沈黙 SILENCE 3
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>>356
それが当時機能してなかったのは何故か?
ボンズが利権闘争に奔走してたからじゃないの? いやあプロテスタントは浄土真宗ほど徹底してないから。
浄土真宗は「どうせ阿弥陀仏が救ってくれるから悪をしよう」という人でも救う(いわゆる「本願ぼこり」の議論)。
プロテスタントはここまで徹底していなくて、「信仰は心の中で信じてるだけではなく、態度で示せ(これもできなければ悔い改めなさい)」と要求する。
カトリックはさらにこれを超えて「いかなる場合も信仰を貫徹して天国にふさわしい人格になれ」とまで要求する。
カトリックに比べれば甘いというだけで、浄土真宗ほど甘くはない。 大衆にとって神は常に「沈黙」していた。それは「受け取れる資質がなかったから」だ。
この映画に予言者は登場していないので、神の言葉を「受け取れない」のは、当然である。
パードレは予言者ではない。これ重要。
予言者に沈黙した場合も、それに文句を言うのは不敬である。
人間が文句を言うのは不敬である。 >>354
他にも色々見ちゃったよ
やはりモキチのシーンすごいなあ >>362
それな
日本人が勝手に作った造語だから
「預かるっていう意味でーす!」とかな
prophetにそんな意味ないから 旧約のイザヤもエレミヤも、堕落した人間に
「このままだとこうなる、ああなる」と、未来を予言したわけよ
proってそういうこと
「神から授かった」というなら分かるが、「神から預かる」ってのは一部の日本人キリスト者の解釈な
ちなみに予も預も、元々は同じ字だから せめてπροφητείαで解説してくれよ 預も予も単なる異字体なのに、預言は神からの言葉、予言は人間の言葉とか
デタラメ広める奴いまだにいるんだよな。
そういう俺定義の誤用広めるのやめてもらいたい。 >>367
ギョーカイ用語て感覚でいいんじゃね
わかりやすいと思うけど
原典どーのだとヘブライ語やら勉強しなきゃだし >>352
「異を唱える」とまでは行かないと思う。
自分なりに納得できるものにしたかったという気持ちはあっただろうけど。
カトも中に入るといろいろあるんよ。 >>370
ロドリゴを牢屋から乱暴に引きずり出して縄をかけた半裸のマッチョ あれ高山だったのか
全然気づかなかった
ああいう役でもプロレスラーや相撲取りとか
たくさんの大男呼んでオーディションしたのかな 英語版wiki見たら、映画の出だし、ロドリゴとガルペがヴァリリャーノと語るシーンは場所がマカオだって書いてあるんだけど、
ヨーロッパの町じゃなかったっけ? 原作はポルトガルから始まり、ベレンを出港するけど、ヴァリニャーノに会うのはマカオだね タイムリーな題材と思ったけどアメリカ人は
この世界観にスッとは入っていけないみたいだね
鎖国や禁教の時代感はもちろんロドリゴ側のイエズス会やポルトガルも?って人が多いんだね 原作にいるもう一人の仲間が映画では抹消されてるのがかわいそうだった >>356
テーマ的には鎌倉仏教と同じだよな
遠藤周作は当然それを踏まえてキリスト教に話を移し変えただけ
ここで神学をどうたら言ってる人間はピントがズレてるし哀しいかなスコセッシも全然分かってないだろう 神学って言ってもここで議論してるような神学ってキリスト教の入門の入門ぐらいのところだぞ。なんか誤解してないか 「.高度な神学」という場合、公理はカテキズム?聖書? あれ?調べたらヴァリニャーノって慶長11年に死んでるな。
ロドリゲスらが来たのは寛永16年…
キアラン・ハインズが演じたのは誰だったんだ? ヴァリニャーノの背景はマカオの聖ポール天主堂
これ↓の8番目の写真
http://www.ciaranhinds.eu/movie.php?cle=mov111
