
インスタマチック規格、個人的には興味あります。 届いたようで良かったです。よろしくお願いします。
ペトリ以外のカメラの分析の資料が、人間工学研究会の資料ですので、ペトリ社内で
作成されたものではありません。なので、公開も別途確認が必要かもしれないですね。
写真機工業会、今のCIPAかな?
インスタマチックの資料もスキャンしときますが、これも権利関係って何か確認必要
かな?あとで中身を見ておきます。 リバースアダプタさん、
全くそのとおりで、ペトリ関係はペトリ工業の草間社長から許諾を貰っているので、まずはペトリ資料のスキャンを優先しますね。
こちらでも資料の出元を再確認して対応を考えてみます。ありがとうございます。 264さん、よろしくお願いします。
こちらもペトリの資料優先で作業します。スキャンしたのが数枚あるので、画像を
整えてから週末にアップします。 PI3の仕様書、PI4のペトリ版の設計指示書をwikiにアップしました。
PI3の方はゼンマイ巻き上げの開発中止となったインスタマチック機。
PI4の方は、例の柳澤さんの図をもとにデザインをまとめよとの指示の
ある資料です。
それとインスタマチック機用電子シャッター(ES)の指示書をアップしました。
BALDA604を参考にシャッターの設計をするよう指示されています。
このころでも海外のカメラを参考に開発することがあったようです。
PI4以降の時期のため製品化はされていません。コストにも非常に厳しくなっていた
時期のはずなので、BALDA604はよっぽどコストダウンに成功したシャッターだった
のかもしれません。 wikiの開発日程表のページに、ペトリ社内の開発の工程を記した資料をあげました。 リバースアダプタさん、
アップありがとうございます。
家族サービスのため多忙につき(笑 まだ読めていません。コメントは後ほど。
まとめwikiに半田さん資料から製品規格、PIS規格製図検図要領、設計マニュアル(案)をアップしました。
ScanSnapとGimpの画像調整一括プラグインに助けられました。ありがたやありがたやw 264さん、おつかれさまです。
アップありがとうございます。内容に関してコメントできるような知識はあまり
ありませんが、今後研究される方の資料として役立ちそうです。
半田さんにいただいた、制服用の社員章と、当時のペトリのロゴ入り封筒の写真を撮り
ましたの、あとでアップします。
どこにあげましょうか?アクセサリーというわけでもありませんし。資料ページかな? リバースアダプタさん、
雰囲気としては、資料ページのノベルティが近そうですが、ちょっと違いますよね。
新たなページで紹介するのが良さそうに思います。
もう300ページ越えたんですね。はるばる来たなぁw wikiにペトリ社内の物品ページを作って、社章と封筒をあげました。
264さん、こんばんは。
ペトリのページとしては唯一無二の内容になりましたね。おそらく世界一ですよw。 リバースアダプタさん、
アップありがとうございました。
ノベルティのページにタイピンとカフスがあるのですが、よく考えてみると社外の人がこれをつけて出歩くとは考えにくいですよね。
あるいはこれもペトリ社内向けに作られたものなのかもしれません。
まとめサイトを始めた頃に比べると驚くほどの情報を蓄積できてよく育ったものだと思います。
個人的には他にもいくつか怪しいwikiを設置してるのですが、他は見事に寂れています(笑
リバースアダプタさんはじめ、スレの方々、旧ペトリ関係者の皆様の熱意のたまものと思います。
重ね重ね、ありがとうございます。 皆さん、ご無沙汰しております。ネットカフェからの書き込みのため、
あまり頻繁に書き込めないのが難点ですが、それにしても、しばらく
みないうちにまとめwikiのコンテンツがさらに拡充されているのに
驚嘆いたしました。>>168リバースアダプタさんのアップしたペトリの
社内物品のページにはのけぞりました。 >>153
264さん、7sUのアップ、ありがとうございます。個人的にも大変興味の
ある機種なので、入手したいと思っていますが、輸出専用ということも
ありますが、私は過去、見かけたことがありません。
ネット画像を見ても、そもそもサンプル数が少ないため、検証が難しい
のですが、グリーン・オ・マチックファインダーを装備したタイプの
掲載例があり、オリジナルなのかどうか気になるところです。
ところで、「採光窓」(ダミーではないかと疑っており、いずれ7sを
入手してトップカバーを外してみたいと思っています。)の廃止ですが、
まとめwikiのPETRI 7S形態分類表をご覧いただければお分かりいただける
ように、7sの後期に既に廃止されており、7sUで廃止されたわけでは
ありませんので、7sUの記事は修正すべきと考えます。ご検討ください。
https://www52.atwiki.jp/petri/pages/165.html いつかはペトリさん、こんばんは。
採光窓の件、ご指摘ありがとうございます。
これは全く忘れていました。
複数の知識のある方が見守ってくれていること、とても心強いです!
後ほど直しておきます。
グリーンオマチックの方は、ネット画像やCamera-wikiの記述をみる限り7sIIでも緑の窓の個体があるようです。
7sも手元にあるのですが、来週まで時間が取れないかな…