これ、実際にここでロケしてたとしても外景はCG処理済みってことなんだろうね(建物も階段も周囲もキレイすぎる) >>389
メイキングでそのシーンの様子が見られる
ブルーバックで撮影してる
https://youtu.be/SKlaIUTF8rk >>391
お前、上司が「りんぎしょ」って言ったら「それは百姓読みで、ひんぎしょが正しいです」とか言っちゃうのか まあ、言っちゃってるんだろうな
んでも暖かく見守ってあげましょうや、愛ですよ愛! キリスト教の文脈では、預言と予言とでは意味するところが違うよね、って話 映画『沈黙−サイレンス−』本編映像”神と仏陀”
https://www.youtube.com/watch?v=P-L93I2R1Lc
「何も学ばない。話せた日本語は「ありがたや〜」だけ。言葉も文化も食べ物も、日本の全てを軽蔑していた」
ファーザー・カブラルのような傲慢な屑ハクジンは現代にも大勢おるな
ハクジンはどうしようもないよ
>カブラルは、日本人を黒人で低級な国民と呼び、その他、侮蔑的な表現を用いた。
>かれはしばしば日本人にむかい、「とどのつまり、おまえたちは日本人(ジャポンイス)だ」というのがつねで、
>日本人に対して、日本人が誤った低級な人間であることを理解させようとした
なんやコイツ・・布教する気ないだろ。。
吊るせばよかったのに 大友宗麟が日向国に出兵してこれをキリスト教化しようとした時に大友軍に同行した宣教師がカブラル。
目論見がうまくいってたら日本の一部を丸々切り取るというフロイスやヴァリニャーノどころじゃない成功を収めていた可能性もあった。
実際にはこの戦で大友は島津に負けて衰退の一途を辿るんだけども。 既出だったらすみません。
捕らえられる寸前のモキチにロドリゴが額をつけていた様子をガルペがずっと見ていのってどういう意味かな?
ロドリゴよりも信者を救いたいという競争心から、海に投げ込まれた信者を助けようとして無理をしてしまったとか? >>402
>モキチにロドリゴが額をつけていた
まったく個人的には「堅信」だ、って感じた。
見ていた、ってのはあまり印象に残ってないから想像で言わせてもらえば、立会い人的な思い?!
>競争心
それでは死ねんだろ、と思う 原作では踏んで良いと言うロドリゴを咎める目で見ていたという描写があるから
予告ではその場面だと思ったんだけど微妙に違うんかね 原作未読だけど、原作がそうなら映画でも踏襲されてるはず いや映画だと、踏んだらダメってガルペははっきり言っちゃうから、そこが小説でいう咎める目で見るというのに相当する
から
映画版では目の意味は違ってくるかなと あの顔は
おいおいよくやるよって感じであまり良い印象に見えなかった 何があってもモキチは絶対に信仰を棄てない事は解ってた(感じてた)。
違う言葉で言えば死ぬ事は解っていた。
そういう時、人はどんな別れ方をするのかな ロドリゴが「踏んでいい」と口走った直後だから
ガルペから見てロドリゴが信徒に同情しすぎて道を踏み外すんじゃないかと危惧してるんだと思った
実際その通りになるわけだから ガルペはストイックなんだろうなあ、あまり迷いもなさそう
ロドリゴは元々無自覚に葛藤抱えてそうだった ゴリゴリのストイック(原理主義)な神父がロドリゴの立場だったら、穴吊りの人達に「神の為に死ねるなら誉れだろ」くらい言って、絶っ対に踏み絵しないんだろか? >>411
そうだろうね。痛み苦しみは神が与えたもうた試練、と解釈して。
実際穴吊りでの殉教者も多数だし。 ポルトガルからやって来る途中で確実にゴアに立ち寄ったロドリゴが、
現地の教会が異端審問でユダヤ人やヒンズー教徒を取り締まってる(火刑含む)
ことについては何の葛藤も感じなかったのだとしたら、どこまで自己中で
鈍感なの、という話でね。
時期的に取り締まり自体は緩んでいたとは言っても、摘発は宣教師にとって
重要な職務ではあったんだから。 ものすごい基本的なこと聞いていい?
どのくらい信仰って大事なもの?
ものすごく大事、自分の命より大事という前提でこの作品は始まってるけど
今の時代にそれを理解してもらえるのは
イスラム国の人くらいじゃない? >>414
>今の時代にそれを理解してもらえるのはイスラム国の人くらいじゃない?
そんなことはない。一般の日本人の感覚からすると分かりづらいかもしれないが、信仰が無ければ生きていけない人は現代でもごまんと居る。
キリスト教の大きな意義の一つは、現代社会の価値観──「いい大学に行って、良い企業に入って、お金を稼いで、きれいな奥さんをもらって、かわいい子供を作る、のが幸せ」という価値観──の中では絶対に幸せになれない人に対して、別の価値観を提供することにある。
例えば、家が貧乏で、Fラン大学卒で、非正規雇用でモテない男が、慶應卒の三菱商事勤務のイケメンサラリーマンに、「お前の人生はカスみたいなもんだな」、と言われたときにどうするか。
無宗教で、自身も上記の価値観に染まっている人は、せいぜい相手の不幸を呪い、自分の不遇を嘆くぐらいしかないだろう。
しかしキリスト教は、この価値観を完全に逆転させてしまう。
キリスト教では、人生は苦難で満ちていれば満ちているほど素晴らしいとする。
多くの苦難は人を信仰へと導き、信仰を伴って苦難をくぐり抜ければ人格は完成に近づき、死後天国に迎え入れられるにふさわしい人格の持ち主になる、と教える。
逆に金持ちや高い給与をもらっている人は、その裏で他人を搾取しているわけだから、これは罪であるとして(信仰を持たない限り)地獄行きということになる。
先の例で、貧しい男とイケメンサラリーマンの立場がここでは逆転してしまうわけだ。
これが(これだけじゃないが)昔から現代にかけて貧しい人達の心を撃ち続けているわけ。
特に格差が広がるアメリカでは福音派と言われる人たちが5千万人にも及ぶと言われているが、背景にはこういうことがある。 ちなみに上の説明だと主に貧富について書いたけど、実際に聖書を紐解くととにかく世の中のありとあらゆる価値観を徹底的にひっくり返していく(本当に、「え、そこまで否定しちゃうのか」というところまで否定してしまう)。
読者としては、自分が今まで信じていた価値観が徹底的に破壊されるものだから、ふつうの人は激しく反発する。
しかし、どうしようもない社会でやっていけない人や、既存の価値観では満足ができない研究者・文学者の心を激しく撃ったりする。
日本の葬式仏教や神道ではこういう「価値観の逆転」という要素がないので、あんまり信仰がどういうことかピンとこないのだけど、キリスト教圏で「信仰を持つ」と言えば世俗の価値観と違う価値観を受け入れているということを意味する。 横から追記
>>416、>>417
これらは、「自助努力を放棄しない」という大前提ありき、な それは一方的な見方だろう
そんな宗教なら、金持ちの親はミッション系の学校に子どもをやらないだろう。でも世の中はたくさんの金持ちがミッション系に子どもをやる。しかも選んでそうする人もいる。 まあ、不幸な人間の耳元で『お前が不幸なのはあいつらのせいだ』『お前が不幸になったのはあんなことやこんなことが原因だ』と囁いて憎悪を煽るのが宗教家の役目だから 議論が大ざっぱすぎて答えにくい。とりあえず以下の指摘が考えられる。
・>>417でも書いたけど、キリスト教の意義は貧富のことについてだけではない。他の規定がその人の心を撃つことも考えられる。
・教義に共感しなくても、親や周囲の人間がキリスト教徒だったりして入信するケースはいくらでもある。
・子どもをミッション系の学校に入れたからと言って、それだけでは親の信仰がどういうものかは分からない。 白人ティーンの女の子がキリストへの愛を熱く語るのを何かで見たんだがまるでアイドルに対してのようだった
カルトではない
あの感覚が自分には全く理解出来ないんだが幸せそうではあった 盲信の快楽装置というのが人間にはあるみたいだね。
恋愛くらいでいいかなそういうの。 なんか話が逆っぽい
崇拝の対象をアイドルと呼んだのが先だろう 物理定数が偶然、生物を生み出せるというのが出来過ぎていて、
それだけでも、この宇宙は偉大なる何かによって出来たと主張する科学者は
少なくない
だが、それだけでも充分そう主張されるのに、圧倒的にもっと確率が低いことが、
この宇宙には起きている
駄目押しの駄目押しの駄目押しというくらいに
今のお前らが創造主無しに存在するためには、
@物理定数が偶然、それを可能にするだけの定数でなければならなかった
Aだからといって、バクテリアが高い確率で発生はしない
Bバクテリアが発生したとして、高い確率で進化などしない
Cその間に惑星が滅ぶ確率が無視されてはならない
D人間まで進化したとして、現代の科学文明にまで進化するにも
確率があまりにも低い
Eその間に人類が滅亡した確率も無視してはならない
Fその間に惑星が滅ぶ確率も無視してはならない
ということ >>426
「神は数学者か?」や「宇宙をプログラムする宇宙」くらいはサラッと読みこなしたのか?という疑問 >>414
>>416
アメリカで言えば福音派の力もあってトランプが政権をとった要素もあるだろうし
キリスト教国の韓国も国民がほぼ無血革命で大統領を罷免したようなもの
むしろ日本人の考える信仰のほうが特殊なのかもしれない
カトリックの幼児洗礼を受けたがカトリックの教えにはなじめなかった
遠藤周作が考えた日本的なキリスト教という問題意識がこの作品にも含まれている
日本は沼地というのはいわゆる現代の日本特殊論に属する考え方だから
世界標準から日本が逆に外れているのかもしれないよ 昔は説明のつかないこと、例えば落雷とか地震とかが神の存在を強く意識させたんだろうなと思う。
科学が発達するにつれて日本だけではなく世界的に無神論者は増えているけど、それでもまだ人智を越えた存在を意識する人は多いんじゃないかな?貧しい人がすがるもの、道徳的規範として大切にするものという側面も強いけど
日本は徳川政権の合理主義的な思考回路が強く染み込んでる気がする。だから沈黙の設定時期に「日本は沼地」というのは早いような気がするね。 >>431
ザビエルが書簡で、日本に送る宣教師は科学哲学等への精通が求められる旨書き送ってるみたいよ
問答で心が折れる、とも 宗教のニーズでシェア大きいのが「病気治し」。
江戸末期は庶民はかなり無宗教になっていた(寺檀制度の空疎化)のだが、病気に霊験がある流行り神はすたれなかった。
でも映画も原作もそういうものには触れずに、教会制度についてのみ描いてるね。 >>432
そうなんだ。知らなかった。教えてくれてありがとう。 空気を読まんで申し訳ないけど
アンドリュー・ガーフィールドがよかった
別の映画で主演男優賞にノミネートされてたんだね
ちょっと前までスパイダーマンのイメージだったけど
年齢を重ねるにつれ味が出てくる顔だから今後も楽しみだ 信仰以前に信じるということがある種のパワー(偽薬のプラシーボ効果のような)を持ってることは明らか
キリスト教原理主義もイスラム原理主義に劣らない恐ろしいもの
この映画を含めあらゆる宗教は憎悪を煽るものという解釈が正しい >>435
最初は一番期待してなかったキャストだったけど、観たら凄く良かった。
演じるのが難しい役だろうと思うのに自分がロドリゴになったような気分になるぐらい引き込んでくれたよ。 >>423
アイドルの応援は宗教用語だらけじゃん(笑) >>435
スパイダーマンのイメージがあったからイケメン枠かと思ってたら、メソッド俳優と聞いてビックリした
スレ遡ると記事あるだろうけど役に入りこんで窪塚と気まずく(?)なった場面もあったみたいだし 信仰は現在の価値観の逆転もあるが
もっと単純に「死んだらどうなるのか」の疑問だと思う
無になるのが恐怖だから色々と意味づけや死後の世界をつくり
恐れを和らげているのだと思う 外国人が日本語をしゃべる映画を見たんだが、
字幕がなかったんで聞き取れなくてストレスがたまったわ
沈黙も、海外では日本人の英語に字幕ついてるのかな 死ぬことってそんなに怖い?俺今20代後半なんだけど、怖いって思ったことない。
大災害があったり、大病を患ったり、事故に遭ったり、爺さんになったりして、死が身近にならないと死ぬのが怖いってならない気がする。
どっちかって言うと、「なんで俺は生きてるんだろう」ってところじゃない?
神と死後の世界を肯定すると、この点について極めて明快な回答が得られる。
若い人で信仰に惹かれるのはこっちじゃないかな。 日本でも相当数この映画を観る人がいるのは
日本人の多くが神や仏を信じているからだろう
無神論者だから初詣も願い事も一切しないという人はほとんどいない
それも信仰と呼ぶなら今の日本人は信仰はするが宗教にはあまり染まらない
以前は国家神道のもとに戦争までしたのだから
日本人も何かきっかけがあれば宗教に染まる素質はあるはず 日本人はキリスト教化する前のローマ、ギリシャの信仰に近いのかな?知恵の神様とか酒の神様とか、ローマ帝国の市民の家には神様を祀った祠みたいなものがあったみたいだし
戦前の忠君愛国は上から押しつけられたものを日露戦争後ぐらいからのイケイケムードで何となく受け入れただけで信仰とは違う気がする 私みたいに心の中に教会を持っている人も居るかな?
日本人はあからさまにしないからそういう人いるかもしれない。 >>447
無教会派は、基本教義とかあるんですか? 無教会主義は、ルターのロマ書理解である「信仰のみで救われる」を徹底して、「だったら教会にも行かなくても救われるよな!」とする立場。
子どもの屁理屈のようだが、@信仰に際して金が絡まないこと、A教会に行くことに抵抗がある人でも信仰が可能になること、B主として聖書研究に専念していればいいこと、がウケて、インテリを中心に広まった。
ただ上記以上の意味があるのかはあいまいで、提唱者の内村鑑三も時期によって無教会主義の理解が異なっていたりする(内村の弟子の中でも理解が分かれる)。
なので教義というものは特になくて、内村氏の聖書理解もかなり通説的な解釈になっている。 >>450
448です。
詳解ありがとうございます。
大変参考になりました。 >>442
少年時代の方が死ぬのは怖かったな
大人になると、不謹慎ですが
去年のキャリーフィッシャーとデビーレイノルズみたいに
老母が子供の後を追うのはむしろ自然で幸せなことのように思えてしまいます
自分の宗教があると死ぬのが怖くなくなるとか
死後に報われるとか、それを求めて宗教を信じるのは
現世の身の上があまりにも貧しく辛い時かな >>446
昔のローマの12月25日は「殺しまくりレイプしまくりヒャッハー祭り」説w
そんなストレス解消ぶっ飛ばし祭りを続ける事を危惧した上層部は
「やんごとない人が生まれた日にして祝日にしちゃえばこんなヒャッハー治まるんじゃね(´・ω・`)」
って感じw >>454
違うよ。
12月25日はローマの多神教において、日照時間が最も短い冬至を太陽誕生の日と位置付けられていた。
太陽生誕がイエス生誕に代わった。 そうだね冬至だね
正教ではユリウス暦?で2週間後になる
他にも「林檎」とか北方の事物がいろいろ紛れ込んでるね >>417
あのね仏陀は人や物を愛するなとまで言ってるの
仏教が世俗の価値を否定するレベルはキリスト教の比じゃないから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています